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現代史へ――勧誘のための試論

(『現代思想』読者のための資料)
立岩真也 2003/11/01 『現代思想』2003-11



『現代思想』31-13(2003-11) 20031101 特集:争点としての生命
 ISBN:4-7917-1112-2 1238+税=1300円 [amazon][bk1] ※
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■■1 勧誘と説明

■1 現代史のために★01
 医療、生命に関わる技術は依然として希望の対象であるとともに、なにか不安に、また不全感に縁取られている。それはどこに発するどんなものなのか。まず、なおすことはそれ自体としてよいことだが、ときにその方法を間違い、加害的であることだろう。ただそれだけでもないようだ。それをどのように掴んだらよいか。
 事実の記述に自己を限定するとするがゆえに、かえって規範的なことがらを事実に仮託して語らせることがよくある。しかしそれはときにものごとを曖昧にしてしまうから、規範的な問題はそれとして正面から論じた方がよく、そしてそれは倫理学の仕事だからと遠慮する必要もない。一方で私はこのことを述べてきた。ただ、そのことを言った上で、医療、生命に関わる科学技術について、その個々の主題について、何が起こり、何が論じられたのか、その記述がもっとなされたらよいと考える。
 ここではそれはできない。それは一つに、いくらかでもそれを行おうとすれば多くの紙数を要するからだが、もう一つ、私は知らず、私が知らないだけでなく基本的な作業があまり行なわれていないからでもある。これからしばらくの間必要なのは、一つ一つの事件を追い、言説史を辿る、単純なしかし厚みのある記述である。この号に掲載される幾つかの論文でそれが始められている。私はただ、その仕事がなされることを期待しながら、このように推移してきたのではないかという道筋の一つを示す。だから本稿は、私自身は行うことができていない作業を呼びかけるものとしてある。
 私たちが知らないのはそう昔のことではない。ここ三、四〇年ほどの歴史に知るべきこと、考えるべきことがある。研究者、研究業績は増えていて、歴史を対象とする研究も増えている。これは歓迎すべきことだ。ただ、この国の戦後を調べる方が他国のもっと前の時代を対象とするより容易だろうと思うのだが、あまりなされていない。ある領域について現在や近い過去に何があったかを知らないまま、もっと以前の研究が行なわれることもある。すぐれた仕事もないではないが多くはない。例えば吉岡斉が行なってきた科学・技術やそれを巡る言説に働いている政治を十全に解析する仕事、流行に冷水を浴びせるような仕事が必要だ。本来はそうした作業がある程度なされた上で、なにかを言えばよい。だがそれを待っていられないから、そしてその仕事の必要とおもしろさを広告するためにも、そこにあったはずのことについて少し記し、考えてみる。
 なぜ近い過去を辿る必要があると考えるのか。この間に考えるべきことが提出され、いくつかの道筋が示されたと思うからだ。出来事としても様々なことが起こった。いくつもの対立点が現われ、今に継がれる批判がなされ、その答の試みが途上のままになっている問いが示された。その後を考えるためにそこに何があったかを知っておく必要がある。加えれば、医療社会学も医療人類学もここ数十年の変動と別に現われたのではなく、そこから生じた。最初から規範的な議論をその仕事の中心とする医療倫理学・生命倫理学に限らない。医療と社会に関わる学自体が近代医学・医療批判と関係をもちながら、その中で始まった。だからこの時期以降の動きを検討することは、それらの学が言ったことを再考してみることでもあり、これから何をするかを考える上でも必要だ。
 さまざまなことが起こりそしてまだそう時間の経っていない部分について記述がない。例えば精神障害と犯罪についてどんな議論があったか。いつハンセン病者に対する差別が差別だということになったのか。いつからどんな経路で自己決定という言葉が使われ広まったのか。少子化・高齢化に対する危機感をいつ誰が言い、どのように普及したのか。優生学という言葉が否定的な言葉となったのは、いつ、どのような人たちの間でだったのか。その他、「自分らしく死ぬこと」といった言説の誕生と流布について。そして様々な治療法の栄枯盛衰、いつのまにか消えてしまった様々なものの消え入り方、学会や業界の中での様々な(中にはひどく重要な論点を含む)対立、等々。ある年代以上ならある程度のことを知っている人もいる、それ以降の人たちはまったく何も知らない。そこにいた人しか覚えておらず、その人たちも記憶は定かでなく、覚えていたくないものは忘れているか、忘れたことにしている。だから、特に論争的な主題については「これまで語られてこなかった」という枕言葉がよく置かれるのだが、それをつい信じてしまうことにもなる。ところが、例えば安楽死について、医療に使える資源には限界があることについて、今までタブーとされ語られてこなかったからあえて私が語ると言うのだが、それは間違いなのだ。まさにそのような前言とともに繰り返し語られているのである。

■2 重複等についての弁明と概要の説明
 […]
 以下、現状を批判し変化を求める言説・運動のいくつかを見ていく。第2節ではまず現われ、ひとまずは理念・方向の表出に留まった消費者主義の理念、さらにその先に行き「社会」を問題にするがそれぞれに限界もある指摘・批判をとりあげる。第3節では、そうして差し引いて残った場所に「優生思想」という常套句を使って示される事態があり、事態の把握があり、批判の拠点があるとを言う。ただそれは当初から困難な主張であったことも確認する。第4節では、人口の高齢化といった一定の状況の変化も受け、提出されてきた批判の大衆化・一般化が起こること、そこに位置づく言説は、第3節に見出された批判を迂回し、さらにそれに対立する契機も含むものとなることを言う。また第2節1に示されたが理念にとどまった批判が実現の方に進むこと、しかしそれを進めれば、結局第3節に示された問題が引き受けられざるをえないこと、引き受けられるべきであることを述べる。

