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選択の前に・5(参議院議員選挙について・インタビュー)

立岩真也
『朝日新聞』2000-07-29http://www.asahi.com/


 20010723:作成 20010726:更新 20010727:更新 20010728:更新

◇最終稿?* 20010728

 *やはり?そのままではいきませんでした。最終の最終版はまた掲載します。
 *あまり掲載したくないような気もするので、いまのところ掲載しておりません。(20011029)

▼――与党も野党も「改革」を掲げましたが。
▲「何をなぜ変え壊すべきか、結局はっきりしなかったと思います。そしてその不透明さが利用されました。不当な利益を得ている人たちがまわりにいると感じる人たち全般がなんだかわからない「改革」を支持してしまったということです。」
▼――はっきりしないから幅広く支持される?
▲「さらに与党に有利な形がありました。首相が目指すという「改革」に共感する人も、今の通りでよく変化は困る人も与党に投票する。そこにどう割って入るか、野党はメッセージをはっきり伝えきれませんでした。」
▼――同じ土俵に乗っているということ?
▲「残念ですが問題がはっきりしないまま選挙は終わります。「既得権の打破」も「生活を守る」もその言葉だけでは具体な対立軸を示しません。
 ただ、別々の思いから同じところに票が流れると、結果がどうなるかははっきりしています。
 「改革」の向こうにあるのはよりすっきりした競争社会、できる人だけが得する社会です。もう一つは今まで通りの人たちが得をする社会、序列が決まった社会です。そして実際には両方が微妙に絶妙に混ざった社会になるでしょう。それでよいかということです。」
▼――改革のための「痛みの共有」ということで失業が増えるのもやむなしと言われますが。
▲「意味不明です。「競争に負けた人は痛いよ」と言って「活性化」させる戦略なんですから「ともに」のはずがない。
 参入の機会が開かれ、よい仕事をしたら社会が受け入れるようになるのには賛成です。しかしそれと、利益を得る人とそうでない人との格差の拡大を是認することとは別です。このまったく別のことを「自由化」の一語でくくってはいけない。 *1
 報酬の差は生産活動を動機づける手段にはなります。けれどもこの社会は、餌で人を釣り、失業で人を脅さなくては生産が確保されない社会なのかということです。」 *2

*1 『私的所有論』(1997、勁草書房)第2章、「自由の平等」(2001、『思想』)
*2 ごく短い文章として「つよくなくてもやっていける」(『朝日新聞』2001-01-11朝刊、論壇・正月シリーズ・「21世紀の入り口で」)。より詳しくは「選好・生産・国境――分配の制約について」(『思想』、2000年)。ほかに「停滞する資本主義のために――の準備」(栗原彬・佐藤学・小森陽一・吉見俊哉編『文化の市場:交通する』

▼――国全体が依然「右肩上がり」にとらわれているということですか。
▲「あらゆる政治勢力が「景気のいい」話をせざるをえないのもわかります。ただ、景気が大切だと世論調査に答える多くの人も、つまりは無理な苦労をせずに暮らしたいということでしょう。
 「弱者救済」という言葉は、弱者を社会が作っていることを忘れた上で慈悲にすがらせているようで好きになれません。正面に「公正」、本当の「自由」をすえて、本来はこの先をやっていけると思います。公正で同時に開放的な社会の方が、「危機」にあおられ、あせらされるより、気持ちがいいと思うんですよ。からっぽの選挙用公約としてではなく、そういう社会は可能だと私は思います。それを追求しないなら、結局今すでに有利な人たちが、より有利になるだけです。*3

*3 「自由の平等」(2001、『思想』)。「自由と介入とを対比し、福祉国家は自由を侵害し好ましくない介入が行われる国家であると言われることがある。批判者は自由を尊重すべきだと言い、福祉国家のもとで自由が剥奪されると言う。そしてこれに反論する側も、自由に平等を対置し、いや平等が大切だと、あるいは、自由も大切だが平等も大切だと言う。しかし、これらの主張は当たらず、対立の図式自体もまちがっている。」(「自由の平等・1」より)
 「弱者」という言葉をどのようなものとして捉えるのかということ。一方で『弱くある自由へ』(2000、青土社)とも言ったのではあるけれども。

▼――選挙ではどんな選択が望ましいと?
▲「繰り返しですが、われながら青いと思っても「正しさ」を気にすること。歯切れのよさそうな主張がまさに自らの「既得権益」の主張でしかなかったりします。だから国内の経済の問題と対外問題も別のことではありません。正義に繊細で不正に反省的でいられないほど私たちは余裕のない状態に置かれているでしょうか。そんな余裕はない、自分のことで精一杯だと思う心性が、かえって自分をつらくさせているのだと思います。」*4

