HOME >

介護保険的なもの・対・障害者の運動 3

――知ってることは力になる・28――

立岩真也 200308
『こちら”ちくま”』34:



*この調子だと6回かかってしまいそうな続きものの第3回です。もとは『月刊総合ケア』に2回に渡って書いたものです。前号までの目次は以下。
 □予告〜□公的・在宅サービスだけで暮らす(前々回)
 □生活保護他人介護加算(略)
 □介護人派遣事業/ホームヘルプ〜□情報が制度を拡大させた(前回)
なぜこれを載せているか、説明していると長くなるので、さっそく以下、続きです。

供給・利用のかたちを変えた

 介助サービスの量的な拡大を求める運動とともにもう一つなされてきたのは、サービスを使いやすいものにすること、質を確保することだった。これについてもどうしたらよいものか、試行錯誤、紆余曲折があったのだが、1980年代後半以降、採用され広がっていったのは、自分たちで組織を作ってサービスを提供するという戦略だった。その組織は「自立生活センター」と自らを名乗った。「CIL」とも略される。
 この時期、利用者と「有償ボランティア」とも称された人たちを登録し両者を媒介する非営利民間の組織が多く現われた。「住民参加型在宅福祉団体」などど呼ばれたものである。自立生活センターは、こうした組織の運営を勉強し取り入れながら、それとはまた違いもある組織を作った。
 基本的な違いは、その組織の構成原理として、利用者が主体になること、つまり障害をもつ人が組織の運営者の過半数を占めることを掲げたことである。利用者が運営に携われば、何が必要で何が余計なことかわかるだろう、利用者にとってよいサービスが提供されるだろうというのである。
 もう一つは、自分のあるいは家族のお金をやりとりしてやっていこうとは、また会員の相互扶助でやっていこうとは考えなかった、また(お金がないのだから)考えられもしなかったことである。この運動は、先に述べた介助サービスの量の拡大、そのための予算の拡大要求と一緒に進んできた。公的なサービスがない部分のすきまを仕方なく埋めるというのではなく、お金は税金を使う、その税金を使って使いやすいサービスの提供に関わるのは自分たちだという路線をとったのである。
 自立生活センターの数は年々増え続け、1991年には「全国自立生活センター協議会」(JIL=ジル)という全国組織が誕生する。介助サービスはその事業の一部だからこれにそう力をいれていないセンター、いれられていないセンターもあるが、JILに加盟する組織の数はこの1月現在で117になっている。
 ただなんでも組織がなければならないと考えたわけでもない。組織がないところもあるし、また、組織があること自体が常に最善だとも考えたのでもない。組織は自らを維持しようとするだろう。それは利用者に利益をもたらすとは限らない。個人が介助者をコントロールできるなら、組織が介在する必要かなくなるか少なくなる。
 そもそも介護人派遣事業は、自分が介助者とする人を登録してその人に介助の仕事の対価が渡るシステムだった。ホームヘルプサービス全般でそのようなかたちを実現しようとする動きも出てきた。「自薦登録ヘルパー」といって自分が選んだ人をヘルパーとして市町村や市町村が委託している団体に登録し、その人はヘルパーとしての賃金を受け取るというかたちをとるというものである。
 こうして障害者の運動は、介助サービスの公的な保障を求めながら、サービスが使いやすく自らによいものとなるように、サービス供給の実際を自分たちの組織があるいは自分が担うという方向で進んできた。少なくとも後者について高齢者の場合には難しいと思うのはもっともだが、しかしこの部分でも参考になる部分はあると考える。このことについては後述する。

介護保険には乗れない

 このような約30年間の動きがあったのだが、他方で介護保険が2000年から始まった。これにどのように対応すべきかは当初微妙だった。
 もちろん、年齢によって区別をすべき根拠は本来はなく、その意味ではいっしょでかまわないということになる。もう一つ、これはサービス供給については全国共通の制度だから、地域間の格差が解消され、サービスの水準が底上げされるならよいかもしれない。そうも考えられた。
 ただ、制度の実際が明らかになってくるにつれて、これには乗れない、乗らない方がよいことがはっきりしてきた。施設サービスはともかく、高齢者に対する在宅福祉サービスはたいてい非常に低い水準であったから、それに比べれば、介護保険は前進だったかもしれない。しかしさきに述べてきた障害者にとってはそうではなかった。
 一方で最大24時間を実現してきたのに対して、介護保険では最も重い等級と判定されても訪問介護だけなら1日2〜3時間しか利用できない。そして、要介護認定のテストを自分に当てはめてみると、十分に重度で長時間の介護を必要とする人の多くも、その判定基準ではその時間さえ確保できないことがわかった。介護保険でやっていくことは、端的に介助が減り生活が切り下げられ、これまでの生活が不可能になることを意味した。
 しかし月30何万円といえばそれなりの金額なのになぜそうなるのか。それは、介護保険での訪問介護が、長い時間その人のもとでその要請・必要に応じて仕事するというかたちを想定していないことにもよる。短時間の仕事が一つ終わったらヘルパーは次の仕事場に向かう。だから、移動の時間もかかるし、仕事を複雑に配置する必要もあり、そのための人も手間も必要になる。実際に介護の単価も、事務的な経費や移動のための時間等を含んで経営が成り立つように設定されている。その分時間単価は高くなり、その分同じ額で使える時間は短くなる。それでは在宅で長時間の介助を要する人、介助を使いながら様々な活動をしていこうという人はどうしようもない。
 だから当初、一体化が望ましいのではないかと考えていた人たちも、こんな制度には到底乗れないということになった。もしあのとき、年齢で区切らない制度が提案されたら、そんなものではまったく足りないという、非常に大きな反対運動が確実に起こったはずである。そんなことになったら、そうなのかと人々も思っただろう。既に介護保険の水準を上回る介助サービスが存在しそれを使って暮らしている人たちがたくさんいることを知ることになったのかもしれない。だが、介護保険は、基本的には高齢者(の障害者)専用の制度として始まった。一番大きな声で文句を言うはずの介助を使う側の大きな部分、つまり若い層を制度から外し、直接の利害関係者から切り離したことによって、あとは、いくらかでも介護が楽になるなら、少しでも公的サービスが利用できるならというおとなしい人、保険料は少ないにこしたことはないという人たちが受け入れられるような制度としてできてしまった。そしてあれだけの規模のものがいったん出来てしまうと、大きな変更を加えられるともなかなか思えない。(続く)


◇2003/04/00「介護保険的なもの・対・障害者の運動 1――知ってることは力になる・26」
 『こちら”ちくま”』32:
◇2003/06/00「介護保険的なもの・対・障害者の運動 2――知ってることは力になる・27」
 『こちら”ちくま”』33:4-5
◇2003/10/00「介護保険的なもの・対・障害者の運動 4――知ってることは力になる・29」
 『こちら”ちくま”』35


UP:20030716
支援費・ホームヘルプサービス上限問題  ◇障害者(児)の地域生活支援の在り方に関する検討会  ◇自立支援センター・ちくま  ◇立岩 真也 
TOP(http://www.arsvi.com/0w/ts02/2003043.htm) HOME (http://www.arsvi.com)