■■2 主権の主張と代替の提案

■1 主権獲得の主張

■2 別の医療

■3 別の因果

■■2 優生思想という理解

■1 「優生思想」

■2 困難

■3 位置づきの悪さについて

■■4 普及・後

■1 状況のすこしの変化

■2 よい生死の普及

■3 権利のための運動

■4 戻ったところに立つこと

■5 再度調べること・確認することについて

■注
★01 以下、事実や関連文献にほとんど言及できない。いくつかの事項についての年表、文献リスト等がホームページhttp://www.arsvi.comにある。例えば関係する単行書を発行年順に約六〇〇冊並べたリストがあり、その一部については目次等の紹介がある。そこからある程度、言論の傾向、その推移、趨勢を知ることができる。安楽死優生学生殖技術についての年表や文献リスト等もある。また本稿の注と文献表も掲載し関連項目、人などのファイルにリンクさせる。なお本稿は科学研究費・基盤研究(C)12610172の研究助成を受けた作業の一部でもある。
★02 第九回(二〇〇三年一月号)では「心神喪失者等医療観察法」が成立しそうだった(その後成立した)ことがあって、精神病・精神障害者が言ったことにふれた。私(たち)はその主張を裏切るかもしれないが裏切ることができるほど知ってもいないし、かつて起こったことは適度な距離の過去に置かれているのだからもうそう恐くもない、だから知ればよいとも述べた。いかにも軟弱ではあるが、軟弱な人にも調べてほしいと思うから、まじめにそう思っている。それでも裏切ることはある。それは軟弱ゆえであることもあるが、しかし考えればやはり別のことを言わなければならないと思ってのことであることもある――そして両者の区別はときにつけ難い。
★03 そして本稿第1節1はこの文章の序と、ひとまず別の言い方をする必要がないと考えたので、ほとんど同文である(注は省略した)。以上を足しあわせ、さらに加えると、一つの見取図にはなるだろう。医学史・医療史の本は数々あって、なかには大きなものもある。比較的新しいものでは川上編[2002]等。ただ、長い時間の多様なことを扱うから全体としては厚くなるのだが、一つ一つの主題にそれほどの分量を割くことはできないから、結局よくわからないままに終わることがしばしばである。
★04 技術の細部についてはともかく基本的な発想としては少しも新しくないことは多々あるから、「先端医療」といった言葉をあまり鵜呑みにしない方がよい。新しくない技術も含め、これまで個々の主題について述べたものとしては、生殖技術、出生前診断について立岩[1997](そこに述べたことの一部の要約的な繰り返しとして[2002b][2004b])、「安楽死」について[1998a][2000d]、遺伝子検査と保険の関わりについて[1998d]。
★05 専門家支配の構造についての古典的な分析としてFriedson[1970=1992]、米国の医療社会学の紹介として進藤[1990]。立岩[2001-(14)]で紹介した。戦後日本についての実証研究としては大林[1989]がすぐれている。助産婦の位置の変化と出産の病院化を辿るその本で、大林は戦後の日本に米国の機構の一部が紆余曲折あった上に取り入れられていく過程を記述している。そしてその米国の機構では医師たちが強い力をもっていたこと、それには、その集団が、19世紀後半の移民の増加という状況下で、WASPの勢力の維持のために自らの人口の維持を目指し、人工妊娠中絶を担っていた助産婦の活動を抑止しようとする勢力の一部でもあり、またその勢力に支持されたことがあったという。社会の諸力の交錯と同時に一定の方向への収斂という、ただ聞けばその通りだろうと言われ、信用もされないまま聞き流されてしまうことが、実際にその具体像が辿られることによって受け入れざるをえないものになる。他の著作を含め立岩[2001-(8)]で紹介した。専門性と資格についての基本的なことがらの確認として立岩[1999c]。
★06 ハンセン病者の動きについてはかなりの点数の書籍が出て知られておりここで紹介するまでもないが、比較的古いものに全国ハンセン病患者協議会編[1977]、また機関誌の縮刷版として三分冊で発行された同協議会編[1988-]が重要な記録としてある。その組織は強い闘争を組織し継続させる。ただそこで、例えばらい予防法について、優生手術について、積極的には言えなかったことがある。市野川との対談(市野川・立岩[1998])でもふれたことだが、それがどういうことだったのかを考えるという課題がある。
★07 川本隆史が十月十日着の私信で、『前進』の一九六九年七月七日号に掲載された梅本克己の文章に「破防法と自己決定権――破防法に反対する」があり(後に著作集第八巻に再録)、この文章での「自己決定権」という言葉に対する共鳴を秋田明大が記している(『獄中記』、全共社、一九六九年)のを見つけたと教えたくれた。梅本の文章では言論・表現の自由という文脈に「大衆の自己決定権」が位置づけられているという。
 私たちはしばしば言葉の現われ方を――知ったからどうということにもならないことも多々あるのではあるが――知らない。「自立生活」という言葉の現われについて間違ったことが言われていることを、その理由として考えられることについて述べたものとして立岩[1999a]。「自己決定」という言葉の肯定とそして懐疑についての言説を紹介したものとして立岩[1998b]。なお本稿について、私がこれまで障害者の社会運動について述べてきたその筋と同じ筋のことを述べていると思われる人がいるかもしれない。おおむねその通りである。ただ、それでも少し違った事情もあると考えるから、違ったことを述べたところもある。
