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『療護施設・グループホーム・一人暮し――脳性マヒ者の3つの生活』

赤塚光子・佐々木葉子・杉原素子・立岩真也・田中晃・名川勝・林裕信・三ツ木任一著,199803,放送大学三ツ木研究室,166p.


はじめに

 この報告書は,療護施設,グル−プホ−ム,一人暮らしと3つの暮らし方をする,脳性まひの障害をもつ主に三〇歳代の人各10人,計30人に行った訪問聞き取り調査をまとめたものである。
 調査は1994年度から1996年度の厚生省心身障害研究,「心身障害児(者)の地域福祉に関する総合的研究」(主任研究者:高松鶴吉)の一環として行われ,表記した8名が携わった(名川は1994年度,立岩は1995・1996年度の調査に参加した)。調査にあたった各メンバーの調査票,原稿をもとに,主に立岩が文章をまとめた。
 第T部では,生活の各領域ごとに3つの暮らし方を比較し,検討する。
 第U部では,以上の検討を踏まえ,障害者の暮らしを支援する社会環境,社会サービスの今後のあり方について提言する。
 第V部には,30人についての聞き取り調査を個人別にまとめる。

  「「二十一世紀を展望した」「二十一世紀に向けての」といった言い回しがよく
  使われています。これまでいくら望んでも実現しなかったあれやこれやが,世紀
  が変わりさえすればすぐにも片がつくような気分にさせてくれますが,毎年,少
  しずつ改善していけばいずれよくなるはず,というこれまでの発想では,二〇三
  〇年,二〇五〇年になっても事態はあまり変わらないのではないでしょうか。ノ
  ーマライゼーションの本来の意味に立ち戻り,入所施設に依存しない障害者福祉
  への大転換を,いつから開始し,いつまでに仕上げるかの決断が,今,問われて
  いるように思われます。」(三ツ木[1997:38])

 メンバーの一人が雑誌の編集後記として記した文章である。この報告書をまとめた今,
他の著者達もまた,同じ思いを抱いている。


    時間のかかる調査,細かな質問に快く応じてくださった方々,
      ありがとうございました。心よりお礼申し上げます。


 目次

 はじめに                                1
 目次                                  2

◇調査の概要                               4
  調査対象/調査方法・調査項目/数値一覧+以下の報告にあたって

      ◆第T部 3つの暮らし――その比較検討◆

 ◇01 経緯(問1)                          9
  療護施設で暮らす人達の場合
  グループホームの居住者・一人暮らしの人達の場合
  居住の場を変えてきた人達/家族との関係(問11)
  当事者組織のもつ意味/いつその暮らしを始めたか・始められるのか
 ◇02 居室(問5)                          15
  療護施設の部屋/「個室化」について
  グループホームとその居室/一人暮らしの部屋
 ◇03 機器(問3)   19
  機器の利用実態/療護施設居住者のハンディキャップ/機器に対する不満
 ◇04 改造(問3)   22
  グループホームにおける改造/一人暮らしの人の場合/
  療護施設における改造
 ◇05 介助(問2)   24
  グループホーム,一人暮らしの人の介助の使い方/
  グループホームの居住者と一人暮らしの人の評価/療護施設での介助
  医療(問8)
 ◇06 生計(問4)   32
  療護施設で/グループホームで/一人暮らしの人の/
  誰に渡り誰が決めているのか
 ◇07 活動(問9・10・11)                      37
  療護施設居住者の活動1・サークル,自治会活動/
  療護施設居住者の活動2・施設の外での活動/
  グループホーム,一人暮らしの人の活動
 ◇08 立地(問6)                          41
  療護施設の立地/グループホームの立地/一人暮らしの人が暮らす場
 ◇09 外出(問13)                          44
  グループホーム,一人暮らしの人の外出/
  療護施設に暮らす人の外出
 ◇10 アクセシビリティ(問16)                    47
 ◇11 近所づきあい(問14)                      48
 ◇12 周囲の人達の受入れ(問13)                   50
 ◇13 障害についての認識(問1)                   51
 ◇14 展望(問7)                          53
  グループホームで暮らす人の展望/療護施設居住者の展望/
  一人暮らしの人の展望/違いについて

      ◆第U部 提言◆

 ◇比較検討のあり方について                      57
 ◇居住の場の今後                           57
  ・療護施設のあり方
  ・療護施設が果たすべき機能を果たすための出ることの支援
  ・障壁を取り除き移行を円滑にする活動の重要性
  ・グループホームについて
 ◇生活の支援のあり方について                     63
  ・供給体制の見直し
  ・政府が供給・整備に直接関与すべき部分
  ・介助サービスのあり方
  ・活動を仕事にすること
  ・当事者組織に対する正当な評価と支援の必要性

      ◆第V部 一人ひとりの暮らし――事例別報告◆

 ◇療護施設の居住者たち                        69
 ◇グループホームの居住者たち                     95
 ◇一人で暮らす人たち                         119

◇注                                  146
◇文献                                 160

■調査の概要

 ◇調査対象

 私達は,療護施設(6ヵ所)に入所している10人,グル−プホ−ム(6ヵ所)に入居している10人に対する訪問調査を1995年度に実施した。また,1996年度には一人暮らしをしている10人に対する訪問調査を行った。★01
 以下,療護施設(6か所)★02をN1〜N6,グループホーム★03(6か所)をG1〜G6,一人暮らしの人をIと表記し,各居住者をN1a,G2b,Icなどと表わす。
 30人の概要は以下の表1の通りである。★04

               表1・30人についての概要
   療 護 施 設 グループホーム    一人暮らし
    性 年 入 居住     性 年 入 居住    性 年 入 居住
N1a 男 39 36    G1a 女 33 28  5年 Ia 女 42 36  6年
N2a        3年 G1b 
N3a          G1c        6  Ib     13
N3b     20    G2a

 療護施設
 男性5人・女性5人 平均年齢37.1歳 平均入居年齢26.1歳 平均居住期間11.0年
 グループホーム
 男性8人・女性2人 平均年齢35.0歳 平均入居年齢29.9歳 平均居住期間 5.1年
 一人暮らし
 男性7人,女性3人 平均年齢36.3歳 平均入居年齢30.3歳 平均居住期間 6.0年

 居住者の身体障害の様子について簡単に記しておく。すべての人に1級の障害がある。療護施設の居住者に他と比較して障害が重い傾向はある(N1a,N2a,N3a,N4a,N4b,N5a,N5bの7人が全介助,またはそれに近い)が,グループホーム入居者にも一人暮らしの人にも,療護施設の居住者と同程度,あるいはそれ以上に障害が重い人がいる(G1c,G2b,G4a,Ijがほぼ全介助)。またG6の入居者は,介助の必要な度合いが他に比べて低い。一人暮らしの人でも,特にIjはほぼ全介助(電動車椅子はあごでコントロールする機器で操作)である。
 言語でのコミュニケーションについては,療護施設居住の1人,N1aが専らトーキングエイド(以前は文字盤)を用いている。またIcもトーキングエイドでコミュニケーションしている。グループホームでは,G1cが聴覚障害があるため,手話,指文字,筆談,文字盤などが必要で,また言語障害もきついため,通じない時には足で文字盤を使う。他にG1a,G1bが文字盤を使うことがある。他の人は,言語障害はあるが,口話でのコミュニケーションが可能である。
 調査対象者の年齢を限定したのは,年齢によって生活体験が異なり,その受け止め方も違うだろうから,その幅をある程度にとどめておいた方が今回の調査の目的にはかなっていること,そして親元での生活,そして施設,グループホームでの生活をある程度の期間へてきた人から回答を得たいと考えたことによる。障害を脳性まひと限定したのも年齢についての前者の理由と同じである。言語によるコミュニケーションが可能な者としたのは,今回のような性格の調査の場合にはそれが必要条件だからである。

 ◇調査方法・調査項目

 対象者の住まいを訪問し生活の実態を知るとともに,調査用紙を使用して聴き取り調査を行った。調査対象者には,事前に質問項目の概要を郵送し,調査内容について予め知らせておいた。各対象者への訪問聴き取り調査は各1名が担当した。
 調査項目は次頁に記した。質問内容は注に記した★05。生活の質と満足度に関する一般的な項目と脳性まひ者の住まい方を分析する上で必要な視点を加味した。
 1件につき要した時間は2〜3時間程度。調査者は質問に対する回答を書き取った。以下では必要に応じ,「」内にその発言内容を記す。発話そのままでないこともあるが,かなり忠実な再録である。
 同時に,各項目について,満足度,自己決定度(以下s,dと略記)について4段階のいずれかを選んでもらった。以下では,得られた結果を0・1・2・3と表記する。また全体の平均値を見る場合など,その値に100/3をかけて100点満点での点数を出して用いることがある。その平均値を表2,表3に記した。
 また全項目の質問が終了した時点で,あらためて満足している上位3項目と不満足上位3項目(表4・5),さらに自分の生活にとって重要だと思う上位3項目をあげてもらった(表6)。
調査項目
1.身体状況(障害があること)‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥*  問1
   室内移動,屋外移動,コミュニケーション
   身辺処理,障害に関する医療
2.介助について
 (1)必要な介助内容,介助者‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥*☆ 問2
 (2)福祉機器,住宅改造‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥*☆ 問3
   導入している機器,導入による改善点,導入時期,費用負担
3.経済的な状況(毎月の収支)‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥*☆ 問4
   主な収入,支出内訳
4.住まい
 (1)住居形態‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥*☆ 問5
   持ち家か借家か,間取り
 (2)住居の周囲の状況(立地条件)‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥*  問6
   近隣の状況,住みやすさ
 (3)これまでの住まいの移り変り‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ☆ 問7
5.健康管理‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥*  問8
 (1)健康管理の状況
   かかりつけの医師,病気になったときの対応
6.労働・仕事‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥*☆ 問9
   1週間単位の日中の活動,年間の活動
7.余暇活動
 (1)定期的に参加している余暇やスポーツのグループ‥‥*☆ 問10
 (2)個人的に行っている余暇活動‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥*☆ 問11
8.家族
 (1)家族構成
 (2)家族関係‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥*  問12
   相談できる人,親との関係,兄弟との関係,親戚との関係
   家族としての役割,キイパーソン
9.外出・交際
 (1)外出・ショッピングでよく出かけるところ‥‥‥‥‥*☆ 問13
 (2)近所との付き合いについて‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥*☆ 問14
 (3)友人との付き合いについて‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥*☆ 問15
10.街での生活
 (1)道路や建物のようす‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥*  問16
 (2)偏見や仲間外れの体験‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥*  問17
 (3)周囲によく受け入れられていると感じた体験

   *:満足度について尋ねた項目 ☆:自己決定度について尋ねた項目

 ◇数値一覧+以下の報告にあたって

          表2・満足度(100点満点に換算)
障害 介 機 収 居 立 変 健 活 余暇 余暇 家 外 近所 友 アク 受
認識 助 器 支 室 地 遷 康 動 団体 個人 族 出 付合 人 セス 入
N 53  30 73 50 33 58 70 63 60< 53 73 60 67 87 27 60
G BR>< 60 67 60 70 53 67 50 50< 50 77 67 63 67 27 67
I 63< 53 57 40 53 87 63 60 60< 77 53 67 53 87 53 77
表3・自己決定度(100点満点に換算)
N 73 83 100 40 50 87 97 100 77 67 100
G 100 87 77 90 93 73 100 100 100 90 100
I 98 93 100 93 100 90 83 97 97 100 100


          表4・満足な項目を3つ(当該項目をあげた人数)
N  2< 2< 1< 0< 1< 1< 3< 1<  4<  0< 2< 4<  0< 5< 0< 0<
G  3< 3 2< 1< 1< 1< 1< 4<  1<  1< 3< 1<  0< 3< 0< 0<
I  3< 3< 0< 1< 1< 3< 0< 4<  1<  0< 2< 2<  0< 7< 0< 0<
計  7< 8< 3< 2< 3< 5< 4< 9<  6<  1< 7< 7< 0< 15< 0< 0<
          表5・不満な項目を3つ(当該項目をあげた人数)
N   3 4< 2< 5< 3< 2< 1< 1<  0<  1< 0< 2<  1< 0< 2< 1<
G   0 2< 2< 7< 2< 1< 0< 1<  1<  2< 2< 0<  1< 1< 6< 0<
I   2 4< 2< 4< 5< 0< 4< 1<  0<  0< 2< 0<  2< 0< 0< 0<
計   5 10< 6< 16< 10< 3< 5< 3<  1<  3< 4< 2< 4< 1< 8< 1<

          表6・重要だと思う項目を3つ(当該項目をあげた人数)
N  0< 4< 1< 4< 2< 1< 3< 1<  0<  3< 0< 1<  1< 5< 0< 1<
G  1< 5< 1< 3< 2< 0< 0< 6<  2<  0< 4< 1< 0< 4< 0< 1<
I  0< 4< 0< 5< 2< 1< 3< 3<  0<  0< 2< 0<  0< 7< 0< 0<
計 1< 13< 2< 12< 6< 2< 6< 10<  2<  3< 6< 2< 1< 16< 0< 2<

 点数化された結果の一覧は前頁の表のとおりである。重要だとした人の多い項目に「友人関係」があり,これについては3者ともおおむね満足度が高い。ついで「収支」を重要としている人が多いが,これについては3者とも不満な項目にあげる人が多く,また満足度も低い。大きな差が見られたのは,「介助」(重要な項目とした人が多く,また満足な項目・不満な項目にあげた人ともに比較的多い)に関する満足と自己決定度,「居住性」についての満足度と自己決定度,入居に至る「プロセス」における自己決定度などであり,いずれもグループホーム,一人暮らしの方が点数が高い。「活動」については,満足度に大きな違いはないが,重要だと考え満足だとした3項目中にあげている人がグループホーム,次いで一人暮らしの人に多い。これだけでも一定の意味はあるだろうが,以下では,さらにインタビュー結果を活かすことで,もう少し立ち入った分析ができたものと思う。
 特に療護施設については,その全体像,平均像がここで描かれるわけではない。そのためにはさらに大規模な調査が必要である。私達は,この調査結果がそのような性格をもっていることを承知した上で,このことについて誤解を招くことがないような,そして私達の調査方法が活かされるようなスタイルの報告書を作成した。私達の調査は限定された範囲のものではあるが,一人一人に対するインタビュー,その記録の作成と検討には時間をかけた。たとえば,調査対象者にひとまず出してもらった点数は,各自,それぞれの場合で意味合いが異なる。語ってもらった内容を報告に再録しながら,満足度や自己決定度の点数の持つ意味について検討を加え,それを報告書に盛るようにした。
 また以下では,すべての項目を均等に扱うのではなく,3つの生活の形の特徴,3者の間の差異が見られる項目に重点をおいて報告する。また,記述の順序も質問項目の順序と同じではない。まず入居者の入居の経緯を概観する。次にハードウェアとしての居住空間,そして使用される機器,改造等についてみる。次に人的サービス,介助のあり方を検討する★06。次に経済的な側面を個々人の収支という視点からみる。そして居住空間の内外での活動のあり方,余暇の過ごし方を報告する。さらに,各々の居住空間と居住者が,各々の外部環境の中でどのような位置にあるのか,どのような関係をもっているのかを,立地条件,外出,アクセシビリティ,近所づきあい,偏見といった項目に沿って検証する。そして,そうした場所に住まい外部との関係をとりもっている入居者達が,現在,自分の障害をどのように認識しているのか,またどのような将来の展望を描いているのかを見る。このように,おおむね居住する場からその外側(との関係)へと移っていく。そしてこれらの前後に,居住者の過去〜現在,現在〜未来についての認識が描かれる。
 なお以下では地名,団体等の固有名詞を伏した場合と記した場合と両方がある。報告書をまとめる際の時間的制約のため調査対象者に了解の諾否を問い合せられなかった場合に伏してある。了解を求め,了解が得られたものについては記した方が望ましかったと思う。また手持ちの情報が偏っているために,具体的な紹介がある部分とそうでない部分とがあり,特に地域によるむらが出てしまった。不手際をおわびする。


◆第T部 3つの暮らし――その比較検討◆

■01 経緯(問1)

 今の住まい方に至った経緯を見る。
 療護施設入居についての自己決定度の平均 :1.5 (50点) ※1.0(33点)
 グループホーム     〃       :2.8 (93点)
 一人暮らし       〃       :3.0(100点)

 ※は,現在グループホームに居住している人,一人暮らしをしている人で,施設での居  住経験がある人について,施設入居の時の自己決定度を加えた時の平均値。

 ◆療護施設で暮らす人達の場合

 「自分がテレビを見ていると,弟・妹がつられ,弟・妹が怒られる。しょっちょうトラブルで,それが嫌で入所した。」(N2a,21歳で入所,d=3)
 「親が年をとり介護が困難になってきた。親から自立するというような意味を含めて,離れて暮らしてみようと思った。」(N3b,29歳で入所,d=3)
 「通う場がないことと両親の介助のことを考えたら施設を考えなくてはと思っていた。反面,在宅でいきたいという気もあった。そういうところに療護施設ができるという話を聞き…」(N5b,23歳で入所,d=無記入=−)
 「両親が体が弱く自分の面倒をみれなかった。」(N4a,19歳で入所,d=0)
 「母が病気で介助が無理になった。3年くらいはケアしてあげられると言われたが,親から離れるタイミングがあると思った。」(N5a,30歳で入所,d=−)
 「母が倒れ,1か月間今いる施設でショートステイをした後,養護学校の先生が姉と相談して入居を決めた」(N6a,26歳で入所,d=0)
 療護施設居住者の何人かも,今の居場所にしたのは,自分自身の選択,「自己決定」であったと答えてはいる(上記のN2aとN3b,そしてN3cがd=3,上記のN4aとN6a,そしてN4bがd=0,他の4人はスコアなし)。たしかに,当人が最終的には入居を決めたのではある。しかし,その経緯を見ると,選択肢自体がきわめて限られたものであることが多い。具体的には家族,特に母親による介助が困難になったこと,あるいはそれが予測されたことによる。20歳前後で施設に入った人が2人,20歳代前半の入所者が3人で,20歳代後半以降になってからの人も5人いる。かなり長い間,親元での生活を経た後に療護施設で暮らすようになった人が多い。

 ◆グループホームの居住者・一人暮らしの人達の場合

 他方,グループホームや一人暮らしの選択は,親から独立した生活を送りたい,一人で暮らしたいといった,より積極的,能動的なものであり,それ以前の生活に比べ,より望ましい生活として選ばれている。
 そしてグループホーム入居に特徴的なのは,グループホームが永住の場所ではなく,次の生活への移行過程の中に位置づけられているということである。
 「親元を離れて暮らしたいという気持ちが強かったから。家庭がいやだというより,自立してみたいという気持ちがあったので。」(G1a,28歳で入居)
 「親から離れて自立したかった。それまでは母の言うことを聞いていた。」(G6a,36歳で入居)(G6b,27歳で入居)
 「〇〇の仲間をみてやる気になった」(Ia,36歳で一人暮らし)
 「悶々とした思春期時代を送った。このまま家にいても仕方がないので,どこかに相談しに行っても施設入所の話になってしまう。施設は朝起きて,仕事に出向いて,寝るだけだから親もあまり勧めなかった。20歳過ぎてからは親に当たってばかりいた。やはりこのままではいけないのではないかと思った。親がAさん(障害者)に手紙を出して相談し,Aさんから(Aさんが参加している組織とは別の)自立生活センターを紹介された。ここまでは親主導。それからは自分ですべて決定している。」(Ih,27歳で一人暮らし)

 ◆居住の場を変えてきた人達

 この3者の選択のあり方の違い,それぞれへの評価の違いは,いくつかの居住場所を移ってきた人達の発言,評価によっていっそうはっきりする。
 今回の調査対象者の住まい方の移り変わりはおおまかに言って以下のようである。

  在宅→施設                10人
  ……
  在宅→   グループホーム        8人
  在宅→施設→グループホーム        2人
  …… 
  在宅→           一人暮らし  4人
  在宅→施設        →一人暮らし  4人
  在宅→   グループホーム→一人暮らし  2人
  在宅→施設→グループホーム→一人暮らし  0人

 10人のグループホーム居住者には以前に施設で暮らした経験のある人が2人いる。長期間暮らしたのはそのうちの1人である。
 G4a:更生施設(半年)→在宅(2年)→アパート(4年半)→在宅(4年)→グループホーム(2年)
 G5a:療護施設(=N2,14年間)→グループホーム(8年)
 G4aが更生施設に入ったのは「親元を離れたかったから」(d=3)だが,「訓練が合わなかった」ので施設を出た。いったん実家に戻り,アパートで一人暮らしを始めるが,「作業所の活動など,無理をしてしまい,股関節の二次障害を起こし,体調を崩した」ため,再び実家に戻った。実家に戻っても作業所の活動は続けた。グループホーム設立の運動もこの作業所の活動の中から始まり,自分達の活動によって設立されたグループホームに入居した(d=3)。
 G5aは,療護施設への入居について,「親と訓練会の職員が相談して決めた。話を聞いた時,『ただ生きてるだけか』,と思った。施設では精神的に不安定で喧嘩ばかりしていた。……」(d=0)。グループホームに入居したのは,「10何年も同じ部屋に住んでいて,一度社会に出たかった。」「障害者団体の開催した自立生活セミナーにその団体の人の車で参加し,その帰りにその団体の作業所により,それがきっかけで通うようになり,その団体が関係するグループホームの話を聞き,すすめられて,自分で決めた。出たい一心だった。」(d=3)
 また現在一人暮らしをしている10人中4人が,成人後,居住型の施設で暮らした経験がある。
 Idは25歳から授産施設で3年暮らし(d=3),その後アパート暮らしを始めた。「家に戻りたくなかった。一人暮らしをしたかった。」(d=3)
 Ieは20歳から療護施設で9年暮らした。「家族への気遣いもあり,家にいるよりはましと思い,自分から申し込んで入所した。」(d=3)「施設ではこのまま終わるという思いもあり,友人からも言われ,なんとか30歳までに施設を出たいと思った。」アパートを借りて暮らし始めた。後に県営住宅に入居。(d=3)
 Iiは東北の授産施設で13年暮らした。「訓練校を出なければならず,他に行くところもなかった。」(d=0)「Aさんが講演に来た時の交流会がきっかけでAさんと手紙をやりとりするようになった。A氏がスタッフとして働いている自立生活センター(東京)のピア・カウンセリング集中講座に参加。その宿舎の風呂で別の団体のBさんと知合う。翌年Bさんが参加している団体の集中講座に参加。会員になり,連絡をとりあった。自立生活体験室に2週間入居し,その間にアパートも決め,住み始めた。」(d=3)
 Ijは療護施設で23歳から5年間暮らした。「大学卒業後実家に帰ったが,家庭に居場所がなく,両親の考えで療護施設に入れられた。生活がひどくて出たかったが出られない。ある女性と入籍でき、保護者が彼女となり出ることができた。」(d=0)。37歳から,別の療護施設で3年暮らした後,現在の居住場所へ。「療護施設を出たのは,池の中で死にたくない,大海でなくてもせめて小川に出て死にたいという気持ちから。」(d=3)
 以上,実際に施設で暮らした経験のある6人は,いずれも,それを否定的な経験として捉えている。もちろん,今施設を出て暮らしているのは,施設が住みよくないと思ったからだろうから,そうした人達が施設を否定的に捉えているのは当然のことであり,施設の入居者全体がこのように感じているわけではないだろう。ただ同時に,比較が現実に意味を持つのは,他の居住の形態が現実的な選択肢となっている場合であることにも注意すべきである。たとえば,施設での居住が唯一の可能な選択肢である時,その人は現在の暮らしについて問われて,まずまずであると答えることがあるだろう。しかし,このようにして得られた評価は,少なくとも比較のためには使えないはずである。
 現在一人暮らしをしている10人の中に,グループホームで生活した人が2人いる。いずれについても,グループホームは一つのステップと捉えられており,うち1人はグループホームでの生活について必ずしも肯定的に回想していない。
 Iaは養護学校卒業後ずっと在宅で生活した後,29〜30歳の時に土の会生活訓練所で1年間,実家に戻った。35〜36歳まで1年間グループホームで暮らした。「こんどこそ一人暮らしと思ってグループホームに入った。1年とめどを立てていた。グループホームでは介助者との関係を学んだ。この時に住居探しもした。」その後,一人暮らしを始めた。初めてから調査時まで6年,一人で暮らしている。
 Ifは24歳まで施設で暮らし,その後2年間グループホームで暮らした。「自分の時間がなかった。時間が思いどおりにならなかった。」グループホームを出て2年間親元で暮らした後,28歳で一人暮らしを始めた(調査時34歳)。

 ◆家族との関係(問11)

 施設に入居するにあたっては家族との関係が重要な要因になっていた。また,グループホームへの入居,特に一人暮しを始めるにあたっては,家族の反対に合うことが多い。では,この関係は入居後どのように変わったのだろうか。現在,その関係はどのような関係としてあるだろうか。家族との関係は個々人によって様々であり,ひとつにまとめることはできない。もう長いあいだほとんど関係のない状態にある人(N4b,s=1.5)もいるし,以前からうまくいっていないし今もうまくいっていないという人(Ii,s=0,Ijも同様,s=0)という人もいる。現在の暮らしに今も理解が得られていないと答えた人もいる(G3a,S=1)
 ここでは,入居の経緯とも関係するように思われる点を一つあげる。グループホームの居住者,一人暮らしの人に次のような回答が見られた。
 「入るまでは親は介助ばかりで自分のやりたいことができなかった。入ってからは余裕ができた。カラオケにも行っているらしい。」(G1b,s=2)
 「前は過保護で,心配ばかりしていた。今は(自分のことを)離れてみていられるようになった。」(G1c,s=1)
 「出た方がよくなった。家事などの話が対等にできるようになった。」(G2b,s=3)
 「以前は親と喧嘩していたが,こうして外に出て暮らすと,なんとなく対等に話せるような気がしている。」(G5a,s=3)
 「今は,逆に相談に乗ったり,愚痴を聞いてあげたりもしている。」(Id,s=3)。
 「一人暮らしをしてたら母と友人のような関係になった」(Ig,s=3)。
 「家を出るとき親に反対されたが,自分の介護中心であった両親の生活が二人の生活になったことに安堵している。いずれ親がもっと高齢になったとき利用できる制度について助言もできるだろう。」(Ia,s=3)
 「親としては心配していると思うが,自分としてはいいと思う。老人会の旅行なんかにも行っている。自分がいると行けなかった。だからうまくいっていると思う。」(If,s=3)
 これらの人達は現在の親との関係について,いずれも「うまくいっている」と答えている。在宅生活からの移行のあり方は,障害についての認識(問1)や,家族関係(問11)にも影響する。既に家族との関係が疎遠になっている場合は大きな変化はないが,家族との生活の後,介助をめぐる状況の悪化に押し出されるというかたちでなく,家族から離れることができた場合には,かえって,家族との関係が,以前とは違った良好な関係として再び形成されうることを,以上の回答のいくつかは示しているように思われる。

 ◆当事者組織のもつ意味

 グループホームへの入居にあたって特徴的なことは,障害をもつ当事者組織のもつ意味の大きさである。グループホームを作ろうとする動き自体が,当事者たちの活動の中から生まれてきている。今回の調査対象者にもその活動を実際に担ってきた人がいる。
 まず上記のG4aがそうだが,他にも,G2aは,大学在学中,後にグループホーム設立の運動を担う当事者組織の活動に参加し,開設されたグループホームに26歳で入居している。
 G1bも21歳の時に同様の組織のことを知り,その活動に参加するようになり,グループホームの開設時,25歳で入居している。「以前は自分で決めることがなかった。親や担任が決めていた。親はグループホームの入居に反対したが,自分で決めた。」
 あるいは,上記のG5aのように,障害をもつ当事者達の活動を知り,グループホームの存在,グループホーム設立の動きを知り,入ってきた人がいる。グループホームへの入居,そして入居した後も,自身の生活像を具体的に描き,それを実現していく上で,(当のグループホームを運営する主体でもある)当事者の組織,モデルとなる当事者の存在の意味は大きい。
 一人暮らしの人では10人中9人が障害者団体の活動に関わっている。また,すでにいくつか見たように,多くの人は障害者の組織とのつながりを介して今の生活に移ってきている(Ia,Ic,Ie,Ig,Ih,Ii,他にIfはグループホームでの生活を経てきている)。またIjは「今住んでいる場所を選んだのはホームヘルパー派遣時間が長いことと介護人派遣事業の制度が充実していること,そして障害者が運営する介護人派遣センターがあることによる。使っていないが心理的に安心できる」と答えている。第一に,生活を可能にする制度そのものが障害者運動によって獲得されてきたものである。第二に,サービス提供を行っている自立生活センター★07等の組織のサービスを利用している人達がおり,また実際にそれを使っていない人でもこのことが安心感を与えている。いざという時に頼れるものとしてこうした組織をあげる人が多いことは後にも見る。

 ◆いつその暮らしを始めたか/始められるのか

 これらの療護施設,そしてグループホームの居住者達は,いつごろ入居し,そしてどれだけの期間暮らしているのか。一人暮らしの人達はどうか。その平均値は前述した通りだが,今回の調査では,調査対象者を30歳代から40歳代前半の人に絞ったから,その結果は当然,全体像,平均像を表わすものではない。現在の全般的な状況について私達が知ることを合せて,その概略をみておく。
 療護施設では,今回の30歳代から40歳代前半の調査対象者でも,長い人では16・18・19・20年の間,同じ療護施設に居住している。10歳代後半,20歳代前半に入居した人がずっと同じ施設に居住しているということである。これは例外的なことではない。一度入った人が施設から出ることが少ないのである。療護施設が制度化され施設が開設されていったのは1970年代だが,以来同じ施設に居住している人は少なくない。また,そうした人達で入居時の年齢が今回の対象者より高かった人がおり,さらに比較的高齢になって療護施設に入所してきた人も多い。全般的に居住者の高齢化が進んでいる。
 他方,グループホームではどうか。グループホームの入居者は20歳代の若い人達が中心になってきており,今回の調査では30歳代の入居者を探すのに苦労した。29.9歳という平均入居年齢は療護施設の居住者より高いが,これは,グループホームの居住者の居住期間が療護施設の居住者よりも短く(療護施設の11.0年に対して 5.1年),今回の調査のように同年代の人をとると,入居年齢もより高くなることによるものであり,グループホームの入居者の全体像を示すわけではない。グループホームの居住期間が短いのには,グループホーム自体の歴史がまだ浅いという事情ももちろんあるが,それだけではない。先述したように,グループホームへの入居が最初から一つの段階として位置づけられ,実際,それがかなりの程度実現されていることによる。たとえば,G5の開設時にG5aと一緒に入居した人達はすべてここを出て暮らしている。ここでは既に6人がグループホームの次の生活に移っていったという。
 そして,一つのステップとして位置づけられているグループホームの生活は若いうちに体験すべきものとも捉えられている。たとえば,G3aの隣人は20歳代で,G3aは「振り返ってみると,彼のように早い時期に今の環境にあればよかった。このような経験は若い時期にすべきだ」と語っている。
 一人暮らしの人の場合,現在の生活を始めた時期は20歳代が4人,6人は30歳以降であり,平均は30.3歳。グループホームの入居者と同様,こうした数値は30歳代の人を調査したことによるものであり,必ずしも全般的な傾向を表わすものではない。20歳代の人を調査すれば,開始の時期は当然20歳代となるし,40歳代以上の人を調査すればより遅い時期に一人暮らしを始めた人が見出されるだろう。60歳を超えてから,施設から出た暮らしを始めた人もいる。ただ,この独立,自立の時期が障害をもたない人よりも遅いとは言える。障害をもたない人であれば,高校あるいは大学を卒業後,20歳前後に親元から独立するのが一般的である。親との同居は続ける場合であっても,一人一人の生活の独立性は高くなる。それと同じに考えれば,独立へのステップとして2年あるいは3年の期間が必要である場合があるとしても,20歳代の前半に移ってもよかったはずなのだが,それができなかったということでもある。

■02 居室(問5)

 満足度   : N1.0(33点) G2.1(70点) I1.6(53点)
 自己決定度 : N1.2(40点) G2.7(90点) I2.8(93点)

     定員    1人分(畳)  満足度   決定度
           a・b ・c  a・b・c a・b・c
 N1:1・2・4※ 4.5       2     0
 N2:4・6・8※ 2       0     0
 N3:2      4・2.7・4  3・1・3 3・2・2
 N4:1      6・4.5    0・0   0・0
 N5:1・2※   6・6     1・0   −・2
 N6:1      6       0     1.5

※ N1aは4人部屋から2人部屋へ,N2aは8人部屋に居住,NVaは個室,NVb  は2人部屋に居住。

 G1:1      6      2・2・2 3・3・0
 G2:1      6      3・3   3・3
 G3:1      6      1     ・
 G4:1      8      1     3
 G5:1      9      1     3
 G6:1      6      3・3   3・3

 Ia:1部屋           1     3
 Ib:4部屋           2     3
 Ic:2部屋           2     3
 Id:3部屋           3     3
 Ie:2部屋           0     3
 If:2部屋           1     3
 Ig:2部屋           2     3
 Ih:1部屋           2     3
 Ii:1部屋           2     3
 Ij:3部屋           1     1

 キッチンを含めて1部屋:3人,2部屋:3人,3部屋:3人,4部屋:1人。

 ◆療護施設の部屋

 他に比べ療護施設では居住空間についての不満が大きい。また自己決定の度合いが低い。そして施設による違いがはなはだしい。今回の10人だけを見れば,個室4人,2人部屋5人,8人部屋1人という結果だが,療護施設の実情をいくらかでも知っている人にはことわるまでもなく,これは療護施設の全体像を表わすものではない。個室を全面的あるいはかなりの割合で採用しているN4・N5・N6は,全国の療護施設の中では例外的である。
 そして1部屋あたりの居住者数,1人あたりの面積にも関係して,プライバシーが確保されていないとの回答を得た施設が多い。2人部屋に住んでいる居住者の中の3人が,  「現在同室の人とはうまくいっている。自分一人の部屋がほしいとは思わない」(N3a,s=3),
 「同居者とは入居時から同室で関係が悪くないため,部屋を変わりたいという気はない」(N3b,s=1)
 「互いに干渉しないのでかまわない」(N5b,s=1)
 と回答しているが,
 「個室になってよかった。介助のこと等同室の人を気にせず職員と相談できる。夜起きている時間が長くなった。客に気をつかわずにすむようになった。」(N5a,s=1)
 という回答もあり,この一人だけが,「最低限のプライバシーは守られている」としている。
 個人スペースは「ベッドとそのまわり」だけ,プライバシーは「全くなし」(N2a,s=0,8人部屋,1人分2畳)。
 個室になっているところでも「職員から部屋が汚ない等,いろいろ指示をされるのが嫌だ。自分のお客さんなのに勝手に声をかける等,人間関係がわずらわしい。隣室の音が気になる。」,プライバシーは「保護されていない」(N6a,s=0)
 といった回答があった。

