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介護保険的なもの・対・障害者の運動 2

―知ってることは力になる・27―

立岩真也 200306
『こちら”ちくま”』32:



 この1月、「支援費制度」の導入に絡ませて、ホームヘルプサービスの「上限問題」というものが持ち上がり、多い日には障害者中心に1000人も厚生労働省前に抗議に詰めかけるといった大騒ぎになりました。その経緯についてはhttp://www.arsvi.com/0ds/200301.htmをご覧ください。1月末、ひとまず事態は収拾され、この時に厚生労働省との約束で設置されることになった検討委員会も、メンバーが決まり、ようやく始まるようです。5月26日がその第1回です。情報を逐次HPに掲載していきます。
 さて、これに関連した文章を『月刊総合ケア』(医歯薬出版)に依頼されて2回に渡って書いて(上記のHPから全文を読めます)、それをさらに小分けにして本誌に載せてもらっています。前回は、あの出来事は障害者へのサービスを介護保険(的なもの)の方に合わせる動きだったということ、それは少なくとも一部地域では福祉サービスの切り下げを意味したから大きな反対が起こったのだということを書きました。つまり、介護保険のサービスよりましなサービスが当事者の運動によって作られてきた――のに、それが水の泡、になりそうになった――ということです。ではよりましな制度とはどんなものか。『総合ケア』では、「生活保護他人介護加算」を、残念ながら一般の福祉関係者はこの制度をほとんど知らないので、紹介したのですが、これについては以前――といってもこの連載の第1回!、1998年にですが――書いたので略します。「普通」の介助サービスの制度の方の紹介部分から載せます。では以下。

*  *  *


生活保護他人介護加算(略)

介護人派遣事業/ホームヘルプ

 もう一つは「(全身性障害者)介護人派遣事業」である。これは東京都が1974年度から単独で始めた「重度脳性麻痺者等介護人派遣事業」が最初のものだった。当初は4時間が月に3回といった制度だったが、次第に拡充され、1993年度に毎日サービスを受けられるようになる。
 そしてこの制度は全国に広がっていった。多くは脳性麻痺などの障害者の運動があって作られていったのだが、他に私が知っている例では、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の人たちが交渉してできた山梨県の制度がある。
 そしてこの制度は、ほとんどの自治体では自治体単独の事業として始められたのではなく、法制度上はホームヘルプサービスの一部に組込まれることになった。この制度なら市町村の負担は4分の1なので(国が半分、都道府県が4分の1)、市町村としては支出が少なくてすむ。また既にある制度だから、行政側の要綱等の変更で実現可能で、より容易に行なわせることができ、実施までの手間がかからないのである。
 そしてもちろん、この派遣事業が屋根を借りているホームヘルプサービスの制度が、障害者の介助の基本的な制度であり、その拡充がずっと求められてきた。これはながらく週4時間とか6時間という制度だったのだが、週18時間を上限とするという厚生省発の文書を1992年に事実上撤回させ、むしろ厚生省から自治体にサービスに上限を設けない方向で指導させるというところに持っていった。こうしてホームヘルプサービスの量が拡大し、そして、法制度上はこの中に含まれる介護人派遣事業が広がりそして拡充されてきたのである。
 こうして、どれか一つのというのでなく、いくつかの組み合わせた結果としてではあるが、最大1日24時間の介護を得られる地域が、私の知る限りでは1993年に現われ、徐々に拡大してきた。最初は立川市など東京の西部地域だったが、制度の拡充は必ずしも大都市の予算規模の大きなところでだけ実現したのではない。辛抱強く自治体と掛合ったところで作られ大きくなっていった。
 私たちはそのことを先に紹介した『生の技法』に書いたが、教科書の類いに載っているわけではないから、多くの人はこのことを知らない。そしてこのことには、この運動が、法律を作る、議会を通すといった表玄関から入る運動――それで簡単に目標が実現できれば苦労はしない――というより、個別に直接障害者福祉の担当者と交渉して作らせてきたという経緯も関係する。

情報が制度を拡大させた

 短くするとこういうことになるのだが、それは長い道のりだったし、地域間に大きなむらが残っていた。役所も知らないし、当人も知らない。まず介助の必要な人がを知り、役所が知らないものが制度的に可能であることをうまく知らせ、説得する手だてがいる。それを各地の人たちが獲得することで全国に制度が広がる。
 そこで大きな役割を果たしてきたのが、情報を提供し、具体的な交渉の仕方等を伝える組織である。「全国公的介護保障要求者組合」という組織が1988年に設立され厚生省との交渉などにあたっていたのだが、97年にこの組織は2つに分かれる。「組合」の方も活動を続けるのだが、分かれた方は、一つに運動・交渉団体としての「全国障害者介護保障協議会」、一つに相談を受け情報を提供する組織としての「障害者自立生活・介護制度相談センター」の2つに活動を分け互いに協力し合うかたちで活動を続ける。相談センターは膨大な情報を蓄積し、会員を募り、『全国障害者介護制度情報』という雑誌――私のHPでも掲載――を月刊で発行し続け、HPから情報を提供し、フリーダイヤルでの電話相談等を行なってきた。こうして、切実に介助を必要とする人の多くがこの組織を利用し、利用者が制度のことを一番よく知っている(が、他の人はあまり知らない)という状態がもたらされた。(続く)


◇2003/04/00「介護保険的なもの・対・障害者の運動 1――知ってることは力になる・26」
 『こちら”ちくま”』32:
◇2003/08/00「介護保険的なもの・対・障害者の運動 3――知ってることは力になる・28」
 『こちら”ちくま”』34
◇2003/10/00「介護保険的なもの・対・障害者の運動 4――知ってることは力になる・29」
 『こちら”ちくま”』35


UP:20030430 REV:0522
支援費・ホームヘルプサービス上限問題  ◇障害者(児)の地域生活支援の在り方に関する検討会  ◇自立支援センター・ちくま  ◇立岩 真也 
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