★08 自伝的な著作として中川[1991]。(この国での数少ない医療人類学の成果である)池田[2001]等の著作のある池田光穂のホームページに中川の著作目録http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/cs/cu/Ynakagawa.htmlがある。
★09 一九四〇年代から、また一九七〇年代の安楽死法制化反対運動の中で書いた文章は松田[1980]に収録。その後松田[1997]。川本[1997]でその思想、思想の変化が検討されている。立岩[2001-(7)]で紹介。
★10 この体験への言及は向井[1990:140]等にもある。向井の著作については立岩[2001-(31)]で紹介した。
★11 薬害についての書籍は多数刊行されている。データベースとして医療改善ネットワーク[1999-]があり、重要な情報収集・提供活動がなされている。当時薬害告発の運動に積極的に関わった高橋晄正の言説(高橋[1970]等々)も後述する「社会」の問題化の仕方との関わりで検証の必要があるだろう。
★12 清水はこの後安楽死の法制化に反対する運動にも関わり――それで清水は文字にならなかった部分を含めてこの当時のことを記憶している数少ない人の一人でもある――、現在に至るまで生命倫理・医療倫理について積極的な発言を続けている。著作の一部を立岩[2001-(6)]で紹介した。七三一部隊の所業をどう理解するといったことも含め、人体実験という主題については土屋貴志が一環して取り組んでおり、その研究がまとめられるだろう。
★13 大熊はその後も精神医療や福祉についての取材を重ね、多くの著作を発表していく。その著作を立岩[2001-(16)]で紹介。
★14 立岩[1990]でその一部を記した。その補足としての性格のある文章として[1998b][1999b]。
★15 とくに精神医療に関する当時の書籍は多くあり、中途半端にいくつかあげてもさほどの意味はないので略す。なお、この時期の大学闘争、社会運動を当時の人が回顧するするといった類いの出版物はかなりの数あるのだが、その領域を専門にやっていた人たちのものは別とすれば病や障害にかかわる運動の記述はあまり出てこない。(それはこの主題に限られたことでもなく、党派間の争いを回顧し「反省」する記述に多くの紙面が割かれ、「主要な政治課題」についてもあまり記述がなかったりするのだが。)本稿の関心からは最首悟の文章が重要である。彼の著作については立岩[2001-(29)]で紹介し、最首[1970]からも少しだけ引用した。
  なお当時について横田弘が次のように語っている。「七〇年のあの当時、あの時でなかったならば「青い芝」の運動は、こんなに社会の皆から受け入れられなかったと思います。七〇年代の学生さんの、社会を変えていこうと、社会を変えなければ僕たちは生きていけないと考えた、あの大きな流れがあったから、僕たちの言うことも社会の人たちがある程度受け入れようという気持ちがあったわけですよ。」(横田・立岩[2004])
★16 失敗の歴史を失敗した人たちが書き残すことはまずないから調べたよいと立岩[2001]で呼びかけ、なおすことをどう考えられるかを少し記した。
★17 このことに主題的に言及した文章もあまりない。こうした批判を収集して整理するだけで論文の一本や二本はすぐに書けるだろうに、原因論という争いの場が分析されていない。さらに、当事者からの「病気」「障害」化の支持、それを巡る対立をもっときちんと見ることもできるだろう。PTSD(外傷性記憶)の成立と作動について詳細に分析したYoung[1995=2001]のような唖然とするような研究を望んでいるのではない。もっと簡単に調べられることを簡単に調べて書いた手頃な文章もない。なお以下に記すことは、「構築」だとか「科学知の生活世界への侵入」だとか言うのはかまわないがあまり不用意に言わない方がよいだろうという忠言につながるのだが、この点はここでは説明できない。連載の方で少し述べた。
★18 比較的新しい書籍ではGould[1996=1998]。立岩[2001-(12)]で紹介。なお以下は立岩[1997:271-285](「別の因果」「不可知による連帯」)で述べたことでもある。文献もそこにいくつかあげた。
★19 「機会の平等」を第一のものとして採用するわけにいかないことについては立岩[2004a]の第五章で述べた。
★20 「反精神医学」を題名に含む小澤[1974](当時他に小澤編[1975]、後に[1998][2003])の中にも病因論はないことも記した。
★21 この時期の動きはただの事実の羅列としても記述されていない。例えば精神医療のことを調べようという大学院生が本(杉村他編訳[2000])を読んでガタリやフランスの精神病院のことを知っていたりするのだが、もっと近くの歴史はごくおおまかにも――その本の中にも三脇[2000]があるのだが――知らなかったりする。連載の第九回で言及した「全国精神「病」者集団」の機関誌を整理し資料化してくれたらうれしいと言っている人がいる。
★22 鈴木[1983]、米本[1989]、Kevles[1985=1993]。その他の著作についてはホームページに掲載。立岩[2001-(9)-(12)]で紹介した。
★23有名な著作としてKlee[1983=1999]。他にも何点かあり、それらを含め立岩[2001-(9)-(10)]で紹介した。
