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「私の死(資料・1)」

立岩 真也(社会学・信州大学医療技術短期大学部) 19980509
日本学術振興会井口記念人間科学振興基金第29回セミナー
「老いることと死ぬこと」 於:箱根・小涌園


 ※この資料はホームページ<生命・人間・社会>(仮題)に掲載され,更新されて
  いきます。「50音順索引」→「安楽死」等で読むことができます。今回省略した
  関連文献表も同様に読むことができます。
    http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/1.htm

■1973 しののめ会※

 しののめ編集部 編 19730315 『強いられる安楽死』
 しののめ発行所,53p. 200円 (東京都身体障害者福祉会館404→COPY)

 ※「しののめ会は,自主的な身体障害者のグループです。季刊の雑誌『しののめ』
   と,単行本による『しののめ叢書』の発行を主な活動にしています。」
  (「あとがき」より)

  一,安楽死の行なわれている事実        3 山北厚
  二,歴史の流れの中で            13 花田春兆
  三,“安楽死”をさせられる立場から     27 山北厚
  四,福祉・社会・人間            39 花田春兆

「ここでとりあげるのは,厳密な意味での安楽死ではありません。
 それは,確実な死が眼前に迫っているわけでも,耐えがたい肉体的苦痛が身をさ
いなんでいるわけでも,本人の死を希望する意志が確かめられたわけでもないから
です。安楽死を肯定しようとする人々でも,正常な神経の持ち主ならば,当然数え
あげる筈の最低の条件を満たしていないことになります。
 ですから,それは,安楽死という名をかりた殺人に違いないのです。[……]」
(p.1「出版にあたって」)

「この冊子でとりあげ問題にしようとしているところの“安楽死”が,社会的ニュ
ースとなり,問題となり出したのは,一九六〇年ごろ世界的に大問題になったサリ
ドマイド奇形児をベルギーの一母親が殺し,それが裁判の結果無罪となった事件と,
同じころ日本でも同様の事件が起ってか(p.4)らのことでしょう。
 先に述べたポリオの大量発生ということとこのサリドマイド児の“安楽死”事件
が一つのきっかけになったのでしょう。重症心身障害児の問題を訴える文が「拝啓・
総理大臣殿」という形で水上勉氏によって書かれ,それと関連して,某雑誌で企画
した石川達三,小林提樹,水上勉の三氏による座談会の席上で,「生命審議会とで
もいうものを設け,その者を生かしておく価値があるかどうかを審議するようにし
たらどうか」というような恐るべき発言がなされたのも当時のことでした。」
(pp.4-5)

「 一九三九年の夏,第二次世界大戦のヨーロッパでの口火となった,ポーランド
進攻のはじまる直前,ある父親が,重複重症のある息子に対して,安楽死を与える
ことを許可するように,との手紙をヒトラーに直(p.21)接親呈しているのです。
ヒトラーは,カールブラント博士に命じて,許可の指示を与えたのです。このこと
は,世論を沸かせました。しかし,戦争を目前にした殺気だった事態の下では,平
常の判断などかき消されてしまうものです。ヒトラーは,この父親の手紙をフルに
活用して,安楽死させることの正当性を国民に向って宣伝するのでした。
(この歴史は決して死んではいない,という気がしてならないのです。昨秋,いわ
ゆる“安楽死”事件が二つ続いたとき,安楽死を法的に認めさせようとし,日本安
楽死協会の設立を目指した動きが,クローズアップされたことがありました。こと
さらに法的に認めさせようとする動きの底に,権力と結びついて,生産力となり得
ないものを抹殺しようとする暗い圧力,となりかねない力を感じないわけにはいか
ないのです。たしかに,それは杞憂と呼べるものかもしれません。しかし,それが
杞憂に終るのだ,という保証はどこにもな(p.22)いのです)