 ◆「個室化」について

 上にみたように,療護施設の居住者のすべてが個室を希望しているわけではない。そして,個室化は居住者を孤独にするだけだという声もしばしば,特に施設を運営する側から,聞かれる。
 だが第一に,これらの事実や指摘は,希望がある場合は個室「も」用意されるべきだという主張を覆えすことのできるものではない。
 そして第二に,居室や居住する建物の外で対人関係を結ぶ「普通」の生活を営めるようになる時,むしろ「孤独になれる」場所として個室が求められることもあるはずである。常にいる部屋だから個室化が求められるというのでは必ずしもない。そこで生活がすべて完結してしまうなら,一日中孤独で過ごすよりもむしろ誰かが傍にいた方がよいと感じる人がいるだろう。だが,そうでないなら事情は変わってくる。次に記すグループホームやアパートに住む人の個室は,日中外に出て,人に会って過ごす人達が一人になる場所でもある。

 ◆グループホームとその居室

 グループホームでは10人全員が6〜8畳の個室に居住しており,部屋には鍵がかかるようになっている。プライバシーがまずは確保されている。「介助者はノックして入る。隣室には入らない。」(N3a)。
 だが,グループホームも居住空間として十分というわけではない。
 第一に,これは後の建物・部屋の改造の項でも確認されることだが,既存の住居の多くは,障害をもって複数の人が暮らすのに適したものでなく,その改造にも限界がある。特に一戸建て,一世帯用の民家をグループホームとして利用するような場合には,電動車椅子で室内に入るといったことは困難である。今回の調査対象の中では,G6が一世帯用の建物(1階に6畳ほどのDK+6畳和室1,2階が和室6畳×3)で,室内での車椅子の利用は困難である(ただG6の居住者はいずれも,ひざ歩き等でのある程度の移動が可能なので,不都合はそれほど大きくはない)。遮音性についても十分でないという回答があった(G4,G6)。
 第二に,グループホームに限らず,都市部の住宅,集合住宅全般に見られる問題がある。グループホームの10人中4人(G1a,G1c,G3a,G4a)が日照について「悪い」と答え,よいという回答はなかった(一人暮らしの人ではIfが日照の悪さを指摘)。風通しについても同様の指摘がある。他方で,療護施設では,10人中6人が日当たりは「よい」と答えた。グループホームの多くが住宅密集地にあるのに対して,療護施設のほとんどは市街から距離があり,敷地も広いことによるだろう。
 第三に,当初からグループホームとして設定された場合でも,個々の居室の独立性が十分でないという指摘がある。G5aは「快適だ」としつつ,「共同生活だから,ある程度押さえなくてはならない。他の3人に迷惑をかけないようにしなくてはならない。」「部屋の中はよいが,出入口やトイレが共同で,お客が来ればそこを利用する。プライバシーという点では問題がある。」とも述べている(s=1)。
 このように,グループホームにも,グループホームとしている建物の構造的な問題,また立地条件による問題はある。もちろん,十分な予算を使えれば,以上の問題も解決可能ではあるだろう。しかし,現実には,障害をもつ人のための住居に限らず,制約はある。この場合,敷地面積,採光,通風,等を優先するか,あるいは,これらの条件が十分に満たされなくても街中での生活をとるかという選択を迫られることになる。後にも見るように,グループホームは基本的に後者を優先し,その上で可能な限り居住性を確保しようとする。この方向により大きな価値を見出しているようである。
 他には次のような回答もあった。「グループホームの代表なので,部屋が応接室のようになってしまっている。介助の必要がなくても介助者が入ってくる。介助者の教育もあり,現状では仕方がないと思っているが,将来的にはアパートでの生活等を望んでいる。以上は,自分にアパートでの一人暮らしの経験があるから感じるのだと思う。」(G4a)自分の居住より,グループホームの活動・運営主体としての立場が優先される,優先せざるをえない場合があるということである。

 ◆一人暮らしの部屋

 一人暮らしの人では,賃貸のアパートなどに住んでいる人が9人。1部屋(6〜9畳)3人,キッチン(3〜 4.5畳)も含め2部屋3人,3部屋が3人(以上賃貸)。このうち2人(Ie:2部屋の車椅子用住宅,If:2Kの一般住宅)が公営住宅に住んでいる。そして4部屋の自家に住んでいる人が1人いる。
 居住面積は平均値としては療護施設,そしてグループホームより広い。また,風呂,トイレ等の設備面を含め居室の独立性もより高い。風呂,トイレが各自の居宅にあることは一人で暮らすには必須の条件である。その分,トイレ共用,風呂はなし(銭湯を利用)といった(今では少なくなった)アパートに住むよりは高くつくことになるにしても,これは仕方がない。(払っている家賃については後にみる。)
 ただ,広さについての不満はやはりあり(Ia:s=1,1部屋),「プライバシーはあるが,介助者が常にいる」「常に人が出入りしている」といった回答があった(If,Ij)。車椅子を部屋の中で使うことを考えると,また介助者をおくことを考えると,一般の一人暮らしの人よりも広い部屋,また複数の部屋が必要なのだが,それが必ずしもかなえられていない。後に述べるように,自らの外出や介助者にとっての利便性を考えると交通の便が優先され,その分,狭い空間に甘んじるしかないということでもある。
 他に,日照(If:s=1),一般公営住宅の仕様等の問題(Ie:s=0,車椅子には不便,単身入居に制限があること),経済的理由で改造できない(Ij:s=1,d=1),などの不満があり,満足度の平均値を下げている。満足度や自己決定度の基準自体が居住環境によって異なり,単純に並列して比較できない。このことは,以下すべての項目について言える。また,Ijの数値は改造に関わるものであり,むしろ問3に関わる数値と解するべきだろう。機器についての満足度・決定度と改造についての満足度・決定度とを別に聞かなかったことも含め,調査を設計した際の私達の不手際でもある。

■03 機器(問3)

 ◆機器の利用実態

 機器の導入や居室の改造の状況はどうなっているのか。居室の改造を伴う機器の導入があるから両者は常にはっきりと区分されるのではないが,前者の方から後者の方に移っていきながら,その様子を見る。
 手動の車椅子はすべての人が以前から使っている。ただ,電動車椅子を利用するようになったのは3年前,4年前など比較的最近の人が多い。一人暮らしの人では10人全員が電動車椅子を利用している。機器導入の利点についての質問に対して,電動車椅子の導入に関する回答をした人が最も多かった。
 「一番利用価値が高い。」(G2a)
 「活動範囲が広がった。ただ,レストラン,デパートでは使いにくい。乗降時に介助が必要。リフト付バンが使えるといい。」(N3c)
 「行動範囲が広がった。」(N4a,N5b)
 「施設の周辺を自由に移動できる。」(N4b)
 「一番利用価値が高い。グループホームに入居してから入手。」(N2a)
 「手動の場合はたえず介助者の都合に合わせて行動しなければいけなかったが,電動にしてからは自分の予定を自由に組むことができるようになった。行動範囲が拡大し,自由に予定を考えることができるようになった。」(Ig)
 「よかった。施設で暮らしている時は使っていなかった。」(Ii)
 「活動にはなくてはならないもの」(Ih)
 他に導入した機器についての満足度も全般的に高い。
 「皆いい。」(G1b,車椅子・電動車椅子・ワープロ・福祉電話・電動歯ブラシ・インターホン)
 「生活しやすくなったと思う。」(G1c,車椅子・電動車椅子・補聴器・ワープロ・ファックス・トーキングエイド・電動歯ブラシ)
 「すべてがなくてはならないものばかり。」(G5a,車椅子・電動車椅子・ワープロ・電動歯ブラシ)

 ◆療護施設居住者のハンディキャップ

 ワープロ(パソコンを含む)を所持している人が15人(N3人,G4人,I8人(このうち4人はパソコン)),ファックス5人(G1人,I4人),福祉電話2人(G1人,I1人),スピーカーホン(G1人,「一人で電話がかけやすくなった」),ハンズフリーの電話(I2人),呼気スイッチ電話(I1人),トーキングエイド3人(N1人・G1人,I1人)。
 「呼気電話は一人でいても安否確認可能。聴覚障害者には公費負担があるので,適用範囲を広げてほしい。」(Ij)
 グループホーム,一人暮らしの人が導入している機器として特徴的なのは,コミュニケーションに関係する機器が多いことである。これに対して療護施設居住者ではこれらの機器を所持し利用している人が少ない。これには2つの事情がある。
 まず,療護施設で機器の導入が多少とも居室などの改造をともなう場合には,次の項にも見るように,改造は許可できないと施設側に言われ,導入できない場合がある。個人が使用する電話の利用などがこれにあたる。それでN2aは携帯電話を使っている。
 そして機器購入にあたっての費用負担については,療護施設に住む人の方がむしろ不利な立場にある。「補装具」★08は施設居住者にも給付されるが,「日常生活用具」★09の支給対象は在宅の障害者に限られており,ワープロ等は支給の対象にならず自己負担しなくてはならないからである。

 ◆機器に対する不満

 不満は,まず,機器の品質が満足できるものでないことに向けられている。
 「(電動車椅子が)もう少し安くならないか。種類が多くならないか。」(Ia)
 「レインコートにおしゃれ心がほしい。とってつきコップやふたつきコップも老人用が主。介助者にとって使いやすい。自分に合わせたものがほしい。」(Ia)
 「トーキングエイドはもう少し肉声に近いとよい。」(Ic)
 もう一つの不満は,公的な助成のあり方に対するものだった。支給のあり方が利用の実情にあっていないというのである。
 グループホームの居住者や一人暮らしの人でもワープロ,パソコン等については自費で購入した人も多い。グループホームに居住する4人中,1人が自費,1人が1台目公費,2台目自費,1人が1台目自費,2台目公費となっている。一人暮らしの人の中にもパソコンについては自費で購入した人が3人いた。
 「パソコンはワープロとして公費補助があるが,指定業者があるなど制約があることと補助額が少ないため,自費で現金で購入した方が安くなるのが問題。」(Ij)
 補装具として給付される車椅子についても,「軽くしたいのでスタン合金のものを使用」とした人(N2a)が自費で,「軽くてカラフルなので,米国製の電動車椅子を使っている」人(Ig)が半額自己負担で購入している。
 「買い換えまでの期間が長い。手動車椅子が3年なのはよいが,電動車椅子は住んでいる自治体の制度では5年。使用頻度は人によって異なる。使用量(距離)によって考えてほしい。走行距離メーターをつけるのはどうか。」(Id)
 選択できる幅や手続き上の問題で,公費支給の対象になっているものでも自費で購入する場合があるのである。たとえば業者が指定されていることで価格が高くなってしまう。かなりの割引販売がなされているパソコン等の場合には,安い店で全額自己負担で買った方が,指定業者から購入し,その価格から公費負担分を差し引いた分を自己負担するより安くすむといったことが起こってしまう。そして,指定されている機種が自分の必要や好みに合わないこともある。
 また,ハンズフリーの電話等は特に障害者用に開発されたものではないが,利用価値の高いものとして評価されている。
 「福祉電話の場合,貸与される電話の機種が定められたものであり,選択できないため,不便。」(If,Ij)
 「ファックス,パソコンは便利ではあるが,日常生活用具の制度にはなく,色々な方策をみつけ,手に入れているのが現状。」(Ij)
 「トーキングエイドについても,作業所と自宅というように,1台だけではなく,2台目,3台目が必要である。」(Ic)
 このように,限られたものについてしか公費支給が認められず,さらにその機種等が限定されていることの問題が指摘された。制限の多い現物支給のシステムになっていることによって,供給サイドで価格競争,品質競争が起こらず,その結果,福祉機器と呼ばれるものの多くが値段が高く,使い勝手が必ずしも満足できるものでないこと,デザイン的にもすぐれたものが少ないという実態になっている。購入の際の利用者の選択の幅を拡大する方向でシステムを改革すべきである。また,買い替えが認められるまでの期間が長すぎることも指摘された。こうした点も見直しが必要である。

■04 改造(問3)

 ◆グループホームにおける改造

 グループホームは既にある建物を利用する場合(G1,G4,G6)と,新たに建設されるもの(G2,G3,G5)と2通りある。後者の場合でも,家屋の構造として可能であり,また予算的に可能であれば,居住者=運営主体側の希望で改造することができる。
 G6は一軒家を使っているため,大規模な改造は難しいが,各居室に鍵がかかるようにし,階段に手すり,階段昇降機をつけ,トイレをウォシュレットにした(全額公費助成)。重度とはいえ,ある程度自力で移動等が可能な居住者は「便利だ」(G6a,G6b)と答えている。
 G1はより大きな改造が加えられている(自治体から居住者1人につき40万円の補助があった)。
 「在宅の時より生活しやすくなった。」(G1b)
 「生活しやすい。でも狭い」(G1c)
 G4も浴室,ドア,廊下等に改造が加えられている。
 「浴室での介助が楽になった。外出時の出入りを自由にできるようにしたい。ただし大きな改造は,建物を家主より5年を限度に借りているため困難。」(G4a)
 G2は,それまで6年間グループホームとしていた建物を離れて,1994年に新たに新築された(G1と同様の補助があった他は運営・入居者側の自己負担)。エレベーターを設置し,玄関を自動ドアにし,玄関先にスロープを設置,各階は車椅子で移動できるよう極力フラットにし,電動車椅子で部屋の中まで入れるようにした。居室は,建築時に既に決まっていた入居者の希望を入れて整備した。
 (改造の利点は)「おおいにある。以前のグループホームは建物が小さく,3つの部屋をとるのが精一杯。道路に直接面し,すべてフラットにできなかった。」(G2a)
 「段差がない。エレベーターがある。入口が広い。内風呂になったので入りやすく介助しやすくなった。」(G2b)
 G3,G5もグループホームとして建設され(G5は民間賃貸の建物だが,建築に際して 400万円自治体から援助を受け,グループホームとして設計され建設された),利用しやすいように整備されている。ただ,開所時からの入居者から「プライバシーの点から,出入口を個々別々にしてほしい」(G5a)という指摘があった。

 ◆一人暮らしの人の場合

 一人暮らしの人も,玄関先にスロープをつける,廊下の段差をなくす,風呂・トイレの改造,等,かなり積極的に行っている。
 「トイレが一人でできるようになった。夜の介助がいらない」(Ia,風呂場に手すり,浴槽の中に台,トイレの床のかさあげ)
 「電動車椅子で自力で各所に移動できるようになった。」(Ie,トイレの床上げ,浴室の床上げ,廊下の段差の解消)
 「改造したことによってだいたい自分で身辺処理ができるようになったが,台所の流し台がもう少し低ければよかったと思う。簡単な調理を自分でしたい。」(Ig,玄関前にスロープ,トイレに手すりとウォシュレット,出入口の段差をなくす,洗濯物を取り込むため縁側にベランダ,浴槽にシャワーを設置,すのこを付け浴槽との段差をなくす)
 改造については家主の理解を取り付けて入居している。例えばIcは入居にあたり,10万円敷金に上乗せして,作りつけのベッドをとってもらった。ただ,もともとスペースが限られていること,そして建物の構造上の問題,また賃貸物件の場合には出るときに復元しなくてはいけない等の貸主との関係があって,大掛かりな改造や機器の設置が難しい場合がある。(既存の,特に賃貸の建物を利用する場合の)グループホーム,一人暮らしの人の不満はこの点に向けられている。
 「もっと手を加えたいところもあるが,出る時,元に戻さなければならないのでここまでしかできない。」(Id,玄関にスロープ,トイレに手すり,風呂場には浴槽の中にすのこ,外に台,その他,もの干し台を低めにした)
 できることはやっているが,それにも限界があるというのが現状である。今ある民間賃貸住宅では確かに限界があるだろう。だが,公営住宅等を改造可能な仕様にする,民間の賃貸物件にも,建築時に補助を行い,既存の建物の改造が難しいなら予め改造可能な仕様にすることを推進することもできる。個々人の必要に合せるには障害者専門の施設でもそれなりのコストがかかる。一般の住居でも,同等あるいはそれ以下のコストで,居住環境を整備することは不可能ではないはずである。

 ◆療護施設における改造

 療護施設は障害者の療護の「専門」施設だから個々の障害に応じた機器が提供され,生活環境が整備されていると考えられているとすれば,事実はそれに反している。
 第一に,療護施設で使用されている機器等のかなりの部分は,一般の住居にも導入できるものである。N4bが導入している環境制御装置は一般住宅にも取り付けられる。天井走行リフターも,グループホームとして新築されたG3では,G3bの居室にとりつけられている。また療護施設の居住者の中には,機器の導入,改造にあたって職員と相談したり(N4a),職員から助言を受けた(N4b)例があるが,こうした専門家の助言にしても施設で暮らしていなければ受けられないものではない。一人暮らしの人では,先輩のアドバイスや生活訓練の場での体験等も活用して,出入口,風呂,トイレ等にかなり細かく改造を加えていた。
 第二に,施設側の姿勢にも関わり,満足度の高い施設がある(N3〜6の8人中6人がs=3)一方で,改造を申し入れても受け入れられない施設もある。
 「改造は全くできない。施設だからできない。今欲しいのが電話。施設内の公衆電話は高い位置にあり,車椅子のままで使えず,夜などはわかりのいい職員に頼まないとかけられない。障害者用の公衆電話をつけてくれと言うと,県の管理下だからできないと言われる。仕方なく携帯電話を買うことに決めた。」」(N2a,s=0)
 少し前であれば電動車椅子の導入自体かなり難しかったのに比べ,公費支給あるいは補助の対象になる用具の導入は相当容易になってきてはいる。ただ,電話回線の設置,個別の電話の設置等,居住の場の全体のあり方にいくらかでも関わり,また居住者の生活がどのようなものとしてあるべきかという姿勢に関わる場面では,療護施設の中に上記したような現実があるということである。施設によっても,かなり部屋の改造にかかわる事情が異なっている。
 「なし。」(N1a)
 「改造はなし。これまでは現状であきらめていた。こんなものだと思っていた。最近,不満,要望ができてきたので,施設側に言っていきたいと思うようになった。足でものがとれるように棚を低いところにしてほしい。テレビの位置を変えて欲しい。」(N3b)
 「自分の希望を取り入れて全面改造した。」(N5a)
 「室内で電動車椅子の移動が容易になるよう改造。」(N5b)

■05 介助(問2)

 満足度   :N0.9(30点) G1.8( 60点) I1.6(53点)
 自己決定度 :N2.2(73点) G3.0(100点) I3.0(98点)

       満足度=s 自己決定度=d
 N1a  :1     0     
 N2a  :0     0     
 N3abc:3・1・0 2・2・2 
 N4ab :0・1.5   3・3   
 N5ab :1・1   3     
 N6a  :0     3     

 G1abc:2・2・2 3・3・3
 G2ab :1・1   3・3
 G3a  :3     3
 G4a  :0     3
 G5a  :1     3
 G6ab :3・3   3・3

 ◆グループホーム,一人暮らしの人の介助の使い方

 グループホーム,一人暮らしの人の多くは,いくつかの制度を組み合わせて使っている。また,身体障害者のグループホームに(「福祉ホーム」と呼ばれるものを別にすれば)法制上の規定があるわけではなく,グループホームに対する介助システムも制度的にあるわけではないのだが,個々人でなく,グループホーム(の運営委員会等)が介助する人を確保している場合はある。
 第一にホームヘルパー。多くは1回2時間×週2回程度だが,週24時間(Ij)の人,またガイドヘルパーを月60時間利用している人(Id)もいる。またIiの場合は留守派遣がなされている。利用者が選んだ介助者をホームヘルパーとして自治体に登録し介助させる,いわゆる「登録ヘルパー制度」★10が最近各地で採用され始めている。
 第二にいくつかの自治体にある介護人派遣事業★11が利用されている。自治体から利用者が選んだ介助者に介助料が支払われる。ただ,この事業が最初に開始された東京都以外の自治体の多くでは,この事業は制度上はホームヘルプサービスの一部として位置づけられており(したがって,費用も国の負担が1/2,都道府県・市町村が各々1/4),上記した「登録ヘルパー制度」とそう変わらない実態もある。今回の調査対象者の居住地域の多くにはこの制度があるが,全国的には少数の自治体に限られる。別言すれば,こうした地域でないとグループホームでの居住,一人暮らしが困難だということである。多い人で,Ib・Icが月 153時間分(1時間1380円),約21万円。Ijが月約46万円(昼8320円+夜7070円,×日数)。月あたりの時間が決まっており,1時間あたりの単価がホームヘルパーと同じ基準になっている前者でも,実際には時間あたりの対価を引き下げ,時間を長くするといった使い方がとられている。夜間を含め生活のほぼ全部に介助を必要とするIjは,この制度が充実した自治体を選んで療護施設から移り住んできた。1日約20時間の有償介助を得ている。夜の介助は夜7時から翌朝8時頃までで,11700円。昼の10時から4時までは5000円(この時間帯の週1日はボランティア)。他にボランティアによる介助,ホームヘルパー(週24時間)による介助を受けている。
 以上の制度で必要な量を得られない人は,生活保護を受給し,その他人介護加算★12を利用して有償の介助者を得ている。介助者の調達,介助時間等の調整にあたっては,自立生活センター等の障害者の組織が利用される。他にボランティアによる介助を得ている人もいる。
 一人暮らしの人は,1人を除き,全介助の日常生活動作がある人達だった。各地域で介助サービスに関わる制度が異なる。また,多くの人は,使える制度を組み合わせて,非常に複雑な使い方をしている。曜日によっても異なり,また体調等によっても時間が変わる場合がある。以下は,概算であり正確な数字ではない。金額はホームヘルパー,介護人派遣事業等,行政から直接介助者に支払われるもの,生活保護の他人介護加算のようにまず利用者(生活保護の受給者)に支払われるもの,また生活費からの捻出分も含んだおおよその金額である。ボランティア,家族による介助については,介助時間の中には入っているが(この調査ではそれを正確に算出することはできなかった),金額には含まれていない。仮に調査年度のホームヘルパーへの報酬×時間とすると,例えばIjの場合は約84万円,Iaの場合が約24万円といった金額になるだろう(下では( )内にその概算額を示した)。時間的な融通がある程度きく介護人派遣事業の利用において時間当たりの単価を安く設定する,ボランティア等による介助を使うといった方法でこの差が埋められているとも言える。
                                   s  d
  Ij派遣事業46万円※+ヘルパー週24時間+ボランティア       2  2.5
      →1日約20時間  計約60万円(84万)
  Ic派遣事業21万円※※+介護加算10万円+ヘルパー週4時間     0  3
      →1日約9時間  計約34万円(37万)
  Ii派遣事業+市の登録ヘルパー                  3  3
      →1日約8時間  計約30万(33万)
  Ib派遣事業21万円※※+ヘルパー週6時間             2  3
      →1日約7時間  計約25万円(29万)
  Ia生活保護他人介護加算(厚生大臣承認)165000円+ボランティア  1  3
      →1日約6時間  計約16.5万円(24万)
  If生保他人介護加算104180円+ヘルパー3時間×週2        0  3
    +ボランティア+家族が月3回
      →1日約5時間  計約14万円(20万)
  Ig派遣事業6700×14+ヘルパー2時間×週2+ボランティア週3   2  3
      →1日約4時間  計約12万円(16万)
  Idガイドヘルパー月60時間+ホームヘルパー2時間×週2      1  3
      →1日約3.5時間  計約11万円(14万)
  Ih生活費から1500円×2時間×週3                2  3
      →1日約1時間  計約4万(4万)
  Ie生活費から月約2.5万円を有料ボランティアに支払う+掃除等は母親 3  3
      →週3回程度   計2.5万円

 ※ (昼8320円+夜7070円)×毎日
 ※※1380円×月153時間
 * ( )内は実際の介助時間にホームヘルパーの時間あたりの単価をかけた金額

 介助者への支給額を積算すると,実際のところでは最高月60万円ほど,全て有償化すれば80万円強の人がでてくる(Ij)。この場合,生活にかかる費用の総額は,療護施設の措置費の基準ははるかに超えるが,自治体からの支出が多いN4〜6と比較すれば高くはない★13。そして以下に述べるように,生活の質の違いがある。

 ◆グループホームの居住者と一人暮らしの人の評価

 グループホームの居住者と一人暮らしの人のすべてが,自己決定が確保されていると答えた。満足度については,特に障害が重度の人の場合,量的な不足が指摘された。介助者の確保が大変なことが指摘され,介助に関わる資源,介助費用の支給額が少ないことが特に問題にされている。
 グループホームの居住者では
 「ぎりぎりの状態」(G2a,s=1)
 「手が足りない」(G2b,s=1)
といった回答があった。
 他には次のような回答がある。
 「介助者と性格,考え方が合わない時がある。介助者に文句を言われたこともある。」(G1c,s=2)
 「突然のキャンセルや遅刻,介助のローテーションに入っているという自覚が足りない。慣れてしまった場合,言わなくてもわかってしまい勝手に介助してしまおうとする。慣れが恐い。ただし,施設では「早く」,「こぼすな」等,強制されるがここでは介助内容を自らが決定できる。」(G4a,s=0)
 「急に来られなくなったりとか,人材の確保の問題がある。自己選択を大切にするという立場から,有料化し,常勤コーディネーターは介助しないという原則を作っている。」(G5a,s=1)
 「専従職員の男女バランスをいうと問題はあるが,生活全般としては充実している。基本的には指示がないと職員等は動かない。慣れてくると言葉はかけてくるが,原則は本人が指示する。」(G3a,s=3)
 一人暮らしの人では,
 「時間が短い。また朝と夜の確保が困難なため,日中の活動が制限される。」(Ia), 「介助の確保が大変」(Ig)
 「夜など,もっと介助を確保したいが費用がかかる」(Ie)
 「介助者への指示が疲れる。週2〜3回は寝ていたい。」(Ij)。
 「施設では,自分でやらされ時間がかかった。介助者が入ってよかった。」(Ii)
 ただ,一部の療護施設に見られる基本的必要が満たされていないといった状況にあるグループホームは今回の調査対象の中にはなかった。
 グループホームでも一人暮らしでも,量的な不足の他に,介助者との関係などで様々な問題が生じるが,問題が生じた時,十分にとは言えないまでも,その問題を解決するための(介助者の交替といった手段の行使も含め)介助者側に対する働きかけは可能である。このようにして自己決定が確保されている。この点が療護施設と違う。
 グループホーム居住者,一人暮らしの人は,日中は外に仕事にでかける。食事,更衣など介助が必要なのは,まず出かける前の朝の時間である。ところが,ヘルパーが訪問してくる時間が遅いため,早くに出かけることができないといったことが起こる。
 「9時から11時。8時からにしてほしい。」(Ic)
 「朝はもう少し早く。日中の活動が制限されてしまう。」(Ia)
 またヘルパーは原則的に本人がいないと派遣されないため,本人がいなくてもかまわない仕事(食事の後片付け,掃除,洗濯)の場合でも,本人が在宅していなくてはならず,やはり活動が制約されることがある。そこで,Iiの場合は留守派遣がなされている。このような柔軟な対応が求められる。
 他には次のような指摘があった。
 「髪のブラッシングの時に手袋をする。ヘルパーのテキストに障害は病気だと書いてある。」(Ic)


 ◆療護施設での介助

 療護施設での介助に関わる自己決定度については,施設による違いが大きい。
 「午前7時10分にベッドから降りる。午後7時半にベッドに上がる(他の人は6時半)。ベッドに上がると本を読むこともテレビを見ることもできない。できたら9時半にベッドに上がりたい。電話の介助を頼むと職員が断る,怒る。外部との通信は自由だと思う。トイレの時間も決まっている。個人のことで,生理現象だ。時間を決めるのはおかしい。やろうと思えばできるはずだ。」(N2a,8時30分に排便,11時30分・14時50分・16時45分に排尿,朝食は7時40分,昼食は11時40分,夕食は17時,昼も夜もトレーナー,寝間着を着て過ごす)
 これは,個々の介助内容の細かな部分を指図できるできないという以前に,生活の基本的な部分を自分の思うように営めない状態に置かれているということである。
 このように生活時間が定められていることはなく,利用者の要請に応じて介助を行う施設もある。それらの施設の居住者の自己決定度は明らかにそうでない施設より高い(N4・N5・N6>N3>N1・N2)。
 しかし,そのような施設での介助について居住者が満足しているかというと,実はそうではない。満足度は総じて低い。中では例外的なN3aの回答(s=3)は,以前いた同じ県内の療護施設での介助に比べれば現在いる療護施設の方が格段によいことによる。以下のような不満が聞かれた。
 「職員によって異なるが,着替えや入浴の時,時間に追われて,いいかげんにされることがけっこうある。」(N3b,s=1)
 「介助の仕方が荒っぽい人がいる。」(N4a,s=0)
 「職員によってやり方が違う。」(N4b,s=1.5)
 「人によって違う。やり方が均等になればと思うことがある。言葉の使い方なども気になる。」(N5a,s=1)
 「職員によって違う。乱暴な人がいる。」(N6a,s=0)
 このように,介助における職員の態度についての不満が多い。
 今回の調査では介助者からどう呼ばれるかについても聞いた。療護施設の10人中5人が,「ちゃん」づけで(も)(N3a・N4a・N6a,34歳・38歳・35歳,いずれも女性),「くん」づけあるいはあだな(N4b,40歳,男性),呼び捨てあるいはあだな(N2a,41歳,男性)で呼ばれている。
 利用者の自己決定を尊重することにそれなりに自覚的である施設もある。入居者自治会があり機能している施設もある。N4〜6は比較すればそのように言ってよい施設である。にもかかわらず,利用者の満足度は高くない。上に見たように,職員による介助の質のばらつきがあり,呼ばれる際にちゃんづけされたり呼び捨てにされたりということもある。
このことは何を意味するだろうか。施設の方針として,利用者の必要,要請に応えて介助をすることになっていても,現在の施設の措置体系のもとでの職員・対・入居者という関係から,構造的に問題が生じやすいということではないか。つまり,施設側が管理・運営の主体で,その一部として職員がいるという体制では,サービスの利用者と提供者という関係が形成されにくく,また自覚されにくい。
 基本的な生活水準さえ確保できていない例があるのだから,介助のあり方は改善されるべきだし,またそれは様々な方法で可能であろう。施設の自治会等が交渉の主体となって,施設側と交渉を行い,そのあり方が改善されている施設もある。しかし,その先の問題となると,たとえば,利用者が介助者を選び,契約を結び,利用者の要望に応えられないサービスの提供者は契約を解除できるようにするなど,システム自体を変えていく必要が出てくる。

 ◆医療(問8)

 健康管理についての満足度は,療護施設2.1(70点),グループホーム2.0(67点),一人暮らし1.9(63点)と大きな差はない。
 かかりつけの医療機関は,療護施設では施設内診療所などが多く,そこで筋緊張緩和剤などの投薬を受けている人が3名いる。グループホームでは近隣の総合病院や障害者専門病院などを受診している人が8人,そこで筋緊張緩和剤などの投薬を受けている人が3人いる。その他は地域の病院の対応が悪く受診していない。一人暮らしをしている人では,近隣の総合病院や障害者専門病院などを受診している人が4人,そこで筋緊張緩和剤などの投薬を受けている人が1人となっている。
 段差の問題から電動車椅子で一人で通院できない病院があるという指摘(G1b,s=2)があった。医療サービスを受けるために外出する場合には交通機関,建築物などのアクセシビリティの不備が問題になる。他に,障害者の医療に対応できる病院,医者が少ないという指摘が少なからず見られた。
 「対応はしてもらっているが,脳性まひを理解してくれるところが少ない。」(G2a,s=2)
 「歯科治療など一般の病院ではやってくれないので予約等が大変。」(G4a,s=2)
 「風邪ぐらいだったらどこの病院でもかかれるが,場合によってはかかれるところが決まってくる。」(G6a,s=1)
 もちろん,医療自体が対人サービスの一種であり,介助サービスと共通する部分がある。その対応のあり方を今述べたのだが,医療についての質問への回答をここでとりあげたのは,この理由だけからではない。通院や入院時の人的な援助,また緊急時の対応のあり方に,介助サービスと共通する部分がある,あるいは介助サービスの一部と捉えてよい部分があるからである。この場合に関係するのは医療従事者だけではない。
 療護施設では,多くの場合職員が対応している。ただ,次のような指摘もある。
 「入院の場合には家族に電話がいく。家族がいない人は病院まかせになっている。」また,「単なる発熱の場合も入院になってしまう。投薬の時…ご飯と一緒に食べさせられてしまう。」(N2a,s=0)
 1週間入院した際,「母が泊りこんでくれ,職員は1日1回見舞いということで来てくれた。」(N5a,s=3)
 入院する時には家族が世話をすることになる場合がある。基本的には病院側が対応すべきなのだろうが,現状ではそれは難しい。施設と別の場所にある病院に入院すると,施設の職員は対応できない。こうした場合には,施設につく職員よりも――ホームヘルパーによる対応は現行制度上は難しいが――介助者として人につく職員(介助スタッフ),在宅サービスを行う介助者の方が融通がきく。通院にしても同様である。
 「職員が,あるいは福祉タクシーで,薬をもらいに。」(G1a,s=2)
 グループホームの「職員が通院に同行」。(G1c,s=3)
 「入院になれば介助体制を調整して,介助者に病院に来てもらうことになるだろう。親には頼む気はない。」(G2a,s=2)
 10日間の入院の際,「ヘルパーを付けてくれた。」(G5a,s=3)
 病気になったら,「介助者が対応するだろう。」(Ib,s=2)
 病気をして自宅,グループホームで静養する時にも,友人,介助者,ボランティアが対応したという回答がいくつもあり――「介助者(学生アルバイト)を延長して対応」(Ij,s=2),他にG2a,Ia,Ib,Ic,Id,Ie,等――,意識的に親や身内には連絡しないという回答もいくつかあった(G3a,G4a,等)。
 そして,特に緊急時,自らがサービスを利用している自立生活センターや通っている団体に連絡して対応してもらったという回答があった。
 「ヘルパー,介助者がいない(自宅に来ていない)時に,CIL立川★14に電話して緊急に来てもらったことがある。」(Ii,s=2)
 寝込んでしまった時に「若駒の家★15の職員に来てもらった。」今後も「若駒の家の職員,ヒューマンケア協会★16に依頼する。」(Ih,s=1)
 柔軟な介助体制があれば,特に――もちろん処置に急を要する時には救急医療が対応するわけだが,それに加えて――緊急時に対応できるシステムがあるなら,一人で生活を送ることがより容易になる。そしてもし寝返りの介助は必要でなく,また緊急時の連絡を自分で行えるのであれば,その体制は,夜間の泊りの介助,常時滞在の介助体制を不要とすることにもなるはずである★17。今回の調査対象者の中には医療サービスを常時必要とする人は含まれていないから,対応はそう難しくないという事情もあるかもしれない。しかし,重い病気の人であっても,できる限り住みなれた場所で生活したいという本人の希望を受け入れるべきなのだとすれば,やはり,それを在宅で支えるシステムが求められる。
そしてそれは,狭義の医療サービスだけで対応できるものではないのである。★18