★24 どこに優生学の「本体」を見るかについて立岩[1997]第6章3節「性能への介入」、第9章「正しい優生学とつきあう」。以上は米本他[2000]――立岩[2001-(12)]で紹介――の著者間の理解の違い、例えば松原[2000]の歴史記述・理解と米本の理解(立岩[1997:248,264-265]でもふれた)との間の差異をどう理解するかにも関係している。
★25 このことについて考えてみたのが立岩[2002a]。関連する引用がホームページにある。様々な障害・病の人の立っている位置の違いがどのように影響するか。例えば血友病の人たちと渡辺昇一の「神聖な義務」(一九八〇年)との関係について北村健太郎[2003]の報告がある。
★26 それで立ち止まり、一部は仕事のあり方の自問に進む。例えば社会に原因があり、それを変えることが本来の解決であるとするなら、それをそのままにして仕事を続けることは、社会の矛盾を糊塗するものであり、それによって体制の延命に寄与するものだとする。となると、事態が変わるために世の中を取り替えてしまうか。しかしそれは難しそうだ。ではどのような途を行けばよいのか。そうすっきりはしないまま自らを問うことになる。
  例えば精神医療や心理療法の領域に自らの学会・業界への批判、自己反省の動きがあり、少なくともいっとき勢力を持つ。ただそれをその内部で維持していくのは難しい。そしてこれはなにか滑稽なようにも思われたかもしれない。自らの職に批判的なのだが、そんな仕事はやめればよいではないか。そうせず続けていくなら自己否定的に行うことになる。難しいか暗い話である。仮にその話を真に受けると、どうしたらものだか見当がつかない。道徳的で性急でそして行く先の見えないその批判はまともに受け入れられることはなく、非難されるか揶揄されることになる。
  しかし事態は連続している。例えば現場ですこし「良心的」な人の口にのぼる愚痴は基本的に今もまったく変わらない。そしてなされてきたことを知れば、その人たちが行ってきた自己吟味の仕事の意義はやはり大きい。だから今になって注目されたりすることにもなる。第2節2にあげた論点との関連でも検討する必要がある。立岩[2001-(22)]では日本社会臨床学会編[2000]、小沢[2002]等を取り上げ紹介した。
  このように書くとただ暗いだけのように思われるかもしれない。しかし同時にこの流れが現実の中に大きな肯定的な場を作ってもきたことも明らかである。脱力系の本、よく知られている著作としては毛利子来のものがあり、もうすこしまじめな人たちのものとしては(むろん毛利もまじめな人だが)石川憲彦や山田真の著作がある。これらもまた検討されるべきだ。
★27 この言葉に反応し、そちらの方に議論を進めるのが森岡正博である(森岡[2001])。私はといえば、少し異なる方向の議論をしているつもりだ。その著作を紹介した立岩[2001-(13)]でもそのことに少しふれた。
★28 Rothman[1991=2000]。立岩[2001-(1)]で紹介。米国のバイオエシックスとその輸入、日本の生命倫理学の成立については土屋[1998]。
★29例えばFox[2003]には米国の主流に対する距離感の表明がある。またDPI日本会議+二〇〇二年第六回DPI世界会議札幌大会組織委員会編[2003]には出生前診断等についての各国の人たちの議論が収録されている。立岩[2001-(30)]で紹介した。
★30 こうした変化については[2000b]にも記した。
★31 情報の開示や権利法等について様々な書籍が出ているがここでは一切省略する。ホームページに文献表を掲載した。米国の消費者運動の主張についてはInlander et al eds.[1988=1997]等があり、立岩[2001-(2)]で紹介した。また米国のバイオエシックスにおける消費者運動の側面を強調してきた人として木村利人がいる(木村[1987]等)。
★32 ハンチントン病の人、それが発病するかもしれない人(著者自身がそうだ)、その人たちが関わって推進される研究の進展と、遺伝子検査でわかるようになることと自らは知らないでいること、等についてWexler[1995=2003]。たまたまその場にいてそれで書けてしまった本がおもしろいということはある。例えば、Driedger[1988=2000]はDPIという組織でアルバイトをしていた人の修士論文がもとになっているのだが、十分におもしろいので日本語に訳されることにもなった。
★33 高齢者への医療の停止、医療の場からの追放について、斎藤[2002]、向井[2003]。前者について立岩[2001-(30)]で、後者について[2001-(31)]で紹介した。
★34 立岩[1997][2004a]で基本的なことについて書き始めている。主題別の文章については注4に記した。自己決定については今記した本の他[1998c]等、パターナリズムについて[1999b]、資源の有限性という議論については[2000a]、科学技術と所有のあり方について[2000d]所収の「生命の科学・技術と社会:覚え書き」。また小倉・立岩[2002]でも話した。国境と生産・分配との関係については[2000a]他。「資本制」(と家族・性との関係)について立岩[2003c]にひとまず考えたことを略述した。
★35 小泉義之は、願望から発しても、その願望が途方もないものだったら途方もないものが生まれるだろうし、その願望とは別に途方もないものが生まれるかもしれないから、よいと言おうということにしているようだ(小泉[2003])。それを期待するその願望はわからないではない。しかし実際にはこの技術はまったく姑息に用いられようとする。
★36 古井[2001]がある。これが収録されている全国自立生活センター協議会編[2001]については立岩[2001-(23)]で紹介した。