■1960'〜1970' 日本安楽死協会→日本尊厳死協会

 「…私は前から医師として安楽死の実践をしていたのであるが,論文として発表
したのは,有名な名古屋高裁判決の出た翌年の三十八年で,『思想の科学』八月号
の「安楽死の新しい解釈とその立法化」である。日本における論争はすでに昭和の
初期から始まっており,とくに刑法学者の間では肯定論が有力になりつつあったが,
医学関係者は僅かな先覚を除いてはほとんど否定的であった。私はこれに対して積
極論を述べたのであり,臨床医としては最初のものであった。むしろ,おそきに失
した感があったほとである。でも手応えはまったくなく,非難も起こらず無視され
た格好だった。ただ一人旧友の松田道雄から激励のハガキを貰っただけであった。
 ところが十年ほどたつと,安楽死事件が相ついで起こり,それに対して世間の同
情が集まり議論がまたさかんになって,私の論文の転載を求める雑誌や出版社があ
らわれてやっと注目され出した。…」(太田典礼『反骨医師の人生』,p.249)

「日本で安楽死(のちに尊厳死と呼ばれる)法制化の運動を積極的に推進したのは
まず太田典礼だが、彼は一貫して優生断種を擁護している(太田[1967])。さら
に例えば次のような発言。

 「基本的には本人の苦しみですよ。しかし、本人が無意識の場合がありますから
ね。その場合、第三者の見た苦しみを、苦しみとみるかどうかは、これは医者の判
断…。」(対談での発言、太田・渡辺[1972→1974:170])

 「命(植物状態の人間の)を人間とみるかどうか。…弱者で社会が成り立つか。
家族の反社会的な心ですよ。人間としての自覚が不足している。」
(太田、当時日本安楽死協会理事長)
 「不要の生命を抹殺するってことは、社会的不要の生命を抹殺ってことはいいん
じゃないの。それとね、あのナチスのやった虐殺とね、区別しなければ」(和田敏
明、当時協会理事)
(一九七八年一一月一一日、TBSテレビの土曜ドキュメント「ジレンマ」での発
言、清水昭美[1994:213-214][1988:89]に採録――前者と後者の採録の内容は若
干異なる,前者から引用)」
 (「日本で安楽死…」以上,立岩『私的所有論』第4注12,p.168に少し加筆)

 「ナチスではないが,どうも「価値なき生命」いうのはあるような気がする。
[…]私としてははっきした意識があって人権を主張し得るか否か,という点が一
応の境界線だ[…]自分が生きていることが社会の負担になるようになったら,も
はや遠慮すべきではないだろうか。自分で食事もとれず,人工栄養に頼り「生きて
いる」のではなく「生かされている」状態の患者に対しては,もう治療を中止すべ
きだと思う」
(『毎日新聞』1974-3-15,清水昭美[199803:89]に引用)

長谷川泉 編 1974 『現代のエスプリ 特集:安楽死』,至文堂
神奈川大学評論編集専門委員会 編 1994 『医学と戦争』,御茶の水書房,
       神奈川大学評論叢書5,244p. <262>
太田 典礼 1967 『堕胎禁止と優生保護法』 経営者科学協会
――――― 19800227 『反骨医師の人生』 現代評論社,270p. 1400
太田 典礼・渡部 淳一 1972 「安楽死はどこまで許されるのか」,
       『暮らしと健康』27-9→1974 長谷川泉編[1974:168-176] <168>
清水 昭美 1994 「「人間の価値」と現代医療」,
       神奈川大学評論編集専門委員会編[1994:200-233] <168>
――――― 1988 「「安楽死」「尊厳死」に隠されたもの」,
       山口編[1998:79-108]
山口 研一郎 編 1988 『操られる生と死――生命の誕生から終焉まで』,小学館

■1978 「安楽死法制化を阻止する会」の声明に対する反駁声明

「一,「安楽死法制化を阻止する会」の声明は誤解に基づき,理論的根拠がない。
 二,われわれは心情的生命尊重論を排し,かねてより,末期患者の人権を護るた
  めの立法案を作成し,近く成案を発表する。
 三,これは第二回国際安楽死会議の決議によるサンフランシスコ宣言の国際合意
  に基づくものである。
     ちなみに「阻止する会」が指摘する「もし安楽死が法制化されたら云々」
     の懸念は,現に法制化されているアメリカ八州においては,そのような
     事態はなく,根拠のない杞憂にすぎない。
   一九七八年十二月二十日
                          日本安楽死協会」

