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「選好・生産・国境――分配の制約について」関連資料

by 立岩 真也



冒頭部より/■文献表/■目次
文献表

◇2000/02/05「選好・生産・国境――分配の制約について(上)」
 『思想』2000-2
◇2000/03/05「選好・生産・国境――分配の制約について(下)」
 『思想』2000-3
 Preference, Production, and Border : On Restriction of Distribution
 計約160枚
 *岩波書店
 http://www.iwanami.co.jp/
 *『思想』
 http://www.iwanami.co.jp/shiso/


 

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■1 不安と楽観について

 ■1 不安と危機を語る言葉
 このままの福祉政策、社会保障政策をとっていては負担が重くなる、財政が破綻するといった話が議会や世間話の中で口にされる。また、経済と社会に「活力」が必要なのだが、高齢化社会は、社会福祉はそれを制約する、低下させると言う人たちもいる。あるいは「人的資源」の確保が必要であり、子どもを産みましょう、というより産ませましょうといったことが言われたりする★01。もちろん他方に、天下国家のこととして大仰に無邪気に人間の増殖・増産を語る言論をまずは下品だと思い、紋切り型の氾濫に辟易している人たちもたくさんいる。しかし、言っている当人はいたって真面目であり、真剣に憂えているのだと自分のことを思っている。そして自ら、もっとつつましやかに自らのことを思ってしまう人たちがいる。いわゆる団塊の世代の人たちが、日頃の元気さに似ず、こんなにたくさんいる私たちは次の世代に迷惑をかけることになるなどと言ってみたりする。既に高齢である人たちもまた。迷惑をかけずに死にたいと言う。あるいはそうして死んでほしいことを知っている。これらの人にいったい何を言えばよいのか。
 あるいはまた、「生命倫理」や「医療倫理」等々を論じるやはり真面目な研究会があって、「資源」の問題が語られる。もともと「バイオエシックス」の教科書の類いには、有限の資源の分配についての例題、例えば二人分しかない薬を三人が必要としている時にどうするかといった問題がよく載っているのだが、それはともかくとして、様々なことが論じられるその研究会では、会の後半しばらくすると、やはり「有限の資源」の話題になる。特に「第三世界」のことを含めて考えると、難しい、ように思える。さらに実の社会では、もっとあけっぴろげに、様々なことが費用対効果の文脈で語られ、そのことによってなされることなされないことがある。もちろんそれに対してお金より命が大切だというようなことは常に言われるのであり、それはまずはその通りなのだろう。しかし、そうは言ってもやはり、と思う。
 こうした今日的なことからいったん離れ、しかしおそらくはこの時代の危機の語られように対する違和からも発して、身体・生命への関与の歴史を辿ってきた人たちがいる。その人たちは、個々人への介入の根底にやはり「生産」があること、生産が参照されることによって、生命の廃棄、増殖、操作がなされてきたことを確認する。しかし、この根底に見出されたものは、単に歴史が構成した観念でない現実性をもってしまっているではないか。つまり、生産という条件・要件から抜け出すことはどうも困難である。ものを作って食べているのは確かなのだから。ここまで来て、次に何を言えばよいのかと思ってしまう。
 ■2 楽観しようとする言葉  もちろん危機を煽るような言説ばかりがあるのではない。[以下略]」

 

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■目次

 1 不安と楽観について
  1 不安と危機を語る言葉
   ☆01
  2 楽観しようとする言葉
   ☆02
   ☆03
  3 「姿勢」について
   ☆04
  4 要約
  5 この稿の位置
   ☆05
 2 負担について
  1 自分のためという説明の効力とその限界
   ☆06
  2 同じなら同じでしかない
   ☆07
   ☆08
  3 増える場合
   ☆09
  4 増加の要因
   ☆10
   ☆11
  5 同じなら同じであり、生産は消費される
  6 結局は利害による
   ☆12
  7 少なくとも裸にすること
   ☆13
   ☆14
 3 生産について
  1 分配が生産に寄与することもある
   ☆15
  2 しかし生産は分配を抑止する
  3 生産についての立場
   ☆16(以上前篇)

   ☆17
  4 「もの」について
   ☆18
   ☆19
   ☆20
  5 「ひと」について
   ☆21
   ☆22
   ☆23
  6 生産はどこから来るのか
   ☆24
   ☆25
   ☆26
   ☆27
   ☆28
 4 国境が強迫する
  1 逆選択による越境による分配の抑圧
   ☆29
   ☆30
   ☆31
  2 分配率の調整
   ☆32
   ☆33
  3 格差の残存・拡大の条件と競争への強迫
   ☆34
   ☆35
   ☆36
   ☆37
  4 贈与と共有
   ☆38
   ☆39
   ☆40
  5 その方が楽かもしれない
   ☆41
   ☆42

  文献

 * 以下、論文の注に対応

 


★01 「危機を語るあるいは楽観しようとする言説の歴史と現状が具体的にどのようなものであり、どのように解析することができるか。本稿では様々に言われてきたことを紹介し、個々に検討することができない。そこで、例えば以下からの引用、ホームページへのリンクをホームページ(http://itass01.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/1.htm)に掲載する。(筆者の文章の一部については全文が掲載されている。これらには*を付した。最初のページから「立岩」→「選好・生産・国境」と辿っていただきたい。)
 一九八〇年・生命保険協会・成熟化社会特別研究チーム『超高齢化社会 二一世紀への出発』、一九八一年・丸尾直美『日本型高齢化社会』(中の「高齢化の経済的インパクト」、有斐閣)、一九八九年・川口弘・川上則道『高齢化社会は本当に危機か』(あけび書房)、一九九四年・「公的介護保険制度の導入――経済成長を〇・二%押し上げ」『日本経済新聞』一一月二八日朝刊、一九九六年・岡本祐三・八田達夫・一圓光弥・木村陽子・永峰幸三郎『福祉は投資である』(日本評論社)、今井敬(経団連副会長)「経済活力維持のために国民負担率の抑制を」八月、一九九七年・閣議決定「経済構造の変革と創造のための行動計画」、秦洋一「見逃すな福祉の経済効果」『朝日新聞』九月四日、一九九八年・経済戦略会議「日本経済再生への戦略」、一九九九年・『平成一一年版厚生白書・社会保障と国民生活』、二〇〇〇年・『月刊福祉』一月号「特集・経済社会と社会福祉」(執筆時未見)、等々等々*。」

◇199705閣議決定「経済構造の変革と創造のための行動計画」
◇経済戦略会議「日本経済再生への戦略」19981224
◇1999『厚生白書』平成11年版

◆生命保険協会・成熟化社会特別研究チーム 1980

「老齢化社会が進み老齢者が人口の多数を占めるようになると、……老齢者のための福祉コストが労働者に重くのしかかり、その旺盛な活力を阻害することになる。しかも、政治的な配慮から福祉コストを個人から企業へ転嫁すると、その過重な負担により、企業経営力が脆弱化し国際競争力を著しく弱め、国の経済地位も低下し続け、その結果一億総貧困化へと沈んでいくことになる」(生命保険協会・成熟化社会特別研究チーム[1980:280],河口・川上[1989:266]に引用))

◆丸尾直美 1981

「人口構成の高齢化は経済にもさまざまな影響をあたえる。第一に、人口の中に占める生産年齢人口の比率が低下するため、他の条件が等しいかぎり、国民一人当りの実質生産高ないし、実質国民所得の成長が鈍化する。第二に、人口構成が高齢化して高齢の扶養人口の比率が高まると、高齢者のための年金、医療費、社会福祉サービス費などの費用負担が重くなり、……この費用負担が経済成長にとってはマイナスの影響を与える」(丸尾[1981:198],河口・川上[1989:263]に引用)

◆正村 公宏 19940225 『成熟社会への選択――新しい政治経済学を求めて』
 日本放送出版協会,NHKブックス0685,221p. 830

 「…経済成長、いいかえれば経済規模の拡大そのものは長期の展望のなかでの優先課題となりえないが、完全雇用を保障しうるだけの安定成長は必要である…」(p.110)
 「…労働力人口の増加率が低下しても、経済が不安定化しかり経済成長率の趨勢が低くなりすぎたりすれば、十分な就業機会が保障されない。持続的・安定的成長は国民生活安定の基礎条件である。住宅や社会資本の改善に必要な資源を確保するためにも、福祉社会の基盤をつくあげるためにも、持続的・安定的成長が不可欠である。」(p.111)

◆今井 敬(経団連副会長) 199608
 「経済活力維持のために国民負担率の抑制を」
 http://www.keidanren.or.jp/japanese/journal/jou9608.html
 (以下は上記ホームページよりの引用。直接ホームページをご覧ください。)