■文献 *これからリンクさせます。

安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 1990 『生の技法――と施設を出て暮らす障害者の社会学』、藤原書店→1995 増補改訂版【→第3版
唄 孝一 1965 「治療行為における患者の承諾と医師の説明」、『契約法大系』補巻、有斐閣→唄[1970]第一章「医事法の底にあるもの」に再録
―――――  1970 『医事法学への歩み』、岩波書店
―――――  1990 『生命維持治療の法理と倫理』、有斐閣
Binding, Karl & Hoche, Alfred 1920 Die Freigabe der Vernichtung lebensunwerten Lebens: Ihr Mass und ihre Form, Felix Meiner, Leipzig=2001 森下直貴・佐野誠訳『「生きるに値しない命」とは誰のことか――ナチス安楽死思想の原典を読む』、窓社
Colen, B. D. 1976 Karen Ann Quinlan: Dying in the Age of Eternal Life, Nash Publishing=1976 吉野博高訳『カレン――生と死』、二見書房
DPI日本会議+二〇〇二年第6回DPI世界会議札幌大会組織委員会 編 2003 『世界の障害者 われら自身の声――第6回DPI世界会議札幌大会報告集』、現代書館
Driedger, Diane 1988 The Last Civil Rights Movement, Hurst & Company, London ; St.Martin's Press, New York=2000 長瀬修訳『国際的障害者運動の誕生:障害者インターナショナル・DPI』、エンパワメント研究所、発売:筒井書房
Fox, Renee C. 2003 中野真紀子訳『生命倫理を見つめて――医療社会学者の半世紀』、みすず書房
Friedson, Eliot 1970 Professional Dominance: The Social Structure of Medical Care, Atherton Press=1992 進藤雄三・宝月誠訳『医療と専門家支配』、恒星社厚生閣
古井 正代 2001 「CPとして生きるっておもしろい!」、全国自立生活センター協議会編[2001:364-370]
古井 透  2003 「リハビリ再考――「がんばり」への呪縛とそのOUTCOME」、障害学研究会関西部会第19回研究会・「生命科学/技術の公共性と生活者の利益をめぐる諸問題の歴史的・社会的・倫理的研究」(研究代表者・松原洋子)研究会 http://www.arsvi.com/2000/030829ft.htm
後藤 弘子 編 1999 『少年非行と子どもたち』、明石書店
Gould, Stephen Jay 1996 The Mismeasure of Man, revised edition, W. W. Norton=1998 鈴木善次・森脇靖子訳『人間の測りまちがい――差別の科学史 増補改訂版』、河出書房新社
Haraway, Donna J. 1991 Simians, Cyborgs, and Women: The Reinvention of Nature, London: Free Association Books & New York: Routledge=2000 高橋さきの訳『猿と女とサイボーグ――自然の再発明』、青土社
平野 龍一 1966 「生命と刑法――とくに安楽死について」、『刑法の基礎』、東京大学出版会:155-182→町野他編[1997:46-51](抄)
市野川 容孝・立岩 真也 1998 「障害者運動から見えてくるもの」(対談)、『現代思想』26-2(1998-2):258-285→立岩[2000e:117-172]
池田 光穂 2001 『実践の医療人類学――中央アメリカ・ヘルスケアシステムにおける医療の地政学的展開』、世界思想社
今田 高俊 編 2003 『産業化と環境共生』(講座社会変動2)、ミネルヴァ書房
Inlander, Charles B.; Levin, Lowell S.; Weiner 1988 Medical on Trial: The Appalling of Medical Ineptitude and the Arrogance That Overlooks It, People's Medical Society=1997 佐久間充・木之下徹・八藤後忠夫・木之下明美訳『アメリカの医療告発――市民による医療改革案』、勁草書房
医療改善ネットワーク(製作責任:栗岡 幹英) 1999- 『薬害資料館(ネット版)』http://www.mi-net.org/yakugai/index.html
石川 准・倉本 智明 編 2002 『障害学の主張』、明石書店
石川 准・長瀬 修 編 1999 『障害学への招待』、明石書店
石塚 正英・柴田 隆行 監修 2003 『哲学・思想翻訳語辞典』、論創社
Kamin, Leon J 1974 The Science and Politics of IQ, Lawrence Erbaum Associates=1977 岩井勇二訳、『IQの科学と政治』、黎明書房
加藤 尚武・加茂 直樹 編 1998 『生命倫理学を学ぶ人のために』、世界思想社
川上 武 編 2002 『戦後日本病人史』、農村漁村文化協会
川本 隆史  1997 「老いと死の倫理――ある小児科医の思索を手がかりに」、『倫理と道徳』(岩波現代日本文化論9):127-148
Kevles, Daniel J. 1985 In the name of eugenics: genetics and the uses of human heredity, Knopf=1993 西俣総兵訳『優生学の名のもとに――「人類改良」の悪夢の百年』、朝日新聞社
木村 利人  1987 『いのちを考える――バイオエシックスのすすめ』、日本評論社
北村 健太郎 2003a 「「神聖な義務」論争をめぐって」、第七六回日本社会学会大会報告http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2003/1013kk.htm
―――――  2003b 「沈黙」して超えていく――血友病者にとっての「神聖な義務」、未発表
Klee, Ernst 1983 >>Euthanasie<< im NS-Staat, Fisher=1999 松下正明監訳、『第三帝国と安楽死――生きるに値しない生命の抹殺』、批評社
小泉 義之  2003 『生殖の哲学』、河出書房新社
町野 朔・西村 秀二・山本 輝之・秋葉 悦子・丸山 雅夫・安村 勉・清水 一成・臼木 豊 編 1997 『安楽死・尊厳死・末期医療――資料・生命倫理と法II』、信山社
松原 洋子  2000 「日本――戦後の優生保護法という名の断種法」、米本他[2000]
松田 道雄  1969 「基本的人権と医学」、『世界』1969-7
―――――  1980 『生きること・死ぬこと』(松田道雄の本7)、筑摩書房
―――――  1997 『安楽に死にたい』、岩波書店
三脇 康生  2000 「精神医療の再政治化のために」、杉村他編訳[2000:131-217]
森岡 正博  2001 『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』、勁草書房
向井 承子  1990 『病いの戦後史――体験としての医療から』、筑摩書房
―――――  2003 『患者追放――行き場を失う老人たち』、筑摩書房
中川 米造  1991 『学問の生命』、佼成出版社
日本社会臨床学会 編 2000 『カウンセリング・幻想と現実 上・下』、現代書館
大林 道子  1989 『助産婦の戦後』、勁草書房
