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いまあらわれてきてしまっていること
立岩 真也
(信州大学医療技術短期大学部) 1998/11/03
自立生活国際フォーラム
分科会2・当事者提供サービスとコミュニティケア
英語版
このフォーラムに参集される方々の活動、4半世紀余の障害者運動を尊敬している一人として、それを讃え、元気のよい話だけをしてもよい。だがここではあえて、勝ち取ってきたものがあり、その意義が重要であるがゆえに、どのように対すべきか頭を絞らないければならない問題もまた生じていることを述べようと思う。
◆@a:絶対的な窮乏状態にあり、とにかく増やせとだけ言っていた状態からある程度脱却したところが出てくる。
→b:一人一人へのサービス量の決定をどうするかという問題が現われてくる。
Aa:福祉の領域への配分が相対的に大きくなる、医療から福祉へのシフトがある程度実現しつつある。
→b:医療サイドが福祉の領域に参入してくる。また新たに福祉の「専門家」(ここでは資格をもっている人の意味)が生まれ、増えてくる。
@aAaともにわるいことではない。ただbの問題が生じる。
そして@bAb→B:(医療の&福祉の)専門家がサービス量、サービス内容の決定に関与しようとする。つまり、要介護認定、ケアマネジメント、ケアマネージャー… 〜この分科会の題の半分「コミュニティケア」。
これをどのようにあしらったらよいかという問題が生ずる。
◆Ba:当事者の主張がまったく無視され続けるという時期が終わり、その意味とその力を認めざるをえないようになる。その一部に、この分科会の題のもう半分である「当事者提供サービス」がある。
しかし
b:それがそのまま制度になる、既存の制度に乗ることにはなかなかならない。この時に、既存のシステムとの関係をどうとるかが現実の問題になる。
&c:いくら当事者であっても、供給サイドにいる時と、利用サイドにいる時と、立場、利害は異なる。当事者が供給するからといってそれが利用者にとってよいものであるとは限らない。
この場合に、どのようなシステムを組んでいくのか。障害者運動は、施設に予算が降り、その使い道を利用者が決められないことを批判した。在宅のサービスについても同様である(「自薦登録ヘルパー」を求める運動等)。ならば、当事者主体の組織であろうと、税金が組織に降りるかたちを、利用者として全面的に肯定はできない。しかし、サービス提供者としては(とりあえず)組織に公的援助が欲しい。さてどうするか。例えば「市町村障害者生活支援事業」についてこのことを考えてみることができるだろう。
※1つめの◆について以下で案が示されている。
◇立岩 真也 1998 「どうやって、英国の轍も踏まず、なんとかやっていけるだろうか」、『季刊福祉労働』79:12-22(特集:ケアマネジメントってなんだ?)
◇ヒューマンケア協会ケアマネジメント研究委員会 1998
『障害者当事者が提案する地域ケアシステム――英国コミュニティケアへの当事者の挑戦』
、ヒューマンケア協会・日本財団、131p.
※様々の制度等については次のホームページをご覧いただきたい。
◇『生命・人間・社会』 1996〜 http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/1.htm
(→変更 『arsvi.com』2003〜
http://www.arsvi.com
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