経済活力維持のために国民負担率の抑制を
今井 敬
経団連副会長

 世界に類を見ない高齢社会を迎えるわが国では、国民負担率(国民所得に占める租税負担と社会保障負担合計の比率)の上昇が、国民一人ひとりにとっても企業にとっても大変な重荷となってくる。今後も現状の社会保障の給付水準を前提とすれば、今の若い世代が高齢者になる時には、国民負担率は50%を遥かに超えるものと推定されている。社会的コスト負担の増大によって、世代間の不公平が拡大して個々人が働く意欲をなくし、企業が国際競争力を喪失すると、経済の活力が失われる上に国の財政も破綻してしまう。労働力人口と貯蓄率の減少に伴う潜在成長率の低下が懸念される中で、これを克服していくためには、行政改革を行なうことは勿論であるが、医療をはじめとする国民への過剰なサービスを見直すことによって、財政全体の歳出を削減することが何よりもまず必要である。
 その際、国民の間で十分なコンセンサスを得ておかなければならない基本理念は「自己責任に基づく受益者負担の貫徹」である。この考えに立つと、受益をナショナル・ミニマムのレベルで享受できれば、これを超える内容をさらに望むか否かは個人の自由な選択に委ねられ、より高い水準を望む人は自助努力で負担を賄うということになる。
 また高齢者は全て弱者という考え方にとらわれることなく、資産や所得の豊かな高齢者は、後世代に極力迷惑をかけないよう費用を応分に負担することも必要だろう。現役の世代は自分たちにとって暮らし易い未来を作るためにも、また子や孫の世代に必要以上に重い負担をかけないためにも、創造性を大いに発揮して新たな産業の創出と経済規模の拡大に努力すべきである。
 政府も国民も、現状の痛みを恐れて問題を将来に先送りするのではなく、21世紀を見据えて効率的で、世代間でも公平な税制・社会保障制度の改革を推し進めることこそ、安定的な経済成長と、活力ある高齢社会の実現を両立させる方途であると確信する。
(いまい たかし)

◆秦洋一(編集委員)「見逃すな福祉の経済効果」(コラム私の見方)
 『朝日新聞』19970904

 「…特養ホームができたことによって、お年寄りのケアのお金が地元の多くの企業に落ちる…
 サービス現場で働く人々の収入は家族たちの衣食や住宅購入費あるいは教育費などの消費という形で、さまざまな産業の活動を活性化させる。ひいては所得税や住民税などの収入を増やすことにもなるだろう。
 福祉サービスを育てれば地元に雇用の機会が増えるだけではない。介護に苦しむ女性が外で働ける。これは保育所の普及で育児が社会化された過程とよく似ている。
 つまり福祉の社会化のために投入したお金は、回りまわって私たちの社会に戻ってくる。
 社会保障のお金の循環メカニズムは見落とされがちですが、最近やっと経済、医療、福祉分野の学者たちの手で「福祉は投資である」といった本が出されるようになった。…」

◆隅谷三喜男・岡本祐三「対論・楽観できるか福祉の市場化」
 『朝日新聞』19971101

◆「社説・福祉に市場原理は万能か」
 『朝日新聞』19971104

◆正村公宏「社会・経済ゆがめる福祉不足/生活の安全保障を/高齢者隔離やめよ」
 (どうする高齢社会)
 『朝日新聞』19970713

 『朝日新聞』19970716

 『朝日新聞』19970717

 『朝日新聞』19970718

 『朝日新聞』19970719

◆広井良典「長い老年期生かす視点を/「障害」への「ケア」中心コンセプトに」
 (どうする高齢社会)
 『朝日新聞』19970721

◆樋口恵子「五つの利点生かし変革を/街づくり・雇用…豊かさ目指す好機」
 (どうする高齢社会)
 『朝日新聞』19970728

◆池田省三「自己決定できる社会保障を/迷路のような制度 市民管理に転換を」
 (どうする高齢社会)
 『朝日新聞』19970804

◆高橋伸彰「公共投資削り社会保障に/低成長こそ「正常」/既存政策見直しを」
 (どうする高齢社会)
 『朝日新聞』19971111

◆三浦三郎「自立自助の仕組み急げ/世代間扶養の転換/行政は環境整備を」
 (どうする高齢社会)
 『朝日新聞』19971124

◆大淵寛「出生率回復の努力必要/技術進歩に悪影響/「静止社会」めざせ」
 (どうする高齢社会)
 『朝日新聞』19971201

◆田中滋「高負担経済活力損なわぬ/労働意欲と別問題/無理な抑制は疑問」
 (どうする高齢社会)
 『朝日新聞』19971208

◆山崎正和「論壇時評・市場と国家」
 『朝日新聞』19980226

◆199705閣議決定
 http://www.miti.go.jp/topic-j/e3275amj.html

「経済構造の変革と創造のための行動計画」 第一 本編

目次

序:経済構造の変革と創造に向けた基本的考え方

T.新規産業の創出
1.新規産業創出環境整備プログラムの推進
2.横断的環境整備
[1]資金(リスクマネーの供給)
[2]人材(人材移動の円滑化等、人材育成)
[3]技術(新たな研究開発環境整備、適切な知的財産権の保護の強化等)
[4]情報通信の高度化

U.国際的に魅力ある事業環境の創出
1.高コスト構造の是正
2.企業関連諸制度の改革
3.労働・雇用制度の改革
4.経済構造改革の資する社会資本の整備及び利用効率の向上
5.ものづくりを支える地域の産業や技能の集積等の維持・発展
6.中心市街地の活性化

★V.経済活力の維持・向上の観点からの公的負担の抑制

第二 新規産業創出環境整備プログラム(略)

◆「経済構造の変革と創造のための行動計画」 第一 本編
 http://www.miti.go.jp/topic-j/e3275axj.html

 「経済活力の維持・向上の観点からの公的負担の抑制

(1) 基本的考え方
 高齢化等による国民、勤労世代及び企業の公的負担の増大が活力ある経済を維持していく上での制約要因となることを踏まえ、社会保障や国及び地方の財政等の公的分野全般の効率化、給付と負担の適正化等を通じて、財政の健全性に配慮しつつ、これら公的負担の抑制に最大限努める。
 具体的には、 社会保障制度について、官民の役割分担の見直し、民間活力の活用、給付と負担の適正化等を図る。
 財政について、行政の守備範囲の見直し、財政支出の重点化、公的分野の効率化等に最大限努め、その規模の抑制を図る。

(2) 行動計画
A.社会保障制度
 社会保障制度については、社会保障構造改革において、国民経済と調和のとれた制度の構築を目指して、介護等必要な需要に対応しつつ、年金・医療を中心に効率化、給付と負担の適正化を図ることとする。以下のような各制度の改革の基本的な方向は、経済活力の維持・向上の観点からも重要なものである。
 公的年金制度については、将来の負担が過重なものとならないよう給付と負担の適正化、公私の年金の適切な組合せ等制度全体の見直しを行うこととし、平成9年度に検討を開始し、平成11年度に財政再計算を踏まえた制度改革を実施する。
 医療制度については、医療保険改革の第一段階として、現在国会に提出している健康保険法等の一部を改正する法律案の成立後、老人保健制度、診療報酬体系、薬価制度及び医療提供体制の見直しなどについて、できるだけ速やかに具体案を示し、抜本改革を実施する。
 介護については、介護を医療保険から切り離し、社会的入院の解消を図る条件整備を図るため、また、民間事業者を含む多様な事業主体の参入を促進することにより、効率的にサービスを提供する仕組みとするため、現在、介護保険制度の創設に関連する法律案を国会に提出しているところであり、平成12年度より介護保険制度を実施する。

《措置済み事項》
 年金制度については、制度運営の適正化・効率化及び加入者・受給者 サービスの向上を図るため、平成9年1月に基礎年金番号を導入した。 また、厚生年金基金及び税制適格年金について、経済情勢や産業構造の 変化への柔軟な対応を可能とする等の観点から、予定利率及び給付設計 の弾力化、資産運用規制の緩和等を行うこととし、順次関係政令の改正等を実施してきている。
 医療制度については、給付と負担の適正化等を図るため、被用者保険の被保険者本人の一部負担割合の引上げ及び老人医療受給対象者の一部負担金の見直し、薬剤に係る一部負担の創設等を内容とする健康保険法等の一部改正法案を今通常国会に提出した。

B.財政
 平成8年12月19日に、国及び地方並びに国の一般会計の財政健全化目標等を定めた「財政健全化目標について」を閣議決定したところである。その実現に向けて、現在、財政構造改革会議において、歳出の改革と縮減を具体的にどう行うか検討がなされている。これを受けて、平成10年度概算要求段階からその成果を反映させ、予算編成において一段と歳出の改革と縮減を進めるなど、その規模の抑制を図る。 」

◆『平成11年版厚生白書』(19990811)

「(合理的かつ効率的な仕組み)
 医療保険制度や年金制度は、こうした個人では対応が困難な、仮にある程度対応できるにしてもどこまで対応できるか予測が困難な状態に対して、その不安を解消し、実際に医療や老後の所得保障が必要になったときに生活を安定させる効果がある。
 また、個々人が自らの蓄えで対応するよりも、合理的かつ効率的な仕組みである。なぜなら、社会保障(この場合は、社会保険)は、個々人が社会連帯の考えに基づいて、広く浅い負担をすることにより社会的な危険(リスク)に備え、病気にかかったり稼得能力が減少した高齢期に至った場合には相当の給付が受けられるというものだからである。これにより、個々人にとって、過剰な貯蓄が不要となったり、不安感が解消されたりする。社会保障制度は、社会連帯の考えが背後にあるので、他の被保険者のために社会保険料を負担しているイメージを持つかもしれないが、実は、自分や家族のためにも大変役に立つ仕組みといえる。」(p.37)

◆『平成11年版厚生白書』(19990811)