■太田典礼→法制化を阻止する会

 「法制化を阻止する会
 一九七八年十一月,この名の会が発足した。発起人は武谷三男,野間宏,水上勉,
那須宗一,松田道雄らの文化人五氏とあり,協会はその生命に対して,誤解にもと
づき,理論的根拠がない,という反駁声明を出したように,国際的な動きに目をつ
むる知性の不足がある。そしてアメリカと日本は風土がちがうという古さである。
ヒステリックな生命尊重論やニヒリスト的な見解から,青医連的な発想まであって
まとまっていない。(p.266)
 一番問題なのは文化人という肩書きにあぐらをかいていることである。文化人な
ら何でもできるという思い上りがある。五氏はそれぞれ優れた業績の持主ではある
が,国際的感覚のない連中を文化人といえるかどうか。
 困るのは松田道雄である。私とは古い友人で同じような経歴をもち,かつては安
楽死支持者であった人なのにどうして正反対にまわったのか,私より数年若いはず
なのに老化したのか。同じ道を歩いたものが敵意をもって人間的にも憎しみあうよ
うな関係になったのはまことに心外で,何度も話しあいたいと思ったが,ここまで
ふみ切った以上は面子もあり後へは引けないだろう。残念ながらあきらめざるを得
ない。これも安楽死思想の運命なのか。
 安楽死を強者の論理として攻撃する向きがあるが,安楽死こそ病者という弱者の
ためであり,私個人も昔から弱者の見方として努力して生き,そのために多くの苦
汁をなめた。私を石で打つことのできる文化人はいないはずである。日本の文化の
おくれのせいか,風土か。日本人の大きな欠点は島国根性であり,視野もせまい。
文化人は進歩的な人に多く,そうであってはならないはずなのに,かえって進歩を
くいとめるような反対によく顔を出し,それを誇っているようなところがある。反
対が変革への言動力になる場合が少なくないが,合理化反対のように,革新につな
がるとは限らない。」(19800227 『反骨医師の人生』,pp.266-267)

 日本安楽死協会、日本尊厳死協会の安楽死・尊厳死に関する発言の紹介、批判と
して清水[1994:213-221]。

■日本尊厳死協会:新運動方針(1981年12月)

 「[……]
 三,自殺をすすめたり助けたりしない
 自殺の自由は認める。罪悪視したりしない。健全な精神の持主は見苦しい死を避
 けたい,ボケてなお生きたいとは思わないのだが,自殺は自ら行うことで,第三
 者の手による積極的安楽死と混同してはならない。従って『自殺の手引き』は発
 行しないことに決定した。
 [……]」

■1993 日本尊厳死協会

 「日本尊厳死協会
  故太田典礼氏が提唱した日本尊厳死協会は1976年に設立され,十数年の苦難の
時期を経て死ぬ権利運動がようやく社会に容認されるようになりました。会員は19
90年8月に1万人に達しましたが,その後尊厳死に対する社会的動きと相まって,
その数はうなぎ登りに増えています。1991年末に3万人に達した会員は,1992年末
には5万人の大台に乗りました。
 当協会のアンケート調査では, 93.54%の医師が尊厳死(個人の意志)を認める
医療行為を施してくれています。
 宣言書(リビング・ウィル),入会申込書を求める手紙や電話の問い合わせも多
く,1992年の3月には1万人分以上の資料をお送りするほどでした。
 リビング・ウィルの文面と入会申込書等のお問ん合わせは下記の通りです。」
 (p.254)