小倉 利丸・立岩 真也 2002 「情報は誰のものか」(対談)、『現代思想』30-11(2002-9):66-79(特集:知的所有権)
大熊 一夫  1973 『ルポ・精神病棟』→1981 朝日文庫
小澤 勲   1974 『反精神医学への道標』、めるくまーる社
―――――  1998 『痴呆老人からみた世界』、岩崎学術出版社
―――――  2003 『痴呆を生きるということ』、岩波新書
小澤 勲 編 1975 『呪縛と陥穽――精神科医の現認報告』、田畑書店
小沢 牧子  2002 『「心の専門家」はいらない』、洋泉社
Rothman, David J. 1991 Strangers at the Bedside: A History of How Law and Bioehtics Transformed, Basic Books=2000 酒井忠昭監訳『医療倫理の夜明け――臓器移植・延命治療・死ぬ権利をめぐって』、晶文社
最首 悟   1970 「責任性存在としての人間」、『思想の科学』1970-5→最首[1984:29-46](「もう一つの価値について」に改題)
―――――  1984 『生あるものは皆この海に染まり』、新曜社
齋藤 有紀子  編 2002 『母体保護法とわたしたち――中絶・多胎減数・不妊手術をめぐる制度と社会』、明石書店
斎藤 義彦  2002 『死は誰のものか――高齢者の安楽死とターミナルケア』、ミネルヴァ書房
清水 昭美  1964 『生体実験』、三一書房
―――――  1979 『増補 生体実験――安楽死法制化の危険』、三一書房
進藤 雄三  1990 『医療の社会学』、世界思想社
進藤 雄三・黒田 浩一郎 編 1999 『医療社会学を学ぶ人のために』、世界思想社
杉村 昌昭・三脇 康生・村澤 真保呂 編訳 200004 『精神の管理社会をどう超えるか?――制度論的精神療法の現場から』、松籟社
鈴木 善次  1983 『日本の優生学――その思想と運動の軌跡』、三共出版
高橋 晄正  1970 『現代医学――医療革命への指針』、筑摩書房
立岩 真也  1990 「はやく・ゆっくり――自立生活運動の生成と展開」、安積他[1990:165-226]→安積他[1995:165-226]
―――――  1996 「医療に介入する社会学・序説」、『病と医療の社会学』(岩波講座 現代社会学14)、pp.93-108
―――――  1997 『私的所有論』、勁草書房
―――――  1998a 「都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について」、『仏教』42:85-93→立岩[2000d:51-63]
―――――  1998b 「一九七〇年」、『現代思想』26-2(1998-2):216-233(特集:身体障害者)→立岩[200d:85-116]
―――――  1998c 「空虚な〜堅い〜緩い・自己決定」、『現代思想』26-7(1998-7):57-75(特集:自己決定権)→立岩[2000d:11-47]
―――――  1998d 「未知による連帯の限界――遺伝子検査と保険」、『現代思想』26-9(1998-9):184-197(特集:遺伝子操作)→立岩[2000d:195-218]
―――――  1999a 「自己決定する自立――なにより、でないが、とても、大切なもの」、石川・長瀬編[1999:79-107]
―――――  1999b 「子どもと自己決定・自律――パターナリズムも自己決定と同郷でありうる、けれども」、後藤編[1999:21-44]
―――――  1999c 「資格職と専門性」、進藤・黒田編[1999:139-156]
―――――  2000a 「選好・生産・国境――分配の制約について」(上・下)、『思想』908(2000-2):65-88、909(2000-3):122-149
―――――  2000b 「遠離・遭遇――介助について」(1〜4)、『現代思想』28-4(2000-3):155-179,28-5(2000-4):28-38,28-6(2000-5):231-243,28-7(2000-6):252-277→立岩[2000d:219-353]
―――――  2000c 「死の決定について」、大庭・鷲田編[2000:149-171]
―――――  2000d 『弱くある自由へ』、青土社
―――――  2001 「なおすことについて」、野口・大村編[2001:171-196]
―――――  2001- 「医療と社会ブックガイド」(1〜)、『看護教育』42-1(2001-1)〜毎月連載
―――――  2002a 「ないにこしたことはない、か・1」、石川・倉本編[2002:47-87]
―――――  2002b 「確かに言えること と 確かには言えないこと」、齋藤編[2002:241-251]
―――――  2002-2003 「生存の争い――医療の現代史のために」(1〜14)、『現代思想』30-2(2002-4):150-170、30-5(2002-4):51-61、30-7(2002-6):41-56、30-10(2002-8):247-261、30-11(2002-9):238-253、30-12(2002-10):54-68、30-13(2002-11):268-277、30-15(2002-12):208-215,31-1(2003-1):218-229,31-3(2003-3),31-4(2003-4):224-237,31-7(2003-6):15-29,31-10(2003-8):224-237,31-12(2003-10):26-42
―――――  2003a 「自己決定権」、石塚・柴田監修[2003:120]
―――――  2003b 「医療・技術の現代史のために」、今田編[2003]
―――――  2003c 「家族・性・資本――素描」、『思想』955(2003-11)
―――――  2004a 『自由の平等――世界の分け方の準備』、岩波書店
―――――  2004b 「そこに起こること」(仮題)、上杉編[2004]
土屋 貴志  1998 「『bioethics』から『生命倫理学』へ――米国におけるbioethicsの成立と日本への導入」、加藤・加茂編[1998:14-27]
上杉 富之 編 2004 『現代生殖医療――社会科学からのアプローチ』(仮題)、世界思想社
Wexler, Alice 1995 Mapping Fate: A Memoir of Family, Risk and Genetic Research, University of California Press=2003 武藤香織・額賀淑郎訳『ウェクスラー家の選択――遺伝子診断と向きあった家族』、新潮社
横田 弘・立岩 真也 2004 (題名未定の対談)、現代書館発行の横田の対談集に収録予定
米本 昌平  1989 『遺伝管理社会――ナチスと近未来』、弘文堂
米本 昌平・松原 洋子・ぬで島 次郎・市野川 容孝 2000 『優生学と人間社会』、講談社現代新書
Young, Allan 1995 The Harmony of Illusions: Inventing Post-Traumatic Stress Disorder, Princeton University Press=2001 中井久夫・大月康義・下地明友・辰野剛・内藤あかね訳『PTSDの医療人類学』、みすず書房
優生手術に対する謝罪を求める会 編 2003 『優生保護法が犯した罪―子どもをもつことを奪われた人々の証言』、現代書館
全国ハンセン病患者協議会 1988- 『炎路 全患協ニュース縮刷版(第1号〜300号)』『全患協ニュース縮刷版第2集(第301号〜500号)』『全患協ニュース縮刷版第3集(第501号〜700号)』、全国ハンセン氏病患者協議会
全国ハンセン氏病患者協議会 編 1977 『全患協運動史――ハンセン氏病患者の闘いの記録』、一光社
全国自立生活センター協議会  編 2001 『自立生活運動と障害文化――当事者からの福祉論』、全国自立生活センター協議会、発売:現代書館