*4 「選好・生産・国境――分配の制約について」(『思想』、2000年)の下、「国家と国境について」『環――歴史・環境・文明』、藤原書店、第5号、第6号、2001年)。他に「たぶんこれからおもしろくなる」(『創文』426、2000年)等。

▼――比例区では個人に投票できますが。
▲「よりましな人を選ぶこと。「官僚主導」の打破を言うなら仕事ができる人に議員をしてもらわないと。知名度で候補になった人にも力のある人はいないではありませんが、多くは疑問です。
 ただいわゆる普通の政治家もそう変わらず、全体を見渡せている人はそういません。ならば各々の領域に詳しい人というのが一つの選択肢。そして従来の組織された業界の代表でない人。例えば福祉や医療を利用する立場の人が議員として意見することはほとんどありませんでした。自らを守る組織をもたずに働いている人たちなども同じです。そんな人が候補にいるなら議員になってもらうとよいと思います。」 *5

*5 「供給されるサービスについての供給者と利用者の知識の差異、供給者は供給を職業とし、同業者の集団を作るのに対し、利用者は多くの場合、一時的に個人としてそのサービスを利用するだけであることによる力の差がある。」(『私的所有論』p.142)。cf.障害者である議員(であろうとする人たち)

 

◇確定稿にならなかった確定稿 20010726

▼――与党も野党も「改革」を掲げています。
▲「何をなぜ変え壊すべきか、じつのところはっきりさせられていない。
 この不透明さがこの選挙を覆い、利用されている。つまり不当な利益を得ている人たちがいると感じる人たち全般がなんだかわからない「改革」を支持してしまう。」
▼――はっきりしないから幅広く支持される?
▲「さらに与党はうまい構造になっている。首相が目指すという「改革」に共感する人も、今の通りがよく変化は困る人も与党に入れる。そこにどう割って入るか、野党もはっきりしたメッセージを伝えきれない。」
▼――同じ土俵に乗っているということ?
▲「残念ながら問題がはっきりしないままこの選挙は終わる。「既得権の打破」も「生活を守る」もその言葉だけでは、具体な対立軸を示さない。
 ただ、この状況のもとで、各人各様のまじめな思いが結果として一様な投票行動となるなら、それが現実に何をもたらすかははっきりしている。
 一方の道の向こうにあるのはよりすっきりした競争社会だ。もう一つは今まで通りの人たちが得をする社会だ。そして実際には両方が微妙に絶妙に混ざった社会になるだろう。できる人だけが得する社会と、序列が決まった社会、そして二つが混じった社会。それらよりましな社会はないかと考えてみるしかない。」
▼――改革のための「痛みの共有」ということで失業が増えるのもやむなしと言われるが。
▲「わかるようでわからない言葉だ。痛さの度合いを違わせて「活性化」する戦略なのだから「ともに」のはずがない。
 参入の機会が開かれ、よい仕事をする人の仕事が社会に受け入れられるようになるのはよい。しかしそれと、利益を得る人とそうでない人との格差の拡大を是認することとは別のことだ。このまったく別のことが、「自由」の一語でくくられてしまってはならない。
 格差をつけることが、生産の動機づけのための手段となることはある。だがこの社会は、餌で人を釣り、失業で人を脅さなくては生産が確保されない社会ではない。」
▼――国全体が依然「右肩上がり」にとらわれているということか。
▲「どちらの政治勢力も「景気のいい」話をせざるをえないのはわからなくはない。ただ、景気が大切だと世論調査に答える多くの人も、つまりは余計な苦労せずに暮らしたいということだろう。
 公正で同時に開放的な社会の方が気持ちがよいし、それは、空疎な選挙用公約としてではなく、可能だと思う。それを追求しないなら、結局今すでに有利な人たちがより有利になるだけだ。
 危機を理由とした煽動に乗ることはない。他方「弱者救済」と言うのもなにか慈悲にすがっているようで言葉として好きでない。正面に「公正」本当の「自由」をすえて本来は、この先の社会をやっていけるはずだ。」
▼――選挙ではどんな選択が望ましいと?
▲「われながら青いと思いつつ「正義」に敏感なのはだれか考えること。歯切れのよさそうな主張の多くがこの国の自分たちのまさに「既得権益」の主張でしかないことに注意を払うこと。
 すると国内の経済の問題と「対外問題」が別でないことも明らかだ。正義に繊細で不正に反省的でいられないほど私たちは余裕のない状態に置かれているのか。余裕がないと思う心性が自らをつらくさせていないか。」
▼――比例区では個人に投票できるが。
▲「よりましな人を選ぶこと。「官僚主導」の打破を言うなら仕事ができる人に議員になってもらわないと。知名度で候補になった人に力のある人は皆無ではないが、多くの人については疑問だ。
 ただいわゆる普通の政治家もそう変わらず、全体を見渡せている人はそういない。ならばそれぞれの領域に詳しい人というのが一つの選択肢。そして従来の組織された業界の代表でない人。例えば福祉や医療を利用する立場の人が議員として意見することはほとんどなかった。自らを守る組織をもたずに働いている人たちも同じだ。そんな人が候補にいるなら議員になってもらえばよい。」