「(社会保障と経済に関する議論)
 社会保障が社会・経済を支えているという考え方に対して、社会保障の給付や負担の増大が経済の活力の制約要因になるおそれがあるという見解がある(注)。社会保障の給付や負担の増大が経済に与える影響に関しては,これまで多方面から様々な指摘がなされているが、必ずしも定説は確立されていない。この点について、いくつかの視点に括りながら、単純化しつつ整理をすると、次のとおりである。
(1) 国民負担率との関係
 国民経済の活力を維持していくためには、国民負担率を一定の範囲内にとどめる必要があるとの考え方がある一方で、国民負担率の水準と経済状態との間には明確な負の関係があることは実証されていないという見解や、国民負担率が高くても経済成長率が高い国が存在しているという指摘
(2)負担面と労働供給との関係
 社会保障給付の増大とともに、所得に占める社会保険料等の負担が増大するため、可処分所得が減少し、勤労意欲が弱まるとの考え方がある一方で、社会保険料等の増大と勤労意欲の間に明確な負の相関は見いだしがたいという見解や、社会保障の負担は社会保障の給付となって家計に還元されるので両者は無関係という指摘。
(3)給付面と労働供給との関係
 社会保障給付の増大により勤労意欲が弱まる社会保障の存在が勤労者に安心感を与える
(4)高齢化の進展と資本蓄積との関係
 高齢化に伴い、社会全体の貯蓄が減少する高齢化と貯蓄率の間に明確な負の関係は見いだしがたい」
 80-81

 


★02

 


★03 「優生学のことが少しは知られるようになった。…」

 ◆優生(学) (eugenics)

 


★04

 


★05 「「再分配しかしない最小国家」「冷たい福祉国家」、「冷たい市場」…」

 立岩 98/12/30「分配する最小国家の可能性について」
 『社会学評論』49-3(195)(特集:福祉国家と福祉社会)
 【了:19981110】 65枚
 cf.
 立岩 98/06/14「退屈で冷たい福祉国家について」
 関東社会学会シンポジウム「正義・公共性・市民権――福祉国家のゆくえ」
 抄録集原稿
 立岩 98/11/23「いらないものがあってしまう」
 日本社会学会シンポジウム「医療・福祉のパラダイム転換と社会学」

 


★06 「公的医療保険の正当化根拠について例えば島田晴雄・清家篤『仕事と暮らしの経済学』(岩波書店、一九九二年)一七三頁に手短かに紹介されている*。…」

 「……不確実性がある場合には、私的保険に加入することによって不確実性を解消することが出来る。では、なぜわが国では政府によって公的医療保険が供給されているのだろうか。代表的な根拠は二つある。一つは逆選抜(adverse selection)の存在である。私的保険の供給者は加入者の病気にかかる確率(事故率)を前もって調べることが出来ない。事故率の高い加入者が多い保険では給付の上昇によって保険料が引き上げられる。そして、事故率の高い加入者が多い保険では給付の上昇によって保険料が引き上げられる。これを「逆選択」という。その結果、リスクプール機能が失われ、保険が市場に供給されなくなる。そのため強制的な医療保険が政府によって供給される。もう一つの理由は消費者の近視眼的な(myopic)行動である。病気にかかったときのことを考えない近視眼的な消費者は私的な保険には加入しない。これらの消費者が病気にかかると公的扶助を利用することになる場合があるから、それを防ぐためにも自助努力としての強制保険が供給されるのである。
 一方、保険に加入すると消費者の行動が変わるモラルハザード(Moral Hazard)が発生する。保険に加入すると病気に対する注意を怠るようになったり、一部負担制度によって窓口で支払う医療支出が低下するから、それらのために医療需要が増大する。わが国でも昭和四十九年の老人医療費の無料化によって高齢者の医療需要が著しく増大したのはこのモラル・ハザードの一つの例であると考えられる」(島田・清家[1992:173])

◇松原隆一郎「ウオッチ論潮・社会保障の危機」
 『朝日新聞』19970827

 「…年金を国家が義務づけなければならないのはなぜだろうか。1.自己責任で貯蓄しないキリギリス型の人が存在する、2.任意加入にするとリスクの高い人だけが集まって保険が適正価格で成立しない、といった理由が知られている。」



★06(続)「…なお、本項での議論は『私的所有論』第7章1節「不可知による連帯」で述べたことに関わる。そこではロールズの議論を保険の論理による正当化の一種と捉えることができることも述べた。また立岩「未知による連帯の限界――遺伝子検査と保険」(『現代思想』二六巻九号、一九九八年九月)では、遺伝子検査と保険との関係を検討する中で、将来のことがわからないという前提が(少しばかり)崩れることによって起こること、考えるべきことについて述べた。」

 ◆Rawls, John

 


★07 「国民がみな無償労働を課せられる(「ボランティア政策」はそれと少し似たところがある)場合があるから、…」

 ◆安積純子他『生の技法 増補改訂版』、藤原書店、一九九五年

 


★08 「利益/不利益という言葉を私たちは安易に使うが、…」

◆井上泰夫・姜尚中・立岩・中村陽一・川崎賢子(座談会)
 「アンペイドワークを捉え返す――グローバリゼーション・ポストコロニアル・福祉国家」
 (中村・川崎編『アンペイドワーク』、藤原書店、二〇〇〇年)
 この本は、2000年2月に出るそうです。
 ◇藤原書店
 http://www.fujiwara-shoten.co.jp

◆立岩 1994 「夫は妻の家事労働にいくら払うか ―家族/市場/国家の境界を考察するための準備― 」
 『人文研究』23号(千葉大学文学部紀要)pp.63-121(1994年3月)220枚
◆立岩 1994 「労働の購入者は性差別から利益を得ていない」
 『Sociology Today』5号,pp.46-56(1994年12月) 40枚

 


★12 「これまで家族が行ってきたのだが、それは単に無償で…」

◆立岩 199211 「近代家族の境界 ―合意は私達の知っている家族を導かない― 」
 『社会学評論』42-2,pp.30-44,日本社会学会 (1992年10月) 55枚
◆立岩 2000 「過剰と空白――世話することを巡る言説について」
 「はじめに」&構成
 【了:19990119】(校了) 55枚
 副田義也・樽川典子編『現代社会と家族政策』、ミネルヴァ書房
 この本、もうすぐ出版されると思います(2000.01)

 


★16 「自然(の価値)について『私的所有論』第4章1節4…」

環境[保護・保全・問題]



   [以下、後篇…未整理]

 


★17

広井 良典
 (『日本の社会保障』の目次掲載)

 cf.立岩『私的所有論』第7章・注16
 「……高齢化、慢性疾患への疾病構造の変化、さらに遺伝子技術の進展にともなう遺伝病概念の拡大にともない、「一億総障害者」の時代が到来しつつあるという指摘がある(広井良典[1996:157ff][1997:185-189]等)。この指摘は間違っていない。ただ、このことだけが語られるなら、同じ要因から医療費等のコストが問題とされ、負担の軽減が以上述べたような道筋で進行していく可能性を見落すことになる。」
 


★18 「森岡正博は「姥捨山問題」…」

 「私が苦しむのがいやだという利己的傾向が姥捨山行為を生み、その姥捨山行為が今度は再び私を苦しめる。それにもかかわらず、姥捨山行為を生む原因となった利己的傾向を、私たちの多くは、決して克服することができない。……姥捨山問題が生じる状況において、正論の倫理学は不毛である。……姥捨山問題の最大の特徴は、それが、自らを見えにくくする仕組みを備えていることである。」(森岡正博,『生命学への招待』,勁草書房,1988,pp.246-247)

 立岩2000「(未定)」,『現代思想』2000-03

 
 

★19

◆「サービス化によるゼロエミッション」・「情報化によるゼロエミョッション」
 (武川[1999:172-174])

 
 

★20 

◆粟屋 剛 1993 「フィリピンにおける臓器売買――臓器売買の実相をみる」
 『法学セミナー』462(1993-6):26-30
◆粟屋 剛 19980320 「臓器移植と現代文明」
 山口研一郎編[1998:153-172]※
 (山口研一郎 編 19980320 『操つられる生と死――生命の誕生から終焉まで』,小学館,287p. 1900円 ※)
◆Kimbrell, Andrew 1993 The Human Body Shop : The Engineering and Marketing of Life=1995 福岡伸一訳『ヒューマンボディショップ――臓器売買と生命操作の裏側』 化学同人,449p.

 


★21 「…廣松渉は…マルクスが夢想していた社会は今既に部分的に到来しているのだと、生産は相当に十分な段階に既に達していると、述べたことがある(『現代革命論への模索』、新泉社、一九七二年、一九七五年改装版二三二−二三四頁)。」

 「われわれは、もとより『ゴーダ綱領批判』にいう共産主義の第二段階に一足とびに移るわけにはいかない。しかし、第二段階の共産主義は、果たして、一部の論者が考えるほど、”気が遠くなるような将来のこと”であろうか? なるほど、マルクスの時代には、それは遠い将来の理想であったかもしれない。だが、現代資本主義は、マルクスの予想を超えて発展をとげてはいないか? われわれは、現代資本主義がマルクスのいう第一段階を実現したなどという馬鹿げた主張をするつもりはない。しかし、マルクスが第一段階の途中ではじめて実現されうると考えたいくつかの条件が、変■した形においてではあれ、■る程度現実化していることに着目することができる。例えば、「児童労働の全般的禁止は大工業の存在と両立できない。それは空疎な叶わぬ望みである」とマルクスは主張しているが、今日の生産力水準はおそらくマルクスが第一段階もかなり進んでからはじめて実現されると考えた水準に達しているといえよう。生産と流通の組織化という点についても同様である。端的にいって、経済と密着している方面での客観的条件は、今日すでに、マルクスが第一段階の途中になってようやく実現され(p.232)ると予想した水準に到達している。この限りで、第一段階を跳び越すことはできないにせよ、第一段階の途中と考えられていた地点、いわば第一段階と第二段階との中間ともいうべき地点を、われわれは直接的な射程に収めることが可能ではないのか。」(廣松[1972→1975:232-233])