■06 生計(問4)

     s (〇・×は満足・不満足な3項目の一つにあげた人について)
 N1a 3         G1a 生活保護   2 〇
 N2a 0 ×       G1b 生活保護   2 ×
 N3a 3        G1c 年金+特別障害者手当+家賃収入 2 ×
 N3b 0 ×       G2a 生活保護   2
 N3c 3        G2b 生活保護   1 ×
 N4a 1.5 ×       G3a 生活保護   1 ×
 N4b 1        G4a 生活保護   0 ×
 N5a 3        G5a ――
 N5b 0 ×       G6a 年金+特別障害者手当   3 ×
 N6a 0 ×       G6a 年金+特別障害者手当      3 ×

 Ia  生活保護                2 ×
 Ib  年金+特別障害者手当+給料3万     0 ×
 Ic  生活保護                2
 Id  年金+特別障害者手当+給料1.5〜2万   0 ×
 Ie  年金+特別障害者手当          0
 If  生活保護                0
 Ig  年金+特別障害者手当          1
 Ih  年金+特別障害者手当          2 〇
 Ii  年金+特別障害者手当+給料9万     3
 Ij  年金+特別障害者手当+給料2〜3万   1.8 ×

 ※生活保護の受給者も,障害基礎年金と特別障害者手当は受け取っているが,これは収入として認定されるので,生活保護だけを受けている場合と受け取る総額は変わらない。

 不満が大きい項目である。20項目中特に不満な項目を3つを選ぶ質問に対して,これを選んだ人が,療護施設の居住者で5人,グループホームの居住者に7人,一人暮らし4人,計16人と,20項目中最も多数いた。ただ,満足度の平均値を見ると,他の項目に比べて特段に低いわけではなく,またアクセシビリティ,介助の項目の方が満足度が低くなっている。3つ選ぶ中では,もっと収入があってよいはずだという具体的な主張として選ばれやすく,他方で,個別に聞いていく中では,与えられた枠の中でそこそこやっている,やれている人もいるということなのかもしれない。療護施設,グループホームの各々,そして居住者の個々の事情を,現在の状況と発言に即して見ていく必要がある。

 ◆療護施設で

 療護施設居住者の全員が障害基礎年金(1994年:月81,250円)を受給しており,家族から若干の仕送りのある1人以外はこれが唯一の収入源となっている。そのうち費用徴収が約3万円あり,残りが手元に残ることになる。残った額は,被服,趣味教養,交通,通信,嗜好品,外食等の食費,等に使われている。
 収入は皆ほぼ同じだが,満足度にはかなりのばらつきが見られる(s=0,s=3が各4人)。特に不満な項目としてこれを選んだ5人中の4人(1人=N2a,s=0,は特に発言なし)の回答を見る。
 「基礎年金の口座(通帳)は実家にある。55,000円を送ってもらい,残りは親にあげている。もう少し年金額が高ければよい。10万円くらいになればよい。」(N3b,s=0)
 (預金についての質問に)「旅行のために貯め,旅行のために使ってしまう。」(N5b,s=0)
 「自立生活センターの(自立生活プログラム等の)利用に関わる出費が,月約2万円。(自立生活体験室に)体験入居した時は4〜6万円かかる時がある★19。その他,旅行の時は1回7〜8万円使う時もある。」(預金についての質問に)「自立生活のため,これから貯蓄しようと思っている。」(N4a,s=1.5)
 「(施設職員の介助外の有償)介助に月2〜3万円。将来一人暮らしをしたいと考えており,そのための資金を蓄えたい。月に2万積み立てている。」(N6a,s=0)
 基礎年金から施設に払う費用を差し引いた月5万円ほどは,多くの場合,被服費等を除けば,趣味的な部分に出費されることになる。住居,食事,水道光熱等に関わる費用は,大部分は措置費から,そして一部は居住者から施設への月当たり定額,一括して納める費用徴収分から支出されるからであり,またそれ以外にお金を使う場もそうないからである。
その限りでは,5万円という多くはない金額でも,あまり不足ということにならない場合がある。満足度を3とした人が10人中4人いる。
 そして,その額も全額自分で使っているのでない例が見られる。上記したN3bは,年金から自分が受け取るのは55,000円であり,残りは親にいっている。そして,この人が自分で実際に使えるのは,55,000円から費用徴収3万円を差し引いた25,000円であり,この額について不満を感じているのである。そして次の例。
 「家で年金を管理していて,月1万円を送金してくる。服などの購入の際には,家族が月に一度施設を訪問する時に伝える。」(N3a)
 また次のような例もある。
 「通帳を施設に預けている。出納帳はつけてもらっている。」(N1a)
 個人に支給される年金についても,施設(N1a),家族(N3a,N3b)が管理している(管理を委ねている)例があり,そのため自分の収入源等を十分に把握していない人もいる。
 しかも10人全員が金銭の支出に関する自己決定度を3としている。つまり,ここで自己決定とは,金額的にも,用途についても限定された枠の中で――その枠のあり方については自己決定できていないのだが――,その枠は問題とせず(問題にすることが不可能で),枠内の部分について自分が使い道を決めているということを意味している。そしてその枠内であれば足りていると感じられることもある。
 だが一時的にその枠の外へ出ようとするなら(たとえば旅行),またこれから今の枠の中の生活でない生活を送ろうとすると(職員以外の介助者への支払い,障害者団体への参加,将来の生活に向けての蓄え),この枠のあり方,そして具体的な金額は満足できないものになる。(N4a,N4b)

 ◆グループホームで

 グループホームの住居費(利用料)は,G1:45,000円,G2:45,000円,G3:100,000円,G4:28,000円,G6:40,000円 である。他に,(グループホームの中での)食費が25,000〜40,000円,水道光熱費が 7,000〜10,000円ほどかかる。これだけで障害基礎年金の月額を超える。基礎年金だけでグループホームで暮らすことはできない。特別障害者手当を受給していても足りない。
 また前項に見た介助に関わる費用の問題がある。グループホームにおける介助は,ホームヘルパーによるところがあり,また自治体の介護人派遣制度を利用している部分もあるが,それは必要量の一部を満たすに過ぎない。
 そこで,グループホームの入居者の多く(10人中7人)は生活保護を受給している。同時に,生活保護の他人介護加算を受給している。厚生大臣承認の特別基準額では月16万円ほどになる。住居費を払い,介助を確保するために,他の制度が十分でなければ,他人介護加算を含む生活保護を受給する必要がある。(受給していない3人のうち2人は,他の人に比べれば介助の必要度が少ない。)この加算額を含めると生活保護の総額が月38万円ほどになる(基礎年金と特別障害者手当は収入認定されるから,この総額は変わらない)。
 G3の住居費は,他と比べてかなり高いが,それでもこの地域の地価や一般の家賃を考えれば,とりたてて高額ではない。入居者が払う住居費と介助費用によって,賃貸料を払い,介助を確保していくために,居住者が他人介護加算を含む生活保護を受給することが最初から前提されている。
 残る3人中1人は,基礎年金と特別障害者手当の他,家族と共有名義の不動産があり,そこからの収入の一部(月15万円)を家族から送ってもらっている。これが介助費用にあてられる。残る2人(G6に居住)は基礎年金と特別障害手当の他に親からの仕送りがある。この2人は介助の必要が他の人に比べれば少なく,介護加算の必要度が低いのでそれでもなんとか暮らせる。
 10人中満足度を0としたのはG4a1人である。G4の介助費用は,グループホーム全体の運営費の中からも出ているが,休日や余暇などの介助費用は個人の支払いとなり,この人の場合は月 101,000円支出している。だが生活保護の介護加算は得ていない。そのため,月々のやりくりが非常に厳しくなっている。ここでも介助費用の問題が大きい。
 自己決定の度合いについては,8人が3としているが,G6a,G6bは0としている。このグループホームでは収入の全額を職員に預け,その中から小遣いを月に5千円ほど受け取る(身体障害者のグループホームについて,他にこうした方法がとられている例は聞かない。またこのグループホームの運営主体がかかわる他の生活の場でもこうした方法はとられていない(→注26)。その使途の詳しいところを本人達は把握していない。今のところ,それほど外出の機会なども多くなく,とりあえずはこの額で足りてもいるから,その限りではそう不満はないが,別の生活・支出の仕方,金銭管理のあり方を考えれば不満な項目の中に入る。各項目について聞いた満足度と全体の中から3つを選ぶ質問に対する回答の間の一見した矛盾は,このように解釈できるかもしれない。
 これまでの社会経験の蓄積の度合いは個人によって差がある。また,療護施設,グループホーム双方について,知的な障害のある居住者の割合が増えている。金銭の全面的な自己管理を最初から実現するのは,実際問題として難しい場合があるだろう。だが,次の段階への準備という,居住者当人達のグループホームへの期待を実現するためにも,収支に関する(完全なというのでないにしても)自己管理に段階的に移行していくための手立ては必要だろう。また,このグループホームは,設立・運営の経緯として,障害をもつ当事者の運動の中で設立され運営されている他のグループホームと異なるところがある。このことも関係しているのかもしれない。
 他の5つのグループホームでは,金銭の管理は個人にまかされ,共同で購入する部分については当事者主体の運営会議が決定をしている。療護施設における金銭に関する「自己決定」とは意味が異なる。(施設の外では)普通になされている決定がなされている。

 ◆一人暮らしの人の

 一人暮らしの人では,3人が生活保護,他は障害基礎年金と特別障害者手当が基本的な収入である。以前は,一人であるいは自ら家族を形成して暮らす人では生活保護を受給している人の割合がもっと高かったのではないか,また,現在でも全体の3割よりは高いのではないか。今回の調査が全体を反映しているとは必ずしも言えないのではないかとも思われる。ただ,少なくとも一部地域では,一つには介助に関わる制度の充実によって,一つには自立生活センター等で有給のスタッフとして働いている場合はその収入(10〜20万円代の月給が出るところも数は多くないがある)と年金を加算すれば暮らせる人が出てきたことによって,生活保護で暮らす人の割合が徐々にではあるにせよ小さくなってきているのかもしれない。
 当然,全員が自分で金銭を管理している。生活保護の受給者はいずれも他人介護加算をいわゆる特別基準で受給しており(2人は知事承認約10万円,1人は厚生大臣承認約16万円),ここでも介助費用が生活保護受給の選択を促していることがうかがえる。
 給与所得等がある人は4人で,3人が月2万〜3万円,1人が7万円ほど。
 家賃は1万円未満(持家,借地代)1人,1万円台1人,2万円台1人,3万円台1人,5万円台3人,7万円台3人。総支出中のかなりの割合を占めるが,立地条件(→2)等を考えての選択である。電動車椅子等を使った外出のことを考えるなら,また介助者の交通の便を考えるなら,駅から近いことが求められる。また車椅子でいくらかでも動けるだけのスペースを求めるなら,また夜などに介助者を入れる必要がある場合には,あまり狭いところに住むわけにもいかない。それであまり安い(遠くて狭い)ところには住めないということになるのだが,使える金額に限界はあるから,広さの方はあきらめるということになる場合が多い。

 ◆誰に渡り誰が決めているのか

 収入・支出のあり方,そしてそれに対する感覚は,生活の形態によってかなり異なる。グループホームの居住者そして一人で暮らす人達にとっての収入は,介助に要する費用を含め,生活に必要な費用のかなりの部分を占めるものとしてあり,特に介助費用が有償の介助を得るのに十分でない場合に,あるいはぎりぎりの状態である時に,経済状態に対する不満あるいは危機感が強くなる。
 他方,療護施設で実際にかかっている費用をみれば,措置費と自治体独自の加算(N4,N5,N6ではこれが措置費をはるかに上回る)が大部分を占め,利用者からの費用徴収分の割合は高くない。そしてこの費用の使途は基本的に施設側によって決定される。利用者は,年金から費用徴収分を差し引いた額について,そして限定された使途に関して,自己決定をしているのであり,食・住,そして介助等の生活の基本的な部分については決定できない。このことが,経済状況についての評価としては表面に現れないにしても,これまで見てきた居住空間のあり方や介助のあり方に影響している。また施設の外の生活との障壁を作り出し,維持している。
■07 活動(問8・9・10)

                       満足度:活動 余暇グループ余暇・個人
N1a:クラブ週2                 0    3    1
N2a:クラブ                   0    3    0
N3a:施設内の活動には参加せず          3    2    2
  b:クラブ週2.5・自治会             2    2    3
  c:クラブ週3・自治会・障害者団体       3    1    2
N4a:自立生活センターへ週1           2    2    2
  b:クラブ                   1.5    1    −
N5a:自治会・サークル              2    0    0
  b:自治会・サークル              2    2    3
N6a:作業所週5                 3    −    −
                         
G1a:       音楽(時折コンサート)    2    0    0
  b:作業所週3日 飲むこと           2    2    1
  c:       旅行             3    1    3
 G2:作業所週3日 旅行・音楽          2     2    1
   :       宝塚             3    2    3
 G3:障害者団体週5日 パソコン 食べに行く   2    2    1
 G4:作業所週4日 お酒を飲みに 美術館     0    2    1
 G5:作業所週3日 公民館活動 読書       3    3    3
G6a:作業所週5日 年間行事の方特になし     0    1    1
  b:  〃       〃           0    1    1
                         
 Ia:障害者団体週3日 編物教室に月1      2    1    3
 Ib:作業所週5日 旅行,映画,飲食       2    0    3
 Ic:作業所週5日 パソコン           2    1    2
 Id:障害者団体週5日 スキューバ,編物     1    3    0
 Ie:作業所週4日 コンサート          1    1    2
 If:作業所週6日 デート,など         0    3    3
 Ig:作業所週5日 作詞のグループ        3    3    3
 Ih:作業所週6日 カラオケ,飲みに行く     3    2    2
 Ii:障害者団体週4日 テレビ,読書       3    2    3
 Ij:障害者団体週2日(他は在宅で仕事)旅行   1    0    2
 以上では,施設,作業所等の年間行事・活動は省いてある。それ以外についても一部をあげたに過ぎない。詳しくは第V部を見ていただきたい。
 それぞれの満足度の平均は,下のとおりで,一人暮らしをしている人で,個人での余暇活動についての満足度がやや高いが,他は大きな違いはない。

           仕事などの活動  グループでの余暇活動  個人での余暇活動
療護          1.9(63点)      1.8(60点)    1.6(53点)
グループホーム     1.5(50点)      1.6(53点)    1.5(50点)
一人暮らし       1.8(60点)      1.6(53点)    2.3(77点)

 上には主に週単位でスケジュールの決まっている活動,余暇活動の一部をごく簡単に記した。他に,グループホームでは入居者会議があり,理学療法・作業療法の時間のある療護施設の入居者がおり(N3b,N3c,N4a),年間行事の企画,行事への参加等があり(旅行,催しもの,他にグループホームの場合には,介助者の募集,行政交渉,等),個人的な余暇活動がある。

 ◆療護施設居住者の活動1・サークル,自治会活動

 療護施設内のクラブ,サークル活動には多くの居住者が参加しており,その満足度は上記の「余暇(グループ)」に記されている通り。N5a(s=0)は「本当はもっと他にやりたいことがある」という回答だった。
 「自治会と職員との話し合いが月1回ある。役員は5人」(N3c,s=3)
 今回の調査対象者となった療護施設の居住者の中には,自治会★20の役員を務めている人が4人いる。
 「2月から3月は総会の準備で忙しい」(N3b,s=2)
 「会議が多く,忙しくきつい面がある」(N5b,s=2)
 と,相当に大変のようだが,同時に,やりがいを感じ,充実感を得ているようだった。自治会は,自分(達)の生活,生活している場所について考え,施設の運営のあり方に対して発言し,そこに参加する場になっている。
 「自治会活動はやってみて実感していくもの。やめる時は施設を出る時だと思っている。もっと自分のQOLを考えたいから。」(N5a,s=2)
 自治体との交渉や,障害者団体の集まりに参加すること(N5a,N5b)が,施設の外側との関係を持ち,外側から施設を見ることにもつながっている。


 ◆療護施設居住者の活動2・施設の外での活動

 施設外の団体での活動に参加し,それが大きな意味をもっている人達が3人いた(N3c・s=3,N4a・s=2,N6a・s=3,平均89点,他の7人の平均は50点)。
 「〇〇(隣の市にある自立生活センター)への参加が生活のはりあいになっている。6〜7人をグループとして3人の職員が担当。個別援助(1対1の送迎等)もある。〇〇に有料介助を頼む時も。」(N4a)
 「9年前から△△の家(隣の市にある作業所)に通い始めた。今では園でも作業などやっているが,入居した時にはなにもなかった。何かしたいと職安に行ったら紹介された。週1日から始まり,最初は職員が手動車椅子で送迎した。週2日に増やしボランティアを活用。94年から電動車椅子で一人で週5日通い始めた。」余暇活動としてしたいことは「特になし。今は△△の家に通っていることで満足。」(N6a)
 友人についての質問(問15)に対してもこの3人はこれらの団体のメンバーをあげ(他の人では養護学校時代の同級生等の回答が多い),またこの中の1人N6aは,キー・パーソンをあげてもらう質問に対しても上記の団体のメンバー,この団体とも関係のある自立生活センターの事務局長をあげている(他の人では友人,妹,弟,等)。また,こうした活動への参加が,施設の外にいる人達,施設の外の社会との関係の形成に,また将来の展望を具体的に描くのに,重要な意味をもっていることは,後の項目でも報告する。
 またこうした活動には,徐々に施設外からサポートを得たり,一人で行動する範囲を広げていくにせよ,少なくとも当初,施設(の職員の)側の支援,理解が必要である。そしてそれ以前に,まずそうした組織が通える距離になければ参加することができない。施設内で完結する活動についてはそれなりに充足していても,これらの条件が整っていないと,それ以外の個人的な活動をしようとしてもできないことになる(N1aとN2aの「余暇(グループ)」「余暇(個人)」の点数を参照)。

 ◆グループホーム,一人暮らしの人の活動

 グループホーム入居者,一人暮らしの人のすべてが障害者自身が運営する団体の活動に参加している。うち前者7人,後者4人は作業所に通っている。グループホームでは,グループホーム設立の主体となった組織が関係する作業所があり,そこでの活動が生活のかなりの部分を占める。ただ,作業所といっても,当事者によって設立され運営されている場合は,単純作業を行う場という色彩は概して弱く,運動体,サービス提供,交流の場としての性格が強い。複数の組織に参加する人も多い。こうして全員が何らかの日中の仕事を持っている(平均活動日数は各週4.1日,4.5日)。
 そして,療護施設のクラブ,サークル等では施設内で活動が完結するのに対し,グループホームの場合には,ともかくも生活の場と日中の活動の場とが分れている。ただ,活動の場でのメンバーと生活の場としてのグループホームのメンバーに重なる部分が大きい。一人暮らしの人の場合には,グループホーム居住者よりいっそう,家に帰っての生活の日中の活動からの独立性は高い。後にみる,外出,近所づきあい等のあり方の違いにはこのことも影響しているだろう。
 満足度は総じて高い。G4aの「活動」の項目での不満(s=0),G1a・G2a・G4aの「余暇」「余暇(個人)」の項目の不満は,そうした活動が忙しすぎ,他の活動をする時間がとれないというところにある。ただ,G6の居住者は,他と比べて満足度が低い(自己決定度の評価も)。これは,このグループホームの居住者が通っている作業所での作業内容が予め与えられており,それが単純作業を主としたものであることによる。「もっといろんなことをやりたい。陶芸とか焼き板とか。」(G6a)スポーツ等の「サークル活動とかグループがあったらいいなと思う。」(G6a,G6b)
 他にも,G4aはアジアの障害児を支えるNGOに参加している。「この会の活動を機会にタイに2回旅行した。週1回会合があるが忙しく月に1回行ければよい方。」(1993年時点),「作業所活動,特に阪神震災関係のカンパ活動で忙しく,今は会合に行けていない。」(1995年時点)また,G5aは公民館活動に参加し,道路点検などをしており,G3cは聴覚障害者の団体の活動に参加している。
 そして,これらの活動は,仕事・対・余暇という対立の中での仕事として位置づけられてはいない。「センターでの活動そのものが余暇ともつながる。」(G3a)上記した3人の活動も,「余暇(団体)」についての質問(「定期的に参加している余暇やスポーツのグループ・サークルなどはありますか」)に対する回答としてあげられたものである。
 他に希望として,
 「カルチャークラブに通ってみたい。歴史とか文芸作品の解説とか。」(G2b)
 「スポーツをしたい。水泳をやってみたいけれど,更衣の問題とかがあるし,場所がない。」(G5a)
 一人暮らしをしている10人のうち,4人が作業所に通っており,6人が障害者自身が運営する他の団体の活動に参加している。全員が何らかの日中の仕事を持っている。Ijは主に自宅で仕事をし,週末等に会議,打ち合せで外出する。10人の平均の活動の日数は週 4.5日である。
 これらの作業所や団体は,彼らの一人暮らし生活への移行の援助の役割を果たしたり,また現在の生活を支える人的ネットワークの核となっている。緊急時の連絡先としてあげた人も多い。また,一人暮らしを希望する障害者に対し彼ら自身が援助する場ともなっている。活動自体には充実感を感じている。不満は,忙しすぎること,活動からの収入が少ないといったことに対するものである。また10人中7人がホームヘルパーの派遣を受けているが,平日の日中,自宅で待機しなければならないため,これらの活動が制限を受けてしまうことに不満がある。(Ijは留守中にヘルパーに来てもらっている。)
 余暇活動としては,スキューバダイビング,編み物教室,作詞のグループに参加している人がおり,彼らは総じて満足度が高い。仕事が忙しすぎて趣味のグループに参加する時間がとれないという人が4人いて(Ia:s=1,Ib:s=0,Ic=:s=1,Ii:s=0),この理由による不満が平均値を下げている(4人の平均16点,残り6人の平均78点)。
 個人での余暇は街中の娯楽施設や旅行などがあげられており,療護施設,グループホームと比較して満足度が若干高くなっている。Id(s=0)の不満は,ゲームセンター,温泉,プール,ボーリング場などの施設のアクセスの悪さに対するものである。余暇については,団体,グループとしての活動よりも,個人としての活動の方が比重が大きいということもあるかもしれない。

 ■08 立地(問6)

                 満足度:立地(問6)外出(問12)アクセス(問13)
N1:スーパーまで30分           2     0     0    
N2:駅まで15分              −     1     0    
N3:バス停まで1分,駅までバスで20分   3・0・3 2・1・3 2・0・0
N4:バス停まで10分※           0・0   3・1   3・0  
N5:駅まで30分              3・1   1・3   3・0  
N6:駅まで7〜8分            3     3     0    
※施設専用のバスで駅まで10分                    
                   平均 58点    60点    27点

G1:駅まで10分,近くにコンビニ      1・1・− 2・3・3 1・1・0
G2:便利                 −・−   2・2   0・1  
G3:便利な立地,近くに商店街       2     2     1    
G4:駅まで5分,近くにスーパー      3     3     0    
G5:駅まで40分,近くにスーパー      1     3     1    
G6:バス停まで10分,駅までバスで15分   −・−   0・0   2・1  
                   平均 53点    67点    27点

Ia:駅まで5分,近くにコンビニ      3     3     1
Ib:駅近い 買物には困らない       2     2     0
Ic:駅,店近い              3     2     2
Id:駅まで10分              3     1     3
Ie:最寄り駅,スーパーまで5分※     −     2     2
If:駅まで5分 商店街はもっと近い    3     2     0
Ig:駅,スーパーまで3分         3     2     3
Ih:駅至近を条件に家探し 近くにスーパー 2     2     2
Ii:駅まで30分※,すぐ近くにスーパー   2     3     1
Ij:駅まで10分,近くにコンビニ・弁当屋  2.6     1     1.5
                   平均 87点    67点    53点

 ◆グループホームの立地

 療護施設のいくつかが市街地区から遠く離れたところにあるのとは違い,今回調査したグループホームはすべて市街,住宅地の中にある。
 特にG1〜4は最寄りの駅までの電動車椅子で5〜10分と距離が短く,商店街等も近くにある。利便性はよいとした回答が多かった。
 他方,最寄り駅まで電動車椅子で40分(実際には60分かかるエレベーターのある別の駅を利用することが多い,駅からもこちらを使うように言われている)かかるG5の居住者G5a(s=1)は,「駅まで遠いと感じている。もう少し近いといい。夜遅くなることもあるし,雨の時もある」と答えている。
 G6は団地が多い住宅街の中にあるが,車椅子利用者にとっては便利な立地条件ではない。他の事情もあり(後述),実際にも外出の機会が限られていて,良い悪いの評価が即座に下せないようだった。なお,ここでは,住宅街の1軒をグループホームとするに際し住民の側の反対運動があったという。
 居室(問5)の日照についての質問で,G1,G2,G3の4人が「悪い」と答えた(療護施設入所者では6人が「よい」)。これはグループホームが比較的住宅の密集地にあるのに対し,療護施設のほとんどは市街から離れ,十分な敷地が確保されていることによるだろう。十分な予算を使えれば別だが,現実には障害をもつ人の住居に限らず制約はあり,敷地面積,採光,通風,等を優先するか,これらの条件が十分に満たされなくても街中での生活をとるかという選択を迫られる。グループホームは基本的に後者を優先し,その上で可能な限り居住性を確保しようとしているようである。
 4段階で答えてもらう質問に答えがない回答や満足度1の回答が多かったのは,後で見る駅の設備等,アクセシビリティ(問15)に対する評価を含めた場合に何とも言えない,あるいは評価が低くなるといった事情によるようである(G1a,G1b,G5a:いずれもs=1)。不満は,街中での居住,移動を確保した上での駅などの利用の不便さに向けられている。周囲に人家,商店街,娯楽施設,交通機関等がある,あるいはないのと,それらを訪れたり,利用したりする時の便利,不便とを分けることはできるにせよ,実際の生活の上では連続している。この辺りを分けて聞こうとすれば,質問の仕方を工夫すべきだったと思う。

 ◆一人暮らしの人が暮らす場

 一人暮らしの人では,最寄り駅まで5〜10分程度のところに住む人が8人。駅員の数が少ないなど電動車椅子への対応が悪いため最寄り駅が使えず,30分ほどかかる別の駅を利用している人が2人いる。かれらの多くが,まず立地条件,特に一般交通機関利用へのアクセシビリティや介助者にとっての交通の利便性を住居を選ぶ際の条件にしており,このことに対する満足度は高い。加えて,その住居を選んだという自己決定度も高い。買物をするに当たっての便利さも,その選択の際の条件になっているようだ。
 「概ね住みやすい。買物には困らない。」(Ic,s=3)
 「住みよい。商店街は近い。銀行もあるし。」(If,s=3)
 「駅まで近く,買物も便利なので満足している。」(Ig,s=3)
 「最寄りの駅に近い。(介助の)学生アルバイトの人が立ち寄りやすいように,立地条件をまず第一に考えた。近くにスーパーがあり,駅にも近いということを条件に探した。銀行も近くにある。」(Ih,s=3)
 「すぐ近くに西友。買物は行ってもらったり,自分で行ったり。立川駅の駅員の対応はよい。運動の結果。」(Ii,s=2)
 「コンビニ,弁当屋がすぐ近く。スーパー,デパートも近くにある。区内で,家賃が駐車場(介助者が運転)込みで10万円以内,スロープがある,2間,という条件で探してここしかなかった。」(Ij,s=2.6)

 ◆療護施設の立地

 施設が住宅街の中にない,駅や商店街までの距離が遠い,交通手段が便利でない療護施設としては,N1,N3,N4があげられる。
 N1は地方都市の農地に囲まれた中にある。N1a(s=2)の回答は「自然はいい。生活には不便。」というものだった。
 N3は駅からは遠く,近くに住宅も少ない。徒歩5分ほどのところにコンビニエンス・ストアがあり,N1,N4と比べれば,少し便利と言えるかもしれない。N3a(s=3)は「外にはあまり出ない。月に1回程度。」と答えている。
 「施設の周辺で自分で用を足すことはない」(N3b,s=0)。
 N4は都市部にあるが,高台の上にあり,車椅子,電動車椅子で駅まで行くのは不可能。施設開所当時は民家もあまりなかったところである。N4aは「空気は良いが,山の上で外出しづらい。」(s=0),N4bは「施設のバスを利用して外出する。気軽にショッピング等できるところはない。外出が自由にできない。」(s=0)と答えている。
 以上と比較すると,N2,N5,N6は移動が便利である。N5は30分程度と時間はかなりかかるが,駅まで電動車椅子で行くことができる。N5a(s=3)とN5b(s=1)の満足度の差は,施設周辺の移動しやすさについてどこを評価するか,分れていることによる。N5aは「平坦で道幅が広い」と答え,N5bは「病院街なのに段差が多い。段差を切ってあっても角度がきつくて大変。歩道に電柱がある。」こうした「設備面を除けば満足」としている。
 N6は電動車椅子で7,8分で単独で最寄りの駅まで行くことができ,今回調査した療護施設の中では最も立地条件がよい(N6aのs=3)。
 市街地にあるのとないのとでは著しい違いがある。
 障害のない人であれば,郊外でバスの便もよくないところでも,自家用車の利用等によって不便を感じないかもしれない。しかし,障害があるとそうはいかない。電動車椅子で直接,単独で,商店街や最寄りの駅まで行けるような場所,途中に急な坂等がない場所に住居があることが大切になってくる。今回調査したグループホームはかなりの程度この条件を満たしている。一人暮らしの人はそういう場所を選んでいる。だが,多くの療護施設はそうではない。むしろ,土地の価格の問題等から,近年になって開設された療護施設ほど,住宅街,商店街から離れたところに置かれることが多い。このことが外出等の社会生活を大きく制約しているのである。

■09 外出(問12)

 ◆グループホーム,一人暮らしの人の外出

 グループホームに暮らす人達の外出は,まず日中の作業所等への行き来(→活動の項)である。仮に活動の内容が療護施設内で行われるものと変わらないとしても,一つの建物の中で生活が完結するのとそうでないのと,その生活は同じでない。
 次に買物のための外出がある。施設から支給されるもの以外の嗜好品を買いに行くというのではなく,日常的に必要なものを買出しに行く必要がある。G1,G2,G5の居住者達は平均して週に1回程度近くに買物に出かけている。G4aはほぼ毎日,電動車椅子で5分ほどの駅近くの商店街に買物に出かけている。
 他に
 「居酒屋に週3回」(G1b,s=3)
 「2週に1回,電車に乗って,酒を飲みに行ったり,会議に出たり」(G4a,s=3)
 等。ただ,まだ自発的な外出の機会をつかめないグループホーム,その入居者もいる。G6では,平日は作業所に通い,休日もグループホームと関係のある団体の行事に出かける。日常的な買物は職員がしている。
「もっといろんなところに出たいですけど,なかなか出れないです。」(G6b,s=0,G6aもs=0)。
 G6の居住者2人を除いたグループホームの居住者の外出に対する満足度は全般的に高い(s=2〜3,8人の平均が75点,10人では67点)。
 一人暮らしの10人も,グループホーム居住者と同様,よく外出している。障害者団体の活動等,自分のスケジュールや必要性に応じて,またショッピングの楽しみを求めて,出かけている。また,グループホームの運営主体と作業所など活動の場の運営主体とが重なっていることが比較的多いグループホームの場合に比べ,個人行動の部分がより大きいようである。日常生活用品は近所の店やコンビニエンスストア,スーパーで求め,休日などには繁華街に出かけていく。自分の行きつけの商店やデパートがあり,よく研究している。洋服を買う店,電気製品を買う店,レコードを買う店とそれぞれのお気に入りの店をもっていたりする。
 満足度の平均は,グループホームの居住者と同じでs=2.0 =67点。満足度を低く答えた人は,階段が多い等の物理的な障壁を指摘している。また,毎日の生活に追われていて,時間的なゆとりがもてないこともあげられていた。
 「時間が欲しい。」(満足度の理由として,Ic,s=2)
 「単独行動が多いので階段など不便」(Id,s=1)
 「階段等については不便」(Ig,s=2)
 医療(問8),立地条件(問6),個人の余暇活動(問10)についての回答にもあったように,ここでも,問15で聞くことにしていたアクセシビリティに対する評価が入ってきている。

