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サバイバーたちの本の続き・1
(
医療と社会ブックガイド
・21)
『看護教育』連載
立岩 真也
2002/11/25 『看護教育』43-10(2002-11):
http://www.igaku-shoin.co.jp
http://www.igaku-shoin.co.jp/mag/kyouiku/
[Korean]
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※全文は以下の本に収録されました。
◇立岩 真也 201510
『精神病院体制の終わり――認知症の時代に』
,青土社 ISBN-10: 4791768884 ISBN-13: 978-4791768882
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[kinokuniya]
※ m.
前回・前々回と「べてるの家」についての本を紹介した。そして第16回(5月号)で紹介した
大熊一夫
の本が告発したのも、またその前の第15回(4月号)で
ゴッフマン
『アサイラム』が取り上げたのも精神病院だった。さらに遡れば
第2回
(2001年2月号)の「「消費者主義」の本」でも『大阪精神病院事情ありのままを紹介した。なにを知っているわけでもないのに、精神医療に関係する本の紹介が続いている。なにも知らなくても目につく本は他にも多くありきりがないが、あと2回ほど続ける。精神障害の当人による、そして当人たちの運動についての本である。
べてるの家は、そしてべてるの家について書かれたものは、すくなくとも少なからぬ人たちに好かれる。前回紹介した『悩む力』は講談社ノンフィクション賞をもらった。私もべてるの家についての本がいくらでも売れてほしいし、私が思わなくとも実際売れるはずだと述べた。ただ同時に、今回から次回取り上げるような本と比べて、なぜそれが受けるのかを考えてよいとも思う。
また、セルフヘルプ・グループも好意的に受け入れられる。いまどきセルフヘルプ・グループの意義をまったく評価しない人はそうはいない。7月号で取り上げた野口裕二の本の主題でもあるアルコール依存症のような場合、医療ができることはそう多くなく、医療者側もある部分あてにせざるをえないところもある。
しかし世の中にあるのはそうおとなしいものばかりではない。それは反医療的であったり反社会的であったりする。そんなものに文句を言われる側が出会うと、どうするか。
一つには耳障りだから聞かないことにする。実際、その人たちは自分たち、もっと個別に自分が知っている人をときには激烈に批判する、批判するというより非難する、難癖をつける。だから無視したくもなる。
そしてもう一つ、それらをごく単純に片付けてしまう。もっとも単純な話は、それは精神医療総体を否定しているが、自分はその立場には立たない、だからそれは支持せず、取り上げない、というものである。
[…]
◇◇◇
米国のチェンバレンとニュージランドのオーヘイガン、両人とも女性で、(精神医療)ユーザー、コンシューマー、サバイバー。精神病者も精神障害者もしっくりこない呼び名であることもあって、こんな言い方がこのごろされる。精神医療の利用者、消費者、そして精神医療からの生還者。サバイバーは、この世を生き延びている人、この社会の仕組みの中で/に抗して生き延びる人、と受け取ってもよいように私は思い、よい呼び名ではないかと思う。
この号が出る頃にはもう終わってしまっているのだが、DPI(障害者インターナショナル)の世界会議が10月15日から18日まで札幌であり、チェンバレンもオーヘイガンも来日し会議に参加、その折に各地で招かれ、講演会で講演し、シンポジウムで発言している。どんな職種や立場でも、ともかく「精神関係」の援助に関わっている人でそのことを知らなかった人がいたらそれはいけない、情報源が不足しており偏りがある、と少々脅迫めくが、言ってしまおう。DPIについてはD・ドリージャー
『国際的障害者運動の誕生――障害者インターナショナル・DPI』
がある(長瀬修訳、発行:エンパワメント研究所、発売:筒井書房、248頁、2000円)。この組織や大会や本についてのもう少し詳しい関連情報は私のHPのこの連載のファイルから辿ることができます。
じつはこの2人は本邦初登場ではない。
[…]
◇◇◇
さて、回り道が長く本の紹介は短くなる。チェンバレンの本の原著は1977年に発行された。1960年代、流産の後にうつ状態になって自ら精神病院に入院し、そして…、という自らの体験が語られ、精神医療について、そしてそのオルタナティブについて、それを行おうとする米国のいくつかの組織について書かれる。医療者との関係は権力関係として捉えられ、そこでは「反精神医学」と括られる見解のいくつかが引かれもするが、医療者の実践としての反精神医学に対しては批判的でもある。