 ◆廣松渉
 
 

★22 (失業)

 


★23 「労働市場への介入…」

 ◆アファーマティブ・アクション (affirmative action)

 
 

★24 

◇平田 清明 19930927 『市民社会とレギュラシオン』
 岩波書店,361+15p. 3500
 ……

 


★25 庄司興吉が福祉社会を論じる中で「根源的贈与」という語を用いている(『地球社会と市民連携――激成期の国際社会学へ』、有斐閣、一九九九年、一五七−一五八頁)――このことを語るのにポトラッチその他をもってくるのがよいかについては、私はそう考えないけれども。

 


★26 註(7)にあげた「私が決め、社会が支える、のを当事者が支える」の二三八頁。さすがに「はこもの」を増やすことの虚しさは気づかれ始めている。土建関係の利害にいつまでもつきあっていられないということでもあろう。ただ、やはり「かたちのあるもの」「なにか将来に残るもの」についての偏執はなくならない。例えば今、ただ単に付き添うといった仕事が切り詰められる代わりにいくらか税金が支出されようとしているのは「プログラム」である。それを「元手」にして「自立」していってもらうための「投資」ならしようというのである。

 


★27 以上について『私的所有論』第六章二節「主体化」、註(5)にあげた「停滞する資本主義のために――の準備」。

 
 

★28

◆武川 正吾 19991126 『社会政策のなかの現代――福祉国家と福祉社会』
 東京大学出版会,338p.,4800 ※


 


★29 「この節は、『私的所有論』三四七−三四八頁で数行述べたこと*を敷延し、説明するものである。なお、「福祉国家」の限界を指摘し、これに対して「福祉世界」を提起したのはミュルダール(K. G. Myrdal 1960 Beyond the Welfare State, Gerald Duckworth、北川一雄監訳、『福祉国家を越えて』、ダイヤモンド社、一九七〇年)だという。この論点にふれている最近の文献として、藤村正之『福祉国家の再編成』(東京大学出版会、一九九九年)*、岩田正美・上野谷加代子・藤村正之『ウェルビーイングタウン 社会福祉入門』(有斐閣、一九九九年)*がある。
 ただミュルダールの著書で本稿で述べることが主題的に扱われているのではない。国家間の貧富の格差の存在と拡大が問題とされ、それが脅威として作用するから解決がはかられなければならないという論調である。市野川容孝は、ミュルダール夫妻が、一九三四年には『人口問題の危機』を出版し、出生率を上昇させるために育児の社会化を主張するととともに、「変質(退化)が高度に進んだ人間たちを淘汰する」ためには、必要ならば強制手段に訴えてでも、不妊手術を実施すべきだと説いていること――それは戦後のスウェーデンで実施された――を指摘している(「福祉国家の優生学――スウェーデンの強制不妊手術と日本」、『世界』一九九九年五月号)*。社会的分配に対する基本的な態度を洗い流してしまうことなく、なお福祉国家による、あるいは福祉国家であろうとすることによる、成長と生産への強迫について十分に注意深くなければならないということである。」

◆「……「分配問題」に対するひとまずの回答は以上である。なお、ここでは「国家」という単位自体を検討することはなかった。別に検討する。だが第一に、以上からは国境が特権化されるべきどんな理由もないことは明らかである。第二に、国境によって仕切られる(税体系…)と同時に閉じていない(貿易、人の流出・流入)ために、各々の国家の分配率の差、生産性の差等が競争力の差、人の集積・離反の差として現象し、それへの対応として、他国との関係において配分や生産に対する政策的な介入のあり方、人の流入・流出の制限が規定される。こうした事情が適切な配分を困難にしている。このことによっても国家という単位、国境という境界は否定的に評価される。」(立岩『私的所有論』,pp.347-348)

◆「福祉国家というのは当初一国家の内部で国民生活の問題を解決できる体制と考えられていたが、世界経済の進展によって、1つの国の内部の論理だけで福祉国家を運営することは難しくなっており、その意味で「一国福祉国家体制」は崩壊したと評されてもいる。スウェーデンの経済学者G.ミュルダールは、1960年代にすでに福祉国家が国家の内部にのみ関心をおきがちになることを批判して、福祉国家ではなく「福祉世界」の構想こそ必要だと主張していた。90年代にいたって、自国の福祉国家体制を維持できるかどうか、どのようなかたちで維持していけるのかも、世界全体の動きとの兼ね合いで検討していかなければならない状態に突入し始め、福祉世界という発送も荒唐無稽な問題提起ではなくなってきた。しかし、そのような福祉世界の構想(p.189)のためのハードルともなるのが、環境保護の問題と平和の問題なのである。……」(岩田・上野谷・藤村[1999:189-190])

◆「……「福祉国家」の議論の多さに比べて、「福祉世界」の論議の少なくをみればわかるように、社会保障にとって国家はそれを実現する範域であるとともに壁でもある[岡田,1985:3]。G.ミュル(p.53)ダールの提起以来[Myrdal,1960=1970:228,344]、四半世紀以上が経過したにもかかわらず、福祉世界という概念が一般に流布しているとはいえない。この状態において、世界社会論の関心を社会保障にいかす道は、ひとまず、国家間の連関として世界社会を把握し、1国の社会保障の政策や制度をその関心のもとにとらえかえしてみることであろう。
 以上のような、国際的なパースペクティブの要請を具体化する作業の一端として、社会保障における国家間関係の問題をいくつかの論点から検討してみることが、2章の課題である。……」(藤村[1999:53-54])

◆「ノーベル賞受賞者として知られるグンナルとアルヴァのミュルダール夫妻は、スウェーデンの普通出生率が世界最低にまで落ち込んだ一九三四年に『人口問題の危機』を出版した。
 夫妻は、翌三五年に発足した政府の「人口問題委員会」にも加わり、出生率を上昇させるため、低所得層の有子家庭に対する経済的援助の充実を力説した。ミュルダール夫妻が提言した家族政策は今日でも肯定的に言及されることが多い。しかし、夫妻は、経済的援助と同時に、誰が子どもをもつに値する人間なのかという選別の必要性を強く訴えていた。夫妻は『人口問題の危機』の中で、「変質(退化)が高度に進んだ人間たちを淘汰する」ためには、必要ならば強制手段に訴えてでも、不妊手術を実施すべきだと説いている。
 中立と独立を守るために、スウェーデンもまた第二次大戦中、防衛費にかなりの支出を余儀なくされた。しかし、戦争が終わると、軍事費は小規模の常備軍を維持するだけで済むようになり、その分ういた国家予算を減税という形で国民に返すか、それとも社会福祉のさらなる充実にあてるかで国内の世論は二つに割れたが、社民党の単独内閣となった四五年五月のハンソン政権、およびハンソンの急死後、後継者となった社民党のエルランデル政権(四六年十月〜)は、減税はせず、福祉のさらなる充実にあてることを選択した。すべての有子家庭に対し、十六歳以下の児童一人につき一定額の手当を支給する一般児童手当は、四八年に開始される。これによって、子どもの養育の「社会化」、すなわち養育に必要な経済的負担を個々の家族が背負うのではなく、社会が引き受けるという形が徐々に整っていった。
 しかし他方で、アルヴァ・ミュルダールは「手当の支給は断種法の強化を求めるか?」(一九四六年)と題する論考で、スウェーデン国内の既婚者のうち約三%は、「精神薄弱」その他の理由によって、家計をきちんと維持する能力がなく、一般児童手当の導入によって、そうした人びとに経済的余裕が生まれ、さらに子どもを産むような事態は、何としてでも回避しなければならないと主張した。「すでに生まれた子どもに対しては手当を支給しなければならない。しかし、まだ生まれていない子どもに対してまで支給することはできない。……不妊手術は必要である。しかし、その実施件数はいまだに低い」。アルヴァの主張は、一般児童手当の導入と引き換えに、不妊手術をより広汎に実施せよ、というものだった。その結果が、右の中間報告が指摘するような、半ば強制的な不妊手術の実施(とりわけ第六のケース)だったのである。」
 (市野川容孝「福祉国家の優生学――スウェーデンの強制不妊手術と日本」
 『世界』1999年5月号,167‐176頁)

 cf.◆スウェーデン

 
 

★30 例えばレスター・サロー(Lester Thurow 1996 The Future of Capitalism, W. Morrow.=山岡洋一・仁平和夫訳,『資本主義の未来』,TBSブリタニカ、一九九六年)が、EUから米国への資本への逃避などの現実を指摘し、武川正吾(前掲『社会政策のなかの現代――福祉国家と福祉社会』、二六六−二六七頁)がこの指摘を紹介している*。
 「しかし第2に、欧州モデルの存続に関しては、ペシミズムも存在する。というのは、かりにEUが相対的に自立した経済ブロックであったとしても、ヨーロッパの経済構造自体がアメリカ化されていくならば、欧州モデルの存続可能性は次第に小さくなっていくのではないか、とも考えられるからだ。
 この点に関しては、レスター・サローが次のような可能性を示唆している。「ヨーロッパが現在議論されている賃金柔軟化へ動くとすれば、70年代と80年代のアメリカでみられたように、1990年代後半から21世紀初頭にかけて(p.143)サービス業の雇用が増えるだろう。しかし、賃金柔軟化は同時に、要素価格均等化と技能集約型への技術のシフトを促進し、実質賃金の低下をまねくだろう。ヨーロッパの賃金と雇用のパターンは、アメリカに近づいていくだろう」(Thurow, 1996:267-8)
 また、今日のグローバル化した世界のなかにあっては、EUがいかにブロックとしてその他の世界から閉じたものとなろうとも、もはや資本の逃避を防ぐことはできない。例えば、ドイツの優良企業であるメルセデス・ベンツとBMWは、アメリカに生産拠点を移して、ドイツの年金制度を支える負担を減らす」ことに成功した(Thurow, 1996:171)
 したがって、同じくレスター・サローから、「資本主義と福祉国家の組み合わせがどこよりもうまくいっているように思える」ドイツも、「長期的にみるなら、ヨーロッパの企業は、海外に進出して社会福祉制度の高コストを避けるようにな」るから、「現在の制度を続けていくことはできない」との警告が発せられることになる(Thurow, 1996:412-3)。
 さらに、アメリカのクライスラー社とドイツのダイムラー・ベンツ社が合併し、アメリカのフォード社がスウェーデンのボルボ社を買収するというような資本のグローバル化が進んでいる状況のなかでは、資本の海外逃避もさることながら、アメリカの資本主義がEUのなかに浸透してくるということも考えられる。そうなると、やはり福祉国家における欧州モデルの維持は困難になるかもしれない。」(武川[1999:143-144])