 細郷 秀雄 19930208 『わたしは尊厳死を選んだ――ガンに生きた900日』
 講談社,253p. 1700(日本尊厳死協会推薦)より

■1997 加賀乙彦

「この宣言の趣旨は,回復不能の植物状態でいつまでも生きたくないという意思と
ともに,そのような状態でいつまでも生き続けて,医療費や精神的気遣いの負担で
家族や知人を苦しめたくないという気持ちと,自分がふさいでいた病院のベッドを
もっと必要で緊急な病気の人のために早く明けわたしてあげたいという願いが含ま
れている。私は自分の死に方をそのような方向で決定しているのだ。むろん,ここ
でも消極的安楽死や尊厳死に反対という人に私は反対しない。人の死に方は人さま
ざまであって,むしろそのように多様であるほうが人間の自由を守るし,また自然
なあり方であるという私の考えは変わらない。
 こういうリビング・ウィルは自分で文章を作るだけでなく,私の場合は妻や息子
や娘に自分の意思をよく説明し,宣言内容についての承諾を得ている。
 死んだ人間をあとで世話するのは家族や友人である。私は,死ぬときに,家族や
友人に余分な負担をかけたくないのである。」
(加賀乙彦「素晴らしい死を迎えるために」※p.28 ※加賀編[1997:9-38]
 文中の「この宣言」は日本尊厳死協会「尊厳死の宣言書(リビング・ウィル)」
 1976年2月とほとんど同文)

 加賀乙彦 編著 19970227 『素晴らしい死を迎えるために――死のブックガイド』
 太田出版,268p.,1700

■1998 **氏←→立岩

□INET GATE       INU00103 98/04/07 19:27
題名:日本ALS協会**県支部第3回総会:記念

 日本ALS協会**県支部の**です。ご無沙汰しております。
**県のH10年度予算も無事成立し介護人派遣制度が**県にも導入されることに
なりました。これも、先生のご指導の賜物と改めてお礼を申し上げます。
 2800万の予算で、月120時間で55人分と不十分なものではありますが、対
象者の条件については弾力的に運用すると担当課長は説明会で明言しており、スター
トとしてはまず十分に活用する事ではないかと思っております。
 さて、私どもでは5月30日の土曜の午後に第3回総会を開催し3年目の活動へと
歩みを進めようとしております。第3回総会に向けて準備作業を進めてゆく中で、記
念講演は今後の当支部の活動の方向を示唆するものであり最重要項目の一つとして検
討を進めて参りました。そして国の情況や県の姿勢を考慮するときに、ALS患者が
安心して療養出来る環境を実現する上で社会的なインフラストラクチャの更なる整備
が大きな課題であると考え、介護人派遣制度の研究に先進的に取り組んで来られた先
生に介護人派遣制度の現状と問題点、そして今後の進むべき方向についてお話をして
いただこうと意見が一致いたしました。
 誠に勝手かつ無理な願いとは思いますが、お受け下さいますように御願い申し上げ
ます。なお準備の都合上早めにご返事をいただければ幸いでございます。

〇0416
私でよいのでしたら
日本ALS協会**県支部・** 様

☆ 立岩です。メイルいただきました。介護人派遣事業について,私が最適と思い
ませんけれど,私でよいのでしたら,5月30日,うかがわせていただきます。

☆ ついでに。「都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について」という文
章を『仏教』42号(法藏舘,1998年1月,特集:生老病死の哲学)に書きま
した。25枚程度のものです。この中でALSのことに少し触れています。松本茂
さんの文章なども引用させていただいております。
 御興味がありましたら,Eメイルでお送りすることもできます。

☆ では失礼いたします。

□INET GATE INS00100 98/04/15 12:57
題名:Re: 私でよいのでしたら
立岩真也 様

JALSA**の**です。受諾の御返事有り難うございました。

 [……]

> ☆ ついでに。「都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について」という文
> 章を『仏教』42号(法藏舘,1998年1月,特集:生老病死の哲学)に書きま
> した。25枚程度のものです。この中でALSのことに少し触れています。松本茂
> さんの文章なども引用させていただいております。
>  御興味がありましたら,Eメイルでお送りすることもできます。