 ◆療護施設に暮らす人の外出

 療護施設では,まず各施設間の居住者の外出に対する姿勢,施設側の体制の違いが大きい。
 N1では,月1回の面会の時だけ,面会者が付き添えば外出できる。職員が足りないからだという。N1aはこの面会の時に両親とショッピングセンターにでかける(s=0,d=0)。
 N2では「門限」が19時に決まっている。これは大人が暮らす場所としては普通ありえないことである。ただN2aの自己決定度の評価は3になっている(s=1)。門限があることは既に所与の条件になっていて,その制約の中でともかく好きな場所に行けるということだろう。年に10回ほどいくつかのターミナル駅周辺に遊びに出ている。その際に買物もする。N2aは,個人的に関係を作ってきた20人以上の友人,ボランティアが施設外にいて,その人達とのつきあいを楽しんでおり,一緒に外出もする。N2で他にN2aのような人はいないようだった。
 またN3では「園外買物」(職員が介助する)は月2回までと決まっている。これ以外にはあまり外出しない人もおり(N3a,s=2,d=3),他の入所者に頼まれたりして近くのコンビニエンス・ストアに週3〜4回買物に行く人もいる(N3c,s=3,d=3)。N3bは月1回程度「園外買物」に出かけ,月に1〜2回実家に泊まりに行き,3月に1回ほど友人と飲みに行く。施設周辺で自分の用を足すことはない。「もう少し回数多く外出したい」(s=1,d=2)。
 以上に比べると,N4,N5,N6は外出の条件が整っている。
 N4では前もって介助の要望を出しておくとそれに合せて職員が介助に応じる「介護要望制」がとられ,それを利用して外出をしている。N4aは隣の市にある自立生活センターに通っている(s=3,d=2)。
 N5は電動車椅子で行ける距離に商店街があり,N5aは月2回程度近所で買物をする(s=1)。N5bもいろいろな店に買物に出かける(s=3,d=3)。
 N6aは隣の市にある作業所(といっても作業が主体の場ではない,全国自立生活センター協議会の準会員団体)に毎日通っている。また電動車椅子を利用し,単独で,最寄り駅の周辺や沿線の駅周辺に買物に出かけている(s=3,d=3)。
 以上,療護施設の入居者の外出は,第一に,(先に見た)施設の立地条件と(次にみる)周辺のアクセシビリティの度合いによって制約され,第二に,介助要員が用意できるかどうか(→介助の項)といった事情にも関係して施設側が課す制約によって限界が設けられる。そして,第三に,当然,施設の外にどのような活動の場があるか(→活動の項)によってその度合いが定まっている。第一・第二の要因によって外出の機会が狭められている施設入居者がいる。また,第三の要因,生活に要する最低限を施設の側が支給していることにより,また活動・余暇の項でも見ることだが,施設の外に活動の場がないことによって,外出する動機,外出の必要が当人にあまりないということにもなっている。もちろん,これらの要因は互いに関連し合っている。街並みを離れ,単独で移動できないような場に施設があると,介助の職員が付き添ったり,施設の自動車を出したりする必要度が高くなり,それが用意できない場合には外出そのものが制約される。また,施設の外に活動の場を求めようとしても,そのための外出が制約されていればそれを実現することができない。N4a,N6aは,施設の外に活動の場(自立生活センター)を持ち,活発に外に出ているが(いずれもs=3),それはまずそのような場が通える距離にある(そのような地域に施設がある)こと,そして施設の側も外に出ようとする入居者の要望に応えようとしていることによっている。
 そして,これら,最も頻繁に外出している人達が,一般的なグループホーム居住者,一人暮らしの人と同じ程度であり,しかもその人達は,施設外に施設と別の組織とのつながりを持つ人達である。そして,それでもなお,療護施設居住者の外出の場合には,買物など,日常生活の必要のための外出,日常の生活を自分なりに成り立たせていくための外出という性格は薄い。

■10 アクセシビリティ(問15)

 満足度は総じて低い。特に,グループホーム,療護施設の居住者に,周囲のアクセシビリティに対する不満が大きい。20項目中,特に不満な項目を3つあげる質問に対しても,この項目をあげた人が,グループホームで6人,療護施設で2人いた。そして既に見てきたように,立地についての質問(問6),外出についての質問(問12)への回答の中にアセクシビリティについての指摘が相当含まれており,これらについての満足度を低くしていた。
 このことはもちろん,居住地周辺の交通機関等が障害者に使いよいように整備されていないことを反映している。他に建物の入口や歩道の狭さ,段差,路上の障害物,等が指摘された。特に駅員の対応を含め,駅のアクセシビリティがよくないという回答が多かった。
 「駅員の対応は悪い。一人で行っても出てこない。通行人に頼むしかない。」(N2a,s=0)
 「JRの駅はだめ。」(G1c,s=0)
 「駅は不満。スロープで対応してほしい。」(G2a,s=0)
 「駅にエレベーターがなく駅員の態度が悪い。特にJR駅の整備,職員の態度を改善してほしい」(G4a,s=0)
 「駅にスロープ,エレベーターがない。」(G6b,s=1)
 「(最寄り駅に)エレベーターはあるが,トイレが中2階にある」(Ib,s=0)
 「近くの駅がまったく使えず不満。隣の駅まで行くのは寒い時はつらい。」(Ie,s=2,「家の周囲の環境はよい」)
 他には,次のような指摘があった。
 「段差が多くて一人で外出できない。」(N3b,s=0)
 「歩道が跡切れる。歩道に障害物や穴がある。」(N3c,s=0)
 「坂が急。工事が多い。」(N4b,s=0)
 「段差がある。電柱が歩道にある。道がでこぼこ。」(N5b,s=0)
 「建物の段差がある,入口が狭い。車椅子用トイレがない。エレベーターが少ない。」(N6a,s=0)
 「車椅子のまま入れる飲食店が少ない。」(G2a,s=0)
 「坂道,段差。問題が多い。」(G3a,s=1)
 「平坦な道路がほとんどなのは便利。しかし建物入口や通路が狭い。銀行などに段差がある」(G4a,s=0)
 「歩道が狭い。自転車の置き場になっていたりする。」(G5a,s=1)
 「自転車が進路の邪魔になる時がある。商店街は人が多く気を使う。店が狭い。駅はエレベーターもあり,対応もよい」(Ia,s=1)
 「スーパーの入口などに自転車が多く,入れない」(Ic,s=2)
 「ドブの上にブロック。駅の階段が不便。銀行の入口に段差。」(Ig,s=0)
 「(自分が住んでいる街がということではなく)全般的にアクセスはまだまだ。入りたいと思うが入れない店とか。」(Ii,s=1)
 そして,アクセシビリティに対する意識には,その人が実際にどの程度外出しているのかも関わっているようだ。外出する機会が多い人ほど不満度が高いようである。そうした人達の方が具体的で厳しい指摘をしている。外出する機会自体が少ない場合には,それ自体がアクセシビリティが低いことに起因するにしても,強い不満感を持つことが少ないということである。
 「外出はあまりしない」(N3a,s=2)
 「家に帰る時は自家用車に乗る。不便はあるがあまり不満は感じない。」(G6a,s=2)
 ただ,一人暮らしの人に満足度の高い人が何人かおり,平均値も他に比べるとやや高い(療護施設,グループホームが双方27点であるのに対して,53点)。今回の結果が全般的な状況を反映していると言えるだけの根拠はない。ただ,選んで住んでいる地域であること,その地域に一人で暮らす障害者が比較的多く,そうした人達の働きかけもあって,条件が相対的に整っていることが関係しているようである。
 「不自由はない。道はゆったりしている。駅もスロープがある。店も入りやすい。対応もいい。」(Id,s=3)
 「住みやすいと思う。平坦,駅にエレベーターがある。店の人も理解してくれる。」(Ig,s=3)
 「周辺は歩道が広い。駅はエスカレーターがあり,駅員の対応は,今まで使った中では一番よい。」(Ij,s=1.5)

■11 近所づきあい(問14)

 療護施設では,N1〜N4までの7人中,5人が満足度について回答していない。つきあいがまったくないので満足度についても回答できない,回答しようがないということのようだった。
 「バザーに地域の人を呼ぶ,地域の祭に参加」(N1a,s=−)
 「園の納涼大会,文化会(が地域に開放されている)」(N3c,s=1)
 N3aは「なし」(s=−)
 N2bは「特になし。名前も知らない。」(s=1)
 行事等々において地域との「交流」が図られていることは,あまり大きな意味を持たないようだ。むしろ,近所への買物等,外出時の関係のあるなし,またその関係のあり方が影響しているようだ満足度をついて回答があった5人中,スコアを3とした2人の回答は以下のようなものだった――他には,N5bがS=2,N3b(「特になし。名前も知らない。」)とN3c(「園の納涼大会。文化祭。」)がs=1。
 「お店の人(電気屋,パーマ屋,薬屋,花屋)と話したり,挨拶したり」(N5a,s=3)
 「買物の時,品物の取り出しを介助してもらったり。トイレ介助を依頼することもある」(N6a,s=3)
 近くに住んでいる人というより,近くの商店街などでの付き合いを近所づきあいのことについて答えている――そのためには商店(街)が近所になくてはならないし,外出が容易でないとならない。
 グループホームに住む人にも満足度については回答のない人が3人いた(G3a,G6a,G6b)。G1・G2・G3・G4・G6がグループホームとして町内会に入っている(ただしG6では職員が出席)。個人的には挨拶程度と答えた人が多い(G1b,G2b,等)。これはグループホームの居住者に限らず,都市部に住む人の一般的な傾向かもしれない。ただ,次に見る偏見についての項目も合せた時,やはり具体的な接触のあるなしが近隣の人との関係のあり方に影響しているとは言えそうだ。
 「近所に住む人とは挨拶くらい。知り合いは多い。買物にもよく行くので,どこの人かはわかる。」(G2a,s=2)
 「町内会に入っており,できるだけ対等の関係をとるようにしている。関係もうまくいっている。」(G4a,s=2)
 一人暮らしの人にも,近所づきあいを特に積極的にしているという回答はなかった――満足度については全員から回答があった。町内会に入っているのと答えたIeも,そのつきあいは半同居の母親がしている。隣近所の人とは,挨拶程度のつきあいで,名前も知らないといったことが多い。そしてそれは,必ずしも満足度の低さには結びつかない(「特にない」,Ig,s=2,「特になし。挨拶する程度」,Ii,s=2,等)。一人暮らしの人達が住んでいる地域に共同体的な要素が薄いということもあるだろう。また,これは都会に住む一人暮らしの青年たちにも共通した生活の仕方ともいえよう。
 ただ次のような回答もある。
 「アパート,マンションの管理人とは雑談したり,よく行くお店の人とは近所づきあいという形で挨拶する。」(Ia,s=0,「マンションの中ではつきあいはない。……もう少しつきあいをしたい。」)
 「5階に看護婦が住んでいる。丁寧に挨拶する。」(Ib,s=2)
 「買物で会うと挨拶する。スーパーで店員に挨拶しておく。顔なじみになっておけば,災害時など不在をアピールできる。隣に聴覚障害者が住んでいる。」(Ij,s=2)
 「隣に筋ジスの人が住んでいる。」(Id,s=3)
 「〇〇さん(N6から移ってきた)が同じアパートに住んでいる。精神的に落ち着く。」(Ig,s=2)
 いざという時のことも考えて,近隣の人との関係を維持しておこうという努力をしている人もいる。また,同じように施設から出て暮らしている人が近くに住んでいることで,心強さを感じている人もいる。

■12 周囲の人達の受け入れ(問17)

 療護施設     1.8(60点)
 グループホーム  2.0(67点)
 一人暮らし    2.3(77点)

 平均値をとって点数化すれば上のようだが,これをもって居住形態による違いがあると断じることはできないだろう。ただ,発言の内容を整理した時に,そこから読み取れることがあるように思える。
 「最初は感じた。今は慣れた。実際に自分達が買物に行ったり,人と話すことがあったりするから。」(G1a,s=2)
 「最初はまわりの人はどんなところかと思っていたらしい。今はそういうことはなくなった。」(G1b,s=1)
 「店で文字盤でコミニュケイトできる。レシートを財布に入れてくれる。」(G1c,s=3)
 「偏見はある。店員とのやりとりでも言語障害があるので聞き取ってもらえず,子供扱いされることがある。駅員の対応もそれと同じようなことがある。介護者にできるだけついてきてほしいと言われたり,介護者がついてくると介護者に対して話しかけることも多い。しかし,グループホームの周辺はさすがにそれは少なくなってきた。話を聞いてくれることが多くなってきた。」(G2a,s=1)
 「偏見はある。銭湯で,多人数で来ないでくれと言われる。逆に銭湯で顔見知りになり,挨拶する人もできている。話しかけてくれる。」(G2b,s=2)
 「徐々になくなってきた。その街の生活に溶け込むことによってはじめて互いがわかり合えるのだと思う。それでよいと思う。」(G3a,s=2)
 同様の発言は療護施設の居住者ではN5aに見られる。
 「今はいやな顔はされなくなった。声をかければ手伝ってくれる。中には進んで手伝ってくれる人もいる。」(N5a,s=2)
 一人暮らしの人の発言。
 「しょっちゅうあるけど,気にしたらやってられない。強引に(関係の中に)に入ってしまう。」(Ic,s=2)
 「いやそうな感じで見られることがある。」(Ie,s=2)
 「以前はよく子どもにこわがられたりした。今は逆に挨拶されたりする。店の人,駅員の対応がまあまあ,理解されていると思う。」(Ig,s=3)
 「普通に対応する人もいるし,中にはうさんくさそうに特別視する人もいる。だんだん変わっていくと思う。こちらから声をかけていくことで,今住んでいるところも,6年間で変わってきた。」(Ia,s=1)
 「特に偏見を感じたことはない。困っている時に半分くらいの人が声をかけてくれたり,助けてくれる。」(Ih,s=2)
 「嫌な思いをしたことはない。」(Ii,s=3)
 「感じたことはない。とくによく受け入れていることもない。自然体で入っている。」(If,s=1.5)
 「偏見などを感じたことはない。福祉地区ということもある。専門家との交流もあり,お互いによい意味で利用しあっている。」(Id,s=3)
 「受け入れは割合よいと感じる。行政的には対応が速いので満足している。」(Ij,s=2)
 地域の関係の中に入っていくことによって,偏見があることも感じ,差別される体験もするのだが,またそこで暮らし,人とつきあう中で,関係が変わっていく可能性,現実があるということである。

■13 障害についての認識(問1)

 療護施設    1.6(53点)
 グループホーム 2.1(70点)
 一人暮らし   1.9(63点)

 「障害についてどう思っていますか」と問われても,どのように答えたらよいか,答えにくい質問でもあっただろう(Ib:「意味不明につき回答できません。」,s=1.5)。様々な回答があった。上には平均値をいちおう出してあるが,むしろ個人間のばらつきが大きい。
 否定的な回答としては
 「正直に言います。」(N1a,s=0)
 「障害があるためにしたいことができない。…」(N2a,s=1)
 「CPでうまれてきたので…。(ただ)加齢に伴い障害が重くなりできていたことができなくなってきた」(N3c:s=3)
 「障害の重度化が進んでいることについて,生活のスタイルが以前と変わり,例えば歩行ができなくなったことについてつ,踏ん切れない思いがある。」(G2a,s=2)
 一人暮らしの対象者にも同様の回答がある。
 「4,5年前から細かな動作ができなくなった。」(Ie,s=3)
 「最近だいぶ障害が重くなった。…」(If,s=1)
 3番目から4つの発言で,加齢によって障害の度合いが重くなってきたことが指摘されている。ただ,N3c,G2a,Ieなどの満足度をみるとそれは「総合評価」にはそれほど影響を与えていないようでもある。
 肯定的な回答としては,
 「自分の障害は軽いほうだと思う」(G4a,s=3)
 「小さい時より足で動けるようになった」(G6a,s=2,G6bも同様,s=2), 他に注目されるのは以下のような発言である。
 「特に障害者の場合,いろんな人に会える」(G1b,s=2)
 「生まれながらの障害のために障害を持つ生活が自分の生活というようになっている。障害自体を云々するより,障害をもっての生活をどうするか,どのように生きるかが今の自分の重要な課題。この意味で,他人が経験できなかったことを経験でき,障害がある自分が他から見守られていることで,満足していると言えるかもしれない。」(G3a,s=2)
 「変な言い方かもしれないが,自分が障害者であるおかげで,いろいろな人と出会えて,人の心がわかるようになった。いろんな障害者がいるんだなと感じた。私だけが障害者ではないし,もっと障害が重度な人がいて,そしてすばらしい生き方をしていることを知ることができた。障害を持たなかったから,それを知ることができなかったかもしれない。」
(N3b,s=3)
 「障害は顔が一人ひとり違うように一つの個性であると捉えてきた。母にそう言われ,小さい時からそう思ってきた。しかし家から施設に移り,介助の問題にぶつかって,単に個性なんだということですまされないということを実感している。ボランティアとも友達としてつきあいたいが,介助の問題が入るとやっぱり違うのかということを感じる。しかし,人との出会いにおいて,障害をもって良かったと感じている。人の弱さ,強さ,やさしさを感じられる自分がうれしい。」(N5a,s=3)
 「高等部時代,自分が幼い時に障害を持っていることから母親が周囲から偏見を持たれたことを聞き,辛かった。しかし現在は様々なことに問題意識をもって考え,とりくむことができるので,障害をもったことに満足している。健常者だったら見落しやすいこと(階段や段差)にも気がつく。」(N6a,s=3)
 「親元にいるときは,親がいなくなったら自分はどうなるだろうと,障害をもっている状況が大変不安だった。一人暮らしを始め,自分ひとりになっても生きていけると自信がついた。」(Ig,s=2)
 「自分自身の努力で何でもできると思う。」(Ih)
 回答から言えるのは,一つに,障害をもちながらやりたいことができること,障害があって(それを補うものがないので)したいことができないこと,これらが障害に対する認識,障害がある自分に対する認識に結びついているのだから,障害を持って暮らす環境がどれほど整っているかということが自身に対する評価に結びつくだろうということである。
 もう一つは,社会的な接触の度合いが自己に対する肯定的な評価に結びついているということである。とすると,身体的な障害の度合い(の進行や改善)もさることながら,これまでにみてきた社会的な支援のあり方と他者達との関係の形成のあり方が,そして療護施設とグループホームの間で,そしてのその各々の間でそのあり方が異なることが,自己評価にもまた関係すると考えられる。今回の調査における満足度のデータがこのことを証明しているとするのは早計にすぎようが,少なくともそれは以上述べたことに矛盾しはしないようである。

■14 展望(問7)

 ◆グループホームで暮らす人の展望

 この質問の設定として「結婚についてもたずねる」となっている。自身の結婚についての言及が多いのはそのためでもあることをおことわりしておく。
 「来年1年はグループホームで生活して,それから一人暮らしをしたい。結婚はしたいけれど,今のところ具体的な相手はいない。」(G1a)
 「介助があれば一人暮らしをしていきたい。相手がいたら結婚も考える。」(G1b)
 「自然に。しかし難しいです。今の制度では,入籍することで経済的に不利益をこうむる場合がある。一般論としてグループホームで生活するのは難しさもある。」(G2b)「アパートを借りて一人暮らしをするのが最終的な目標。」(G3a)
 「悩み中。グループホームにはずっといたくない。(ここにいるのは)半分自分の仕事だと思っている。職員・介助者に気を遣う。」(G4a)「一人暮らししたい。結婚を考えている。」(同,1994年の追加調査時)
 「ここを飛び出したい。単身者用の住宅に入って,介助体制を整えて,今のような生活をしたい。そういう人が作業所にも目標にしている。ここからも6人が出た。ほとんど成功している。現在の生活は型にはまりすぎている。個人の生活ならばもう少し自由があっていい。夕食を食べないとか,生活の細かいところで。」(G5a)
 「アパートで一人暮らし,結婚したい。(結婚しないならずっといる?)ずっといたくはない。一人で暮らしたい。40歳ぐらいには。」(G6a」
 「一人で暮らしたい。結婚したい。そのためにもまずここで暮らす。」(G6b)
 回答のあった8人中7人が,グループホームを出ることを,具体的に,あるいは将来のこととして,考えている。

 ◆療護施設居住者の展望

 「現実的には,多分ここでずっと生活し,夏冬家に帰る生活になるだろう。」(N2a,自宅の自分の部屋は10帖と相当広く,エレベーターがあり,廊下も広く作ってある。)
 「療護施設でこれからも暮らしたいと思う。この施設を出ること,家で父親や妹と暮らす気持ちはない。」(N3a,女性)
 「施設を出ることは現在は考えていない。」(N3b)
 「(ここで)援助を受けながらやりたいことをやる。実家に戻りたい気持ちもあるがスペースの問題がある。」(N3c)
 「当分はここにいてみようと思っている。若い実習生と関わってみたい。気のあった何でも話ができる人といられたらと思う。結婚生活の仕方にはこだわらない。相手次第。ナイトケアが必要ならここで生活,軽い障害なら施設を出ることもあるかもしれない。」(N5a)
 「このまま一生施設で終わるつもりはない。自立生活に移行していきたい。結婚は,具体的なイメージはないが,相手がいれば考えたい。」(N1a)
 「アパートで一人暮らしをしたい。将来的に結婚したい。」(N6a)
 「地域で自立生活をしてみたいが,何かあった時に帰るところがないと心配。今はナースコールを押せば,職員がとんでくるので安心。」(N4b)
 「できたら,あわよくば,出てみたい。今は自信がないが。人集めが苦手。頼むことを遠慮すること,大人(の顔)を見ることを小さい時からしてきたことが影響していると思う」(N5b)
 「アパートでの一人暮らしをしたい。2,3年がかりで計画を立てている。日野か立川で。そのため,現在,職員から紹介された自立生活センターに週2日の頻度で通っている。療護施設を出たいと思っている人が7,8人集まって,年金について,また自立生活をしている人の体験を聞くなどのプログラムを行っている。」(N4a)
 「当分」とした人も含め,療護施設での暮らしを続けることになるだろうと答えた人が5人,「できたら,あわよくば」と述べた人も含め,施設を出て暮らしたいと答えた人か5人である。前者の理由としては「何かあった時に帰るところがないと心配」という回答があった。また後者の1人は人を集めたり,人に頼んだりすることについての「自信のなさ」を語っている。後者の5人のうち,施設を出て暮らすために具体的な活動を始めていたN4a(女性)が,調査終了後,療護施設を出てアパート住まいを始めた。

 ◆一人暮らしの人の展望

 「もう少し広い(2DK位)のところに住めたら。いずれ給料制になり(介護制度がすすみ)。結婚は相手にめぐりあえば。今は仕事が忙しく,またおもしろい。」(Ia)
 「宝くじを当てて大きな家に住む。2回結婚する。」(Ib)
 「もし結婚するとしたら車椅子住宅入居を考えている。応援センターの活動の関係でここに住むのが便利。活動の方でまだひと花咲かせたい。」(Ic)
 「自然に考えたい。結婚はわかってくれる人がいたら。人の出入りが多い,家事をしないとまわりからは見られると思う。」(Id)
 「できれば結婚したい。具体的な相手はいないが。現在の生活(母親との半同居)は自分の思うような生活ではない。けれども一人では置いていけない。母は田舎に一緒に帰ろうと言うが,自分はここを離れられない。以前のような自分の意志どおりの一人暮らしがよかったと思う。」(Ie)
 「結婚したい(世帯をもちたい)。恋人はいるが(結婚するかどうかは)わからない」(If)
 「当面はここで住むつもり。将来的には市営住宅の障害者用の住宅に入りたい(2回応募した)。」(Ig)
 「結婚についても考えていて,「これからの家族」としてとらえている。」(Ih)
 「東京に出てきて,一人暮らし始めて本当によかった。」(Ii)
 「あと5年は今の生活を続けられる体力があるだろう。その間やりたいことを全部やっておきたい。療護施設を出たのは池の中で死にたくない,大海でなくてもせめて小川に出て死にたいという気持ちから。この生活から海に出て,やることをやって疲れたら,また池に戻ってもいいかなと思う。そしたら,それまでの経験があるのでずっと施設にいたのとは違う生活ができるだろう。ゆっくり原稿でも書きたい。」(Ij)

 ◆違いについて

 療護施設の居住者達も現在の暮らしに必ずしも満足しているわけではない。今いる場を出て暮らしてみたいという思いがある。それが何に由来するかについて,これまで見てきた。だが,その実現の可能性についての認識,見通しの具体性についてはかなりの差があった。
 第一に,施設で暮らす人よりもグループホームで暮らす人の方が,今いる場を出て暮らす生活を現実のものとして描いている。
 それはまず,そもそもグループホームが次への移行のためのステップとして位置づけられていること,そして実際にもここを経由して次の暮らしに移行していった人がいて,それをモデルとすることができることによるだろう。また,療護施設の立地条件や,サービス提供のシステムのあり方が構造的にもたらしている施設とその外の社会との障壁の存在が,外に出て暮らすための機会や生活の技術等を与えにくくしていることによるだろう。また,これと比較して,グループホームが外に出て暮らすことに移っていきやすい環境として存在することによるだろう。
 第二に,療護施設に暮らす人の中でも大きな差がある。理由は基本的に同じである。施設を出ての暮らしを可能にする機会につながるような外部との接触のないところにある施設と,市街地にある施設との間の違いがまずある。さらにここで重要なことは,すべての施設について,療護施設自体は,その外で暮らすことを可能にする,容易にするサービスを提供することが少なくとも今の体制ではできておらず,この時,こうした機能を現に果たしているのは,施設の外部の,特に障害をもつ当事者が主体となった組織であることである(N4a,N6a)。そのような場に通えるところに施設があるか,施設がそこへのアクセスを援助しているか,これらのことが,入居者が具体的に施設を出た後の生活像を描けるか,そのために必要な資源を実際に得,それを使いこなせるようになるかどうかに関わっているのである。
 グループホームの設立や運営自体が当事者の活動としてあり,一人暮らしの生活も当事者組織の支援を必須としていることは既に幾つかの項目で述べたが,住まい方の選択,次の段階への移行の場面で,障害をもつ当事者組織の果たしている役割が再度確認される。 ◆第U部 提言◆

■比較検討のあり方について

 以上の検討から提示される方向について述べる前に,調査・研究のあり方について一つ指摘,確認しておきたい。
 今回の調査においては,調査項目や設問の設定自体の問題もあり,同じ質問に対して各々の調査対象者が別の側面を捉えて答えるといったことがあったことは,第U部で述べた通りである。そこで,調査対象者の発言から,例えば満足度なら満足度の意味合い(の異なり)を明らかにするようにはつとめてみた。こうした方法で,調査設計時点での欠点をある程度は補えたのではないかと思う。しかし反省は残る。調査において当然の初歩的なことではあるが,どの部分,どの側面を聞くのかをはっきりさせた質問を設定すべきだった――ただそうすると,今回のような生活全般にわたる調査を行うのはより困難にはなるから,まずはこうした調査もあってよかったかもしれない。
 ただ,ここで述べたいのはそれとは少し異なったことである。異なった環境にいる人に尋ねて得た満足度,決定度の度合い,数値をそのまま使うことには大きな問題があることが,今回の調査結果を検討する中で改めて明らかになったと思う。普通に与えられる選択肢が現実には与えられない時,また実感をもって想定できない時,その満足度や決定度は現在の可能な選択肢の範囲内で回答されることが多いと考えられる。例えば30の可能性がある場合の20と,100の可能性がある場合の20とは異なる。前者の環境のもとにある人は「まあまあ満足」と答えるかもしれないし,後者の場合であれば「不満」と答えるかもしれない。では,前者の方がよりよい状態であると言えるだろうか。もちろん,言うことはできない。置かれている環境,状況自体が問題であるはずである。そして環境がよくなるほど,将来への可能性が現実性を帯びるほど,不満の度合いが高くなることも当然あるだろう。
 にもかかわらずこうしたことに関する配慮を欠いた調査が時に見受けられる。調査や調査の評価は,調査対象となる人にとって現実に可能な範囲はどれほどのものであるのか,そしてその範囲がどのような事情によって規定されているのかを考えながらなされなければならない。

■居住の場の今後

 ◆療護施設のあり方

 療護施設,グループホームの現状,入居者の生活,意識については各項目で述べてきた。問題点,改善すべき点もあげてきた。だから,ここでそれを一つ一つ繰り返して述べることはせず、第T部で見てきたことをまとめて言いうることを述べることにする。
 療護施設は障害者「専門」の施設であるから障害に合せて提供される内部の住環境は相対的に充実しているかのように考える人がいるかもしれないが,それは必ずしも当たらない。いくつもの基本的な領域において,グループホームや一人暮らしの生活の方が療護施設よりも条件がよいことが明らかになった。最初にことわったように,今回の調査は限定的な調査ではあるが,比較的生活の条件が充実した療護施設が調査対象の半数を占める以上,結論は変わらない,むしろ,療護施設全体の平均値をとったなら居住環境の差はより大きなものとして現われてくるだろう。
 機器の導入,部屋の改造等のハードウェアの整備状況について,療護施設が他の生活の場と比べ特に優越している点はない。むしろ下回る部分も多い。また,介助等,人によって提供されるサービスについても,いくつかの施設は,量的にもまた質的にも満足できる介助サービスを提供できていない。ただ,「在宅」の生活における,家族による介助の不足,これ以上負担をかけられないという気持ちから,また将来それが得られなくなるというリスクを考えて,療護施設での生活が「選ばれている」。
 このように,また詳しくはこれまで述べてきたように,特に療護施設には生活の場として多くの問題がある。それらはすぐにでも改善されるべきであり,また,実際に改善可能な点はいくらもある。その試みもいくつかの施設では,施設の方針として,また職員の努力によって,そしてそれをうながす居住者の継続的な要求活動があって,なされてきた。その結果,比較的高い水準のサービスを提供している施設がある。こうして実際に一定の改善がみられる施設もあるのだから――たしかに予算的な制約が問題解決を困難にしてはいるのではあるだが――内部の住環境の改善,またサービス内容の充実は可能である。
 ただ個々の改善案を検討する前に,また改善案を立てるためにも,考えるべきことがある。基本的にどのように対応すべきか。つまり,療護施設(の改善)によって問題に対応すべきなのかどうか。そもそもこのような場がいつまでも必要なのか,なぜ,どの程度,必要なのか。このことを考えるためには,必要とされるサービスが,施設でなければ提供できないものなのかを考えるべきである。すなわち,障害をもつ人の暮らしを支えるためにどのような支援策が必要なのか,そして可能なのかという基本的な問題を考える必要がある。
 同時に,「地域」の現在の状況下で施設が果たしている役割,現況下で果たせる役割は何かという問いがある。これに答えるためには,「地域」での生活が今現在どこまで可能になっているのかという問いと,コストの問題も含め,今後どこまで可能なのかという問いに答えなければならない。このことを考えた上で,また考えながら,施設に果たすべき役割があるとすればそれは何か,そしてそれを実現するために何が必要なのかを考える必要がある。
 サービスの量が不足しており,ゆえに量的に充実させればよいというにとどまらない問題があった。療護施設では(療護施設に限らないが),基本的に,諸サービスは,一括して,現物で提供される。このように一元的な供給がなされる場合には,供給サイドの方の力が強くなりがちである。また利用者の側が,自己決定に基づいて生活することができない。
 この点を改革していくことは,現在の施設運営の基本的な体制の否定を帰結する。つまり,もしこの方向での改革が実際に十分なだけ行われるなら,サービス自体は施設に付随せず,在宅福祉サービスと共通に供給されることになるのだから,施設は,居住する建物としてのみ存在することになるのであり,この建物が(他の居住の場と異なり)なお施設であると言えるのは,障害者が集まって住む場であるという点だけになる。
 しかしそのような集まって住む「箱」は果たして必要なものなのだろうか。
 第一に,集まって住むことが当事者に望まれているわけではない。グループホームについて見るように,望まれている場合もあるが,それは一時的なもの,あるいはより少ない人数が自発的に集まって住もうとする場合である。集まって住むことを特別に支持する理由はない。
 第二に,先に見たように,障害をもてばなおさら,街の中に住むことが必要なのだが,一定の居住者数,そしてそれに応じた敷地・建物の面積を確保しようとすれば,かなりの経費が必要になる。実際こうした事情で,近年の療護施設は市街から離れたところに作られることが多く,立地条件に関わる問題はむしろ深刻化している。費用さえ十分にかけるなら市街地に建設することも可能かもしれないが,実際には難しいだろうし,また,そもそも同じ費用をかけるなら,さらにより安く済むのであれば,他の人々と混在して住むかたちが望ましい。(施設の外部との交流を求めようとしている施設もある。しかし,やはりそれは生活を離れた「交流」「ふれあい」でしかなく,明らかな限界がある。)
 ただ,第三点を考えておく必要がある。すなわち,障害者を一箇所に集めることによって,人的なサービスの供給がより効率的に行えるのではないか,別言すれば,地域での分散した居住形態は,より高い費用がかかるのではないかという点である。結局,この点が最後に残るように思われる。
 だが,まず,費用が多少余計にかかったとしても,第一点,本人が望むのであればそれを実現するべきだとは言えるだろう。また第二点を兼ね合わせ,街中に特別の施設を作るために余計に要する費用と人的な費用との両方を考えた時には,施設に障害者を集めることによる費用の軽減効果はそれほどでもないということになるかもしれない。そして人的なサービスだけに限っても,一定の水準を維持しようとする場合,どれほど費用が軽減されるのか。この点について,今回の調査からはっきりとしたことが言えるわけではないが,少なくともそれほど大きな違いはないと言えそうである。N4〜6は,措置費だけでなく,相当額の自治体からの支出によって運営されている。計算の仕方によっても変わってくるが,土地・建物の部分を別にし(すなわち住居費に当たるものを除いて),単純に予算を入居者の人数で割れば,一人当り月百万円以上の経費がかけられているという計算にもなる(→注13)。これを住居費以外の支出にあてることができるなら,人的サービスの必要度がかなり高い人を含め,それなりの生活が可能になるはずである。
 同等の居住環境を保障しようとする場合,一般住宅の方が施設よりも社会的負担が大きくなることはないはずである――現実に施設でのサービスの方が一定水準以上の在宅サービスを行うよりも安くすんでいることの少なくとも相当部分は,施設でのサービス水準が劣っていることによる。
 こうして,基本的な方向は明らかである。別の住まい方を可能にする,容易にすることである。