 
 

★31 「…ある保護機関が勝利し、支配的な地位を獲得したとたん、独立人たちは自衛権の行使を抑止されてしまうのだが、この機関の以前からの顧客たちもまた、単に他の保護機関に乗り換える機会のみならず独立人になる機会をも喪失し、保護機関に対する交渉力を失ってしまうことになる。
 このような問題に対処するルートはおそらくただ一つしかない。移住の自由を認めることである。」(『リベラリズムの存在証明』、紀伊國屋書店、一九九九年、二四五頁)*
 稲葉は(『アナーキー・国家・ユートピア』の)ノージック(Robert Nozick)*を引き継ぎ、その先に行こうとしているのだから、ここで興味深く注目すべきは、リバータリアン*にも流れる相当に長い伝統をもつ「契約論」的な議論の組み立て方そのものであり、議論が組み立てられていく時の最初にある(意識されていないかもしれない)前提であり、さらに、そこで論じられることのないこと、組み込まれないことになっているものがあることである。第一節5の論点1について論ずる論文の後半で考察する。

稲葉 振一郎 1999 『リベラリズムの存在証明』,紀伊國屋書店

 「…ある保護機関が勝利し、支配的な地位を獲得したとたん、独立人たちは自衛権の行使を抑止されてしまうのだが、この機関の以前からの顧客たちもまた、単に他の保護機関に乗り換える機会のみならず独立人になる機会をも喪失し、保護機関に対する交渉力を失ってしまうことになる。
 このような問題に対処するルートはおそらくただ一つしかない。移住の自由を認めることである。それに大きな困難はないであろう。移住の自由自体は自然権の中に含まれている。支配的保護機関の顧客は顧客であることを止める権利は保持している。ただし、それが支配的なものである限りにおいて、その支配する領域内では、たとえ顧客であることをやめて独立人となったとしても、その自衛権(p.245)の行使を抑止されてしまう。しかし、彼ないし彼女にはその支配領域から去って、他の地域の、別の支配的保護機関の顧客となるという選択肢は残されている。この移住の権利を支配的保護機関が侵犯する可能性は、他の支配的保護機関が存在し、それらが互いに保護サービス消費者たちをめぐってなお競争しあっている、という状況が成立していれば抑制されうるであろう。
 以上の考察の結論としては、ノージックの主張とは異なり、厳密な意味で最小国家は「見えざる手」過程によって形成されうることになる。もし仮に自力救済の禁止への賠償が保護サービスの提供によってよくなされうるのだとしたら、それは誰の権利も侵害することのない過程であると言える。ただしそのためには、複数の国家の併存と個人の移住の自由が前提となっていなけばなならない。国家が複数あることの正当性の弁証がこのような形で出てきたことは、私にとってはいささか驚くべきことであった。」
 (稲葉[1999:245-246])

 


★32 註(6)にあげた論文「未知による連帯の限界――遺伝子検査と保険」でこのことに関説している。医療に関わる費用の大きな部分が私的な保険から支払われている――だから保険における遺伝子差別等が真剣に論じられざるをえない――米国等では、医療を必要とする人を保険から排除しないでおこうとすればこのように対応するしかない。

 


★33 例えば明らかに財政について構造的な格差がある場合に、財政面での独立も含めた「地方分権」がどのように好ましいのか、私にはわからない。
 徴収と分配は(さしあたり、というのは本節に述べたように国境に関わる構造的な限界があるからだが)国家に、それを用いた生活はその当人が選んだ供給者による供給を受ける、という機構については、註(7)であげた「私が決め、社会が支える、のを当事者が支える」、註(5)であげた「分配する最小国家の可能性について」等で述べている。註(39)もこのことに関連する。
 このように拡張し、大きな単位をとってしまったら、負担・贈与の動機を調達するのが困難になるのではないかという疑問があるだろう。人は遠いところにいる人、自分と無縁だと思う人に対する分配に応ずるのか、その気になれるのかという問題である。この「距離」をめぐる問題については、註(18)に記した『現代思想』掲載の論文でも少し考えてみる。またローティ(Richard Rorty)*の講演「人権、理性、感情」(『人権について――オックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ』、みすず書房、一九九八年、原著の出版は一九九三年)等も、考えるための材料を与えてくれる。


共同体主義 communitarianism

 


★34 コストの支払いが個人に帰され、困難を背負ったままその人が労働を売りに市場に行くとしよう。そこでは(その「原因」がなんであるかには関係なく)どれだけ求めに応じて働くことができるかか問題であり、それができる度合いを「能力」と呼ぶなら、その人は能力において劣っているとされ、その労働を買ってもらえないか、安くされる。家事・育児のために雇用主の求めに他の人に比べてよく応じることができない人も同様である。
 


★35 このことについて、右の註に記したことも合わせて、考えられるべきことが考えられてこなかったのは不思議だと私は思う。『私的所有論』第8章註2(三六七−三六八頁)で「学歴主義」と「労働市場における女性差別」についてごく簡単にふれ、さらに註(5)(27)であげた「停滞する資本主義のために――の準備」の前半で「学歴主義」についてもう少し検討している。

 
 

★36 労働の場における女性差別を説明するのに持ち出される「二重労働市場」説は、この点をよく説明していないのではないか。立岩「労働の購入者は性差別から利益を得ていない」(『Sociology Today』五号、一九九四年)*に関連した記述がある。ただ本文に述べたことをもう一度女性にあてはめて考えてみた時、さらに考えるべきことがあるように今は考えている。
◆立岩 199412 「労働の購入者は性差別から利益を得ていない」
 『Sociology Today』5号,pp.46-56(1994年12月) 40枚

 
 

★37 これは人口の絶対数に対する関心にも結びつく。例えば技術開発の速度は、人間の数とそれを背景とする競争の密度に関連するのかもしれず、この場面で「国力」の優位を保とうとすれば、人間の数は関心事になりうる。人間の絶対数の増加は人類の進化を加速する(ここでは国民の数の増加は国力を増強する)という遠大な話であり、ほとんど冗談のようにも思われるが、「活力」のことを心配する人たちが言うことの中にはこうした部分がある。

 
 

★38 例えば「いまの日本」がこのようにあるのは、戦後ずっとこうやって切り詰めてがんばってやってきたからだ、という言い方がなされる。しかしそのようにことは単純だろうか。「開発独裁」がかえって有効でない可能性もある。セン(Amartya Sen)*ならそのように言うだろう。しかし私が問題にしたいのは、開発独裁が開発のために有効であってしまう場面が仮にあるとして、しかしそれをどこまでどのように現実的に拒絶できるかということである。
 もちろん、資金が現実に投下されるのが実際に成長部門であるかどうか、成長部門とされるところにまわる費用がどの程度実際に有効に使われているかどうかはおおいに疑わしい。予算配分をめぐるさまざまな利害集団が存在し、集票力等々とのかねあいで予算配分は決まるからである。こうして政治が関係してくる場合にはより事態は複雑になる。政府予算の使い方がこれでよいと思っている人は誰一人いないのだが、ではどのような使い方が望ましいかについてはどうかといえば様々だ。もちろん、どのような場にいて、どのような利害のもとに生きているか、様々だからである。例えば田舎で暮らしている人と、都会で暮らしている人とは欲しいもの不要なものが違う。だからなおさら、原則的にどう考えるのかが大切なのだと考える。政治という領域は何をすべきであり、何はしなくてよいのか、何はすべきでないのか、最初から考えてみたらよいと思う(第一節5の論点5)。『私的所有論』三四六−三四七頁で少しばかりこのことについて述べた。考えだすとずいぶんたくさんのことを考えないとならないことがわかる。それを考えるのはこれからの仕事になる。

Sen, Amartya

 
 

★39 註(33)にも関連したことを記した。他に、『NPOが変える!?――非営利組織の社会学』という報告書(千葉大学文学部社会学研究室、一九九六年)*に「組織にお金を出す前に個人に出すという選択肢がある」*という短文を書いたことがある。
 「例えばODAについて,その国の政府を支援することの弊害が言われ、NGO、NPOに対する援助の方が適切であると言われる。その通りかもしれない。しかし、それよりなおその国に住む人に直接渡したらよいのではないか。「そうはいかない。この分野のためにお金を出しているのだから、そのためにお金が使われないと困る。」その通りである。「彼らはそのお金を有効に使うことができないだろう。」その通りかもしれない。しかし、…」
 「ばらまき」というあらかじめ否定的な意味が付与された曖昧な言葉で括られてしまったりもするいくつかのことが慎重に考えられてよい。