大変興味深く思います。なぜかと言えば、ALS患者の約7割は呼吸器を着けないで
死んで行きますが、その中には患者自身には知らせないで家族親族と医者が安楽死的
発想で死なせていると思われるケースがあるようだからです。ぜひメールで送って下
さるよう御願いいたします。

〇0416
原稿
JALSA**・** 様

☆ 立岩です。メイルいただきました。どの範囲のお話をすればよいのか(派遣事
業だけの話がよいのか,それとも…),私も考えてみますが,御要望がありました
ら,お寄せください(私は急ぎません)。

☆ 以下,御要望のありました原稿です。とり急ぎ要件のみ。失礼いたします。

都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について 『仏教』42号 [略]

□INET GATE INP00101 98/04/16 13:14
題名:講演の演題について
立岩真也 様

JALSA**・** です。

> ☆ 立岩です。メイルいただきました。どの範囲のお話をすればよいのか(派遣事
> 業だけの話がよいのか,それとも…),私も考えてみますが,御要望がありました
> ら,お寄せください(私は急ぎません)。

「安楽死」の文章を読ませていただきました。先生の論旨は私の常日頃考えているこ
とに、ほぼ一致しております。スー.ロドリゲスの番組も見ました。その中で彼女が
「本当は私は生きていたいのだ。」と語ったことが印象に残っています。またオラン
ダのケースなど未だ死なずとも人生を楽しめる時期に死んでしまったと言う印象を持
っております。欧米では
人工呼吸器を着けて生きるケースが日本より遙かに少ないと言われています。キリス
ト教の倫理と、この事実がどう関係するのか興味深いことです。それはさておき、ス
ーなどに対して周囲から呼吸器を着けて生きることの可能性について、恐らく何も示
されなかったと推察されます。人は好んで死にたがるものではありません。思うに希
望を失ったとき、絶望によって人は死を選択するもののようです。
 さて私はこのように考えますが、表だって安楽死のことを話していただきたいとは
思いません。それは、**の支部会員でも消極的安楽死を選択した遺族・医師がおり
、その人達は重荷を担って生きています。その人たちの傷を暴くよりは如何にしたら
そうしないで済む社会を築けるのかという側面からお話をしていただきたいと思って
います。その主題に入るいわば枕として、先生の安楽死・自殺に対する考え方、そし
て安楽死・自殺を患者・家族・医師に強要している日本の社会の状況について話して
いただければと思っております。
 なお案内状に講演の演題を掲載する都合上、今週中にお知らせいただければ幸いで
す。--

□INET GATE INS00104 98/04/19 23:07
題名:講演の演題について・その2
立岩真也 様

JALSA**・**です。
・土曜のNHK教育の夜9時からの番組で思いがけなく先生のお話を拝聴しました。
時間は十分とは言えませんでしたが先生の問題意識を理解できて貴重でした。
・本日、JALSA**の**さんから、**支部長の奥様が呼吸困難のため死去さ
れたという知らせがありました。奥さんは以前から呼吸器を着けないと決心されてい
たそうです。その決心に同意されていたご主人である支部長は、自分の判断が正しか
ったか今になって悩まれているそうです。またこんな事が繰り返されたかとの思いです。
実は、前のメールを書いてから悩んでいました。やはり先生に「難病患者における自
己決定」と言うテーマで話していただくべきではないかと?
上記二つのことで決心を変えました。前のメールについては撤回いたします。「自己
決定」をキーワードに話をしていただきたいと思います。そして人工呼吸器によって
「新しいALS観」(注)が可能になっているのに社会にとって都合の良い「自己決
定」=自殺を患者・家族・医師に強要している日本の社会通念の身勝手さ、それを助
長している福祉施策の貧しさについて話していただければと思っております。そして
、状況を変えうる一つの可能性としての介護人派遣制度について現状と問題点、今後
の進むべき方向について示していただければと思います。また自己決定のための必要
条件として告知があり、それを受けるのは患者の当然の権利であると思いますが、そ
れを医師と家族が勝手に棚上げしてしまっていることの不条理についても言及してい
ただけたらと思います。