 ◆療護施設が果たすべき機能を果たすための出ることの支援

 にもかかわらず,療護施設が現実に必要とされているのは,現在でも多くの場合,地域で暮らすことに比して,療護施設で暮らす方が生きていくのに確実な方法だからである。療護施設は,現状において,ともかくも唯一障害基礎年金の範囲で生活が可能な場であり,ともかくも最低限の介助を受けられる場としてあり,「在宅」の障害者の支援体制が十分と言えない中で,相対的に生活が容易である場合がある。そこで,実際に,療護施設への入居を希望するがそれがかなえられない人々がいる。地域での支援体制が整うまでといってその人達を放置することはできない。入所を希望する人の入居を実現すべきことは当然のことである。
 また,たとえば体調を崩した場合に一時的に利用できるような場として施設を機能させることが考えられる。自分の生活のすべてを自分でコントロールするのが面倒な時,身体的・精神的な理由で困難な時に利用する場として施設を考えようというのである。決定できる範囲は自分で決定し采配するとして,あとは生活の全体を委ねておきたいということが,あるいはあるかもしれない。これは在宅でも不可能なことではないが,例えばホテル暮らしが楽であるように,居住する場に諸サービスが付随してあることは,時には便利であるかもしれない。また,知的な障害がある場合には――今回の調査では調査の対象としなかったが,知的な障害を合わせもつ療護施設への入所者が増えているのは事実である――,一人一人その必要度はまったく異なるだろうが,生活についての助言を受けながら生活していくこと,場合によっては生活全体を見守られて暮らしていくことが必要になるかもしれない。そしてこうした場合に,一人につき一人の援助者がつくという形態より,何人かが暮らしている中に援助者が一人二人といた方がよいということがあるかもしれない。
 だが現状では,入居者の数に対応して予算が降りる措置制度の下で,定員を充足していることが求められ,療護施設はそのような性格を持ちえていない。またいったん施設を出た人は,また施設への入居を望んだとしても,実際には順序が後ろに回され,再び入居することは難しい。このことを考えると簡単に施設を出ることができない。結果として一人の居住期間が長くなり,一時的な入所を希望する人の必要に応えることもできないでいる。
 以上のような機能を療護施設が果たすためには,また現在療護施設に入所したくて入所できない人達の必要に応えるためには,療護施設は,療護施設の居住者が療護施設から出ることを支援していく必要がある。施設の利用を希望する人の希望に応えるためにも,施設を出ることを可能にしていかなくてはならないのである。

 ◆障壁を取り除き移行を円滑にする活動の重要性

 以上,施設が現在の状況のもとで存在するその役割を果たすためにも,施設からの移行が進められるべきことを述べた。
 ところが,施設での生活と療護施設の外で営まれる社会生活との格差があり,これが施設から出て暮そうとする際の障壁になっている。
 一つには,療護施設の立地条件によって,活動の範囲が狭められており,入居者が施設外部との関係を持つことが困難になっている。
 一つには,施設の運営,サービス提供のあり方に関わる問題がある。提供されるサービスは施設の側によって決定される。措置費等の具体的の使途の選択,管理が施設によってなされていることによって,居住者が自分で生活のあり方を決定する余地が少ない。それが施設と施設の外との間の障壁をつくり,施設に暮らす人達が施設の外での生活に出ていくことを困難にしている。
 こうしたあり方が解決を求められている基本的な問題であることは既に述べた通りだが,それと同時に,一つの現実的な課題は,こうした格差,障壁が現にあることを踏まえた上で,その障壁をどうやって乗り越えて施設での生活からの移行という課題に対処していくかである。
 少なくともこの課題への対応のすべてを施設側の努力に求めることは難しい。施設は施設として努力すべき点があるが,限られた予算,人員配置のもとでできることに限界がある。また単に施設が費用的・時間的に負担できないというだけでなく,施設はこの課題への対処に必ずしも適していない。課題になっているのは施設的な生活から出ることなのだが,それを施設的な供給システムによって供給しようとすること自体に無理があるということである。とすれば,施設外の社会資源を利用することである。実際に大きな役割を果たしているのが施設の外にある障害をもつ当事者の組織であることはこれまでにも見てきたし,個々人別に調査結果をまとめた第3部でも確認される。彼らの移行に関する援助の活動を社会的に支援していくことが求められる。

 ◆グループホームについて

 グループホームの利点は第一に,住む場所があり,介助があることである。一人で暮そうとする場合に比べれば,(入居できるなら)住む場所が用意され,(もしそこに介助体制が組み入れられているなら)安定した介助体制が組まれている。しかしこれらはグループホームという集まって住む場所があるということを条件として必要とはせず,グループホームという建物があること,そこに数人が集まって住むことによる利点とは言えない。介助は1人対1人であり,同時に1人の介助者が多数の利用者に対応するわけではない。介助者の移動の手間を別にすれば,集住の利点はない。
 そして,一定の範囲内に何人かが住んでいるのであれば,また,1人に対する介助の時間が長い場合には,移動のコストの問題はそう大きくならない。また,一定の範囲内を担当する緊急時対応のシステムが作られていれば,緊急の必要に対応することもできる。こうしてみると,グループホームの相対的な有利さの相当部分は,療護施設の場合と同様,「在宅」での社会的サポートが充実していないことによる。
 みてきたように,改造されたあるいは改造可能な住居は少なく,グループホームの一部(民間住宅をそのまま使うのでなく,新たに建設されたグループホーム)は,他の賃貸住宅に比べて条件がよいとは言える。しかし,このこともグループホームでなければできないことではない。基本的には総合的な住宅政策の一環として解決されるべき問題であると考える。あるいはグループホームもまた,その一部として位置づけられるべきである。
 個人で住む場合以上にグループホーム(の居住者)に対して公的援助がなされるなら,両者の間に格差が生まれる。それは,グループホームから独立して暮らす生活への移行をかえって難しくすることにもなる。とすれば,グループホームに対する援助というのでなく,個々の障害者が住む,介助を得て暮らすことに対する支援とすべきである。このようにした上で,集まって住むという形態を一時的なものとしてであれ,あるいはそうでないにせよ,当事者が選択することもできるようにすべきであると考える。
 第二に,グループホームは独立して暮らす生活へのステップとしての機能を果たしている。方法を学び,アドバイスを受けたりして,準備していくことができる。これはグループホームが現に果たしている重要な機能である。実際,居住者自身,グループホームをついの住み家と考えているのではなく,次の生活を考え,そのためにグループホームにまず住むことを選んでいる。またグループホームの建物としての構造,運営の形態も,個室制の寮に近いところがあり,長く住むには適していない。また家族を形成して暮らしていこうとすれば別の場を求めることになる。
 このように,グループホームをグループホームとして機能させようとするなら,療護施設について見たのと同様,グループホームからの移行の条件の整備が必要である。また,移行の準備は,必ずしも建物としてのグループホームを必要とするものではなく,一時的な利用のための「(自立生活)体験室」によって,また「プログラム」として提供できる部分がある(→注19)。後者が効果的であるなら,住宅政策は住宅政策として,これらのプログラム等の利用を容易にすべきである。これらは介助などの直接サービスというよりは,そのサービスを十分に本人が本人の意向で利用できるようになるためのサービスである。利用者が介助などのサービスをよく利用できなければ,サービス供給自体の有効性もまた減じてしまう。にもかかわらず,主に民間組織によって担われているこうした活動に対しては社会的な支援が十分になされてこなかった。これらのサービスの意義を認め,社会的な支援を拡大すべきことは後でも述べる。

■生活の支援のあり方について

 ◆供給体制の見直し

 サービスの量の不足が解消されたわけではない。ただ,暮らす地域によって大きく異なり,今回調査した地域は比較的「恵まれた」地域だったのでもあるが,以前に比べればサービス供給は増加してはいる。ここでは特にサービスの質に関わることについて述べる。
 療護施設での生活は一括して施設側から与えられる。また施設外でも,介助や機器の供給等について同様の制約があり,サービスや物の質の向上,多様化を阻んでいる。だから一つには,施設を作る,場所を用意するというより,従来,施設という建物と一緒に,建物とセットになって供給されてきた諸サービスを個々に独立させ,それを供給するという方向が考えられる。現物を選択の余地なく提供するという体制を見直し,費用の現金支給を含め,供給の自由度,柔軟性を高めるべきである。活動の多様さ,自由さを損なわないかたちでの支援の拡大,決定を利用者に委ねる供給形態が求められる。
 例えば福祉機器の供給について,自由度,柔軟性を高めるべきである。機器をどこから購入するか,何を購入するかについて,原則的に自由化する方向での改革を検討する必要がある。本人が選んだものに対してその費用を負担するあるいは助成する方向への変革である。介助サービスについても同様のことが言える。自分で稼いだ金は自由に使えるが,税金や保険金を財源とするサービスについては選択の余地がないというのは本来おかしなことなのである。

 ◆政府が供給・整備に直接関与すべき部分

 ただ,個々人にサービスを提供する,個々人にその費用を提供するという方法では限界がある場合もある。公共財と呼ばれるものの供給の場合である。道路や公共的な建物のアクセシビリティの改善を,個々人(に費用を支給しその個々人)がその費用を支払って実現させるのは難しい。この場合には,政府による直接供給,あるいは助成,規制など別の手段が講じられなければならないことになる。また,少なくとも短期的に設備の整備のためのコストが利益を上回る場合,個々の事業主は,特に競争の圧力のもとでは,自発的にはその整備に向かいにくいのだが,整備を義務づければ,あるいは整備に対して優遇措置を講ずれば,個々の事業主は等しくそのコストを負うことになるから,業者間の競争で有利・不利が生じることがなくなる。
 これに近い性質をもつ財として賃貸の住宅がある。仮に個々人が割り増しの家賃を払えたとしても,既に建てられた建設物の改造には限界がある。こうした場合には,住宅の利用者個々人に対する援助が有効でないことがある。そこで,障害のある人が使いやすい公営住宅,改造可能な公営住宅を拡大することが求められる。特に,単身での入居を拡大すべきである。民間の賃貸住宅についてもこうした住宅を増やすための施策を講ずることが必要となる。住宅の需要が今後飛躍的に増えることは考えられず,同時に住宅を必要とする人の中で車椅子等を必要とする人の割合は確実に増えていくのだから,障害者に対応可能な住宅は,長期的には賃貸住宅の供給者サイドにとっても合理性を持つはずであり,そこに誘導していくことは困難ではないはずである。

 ◆介助サービスのあり方

 「今はナースコールを押せば職員が飛んでくるので安心」(N4b)という状況がともかく療護施設にある。質量ともに十分でないとはいえ,最低限の介助体制が療護施設にあることによって,そして地域にはないことによって,療護施設が選ばれること,そして療護施設から出ることを選べないことを述べた。地域での支援体制がそこまで(も)整っていないということである。「社会的入院」と呼ばれる事態の背景にあるのも同様の事情である。
 仮に1日24時間,一人を介助すればその費用は月 100万円ほどになるだろう。けれども第一に,24時間あるいはそれに近い時間,傍に介助者がいなくてはならない人はそう多くはない。
 第二に,現在の体制では24時間の介助がないと不安だという人であっても,例えば夜間を含む緊急時への対応システムを整えることは施設外でも可能であり,その場合には,24時間に近い介助を必要とする人はさらに限られてくるだろう。介助を必要とする時に,それに即応できるような体制がとられることが求められる。ただこれを,一部で高齢者に対して実施されている巡回型の介助体制で実現するのには無理がある。巡回型のヘルパー派遣は,家族による介護をある程度前提し,それを補助・補完する形で行われている。本人による連絡と,連絡後のある程度の待機が可能であれば,連絡に対応してすぐにかけつけられるような体制を整えればよい(→注17)。
 第三に,家屋や居室の改造と機器の利用によって,人の手を使わずに生活できる範囲,時間が増える。これは,居住者にとってはプライバシーが確保できるということでもあり,また不要な人手を省くことができるという面から合理的でもある★21。
 以上のような手段を講じてもなお,24時間に近い介助を必要とする人もいるだろう。だがそうした場合でも,中では質の高いサービスを提供している療護施設にかかる費用に比べれば,在宅での生活を支援するための費用が特に高額になるとは考えられないことを先に述べた。そして,基本的には,コストの論理によって居住の形態,サービス供給の形態を限定すべきでない。かかる人にはかければよい。ただ,これまでの,ひとところに集めて定員何人で一人当たりいくらという配分は採用できないのだから,費用がかかる人にはかけ,かからない人にはかけない合理的なシステムを作っていく必要がある。
 現在の派遣の体制は利用者の生活に即していない。柔軟な運用が求められることは第T部でも述べた。本人が不在である間の家事援助(留守宅へのヘルパー派遣)は可能であるし,実際例外的にではあっても,一部で行われている。朝,夜,休日,年末年始の派遣も,朝も夜も休日も年末年始も生活が続いている以上は,当然であり,実際行えている地域があるのだから,それを普遍化すべきである。そして米国,カナダ,デンマーク,英国などで実施されている介助費用の現金支給の方式★22(日本では生活保護の介護加算がこの方式である),そして/あるいは,介助費用=報酬は行政から介助者に渡る方向を維持しながら介助者を利用者が選びコントロールできる方法(いわゆる「自薦登録ヘルパー方式」(→注10)がこれにあたる)の拡大が求められる。
 今回調査した一人暮らしの人が暮らしている地域の多くには,自治体独自の制度がある。これは,制度が整っていないところでは暮らしていくことが難しく,グループホームや一人暮らしで暮らしている人の数がいないということでもある。制度が比較的充実している地域に移り住んできた人達もいる(Ij)。サービス水準の地域間格差は解消されていない。地域間格差に起因する一部地域への障害者の集中は,サービス水準の高い自治体における財政負担の増加につながり,予算支出の抑制志向にもつながりうる。そしてなにより,全国どこに住んでも適切なサービスが受けられるのは当然のことであく。だから,全国的な制度,一定基準以上のサービスの提供が求められる。ただ実際には,現在ある制度によっても,また自治体独自の努力によっても,サービスの充実は比較的簡単にできる。ホームヘルパーの派遣に上限を設けないこと,利用者が推薦した者をホームヘルパーとして登録することである。「介護人派遣事業」も,最初にこの事業を始めた東京都の場合は単独事業だったが,その後この事業を始めた自治体では財源的としてはホームヘルプサービス事業を使って実施されており,東京都もこの方式を採用することになった。この場合の市町村の負担は1/4であり(都道府県が1/4,国が1/2),自治体にとっても過重な負担にはならない。実際,多くの自治体でこの方式が採用されつつあり,かつてはきわめて限られた地域でしか有償の介助を得ながらの生活ができなかった状況が少しずつ変化してきている。他の自治体においても積極的な対応が求められる。

 ◆活動を仕事にすること

 生活保護は稼得所得が十分でない人の生活のための有力な手段であり,今後も有力な手段であり続けるだろう。金額的にこれ以上を支給する制度はないのであり,受給する必要があり資格があるなら受給は当然のことである。生活保護を受給している状態から脱することが本来望ましいことであると考える必要はない。
 ただ,生活保護の受給には介助費用の調達という要因が大きく関わっている。介助を得るのに他人介護加算によらざるをえないなら,生活保護を受給しなくてはならない。ということは,この費用が所得保障と独立に支給され,ある程度の収入が得られるなら,生活保護受給の必要は必ずしもないということでもある。実際,介護人派遣事業やホームヘルプサービスの利用によって一定の水準の介助を利用できている地域に住む人で,生活保護を受給せずに暮らす人がでてきている。今回の調査でも,一人暮らしの人で生活保護を受給していない人は意外に多かった。
 彼らが従事している活動による収入がより高い水準になれば,介助費用を別として,障害基礎年金(+特別障害者手当)と合わせひとまず独立した生活が可能になる,あるいはより容易になる。次項に述べることにも関わるが,社会的に有意義な活動に対する報酬の支払い,公的な支援がもっと考えられてよい。もちろん,本人が希望しそれが受け入れらるならどんな仕事であってもよいのだが,今現在,グループホームに居住したり一人で暮らしている人達の多くが従事している活動として,障害者の生活を援助する活動がある。その活動=サービスの利用者からの利用料金によって生活を維持できるだけの収入が得られる状況にはないし,システムの問題としても個々の利用者が料金を払いこの料金にあたる給付を公的な財源から支給する方法もとりにくい。したがって,彼らの活動に対する報酬を公的財源から支給するのがよい。またこれは,他の分野で就労の機会が少ない現状では,生活保護費の給付がその分減るということをも効果するのだから,財源の合理的な使用という観点からも推進されてしかるべきである。

 ◆当事者組織に対する正当な評価と支援の必要性

 今回の調査では,障害をもつ当事者が主体となって運営する組織の意義が様々な場面で確認された。
 まず,グループホームそのものがそうした活動の一環として存在する。グループホームを設立し,運営し,グループホームを経由して地域で暮らしていくことを支援する活動があってはじめて,グループホームが存在し,次の生活へのステップというグループホームの機能を果たすことができている。
 一人で暮らし始める人達にしても,今回調査したすべての人が障害者の組織と何らかのつながりをもっており,自らの活動の場としている。また多くの人達はこうした組織を手掛かりにして,暮らしを始めている。また実際の暮らしの上でも,当事者が主体となって運営している組織の介助サービスなどを使っている人がいる。また日常的には自分自身で介助その他を管理している人であっても,緊急の事態のことを考えた時,そうした組織があることが安心感を与えている。
 また,療護施設の居住者にしても,その施設の外側との関係を持とうとする場合には,また施設後の生活を考え,実現していく上では,施設の外部の組織,そして当事者組織とのつながりが大きな意味をもっていた。そしてそれらとつながりを持てるためにも,それらがある場所に住む場所があることが条件となっていた。施設がすべてをその内部で行おうとする必要はないし,またそれは不可能なことでもある。種々の活動についても施設外部の組織に渡していけばよい。特に施設からの移行という課題については,施設外の組織,当事者の組織の関与が必須になる。そうした組織と入居者との関わりを容易にしていくこと,支援していくことが求められる。
 こうした組織の数は急速に増えてきてはいるが,残念ながら今のところ,全国どこにでもあるわけではない。今回調査したグループホームや一人暮らしの人達が住んでいるのは,障害のある当事者の活動が比較的盛んな地域である(私達が調査地域を選んだのではなく,そういう地域でないとその生活自体が成立しにくいのである)。また調査対象とした療護施設のいくつかもそうした組織に比較的近いところにあった。そして,そういう地域でないと生活の場を移し,そして維持することが難しい。これらの地域は障害者の自立生活運動が始まってある程度の時間を経過してきた地域であり,その蓄積がある。そして,その運動が獲得してきた自治体におけるサービス水準の高まりと自治体による民間組織への財政的な援助があって今日の活発な活動が成立している。他の地域でも,財政的な基盤が確立され,また既に軌道に乗っている組織からこれから活動を拡大しようとする組織への活動方法の伝授が活発に行われるなら,そうした組織とその活動が育っていくだろう。
 少なくとも,従来社会的にその費用が支払われてきた業務(例えば役所における相談業務,等)を,従来と同等にあるいはそれ以上に当事者あるいは当事者主体の組織が行っているのであれば,行えるのであれば,その当事者あるいは当事者組織にも社会的な支払いが行われて当然である。自治体の委託事業であれば,委託先の選択肢のひとつであるべきである。だが実際には,旧来からの委託先が優先され,相当の業務能力・実績のある組織であっても委託先として採用されないといった状況はなかなか改善されていない。1996年10月より「市町村障害者生活支援事業」が開始されている★23。こうした事業を積極的に当事者の組織が担っていくこと,各市町村も,この事業を担いうる組織には事業を積極的に委託していくことが望まれる。 ◆第V部 一人ひとりの暮らし――事例別報告◆

 第V部では,療護施設の居住者10人,グループホームの居住者者10人,一人暮らしの人達10人,この順に,一人ひとり個別に調査結果を報告する。
 Iは,障害の様子,障害についての認識,介助,医療,使用している機器,居室の改造,生計,居室,立地,活動,余暇,アクセス,外出という順序になっている。
 IIは,これまでの生活形態の変遷,家族との関係,友人や周辺に住む人達との関係,そして将来への展望,という順序とした。

■N1a 男性・39歳

 I
 室内はひざ歩き,外では電動車椅子を使い,乗降の時には介助を呼ぶ。コミュニケーションは口話で可能。
 障害について,s=0。「正直に言います。」
 食事(パンの時は犬ぐい)・更衣・排泄・入浴・整容については,職員による全介助。
非常時はナースコールで。職員に呼ばれる時は「〇〇さん」(姓)。職員を呼ぶ時には,「〇〇さん」,または「ちょっとすみません」,肩書きのある時は肩書きで。介助についてs=1,d=1。不満は,自分の意見を聞かない職員が一部にいること,決定については園側の意見が強いこと。
 医療について。週2回医師が施設を巡回する。医療を受けることはこのごろは全くない。施設に入所してから風邪で1週寝込んだことがあった。この時には,部屋で寝ていて,病院の医者・看護婦から投薬を受けた。家族は来なかった。今後も看護婦・職員が対応するだろう。s=3
 使用している機器は,電動車椅子とワープロ。これらはみな必需品。電動車椅子は1989年に公費と一部自己負担で導入したが,もうガタが来ている。ワープロは1988年に公費と一部自己負担で導入。これについては,福祉事務所のミスで違う型が来てしまい,フロッピーが2枚入らないことが不満。
 居室の改造はしていない。ただ,1992年にベッドを低いものに変えた。その結果,自分で乗り降りができるようになった。このベッドは借りている。機器・改造に関するs=1,d=2
 収入は,障害基礎年金1級+特別障害者手当,そして仕送りが少し。通帳は施設に預けている。出納帳はつけてもらっている。1月の支出は,通信費2000円,趣味教養費として鉄道雑誌の購読に4000円,CATVの料金2000円。被服費は平均3000円(2月に1度くらい買物)。会費が年に200円。ふれあい喫茶1000円,飲物に3000円。s=3,d=3
 1994年2月から2人部屋に居住している。最初は4人部屋だった。個人スペースは 4.5畳分。プライバシーの確保は 100%ではない。日照・風通しはよい。床暖房が入っている。s=2,d=0(居住についての決定は療護施設が行なう)。
 周辺の環境としては,周囲に農家が多く,自然はよいが生活には不便。スーパーまでは30分かかる(車なら5分)。s=2
 1週間・1年の活動。火曜の午前と水曜の午前・午後にクラブ活動がある。オセロと絵画のクラブに所属している。楽しい。7月上旬から8月上旬,12月下旬から1月上旬に帰省。6月には施設の一泊旅行がある。s=0,d=1。
 余暇のグループ活動としては,オセロクラブが月1〜2回,絵画クラブが月1〜2回。s=3,d=3。
 趣味は鉄道で,2日に1回,1〜2時間雑誌を読む。映画が食堂で週1〜2回ある。s=1(鉄道の実物を見られないのは不満),d=3。
 道路や建物のアクセシビリティについて。電動車椅子では段差が多く不便。s=0
 外出は面会者がきて付き添えば可能。職員が足りないので。1泊旅行,地域見学がある。買物は月1回,両親が面会に来た時にショッピングセンターへ。s=0,d=0

 II
 甲信越のA県に生まれる。10歳の時に東京都に移り住む。33歳で都センターの更生棟に入所,(体験入所的に)センターに通所。36歳のときに現在の療護施設に入る(甲信越のB県)。東京の療護施設を希望していたが,空きがなかったので現在のところになった。30歳頃,母に将来的には施設に入るように言われた。親の年齢,いざという時のために施設入所を決めた。福祉司から現在の施設を紹介される。d=3
 父と母がいる。妹と弟がそれぞれ結婚して両親とは別居している。相談事等は弟とする。親・きょうだいとの関係は良好だと思う。親戚との関係は年賀状程度,トラブルはない。家族との関係の変化については,かえってお客さまみたいな関係になった。s=3。自分の結婚については具体的なイメージはないが,相手がいれば考えたい。
 一番頼りになる人は弟。帰省の送迎をしてくれる。11月に面会に来た。
 話をしたりする友人が園内に3人。年賀状などをやりとりする友人が園外に5,6人。s=2,d=3。
 近隣の人達との関係。バザーに地域の人を呼ぶ。地域の祭に参加する。s=−(スコアを回答せず)
 偏見を感じることははない(自分が慣れた)。周囲の人はおだやかに接してくれる。s=3
 将来の展望について。このまま一生施設で終わるつもりはない。自立生活に移行していきたい。
■N2a 男性・41歳。

 I
 車椅子を使っている。屋内は自分で足でバックげり,屋外は介助者が押す。コミュニケーションは口話で。
 障害について。ディレクターになりたかった。それがなれない。人間だから恋もしたい,結婚もしたい。できない自分に不満。仕事もしたい。でもできない。s=1。
 食事・更衣・排泄・入浴・整容は職員(同性)による全介助。食事については,来た時はボランティアが介助する。呼ばれる時は「〇」,「グレ〇」,「バカ〇」,「ヤマ〇」(姓の頭1字)。若い職員は〇〇さん(姓)と呼ぶ。自分が呼ぶ時は〇〇さん,若い人の時には〇〇君。
 もう少し各個人のニーズに合せた介助にしてほしい。スケジュールが時間時間で決められている。起床,就寝の時間まで決められている。朝7時10分にベッドから降りる。午後7時30分にベッドにあがる(他の人は6時30分)。ベッドにあがると本を読むこともテレビを見ることもできない。自己決定できるようにしてほしい。できたら9時30分にベッドにあがりたい。トイレなどは個人のことのはず,施設側が決めることはどうなのだろうか。生理現象で,一番簡単なことだ。施設の側もやろうと思えばできるだろう。また,職員に電話の介助を頼むと,断ったり,怒ったりする。外部との通信は自由だと思う。介助についてs=0,d=0
 医療について。病気になった時には,ほとんど施設の嘱託医にかかる。現在,弛緩剤・胃薬を使用している。施設の医者が処方する。PTと腹筋・背筋伸ばし。OTとパソコンの練習。
 緊張で胃が圧迫され,吐血して入院したことがある。救急車で病院に運ばれた。3週間入院した(園でいくつかの病院と契約している)。その後家で2週間静養。職員から家族に電話が行って後は親(弟・妹も)が対応した。同様のことがあったら,今後も家族は来ると思う。家族がいない人は病院まかせ。単なる発熱の場合も入院になってしまう。投薬の時に水をもってこない(食事の前に口の中に入れる,あるいは御飯と一緒に食べさせてしまう)。医療についてs=0
 使用している機器は,車椅子。軽くしたいのでスタン合金使用のものを6年前に自費で購入した。車椅子便器は施設にあるものを使用している。パソコンソフトは自費で1993年年の秋に 28000円ほどで購入した。パソコンはまだ使いこなすところまでいっていない。今欲しいのが電話。施設の入所者で電話をひいている人はいない。普段は公衆電話を使うとしても,夜などわかりの良い職員でないと手伝ってくれない。障害者用の公衆電話をつけてくれと言うと県の管理下だからできないと言われる。理解度も低い。結局携帯電話を買うことに決めた。
 改造は全くできない。園だからできない。機器・改造についてs=0,d=1。
 収入は障害基礎年金1級。s=0,d=3。
 8人部屋に居住。1人分は約2畳。個人スペースはベッドとそのまわりだけ,プライバシーは全くなし。住みにくい。とにかく狭い。日照・風通しは良好。s=0,d=0。
 周辺の環境はまあよいと思う。レストラン,銀行,公園,コンビニも15分くらいのところにある。
 7時40分に食事,8時30分に排便,11時30分に排尿,11時40分に食事,14時50分と16時45分に排尿,17時に食事,19時30分にベッドへ。昼も夜もトレーナー,寝間着を着て過ごす。施設の年間行事がある。s=0,d=3。
 趣味のグループへの参加。無線クラブの部長をしている。詩のクラブにも入っている。s=3,d=3。
 個人的な余暇の使い方。自伝を作成している。ビデオは作成済み。ボーリングを年に3〜4回。s=0,d=3。満足度=0は思うようにできないことに対して。また時間の問題もある。
 道路や建物について。段差がある。最寄りの駅は階段しかない。駅員の対応が悪い。一人で行っても駅員は出てこない,通行人に頼むしかない。s=0。
 外出は首都圏内の大きな繁華街4箇所ほど(電車で1時間から2時間)に年に10回くらい。買物もこのうち2箇所ほどで,遊びに行ったついでにする。門限は午後7時。s=1,d=3。

 II
 養護学校,その後は在宅で独学。21歳で現在の療護施設に入居した。自分がテレビを見ていると,弟・妹がつられ,弟・妹が怒られる。しゅっちょうトラブルで,それが嫌で入所した。d=3
 1953年生まれ。父は1981年に死去,母は66歳。弟は35歳で,結婚して別居,子がいる。妹は32歳(勤め・母親と同居)。家族の中で相談する人はいない。親との関係はまあまあ。帰省は夏に6週間,冬に6週間。弟との関係はまあまあ。親戚とはほとんどつきあいはない。家にいないから。
 施設入所前後の家族関係の変化は,ある。お互いにやっていることがわからない。特に自分の考え方がわからないと思う。親が干渉できなくなった。在宅の時は煩わしかった。ただ関係が良くなったとは言えない。s=1
 いちばん頼りになる人は〇〇ファミリーの10人くらいが1番,ボランティアが2番。
 友人は,「〇〇(本人の姓)ファミリー」(ボランティアとして入ってきた人達の中で継続的に彼とつきあいのある人達のグループ)の10人。この人達とはなんでも話す。施設内の人も入れれば(職員4〜5人)30〜40人。施設内のごく限られた人(職員を含めて5〜6人)とはいろいろ話す。施設以外では,ファミリーの10人,ボランティア23人くらい(出入りがある)。s=3,d=3。
 近所の人は名前も知らない。実家に帰ればあいさつ程度。
 偏見はあまり感じたことはない。あるけれど無視している。街でよく受け入れられていると思うこと:よくいく飲み屋(電車を使い1時間弱)では完全に名前を覚えていてくれてお馴染みさんという扱い。s=0
 できるなら誰かいい人がいたら結婚したい。ここを出て,自分の家に戻って。ただ現実的には,多分ここでずっと生活し,夏冬家に帰る生活になるだろう。(自宅にはエレベーターがあって廊下を広くしてあり車椅子で移動しやすくなっている。自宅の自分の部屋は10畳ほどある。)
■N3a 女性・34歳

 I
 室内はよつばいで移動する。施設内では手動車椅子を足でこぐ。屋外では車椅子を使う(手押し,電動車椅子は練習したことはある)。コミュニケーションはトーキングエイドのみ(1988年から使用)。その前は文字盤を使っていた(トーキングエイドの方がよほどよい)。身体の中の随意性は左上肢が最もよい。ほとんど全介助。自室のテレビ・引出しの操作は自分で可能。
 障害については「しょうがない」という気持ち。1988年から使っているトーキングエイドの使用においても,不随意運動が強く,スムーズとは言いがたい。(それ以前の文字盤使用の時には自分の思っていることを伝えにくく困ったでしょうとの問いに,うれしそうにそのことを肯定。発語はほとんどなく,時折,左手が調査用紙を指さそうとするがそれも難しい。)s=1。
 すべてについて全介助を要する。職員による。車椅子から畳の室への移乗は介助,畳の室の移動だけ自力で行なう。テレビスイッチ,引出しの操作,職員を呼ぶボタン操作は左上肢で可能。トイレは埋め込み式,和室の4人で共用。呼ばれる時は「〇ちゃん」「〇子さん」。介助者を呼ぶ時は,ボタンを押すのみ。s=3,d=2。(施設のリズムにより利用者に合せるのでなく,本人に合せてくれる介助をありがたく感じている様子だった。前施設の△△療護園(同じ県内)と比較し,格段の差があることを指摘していた。)
 健康面については,時折来る非常勤医師にみてもらう。医療は特に受けていない。投薬もなし。今までにかかったのは風邪くらい。その時には,非常勤医師と職員が対応した。家族等は来なかった。今後何かあったら,来てくれる人は家族(妹)。また県内の親戚の人が訪ねてくれるだろう。d=2
 使用している機器は,トーキングエイドと車椅子(足で操作)。トーキングエイドは1988年に自費で購入して使用している。コミュニケーションが改善された。車椅子は小学校のころから使っている。公費で購入。施設内を移動できる。
 居室の改造については特にない。現在の部屋は生活しやすくできている。和室8畳は座位移動には便利。s=3,d=3
 収入は障害基礎年金。家で年金を管理していて,1万円を送金してくる。ほとんどの月「1万円のお小遣い」で過ごしている。新聞・本を買うなどの趣味教養費として使う。服などの購入の際には,家族が月に1度くらい施設を訪問する時に伝える。残ったお金は本人のために家族の人が貯金している。s=3,d=3。
 8畳で2人部屋。かたちの上では個人スペースはあるが共用している。現在同室の人とはうまくいっていて,自分一人の部屋が欲しいとは思わない。良い部屋だと思う。日照はよい。s=3,d=3。
 コンビニはそばにあるがだいたい月に1回の外出。外にはあまり出ない。s=3
 自分の部屋で新聞・本・テレビを見ている時間が多い。△△△会(宗教団体)の友人(女性)を2週に1度ほど訪問する。これは家族に勧められて。訪問を楽しみにしている。施設の行事は7月に1泊の旅行,11月に文化祭。8月にも行事がある。s=3,d=3。
 趣味のグループへの参加は特にない(療護施設内の余暇・クラブ活動には参加していない)。s=2,d=3。
 余暇の時間。△△△会の友人の訪問を受けている。s=2,d=3。
 外にはあまり出かけない。出かけるとすれば,コンビニエンス・ストア。園内に売店がある。近くの市のスーパーに月2度ほど行く。s=2,d=3。
 道路や建物について。街の中での自分についてはほとんど関心はなく語ることはできない。施設内での生活が現在の本人の生活の大部分という印象を受ける。s=2。

 II
 養護学校に小学部から中学2年まで,中学2年から施設に,前の療護施設に移る。29歳(1991年)の時に現在の療護施設に入所。
 父は65歳,母は1990年に死去。民間企業に勤めている妹が父と同居。家族の中での相談相手は妹。母親が生きていた時は母親との関係が強かった。親との関係はまあまあ。妹との関係は良好。親戚とのつきあいでは,母親の葬式などで顔を合わせることはある。県内にいる親戚がよく訪ねてきてくれる。
 家族関係の変化。家での生活よりここでの生活の方がよい。家での生活は刺激がない。s=2。
 いちばん頼りになる人は施設の職員。何か悩みがある時は妹よりも施設職員の方が理解してくれる。妹でも△△△会の人でもない。
 施設の近隣の人との付き合いはない。s=−
 友人はたくさんいる。ただそう深いつきあいではない。施設以外の人では△△学会の友人。友人関係には満足している。ただし友人関係よりは家族関係の方を大切にしている。s=2,d=3。
 周囲の人々の受け入れ,偏見については,特に発言はなし。s=2
 療護施設でこれからも暮らしたいと思う。この施設を出ることは考えていない。家で父親や妹と暮らす気持ちはない。
■N3b 女性・35歳

