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その後の本たち・1

医療と社会ブックガイド・30)

立岩 真也 2003/08/25 『看護教育』44-08(2003-08・09):682-683
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last update: 20150910


斎藤義彦の著作については以下の本の第W章で紹介
◇立岩 真也・有馬斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p. ISBN-10: 4865000003 ISBN-13: 978-4865000009 [amazon][kinokuniya] ※ et. et-2012.


  30回を数えることになった。これまで紹介してきた領域に関係してその後に出たものが様々ある。また紙数の関係で紹介できなかったものもある。いくつか補足していく。
  第26回(4月号)は「女性障害者」の本を紹介したということにもなる。また第25回でも安積遊歩の本を紹介した。それはただ一人ひとりの動きでなく、連なりがある。その連なりをもつ動きについて瀬山紀子「声を生み出すこと――女性障害者運動の軌跡」。第24回に紹介した『障害学の主張』(石川准・倉本智明編、明石書店、2002年、2600円)に収録。
  その第26回は劇団「態変」を主宰する金満里の『生きることのはじまり』(筑摩書房)を紹介したのでもあった。倉本智明「異形のパラドックス――青い芝・ドッグレッグス・劇団態変」がある。第24回に紹介した『障害者への招待』(石川准・長瀬修編、明石書店、1999年、2800円)所収。青い芝の会は脳性まひの人たちの団体で、その1970年以降の主張・動きは大きな影響を与えた(安積遊歩の人生もそうして変わったことを第25回に記した)。そこで言われたことの一つは、異なっていることの自覚というか居直りというか。
  それは隠していた身体を現わすことにつながる。倉本は劇団態変ともう一つ、障害者プロレスという、不思議と言えば不思議なものを取り上げる。それをやっている団体が「ドッグレッグス」で、それを旗上げして代表になったのが北島行徳。彼が書いた本が『無敵のハンディキャップ――障害者が「プロレスラー」になった日』(文藝春秋,1997年)。乙武洋匡の『五体不満足』の1年前に出た。出てくる人たちはほとんどまったくすがすがしくない人たちなのだが、それでもある爽快感のようなものが感じられてもしまう。乙武の本のように爆発的に売れはしなかったが、一部では、障害者業界を越えて、話題になった。第20回講談社ノンフィクション賞を受賞。1999年に文春文庫になった。514円。