(注)公開シンポジウム「難病の緩和医療の進歩と今後」から
III−1 ALSの告示の問題(呼吸器装着の問題を含めて)
東京都立駒込病院 神経内科医長 林 秀明

ALSの臨床病理学的所見は発症2〜3年で生じる呼吸筋麻痺をターミナルとして確立さ
れ、医師は、「NO-CAUSE(原因不明の疾患),NO-CURE(治療法のない疾患),NO-HO
PE(希望の持てない疾患)」として、病気を家族のみに話し患者自身には知らせない
ようにしてきた。
しかし、ここ20数年の呼吸器装置の実践から呼吸筋麻痺後の長期療養が可能となり、
ALSの呼吸筋麻痺はALSの一つの症状で、病気の一進行過程であり、ターミナルではな
いことが明らかとなった。ALSの呼吸筋麻痺が、即「死」を意味しなくなったので、
呼吸筋の麻痺する前に、患者自身に呼吸器装着の問題を含めて病気を知らせることが
必須となっている。ALSの各筋群麻痺の発症や進行の個人差、早期呼吸筋麻痺の存在
、緊急時呼吸器装着頻度の高さから、ALSの診断が確定した早期に知らせるのがよい。
ALSの告示は呼吸筋麻痺がALSの一つの症状であるという「新しいALS観」で、現在の
症状及びこれから起こりうることが了解できるように話し、ALS患者を慢性進行性で
早晩死に至る不治の患者でなく障害を持った人と考え、人的・経済的・社会的に生活し
ていくのに厳しい現状から、ALS患者が普通の人と同じように生活していけるように
、社会に一員として、皆と、具体的に社会に働きかけていかなければならない現状に
あることを理解してもらうようにしていくことが必要である。そして、単に情報を伝
達するのではなく、情報を共有できる互いに交流しあった関係で行い、新たな状況の
変化に対し患者・家族とその都度一緒に判断できる信頼関係の確立が大切である。
ところで、呼吸筋麻痺がALSのターミナルではなくなった現在、ALSの呼吸器装着の問
題は、ALSそのものの問題から、厳しい障害を持った人の生命を如何に考えるかの問
題に変わってきていることに留意されなければならない。
                                    以上

□INET GATE INR00102 98/04/20 19:06
題名:講演の演題について・その3
立岩真也 様

[…]

第3回日本ALS協会**県支部総会開催のお知らせ

 拝啓 すっかり春めいた陽気となりましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。この
一年間は支部設立以来、県に導入を求めて参りました介護人派遣制度が予算化された
他に、国の施策として呼吸器装着の患者への訪問看護が倍増されるなどを大きな進歩
がありました。次の一歩の方向を見定めるために、下記の要領にて「第3回日本AL
S協会**県支部総会」を開催いたしたく万障お繰り合わせの上ご参加をお願いいた
します。
 […]

■1996 西野辰吉

「この三月十日の″NHKスペシャル″の後に,「朝日新聞」テレビ欄の「はがき
通信」に,こういう記事が載った。
 <安楽死を望むのはエゴイズムだと思う。その人たちにはどんな状態でも生きて
いてと願う肉親はいないのでしょうか。人間は時として他者のためにも苦痛に耐え
て生きねばならないと(p.66)思う。自然に息が絶えるまで>
 これは六十五歳の東京の主婦の投書なのだが,エゴだといいながら,他者のため
に苦痛に耐えろというのが他者のほうのエゴだという矛盾をもっている。
 介護する――患者の死にふかく関わる肉親のなかには,どんな状態でも生きてい
てほしいと願う心情があるだろう。しかしそれは肉親であっても,″死″にとって
は他人なのであって,他者の視線で″死″を見ているのだ。」
(西野辰吉,『安楽 生と死』,三一書房,19960430,pp.66-67)