 I
 室内では車椅子を足でけって移動する。ベッドや床から車椅子への乗り移りには介助が必要。室外では車椅子を介助者に押してもらう。上肢はほとんど使用できない。足指でワープロ操作,ひき出しの出し入れ,物の操作等を行う。言語障害はあるが,コミュニケーションは口話のみ。電話も可能。ワープロは車椅子に座って足指で操作する。紙のセットは自分でできる。
 障害について,変な言い方かもしれないが,自分が障害者であるおかげで,いろいろな人と出会えて,人の心がわかるようになった。いろんな障害者がいるんだなと感じた。私だけが障害者ではないし,もっと障害が重度な人がいて,そしてすばらしい生き方をしていることを知ることができた。障害を持たなかったから,それを知ることができなかったかもしれない。s=3
 生活の全部について全介助を要する。職員が介助する。非常時にはナースコール。いちおう,トイレと入浴と着替えは女性職員が介助する。食事は男性職員が入ることもある。部屋の片付けはだいたい女性職員が行なう。入浴についてはボランティア(施設で呼んでいる)による介助もある。女性の場合は週1回,入浴の時,髪のブロー,セット,爪切りをしてくれる。男性の場合は月1回。介助者に呼ばれる時は〇子さん,介助者を呼ぶ時は〇〇さん。
 介助についてs=1,d=2。この満足度について:職員によって異なるが,着替えや入浴の時,時間に追われて,いいかげんにされることがけっこうある。決定度について:職員(施設)と利用者(自治会)側で処遇について話し合う機会が月1回あり,そこで要望書を出している。介護要求はだいたい受け入れられているように思う。
 医療については施設の診療所を利用している(外来診療も行っている)。2週に1度,緊張緩和剤の投薬を受けている。歯科は利用している。内科は週に1度,整形外科は2週に1度医師が来る。年に1回定期健診がある。このごろ緊張が強くなり,首・足が痛む時は,車で15分くらいの所にある整形外科医院を受診している。医院側の受け入れはよい。また,母方の伯父が小児科医で,実家近くで開業しており,具合の悪い時は受診することがある。
 丈夫で風邪などはほとんどひかない。ただ一度風邪で具合が悪くなったことがあった。この時には施設に併設されている診療所にかかった。この時に身内は来なかった。今後も来ないだろう。養護学校在学時はそこで受診。手術をしたことはない。在宅の時も同様。s=2
 使用している機器は車椅子とワープロ。車椅子は幼児期から使っている。ないと移動できない。公費で購入。現在使っている車椅子の製作に関しては,足で操作可能なブレーキのとりつけ,クッションなど望み通りだった(→d=3)。ワープロは13年前に自費で購入した。足で字が書けるが,ワープロの方が便利。ただ,ラップトップ式のため,ディスプレイ部とプリンターの紙挿入部が干渉し,操作が面倒くさいことが不満。電話は自室にはなく,施設の公衆電話を利用している。
 居室の改造はなし。これまでは現状であきらめていた。こんなものだと思っていた。最近,不満や要望ができてきたので,施設側に言っていきたいと思うようになった。足で必要なものが取れるよう,棚を低いところに設置してほしい(現状については後述)。テレビが天井近くにとりつけられていて,ベッドに寝た時に見にくいので,見やすいところに設置してほしい。機器・改造についてs=2,d=3。
 収入は障害基礎年金だけ。もう少し年金額が高ければよいと思う(月10万円くらいになればよい)。基礎年金の口座(通帳)は実家にある。月55000円を送ってもらい,残りは親にあげている。55000円の支出のうち,施設の費用徴収が30000円,交通・交際費5000円(外出時のボランティアの食費・交通費の支払いを含む),通信費3000円(テレフォンカードを使って電話),趣味教養費6000円(後述),被服費10000円,会費300円(自治会費が年に3600円),預金0〜5000円(医療費の自己負担の払い戻しを貯金している)。s=0,d=3。
 2人部屋をカーテンで仕切っている。1人分のスペースは220cm×400cm。部屋にはベッド,ロッカー,棚,植木鉢がある。個人スペースはいちおうある。プライバシーはカーテンによっていちおう保護されている。ただ,物理的にガタがきている。日照はよい。風通しは良すぎる。現在は,キャスター付の板の上にワープロを置き,ベッドの下に入れて取り出せるようにしているが,スペースがいっぱいになっている。その他の物は,高さ2mくらいのロッカーに入っており,ひとりでは取り出せない。これらが不便な点(先の改造についての記述参照)。居室についてs=1,d=2。決定度について:部屋割りの要望を出すことは可能だが,同居者とは入居時から同室で関係が悪くないため,部屋を変わりたいという気はない。
 最寄りの駅まではかなりある。施設の周辺で自分で用を足すことはない。徒歩5分にコンビニがあるが,ほとんど利用しない。s=0
 1日〜1週間の活動について。7時に起床し,7時30分に食事。午前は,月曜・水曜・金曜にレクリエーションがある。火曜に理学療法,木曜に作業療法が各45分間(曜日は変わることもある)。11時45分から13時に食事。午後は,月曜に音楽クラブ,水曜に園芸クラブ。火曜・木曜・土曜に入浴(木曜は隔週)。金曜日は特になし。18時に夕食,22時に消灯。
 年間の活動について。自治会の監査委員をしている。自治会員から会費の集金もしている(女子棟を担当,3か月に1度)。2月から3月は自治会総会の準備で忙しい。3月から5月は音楽クラブのコンサートの準備で忙しい。7月から8月には納涼祭(園行事)とその準備がある。実行委員をしている。9月中頃から11月にかけては文化祭(園行事)とそこでのクラブ活動の発表の準備。11月から12月は,クリスマス会(園行事)に向けて音楽クラブの発表準備。施設の季節行事に積極的に参加しているため準備期間は忙しい。県内の療護施設の交流大会(スポーツ,オセロなど)があって,すすんで参加している。s=2,d=2。
 趣味のグループへの参加は,生花サークルが月1回(月800円),園芸サークルが週1回,音楽クラブが週1回(部長,会費は年2200円)。車椅子ボール(サッカーのようなもの)をレクリエーションの時間に時々する。s=2(音楽クラブの発表会=コンサートを施設外で行いたい),d=3。
 個人の時間の過ごし方。ピアノの個人レッスンを月1に1回受けている。施設に先生が来て教える。月5000円。編物,クロスステッチを暇なときにする。s=3,d=3
 外出は同じ県内の実家に月に1回から2回,1〜2泊。他に,電車を使って1時間から2時間弱くらいのターミナル駅のある街に3月に1回くらい友達と飲みに行く。施設の周辺で自分で用を足すことはない。買物は近くの市にあるダイエーに月1回,園外買物を利用して行く。園外買物は月2回まで利用でき,職員が介助するというもの。同じく,年に2〜3回,クラブ活動で近くの市の園芸センターに行く。s=1(もう少し回数多く外出したい),d=2。
 道路や建物について。段差が多い(近辺にはあまり出ないのでわからないが)。ダイエーはいちおうは使いやすい。s=0(段差が多くて一人で外出できない)。

 II
 現在暮らしている療護施設のある県の某市に生まれる。8歳から養護学校(小・中・高)へ実家から通学。小学部の時には母が電車で送迎,中・高等部の時は母が車で送迎した。養護学校の高等部を卒業した後,19歳の時(1978年)に自宅から近所の作業所に通い始めたが,作業が難しいため半年でやめた。以後在宅で生活を送る。この養護学校卒業時の決定についてd=2。行くところがなかったので在宅となった。この時は施設入所は考えなかった。
 29歳で現在の療護施設に入居。この入所についてd=3。在宅を続けてきたが,親が年をとって介護が困難になってきた。親から自立するというような意味を含めて,離れて暮らしてみようと思った。
 父は67歳,母は62歳。30歳の弟は結婚して別居しており,1歳の子がいる。相談相手は母。親との関係はうまくいっていると思う。時々旅行を止められて私が怒ることがある。長女としての役割はとれていると思う。父は無口,母とはよく話をする。ぐちの聞き役を含めて母の相談相手,聞き手となっている。弟との関係はけっこううまくいっている。仲が良い。良い弟と思っている。2年前の結婚式にも出席した。親戚との関係では,近くのいとことよくつきあっている。
 家族関係の変化について。離れてみて,親が自分のことを思ってくれているということがわかり,親のありがたみがわかった。自分は施設に入ってすぐ慣れたが,母はしばらく泣いてばかりいた。s=3
 いちばん頼りになる人は,恋人と思っている人。電話で話す。けれども,結婚はたぶんできないでしょう。
 近隣の人とのつきあいは特にない。名前も知らない。s=1。
 友人は20人くらいいる。電話で話す。施設の外の友人は10人(養護学校の時の友人)。s=3,d=3。
 偏見を感じたことは今のところない。他方,よく受け入れていると思う場面も特にない。s=2
 施設を出ることは現在は考えていない。 ■N3c 男性・30歳

 I
 室内はよつばいで移動する。室外では電動車椅子を使っている。外出の時は,県内の障害者団体「△の会」のメンバーが介助。電車,バスを利用する。施設からの外出は家族が介助する場合だけ許可されていたが,1993年から家族以外でも可能になった。コミュニケーションは話し言葉で可能。書字は職員,友人が代筆する。
 障害についてはs=3。CP(脳性まひ)で生まれたので…。ただ年齢に応じて悪くなっている。去年できたことがやりにくくなる。
 食事,更衣(ボタン,靴下),排泄(ズボン上げ下げ,車椅子乗り降り),入浴,整容,非常時について,部分的に介助が必要。職員が介助する。職員に呼ばれる時は〇〇(姓)(さん),職員を呼ぶ時は〇〇さん。s=0,d=2。
 普段みてもらっている医者は内科医。アドバイスを受ける。大きな病気をしたことはない。s=3
 使用している機器は電動車椅子,車椅子。電動車椅子は1986年から使っていて,外出の時の活動範囲が広がった。ただ,レストランやデパートでは使いにくい。乗降時に介助が必要。リフト付バンが使えるとよい。
 1994年,施設の改築時に自費で洗面所を改造。使いやすくなった。機器・改造についてs=3,d=3
 収入は障害基礎年金のみ。支出は交通費・交際費が月15000〜17000円,趣味教養費5000円(雑誌など),諸会費300円,医療5000〜7500円(計30800円)。旅行を年に1〜2回(施設の旅行,日帰りが年1回,1泊が1992年から5年に1回)。預金は 20000円ほど。s=3,d=3。
 和室8畳の2人部屋で暮らしている。仕切り等はない。プライバシーはなし。同室者は養護学校・リハセンターの同級生(CP)。現在部屋替えを希望している。和室で暮らしているのは入居者50人中8人のみ。s=3,d=2。
 周辺の住み心地について。近くにマンション,コンビニエンス・ストアがある。一般住宅は少ない。近くの高校生ボランティアとの交流会がある。s=3
 月曜・水曜・金曜にクラブがある。週1回,月曜に理学療法を受ける。火曜・木曜・土曜に入浴(一般浴は午後3時から,他に特浴がある)。自治会と職員との話し合いが月1回ある。自治会の役員は5人。看護婦の手伝いで薬の分包をする。外出は散歩・買物。他に△の会の活動。8月にはこの会の合同合宿が伊豆の宿で1週間ある。他に施設の年中行事がある。盆と年末年始には実家に帰る。s=3,d=3。
 趣味等のグループへの参加。△の会で活動している。したい(ができない)こととしてスキー・水泳。s=1,d=3。
 他にしたいこととして地域活動。1994年から市社協主催のボランティアフェアがある。s=2,d=3
 外出について。銀行の支店の人が週に1回来所するので,お金の出し入れはその時にする。買物は週3回から4回コンビニで。入所している人の買物を頼まれることがある。s=3,d=3
 道路や建物について。歩道がとぎれる。歩道に障害物や穴がある。s=0。

 II
 1964年生まれ。1982年に同じ県の養護学校高等部を卒業。1982年4月県リハビリテーションセンター重度更生施設に入所(d=3)。1983年5月に施設に入所。ぜん息が悪化し,19843月に製肢療護園に入院(半年間),その後,大学附属病院に入院。1985年から在宅生活。1988年に現在の療護施設に入所(d=3)。
 62歳と父と61歳の母がいる。既婚の27歳の妹が父母と同居している。家族のなかで相談する相手は父・母・妹。親からは常に連絡あり。妹との関係は良好。親戚との関係は良好。s=3
 いちばん頼りになる人は妹とその夫。
 友人は4,5人。施設以外の人としては△の会の事務局長の〇〇氏。s=3,d=3。
 近隣の人達とのつきあいについて。園の涼納大会・文化会がある。s=1,d=1。
 偏見を感じることは別にない。s=3
 今後について。(この施設で)援助を受けながらやりたいことをやる。実家に戻りたい気持ちもあるがスペースの問題があって難しい。
■N4a 女性・38歳

 I
 施設内は車椅子で移動する。畳ベッドから車椅子,トイレから車椅子にはホイストを使用している。外出は電動車椅子(背まがりリクライニング)を使用。ホイストでトランスファー。ただし旅行の時は手動車椅子を使っている。日常会話に支障はない。
 障害について。幼い時は歩ける人を見て,うらやましいと思ったり,やきもちをやいたりしたが,今は障害についていろいろ不満を言う気はない。もった機能をいかしてみたい。現在この療護施設で一番障害が軽いと言われている。s=1.5。
 更衣・排泄・入浴は職員による全介助。更衣はゆっくりなら可能だが時間短縮のため全介助。排泄は車椅子上でも便器をさし込めば可能。入浴は機械浴槽を利用,天井に備えつけのホイストを使用して移動。非常時も全介助が必要。昼・夜間の防災訓練があって,職員の迎えで搬送。
 食事と整容は職員による一部介助。食事はナプキン,お盆,薬のセットのみ介助がいる。整容は前にかがめないため洗面所に車椅子を横づけにしてもらう。この施設では大掃除や買物について事前(3日〜1月前)に要件を依頼しておくという介助要望制が取られている。ただし園のリフト付マイクロバスは2台だけ。また,居室内のボタンをおして介助要請のコールをする時点で,男性・女性の希望を言う。その他,外出時は(有償)ボランティアを活用(隣の市にある自立生活センター(CIL)にアルバイトで勤めている人等,有料介助)。職員に呼ばれる時は,〇子ちゃん,〇ちゃん,△(姓)さん。若い職員は△さんと呼ぶ。職員を呼ぶ時は,〇〇さん。
 介助についてs=0,d=3。若い職員は遊び半分のように思える時がある。介助の仕方が荒っぽい人がいる。人間関係がよくない人がいる(やさしくない)。
 医療について。みてもらうのは,施設の医師,看護婦。歯科医も来てくれるので便利。現状では施設に2週に1医師が来る。日々の体調については看護婦に相談する。貧血気味で,増血剤を服用することもある。幼小時に,足の手術を10回受けた。かかとを下につける(安定させる?)手術,股間を開く手術。施設に来た最初は環境に慣れず風邪をひきやすかったが,現在は慣れ,ほとんど病気をしたことはない。今後,病気になった時に,特に家族が来るということはないだろう。s=3
 使用している機器は電動車椅子(リクライニング式)。職員と相談し,福祉事務所で判定を受けて導入。4年前,公費で購入した。CIL(自立生活センター)に自立生活プログラムを受けにいくため,製作し,現在通っている。電動車椅子を使うようになって行動範囲が広がった。s=3,d=2
 収入は障害基礎年金。他に,施設より施設内でとらない分の食事費の返還が月に8000円ほどある。支出は,費用徴収30800円,被服費10000円,国健10000円,通信費10000円(電話代),雑費5000円(紙おむつ等)。CILの利用に関わる支出が20000円くらい(体験入居の時に1600円/時,有料介助を頼む場合に1060円/時,他にプログラム利用料)。ただし体験入居をした時は40000〜60000円かかる時がある。その他,旅行をする時は1回7〜8万円使う時もある。費用徴収が高いことも自立生活をしたいと思うきっかけとなった。個別援助という時間に,お金の使い方について職員に相談することもある。自立生活のため,これから貯蓄しようと思っている。今後,親の保険が月々入ってくる予定(妹が手続きをしてくれた)。s=1.5,d=3。
 居室は個室。畳ベッド,冷蔵庫,ロッカー,箪笥等がある。入口はカーテンレール。個人スペースはある(6畳くらい)。プライバシーはない。空気はよいが,山の上で外出しづらい。s=0,d=0(両親が施設を選択)。
 駅から療護施設の小型リフトバスで10分くらい,最寄りのバス停まで歩いて10分くらいかかる。環境がよすぎて(山の中),外出に不便。入所当初(あまり自然環境がよくて=街から離れたところにあって)かえって体調が不安定だった(施設ができたころは今よりもっと近くに人家がなかった)。s=0(外出に不便で不満)
 活動について。月曜から木曜の8時45分から9時30分はリハビリテーション。火曜・木曜・土曜の10時から入浴。金曜はCILに通う(13時30時から15時30分,14時に休憩)。ワープロの学習グループがあって週2回参加している。他にクラブ活動(後述)。CILへの参加が生活のはりあいになっている。(6〜7人をグループとして3人の職員が担当している。その他個別援助もある。ふだんは電車を,雨天時はバスを利用している。CILに2時間単位の有料介助を頼むこともある。)リハ(PT)は寝返り,腰を曲げる訓練,股を広げる訓練。
 年間行事としては,10月に施設の祭があり,芸術クラブで劇を発表する(今年は「泣いた赤鬼」)。s=2,d=2。
 趣味のグループ活動としては,芸術クラブ(詩・作文,演劇等,副部長),写真クラブ(活動を施設の新聞にのせる)で週1回くらい活動している。養護学校時代はバドミントン,ホッケー,バスケットをやっていたが,今はしていない。スポーツをしたい。s=2,d=3。
 他に余暇の活動は特になし。一人暮らしが実現したら習い事(手工芸)をしたい。s=2,d=3
 外出は,CILに通うため隣の市に週1回。買物は私鉄に乗ってデパートへ,またスーパー,駅前の商店街。s=3,d=2。
 道路や建物について。電動車椅子で周辺は移動できるので,まあまあ良いと思っている。s=3


 II
 1956年に生まれた。未熟児で黄だんが出た。マッサージ等病院に通う。9歳の時に病院附属の養護学校(小〜高)に。卒業後3か月自宅にいたのち(d=0),19歳で現在の療護施設に入所(d=0)。両親が体が弱く本人の面倒をみられなかった。
 現在38歳。今の住まい方は人間関係が難しい。子供の施設は職員はやさしく純粋に見えたが,大人の施設でのつきあい方がわからない。居住者同士の関係も難しい。
 父は1994年に64歳で死去。母は,本人が25歳の時,56歳で死去。31歳の妹がいる。結婚しており,5歳と4歳の子がいる。妹とは仲が良い。親戚との関係はあまりない。行事・正月などに面会に来るのみ。s=3
 いちばん頼りになる人は,文通を15年間している人(別の県のリハビリテーションセンターの理学療法士)。
 近所づきあいは全くないが一人暮らしになったら必要と思う。
 友人は5〜6人(養護学校の卒業生,CILの仲間)。すべて施設以外の友人。s=2,d=3。
 偏見はあまり気にならずむしろ理解がある方だと思う。s=3
 アパートでの一人暮らしをしたい。2,3年がかりで計画を立てている。近くの市で。そのため現在,職員から紹介されCILに週2回の頻度で通っている。療護施設を出たいと思っている人が7〜8人集まって,年金について,また自立生活をしている人の体験を聞くなどのプログラムに参加している(→注19)を行っている。(彼女はこの調査の後,療護施設を出て,現在一人で暮らしている。)★24 ■N4b 男性・40歳

 I
 施設の周辺では電動車椅子を使う。旅行などは介助のため手動車椅子を使用。聞きにくいところはあるが,日常会話程度は口話で可能。
 障害について。非常に苦しい。s=0
 日常生活のすべてについて全介助を要する。職員が介助する。テレビ,ビデオ,電灯は環境制御装置で操作している。職員に呼ばれる時は,あだな,〇〇(姓)くん,〇〇さん。職員を呼ぶ時は名前で呼ぶ。s=1.5,d=3。職員によってやり方が違うことが不満。
 医療について。歯科については医者が療護施設に来てくれる。上の歯が入れ歯,合わないが。現在のところ医療は不要。週に1〜2回医師が療護施設に来ている。s=3
 使用している機器は環境制御装置と電動車椅子。環境制御装置は職員からすすめられて使用することにした。3年前に公費で導入。身のまわりのことを自分で操作できるようになった。特にテレビが好き。電動車椅子は足で操作する。仲間が使用しているのを見て自分からチャレンジした。4年前に公費で導入。園の周辺を自由に移動できるようになった。機器について,s=3。
 収入は月111250円。障害基礎年金81250円+扶養年金(保険)30000円。支出は71000円。費用徴収が26000円,食費(外出・出前)20000円,通信・趣味教養(テレビJCSATの使用料)10000円,雑費15000円。預貯金は特になし。s=1,d=3。
 居室は15平方m。畳ベッド(カーテン),タンス,オーディオがある。ベランダから中庭。個人スペースはある。プライバシーはない。環境的には良い。ただ午後から日が照らない。不満ながらも長年住んでいるため愛着を感じている。s=0,d=0。
 施設のバスを利用して外出する。気軽にショッピングなどができるところはない。外出が自由にできない。s=0
 月曜・水曜・金曜の夕食後に入浴。金曜はクラブ活動(下記)。その他,ワープロ(足で打つ)。10月に施設の祭がある。以前は正月は自宅に帰ったが,今はほとんど交流はない。s=1.5,d=3。
 趣味のグループ活動について。施設内の演劇クラブの部長。施設の祭で発表。この活動には職員・ボランティアがつく。他に施設内の将棋クラブ,写真クラブでも活動。外出をもっとしたい→s=1,d=2。
 他の余暇の使い方。お酒が楽しみ。サッカー(レッズのファン),野球をみる。
 外出は施設周辺に限られる。買物は,介護要望制により,私鉄沿線の街へ。s=1,d=2。
 道路や建物について。坂が急で,工事が多い。s=0。

 II
 東京都生。10歳で区内の養護学校に入学し,22歳で卒業。24歳の時に現在の療護施設に入所。この時の決定者は親,d=0。
 父は16歳の時に死去。母は47歳の兄と同居している。他に45歳と43歳の姉が結婚して独立。家族のなかで相談する人はいない。親との関係はほとんど交流がないのでなんとも言えない。弟との関係はほとんど交流がないのでなんとも言えない。親戚との関係はほとんど交流がないのでなんとも言えない。
 家族関係の変化について。長い間,ほとんど関係がないのでわからない。s= 1.5。自分の結婚について。希望はあるが,考えるには至っていない。
 いちばん頼りになる人は恋人。
 友人は7〜8人。クラブ活動の仲間など。施設外には1人。その人はアパート暮らしをしている。s=3,d=3。
 近隣の人とは全く関係ない。S=−
 偏見はあるあるけれど,しょうがないと思う。s=1.5
 現在,この施設内に知人がいる。地域で自立生活をしてみたいが,何かあったときに帰るところがないと心配。今はナースコールを押せば,職員がとんでくるので安心。
■N5a 女性・38歳

 I
 居室内では介助を要する(一人ではまったく移動できない)。施設内では電動車椅子,屋外でも電動車椅子を使っている。発話は多少聞き取りが難しい時があるが十分通ずる。字を書くことはできずワープロは口に棒をくわえて打つ。しかし実用的ではないので口述筆記を頼んでいる。
 障害について。障害は顔が一人ひとり違うように一つの個性であるととらえてきた。母にそう言われ,小さい時からそう思ってきた。しかし家から施設に移り,介助の問題にぶつかって,単に個性なんだということですまされないということを実感している。ボランティアとも友達としてつきあいたいが,介助の問題が入るとやっぱり違うのかということを感じる。しかし人との出会いにおいて障害をもって良かったと感じている。人の弱さ,強さ,やさしさを感じられる自分がうれしい。s=3。
 生活のすべてについて全介助が必要。非常時(入院時)は親。付き添いは不要だが,泊ってもらった。職員には介助時間と内容を決めて介助してもらっている。トイレ以外はコールを押さないようにしている。ボランティアは口述筆記の時,泊まりがけで出かける時に利用。職員は個性豊かで言ったとおりしてくれる方と自分のやり方でしてくれる方がある。元気な時にはどちらでもよいが,均等になればと思うことがある。言葉の使い方なども気になる。s=1,d=−。
 医療について。近くの診療所が内科と軽いケガに対応する。歯科は近くの病院。いずれも10分くらいのところにある。施設に2週に1皮膚科,週1歯科の医者が来る。これまででは,風邪を引いて熱が出たことがある。この時はコールを押して体温を計ってもらった。その後,電動車椅子で一人で診療所に行き,薬をもらってきた。また,2年ほど前に耳がじょくそうになり病院に1週間入院したことがある。この時には母が泊りこんでくれ,職員は1日1回見舞いということで来てくれた。今後も同様のことがあれば,母が来るだろう。s=3
 使用している機器は段差昇降機。けれども電動車椅子では幅が狭い,レバーの操作がしにくい,2室で1つなのでケアが必要。これらの点で使いにくい。ホイストはレールがあるだけ。個室に改造した時に入れる予定だったが,レールの位置が違ってしまい,使用できるようにはならなかった。現在,環境制御装置(電話,サーチライト,電機器具,カーテンの開け閉め)の希望を出している。
 3年前,個室に改造時に,自分の希望を入れて公費で全面改造した。個室になってよかった。介護上のことで同室の人を気にしないですむ,また気を使わず職員と相談できる,夜起きている時間が長くなった,客に気をつかわずにすむようになった。機器・改造についてs=1。
 収入は月84000円。障害基礎年金と施設からの現金支給。交通費4000〜5000円(ボランティアの分含む),通信費2000〜3000円(電話代が主),交際費15000〜20000円,趣味教養費は年に3000円,被服費が年に20000円,諸会費,雑費1000円。預金は残りが出たら。普通預金に20万円ほどある。s=3
 個人スペースは6畳。畳ベッドを使用。隣室と共有のリフターがあるスペースがあり,このスペースは廊下とアコーデオンカーテンで仕切られている。個人スペースはある。最低限のプライバシーは守られている。あと1畳分ほしい。箪笥が置けない。日照は良い。風通しはあまりよくない。s=1。
 周囲は住みやすい。平坦で道幅が広い。20分のところにコンビニエンス・ストアがある。駅までは電動車椅子で30分くらい。美容院は同じく20分くらいのところにある。10センチくらいの段差が入口にあるが,知合いの紹介でここに決めている。郵便局は30分くらいかかる。s=3
 1週間の活動。月曜から木曜の11時30分からミーティング。月曜・木曜の2時から入浴。火曜と水曜の午後は自治会の仕事がある。金曜の10時30分から12時まで役員会がある。土曜の9時から自治会の全体ミーティング,10時から12時に園との間で月3回運営会議。土曜と日曜の午後はボランティアに口述筆記してもらったり,いっしょに出かけたりしている。日曜の午前には施設に来る実習生のオリエンテーションや,実習生の卒論の手伝いをすることもある。
 1年間の活動。4年前から自治会書記長をつとめている。自治会活動はやってみて実感していくものだと思う。やめる時は,施設を出る時と思っている。もっと自分のQOLを考えたいから活動している。2月に園への要求をまとめる。4月から5月に都への予算要求をまとめる。7月から8月,都との交渉。9月から10月は文化祭とその準備。10月に対園交渉。s=2。
 趣味のグループ活動としては,施設の俳句会に参加している。月に1回,火曜午前10時から。喜望園 機関誌活動が主。毎週水曜の夜,若い障害者と自立ごっこの会。ピア・カウンセリングをやったり,制度のことを勉強したり,ホットケーキを作ったり。本当はもっとやりたいことがある。手話,映画をみるなど。s=0。
 他に趣味の活動しては,雑誌をとっていること(四季の会),2年に1度観劇に行く。外に勉強に行く(1年に1回,他の施設を見る)。s=0。もっと自主的にでかけてみたい。
 道路や建物について。道幅が広く,平坦。郵便局,スーパーも利用できる。駅(秋津)にもスロープがある。s=3。
 外出は,都庁に年4回ほど(都との交渉など)。買物は月に2回ほど近くのコンビ二,スーパーに行く。s=1。

 II
 1956年に生まれる。7歳の時,3ケ月間,施設に訓練のため入園した。小2から入学。30歳の時に現在の療護施設に入所。母が病気で介助が無理になった。3年くらいはケアしてあげられると言われたが,親から離れるタイミングがあると思った。どんな施設でもいいから電動車椅子で動けるところを希望した。判定から入所まで約半年。この間,別の療護施設でショートステイを経験した。
 65歳の父と63歳の母がいる。親には相談される関係でいる。子としての役割はとれていると思う。友達的な関係。自分が変わり,親も変わった。親戚とは普通の関係。いとこが来たりする。s=3。
 いちばん頼りになる人は友達。
 近隣の人との付き合いとしては,電気屋・美容院・薬屋・花屋の人と話したり,挨拶したりする。市の社協の紹介で中学生との交流がもてそう。s=3。
 友人は8名。園の友達やボランティアの人。食事に行ったり,行事を一緒にやったりする。s=3。
 偏見について。車椅子の人は施設入居者とみられ,悪いことをすると施設に連絡がある。街でよく受け入れられていると感じること:お店の人たちとよい関係がとれている。社協も協力的。s=1
 今後について。当分ここにいてみようと思っている。若い実習生と関わってみたい。結婚は気の合った何でも話ができる人といられたらと思う。結婚生活の仕方にはこだわらない。相手次第,ナイトケアが必要ならここで生活。軽い障害なら施設を出ることもあるかもしれない。 ■N5b 男性・41歳

 I
 室内は全介助,施設内・屋外は電動車椅子。床に降りると全く動けない。右手指で電動車椅子を操作する,左手はラフな動きは可能。コミュニケーションは口話で可能。電話も通じる。
 障害については,生まれつきだから中途障害の人ほどではないと思うけれど,不満だ。s=0。
 食事・更衣・排泄・入浴・整容について全介助。職員が介助する。非常時はナースコール。職員に呼ばれる時は〇〇さん(姓),職員を呼ぶ時は〇〇さん。s=1,d=3。
 医療について。施設内診療所で足りるよう努力している。ただ内科呼吸器科だからカバーできない部分がある。病院の整形科で,月1回,ビタミン剤・緊張緩和剤の投薬を受ける。歯科も病院に行く(3,4回)。これまで病気になったのは風邪くらい。8年ほど前,2週間ほど施設内診療所にかかって寝ていた。この時,家族等は来なかった。来るまでもなかった。これからも来ない。健康には自分でこころがけている。s=2
 使用している機器は電動車椅子とワープロ。自分で出かけて確かめて選んだ。8年前に公費で導入。車椅子を使うようになって行動範囲が広くなった。
 10年以上前,公費で居室の改造をした。押入を取り去り,入口上りかまちを斜めにカット。電動車椅子から降りなくてもテレビを見ることができるようになった。これで使い勝手が多少よくなった。部屋への上がり下がりをしなくてもすむ。機器・改造についてs=3,d=3
 収入は障害基礎年金。費用徴収30000円,交通費1000円,電話5600円,趣味教養費では生花サークル会費2000円,WOWWOW料金2000円,雑誌2000円,酒14000円・たばこ5000円,会費年2〜3000円。預貯金について,旅行のためにため,旅行のために使ってしまう。s=0,d=3。
 13.5畳の2人部屋に住んでいる。個人スペースはある。カーテンはつけない。互いに干渉しないのでそれでかまわない。少し古い。日照・風通しはよい。s=0(部屋の奥まで入れるように改造したい),d=2。
 道路や建物について。電動車椅子で30分ほどの駅を使っている。スロープがあって自分で入れる。病院街なのに段差が多い。段差を切ってあっても角度がきつくて大変。歩道に電柱がある。コンビニまで5,6分で便利。s=1(設備面を除けば満足。環境的には良い。)
 月曜から木曜の11時から12時はミーティング。金曜10時から12時は園の運営会議・自治会。自治会の副会長をつとめている。会議が多く忙しくきつい面はある。買物・映画・集会で自治会活動をさぼる時もある。月曜と木曜に入浴。8月は障害者団体の全国大会に参加。施設の旅行は年1回,2泊3日で。s=2,d=3。
 趣味のグループ活動への参加では,生花サークルが木曜の夜にある。職員のサークルに入れてもらっている。s=2,d=3。
 個人としての余暇の活動として旅行。国内は年に1回程度(施設の旅行とは別,個人的な知り合いと),海外は3年に1回を目標にしている。他に将棋をやりたいが時間がない。s=3,d=3
 外出は施設周辺のいろいろな店に買物に出かける。s=3,d=3。
 道路や建物について。段差がある。電柱がじゃま。道路がでこぼこ。s=0。

 II
 7歳の時に施設に入所,養護学校(小・中)に通学。15歳で在宅(義務教育を終了したら施設を出ることになっていた)。養護学校の高等部に通学。18歳から在宅の生活(通う場がない)。23歳の時に現在の療護施設に入所。通う場がないことと両親の介助のことを考えたら施設を考えなくてはと思っていた。反面,在宅でいたいという気もあった。そういうところに,ボランティア・サークルで療護施設ができるという話を聞き,福祉事務所をたずねた。2月後に連絡があり,判定を受け,入所が決定された。
 家族について。父と母と弟が同居している。家族に相談することはない(お金について頼むことはある)。親との関係はうまくいっていると思う。きょうだいとの関係は普通。弟との関係は特になし。
 家族関係の変化。特になし。小さい時から,男は20歳過ぎたら親元から離れるものだと思っていたので。s=2。
 いちばん頼りになる人は特にいない。あまり相談はしない。
 近隣の人との関係。干渉しない。s=2。
 友人は多数(学校時代の友人)。年賀状のやりとりや電話,同窓会へ出席,等。施設以外の友人としては学校時代の友人。s=2,d=3。
 偏見を感じたことはない。声をかければ手伝ってくれる。街で受け入れられていると思うこと:今はいやな顔はされなくなった。中には進んで手伝ってくれる人もいる。s=2
 できたら,あわよくば,施設を出てみたい。今は自信がないが。人集めがにがて,時間をかけてのりこえるタイプだと思う。頼むことを遠慮すること(大人をみること)を小さい時からしてきたことが影響していると思う。
■N6a 女性・35歳

