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ないにこしたことはない、か・1

立岩 真也
20010127 障害学研究会(関東) 於:東京都障害者福祉会館


・報告は加筆・修正され
『障害学の主張』に収録されました。

石川准・倉本智明・長瀬修 編 2001 『障害学の主張』(仮題) 明石書店
掲載予定の原稿の草稿をもとにお話しします。

1)どんな主題なのか
・抑圧を否定するための肯定という文脈。
・治療・予防・発生防止とのかかわり 例えば「反原発運動」の時
 +この稿での主題の限定:できる/できないの問題に限る。

2)死なず痛くなければよい、とはいえ、
  できるにこしたことはない、か?
・堤愛子の答:殺すのはだめ、苦痛を与えるのはだめ、
 しかし障害だけなら … さてこう言い切れるか。
・P.シンガーの答:やはり障害はない方(=できる方が)よい。

3)できることは必要だが、私が、である必要はない
・できることは必要である。
・しかし、私が、である必要は必ずしもない。

4)支払いをみると、他人にやってもらった方が
  らくなことがある
・なにごとをするにも、えるにもコストはかかる。
 (しばしば、例えばなおすため=できるようになるためののコストの
  存在が見落されている。)
・人にやってもらった方が楽なことがあるという単純な事実を確認
 しよう。

5)得たいものは、因習にこだわらなければ、
  さまざまに得られる、こともある
・人にやってもらっても意味がないこともある、が…。
・モデルを固定してそれに近づこうとすると
 そのモデル以上にはならないが…。

6)そこに肯定されてよい世界が現われ、
   そしてそれは障害であることと両立する
・世界が現れる、ある。
 それは共有され、価値が付与され、「文化」とされることもある。
・そのことは、(ある環境下で)「不便」であることとと両立する。
 (「個性である」「文化である」という主張と「障害である」という
  主張は、基本的には対立しない。)

7)選択の幅が広い方がよいから、とも簡単に言い切れない
・障害がなければ、ないのも/あるのも(できることも/できないことも)
 選択できるが、障害があると、ある(できない)だけ、選択肢は多い方
 がよいという主張は、どんな主張か。

8)他方、周囲の人にとってはないにこしたことはない
・できてくれた方が面倒でない。だから障害はないにこしたことはない。
 本人に即していくと、意外に、「ないにこしたことはない」と言いにくい
 のに比して、このことははっきり言える。
・「ないにこしたことはない」という主張は、このこと(以上でみてきた
 こと)を曖昧させてしまい、例えば私たちのことなのに、その人のこと
 であるかのように思わせて(思って)しまう。

9)補足1・「社会モデル」の意味
・医療(個人)モデル・対・社会モデルという対立に意味があるとすれば
 それは
 身体がわるいから/社会がわるいから(目的を達成できない)という対立
 だからではない(この言い方は不正確)。
 身体をなおす/社会をなおす という対立だからでもない。
 (身体…をなおすことはすべての場合に否定されることではない。)
 結局、だれが負担するのかを巡る対立だと考えるべき。

10)補足2・差異と平等/社会モデルと文化派
・差異、格差はどのように解消され、どのように解消されないか。
 そんなに単純ではない。例えば雇用・労働の場合。
・差異、格差が解消の方向に向かうと、固有性が失われるという見方がある。
 それをどう考えるか。

◇つるたまさひで 2001 「(障害は)「ないにこしたことはない、か」考」 『すくらむ』(大田福祉工場労働組合)2001年3月号・4月号


UP:2001
障害学  ◇障害学研究会(関東)  ◇立岩 真也
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