闘争と遡行――立岩真也氏に聞く 『弱くある自由へ』(聞き手:米田綱路)
2001/01/27 『図書新聞』2519:1-2
◇―― 立岩さんは先頃、『弱くある自由へ――自己決定、介護、生死の技術』を刊行されました。この本を手がかりにお話をうかがいたいと思います。
まず、タイトルになっている「弱くある自由へ」についてですが。
◆立岩 最初この本のタイトルを『闘争と遡行』にしようかと考えていたんです。売れないって却下されましたけど。たしかに売れないかもしれません。
◇―― かつて続けて出ていた埴谷雄高の評論集のタイトルを思わせますね。
◆立岩 闘争ではスタンドポイントははっきりしている。それをどうやって実現していくのかという戦略、そこで実現されるべき仕組みを考えていく仕事なんですね。たとえば、人が自分の暮らしのこと、暮らしのありかたを自分で決めて、自分で実現していくという意味での自己決定については、私はまったく肯定的な立場に立ちます。障害者なり病者の生活に対する決定が剥奪されている、それはけしからんと。ではどうやっていくか。介助・介護について考えた第7章「遠離・遭遇」は基本的にそういう仕事になります。
けれどそういう仕事でも、実現するために、なぜ実現しないかを考えていく必要が出てきます。この問いは簡単に解けることもありますが、そうでないこともある。闘争のために、闘争の一部として、遡行がなされないとならない。さらに、自分自身がどこに立っているのか、なぜ、どこに立てばよいのかよくわからないことがあります。あるいはわかっていたつもりがわからなくなることがあります。とすれば、遡っていかないとならない。
僕は、両方の仕事を同時にやっていきたいと思っています。なにか「哲学的なもの」がとんでもなく素朴なところにとどまっていることがあります。原理的なことを考えているようで、全然そうでないことがよくあります。「そんなことは知ってる、問題はその後しばらく行ったところに現れる」と、闘争し、その方向を考えている人は言うでしょう。
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注を付して、第2版(増補新版)に収録しました。読んでくださいませ。
◆立岩 真也 2019/12/24 『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術 増補新版』,青土社,536p. ISBN-10: 4791772261 ISBN-13: 978-4791772261 [amazon]/[kinokuniya] ※