 I
 施設内は主に手動車椅子を使用。外出時は電動車椅子を使用。電動車椅子と手動車椅子間の移動はトイレのホイストを利用。コミュニケーションは口話で可能。現在通っている「〇〇の家」(隣の市にある障害者が運営する場・作業所)にてワープロを練習中。
 障害について。高等部時代,自分が幼い時障害をもっていることから母親が周囲から偏見をもたれたことを聞き,辛かった。しかし現在は様々なことに問題意識をもって考え,取りくむことができるので,障害をもったことに満足している。健常者だったら見落しやすいこと(階段・段差)にも気がつく。また自分が子どもの頃は今よりもっと世間の目が厳しかったと思う。s=3。
 整容・非常時は職員による全介助。食事・排泄・入浴は職員による部分介助。食事については,肉を切る,骨をとるのに介助が必要,スプーン,フォークは自分で使える。排泄はホイストを使用,衣服の着脱,拭くのは可能,自室では畳の上でさし込み便器の介助を受ける。入浴は浴槽への出入りについて介助,湯舟ではあぐらをかいてパイプにつかまっている。緊張が強いと足が崩れてしまう。更衣には介助不要,蒲団で寝たままで自分で行なう。蒲団は敷いたまま。他に,隣の市にあるCILを利用した時,有料介助者を依頼した経験がある。職員に呼ばれる時は〇〇ちゃん,〇〇,〇〇さん(名),呼ぶ時は〇〇さん(姓)。
 介助についてs=0,d=3。職員によって違う。乱暴な人がいる。例えば,車椅子からずり落ちそうになり,介助を依頼すると,力まかせにもち上げる。入浴時,顔にいきなり水をかけられる,等。
 医療の利用は特になし。気持ちよく見てくれるところとしては最寄りの駅に近くにある歯科。具合が悪くなったら園の看護婦に言う。不満は,園の看護婦に理解がないことに対して(自分のことを解ってくれない)。自立したいという気持ちがあるので今のうちに痔の手術をしたいと言ったが,相談に乗ってくれなかった。痔の手術をしたくても病院がみつからず困った経験がある。結局,園の職員と相談し,病院で手術をした(1週間入院)。親など家族の訪問はなかった。職員・ボランティアが対応した。今後同様のことがあったらボランティアに来てもらうと思う。s=0
 使用している機器は,車椅子,電動車椅子。今使っている電動車椅子は2台目で,5年前に公費で導入。外出に使っている。自助具としては,リーチャー,皿用ガード,まな板を自費で購入して使っている。s=3,d=3
 収入は障害基礎年金。支出は月59800〜69800円。費用徴収30800円,食費〜4000円,通信(電話)〜5000円,この他に有料介助の利用のために20000〜30000円。積み立て月20000円。s=0(将来一人暮らしをしたいと考えおり,そのための資金を蓄えたいのだが,なかなかたまらない),d=3。
 居室は20平方m。引き戸(自動扉),冷蔵庫,流し,棚,畳ベッド,箪笥,ベランダがある。プライバシーは保護されていない。今の住居については感想はない。職員から部屋が汚ない等,いろいろ指示をされるのがいやだ。隣の人がうるさくていや(朝蒲団を干す,植木に水をやる,等)。自分のお客さんなのに勝手に声をかける等,人間関係がわずらわしい。s=0,d=1.5。
 最寄り駅までは電動車椅子で7〜8分,一人で行き来する。商店街,コンビニがある。s=3
 1週間の活動。月曜から金曜の5日間,隣の市にある作業所「〇〇の家」に通っている。9時に出発し,18時に戻る。9年前から通い始めた。今では施設でも作業などをやっているが,入居した時には何もなかった。何かしたいと職安などに相談に行った。今通っている作業所のある市の職安に行った時に,この作業所を紹介された。週1日の通いから始まった。最初は職員がはりつき,手動車椅子で送迎した。週2日に増やしボランティアを活用した(八王子のボランティア・センター,中央大学の学生)。八王子と日野にまたがっているため,両方のボランティアを依頼しなければならなかった。1994年12月5日から,電車を利用し1人で週5日通い始めた。昼食は作業所で1食 350円で婦人ボランティアが作る(水・木は施設から弁当をもっていく)。〇〇の家があるのと同じ市にある自立生活センター△△協会での経験もある。
 1年間の活動。8月は施設の盆踊り,9月には伊豆旅行(若駒の家)。s=3,d=3。
 趣味のグループへの参加。特になし。今は〇〇の家に通っていることで満足。他の趣味の活動も特になし。
 外出について。月曜から金曜まで一人で〇〇の家に通う。買物は最寄りの駅,あるいはこの駅から電車に乗って行く。これも一人で行く。電車で1時間ほどかかるターナミル駅の周辺を含め4箇所ほど。s=3,d=3。
 道路や建物について。建物に段差がある,通路が狭い。車椅子用トイレがない。エレベーターが少ない。s=0。

 II
 療育園に通う。7歳の時に養護学校に入学。自宅からバスで通う。18歳で高等部を卒業し,その後自宅に2年間いた(ボランティアが1月に何回か外出させてくれた)。その後新しく作業所ができ,週1回通った。社会福祉会館の実習室で,陶芸・洗濯ばさみを作った。午前中は作業,午後は人形劇・料理のクラブがあった。
 26歳の年の1月23日に母が倒れる。1月26日に今いる療護施設で1か月ショート・ステイ。養護学校の先生が姉と相談して入居の手続きをした。3月29日に母が死亡(この日に園に入れることがわかった)。4月4日に入居。(d=0,決定したのは家族)
 父は現在入院中。母は本人が26歳の時に死去。姉がいる(7歳と3歳の子がいる)。家族に相談することはない。親との関係は,病院が遠いのでほとんど会えない。将来アパート暮らしが軌道にのったら一緒に暮らしたい。父は本人のことを心配し,宗教にこり,ノイローゼになってしまった。痴呆症の症状なのかもしれないのだが,父は病気は自分のせいだと思っている。きょうだいとの関係はうまくいっていない(一人暮らしを反対されている)。親戚との関係はない。家族関係の変化はなし。s=0。
 いちばん頼りになる人は,〇〇の家の人,担当の職員,自立生活センターの事務局長の△△氏。
 近所の人とのつきあい。買物の時,品物の取り出しを介助してもらったり,トイレ介助を依頼するときもある。s=3,d=3。
 友人は50人。電話をしたり,会ったり。施設外では,〇〇の家の人,学校時代の仲間,作業所時代の仲間。s=3,d=3。
 偏見について。電車に乗っているとき,子どもが指をさす等したとき感じる。街で受け入れられていると思うこと:駅の階段のとき,協力してもらえる。s=0
 今後。アパートで一人暮らしをしたい。将来的に結婚したい。 ■G1a 女性・33歳

 I
 自室ではよつばいで移動。食堂では車椅子。作業所内では電動車椅子(グループホームから作業所まで電動車椅子で15分),遠方の場合も電動車椅子を使っている。コミュニケーションは口話で。ときどき文字盤を使うこともあるがあまり使わない。
 障害について。昔は時々恨んだこともあったけど,考えても仕方ないと思えるようになった。それはやっぱり,障害を持たないことがないので,比べようがないけれど,あきらめるというか…。障害についての認識は難しい…。s=2。
 入浴(週3回)はボランティアによる全介助。更衣はヘルパーによる一部介助。(時間がかかるのでほとんどやってもらってしまう。機能的にはボタンかけが難しい)。介助者から呼ばれる時は〇〇さん(姓)。介助者を呼ぶ時は〇〇さん(姓)。s=2,d=3。
 医療について。あまり診てもらっていない。虫歯は全くなし。1回定期的に約3月間理学療法を受けていた。3月くらい集中的に機能維持訓練を行う。2週間前から行っていない。過去に病気になったことは,風邪で発熱したことがあるくらい。この時には自室で横になっていた。誰も来なかった(必要とは思っていなかった)。(必要なら)多分親が来る。s=2
 使用している機器は車椅子と電動車椅子。車椅子は小学校の時から使用,電動車椅子は7年前くらいに公費で導入。室内・屋外を使い分けて使っている。
 収入は生活保護による。住居45000円,食費20000円(グループホームに払う)+5000円(センターでの昼食),交通費2000円(無料も多い),通信費5000円(福祉電話),交際費10000円(食べるのが主),被服費10000円,諸会費8000円(センター)。s=2,d=3。
 グループホームの個室6畳に住む。ベッド,冷蔵庫,押入がある。プライバシーはあるが,人(見学者)が来訪した場合や,介助の人達との関係で人の出入りが多い。日照に少々問題がある。日中に電気をつけなくてはならない。s=2,d=3。
 周辺の住み心地について。グループホームの出入りは自力では不可能。最寄りの私鉄駅は階段が多い。駅に行くまでぐるっと回らなければならない(車椅子でない人は立体交差で歩道橋を使用している)。s=1
 1週間の活動。火曜・木曜・金曜の10時から午後,土曜の午後は障害者福祉作業センター「〇〇」に通っている。ここで,障害者団体の通信(月刊)を作成,土曜は会議。月曜・木曜・土曜に風呂。月曜・水曜はヘルパーが来る。
 1年間の活動。4月から5月中旬にかけ,あちこちの大学を回って新入生勧誘,介護者募集・研修。7月から8月中旬はキャンプの準備とキャンプ(8月に1泊2日)。s=2,d=3。
 趣味のグループ活動には特に参加していない。希望もあまりない。s=0。
 他に趣味の活動としては,音楽を聞く,時折コンサートにいく。趣味に時間をかけることができない(経済的に,また介助面で)。s=0。
 外出は週に4日センターへ。買物は電車に乗って繁華街へ。s=2,d=3。
 道路や建物について,s=1。

 II
 6歳から12歳にかけて施設に入園。12歳から15歳まで,肢体不自由児施設に入園(母親の身体が弱かったから仕方がなかった,d=3)。高校は県立の普通校。養護学校が遠く,普通校が近かったので自分で選んだ(d=3)。大変だったけど楽しかった。音楽,数学などが好きだった。その後在宅での生活。家にいることが多かった。28歳の時にグループホームに入居した(d=3)。親元を離れて暮らしたいという気持ちが強かったから。家庭がいやだというより,自立してみたいという気持ちがあったので。これからも自分で選択していく。
 家族について。祖父,祖母,父,母が同居。妹は結婚して別居,2人子供がいる。28歳の弟も別居。家族のなかで相談する人は母親。母親に理解があるせいか,あまり今は不満を感じないが,小さい時は施設には行きたくなかった。たまに帰ってもどこにも連れていってくれなかった。きょうだいとの関係はまあまあ。小さい頃はよく遊んだが,大きくなったら触れ合いはない。親戚との関係はまあまあ。
 家族関係の変化。母親の身体が弱かったから家にいる時も自分のことは自分でやっていた。変わったと言えば互いに年をとったこと(考え方というか)。s=2。自分の結婚について。結婚はしたいけれど,今のところ具体的な相手はいない。
 いちばん頼りになる人は職員。母親より職員。
 近所付き合いについて。町内会には参加している。s=2,d=3。
 友人について。付き合いの程度については答えるのが難しい。親友というのか,いることはいるけど。グループホーム以外の友達は10人くらい。s=2,d=3。
 偏見について。最初は感じた。今は慣れた。実際に自分達が買物に行ったり,人と話すことがあったりするから。よく受け入れられていると思う場面:喫茶店で,また駅員(近鉄)の対応。s=2
 来年1年はグループホームで生活して,それからひとりぐらしをしたい。
■G1b 男性・31歳

 I
 屋内では車椅子を足でけって移動。1階と2階の間に階段昇降機がある(左手でボタン操作,乗降は介助者)。屋外では電動車椅子を使う(右手で運転,車椅子から降りてしまうと全く動けない,長足で30分くらいは座っていられる)。コミュニケーションは口話(慣れている人なら可)。文字盤は電動車椅子で一人で出かけた時,駅員に話す時など。講師を頼まれた時は先にワープロで書いて皆に渡しておき,自分で読んだり読んでもらったり。質問には口話で答える。
 障害について。特に障害者の場合,いろんな人に会える。ただ,精神的にしんどくなった時は一人でいたくなる。前は歩けるようになりたいという不満があった。今は〇〇さん(障害者運動のリーダー)のようになりたい。けれど言語障害があるので〇〇さんのようにはできない。s=2。
 更衣・入浴・整容・排泄(大)について全介助を要する。食事には介助は不要。ただ左腕が痛くなる時は介助を使う。非常時に一人の時は電話で「非常」を押すことになっている。
 介助者はヘルパー(男性週4回・女性週2回)と職員(昼作業所で食事・排泄・整容の介助,またヘルパーが来ない時には更衣の介助)。介助者から呼ばれる時は〇〇さん,年上の職員は〇〇くん(姓)。介助者を呼ぶ時は,〇〇くん,年上の職員は〇〇さん(姓)。s=2,d=3。
 医療について。内科の病院は電動車椅子で30分。玄関前に階段があるので職員かヘルパーがついていく。歯科の病院も電動車椅子で30分,たいてい一人で行く。リハビリは△△療育園で,週2回,理学療法(PT)と作業療法(OT),言語療法(ST)は月2回。左腕が痛くなることがある(26歳から伸ばすことができなくなった)。医者の診断が出た時はずっと緊張緩和剤の服薬を継続できる。ただ,眠くなるのでよほど痛くなった時に1錠飲むようにしている。
 病気で特に対応が必要になることはめったにない。肩が痛くなった時に,職員に頼んだり福祉タクシーで薬をもらいにいったことはある。このことで親等には連絡しなかった。連絡すれば来ると思う。s=2
 使用している機器は,車椅子,電動車椅子,ワープロ,福祉電話,電動歯ブラシ,インターホン。ワープロ・福祉電話・電動歯ブラシは3年前から使っている。公費で購入。皆よい。
 2階はほとんど改造した。在宅の時より生活しやすくなった。グループホームのできた時に560万円くらいかけて改造。カンパや映画上映をして資金を集めた。200万円(1人分40万円)は市の障害者住宅改造制度を使った。s=2,d=3
 収入は生活保護から得ている。他人介護加算を特別基準(厚生大臣承認)で受給しており,これが月160000円。支出は,住居費45000円,食費25000円,等。貯金といえるものはない。パパッと使う性格。s=2,d=3。
 グループホームの個室に住んでいる。部屋にはベッド,テレビ,冷蔵庫等がある。プライバシーはあってないような。もう少し広いとよい。1Fで電動車椅子でそのまま動けるとよい。s=2,d=3。
 周辺の住み心地について。近くにコンビニがある。住宅街で大きい店,商品街はない。駅まで電動車椅子で10分。s=1。道路や建物について,s=1
 1週間の活動。水曜から金曜の10時から16時は作業所で活動。
 1年間の活動。3月から5月は介助者集め,新入生に呼びかける。8月から9月はキャンプとその準備。s=2,d=2。
 趣味のグループへの参加について。以前は電動車椅子サッカーを月に2度ほど。今はやっていない。s=2,d=3。
 他に余暇の過ごし方。飲むこと週3回。遊ぶこと月1回。これがなかったら活動はやってられない。時間が欲しい(活動で忙しい)。詩を書いたり,芝居をしたりする時間が欲しい。s=1(時間が足りないことについて),d=3
 外出は,居酒屋に週3回。活動範囲は電動車椅子で30分くらいの範囲。買物は電車で片道30分の商店街に週1回,一人で行く。s=3,d=3。

 II
 以前は自分で決定することはなかった。決定者は親,学校の担任だった(d=0)。21歳でグループホームを設立した障害者団体を知る。25歳11月でグループホームに入居(d=3)。親は反対した。
 59歳の父と57歳の母と27歳の会社員の弟が同居している。母もパートで働いている。家族の中で相談する人,頼りになる人は母親。うるさいけれども。親との関係はうまくいってる。弟とはめったに会わない。ただ,帰ると入浴介助をしてくれたりするようになった。考えが変わってきたようだ。実家が近いから,親戚との関係はある。ただ一言交わす程度。アメリカに行く時に餞別をくれた。
 家族関係の変化はある。入るまでは親は介助ばかりで自分のやりたいことができなかった。入ってからは余裕ができた。カラオケにも行っているらしい。s=2。自分自身のことについて。相手がいたら結婚も考える。
 いちばん頼りになる人は特定の職員(〇〇さん・男性)。
 近所づきあいについて。グループホームで町内会に参加している。つきあいはあいさつ程度(町内会の人が誰かは知っている)。s=2,d=3
 友人として信頼できるのは4人(障害者・健常者),広げると10人。飲みに行っていろいろ話す。グループホーム以外の友人は4人。s=2,d=3。
 偏見等について。グループホームができた最初は,まわりの人は(グループホームを)どんなところかと思ってたらしい。今はそういうことはなくなった。もっと時間があったら知りあいたい。街で受け入れられていると思うこと:銀行の対応がよい。だんだんよくなっている。s=1
 介助があれば一人ぐらしをしていきたい。他の人たちも今の(自分の)ように暮らせることを考えてやっていきたい。 ■G1c 男性・36歳

 I
 室内では手動車椅子を使っている。少しの距離なら足でけって進める。室外では電動車椅子を使用,足でレバーを操作する。雨の時などは手動車椅子を使うこともある。聴覚障害があるため,手話等の手段が必要(指文字,筆談,文字盤)。また言語障害もきついので,通じないときは足で文字盤を押したりする。電動車椅子には文字盤や介助のやり方の説明などのカードファイルをつけている。8年前,27歳の時から左耳に補聴器をつけている。手話は7年前から使っている。聴覚障害があることは17歳の時にわかった。それまでは知恵遅れだと思われていた。
 障害があることについて,s=3。
 日常生活のすべてに全介助が必要。職員と学生介助者が介助をする。ヘルパーは,月曜の午前9時から12時に女性,火曜の午前8時から10時に男性,水曜の午前8時から10時に男性,木曜の午前9時から12時に女性,金曜午前8時から10時に男性が来る。食事,買物の介助,また銀行・病院に一緒に行く。また男性ヘルパーは着替え,食事他の介助をする。実家には夏休みに1週間,正月に1週間帰る。電動車椅子で30分のところにある。介助者に呼ばれる時は,△△(=名,ほとんどの場合),△△くん,〇〇(=姓)くん,肩をたたく。呼ぶ時には,〇〇さん,年下は〇〇くん。介助者と性格,考え方が合わない時がある。介助者に文句を言われたこともある。s=2,d=3
 医療について。(気持ちよく診てくれるところは)ない。障害者のことをよくわかる病院がない。内科の病院まで電動車椅子で30分,皮膚科の病院まで20分,歯医者まで20分。週2回から現在は週1回(医者の都合で),理学療法と作業療法を1回40分ほど受けている。緊張緩和剤を1日1回,2錠まで就寝前に飲んでいる。
 病気になったことはある。この時はグループホームの職員が本人と一緒に通院した(誰かがグループホームについている)。1回だけ姉がみまいに来た。親たちは最近は知っていても心配しない。今後も同じだろう。s=3
 使用している機器は,車椅子,電動車椅子,補聴器,ワープロ(7年前),ファックス(5年前),テレビ(文字放送),トーキングエイド,電動歯ブラシ。生活しやすくなったと思う。ワープロは7年前から使っている。1台目は自費,2台目は公費で購入。アメリカ,フィンランド旅行の報告を書いたり,障害者団体の通信を作ったり。ファックスは自費で購入。
 畳ベッドを使っている。グループホーム設立時に設置したもの。これは職員が勝手に決めた。自分の意見は特になかったから,それでもいいけれど。どうやったらいいのかわからなかった。生活しやすい。でも,狭い。フィンランドに行った時,フィンランドの住宅の部屋は広いと思った。機器・改造についてs=1。
 収入は月25万円。これと別に介助費用16万円。障害基礎年金1級+特別障害者手当+ジュース販売年8万(利益の半分を個人に)+姉の仕送り15万,介助費用は姉が払っている。支出は,住居費4.5万,食費2.5万,水道光熱費1万,通信費(ファックス)3000(最高2万),交際1万,被服年2万,預金5万(外国旅行目的,介助者分も,2年間で100万)。姉と共有名義のマンションがある。財産管理は姉。s=2,d=3。
 グループホームの個室に住んでいる。プライバシーはある。ちょっと狭い。日照が悪く,電気が必要。風があまり入らない。s=2,d=0。
 1週間の活動。火曜・水曜・金曜の10時から17時は「〇〇」(作業所)で通所活動(火曜は販売事業部,水曜は交通クラブ,金曜は字幕クラブ)。月曜の13時から17時までグループホームの入居者会議。土曜はセンターで活動(会議など)。8月から9月はキャンプの準備とキャンプ。s=3,d=3。
 障害者団体で海外旅行に行く。満足。s=1,d=3。
 旅行に行って,ぬいぐるみ,こけし,キーホルダーの収集。s=3,d=3
 外出について。よく出かけるところ,決まったところは今はない。ただどこかにはいっている。夜外食することが週1回。買物は近くの商品街に週1回。s=3,d=3。
 道路や建物について。JRの駅はだめ。s=0。

 II
 5歳で施設に入所。養護学校。19歳から在宅生活を送りながら通所施設に。祖母と妹が面倒をみていた。姉が青い芝の会★25の活動を知る。30歳の時にグループホームに入居した。将来姉がもし倒れたら施設にいかなければならない。それだったら,と思った。姉は大学の時に施設を見に行ってひどかったので,施設入所はすすめなかった。d=3
 母方の祖父(13歳の時死去)と母方の祖母と暮らしていた(介助してくれた,1993年6月死去)。父は家を出て,母は3歳の時に死去。1957年生まれの姉は,結婚して1994年生まれの子がいる。家族の中で相談する人,頼りになる人は姉とその夫。ただ今はあまり関係がない。親戚との関係はあまりない。祖母がなくなって法事があった時に会ったくらい。
 家族関係の変化。前は過保護,心配。今は離れてみていられるようになった。s=1。
 いちばん頼りになる人は△△さん。
 近隣の人とのつきあいについて。挨拶もしない。どっちでもいい。s=1,d=3。
 友人は 50から100人。一緒に遊びに行くのは10人,相談できる人は2〜3人。グループホーム以外の友人は50人。s=3,d=3。
 偏見を感じたことはない。受けいれられていると思う場面:店で文字盤でコミュニケイトできる。商店街ではレシートを財布に入れてくれる。s=3 ■G2a 男性・33歳

 I
 室内ではひざ歩き,廊下では介助者に腕を持ってもらって杖で歩行する。杖歩行は以前は独力でできたがこのごろは難しくなった。外出の時には電動車椅子か車椅子を押してもらう。車椅子を押してもらうのは介助者がいる時で,自分の体調で首が痛い時。コミュニケーションは口話で。
 障害について。障害の重度化が進んでいることについて,生活のスタイルが以前と変わり,例えば歩行ができなくなったことについて,ふん切れない思いがある。室内用車椅子を申請中。s=2。
 入浴は全介助。複数で介助者数人といっしょに銭湯に行っている。内風呂は介助の体制の問題で入れない。食事(ほとんど不要,外出の時,テーブルの大きさ等で介助が必要にになることがある),更衣(緊張が強い時)に部分介助。他は介助は使っていない。
 介助者は昼はヘルパー,夜は有料ボランティア(1日1500円,宿泊は2000円)。他に職員(介護事業部,正職員・パート職員)と介護登録者。介助の必要度は場所・体調によって違う。介助者に呼ばれる時は,〇〇さん(姓)。介助者を呼ぶ時は,年下には〇〇くん(時々は呼び捨て,女性は〇〇さん),年上の人の場合は〇〇さん。s=1(ぎりぎりの状態),d=3。
 近くにみてもらえる病院はある。総合病院。往診してくれる医院もある。普通の対応をしてくれる。対応はできるが,脳性まひを理解してくれるところが少ない。30歳過ぎてから二次障害が顕著になってきた。首・肩・背中の緊張が強くなった。1994年春から整形外科で緊張緩和剤をもらっている。朝・晩調子の悪い時だけ使っている(飲み続けると頭がボーッとしてくる)。△△療育園で理学療法を週1回受けていた。今は近くの鍼灸院で2週に1回,マッサージしてもらっている。
 病気で寝込んだりしたことはない。風邪くらい。今後について。病状にもよるができるだけここで寝て通院という形をとりたい。入院になれば介助体制を調整して病院に介助者に来てもらうことになるだろう。親が来るのは難しく,頼む気もない。遠いところに住んでいるし,体力も弱っている。s=2
 使用している機器は,車椅子,電動車椅子,ワープロ。電動車椅子は一番利用価値が高い。自立してから入手。2台目のワープロは自費で購入。
 改造は,1994年9月にグループホームを新築した時に行なった(土地は個人から借り,建物は自分達の資金で建てた)。エレベーターを付け,玄関を自動ドアにし,玄関先にスロープをつけ,各階は車椅子で移動できるよう極力フラットにし,部屋の中まで入れるようにした。利点はおおいにある。以前のグループホームは建物が小さく,3つの部屋をとるので精一杯だった。道路に直接面していてすべてフラットにすることはできなかった。機器・改造についてs=0,d=3
 収入は月220000円。生活保護を受給している。支出は住居費45000円など。他に介助費用を160000円(生活保護他人介護加算特別基準)。s=2,d=3。
 グループホームの個室に住んでいる。プライバシーは確保されている。住み心地は良好。居室についてs=3,d=3。周辺は便利。
 月曜の13時から交流センターで会議。火曜の午前はワープロ作業(資料会議)。13時かから△△ハウスで生活づくりの会議。月3回,水曜の午後に会議。木曜の13時から交流センターで通所プログラム。月2回,金曜午後に会議(月2)。土曜の午後も会議。忙しすぎる。
 年間スケジュール。2月から3月はその年度の活動のまとめ。4月は新しい学生への対応。5月に日帰り旅行があり,8月にキャンプがある。9月から10月は行政交渉とその準備。s=2,d=3。
 グループでの余暇活動。〇〇センターのグループの旅行。s=2,d=3。
 個人の余暇活動としては,音楽を聞くこと(高校時代はギターをひいていた)。ジャズが好きで,ライブハウスに聞きに行く(年に3回くらい)。もっと時間がほしい。時間を作って旅行をしたい(介助者が少ない,障害者が泊れる所が少ない)。s=1,d=3
 外出は〇〇,△△(繁華街),××(近くの街)に月4回から5回。ライブやショッピング(情報,レコード,本)。日常的な買物は商店街にヘルパーと一緒に行く。s=2,d=3
 駅の階段がよくない。またダイエーにエレベーターはあるが,車椅子で入れるトイレがない。玄関が自動ドアでない。車椅子のまま入れる飲食店が少ない。アクセスについて,s=0。

 II
 小・中・高と養護学校に通う。1年浪人した後,地元に比較的近い私立大学に入学(社会学部社会学科社会福祉専攻)。在学中から△△センターの活動に参加。26歳の時に前のグループホームに入所。介助者も少なかったので,独力で集めるのも難しくてグループホーム作りを始めた。d=3。d=3
 84歳の父と72歳の母がいる。家族の中で相談する人:母親とは電話で話している。親との関係はうまくいっている。自分のことを心配していると言うが,実際にはそれほどでもない。兄弟との関係はあるが,盆暮れに帰る程度(実家に住んでいる)。親戚との関係は個人的にはない。
 家族関係の変化。一人っ子だったので,手放したくない気持ちがあって口出しが多かった。今はどこの親でもするような心配をする。母が一人になったら近くに住んで,何かあったらいくというかたちになるだろう。s=3
 学生時代の友人もいるが,いちばん頼りになる人は仲間。精神的な支えになっている。
 グループホームとして町内会に参加している。近所の人とは挨拶くらい。知り合いは多い。買物にもよく行くので顔やどこの人かは知っている。s=2,d=1
 友人は数えきれない。信頼できるは30人。ごく親しい人は4人。年賀状は40枚ほど出す。学生時代のサークル「障害者解放研究会」,「障害者問題論」の講義の時に出来た友人もいる。s=3,d=3
 偏見や仲間外れを感じたことは,ある。買物の時,店員とのやりとりでも言語障害があるので聞き取ってもらえず,子供扱いされることがある。駅員の対応もそれと同じようなことがある。介護者にできるだけついてきてほしいと言われたり,介護者がついていると介護者に対して話しかけることも多い。しかし,グループホームの周辺はさすがにそれは少なくなってきた。障害者の話を聞いてくれることが多くなってきた。s=1 ■G2b 女性・37歳

 I
 室内では介助を要する。坐位も不安定な時がある。屋外は車椅子(介助者)と電動車椅子を使い分けている。電車に乗らない時には電動車椅子。ただ,その運転も4〜5年前からしんどくなった。コミュニケーションは口話で可能。
 障害について。s=3。
 すべてについて全介助を要する。24時間と考えてよい。職員(男性16人・女性4人)・ヘルパー(障害者対象の常勤職員・非常勤職員・老人ホーム(ステーション)依託のヘルパー)・ボランティアの組み合わせ。介助者に呼ばれる時は〇〇さん(姓,いつも),介助者を呼ぶ時は〇〇さん。学生時代からボランティアで来ていた人などはニックネームで呼ぶこともある。s=1,d=3。満足度について。手が足りない。ヘルパー(2時間だけ)の時間が決まっている。早くて朝9時30分にしか来ない。自己決定度について,「そうしなければ(自分が指図しないと)なりたたない」。
 整形外科(内科も一緒)年に3回,耳鼻科に年に2回。歯は〇〇センターの病院。緩和剤を服用している。脳性まひの二次障害の予防のために,3年くらい前から2週に1回,△△療育園で,1回40〜50分,理学療法士によるリハビリテーションを受けている。
 病気になったこととしては風邪。風を引くと緊張が強くなる,普段の状態でなくなる。この時には寝ていた。看護は職員(夜はボランティア)が対応した。安心ではないけれど放っておかれることはない。指示もうまくできなくなるとつらい。親等は来ない。医療についてs=2
 使用している機器は,車椅子。12歳のときから使っている。電動車椅子。24歳のときから使っている。スピーカーホン。30歳のときに導入。一人で電話がかけやすくなった。ワープロは身体がしんどく,今は使っていない。これらはいずれも公費で導入。
 改造について。1994年9月のグループホームの新築時に入居者が決まっていたので希望を入れた。建築費用は自前で調達。玄関の段差がなくした。エレベーターをつけた。入口を広くとった。内風呂になったので入りやすく介護しやすくなったと思う。機器・改造についてs=3,d=3
 収入は生活保護による。支出は住居費45000円,等。s=1,d=3。
 グループホームの個室に居住。s=3,d=3。
 1週間の活動。月曜の午後,交流センターで会議。水曜と金曜の10時から交流センター通所活動。自分の生活史をまとめている。年間スケジュール。2月から3月はセンターの年度のまとめをし,次年度の計画を立てる。4月から6月は新しい学生への対応。8月から9月は,キャンプとその準備。s=3,d=3。
 趣味のグループへの参加はとくになし。通所活動の中でレクリエーション活動がある。外出,誕生日大会,麻雀,等。カルチャークラブに通ってみたい,歴史とか文芸作品の解説とか。s=2,d=3。
 宝塚のファン。雑誌を買ったり,ビデオ録画したり。劇場には年に1回行けたらいい。s=3,d=3
 外出は交流センターに週3〜4回。買物は駅近くに月1〜2回。s=2,d=3。
 道路や建物について。駅は不満(スロープで対応してほしい)。道路はまあまあ(歩道はでこぼこしているので車道を通っている)。s=1。

 II
 施設内学級,養護学校高等部を卒業。その後21歳から30歳まで,在宅,手芸など趣味の生活。25歳か26歳のころ,△△センターを知る(大学のサークルのボランティアに誘われていった)。30歳のときに前のグループホームに入居,36歳で今のグループホームに。現在37歳。
 63歳の父と62歳の母がいる。32歳と30歳の妹はそれぞれ結婚して独立。相談相手は母。両親との関係はうまくいっている。妹との関係は良好。親戚との関係はない。
 家族関係の変化について。出た方がよくなった。家事などの話が対等にできるようになった。s=3。自分の結婚について。今の制度では入籍することで経済的に不利益をこうむる場合がある。一般論としてグループホームで夫婦で生活するのは難しさもある。
 いちばん頼りになる人は仲間。
 近隣の人とは挨拶をする。グループホームで町内会に入っている。ゴミ出しの責任はとっている。たまにもらいものがある。名前を知っているのは2人。顔を知っているのは5〜6軒の範囲。s=1,d=3。
 友人は多い方。個人的なことを話せる人が20人,もう少し軽いつきあいの人が50人。△△センターの人を除いて30人。年賀状は 100枚ほど書く。s=3,d=3。
 偏見を感じたことはある。銭湯でたくさん来ないでくれと言われる。受け入れられていると思う場面:逆に銭湯で顔見知りになり,挨拶する人もできている。話しかけてくれる。s=2
 今後のことについて。自然に,しかし難しいです。
■G3a 男性・30歳

 I
 室内・室外とも電動車椅子を使っている。コミュニケーションは口話で十分可能。
 障害について。うまれながらの障害のために,障害を持つ生活が自分の生活というようになっている。障害自体を云々するより,障害を持っての生活をどうするか,どのように生きるかが今の自分の重要な課題。この意味で,他人が経験できなかったことを経験でき,障害がある自分が他から見守られていることで,満足していると言えるかもしれない。s=2。
 更衣・排泄・入浴・整容・非常時は全介助。食事(テーブルの準備)は部分介助。職員(専従職員と学生アルバイト)とボランティアによる。専従職員は障害者福祉センター内にある障害者団体連絡協議会の職員11名と専従職員が男・女1名づつ。毎日必ずどちらかの専従職員が入っている。1対1の介護人を雇用することができないので,自分としてはグループホームの生活形態をとった。専従職員の男女バランスをいうと問題はあるが,生活全般としては充実している。基本的には指示がないと職員等は動かない。慣れてくると言葉はかけてくるが,原則は本人が指示する。制度としてはホームヘルパー,介護人派遣事業,生活保護他人介護加算特別基準を利用。s=3,d=3
 医療について。国立の医療センターが近くにある。問題はあまり感じない。現在直接障害に関しては治療を受けていない。ただし股ずれについて皮膚科に,鼻について耳鼻咽喉科にかかることがある。いずれも国立医療センター。風邪などひいてよく寝込むことがある。親や身内には意識的に連絡しない。s=2
 使用機器は,電動車椅子,天井走行リフター,電動ギャッジベッド。本人の障害に合せて導入したのだから当然生活はしやすい。天井走行リフター,電動ギャッジベッドは,4年前(1991年8月)のグループホームへの入居時に公費で導入(都・区の助成)。本人に合せて居室は整備されている。s=3。
 収入は月220000円。生活保護を受給。支出は住居費100000円,食費32000円,他。介助費用について生活保護他人介護加算を特別基準で受給。s=1。
 個室6畳。プライバシーは保たれている。介護人はノックして部屋に入いる。また,隣室に入らない。日照・風通しについては不満(このグループホームの中では一番悪い)。居室についてs=1。
 近くの利便性はよい。商店街があり,コンビニもある。s=2
 月曜から土曜の9時50分から17時まで,身障センター内にある障害者団体の連絡協議会の活動がある。月曜と金曜の午前は買物当番で,献立も立てる。作業所やグループには行事はあるが,自分としては特に年間活動の計画はない。s=2。
 趣味のグループ等について。センターでの活動そのものが余暇ともつながる。s=2。
 個人的な趣味の活動としてはパソコン,食べに行く(月に1〜2回)。旅行,写真撮影(最近はほとんど行っていない)。s=1。
 外出は,障害者の団体の仕事で週5日身障センターへ。買物は近くの商店街,スーパー,コンビニへ。s=2。
 道路や建物について。坂道や段差など,問題が多い。s=1

