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ただ生きるのでは足りない、はときに脆い

立岩 真也 2002/12/15 『文藝春秋』臨時増刊
http://bunshun.topica.ne.jp/rinzou/shouzou/shouzou.htm



  いかに、は大切ではあるだろう。例えばQOL=生活の質という言葉はもう誰もが知っている。どのように暮らせるかが大切であること、もちろんそれはその通りではある。わるい暮らしよりもよい暮らしの方がよいに決まっている。
  しかし、これこれの生活を送ることがもうできなくなっている、そのような意味でQOL――この言葉は生命の質とも訳すことができる――が下がってきている、だからもう生きることはないというようにも言われることがある。そしてなにかそれが潔いことのように語られる。しかしそれは違うのではないか。ただの生存でなく、より価値のあるものを大切にすると言うのだが、それにはすこし悲しい響きがあり、すこし無理して姿勢を正そうとしているようにも思える。そう思えるだけの理由があると考える。
  いまALS(筋萎縮性側索硬化症)という病にかかった人たちのことをすこし調べて続きものを書いている(『現代思想』、青土社)。全身の筋肉が次第に動かなくなっていく原因のわからない病気で、治療法はいまのところない。全国に五千人ほどの人がいる。進行していくと自分で呼吸をするのが難しくなるのだが、人工呼吸器を付ければ息ができて生きていける。しかし、正確な割合はわからないが、多分半数以上の人がそれを付けずに亡くなる。
 たしかに脳と内蔵とそして眼は動き感覚は残るが、他はまったく動かなくなっていくこの状態を生きていくのは大変だと思う。しかしそのこと自体が生き延びることを止めさせるのではない。理由は単純でもある。生きていくのは、他の人、この国の状況ではほとんどの場合家族の負担になるからだ。そして、自分でできることが少なくなって他人に頼るようになったとき、生きていく価値がもうないと思う。
 迷惑をかけないことは立派なことではあるだろう。それは認めよう。いまの社会の状況に怒っている人たちもそんな真面目な人たちで、自己責任と思いやりの両方を言う。経済の自由主義への支持と私利私欲の増長への危機意識という異質の二つが接着し同じ陣営に収まるのもそれに関係するだろう。つまり、自分には厳しく他人には優しくなければならないと言う。自分のことは自分で、人のことを思い、人に迷惑をかけない。潔く、すがすがしいことのようにも思える。強固であり、慎ましやかであるようにも思える。
 しかしこの教えは、期待と反対の事態を必然的に招く。[以下略]


UP:2002 REV:20040831
筋萎縮性側索硬化症(ALS)  安楽死  ◇立岩 真也
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