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介護保険的なもの・対・障害者の運動 1

――知ってることは力になる・26――

立岩真也 2003
『こちら”ちくま”』32:



 この1月、「支援費制度」の導入に絡ませて、ホームヘルプサービスの「上限問題」というものが持ち上がり、大騒ぎになりました(経緯についてはhttp://www.arsvi.com/0ds/200301.htmをご覧ください)。いったん収拾、ということにはなり、来年度以降についてはこれから検討ということになりました。この話自体は単純なのですが、しかし背景のあることでもあり、「基礎」?からわかっておいた方がよいことでもあります。そこで続きものとして少し長く書きます。というか、『月刊総合ケア』(医歯薬出版)という雑誌の依頼で2回に分けて書いた文章をさらに小さく分けて転載します。今回は前半の約3分の1です。この調子だと6回はかかりそうです。http://www.arsvi.com/0w/ts02/2003027.htmに前半の全文を載せましたので、お急ぎの方はそちらをどうぞ。では以下。

予告

 一度で書き切れないが、二つのことを書く。
 一つ、介護保険よりよい公的な制度があり、それを使っている人がいることを知っていた方がよいと思うから、簡単に紹介する。一つ、私は全体がそちらの方に向かっていった方がよいと思うのだが、現在、むしろ低い方に合わせるという動きが出てきている。これはよくないことだと思う。そのことに関わる動きについて述べる。
 一番目について。私は、障害者――といってもほぼ身体障害の人たちに限られるのだが――の動きを、1980年代の中頃からすこし追いかけてきた。その中で介護のことをどうするかは当然のこと大きな問題で、その人たちは考えられることをいろいろとやってきてある程度のものを実現させてきた。そこから見たとき、障害者福祉と高齢者福祉としてなされているものの間に小さくない違いがあり、そして違いがあるだけでなく、違いがあることがあまり知られていないらしいことが気になってきた。もちろん、高齢なだけで介助が必要になるのではなく、高齢の障害者と高齢でない障害者がいるというだけのことで、分けて考えること自体におかしなところがある。ただ、制度上分けられてきたのは事実で、その間に違いがあるのも事実であり、それを知っておく必要はある。なお、(高齢でない)障害者の運動では、「保護」してほしいのではなく「手助け」がほしいのだということで、「介護」でなく「介助」という言葉が選ばれることがあるので、以下後者を使う。
 二番目について。「支援費制度」への移行に伴い、ホームヘルプサービスに「上限」を設定するらしいという話が流れたのがこの1月9日だった。これはきわめて深刻なことと受け止められ、事態がいちおう収拾される月末まで、一部では大変な騒ぎになった。しかし「上限問題」と言われてもなんのことかわからないかもしれない。実際、介護保険では上限がきちんと存在する。あって当然ではないかという受け止め方があるし、マスメディアの及び腰の論調にもそのことはうかがえた。あの騒動はいったいなんだったのか、それをどう考えたらよいのか、これを次に述べる。

公的・在宅サービスだけで暮らす

 まず在宅で、最大限24時間の介助が社会福祉サービスとして行われている現実を多くの人は知らない。たしかにほとんどどこにもそんなことは書かれていないのだが、事実である。これは、障害者、とくに脳性麻痺などの全身性障害者の人たちが長年かけて厚生省(現・厚生労働省)や自治体と交渉してようやく獲得してきたものである。
 施設で暮らすのはいやだ、しかし家族の世話にもならない、そういう当たり前の暮らしをしようという動きがある。その暮らし方を「自立生活」という言葉で表現したりする。それがいったいどんなものかについては、まず、私も著者の一人として加わった安積純子他『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』(藤原書店,増補改訂版1995年)を読まれるとよい。ただこれはその考え方や流れを知るにはよいし、後述する制度の経緯と概要も記してあるが、発行後のことは当然ながら書かれていない。そして本稿は短い。私のHP:http://www.arsvi.com→「立岩」→この文章の題のファイルから各種関連情報や今まで書いた文章などにリンクできるようにしたので、ご覧いただければと思う。
 さて、この「自立生活運動」と呼ばれる動きは1970年代に始まる。ただ、当時は公的なサービスといっても、せいぜい1日2時間・週2日のホームヘルパー派遣ぐらいだったから、それでは重度の障害者はとても暮らせなかった。それで多くは大学生などのボランティアを介助者として暮らすことになった。しかしボランティアはそうたくさんいないし、学生は毎年卒業していく。介助者を確保していくのはとても大変なことで、その生活は綱渡りのような不安定なものだった。そして、わずかな人数ならともかく、多くの人が地域で暮らそうとしたら、さらに難しくなる。
 そして、介助が必要な人には介助を得て生きていく権利があるなら、その権利を実現する義務が社会にあり、その人を支える義務はすべての人にあるということだ。ならば、一部の人だけがボランティアとして参加するのでよしとするのはおかしい。みなが支える、具体的には費用を払える人はみな払うのが当然ではないか。このことからも公的な保障が求められる。それで2つあるいは3つの制度が獲得あるいは拡充されてきた。(続く)


◇2003/06/00「介護保険的なもの・対・障害者の運動 2――知ってることは力になる・27」
 『こちら”ちくま”』33:4-5
◇2003/08/00「介護保険的なもの・対・障害者の運動 3――知ってることは力になる・28」
 『こちら”ちくま”』34
◇2003/10/00「介護保険的なもの・対・障害者の運動 4――知ってることは力になる・29」
 『こちら”ちくま”』35


UP:20030430
支援費・ホームヘルプサービス上限問題  ◇自立支援センター・ちくま  ◇立岩 真也 
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