・報告は加筆・修正され『障害学の主張』に収録されました。
石川准・倉本智明・長瀬修 編 2001 『障害学の主張』(仮題) 明石書店
掲載予定の原稿の草稿をもとにお話しします。
1)どんな主題なのか
・抑圧を否定するための肯定という文脈。
・治療・予防・発生防止とのかかわり 例えば「反原発運動」の時
+この稿での主題の限定:できる/できないの問題に限る。
2)死なず痛くなければよい、とはいえ、
できるにこしたことはない、か?
・堤愛子の答:殺すのはだめ、苦痛を与えるのはだめ、
しかし障害だけなら … さてこう言い切れるか。
・P.シンガーの答:やはり障害はない方(=できる方が)よい。
3)できることは必要だが、私が、である必要はない
・できることは必要である。
・しかし、私が、である必要は必ずしもない。
4)支払いをみると、他人にやってもらった方が
らくなことがある
・なにごとをするにも、えるにもコストはかかる。
(しばしば、例えばなおすため=できるようになるためののコストの
存在が見落されている。)
・人にやってもらった方が楽なことがあるという単純な事実を確認
しよう。
5)得たいものは、因習にこだわらなければ、
さまざまに得られる、こともある
・人にやってもらっても意味がないこともある、が…。
・モデルを固定してそれに近づこうとすると
そのモデル以上にはならないが…。
6)そこに肯定されてよい世界が現われ、
そしてそれは障害であることと両立する
・世界が現れる、ある。
それは共有され、価値が付与され、「文化」とされることもある。
・そのことは、(ある環境下で)「不便」であることとと両立する。
(「個性である」「文化である」という主張と「障害である」という
主張は、基本的には対立しない。)
7)選択の幅が広い方がよいから、とも簡単に言い切れない
・障害がなければ、ないのも/あるのも(できることも/できないことも)
選択できるが、障害があると、ある(できない)だけ、選択肢は多い方
がよいという主張は、どんな主張か。
8)他方、周囲の人にとってはないにこしたことはない
・できてくれた方が面倒でない。だから障害はないにこしたことはない。
本人に即していくと、意外に、「ないにこしたことはない」と言いにくい
のに比して、このことははっきり言える。
・「ないにこしたことはない」という主張は、このこと(以上でみてきた
こと)を曖昧させてしまい、例えば私たちのことなのに、その人のこと
であるかのように思わせて(思って)しまう。
9)補足1・「社会モデル」の意味
・医療(個人)モデル・対・社会モデルという対立に意味があるとすれば
それは
身体がわるいから/社会がわるいから(目的を達成できない)という対立
だからではない(この言い方は不正確)。
身体をなおす/社会をなおす という対立だからでもない。
(身体…をなおすことはすべての場合に否定されることではない。)
結局、だれが負担するのかを巡る対立だと考えるべき。
10)補足2・差異と平等/社会モデルと文化派
・差異、格差はどのように解消され、どのように解消されないか。
そんなに単純ではない。例えば雇用・労働の場合。
・差異、格差が解消の方向に向かうと、固有性が失われるという見方がある。
それをどう考えるか。
◇つるたまさひで 2001 「(障害は)「ないにこしたことはない、か」考」 『すくらむ』(大田福祉工場労働組合)2001年3月号・4月号