◆立岩 1996 「組織にお金を出す前に個人に出すという選択肢がある」
 『NPOが変える!? ―非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』
 第4章追記,pp.89-90(19960229)08枚
 千葉大学文学部社会学研究室,1996年3月,千葉大学文学部社会学研究室&日本フィランソロピー協会,1500円

 
 

★40 分配を行ってしまったら、分配をされる側は依存してしまい、自力でなにごとかをなすことがなされなくなってしまう。それは停滞をもたらすという主張がまったく古典的なもので、根強く存在する。これは第二節でふれ、そして主題的には別途検討しようと思う「動機」の問題である。そして、福祉国家であれば国家内で起こるとされることが、国境を越えて存在することになるだろうというのである。
 あるものから自分が益が得られ、損害は自分に及ぶなら、益が得られ、損をしないようにうまくそれを管理するだろう。「共有地の悲劇」という議論を『私的所有論』第2章3節3で検討したのだが、それはこのことを言い、それによって私有や国境を正当化しようとする。前段は外れてはいない。しかし間違えてならないのは、それは所有に関わる現状の境界線を正当化することには一切ならないということである。例えば土地を均等に分配しても、同様に一人一人はその土地の面倒をよくみて、うまく生産し保全するかもしれない。「農地改革」は否定されないのであり、同様に、既存の国境に関わる不均等もなんら正当化されない。
 次に、私有権という語はもっと狭く、それを作り出した側にそれがもたらす利益を取得する権利のことを言う。この場合には、「共有地の悲劇」の場合とは異なり、所有の範囲は定められることになる。そして、作り出すこと、働くことを促す意味において、この線引きはたしかに有効であることがある。しかし他の正当化の理由を検討し、その妥当性を認めることができないなら、作り出す側、開発する側に利益を帰属させることが認められるのは、それによって作り出すこと、開発すること(が望ましいとして、それを)促すことができる場合のあることだけによるのだと、『私的所有論』第2章・第8章で述べた。だから、時に私有が有効であることを否定する必要はないが、このようにしか言えないということはすなわち、何が必要であり有効であるのか、それはどのような所有の形態によって実現されやすいのかという観点から判断されるべきことを意味する。このあり方が他と比較してどの程度望ましいか。
 それに国境のあり方が関わる。多くは個人や企業がその権利の主体として指定されるが、国境はそれを囲い、その内外の成員に利益の不均衡が帰結することがある。また国家そのものが、作り出し、そこから得られる利益を得、他が利益を得ることを排除する主体となることもある。作り出すこと、開発することにおいて、そしてそれが望ましいとして、競争がより効果的であるのかまた協調が効果的であるのか。もちろんそれは、場合によるということになろうが、例えば大きな費用を伴いながら利益を共有することのできる場合には後者の方が望ましいことがあるだろう。
 池内了が「エイズが問う「政治の良心」――南ア特許法に米が反発」という見出しの文章(『朝日新聞』一九九九年八月六日、科学をよむ)*で、性殖年齢にある成人の二二%がHIVに感染している(一九九八年春)南アフリカ共和国が、エイズ治療薬の安価な供給をはかるために一九九七年に制定した、いわゆる「コンパルソリー・ライセンス」法――厚生大臣が国内の製薬会社に対し、特許使用の権利取得に一定の特許料を払うだけで、より安価なエイズ治療薬を生産する免許を与える(他国の製薬会社が安価な薬を提供できる場合は、それを自由に輸入することを許可する条項もある)――をエイズ治療の特許を持つ国際的製薬会社と米国政府が非難していることを紹介し批判している。具体的にはこうした事態のことが想定されている。また、立岩「遺伝子の技術と社会――限界が示す問いと可能性が開く問い」(『科学』八〇〇号記念特集号:いま、科学の何が問われているのか、一九九九年三月)の後半で遺伝子に関わる「発見」の所有権について少し述べたのも、このような視点からである。
 また「地球税(グローバル・タックス)」等についての言及が、註(17)にあげた広井良典の著書の第三章4「地球化時代の福祉国家」の中にある。

●「共有地の悲劇」

◆立岩

 「……
 けれども、以上は所有の割り当てそのものを指示しないし、現在の割り当てを正当化するものでもない。財が誰かの(・・・)ものであった方がよいということは言える(言える場合がある)としても、誰の(・・)ものであった方がよいのかということは言わない。例えば土地のどの部分に各人が労働を加えてよいのかを言わない(別言すれば、土地をどのように私的に分割しても有効であるということだけが言える)。このことが見えにくいのは私的所有に共有を対置させるからである。実際にこの社会にあり、この章で検討してきたのは、正しくは特定の私的所有の体制、自己の生産物の自己所有の体制である。「共有地の悲劇」論は、各自の手持ちの資源でやりくりせよという主張、個々人について言うだけでなく、各国がその国の内部で資源の問題、環境の問題を処理するようにという主張につながった。しかしこの論は、国境による線引きと固定化、(移民を受け入れないこと、援助しないこと…)すなわち既得権益の固定化を正当化できるものではない。」(立岩『私的所有論』

◆Hardin, Gerrett 1968 "The Tragedy of Commons", Science 162:1243-1248→1991 Schrader-Frechette ed.[1991]=1993 桜井徹訳、「共有地の悲劇」,Schrader-Frechette ed.[1991=1993:445-470]
◆――――― 1972 Exploring New Ethics for Survival : The Voyage of the Spaceship 'Beagle', Viking Press=1975 松井巻之助訳、『地球に生きる倫理――宇宙船ビーグル号の旅から』,佑学社、290p.(Hardin[1968]を再録)
◆――――― 1974 "Living on a Lifeboat", Bioscience 24(October):561-568
◆――――― 1977 The Limits of Altruism : An Ecologist's View of Survival, Indiana Univ. Press=1983 竹内靖雄訳、『サバイバル・ストラテジー』
思索社、208p.
◆Hardin, Gerret ed. 1964 Population, Evolution, and Birth Control, Freeman

HIV/AIDSと国境
 *以下のような内容が含まれています。
◇池内 了 1999
◇立岩 1999/03/01「遺伝子の技術と社会――限界が示す問いと可能性が開く問い」
 『科学』1999-03(‘科学’800号記念特集号(いま,科学の何が問われているのか)
 ※『科学』のホームページ http://www.iwanami.co.jp/kagaku/
◇20010305 国民の健康か、特許権か エイズ薬めぐり南アで審理
 共同通信ニュース速報
◇……

 


★41 「停滞する資本主義のために――の準備」。註(5)(27)(35)でもあげた。ただその議論自体はかなりおおざっぱなものである。
 


★42 優生学が戦時のもの、ナチスのもの(だけ)であるという偏見の除去については、国内の研究者では米本昌平*や市野川容孝*、そして松原洋子*らの貢献が大きい。そうした作業をふまえ、米本昌平はすでに一九八六年、「優生学的強迫から老トピアへ」という主張をしている(副題は「優生社会への危険とは何か」、『中央公論』一〇一巻一三号、一九八六年一二月、一七六−一八九頁)。

米本 昌平
松原 洋子
市野川 容孝

 

■+α

■ 医療資源

「生活習慣病における医療介入の妥当性」
古政孝明(静岡市立静岡病院) 19991128
日本生命倫理学会
 「…このようなパターナリズムは正当化されるであろうか。…慢性疾患における介入は”強いパターナリズム”に拠るしかないと思われるが、患者の自律尊重の原理を前にしてそれはいかにして正当化できるか。そのひとつの解決策は医療経済学的観点の導入にあるのではないか。日本の糖尿病医療費は年々増加の一途をたどっており、1994年には一般診療医療費の4.1%となっており、その伸び性は論をまたないと思われる。ここに成人病医療における医療介入の正当性をもとめうるのではないか。」

 『日本生命倫理学会第11回年次大会プログラム・予稿集』p.52

 この報告は、患者に対する意識調査をして、それで過半数の患者がそうしたことも大切だと回答したことをもって、「正当性をもとめうる」としていた(立岩)


■ 福祉国家と雇用について

◆都留

 「……労働時間を適当に調節しさえすれば,完全雇用をそこなうこともなく,また生産性の変化しだいでは,一人当たり生産物が減らないようにすることもできるはずだ。……
 このように考えることができるとすれば,雇用問題なるものは存在しないこととなる。にもかかわらず,雇用問題が深刻視されるのは,なぜであろうか。それは,一口で言えば,労働時間の(p.131)短縮が資本の利潤獲得に不利にはたらくため,労働力の需給調節が必要となったようなときには,時間(・・)で調節しないで,頭数(・・)で調節する方式がとられるからである。」
(都留 pp.131-132)

◆武川

 「第1は、労働力の供給制限を行なって、労働市場の需給調整を行なおうとするものである。……
 第2は、公共部門が雇用創出をすることによって、労働市場の需給調整を行なおうとするものである。……(p.266)
 第3は、民間サービス部門における賃金水準の調整を通じて、労働市場の需給調整を行なおうとするものである。……
 さらに、この他の戦略を考えることもできるだろう。
 例えば、第1に、市場とも国家とも異なる部門において雇用創出を行なうことができるならば、失業の問題は回避することができる。……
 また、第2に、福祉国家が完全雇用へのコミットを放棄してしまえば、そもそもこうした問題は発生しない。」(武川[1997:266-267])