◇◇◇

  第4〜7回(2001年4〜7月号)「死の決定について」の本を紹介した。昨年末、斎藤義彦『死は誰のものか――高齢者の安楽死とターミナルケア』が出た。筆者は毎日新聞社の記者。「長命社会取材班」に参加して取材した記事がもとになっている。章立ては、老人ホームの「安楽死」/医療現場に広がる延命手控え/延命手控えの全国的実態/受容されない尊厳死/医療の進歩と延命措置手控え/安楽死の闇と自己決定権/「末期」「尊厳死」概念の混乱/生命倫理の混乱/延命手控え海外の事情/安らかな死とは何か。
  ある老人ホームやある老人病院で起こったことの記述からこの本は始まる。そして取材班は各地の病院を取材し、またアンケート調査を行う。医療者に対する調査結果も報告されている。その人たちの意見も、その両極においてははっきり分かれている。それを詰めれば一つの結論にすぐ導かれるとは思えない。ただこの本はこの種の文章に時にみられる両論併記(をもって「客観報道」とする)に止まろうとはしていない。
  一つに主張の中にある矛盾や問題を指摘する。例えば「日本尊厳死協会」で1993年から「痴呆症の尊厳死」を協会のリビング・ウィルの条項に加えようという議論が始まった。それが報道され、96年には「呆け老人をかかえる家族の会」から申し入れもあり、結局「時期尚早」としたものの、協会とその役員はあくまで自分たちの主張が正しいとした。筆者はこの経緯を簡単にではあるが辿り、その上で、協会の主張が延命措置停止についての判例の規準からも、協会の尊厳死の定義からも逸脱していることを記している(第7章)。
  そして起こっている事態をどう見るか。介護のこと、身体的・経済的負担を恐れ、早く死んでくれることを望み、医療側がそれを受け入れ、場合によったら先回りし、また身寄りのない人の場合にはそれに応じて処するといったことはずっとあったはずだ。それがこの頃になって、少し言葉を知っている人なら「尊厳死」といった言葉を使う。それによってその行いは少し表立って言うことができ、後ろめたくなく思うことのできることになった。そんなことが身の周りにもある。他方の「たんなる延命」といった言葉にも似た効果がある。「現代医療=延命至上主義」というキャッチフレーズもそのまま信じられないし、「チューブにつながれる」という言い方がもつ予め決まった否定的な意味付与にも注意すべきだ。つまり注意深さが必要で、この本はその注意を喚起している。
  例えば人工栄養の現状を取材した第5章で、筆者はチューブが不要な場合があることを認めつつ、「嚥下障害の実状や、リハビリの困難さを無視し「チューブはやめて」と感情に訴えるような非科学的な主張は、少数者を抹殺しかねない非人間的な論理なのだ」(p.128)と言う。
◇◇◇
  第21回(昨年11月号)でメアリー・オーヘイガンの本を紹介し、彼女がDPI(障害者インターナショナル)世界大会で札幌に来たと書いた。112の国・地域から参加があった昨年10月の大会の記録が出版された。とても厚い本なのにひどく安い。
  多くの分科会があった。障害者の権利条約/人権/自立生活/開発/アクセス/女性障害者/障害児/労働と社会保障/能力構築/障害種別や社会状況を乗り越えた連帯、等。ここでは約50頁の記録がある「生命倫理」の分科会だけを紹介する。
  4つの集まりがあった。遺伝学と差別/生命倫理と障害/QOL(生活の質)の評価/誰が決定するのか。そこに表出されているのは危機感であり、そしてそれは科学技術が人間に何をもたらすか、といった漠然としたものではなく、具体的なものだ。そして危惧は「生命倫理学」にも向けられている。例えばカナダ障害者協議会(の国際開発委員会の委員長)S・エスティの報告に次のような部分がある。「地元に一人しかいない健康保健学の教授が、病院の倫理委員会のメンバーに任命され、いくつかの教育訓練コースを受講し、生命倫理学者を名乗る場合もあります。」消費者・障害者でなく、医療とケアの専門家、「学術的関心」をもつ者が「生命倫理学者」になり、「その結果、「能力主義」が生命倫理の定義となり、医療モデルとして語られていくのです。」(p.275)「私は、倫理学者が病院の倫理委員会に含まれているのを知って、ショックを受けた。この委員会は、医者が治療をやめ、患者の死を幇助するのを認めている。[…]倫理学者が倫理委員会に加わり、これらの患者への医療サービスあるいは患者の生そのものを否定する方法論によって、死刑執行産業の設立を基本的に支援することになっている。」(p.276)そして(今ある)生命倫理に抵抗する別の生命倫理を示していくことが呼びかけられる。また次のような指摘もある。「国際生命倫理学会が、発展途上国に進出しようとしています。[…]途上国では活動に対する反発を感じることなく、研究を推進できると考えています。」(p.253)
  上記のように安楽死も議論されたが、より多くの時間話し合われたのは遺伝子検査、出生前診断のことだった。日本からは米津知子や再三登場の安積遊歩等。マルティナ・プシュケはドイツでの「私たちは着床前遺伝子診断に参加しない」と呼ばれる運動を紹介した(pp.262-263)。
  他にも、それぞれは短いのではあるが、様々な主題、論点が示される。クリストファー・リーブ(頚椎損傷で首下が麻痺した「スーパーマン」の俳優で、どうしても回復するという堅い信念をもつ――ことにより全米で人気があり、同時に少なからぬ障害者には不評な人物)、彼が支持するES細胞の利用について(p.244-245)。ろうの親がろうの子が生まれることを望んで技術を利用することについて(問われた2人は反対だと答えた,p.248)。障害をもって生まれてきたのは医師の過失だと本人や親が訴えるロングフル・ライフ、ロングフル・バース訴訟について(p.236,268-269,287)。2人の筋ジストロフィーの子どもがいて「このような苦労を二度は経験したくありません」(p.254)という日本の男性の発言を巡る議論(p.254-256)、等々。WHOとユネスコの対応の違いについて述べたりもしている(p.267,281-282)G・ウォルブリングは次のような発言も残している。「子どもをもつ権利と、特定の子どもをもつ権利とを分けて考えることが必要だと考えてきましたが、それを説明するのに非常に苦労しています。私のような考え方をする人は、北米では少数派だと感じています。今回、前の米津知子さんの発表を聞いて、彼女も私と同じ考えであることがわかりました。」(p.283)
  各々の集まりからは決議(案)も出された――DPI札幌宣言(p.574-576)の文面とは同じ部分と違う部分がある。「私たちには違ったままでいる権利があり、障害を根拠とする出生前選択は行うべきではない。[…]パーソンという概念は能力とは関係ない」(p.250)、「選択的中絶は、リプロダクティブ・ライツの中に入らない」(p.289)、等。

[表紙写真を載せた本]

斎藤 義彦 20021225 『死は誰のものか――高齢者の安楽死とターミナルケア』,ミネルヴァ書房,240p. ISBN:4-623-03658-8 2000 ※ [kinokuniya][amazon][bk1] ※
□内容説明[bk1]
揺れ動く家族、医療現場への取材をもとに、老人の死のあり方について法律・倫理などあらゆる角度から検討を加え、超高齢化社会における望ましい死のあり方を探る。
□著者紹介[bk1]
1965年滋賀県生まれ。89年毎日新聞社入社。現在、同外信部記者。福祉問題や医療問題を主に取材。著書に「そこが知りたい公的介護保険」ほか。

◆DPI日本会議+2002年第6回DPI世界会議札幌大会組織委員会 編 20030530 『世界の障害者 われら自身の声――第6回DPI世界会議札幌大会報告集』,現代書館,590p. ISBN:4-7684-3436-3 3150 [kinokuniya][amazon][bk1]
 *割引価格でお送りします。

[ほかに]

◆北島 行徳 19971210 『無敵のハンディキャップ――障害者が「プロレスラー」になった日』,文藝春秋,317p. 1524 ※→199906 文春文庫,365p. ISBN:4-16-762801-5 \514 [kinokuniya][amazon]/[bk1]
□著者紹介[bk1]
 1965年東京都生まれ。91年障害者プロレス団体「ドッグレッグス」を旗揚げし、代表に就任。「無敵のハンディキャップ」で第20回講談社ノンフィクション賞受賞。

http://homepage3.nifty.com/doglegs/kitazima/index.htm


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