はじめの三冊は『週刊読書人』(二三一五号、一二月一七日)にあげた三冊と同じ。コメントも同文。
◆エルンスト・クレー『第三帝国と安楽死』(批評社)。もっとも基礎的な文献であり、訳されなければならなかった本。読んだら気が滅入るが、しかし、探して調べて書くことが何ごとかを変えることもあることについての希望も与えられる。
◆マイケル・ウォルツァー『正義の領分――多元性と平等の擁護』(而立書房)。私たちは軽率と評するのにも値しない言葉たちにそろそろほんとうに嫌気がさしてきている。だからこういう本を読む。
◆稲葉振一郎『リベラリズムの存在証明』(紀伊國屋書店)。「おわりに」におけるフーコー論など、とくに英米?の論者たちが大変つまらなくフーコーを批判するのにうんざりしてきた人には、もっともと肯首できる部分もある。けれど、私自身は著者の立論に同意できないところがあるし、全体として成功した本だとは思わない。だから、今いくつかの論点について反論を考え、書こうとしているところだ。だが、この本はこの年一番長い時間読んだ本である。
次の二冊。一冊は、◆ジョセフ・P・シャピロ『哀れみはいらない』(現代書館)。米国での障害者運動の記録。日本語の題だとなんだか少しウェットだが、原題は No Pity。日本では『障害学への招待』(石川准・長瀬修編、明石書店)が出版され、一九九九年はこの国に「障害学」がお目見えした年でもあった。難しさを抱えつつふっ切れた、呑気でありながら厳しい障害者の主張と運動の中に、重要な思想の主題、社会科学の主題がいくつもある。
もう一冊、◆メアリー・オーヘイガン『精神医療ユーザーのめざすもの――欧米のセルフヘルプ活動』(解放出版社)。訳者でありサバイバー=この仕組みの中で/に抗して生き延びる人である長野英子が「偽のオールタナティブ」、「薬」、「苦痛」、「サバイバー運動独自の自覚的な組織論運動論」…について記す「あとがき」から入られるのもよいだろう。
さらに二冊。◆柘植あづみ『文化としての性殖技術――不妊治療にたずさわる医師の語り』(松籟社)。◆坂井律子著『ルポルタージュ出生前診断――生命誕生の現場に何が起きているのか?』(日本放送出版協会)。柘植は医療人類学者。十年ほどかけて行なってきたインタビュー調査の集積を読み説いていく。坂井はNHKのディレクター。TV番組を作る/見ると同時に・別に、本として書かれる/文字を読むことの意味を筆者/読者は思う。つまり本において私たちは、立ち止まることができる。