■Foucault 1979=1987

 「死に方を教えると約束する知恵,またいかに死を想うべきかを語る哲学は,私
を少しいらいらさせる。われわれに「その支度」を教えると主張するものは,私を
無関心なままにする。死は,ひとつひとつ準備し,整え,作り出さなければならな
いものであり,それは生の最も微小な一秒間だけ私のみのために存在する。観る者
のない作品とするために,最もよい要素を見つけ,想像し,選択し,忠告を求め,
加工しなければならないものである。私はよく知っているが,生きている者たちは
自(p.186)殺をめぐって惨めな痕跡,孤独,不器用さ,応えのない訴えしか見な
い。彼らは,自殺についてしていけない唯一の問いだというのに,「なぜ」という
問いを問わずにはいられない。
 「なぜだって? 単に,私が望んだからだ」。[…]
 博愛主義者たちへの忠告がある。本当に自殺の件数が減ることをお望みならば,
十(p.187)分に反省された,平静な,不確実さから解放された意志をもって命を
断つ者しか出ないようにしたまえ。自殺を損ない,惨めな出来事にしてしまう恐れ
のある不幸な人々に自殺を任せてはならないのだ。いずれにせよ,不幸な者の方が,
幸福な者よりも遥かにたくさん存在するのだから。
 ひとがこう言うのは,私には常に奇妙に思われた。すなわち,生と虚無の間にあ
って,死そのものは要するに何でもないのだから,死を恐れるにはあたらないと。
しかしそのわずかなものは,賭けられるべきものではないだろうか? 何事かにす
べきもの,しかも善き何事にすべきものではないだろうか?」(pp.186-18)

 Foucault, Michel 1979 "Un Plasir si simple", Gai Pied 1979
 =19870515 増田一夫訳,「かくも単純な悦び」,『同性愛と生存の美学』,
 哲学書房,197p. 2100 pp.184-190

■Jaccard ; Thevoz 1992=1993

「人間には生きる権利があると同時に,死ぬる権利もある筈です。僕のこんな考え
方は,少しも新しいものでも何でも無く,こんな当り前の,それこそプリミチヴな
事を,ひとはへんにこわがって,あからさまに口に出して言わないだけなんです。
生きて行きたいひとは,どんな事をしても,必ず強く生き抜くべきであり,それは
見事で,人生の栄冠とでもいうものもきっとその辺にあるのでしょうか。しかし,
死ぬことだって,罪ではないと思うんです。」(太宰治『斜陽』第7章,主人公・
直治の,姉宛の遺書の最後の部分,Jaccard ; Thevoz[1992=1993:77]に引用)

「スキンヘッドや,ユダヤ人墓地荒らしや,あからさまな挑発者のネオ・ナチズム
よりも,もっと質[たち]の悪い,もっと恐ろしいネオ・ナチズムがある。それは,
実際は鉤十字をかざしているのと同じなのに,まやかしのヒューニマズムを装った
偽善者たちのネオ・ナチズムで,彼らは,残虐と拷問と死をもらたす懲罰的イデオ
ロギーを守り続けている。
 というのは,再利用されたナチズムというのは,たとえ反面教師としててでも,
その毒は失っていないのだ。記号をプラスからマイナスに変えても,その有害性に
変りはない。ヒューマニズムを自称するナチズムの陰画[ネガ]は,ナチズムその
ものと兄弟のように似ている。ユーバーメンシュ(超人)礼賛をウンターメンシュ
(劣人)礼賛に代えることによって,ま(p.82)た,未来人のモデルとしてのアー
リア人よりも障害者の側に立つことによって,そして,破廉恥な排斥の代りに品位
をけがす長生きを押し付けることによって,「最終的解決」に代わって出産奨励主
義のイデオロギーを採用することによって,驚くほどよく似た結果がもたらされる。
いやおうなく生きるこことを宿命付けられた先天性障害者の地獄,延命治療と瀕死
の病人の苦悩,第三世界の人口過剰。つまり,飢饉と大虐殺だ。このように,ナチ
ズムへの屈伏に対抗するものと見られている,いわゆるヒューマニズムは,倒錯し
た,恥ずべき,邪悪な全体主義にほかならない。」
(Jaccard ; Thevoz[1992=1993:82-83])