社会福祉基礎構造改革


 
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■文献

◆安積純子・尾中文哉・岡原正幸・立岩真也 1995 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補改訂版』、藤原書店
◆Barry, Norman 1986 On Classical Liberalism and Libertarianism, Macmillan=1990 足立幸男監訳,『自由の正当性――古典的自由主義とリバタニアニズム』,木鐸社,272p. <59>
◆Berlin, Isaih 1969 Four Essays on Liberty, Oxford Univ. Press=1971 小川晃一他・小川圭・福田歓一・生松敬三訳,『自由論』,みすず書房 <100>
◆Boaz, David 1977 Libertalianism : A Primer by David Boaz Free Press, New York=19981107 副島隆彦訳,『リバータリアニズム入門――現代アメリカの<民衆の保守思想>』,洋泉社,398p. 2800
◆千葉大学文学部社会学研究室 1996 『NPOが変える!?――非営利組織の社会学』、千葉大学文学部社会学研究室&日本フィランソロピー協会、366p.
◆Connolly, William E. 1991 Identity/Difference : Democratic Negotiations of Political Paradox Cornell University Press=1998 杉田敦・齋藤純一・権左武志訳、『アイデンティティ/差異――他者性の政治』、岩波書店、421p.
Dworkin, Ronald 1977 Taking Rights Seriously, Harvard Univ. Press=1986 木下毅・小林公訳,『権利論』(第2章〜第9章の翻訳),木鐸社,357p.
◆―――――  1990 Foundations of Liberal Equality, Turner Lectures on Human Values, volume 2, Salt Lake City University of Utah Press, pp.1-119
◆―――――  199406 Life's Dominion Vintage Books=19980620 水谷英夫・小島妙子訳,『ライフズ・ドミニオン――中絶と尊厳死そして個人の自由』,信山社,発売:大学図書,450+14p. 6400
◆遠藤 かおり 1998 「自己を保証するエンタイトルメント――シティズンシップ再編の鍵として」、日本社会学会報告
◆Friedman, Milton ; Friedman, Rose 1980 Free to Choose : A Personal Statement, Harcourt Brace Javanovich=1980 西山千明訳,『選択の自由』,日本経済新聞社,518p.
◆藤村 正之 19990224 『福祉国家の再編成』,東京大学出版会,267p.,4600+税
◆Gray, John 1980 On Negative and Positive Liberty, Political Studies 28:507-526→1984 Pelczynski ; Gray eds.[1984]=1987 飯島昇藏訳,「バーリン」,Pelczynski ; Gray eds.[1984=1987:393-426]
◆Gray, John 1986 Liberalism Open Univ. Press=1991 藤原保信・輪島達郎訳,
『自由主義』,昭和堂,169p. 
◆Gray, John 1998 False Dawn, Granta Publcations=1999? 石塚雅彦訳,『グローバリズムという妄想』,日本経済新聞社,324p.
◆Gutmann, Amy ed. 1994 Multiculturalism: Examining the Politics of Recognition Princeton University Press=19961018 佐々木毅・辻康夫・向山恭一訳、『マルチカルチュラリズム』、岩波書店、240+3p. 2600
◆Habermas, Jurgen 1994 「民主的立憲国家における承認への闘争」 Gutmann ed.[1994=1996:155-210]
◆Hardin, Gerrett 1968 "The Tragedy of Commons", Science 162:1243-1248→1991 Schrader-Frechette ed.[1991]=1993 桜井徹訳、「共有地の悲劇」,Schrader-Frechette ed.[1991=1993:445-470]
◆――――― 1972 Exploring New Ethics for Survival : The Voyage of the Spaceship 'Beagle', Viking Press=1975 松井巻之助訳、『地球に生きる倫理――宇宙船ビーグル号の旅から』,佑学社、290p.(Hardin[1968]を再録)
◆――――― 1974 "Living on a Lifeboat", Bioscience 24(October):561-568
◆――――― 1977 The Limits of Altruism : An Ecologist's View of Survival, Indiana Univ. Press=1983 竹内靖雄訳、『サバイバル・ストラテジー』
思索社、208p.
◆Hardin, Gerret ed. 1964 Population, Evolution, and Birth Control, Freeman
◆橋本 努 19941210 『自由の論法――ポパー・ミーゼス・ハイエク』 創文社,現代自由学芸叢書,272+32p. 4200 ※
◆Hill, Thomas E.  1991 "The Message of Afirmative Action" in his Autonomy and Self-respect(「科学技術の発達と現代社会II」企画運営委員会編[1995:52-58]に木阪貴行の紹介「優先措置のメッセージ」)
広井 良典 1999 『日本の社会保障』,岩波新書新赤598,214+4p. 660
◆廣松 渉   
◆ヒューマンケア協会地域福祉計画策定委員会 1994 『ニード中心の社会政策――自立生活センターが提唱する福祉の構造改革』、ヒューマンケア協会
◆ヒューマンケア協会ケアマネジメント研究委員会 1998 『障害当事者が提案する地域ケアシステム――英国コミュニティケアへの当事者の挑戦』、ヒューマンケア協会・日本財団
◆ホーン・川島 瑶子 1985 『女子労働と労働市場構造の分析』 日本経済評論社、151p.
◆市野川 容孝・立岩真也 1998 「障害者運動から見えてくるもの」(対談)、『現代思想』26-2(1998-2):258-285
◆伊田 広行  1994 『性差別と資本制』、啓文社
◆―――――  1998a 『21世紀労働論――規制緩和へのジェンダー的対抗』、青木書店
◆―――――  1998b 『シングル単位の社会論――ジェンダー・フリーな社会へ』、世界思想社
◆Ignatieff, Michael 1984 The Needs of Stranger, Chatto and Windus, 1984;Penguin Books, 1994;Vintage =1999 添谷育志・金田耕一訳、『ニーズ・オブ・ストレンジャーズ』、風行社、263+ivp.
◆―――――  1993 Blood and Belonging : Journeys into New Nationalism=19960325 幸田敦子訳、『民族はなぜ殺しあうのか――新ナショナリズム6つの旅』,河出書房新社、363p. 3700
◆稲葉 振一郎 1999 『リベラリズムの存在証明』,紀伊國屋書店
◆井上 達夫  
◆石山 文彦  1987 「「逆差別論争」と平等の概念」、森際・桂木編[1987:291-326]
◆岩田 正美・上野谷 加代子・藤村 正之 19990330
 『ウェルビーイングタウン 社会福祉入門』,有斐閣,266p.
◆梶田 孝道 19930225 『新しい民族問題』 中公新書1116、290p. 820
◆川口 弘・川上 則道 19890901 『高齢化社会は本当に危機か』、あけび書房、278p. 2000
◆川本 隆史 19970410 『ロールズ』 講談社,310p. 2524 ※
◆Lloyd, W. F. 1833 Two Lectures on the Checks to Population, Oxford Univ. Press→1964 in part Hardin ed.[1964]
◆MacIntyre, A., 1981 After Virtue, G. Duckworth & Co. Ltd. [1981].(邦訳『美徳なき時代』(篠崎 榮訳)、みすず書房、1993)
◆正村 公宏 19891210 『福祉社会論』 創文社,現代経済学選書3,313p. 3500 ※
◆Mishra, Ramesh 1990 The Welfare State in Capitalist Society : Policies of Retrenchment and Maintenace in Europe, North America and Australia Harvester Wheatsheaf=19950420 丸谷■史・安藤康士・河内朗・小嶋智明・山本香訳,『福祉国家と資本主義――福祉国家再生への視点』,晃洋書房,167p. 2100
見田 宗介  1996 『現代社会の理論――情報化・消費化社会の現在と未来』,岩波新書
◆森村 進   1994 「訳者あとがき」,Wolff[1991=1994:257-307] <58>
◆―――――  1997 『ロック所有論の再生』,有斐閣,一橋大学法学部研究叢書,290p. <57>
◆Mouffe, Chantal 1993 The Return of the Political Verso=19980420 千葉眞・土井美徳・田中智彦・山田竜作訳、『政治的なるものの再興』、日本経済評論社、327p. 2800
◆中野 剛充 1997 「チャールズ・テイラーの「近代−自己−共同体」論」
 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻修士論文
◆中野 剛充 1998 「共和主義における「哲学」と「政治」」
 『相関社会科学』07:117-121
◆中野 剛充 1998 「チャールズ・テイラーにおける自己」
 『ソシオロゴス』22:061-079
◆中野 剛充 19990303 「チャールズ・テイラーの政治哲学――近代・多元主義的コミュニタリアニズムの可能性――近代・多元主義的コミュニタリアニズムの可能性」
 『相関社会科学』08:049-068
◆西尾 幹二  19901020 『自由の悲劇――未来に何があるか』 講談社現代新書1024、241p. 600
◆野口 悠紀雄 19820730 『公共経済学』、日本評論社、228p.
◆野口 悠紀雄 19841128 『公共政策』、岩波書店、モダン・エコノミックス12、212p.
◆Nozick,Robert 1974 Anarchy, State, and Utopia, Basic Books=1985,1989 嶋津格訳、『アナーキー・国家・ユートピア』、木鐸社→1992 木鐸社
◆岡本 祐三・八田 達夫・一圓 光弥・木村 陽子・永峰 幸三郎 1996 『福祉は投資である』,日本評論社
◆岡村 圭子  1999 「マルチカルチュラリズムの理念とその矛盾――その理念における『文化的差異』をめぐって」,『年報社会学論集』12:167-178
◆岡野 八代  1999 「シティズンシップ論の再考」、『』
◆岡沢 憲夫・宮本 太郎 編 19970510 『比較福祉国家論――揺らぎとオルタナティブ』 法律文化社,287p. 2800 ※
◆大庭 健 19940421 「普遍主義の文脈」 『近代/反近代』(岩波講座・現代思想14):127-158  ※
◆大川 
◆Pearson, Christopher 1991 Beyond the Welfare State ?, Basil Blackwell=1996 田中浩・神谷直樹訳、『曲がり角にきた福祉国家』、未来社、435p.
◆Pelczynski, Zbigniew ; Gray, John eds. 1984 Conceptions of Liberty in Political Philosophy, London, The Athlone Press=1987 飯島昇藏・千葉眞他訳,『自由論の系譜』,行人社,520+4p.
◆Rawls, John  1971 On Theory of Justice, Harvard Univ. Press=1979 矢島鈞次・篠塚慎吾・渡辺茂訳,『正義論』,紀伊國屋書店,482p.
◆Rorty, R. 1991 "The Priority of Democracy to Philosophy", Philosophical Papers I, Cambridge University Press, 175-196.(邦訳「哲学に対する民主主義の優先」、『連帯と自由の哲学』(富田恭彦訳)、岩波書店、1988、163-216頁)
◆―――――  1993 in Stephen Shute and Susan Hurley eds. On Human Rights: The Oxford Amnesty Lectures 1993, Basic Books. =1998 「人権、理性、感情」,『人権について――オックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ』,みすず書房,pp.137-165
◆Sandel, M. 1982 Liberalism and the Limits of Justice, Cambridge University Press=1992 菊池理夫訳、『自由主義と正義の限界』三嶺書房
◆―――――  1984 "The Procedual Republic and the Unencumbered Self", Political Theory, vol. 12, [1984], 81-96.(※)
◆―――――  1989 "Moral Argument and Liberal Toleration: Abortion and Homosexuality", California Law Review, vol.77, no.3 (May 1989): 521-538.
◆島田 晴雄・清家 篤 1992 『仕事と暮らしの経済学』,岩波書店
◆清水 幾太郎 19501021 『愛国心』 岩波新書青027、166p. 価格? 200
◆Schrader-Frechette, K. S. 1991a ""Frontier Ethics" and "Lifeboat Ethics""
◆Schrader-Frechette ed.[1991]=1993 浜岡剛訳、「フロンティア (カウボーイ)倫理」と「救命ボート倫理」、Schrader-Frechette ed.[1991=1993:54-80]
◆――――― 1991b ""Spaceship Ethics"", Schrader-Frechette ed.[1991]=1993 伊藤徹訳、「宇宙船倫理」、Schrader-Frechette ed.[1991=1993:81-100]
◆Schrader-Frechette, K. S. ed. 1991 Environmental Ethics, 2nd ed., Boxwood Press, (1st ed. 1981)=1993 京都生命倫理研究会訳、『環境の倫理』、晃洋書房、上・下 683p.
◆Sen, Amartya 1970 "The Impossibility of a Paretian Liberal", Journal of Political Economy 78→1982 Sen[1982:285-290]=1989 「パレート派リベラルの不可能性」,Sen[1982=1989:1-14]
◆―――――  1973 On Economic Inquality, Oxford Univ. Press=1977 杉山武彦訳,『不平等の経済理論』,日本経済新聞社 <64>
◆―――――  1976 "Liberty, Unanimity and Rights", Economica 43→1982 Sen[1982:291-326]=1989 「自由・全員一致・権利」,Sen[1982=1989:36-119] <63>
◆―――――  1982 Choice, Welfare and Measurement, Basil Blackwell=1989 大庭健・川本隆史訳,『合理的な愚か者――経済学=倫理学的探究』(6本の論文を訳出),勁草書房,295+10p.
◆高濱 俊幸  19990705 「自由概念をめぐる戦略」,『思想』901(1999-07):137-156
武川 正吾  1997 「福祉国家の行方」,岡沢・宮本編[1997:250-275]
◆武川 正吾  1999 『福祉社会の社会政策――続・福祉国家と市民社会』,法律文化社、228+4p. 2500
◆武川 正吾  19991126 『社会政策のなかの現代――福祉国家と福祉社会』
 東京大学出版会,338p.,4800 ※
◆Taylor, Charles 1985 "Atomism", Philosophy and the Human Science: Philosophical Papers 2, Cambridge University Press, 187-210.
◆Taylor, Charles  1994 「承認をめぐる政治」、Gutmann ed.[1994=1996:037-110]
◆Thurow, Lester 1996 The Future of Capitalism, New York: W. Morrow.=1996 山岡洋一・仁平和夫訳,『資本主義の未来』,TBSブリタニカ
◆Titmuss, Richard 1970 The Gift Relationship : From Human Blood to Social Policy, Allen and Unwin, 1972: Vintage Books
土屋 貴志 1994 「医療資源の配分の倫理」
 『実践哲学研究』17
 http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/jk17/tuchiya.txt
上野千鶴子  1990 『家父長制と資本制――マルクス主義フェミニズムの地平』,岩波書店,341p. 2500 ※/千葉社4831共通

