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時間をかけて考えてみよう*

立岩 真也 2001/05/01
『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』31:32-33

*編集の方でつけていただいた題です。

 『ち・お』は創刊号から私の研究室という部屋に並んでいますが、しかし(関係ないか??)、八〇〇字(二枚)でこの件について書けと言われてもそれは無理です。手前味噌の宣伝だけします。すみません。
 1)昨年書いて、もうそろそろ出版されていてよいはずの斎藤有紀子さん編の『の母体保護法』(明石書店)という本に「確かに言えること と 確かには言えないこと」というごく短い文章を書きました。まずこの本、いろいろな人が思いきりやさしく書いているはずなので、読んでもらえるとよいのではないかと思います。(枚数を四枚にしていただけたので)少しだけ引用します。
 「私自身はいま、理由――が大切なのだ――は略すが、次のように考える(と一昨年書いた)。
 第一に、(少なくともある時期までの)人工妊娠中絶は許容され、それに際して条件は付加されないものとする。つまり刑法の堕胎罪は廃止される。(「時期」の問題をどう考えるか、そして必要ならそれを法律にどう位置づかせるかという問題は残る。)
 第二に、当の人に生後予測される苦痛を考える時には、選択的中絶のすべてを禁じることはできないと考える。(しかし現実には、羊水検査、また母体血清マーカーテストの標的の大きな割合を占めるのはダウン症である。ダウン症である人たちの中の少なくとも少なからぬ人たちに、時に社会から与えられる苦痛を別とすれば、苦しいことがあるわけではない。)
 第三に、子がどのような子であるかを知り決定する権利がないという理由によって、検査が制限されてよい多くの場合がある。(まったく自前で検査することができるようになれば、これは制約条件にならない。しかし、検査薬まで自分で作れたりはしない。)」
 「「現実に立ち遅れる」から「新しい「医療倫理」」を、という発想に私はまったく同意しない。「医療倫理」「生命倫理」が何か力のないもののように感じられるとしたら、それは論理を過度に重視しているからでなく、まったく逆であり、中途半端に事実について述べるとその後がなく、十分に論理を尽くして考えることがなされていないから、そして、討論の機会にせよ、活字メディアにせよ、そのような中途半端な場しか与えられていないからだと考える。ここでも◇で区切られる断片をいくつか並べたに過ぎない。(今回についてどうにも舌足らずだったのは、紙数が絶望的に限られていたせいだけでなく、むしろ書き手の側に問題があったからなのであるが。)
 繰り返すと、ともかくこの技術の場合、導入しないからといって人が死んだりはしない。時間をかけて考えることはできる。たんなる怠惰の言いわけ(だけ)ではない。時間をかけて考えてみよう。」
 2)立岩『私的所有論』(一九九七年、勁草書房)という本の第9章「正しい優生学とつきあう」でごちゃごちゃ考えてみました。その章が二〇〇枚くらいあります。すみませんがそれを読んでください。1)の本は安いですが、2)は高いです。図書館ででもどうぞ。
 3)それから、ホームページの「50音順索引」から「出生前診断」を見てください(googleなどで検索しても出てきます)。いろんな人がいろんなことを言ってるのを読むことができます。玉井先生の論文も読めます。これはただです。
 4)もう一つついでに、出生前診断より広く「遺伝子」のことをというのでしたら、2)の本の他、立岩
『弱くある自由へ――自己決定・介護・生死の技術』(二〇〇〇年、青土社)の第5章・第6章をどうぞ。第5章は概論?的な文章、第6章では「遺伝子検査と保険」のことが書いてあって、しぶいですがけっこうおもしろいんではないかと思います。
 すみません。おわりです。失礼しました。

……著者紹介……

1960年佐渡島生。信州大学医療技術短期大学部教員。専攻は社会学。共著に『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』(増補改訂版1995年,藤原書店)。他の著書とホームページは本文参照のこと。現在『思想』(岩波書店)に「自由の平等」隔月掲載。



出生前診断  ◇立岩 真也
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