「どんな個人にも,自分自身を自由に扱う権利,自ら中毒になる権利,自分に死を
与える権利があるはずだ。ひとが死を選ぶ理由は,本人以外にはかかわりがない。
血液検査が陽性だからかもしれないし,その朝,雨だったからかもしれないのだ。
彼にこの自由を認めてやるために,そのための手段を制限してひどい苦しみを味あ
わせやることを正当化する理由は,どこにもない。」
(Jaccard ; Thevoz[1992=1993:83],上の引用の直後)

 Jaccard, Roland ; Thevoz, Michel 1992 Manifestre pour une mort douce
 Grasset & Fasquelle 
 =19930710 菊地昌美訳,『安らかな死のための宣言』,新評論,186p. 1854

 立岩「都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について」
 『仏教』42 コピー

cf.■「少子・高齢化社会はよい社会」
  (1997信州大学医療技術短期大学部公開講座概要)
                              立岩真也

 出生率が低下している→大変だ,高齢化が進んでいる→大変だ,といった類
いの話がこの世には満ちあふれているのですが,さてそうだろうかと考えてみ
ます。表題はその結論です。詳しくは当日,ですが,例えば…
 地球的な規模で問題になっているのは,むしろ「人口爆発」です。人口の増
加の方が懸念されているのです。他方,この日本という国に人口の減少を心配
する人がいます。この両者はつじつまが合わないのではないでしょうか。人口
の増加は「途上国」の問題だから,日本は別,でしょうか。けれど,もし環境
のことが問題だとすると,「先進国」日本の国民の一人当り消費量・排出量は
少ない国の人に比べると何十倍にもなります。また,ご存知のように日本の人
口密度は世界でもトップクラスで,土地の価格の高さ,住宅の狭さ,一人当り
の公園等の面積の狭さ,交通渋滞,通勤地獄,…等々,解決困難な問題の多く
は一人当りの国土面積に関係するものです。とすると…。
 高齢者の割合が高くなっているのは事実で,これからもっと高くなるのも確
実です。そして,A:高齢者でない人=生活に必要なものを生産する人,B:
高齢者=もう生産しない&生活のために助力をより必要とする人,とすると,
Bの生活を支えるためにAは(介護といった活動を含めて)よりたくさん働か
なければならないということにはなります。
 けれどもまず,これから高齢者の割合がずっと高くなっていくというのは誤
解です。いわゆる「団塊の世代」の人,「ベビーブーム」の時に生まれた人達
は数が多かったわけで,その後は高齢者になる人自体が減っていって,高齢者
の割合はほぼ一定の値に落ち着くでしょう。ですから,これから50年くらいの
間をなんとか乗り切って,うまいやり方を見つけてしまえば後はなんとでもな
ります。今起こっていることは人類史上,ただ1回だけ起こることなのであっ
て,そういう意味では今はとてもおもしろい時代でもあります。
 上のBがおかしい,高齢者=生産しない人&助けを必要とする人,ではない
という言い方もあります。もちろんその通りで,定年のあり方などを考えてい
く必要がでてくるのですが,ここではこの点は置いておきましょう。よく言わ
れることだし,他方では介護等を必要とする人が多くなるのもまた確かなこと
だからです。ここで考えたいのは,それがそんなに大変なことなのか,また,
それに平然と対処できる社会を作れないほどに私達は愚かなのか,です。まず,
生産性が低い時代に人を支える負担とそうでない時代の負担とは同じでない。
だんだん大変になっているということではないのです。税金が増えることを心
配する人もいます。しかし,例えば介護という今までただでやっていた仕事に
税金からお金が出るようになったら,税金を払ったとして損になるでしょうか。
また,社会の「活力」の低下を心配する人もいます。しかし,ここ何十年かこ
の国に満ちていた活力なるものは,そんなに大切なものなのでしょうか。…

cf.■著書/共著書/編書

 (略)

cf.■1997年以降書いたもの&話したこと/書くこと&話すこと

 (略)

cf.■立岩『私的所有論』(勁草書房,1997年9月)の書評・紹介

 (略)



安楽死立岩 真也
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