もう1冊の著者、オーヘイガンは1987年にオークランドでサイキアトリック・サバイバーズを結成、1990年に米国、英国、オランダを訪問した記録がこの本なのだが、そのきっかけについて次のように書く。「もっといいやり方があるに違いありません。わたしは自分が何を探しているかについてさえ全く知らずに、図書館で調べ始めました。そしてそれはあったのです。」それがチェンバレンの本だった。「この本全部が、従来の精神保健体制に代わる活動を自分たち自身でつくり上げた元患者について取り上げています。この本を読んでわたしは、精神医療のサバイバーの運動をたどる旅を始めたのです。」(pp.21-22)
オーヘイガンの本――みすず書房の『みすず』の読書アンケートでその年の5冊の1冊にあげた――をまず読むとよいと思う。そのよさの一つは、必然的で普遍的な悩みが示され考えられているところにある。
単純で一本調子であろうとなんだろうと、同じことを言わなくてはならないのなら言わなくてはならないのではあろう。ただこの本には、サバイバーの運動が変化もし、多様になるなかで、そこに生じている問題、論点について、著者が思ったり迷うことが記されている。
「訪れたいくつかのサバイバーのグループについて疑念を持ったので、本書を書くのに困難がありました。わたしは自分の感じたことに正直でありたいと思います。しかし同時にいつも手助けをしてくれ、もてなしてくれた仲間を傷つけたくありません。」(p.24)
そして苦痛を感ずる自分のこと、薬の使用など医療との関係における難しさ、自分たちの運動、組織をやっていく上での悩みは、この本の訳者・長野英子のものでもある。「翻訳者あとがき」には、「私たち『精神病』者は何者か」、「わたしたちの狂気の意味は」、「わたしたちの組織をいかに運営していくのか」、「中心的活動家は専門家と同様の権力を持ってしまうのではないか」、「政治活動と支え合いの統合はいかに可能か」と問いが列挙され、それは「精神医療サバイバー運動に携わるだれもが日々悩んでいるところではないでしょうか」と書かれる(p.234、「あとがき」は訳者のHPに掲載されており、私のHPからもリンクされている)。
それを読むと、私たちは不平不満を言うことをとかく単純化して考えてしまうのだが、そうでもないのだ、と思う。そう思って次に考えることは、一本調子と思える告発もまた、いろいろあることはわかっても、それでもこう言わざるをえない、そういう場所から言っているのかもしれない、ということだ。
例えば、著者は「強制医療」についてその是非が問題になるいくつかの例を連ねた後、「これらすべての問いに私は答えられない」(p.49)と書く。ただもちろん筆者は、これを読んで医療の強制もやはり必要なのだと安心してもらいたいのではない。むしろ、まず私たちが受けとるべきは、それでなお医療の強制に反対することの意味のはずだ。
このHP経由で購入していただけたら感謝
[表紙写真を載せた本]
◆Chamberlin, Judi 1977
On Our Own
=19961225 大阪セルフヘルプ支援センター訳,『精神病者自らの手で――今までの保健・医療・福祉に代わる試み』,解放出版社,301頁,2600円+税
◆
O'Hagan, Mary
1991
Stopovers: On My Way Home from Mars
=199910 長野英子訳,
『精神医療ユーザーのめざすもの――欧米のセルフヘルプ活動』
,解放出版社,245p. 4-7684-0054-X 1890
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※
□内容説明[bk1]
精神医療ユーザーの運動とグループ運営について、精神医療ユーザーの立場から論じる。実践家としての日々の活動体験から、その運動に関するさまざまな問題点を摘出する。〈ソフトカバー〉
□著者紹介[bk1] 〈オーヘイガン〉1986年にニュージーランドで初めての精神医療ユーザーによるセルフヘルプ活動と権利擁護活動を始める。世界の精神医療ユーザー運動の中心的存在のひとり。
◆「精神障害者の主張」編集委員会 編 199407
『精神障害者の主張――世界会議の場から』
,解放出版社,302p. ISBN:4-7592-6101-X 2100
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※ m.
■言及
◆立岩 真也 2013
『造反有理――精神医療現代史へ』
,青土社 ※
UP:20021006 REV:1008
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