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遺伝子の技術と社会

立岩 真也
1999/08/25
総合研究大学院大学・湘南レクチャー'99「社会の中の科学」
koryu.soken.ac.jp/home/syonan/syounan99.html



要旨:1999/05/13 400字

 立岩99/03/01「遺伝子の技術と社会――限界が示す問いと可能性が開く問い」
 『科学』1999-03(800号記念特集号(いま,科学の何が問われているのか)
 の冒頭の部分を切り張りして作った手抜きの文章です。御容赦下さい。

科学・技術は分かろうとする・変えようとする営みである。社会は、この営みを推進し加速することがある――それはなぜだろうか―、と同時に、どこまで分かったらよく、変えたらよいものかを考え判断しないとならない。ならば、ものごとのよしあしを判断し処置する方法を定めている倫理や規則があるのだから、それを使えばよいではないか。ところがそう簡単にいかない事情がある。これは科学が今述べた性格をもつことに関わっている。例えば、わからないこと、変えられないことを前提として動いていた社会で、その前提が変更される。他の人が利用できないものについて所有の規則は不要だが、それが利用可能になる。そこで新たに考えないとならなくなる。あるいは、私たちのもっている感覚を再発見し、論理によって言語化する作業が要請される。そこでそれを行ってみる。少なくとも理解すべきは、不安は論理的な必然であり、蒙昧に発するものでないことである。



遺伝(学)…  ◇立岩 真也
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