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書評:荻野美穂『ジェンダー化される身体』

立岩真也 2002/05/31 『週刊読書人』2439:3


  *この文章は、新たに注を付した上で『希望について』に収録されました。買っていただけたらうれしいです。

 著者にはすでに『生殖の政治学』(山川出版社・九四年)、『中絶論争とアメリカ』(岩波書店・〇一年)といった重要な単著があるが、この本は八八年以降に書かれた論文を収録して十章とし、それに序章「性差を持つ身体の構築」を加えている。
 英国のとくにヴィクトリア朝の時代や日本で、身体、性を巡って起こり語られたことの歴史が記述されるのだが、同時に、第一章「性差の歴史学――女性史の再生のための」や第三章「身体史の射程――あるいは、何のために身体を語るのか」等では、それを調べ書くことについての歴史(学の歴史)が辿られ、その意味を著者は考えて述べる。すこし歴史のこと、歴史学が行なってきたことを知りたいという人にとっても、どのようにことが進んできたのかが理解できてよい。例えば翻訳が出ている著者なら、アリエス、ドゥーデン、ショーターといった人たちがどんな配置になっているのかを読んで知っておくこともできる。
 そして各章で、性差、性差についての生物学の言説、女性の身体、男性の身体、子殺し、中絶、売買春、性病、等について、また近頃の身体管理への衝迫について、記述される。ただ、『中絶論争とアメリカ』のような特定の場で起こったことを詳しく追っていく仕事とは違い、各論についての総論といった性格の文章が多い。この領域の代表的な研究者としてそうした文章を求められて書いてきたということもあるだろう。
 さて、そこに書かれていることを、私たちは、身につまされるにせよ、ばかにするせよ、気味が悪いにせよ、読んでくいく。まるで予想もつかないことでもないが、知らないことはたくさん出てくる。読んで、とりあえず理解するのにわかりにくいことはなにもない。例えば男がいばっていることがわかる。そして、このことをまずは難しく考える必要もない。かえってそれに妙な理屈をつけることの方が危ない。その辺りの奇妙な言説の数々がこの本には紹介されてもいるのである。
 ただその上でも、何がわかればわかったような気になるのか我ながらわからないという部分も含めて、よくわからないところがある。著者もそれが気になっている。差異は構築されるのだという立場と差異はもともとあるという立場とあり、差異は言語によって構築されたものである、だから消すことができる、消すべきである、対、差異は言語化されない部分に実在する、から大切なもので、…という対置になっていく。著者は身体について、どちらも違う、とくになんでも構築という前者の立場は違うという思いで各章も書き、バトラー等に言及しながら序章を新たに書いていて、それは、特に各章を読んだ後によくわかる。だがその上で私は、こうした議論の構造自体を考えることと、そして一つずつ論点をつぶしていくことの両方が、これから私たちに必要だと思った。
 序章で著者が紹介する議論ではなにか難解なことが言われてきたようで、基本的にはひどく単純で、そして間違ったところがなかったか。例えば、変更できることはすなわち変更すべきであることを意味しない。また、何かが幻想であるとして、幻想だからすなわちいけないと決まったものでもない。その辺りに様々の短絡がなかったか。その部分をほぐした上でどう言うかである。それを考えたくなる。そのとき、この本で著者が書いていることを私たちはまた読んで、そして何が言えそうか、考え始めることになるのである。



荻野美穂  ◇書評・本の紹介 by 立岩  ◇立岩 真也
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