安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 1990 『生の技法――と施設を出て暮らす障害者の社会学』、藤原書店→1995 増補改訂版
唄 孝一 1965 「治療行為における患者の承諾と医師の説明」、『契約法大系』補巻、有斐閣→唄[1970]第一章「医事法の底にあるもの」に再録
―――――  1970 『医事法学への歩み』、岩波書店
―――――  1990 『生命維持治療の法理と倫理』、有斐閣
Binding, Karl & Hoche, Alfred 1920 Die Freigabe der Vernichtung lebensunwerten Lebens: Ihr Mass und ihre Form, Felix Meiner, Leipzig=2001 森下直貴・佐野誠訳『「生きるに値しない命」とは誰のことか――ナチス安楽死思想の原典を読む』、窓社
Colen, B. D. 1976 Karen Ann Quinlan: Dying in the Age of Eternal Life, Nash Publishing=1976 吉野博高訳『カレン――生と死』、二見書房
DPI日本会議+二〇〇二年第6回DPI世界会議札幌大会組織委員会 編 2003 『世界の障害者 われら自身の声――第6回DPI世界会議札幌大会報告集』、現代書館
Driedger, Diane 1988 The Last Civil Rights Movement, Hurst & Company, London ; St.Martin's Press, New York=2000 長瀬修訳『国際的障害者運動の誕生:障害者インターナショナル・DPI』、エンパワメント研究所、発売:筒井書房
Fox, Renee C. 2003 中野真紀子訳『生命倫理を見つめて――医療社会学者の半世紀』、みすず書房
Friedson, Eliot 1970 Professional Dominance: The Social Structure of Medical Care, Atherton Press=1992 進藤雄三・宝月誠訳『医療と専門家支配』、恒星社厚生閣
古井 正代 2001 「CPとして生きるっておもしろい!」、全国自立生活センター協議会編[2001:364-370]
古井 透  2003 「リハビリ再考――「がんばり」への呪縛とそのOUTCOME」、障害学研究会関西部会第19回研究会・「生命科学/技術の公共性と生活者の利益をめぐる諸問題の歴史的・社会的・倫理的研究」(研究代表者・松原洋子)研究会 http://www.arsvi.com/2000/030829ft.htm
後藤 弘子 編 1999 『少年非行と子どもたち』、明石書店
Gould, Stephen Jay 1996 The Mismeasure of Man, revised edition, W. W. Norton=1998 鈴木善次・森脇靖子訳『人間の測りまちがい――差別の科学史 増補改訂版』、河出書房新社
Haraway, Donna J. 1991 Simians, Cyborgs, and Women: The Reinvention of Nature, London: Free Association Books & New York: Routledge=2000 高橋さきの訳『猿と女とサイボーグ――自然の再発明』、青土社
平野 龍一 1966 「生命と刑法――とくに安楽死について」、『刑法の基礎』、東京大学出版会:155-182→町野他編[1997:46-51](抄)
市野川 容孝・立岩 真也 1998 「障害者運動から見えてくるもの」(対談)、『現代思想』26-2(1998-2):258-285→立岩[2000e:117-172]
池田 光穂 2001 『実践の医療人類学――中央アメリカ・ヘルスケアシステムにおける医療の地政学的展開』、世界思想社
今田 高俊 編 2003 『産業化と環境共生』(講座社会変動2)、ミネルヴァ書房
Inlander, Charles B.; Levin, Lowell S.; Weiner 1988 Medical on Trial: The Appalling of Medical Ineptitude and the Arrogance That Overlooks It, People's Medical Society=1997 佐久間充・木之下徹・八藤後忠夫・木之下明美訳『アメリカの医療告発――市民による医療改革案』、勁草書房
医療改善ネットワーク(製作責任:栗岡 幹英) 1999- 『薬害資料館(ネット版)』http://www.mi-net.org/yakugai/index.html
石川 准・倉本 智明 編 2002 『障害学の主張』、明石書店
石川 准・長瀬 修 編 1999 『障害学への招待』、明石書店
石塚 正英・柴田 隆行 監修 2003 『哲学・思想翻訳語辞典』、論創社
Kamin, Leon J 1974 The Science and Politics of IQ, Lawrence Erbaum Associates=1977 岩井勇二訳、『IQの科学と政治』、黎明書房
加藤 尚武・加茂 直樹 編 1998 『生命倫理学を学ぶ人のために』、世界思想社
川上 武 編 2002 『戦後日本病人史』、農村漁村文化協会
川本 隆史  1997 「老いと死の倫理――ある小児科医の思索を手がかりに」、『倫理と道徳』(岩波現代日本文化論9):127-148
Kevles, Daniel J. 1985 In the name of eugenics: genetics and the uses of human heredity, Knopf=1993 西俣総兵訳『優生学の名のもとに――「人類改良」の悪夢の百年』、朝日新聞社
木村 利人  1987 『いのちを考える――バイオエシックスのすすめ』、日本評論社
北村 健太郎 2003a 「「神聖な義務」論争をめぐって」、第七六回日本社会学会大会報告http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2003/1013kk.htm
―――――  2003b 「沈黙」して超えていく――血友病者にとっての「神聖な義務」、未発表
Klee, Ernst 1983 >>Euthanasie<< im NS-Staat, Fisher=1999 松下正明監訳、『第三帝国と安楽死――生きるに値しない生命の抹殺』、批評社
小泉 義之  2003 『生殖の哲学』、河出書房新社
町野 朔・西村 秀二・山本 輝之・秋葉 悦子・丸山 雅夫・安村 勉・清水 一成・臼木 豊 編 1997 『安楽死・尊厳死・末期医療――資料・生命倫理と法II』、信山社
松原 洋子  2000 「日本――戦後の優生保護法という名の断種法」、米本他[2000]
松田 道雄  1969 「基本的人権と医学」、『世界』1969-7
―――――  1980 『生きること・死ぬこと』(松田道雄の本7)、筑摩書房
―――――  1997 『安楽に死にたい』、岩波書店
三脇 康生  2000 「精神医療の再政治化のために」、杉村他編訳[2000:131-217]
森岡 正博  2001 『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』、勁草書房
向井 承子  1990 『病いの戦後史――体験としての医療から』、筑摩書房
―――――  2003 『患者追放――行き場を失う老人たち』、筑摩書房
中川 米造  1991 『学問の生命』、佼成出版社
日本社会臨床学会 編 2000 『カウンセリング・幻想と現実 上・下』、現代書館
大林 道子  1989 『助産婦の戦後』、勁草書房