 


◇第1稿 2001

▼与党も野党も「改革」を掲げています。
▲対極にたとえば「既得権」という言葉がある。私も打破されるべき権益があると思う。ただその私の思いと別の人の思いは同じだと限らない。何をなぜなくすべきか。それがはっきりしない。
 その不透明さがこの選挙を覆い、利用されている。つまり周囲に不当に利益を得ている人たちがいると感じる、まじめに人生をやっている人たち全般が政権側による「改革」を支持してしまう。
 そして野党はそこにうまく切り込めていない。
▼同じ土俵に乗っているということでしょうか?
▲一つには、政権側自体がうまい配置になっている。今の首相が目指すという「改革」に共感する人も、今のとおりがよく変化は困る人も与党に入れるという妙な構図になっている。そこにどう割って入るか、野党もなかなかはっきりしたメッセージを伝えきれない。
▼はっきりする道筋は?
▲残念ながら、はっきりしないままこの選挙は終わるだろう。「既得権の打破」も「生活を守る」もその言葉だけでは、具体な対立軸を示さない。
 ただ、この状況のもとで、各人各様のまじめな思いが結果として一つに集中してしまうなら、それが現実に何をもたらすかははっきりしている。
 一方の道を行った向こうにあるのはよりすっきりした競争社会だ。もう一つは今までどおりの人たちが得をする社会だ。そして実際には、両方が微妙に絶妙に混ざった社会になるだろう。できる人だけ得する社会と、序列が決まった社会、そして二つが混じった社会。
よりましな社会はないかと考えてみるしかない。
▼改革のための「痛みの共有」ということで、失業が増えるのもやむなしと言われますが。
▲わかるようでわからない言葉だ。痛さの度合いを違わせて「活性化」する戦略なのだから、「ともに」のはずがない。
 参入の機会が開かれ、よい仕事が受け入れられるようになるのはよい。しかしそれと、利益を得る人とそうでない人との格差の拡大を是認するこ
ととは別のことだ。 *1
*1 このように言った部分(&以下の「右肩上がり」云々の部分)をもっと積極的に述べよ、というのが新聞社のリクエストのようなのですが、しかし、それはどうしたって長い話になるだろうし、まだきちんと考えられていない部分もあるし、私が立候補しているわけでもないし…、ぶつぶつ、ですが、やはり何か加えないとならないのだろうか。
▼国全体が依然「右肩上がり」にとらわれているということでしょうか。
▲どちら側も「景気のいい」話をせざるをえないのはわからなくはない。だが、不良債権問題といった失政の後始末は仕方ないが、経済政策をそうたいそうなものにまつりあげるべきではない。
 この社会は、餌で人を釣り、失業で人を脅さなくては生産が確保されない社会でない。公正で同時に開放的な社会であることが可能だし、その方が気持ちがよいと思う。しかし、その可能性を追求しないなら、結局今すでに有利な人たちがより有利になるだけになって
しまう可能性が大きい。
 それに対しあわれっぽく「弱者救済」とか言うのでなく「公正」、ほんとうの「自由」を基本にこの先を、本来は考えていけるはずなのだが。
▼もう終盤の今回の選挙については、どういう選択が望ましいと?
▲われながら青いと思いつつ「正義」に敏感な人はだれか考えること。歯切れのよさそうな主張が結局この国の自分たちのまさに「既得権益」の主張でしかないことが多いことに注意を払うこと。
 正義に繊細で不正に反省的な人は誰か。そう考えると、国内の「経済問題」と「対外問題」とがまったく別の問題でないことも明らかだと思う。
▼比例区で個人を選べる方式になりましたが。
▲よりましな人を選ぶこと。「官僚主導」の打破を言うなら、仕事ができる人に議員をしてもらわなくてはならない。顔が知られているので候補者になった人に力のある人は皆無ではないが、多くの人については疑問だ。
 ただいわゆる普通の政治家もそう変わらない。全体を見渡せている人はそういない。ならばそれぞれの領域に詳しい人というのが一つの選択肢。そして、従来の組織された業界の代表でない人。例えば福祉サービスを利用する立場の人が議員として意見することはほとんどなかった。未組織の労働者、家庭で働いている人たちも同じだ。そういう人が候補にいるなら議員になってもらえばよい。有権者の各政党へのアピールにもなる。


cf.立岩 真也2004/06/**「(選挙について)」,『新聞』


UP:2001
立岩 真也
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