◆Walzer, Michael 1987 Interpretation and Social Criticism Harvard University Press=大川正彦・川本隆史訳、『解釈としての社会批判――暮らしに根ざした批判の流儀』 風行社、発売:開文社出版、168+8p. 2200
◆Walzer, M., 1981 "Philosophy and Democracy", Political Theory, vol. 9, [1981], 379-399.
◆―――――  1990 The Communitarian Critique of Liberalism", Political Theory, vol. 18, 6-23.
◆―――――  1994 「二つの自由主義」、Gutmann ed.[1994=1996:145-152]
◆Wolfe, Christopher ; Hittinger, John 1994 Liberalism at the Crossroads Rowman & Littlefield=19990420 菊池理夫・石川晃司・有賀誠・向山恭一訳,『岐路に立つ自由主義――現代自由主義理論とその批判』,ナカニシヤ出版,297 3400
◆Wolff, Jonathan 1991 Nozick : Property, Justice and Minimal State, Basil Blackwell=1994 森村進・森村たまき訳,『ノージック――所有・正義・最小国家』,勁草書房,307+18p.


立岩

◆立岩 真也  1992 「近代家族の境界――合意は私達の知っている家族を導かない」『社会学評論』42-2:30-44
◆―――――  1994 「夫は妻の家事労働にいくら払うか――家族/市場/国家の境界を考察するための準備―」、『千葉大学文学部人文研究』23:63-121
◆―――――  1995a 「私が決め、社会が支える、のを当事者が支える――介助システム論」、安積他[1995:227-265]
◆―――――  1995b 「自立生活センターの挑戦」、安積他[1995:267-321]
◆―――――  1996 「組織にお金を出す前に個人に出すという選択肢がある」、千葉大学文学部社会学研究室[1996:89-90]
◆―――――  1997a 「「ケア」をどこに位置させるか」、『家族問題研究』22:2-14
◆―――――  1997b 『私的所有論』、勁草書房
◆―――――  1998a 「空虚な〜堅い〜緩い・自己決定」、『現代思想』26-7(1998-7):57-75→『弱くある自由へ』に収録
◆―――――  1998b 「未知による連帯の限界――遺伝子検査と保険」『現代思想』26-9(1998-9)::184-197
◆―――――  1998c 「自己決定する自立――なにより、でないが、とても、大切なもの」長瀬修・石川准編『障害学への招待』、明石書店
◆―――――  1999 「遺伝子の技術と社会――限界が示す問いと可能性が開く問い」,『科学』1999-03(800号記念特集号(いま,科学の何が問われているのか)
◆―――――  1999 「専門性と専門職」、進藤雄三・黒田浩一郎編『医療社会学を学ぶ人のために』、世界思想社
◆―――――  1999 「近代/脱近代という正しさ/危うさ」、『保健医療社会学論集』10(日本保健医療社会学会)
◆―――――  2000 「死の決定について」、大庭健・鷲田清一編『所有のエチカ』、ナカニシヤ出版 35枚
◆―――――  2000 「過剰と空白――世話することを巡る言説について」、副田義也・樽川典子編『現代社会と家族政策』、ミネルヴァ書房
◆立岩 真也・成井 正之 1996 「(非政府+非営利)組織=NPO、は何をするか」、千葉大学文学部社会学研究室[1996:48-60]
◆―――――  98/06/14「退屈で冷たい福祉国家について」
 関東社会学会シンポジウム「正義・公共性・市民権――福祉国家のゆくえ」
 抄録集原稿
◆―――――  98/11/23「いらないものがあってしまう」
 日本社会学会シンポジウム「医療・福祉のパラダイム転換と社会学」
◆―――――  98/12/30「分配する最小国家の可能性について」
 『社会学評論』49-3(195)(特集:福祉国家と福祉社会)
 【了:19981110】 65枚

 

■関連する項目

 ◆病・障害があって暮らす&暮らすために(「社会福祉」)

 ◆医療資源の配分
 ◆環境[保護・保全・問題]
 ◆「国民負担率」
 ◆成長
 ◆国家/国境
 ◆雇用
 ◆社会福祉基礎構造改革
 ◆人口・少子化

 ◆リバータリアンlibertarian/リバタリアニズムlibertarianism
 ◆共同体主義 communitarianism
 ◆リベラリズム liberalism 自由主義

 

■関連する人

 ◆稲葉 振一郎
 ◆武川 正吾
 ◆平岡 公一
 ◆広井 良典


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