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割れば足りる→←増やすと疲れる

―知ってることは力になる・25―

立岩 真也 200212 『こちら”ちくま”』31:(2002年)
発行:自立支援センター・ちくま
http://www.azumino.cnet.ne.jp/human/chikuma



* 以下は『京都新聞』2002年11日20日夕刊「知の新潮流・第5部・非力に生きる」全5回の第3回として掲載されたものです。昨年3月の22号に載せていただいた『朝日新聞』の2001年正月の文章「つよくなくてもやっていける」と同趣旨の文章ですが、両方の新聞とっている人もそういないだろうし、言いたいことは変わらないので、いいかなと、書きました。なお、この文章の長いバージョンが『グラフィケーション』123号(特集:働くことの意味)掲載の「労働の分配が正解な理由」です。ホームページ(→立岩真也→2002/10)に全文を載せてありますので、よろしかったらご覧ください。最後は4月から私が仕事をする立命館大学院先端総合学術研究科の宣伝になってます(新聞では著者紹介のところに出てきます)。京都の新聞なんでただで広告できるならと書いた誇大広告ですが、少し本気でもあります。

  しばらく前は豊かさがもたらす社会病理が語られていたのに、世は変わったようだ。だが基本的な変化があったのではない。ここが大切だ。貧困が生じなくてはならない事情はなく、その意味で危機はない。にもかかわらず辛い状態がある。それはただ苦しいだけでなく、こんなはずではないのにという不正を感じる感覚から来ている。
  考えれば生産は足りている。その社会に失業がある。少子高齢化が進み人手が足りなくなるという予測を私は信用しないが、その説明は略す。ともかくここしばらくは余っている。ものはあり失業もあるというこの状態は、全員が暮らせるだけを働ける全員が働かなくても生産できているということで、基本的にまったく好ましく望ましい状態だ。まずこの当たり前のことを、落ち着いて当たり前と受け止めよう。
  だがむろん失業はその人には辛いことだ。それでとられてきた一つが職業訓練等の機会の提供である。だが多くの人は他人に言われずとも努力している。そして仕事に必要とされる人の数が同じなら、職を得られる人もいるが得られない人もいる状況は変わず、職を得られなければ苦労した分だけさらに損を重ねることにもなる。さらに、お膳立てはしたからと、後はすべて自分のせいにされるとなお辛い。
  とするとどうするか。本当に「完全雇用」実現のためかどうかはともかく、生産の拡大、消費の拡大が政策として行なわれてきた。しかしこの策は、特に今の社会ではよい策ではない。それは一つには、有限のものか消費・浪費され、無益・有害なものが残されるからだ。次に、それを税を使った政策として行なうことの正当性が疑わしい。第三に、人はもう消費への呼びかけに応えなくなっている。企業がそれぞれ懸命に考えて売ろうとしているのに、素人の政治家・役人がもっと増やそうとしても当然うまくいかない。最後に、本当は求められていない仕事をしなければならない。つまりこの策によっても人々が感じている不正と不毛の感覚を減らすことはできず、むしろそれを発生させ増幅させる。だから、需要を創出する、消費を刺激するといった言葉を生意気と感じる方が健全だ。実際それはたいていうまくいかない。
  すると、足りているならそれを分ければよいという一番単純な答が正解になる。仕事のある人だけが暮らせる権利があるのではなく、なにかに恵まれ失業していない人は仕事から得たものから仕事をしていない人に贈与しなくてはならないとしよう。これを認めるなら労働の分割・分配が支持される。理由は幾つもあるが、簡単な例では、稼ぎのある一人は稼ぎのない一人に本来自分の稼ぎの半分を渡さなくてはならないのだが、ならば仕事も半分してもらった方がよいということだ。にわかに誰もがワーク・シェアリングと言い出したが、それを雇い主の不正を隠す言葉にせず、きちんと受け止めたらよい。
  それは職があり既得権を有する側には支持されにくいだろう。だが、その人たちにも辛いところはある。一人の稼ぎで一家を養えてしまえるのは異様なことと言ってよいが、それは稼いでいる側をも圧迫する。仕事も少なく給料もその分少ない二人の方が、そうでない一人よりたいてい楽なはずだ。また職の獲得と維持とを巡る苦労と、水増しされた多忙がある。仕事に苦労がつきものなのはむろん承知で、本当に仕方がないならそれを引き受けるが、なくてもよいことをひどく苦労してやらなくてはならないことが辛いのだ。だから、席の取り合いを放置しつつ生産・消費を拡大・水増しすることによって事態を取りつくろうとすることは、いま席に座れている人にとってもそう楽しいことではない。
  分配が意欲の減退、社会の停滞をもらたすという心配について。貧困の脅迫が挑戦を生むと考えるのは単純すぎる。それは一定の水準に達した社会ではむしろ例外的で、食いはぐれる心配のない方が挑戦的になり、ひとまず不安定で実入りのよくない、しかしおもしろい、意義のある仕事をしようとするはずだ。
  物も人も十分だと言ったが、むろん絶対的な貧困が世界の常態であることを、知らないふりをしている人も知っている。ただ貧困の度合いは絶対的でも、やはりあるのは生きられるのに死ななくてはならないという事態である。いくらでも作れる薬を受け取れずに一年に三〇〇万の人がエイズで死ぬ。比べれば、この国の悩みは贅沢な悩みだが、基本的には同じだ。不正に関わる不毛と不全ときに絶望である。※
  これから少なくとも数十年、労働や国家や分配といった古めかしいものについて考えることが楽しくそして大切だ。例えば「国際競争」という前提を受け入れれば、それに乗り、勝つ方法を考えることになる。しかしその前提を崩せる可能性もあるはずだ。学問はそんなことも考える。来年四月から新しい大学院でその共同作業が始まる。

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UP:20021212
自立支援センター・ちくま  ◇立岩 真也
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