小倉 利丸・立岩 真也 2002 「情報は誰のものか」(対談)、『現代思想』30-11(2002-9):66-79(特集:知的所有権)
大熊 一夫  1973 『ルポ・精神病棟』→1981 朝日文庫
小澤 勲   1974 『反精神医学への道標』、めるくまーる社
―――――  1998 『痴呆老人からみた世界』、岩崎学術出版社
―――――  2003 『痴呆を生きるということ』、岩波新書
小澤 勲 編 1975 『呪縛と陥穽――精神科医の現認報告』、田畑書店
小沢 牧子  2002 『「心の専門家」はいらない』、洋泉社
Rothman, David J. 1991 Strangers at the Bedside: A History of How Law and Bioehtics Transformed, Basic Books=2000 酒井忠昭監訳『医療倫理の夜明け――臓器移植・延命治療・死ぬ権利をめぐって』、晶文社
最首 悟   1970 「責任性存在としての人間」、『思想の科学』1970-5→最首[1984:29-46](「もう一つの価値について」に改題)
―――――  1984 『生あるものは皆この海に染まり』、新曜社
齋藤 有紀子  編 2002 『母体保護法とわたしたち――中絶・多胎減数・不妊手術をめぐる制度と社会』、明石書店
斎藤 義彦  2002 『死は誰のものか――高齢者の安楽死とターミナルケア』、ミネルヴァ書房
清水 昭美  1964 『生体実験』、三一書房
―――――  1979 『増補 生体実験――安楽死法制化の危険』、三一書房
進藤 雄三  1990 『医療の社会学』、世界思想社
進藤 雄三・黒田 浩一郎 編 1999 『医療社会学を学ぶ人のために』、世界思想社
杉村 昌昭・三脇 康生・村澤 真保呂 編訳 200004 『精神の管理社会をどう超えるか?――制度論的精神療法の現場から』、松籟社
鈴木 善次  1983 『日本の優生学――その思想と運動の軌跡』、三共出版
高橋 晄正  1970 『現代医学――医療革命への指針』、筑摩書房
立岩 真也  1990 「はやく・ゆっくり――自立生活運動の生成と展開」、安積他[1990:165-226]→安積他[1995:165-226]
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―――――  1998b 「一九七〇年」、『現代思想』26-2(1998-2):216-233(特集:身体障害者)→立岩[200d:85-116]
―――――  1998c 「空虚な〜堅い〜緩い・自己決定」、『現代思想』26-7(1998-7):57-75(特集:自己決定権)→立岩[2000d:11-47]
―――――  1998d 「未知による連帯の限界――遺伝子検査と保険」、『現代思想』26-9(1998-9):184-197(特集:遺伝子操作)→立岩[2000d:195-218]
―――――  1999a 「自己決定する自立――なにより、でないが、とても、大切なもの」、石川・長瀬編[1999:79-107]
―――――  1999b 「子どもと自己決定・自律――パターナリズムも自己決定と同郷でありうる、けれども」、後藤編[1999:21-44]
―――――  1999c 「資格職と専門性」、進藤・黒田編[1999:139-156]
―――――  2000a 「選好・生産・国境――分配の制約について」(上・下)、『思想』908(2000-2):65-88、909(2000-3):122-149
―――――  2000b 「遠離・遭遇――介助について」(1〜4)、『現代思想』28-4(2000-3):155-179,28-5(2000-4):28-38,28-6(2000-5):231-243,28-7(2000-6):252-277→立岩[2000d:219-353]
―――――  2000c 「死の決定について」、大庭・鷲田編[2000:149-171]
―――――  2000d 『弱くある自由へ』、青土社
―――――  2001 「なおすことについて」、野口・大村編[2001:171-196]
―――――  2001- 「医療と社会ブックガイド」(1〜)、『看護教育』42-1(2001-1)〜毎月連載
―――――  2002a 「ないにこしたことはない、か・1」、石川・倉本編[2002:47-87]
―――――  2002b 「確かに言えること と 確かには言えないこと」、齋藤編[2002:241-251]
―――――  2002-2003 「生存の争い――医療の現代史のために」(1〜14)、『現代思想』30-2(2002-4):150-170、30-5(2002-4):51-61、30-7(2002-6):41-56、30-10(2002-8):247-261、30-11(2002-9):238-253、30-12(2002-10):54-68、30-13(2002-11):268-277、30-15(2002-12):208-215,31-1(2003-1):218-229,31-3(2003-3),31-4(2003-4):224-237,31-7(2003-6):15-29,31-10(2003-8):224-237,31-12(2003-10):26-42
―――――  2003a 「自己決定権」、石塚・柴田監修[2003:120]
―――――  2003b 「医療・技術の現代史のために」、今田編[2003]
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―――――  2004a 『自由の平等――世界の分け方の準備』、岩波書店
―――――  2004b 「そこに起こること」(仮題)、上杉編[2004]
土屋 貴志  1998 「『bioethics』から『生命倫理学』へ――米国におけるbioethicsの成立と日本への導入」、加藤・加茂編[1998:14-27]
上杉 富之 編 2004 『現代生殖医療――社会科学からのアプローチ』(仮題)、世界思想社
Wexler, Alice 1995 Mapping Fate: A Memoir of Family, Risk and Genetic Research, University of California Press=2003 武藤香織・額賀淑郎訳『ウェクスラー家の選択――遺伝子診断と向きあった家族』、新潮社
横田 弘・立岩 真也 2004 (題名未定の対談)、現代書館発行の横田の対談集に収録予定
米本 昌平  1989 『遺伝管理社会――ナチスと近未来』、弘文堂
米本 昌平・松原 洋子・ぬで島 次郎・市野川 容孝 2000 『優生学と人間社会』、講談社現代新書
Young, Allan 1995 The Harmony of Illusions: Inventing Post-Traumatic Stress Disorder, Princeton University Press=2001 中井久夫・大月康義・下地明友・辰野剛・内藤あかね訳『PTSDの医療人類学』、みすず書房
優生手術に対する謝罪を求める会 編 2003 『優生保護法が犯した罪―子どもをもつことを奪われた人々の証言』、現代書館
全国ハンセン病患者協議会 1988- 『炎路 全患協ニュース縮刷版(第1号〜300号)』『全患協ニュース縮刷版第2集(第301号〜500号)』『全患協ニュース縮刷版第3集(第501号〜700号)』、全国ハンセン氏病患者協議会
全国ハンセン氏病患者協議会 編 1977 『全患協運動史――ハンセン氏病患者の闘いの記録』、一光社
全国自立生活センター協議会 編 2001 『自立生活運動と障害文化――当事者からの福祉論』、全国自立生活センター協議会、発売:現代書館


UP:200310 REV:1025  20060813, 20100418, 20130428
立岩真也
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