単一の原語があり単一の経路を通って日本語として定着したとは考えにくい。この語は、輸入されたというより必然的に採用され、同時に、特に欧米の思想上の規定、近代社会の構成原理としての位置づけが懐疑されている語である。
【原語の意味】「自律」autonomy, Autonomie のカント等における意味、J.S.ミルの『自由論』における記述(「自由」の語の他、彼は「独立」independence、自分の身体と精神「に対して主権者である」sovereign overといった表現を用いている)等については既に多く論じられている。近代社会での人間のあり方の基本にある原理とされ、例えば英米のバイオエシックスの議論でも(patient) autonomyは中心的な概念であり、多くは「自律」と訳される。同時に、その社会にあってそれが獲得されない部分にこの言葉は現われる。社会の中で自らの存在と決定を認められてこなかった人々の権利として主張されるのである。このことは、近代社会とこの概念とを直線的に結びつけるべきでないことも示している。self-determinationの語はそれほど頻用されないが、まず「民族自決権」と訳されるright of peoples to self-determinationの語が特に第二次世界大戦後の非植民地化を唱導する語として用いられた。他に、1991年に米国で制定されたThe Patient Self-Determination Act等にこの語は見える。
【翻訳語の意味】医事法学の先駆者・第一人者である唄孝一の1965年の論文(「治療行為における患者の承諾と医師の説明」『契約法大系』補巻、1965年2月、有斐閣→唄『医事法学への歩み』、1970年3月、岩波書店、第1章「医事法の底にあるもの」に再録)の中で、医療行為についての患者のpersonale Selbstbestimmungの訳語として「個人の自己決定権」が使われている。松田道雄の1969年の文章の中には「生き方について、とやかく人から指図してもらいたくない、自分のことは自分できめるというのを、法律のことばで自己決定権というのだそうです」(「基本的人権と医学」『世界』1969年7月号)という文言が見当たる。この原則は法学や判例の中で次第に定着していく。日本語としてわかりやすくもあったのだろう、言葉としてもよく使われるようになる。同時期、米国等では患者の権利のための運動が盛んになり、そこで主張されたpatient autonomyが「患者の自己決定権」と訳されたのだともされるが、この経路だけがあったのではないようだ。
また社会福祉の領域では以前から、クライエントが自分の判断で自らの方針を決めるというケースワーク上の原則として自己決定self-determinationの原則は唱えられていた。ただ、サービス提供者側の倫理原則としてではなく生活する自らのあり方に関わる原則として、とくに障害者の社会運動の中で、決定の主体たるべき人々自身によって主張され出すのは、内容としては1970年代、言葉として多用されるのは1980年代に入ってからになる。また女性の運動でも、例えば1970年代、1980年代の優生保護法改定に対する反対運動で「産む産まないは女が決める」といったスローガンが掲げられるのだが、少なくとも当初、「自己決定(権)」という語自体は見えない。この熟語は少し遅れてやってきて定着する。そして、これらの主張・運動はみな、ある程度相互に独立に世界の各地でほぼ同時に起こっていて、その意味でもこの語を翻訳語とのみ解せるかどうか微妙である。
そしてこの語の日本における位置について注意すべきは、この言葉が旗印として掲げられるのと同時に、時には旗印として掲げ強く主張するその同じ人によって、ためらいや懐疑が表明されていることである。それは、基本的には、自ら決定すること、自らを自らで律すること、律することができることを第一の価値としてよいのかという、カント的な自律概念に投げかけられる問いかけである。具体的な問いとしては、例えば、「死の自己決定」と言って言えなくはない「安楽死」はそのまま肯定されるべきものなのか、自己決定能力が十分でない人の位置はどうなるのか、等。
【文献】山田卓生『私事と自己決定』、日本評論社、1987。http://www.arsvi.comの50音順索引。(立岩真也)
【関連事項】……
【了:19991216・再校20010926】