 II
 グループホームで暮らすことを決めること以外は親に従うことが多かった,と今になって思う。31歳でこのグループホームに入居,現在35歳。グループホームの隣人は20歳代。振り返ってみると,彼のように早い時期に今の環境にあればよかったと思う。このような体験は若い時期にするべきだと思う。
 父は1991年に死去,母は67歳。2人の姉は結婚して別のところに住んでいる。家族に相談したりすることはあまりない。本人の生きかたについて家族とは意見が合わず,最近もけんかをした。母親はグループ入所以来2回来所した。家族は現在の自分の生活を好まず一緒に住むことを望んでいる。どうしても自分の生きかたについての理解をしてもらえず,障害者だから依存的関係になるのが当たり前というように手をさしのべてくれる。きょうだいとの関係では,都内在住の姉が1回来所。親戚との関係はまあまあ。
 家族関係の変化について。現在,自分の生活の中では家族はあまり重要でなくなってしまっている。今の自分は自分の世界のことがまず大切。(本人が自分自身の生き方を選び始めた時期から家族との関係はあまりよくなさそう)。s=1。
 一番頼りになる人は△△△氏(グループのリーダー)・〇〇氏(専従職員)。
 近所づきあいについて。町内会に参加している。ゴミ出しの時に近所の人に会う。中元・歳暮を大家にもっていく。
 グループのメンバー,入居者など知人・友人は数百人。付き合いの程度は,これまでの生活の時期によって異なる。現在はグループホームの住人,ただし親友かどうかと問われるとどうだろうか。s=2。
 偏見について。徐々になくなってきた。その街の生活にとけ込むことによってはじめてお互いがわかり合えるのだと思う。それでよいと思う。s=2
 アパートを借りて一人暮らしをするのが最終的な目標。 ■G4a 男性・37歳

 I
 室内では介助が必要。屋外での移動は電動車椅子によりほぼ自立。コミュニケーションは口話で可能。書字はワープロを使っている。
 障害について。自分の障害は軽いほうだと思う。s=3。
 食事(ただし寝ている状態だと可能),更衣(自分で行うと1時間くらいかかる),排泄,入浴は全介助。整容は部分介助。グループホームの職員と介助者が介助する。食事・整容はヘルパーも介助する。介助者に呼ばれる時は〇〇さん(姓)。飲んだ時等はあだ名等親しく呼ばれる。呼ぶ時はあだ名・呼び捨ての時も。「ボランティア」という言葉が嫌いで介助者と言っている。
 今まで困ったことは,突然のキャンセルや遅刻。介助のローテーションに入っている自覚が足りない。慣れてしまった場合,言わなくてもわかってしまい勝手に介助してしまおうとする。慣れが恐い。ただし,施設では「早く」「こぼすな」等,強制されるが,ここでは介助内容を自らが決定できる。s=0,d=3。
 医療について。整形外科が実家の近くにあり,何かあったらここに行くようにしている。医師会がやっている歯科があり,障害者歯科治療をしている。歯科治療など一般の病院ではやってくれないので予約などが大変。これまでかかった病気は風邪くらい。この時には,市販の薬を飲む程度。親には連絡はしない。両親は時々訪ねて来る(特に父親が心配している)。s=2
 使用している機器は電動車椅子。4年前に導入。
 居室の改造について。グループホームの開設時にグループホームの設置費の整備費で改造した。浴室にスノコをつけ,浴槽の高さに近づけた。廊下に手すりをつけた。ドアを引き手にした。ふす間を鍵がかかるよう木のドアにした。浴室での介助が軽減された。外出時,出入りを自由にできるようにしたい(電動車椅子の移乗を自立したい)のだが,大きな改造は,このグループホームが大家から5年を限度に借りているため難しい。機器と改造についてs=2,d=3
 収入は月220000円。生活保護をとっている。住居費28000円,食費40000円,水道光熱7000円,交通費3000円,交際費7000円,趣味教養費3000円,被服5000円。介助101000円。介助費はグループホーム全体の運営費から出ているが,休日・余暇など個人の支払いとなり,やりくりが厳しい状態。s=0,d=3。
 住まいは個室8畳。プライバシーはない。グループホームの代表で,本人の部屋が応接室のようなかたちになってしまっている(介助の必要がなくても介助者が入ってくる)。介助者の教育もあり現状では仕方がないと思っているが,将来的にはアパートでの生活等を望んでいる。以上は自分にアパートでの一人暮らしの経験があるから感じるのだと思う。住宅密集地なので自分の部屋はあまり日があたらない。外の出入りを自立したい。防音をしてほしい(下の音・上の音がする)。s=1,d=3。
 最寄りのJRの駅まで電動車椅子で5分,作業所まで20分(地域活動センター「〇〇の会」)。ただしこの駅での駅員の態度が悪いため,JRはあまり使いたくない。リフト付の路線バスを活用することが多い。近くにコンビニが3軒,スーパーが1軒あって便利。JR駅員の態度の悪さ等はあるが立地条件としては満足(駅からすぐなので介助者も比較的集まりやすい)。s=3
 火曜から金曜の10時から18時,作業所「〇〇の会」で活動。事務局長をつとめている。月曜の朝10時に個人のヘルパーが来る。留守番,夕食当番(有料ヘルパーにメニュー等を指示する)。夕方から作業所に行くこともある。土曜・日曜も作業所関係で行動することが多い。特になし。s=0,d=3。
 以上の仕事以外のグループ活動。1993年から「タイ・障害児を支える会」に参加している。この会を機会にタイに2回旅行に行った。△△の国際交流室で会合が週に1回あるが,月1回行ければよい方(1995年2月の追加調査:現在ではこの活動は行えていない。作業所の活動,阪神淡路大震災関係のカンパ活動で忙しい。)s=2,d=3。
 余暇の時間。お酒を飲みに行く。横浜に2週間に1回くらい。美術観賞が好きで〇〇美術館(入館料は無料)などに行くこともある。仕事が忙しく,自分の時間がなかなかとれない。自分の時間がほしい(→s=1)。(1995年2月の追加調査:お酒は1月に1回)。s=1,d=3
 外出は△△駅周辺に2週に1回,〇〇に週1回,▽▽▽駅周辺に週に1〜3回ほど(いずれも比較的近くのターミナル駅)。酒を飲みに,また各種の会議,他。買物は,日用品については最寄りの駅周辺(銀行・買物は毎日)。その他,県外(電車で1時間〜)の大きな繁華街にも月1回くらい遊びに行く。s=3,d=3。
 道路や建物について。平坦な道路がほとんどなことについては便利。しかし建物の入口が狭い(中も通路が狭い),銀行等に段差がある,駅にエレベーターがなく駅員の態度が悪い。リフト付バスの路線になっているため,バスを利用することが多い。1時間に1〜2本走っている。ただしバス停までの駅が急坂。特にJR駅の整備,職員の態度を改善してほしい。s=0。

 II
 養護学校を卒業して20歳の時に実家に戻った。23歳から24歳にかけて△△更生ホームで半年間暮らす。親元を離れたかった。しかし訓練が合わなかった。実家に戻って,3年ほどすごす。父親の調子が悪くなった(目の手術をした)。27歳の時に一人暮らしを始める。4年半くらい,△△の作業所を基盤に,作業所近くのアパートに住んだ。このアパートが決まるまで 100件くらい不動産屋を回った。d=3。
 この時にグループホーム作りの活動をおこす。ただ,考え方が違い,この時にできたグループホームには入らなかった。作業所の活動など無理をしてしまい,股関節の二次障害を起こし体調を崩してしまい,31歳の時に再び実家に戻った。作業所「〇〇の会」に2時間かけて通った。仲間(△△君・19歳)が他に住むところがなくこの作業所で暮らしていたことがグループホームを作るきっかけになる。1993年,現在のグループホームの活動を開始する。d=3
 家族について。父と母が一緒に暮らしている。姉は独立して別居。弟も独立して別居。相談相手は父親。時々訪ねてくる。父親とはうまくいっているが,母親とはあまり良好ではない。きょうだいとは連絡をとっていない。親戚との関係はほとんどない。家族(親)の中では自立生活はできない。家族との関係についての満足度は無記入(「なんともいえない。」)
 いちばん頼りになる人は「〇〇の会」の仲間。
 町内会にはグループホームとして入っている。祭や盆踊りの時など寄付をしている。その他挨拶程度はしている。町内会に入っており,できるだけ対等の立場をとるようにしている。関係もうまくいっている。s=2,d=3。
 友人は多い(タイに行った時のメンバー等)。自宅に行ったり,外に飲みに行ったりする。仕事の関係では友人は作らないようにしている。s=3,d=3。
 グループホームの近くには個人の店が多く,店主がよく声をかけてくれる。自然に挨拶をかけ合うようになっている。しかし作業所の周辺は感じが悪い。よく受け入れられていると思う場面:雨が急に降った時など店のおばさんなどが心配して声をかけてくれることがある。s=3
 将来について。悩んでいるところ。グループホームにはずっといたくない。グループホームは半分自分の仕事だと思っている。職員・介助者に気を使う。将来的にはひとり暮らしをしようと思う。結婚を考えている。 ■G5a 男性・39歳

 I
 室内では床移動。作業は座りが多い。車椅子はテーブル作業か洗面の時に使う。広いスペースでは電動車椅子も使う。手すりがあれば,立って伝わり歩きができる。屋外ではほとんど電動車椅子。会話は普通にできる。手で文字を書くと字が大きくなるので,ほとんどワープロを使う。電話の利用はできる。
 障害について。やっぱり対等になれない部分がある。事務処理などの仕事がついていけない。自信が持てなくなることがある。s=0。
 入浴は全介助(浴室の出入りは自力でできる)。入浴以外は起きてから寝るまで多少時間がかかるが自分でできる。上肢,右手を使っている。左手はほとんどきかないが,補助的に使っている。有料介助は,まず掃除・洗濯物干しに利用。月曜・水曜・金曜の9時30分から11時30分まで。次に夕食の買物・料理。毎日16時30分から19時30分まで。介助者に呼ばれる時は〇〇さん(姓),介助者を呼ぶ時は〇〇さん。
 介助についてs=1,d=3。介助者が急に来られなくなったりとか,人材の確保の問題がある。身辺のこともやってもらたいたいと思うこともあるが,今のところ家事援助が中心。介助者が来る時間が決まっているので,好きな時間に起きられない。自己選択を大切にする立場から有料化した。グループホームの常勤コーディネーターは介助しないという原則を作っている。
 医療について。ほとんど医者にかかる必要がない。風邪も自然に治す。痔の手術をした時に10日間入院したことがある。この時にはヘルパーを付けてくれた。親と作業所の職員が来てくれた。今後同様のことがあったら,親か作業所の人が来てくれると思っている。s=3
 使用している機器は,電動車椅子,車椅子,ワープロ,電動歯ブラシ。すべてがなくてはならないものばかり。電動車椅子は1986年にグループホームに入居した時に公費で購入。
車椅子は12歳から使っている,公費で購入。ワープロは自費で購入して4年前から使っている。電動歯ブラシは弟が買ってくれて1年前から使っている。
 改造について。グループホームのパブリック・スペースはグループホームの建築時に改造されている。改造に関して 400万円を県が出している。入口にはスロープ,床は平面になっており,トイレは電動ドア(カーテン)で手すりがついている。浴室はうめ込み式になっていて,手すりがついている。自室の改造はない。プライバシーの点から,出入口を個々別々にしてほしい。機器と改造についてs=2,d=2
 9畳の個室(+押入1間分・流し)に居住している。室内には本棚,箪笥,押入,ベッド,台所,戸棚,テーブルにワープロがある。プライバシーについて,部屋の中はよいが出入口やトイレが共同で,お客がくればそこを利用する。プライバシーという点では問題がある。居室は快適だが,共同生活だから,ある程度押さえなければ,他の3人に迷惑をかけないようにしなくてはならない。s=1,d=3
 最寄りの駅はJRのA駅(電動車椅子で40分)だが,エレベーターがあるのでJRのB駅(同60分)を利用している。駅からもB駅を使ってくれと言われる。駅の態度は多少変わってはきているが。道路は歩道に切込みがあったりして負担。店の玄関は平らで入りやすい。近くにコンビニ,スーパー(生協)もある(電動車椅子で5分)。銀行などは駅の方まで行く(40分)。作業所は電動車椅子で30分。駅までは遠いと感じている。駅にもう少し近いとよい。夜遅くなることもあるし,雨の時もある。s=1
 1週間のスケジュール。月曜・水曜・木曜の9時から16時30分まで作業所。藍染・陶芸,その他役所へ行ったり買物に行ったりの作業所の用事をこなす。火曜はディ・サービスへ。入浴したりしなかったり。土曜・日曜は外に遊びに行ったり,家にいたりしている。もう少し自分でできるようなこと,バラエティーをふやせたらと思っている。自分のできることを見つけたい。
 年間のスケジュール。1月に親と一緒に保養所に行く。4月に市民祭でバザー。10月に全国交通アクセス行動★26に参加。s=3,d=3。
 公民館活動に参加,道路点検をしている。年に1回,ごみを拾いながら,車椅子の目から使い勝手を点検し,報告,ディスカッションをしている。スポーツをしたい。水泳をやってみたいけど更衣とかの問題があるし,場所がない。s=3,d=3。
 個人的な趣味の活動。夏休みに江ノ島に行ったり(年に1度),一人で新宿に行ったりしている(年1〜2回)。ハム,読書,音楽(時々)。s=3,d=3
 外出は週5日作業所へ。鉄道は月1日程度利用。桜木町ランドマークタワーに行ったり。(年2回くらい)A駅の周辺に週1〜2回。買物は電動車椅子で30〜40分のところにあるショッピングセンターに月4〜5回)。s=3,d=3。
 道路について。歩道が狭いところがある。住宅街なのでその辺の地域は動きにくい。自転車の置き場になっていたりする。建物について。大きな所は入りやすいが,個人的な事務所みたいなところは不備。s=1。

 II
 自宅で暮らした後,9歳の時に病院と学校がある〇〇園に,学校に行くために入った。「〇〇に行かないのはおかしい」という時代だった。小4まで,午前は学校,午後は訓練の生活。13歳の時に自宅に戻る。本人も親も〇〇にいたかったが,医者から自宅に帰れと言われた。訪問ボランティアに15歳まで教育を受け,17歳までは地域の訓練(月1日から週4日)のみとなった。幼児が対象で中学を終えた年齢の人は自分一人だけだった。
 18歳の時に療護施設(=N2)に入所した。訓練会は親が一緒なので,親も働けず,親の事情でN2に入った。親と訓練会の職員が相談して入所を決めた(d=0)。話を聞いた時,「ただ生きてるだけか」と思った。
 31歳の時にグループホームで暮らし始めた(d=3)。10何年も療護施設の同じ部屋に住んでいて,一度社会に出たかった。仲間にも出た人がいた。障害者団体主催の自立生活セミナーにその団体の人の車で参加して,帰りに,団体の作業所によった。それがきっかけでその団体に通うようになった。その中で現在住んでいるグループホームの話を聞いてすすめられ,自分で決めた。療護施設を出たい一心だった。親は驚いた。しかし大きな反対はなかった。準備も一緒にすすめてくれた。ありがたかった。N2では精神的に不安定で,喧嘩ばかりしていた。
 家族について。62歳の父と58歳の母と35歳の弟が同居している。ほとんど家族に相談することはない。相談しないように心がけている。親との関係はうまくいっている。弟にはあまり連絡しない。弟には弟の仕事がある。親戚からの連絡はない。あまり会わない。自分の結婚については,考える前に女性がいない。恋愛の対象となる人がとぼしい。
 家族関係の変化について。在宅の時は親と喧嘩していたが,こうして外に出て暮らすと,なんとなく対等に話せるような気がしている。1月に1度母親が作業所にお昼を食べにくる。s=3。
 いちばん頼りになる人は作業所の所長(脳性まひの障害を持っている)。
 近所の人との行き来はない。ただ,近所の人でも介助に来ていた人もいる。s=3,d=3。
 特に親しい友人はいない。一緒にショッピングとか出かける友人が欲しい。外食も一人だし。誰か作業所の人も一緒に来てくれてもいいと思うんだけど。s=0。
 偏見・仲間外れは感じない。ていねいに説明すればそのようにかってくれる。セルフサービスのレストランでも丁寧に運んでくれる。よく受け入れられていると思う時は,声をかけてお願いした時,即座に実行してくれる時。s=3
 将来について。ここを飛び出したい。単身者用の住宅に入って,介助体制をととのえて,今のような生活をしたい。そういう人が作業所にもいて,目標にしている。具体的な準備はまだしていないが。このグループホームからもすでに6人出た。ほとんど成功している。現在の生活は型にはまりすぎている。個人の生活ならばもう少し自由があってよい。夕食をよそって,でも食べないとか。生活の細かいところ。 ■G6a 男性・38歳

 I
 室内ははったり,廊下・階段は手すりを使って歩行。外出は車椅子を利用している。かなり言語障害があり,聞き取りにくい。
 障害について。小さい時には歩けなかったのが,歩けるようになってよかった。s=2。
 介助は,食事の調理,更衣,排泄(朝2階からしびんを持っていってもらう)について部分介助。蒲団の上げ下ろしは自分で行なっている。介助者は職員(2名,1名はグループホームの運営母体の設立者,1人はパーキンソン病で足が少し不自由)とボランティア。割合は同じくらい。介助者から呼ばれる時は〇〇さん(姓),〇〇くん。介助者を呼ぶ時は〇〇さん,先生。s=3,d=3。
 医療について。(みてもらえる歯医者等が限られているとかは)ある。対応できる医者が少ない(→s=1)。身障福祉センターにかかることがある。元気で,大きな病気をしたことはない。1974年から1976年(18歳から21歳)にかけて福祉センターでリハビリ,訓練をした。
 車椅子を使っている。便利。ウォシュレット,手すり(風呂にも),スプリンクラー,階段昇降機を3年前(1991年4月のグループホーム開始時)に設置した。ウォシュレットと手すりは便利。全額市の公費で設置。s=3,d=2(職員側が設置)。
 収入は障害基礎年金1級,特別障害者手当,親からの仕送り,総額は月約130000円。支出としては,住居費40000円,小遣い5000円くらい(全額を職員の夫人に預ける)。貯金はあるのかもしれないが,自分ではわからない。s=3,d=0。
 グループホームは一戸建の住宅街の中の1軒,グループホームにする時に反対運動があった。周囲には団地が多い。コンビニまで歩いて10分。ダイエーまで30分。
 建物は普通の木造住宅に改造を加えたもの。1Fに共用の部屋・風呂・トイレ・1号室,2Fに3室(2号室〜4号室)。現在4部屋中3部屋(3人)を使用中。このうち2号室(2F)を使用。6畳の畳部屋。家具などは少ない。内側から鍵がかかるようになっており,プライバシーは保たれている。ただ,音は漏れる。声・音がうるさいと時々近所から苦情がある。s=3,d=3。
 火曜日から土曜日の10時から16時,作業所で簡単な内職(醤油のパックのバリ取り)をしている。仕事は作業所の職員が持ってくる。日曜日は教会(職員の1人が関係)で礼拝,月は教会で談話がある。年間行事はいずれもグループホームそして作業所の運営主体でもある△△協会主催のもの。キャンプが春と夏にある。また運動会が10月に,クリスマス会が12月にある。他に1泊研修。s=0,d=0
 △△協会の行事の他に,参加している趣味などの団体での活動はない。s=1。
 個人的な余暇活動も今は特になし。ゴロ卓球が好き(福祉センターでやっていた)。できたらいいなと思う。s=1,d=3
 外出は作業所への行き帰り。日曜は教会へ。手動車椅子を利用,職員が介助。日常的買物は職員がする(調理も)。休日に〇〇の△△センター(キリスト教関係のものを売っている)に行くことがある。s=0
 道路や建物について。家に帰る時は自家用車に乗る。不便はあるがあまり不満は感じない。s=2。

 II
 〇〇整肢学園(小・中)に9年間,その後在宅,作業所(このグループホームを設立した団体が運営)に通う。家にいるときは,母の言うことを聞いていた。自分の決めたようにいかないということがあった。d=1。36歳の時にこのグループホームに来る。来て3か月。親から離れて自立したかった。d=2
 家族は父,母,結婚して別居している妹。相談などをする相手はおじさん(母の弟。5歳上で年が近い)と母親(わかってくれる)。親との関係はうまくいっている。月に2回くらい来る。ただ,父が自分の言葉を聞き取れずわかってくれない。妹との関係はうまくいってるけれど喧嘩はする。親戚との関係は別にない。s=3
 一番頼りになる人は母。△△先生(職員の一人)は好き。
 友人はたくさん。同じ作業所に通っている人では7人。他にもたくさん。ただ日頃のつきあいはない(言語障害があるから)。在宅の時は大人の友達がいた(いとことか,いとこの友達とか)。s=1,d=3。
 近所づきないはない。挨拶することされることはない。声・音がうるさいと苦情があることがある。町内会費は払っている。町内会の会合には職員(△△先生)が出る。s=−,d=−
 偏見や仲間外れについて。s=2
 将来について。アパートで一人暮らしをしたい。結婚したい。(結婚しないならずっとここにいますか?)ずっといたくはない。ひとりで暮らしたい。40歳ぐらいには。 ■G6b 男性・31歳

 I
 室内ははって移動。グループホーム内は手すりを使って歩行。外出は車椅子(職員&ボランティア)か電動車椅子を使う。少し言語障害がある(聞き取りは容易)。
 障害について。小さい時ははうことしかできなかった。歩けるようになってよかった。障害があることについて考えたりしない。d=2。
 介助について。食事(調理)・更衣・排泄(朝2階からしびんを持っていってもらう)について部分介助。他に,風呂で背中を洗ってもらったり,蒲団の上げ下ろしはやってもらう。また外出で手動車椅子を使う時に介助者を使う。指図した通りにやってくれる。ただ「先生」(職員の一人)は口うるさい方ではある。介助者は2名の職員とボランティア。割合は同じくらい。介助者から呼ばれる時は〇〇(姓)さん,〇〇くん。呼ぶ時は〇〇さん,先生。s=3,d=3。
 医療について。風邪ぐらいだったらどの病院でもかかれるが(かかる医者は大体決まっている),場合によってはかかれるところが決まってくる。身障センターの病院とか。s=1。今までかかった病気としては,風邪,鼻炎くらい。
 使用している機器は車椅子,電動車椅子。改造は3年前に全額市からの支出で行なった。ウォシュレット,手すり(風呂にも),スプリンクラー,階段昇降機。ウォシュレット,手すりは便利。s=2,d=2
 収入は障害基礎年金1級(+特別障害者手当)。支出は住居費40000円等。全額を職員に預けている。小遣いは5000円くらい。預金はあるのかもしれないがわからない。s=3,d=0。
 もともと民間一戸建住宅だった家屋を改造したグループホームの2階の4号室を使用。
6畳の畳部屋。家具などは少ない。プライバシーは保たれている。鍵がかかる。声・音がうるさいと時々近所から苦情がある。新幹線の音がちょっとひびく。s=3,d=3。
 1週間の活動。火曜日から土曜日の午前10時から午後4時,グループホームの運営主体でもある△△協会が運営する作業所に通う。日曜日は教会で礼拝,月曜日は教会の談話。もっといろんなことをやりたい。コップ(陶芸)とか焼き板をやりたい。(→s=0)
 年間行事としては,△△協会主催のキャンプが春と夏にある。また運動会が10月に,クリスマス会が12月にある。他に1泊研修。活動について,s=0,d=0。
 趣味等のグループへの参加について。△△協会の活動の他はない。サークル活動とかグループがあったらいいなと思う。s=1
 他の趣味の活動。ソフトボールを前の作業所でやっていた。オセロを作業所でする。退屈する時がある。s=1,d=3
 外出先は作業所と日曜日の教会が主。買物は職員がするので自分が行くことはない。電動車椅子か手動車椅子(職員が押す)で外出する。他には,〇〇の△△センター(キリスト教関係のものを売っている)に行くことがある。電動車椅子か車に乗せてもらって行く。もっといろんなところに出たいけれども,なかなか出られない。s=0
 交通や建物について。駅にスロープ,エレベーターがない。リフト付市バス(1時間2本)に一回乗ったことがある。s=1。

 II
 小・中・高と△△養護学校に通う。18歳から授産施設〇〇に9年間通所(d=1),その後このグループホームに(d=2)。現在のグループホームで住むことにしたのは,親から離れて自立したかったから。親に怒られることが多かったし,買物も母が選んで買ってきた。全部母が決めていた。今は(買物に行った時にしかお金は使わないが)自分で決めてお金を使うようになった。
 家族について。父,母,妹,祖母がいっしょに暮らしている。他に結婚して別に暮らしている妹が一人。相談などをするのは母,父,妹。親との関係はうまくいっている。月に2回くらい来る。親や妹と喧嘩をする時はあるが,満足。2月に1度実家に帰っている。家族との関係の変化は特にない。s=3
 一番頼りになる人は母親。
 近所づきあいはない。挨拶すること,挨拶されることはない。声・音がうるさいと苦情があることがある。町内会費は払っている。会合には職員(△△先生)が出る。s=−,d=−
 友達は在宅の時と比べて多くなった。もっと友達がほしい。s=1,d=3
 偏見や仲間外れなどを感じたこと。車がよけられないから歩くなと言われた。s=1
 将来について。一人で暮らしたい。結婚したい。そのためにもまず一人で暮らしたい。。(△△先生が障害者の結婚に積極的)。★27 ■Ia 女性・42歳

 I
 室内ははって移動。外では電動車椅子を使用している。移乗は自分で可能。コミュニケーションは口話。
 障害について。25歳過ぎてから痛みが困る。仕事にも支障がある。それ以外については満足。こうなったらいいというイメージがつかめない。こういう自分に満足。s=2。
 更衣・入浴(浴槽の出入り)・整容(身支度・化粧を含む)について一部介助。非常時について。外から鍵はあけられるが閉められない(中からは閉められる)ようになっている。介助者から呼ばれる時は〇〇さん(姓),介助者を呼ぶ時は〇〇さん,学生は親しくなるとあだ名。
 介助についてs=1,d=3。不満な点は,まず時間が短いこと。夜10時までにしたい。また朝ももう少し早く来てほしい。来るのが遅いので日中の活動が制限されてしまう。7時か7時半に来てほしい。
 現在はとくに医療を受けていない。内科の医院はあるが,不要。歯科も不要。これまであったのは,前の一人暮らしの時,2〜3ケ月くらい首の痛みが続いた。グループホームから出て介護者との対応のことがあったり,居室が未改造だったりで疲れたから。この時には寝ていた。グループホームの職員,友人が来てくれた。24時間,泊り込みの介助を受けた。今後,同様のことがあったら,同じ人が来てくれるだろう。s=3
 使用している機器は,電動車椅子,車椅子,ファックス,ワープロ。電動車椅子が大きい。7年前から使用している。公費助成を使っている。もう少し安くならないか。種類が多くならないか。車椅子用レインコートにもおしゃれ心が欲しい。とってつき・ふたつきコップも老人用のものが主,むしろ介護者が使いやすいようにできている。自分に合わせたものが欲しい。
 1年前の入居時に公費で居室を改造した。風呂場に手すりをつけた。浴槽の中に台を置いた。トイレの床をかさあげした。トイレが一人でできるようになった(夜の介助がいらない)。見にいったか自分で考えた。山口の土の会生活訓練所で1年間いた経験を生かした。ワンルームマンションなのでこれが限界。希望はトイレ前に台をつけること。また,可動(上下)キッチンにすること。台が低ければあたためくらい自分でできるようになる。機器・改造について,s=1,d=3
 収入は月123870円。生活保護を受給。支出は住居費50000円,食費30000円,水道光熱費10000円,通信費4000円,諸会費(団体,センター)20000円。もう少し小遣いがあればと思う。これ以外に生活保護の他人介護加算(特別基準・厚生大臣承認)が165000円,これは介助費用に使う。貯金はしない。s=2,d=3
 ワンルームマンションに居住。プライバシーはある。もう少し広いとよい。電灯のスイッチが高いところにあって不便。日照は良好,風通しはよくない。s=1,d=3
 コンビニは電動車椅子で3分のところにある。駅へも5〜6分で行ける。駅の近くには大きな商店街がある。s=3
 1週間について。月曜は午前にヘルパーが来て,午後は会議がある。火曜は編物教室。水曜は△△センター(障害者主体で運営する任意団体)へ。木曜は午前にセンターへ,午後は早川のピア大阪★28でピア・カウンセリング★29を担当している。金曜日はセンターへ。土曜は2週に1度通院,午後はセンターの会議。日曜は休み。職員的にセンターの事務局の仕事をしている。自立支援部という部門で障害をもつ当事者に対するアドバイスを行なっている。また他機関との関係,キャンプを担当している。他に〇〇さん達といっしょに地域共闘の活動。満足だが少し忙しすぎる。
 年間スケジュール。6,7,8月はセンター主催のキャンプの関係で忙しい。10月から12月は講演が多い。行政関係や社協や学校で講演する。s=2,d=3。
 趣味のグループへの参加としては,編物教室に週1回,語り部教室に月1回。ただ,忙しくて参加できない状況。スポーツには関心がない。s=1,d=3。
 余暇に映画,絵画,ショッピングに週1回くらい。昼寝。s=3,d=3
 外出はスケジュールに添ってセンターへ。区役所,ピア大阪,市役所等。買物は梅田まで月1〜2。阿倍野はよく行く。週1〜2。天王寺や難波。デパートが多い。s=3,d=3。
 道路や建物について。道路の段差は少ないが,交通費が高い。自転車が進路の邪魔をする時がある。商店街には人が多く,気を使う。店が狭い。駅にはエレベーターがあり,対応もよい。s=1

 II
 京都に生まれ,4歳まで暮らす。△養護学校を卒業後ずっと在宅で生活。29歳から30歳にかけて,土の会生活訓練所(山口県)に1年間暮らす。30歳の時に実家に戻る。35歳から36歳までグループホームで暮らす(d=3)。36歳の時にワンルームマンションに移る(d=3)。そこで5年間過ごし,41歳の時に現住居に移る。グループホームに入ったのは自立のため家から出ようと思って。そして今度こそ一人暮らししようと。いずれ一人暮らしと思ってグループホームに入ったし,1年とめどを立てていたので。グループホームで学んだことは,介助者との関係,住居探し。
 家族について。父は78歳,母は69歳。弟が父母と同居。自転車で10分ほどのところに住んでいる。ときどき母が来る。相談相手は母。親との関係はうまくいっている。兄弟との関係は普通だと思う。親戚づきあいは,両親はあるが,自分は一緒に動けない。
 山口に行く時は親に大反対された。事後報告というかたちだった。最後には折れた。父の抵抗の方が強かった。介護者を家に入れたがらなかった。その後自立に失敗した時(30歳の時),とても反対した。生活保護はとれなかった。
 以前の親との関係について。両親の生活が子どもの介護中心だった。今は夫婦2人の生活。今は年相応の親子の関係。まだ子が親を心配する関係ではない。今までは年末年始に実家に帰っていた。腰をいため1か月寝込んだ。今年の夏も帰らないし年始も1泊か。これから家の改造,高齢者障害の制度のことなどで両親のために動けるのではないかと思う。s=3。自分の結婚は相手にめぐりあえば。今は仕事が忙しく,またおもしろい。
 いちばん頼りになる人は△△センターの仲間,職員。
 マンションで近所づきあいと言えるほどのものはない。居住者とは挨拶くらい。管理人とは雑談。お店の人とは近所づきあいという形で挨拶する。s=0(もう少し近所の人とつきあいたい),d=3。
 友人について。年賀はがきは 120枚ほど出す。つきあいの程度は年賀状のやりとりぐらいの人から親しい人までいろいろ。現在の職場関係以外では編物教室の友人,同級生(同窓生)など。s=3,d=3。
 偏見について。普通の(に対応する)人と中にはうさんくさそうに特別視する人もいる。だんだん変わっていくと思う。こちらから声をかけていくことで〇〇でも6年間で変わったので。街でよく受け入れられていると思う場面。街を歩いていて「こんにちは」と向こうから声をかけられる。s=1
 将来について。もう少し広い(2DKくらい)のところに住めたらよいと思う。また今働いているところがいずれ給料制になり,介護制度がすすんだらと思う。 ■Ib 男性・37歳

 I
 室内の移動はひざ歩きで支障はない。室外は車椅子,電動車椅子(現在はドクターストップ)を利用。コミュニケーションは口話で支障なし。電話もかける。
 障害についての認識。「意味不明につき回答できません。」s=1.5。
 食事・更衣・入浴・整容・非常時について全介助。排泄について部分介助。自治体の介護人派遣事業が月 153時間(×1300円=約21万円が介助者に支払われる)。ホームヘルパーは2時間×週3回。介助者に呼ばれる時は〇〇さん(姓)。介助者を呼ぶ時は呼び捨て。満足を求めていくときりがない。体調により必要度が変化する。介助について,s=2,d=3。
 医療について。かかりつけの病院は〇〇病院。近所にはかかりつけの病院は作っていない。その度に電話連絡し,友人の車やタクシーを使って,必要なら診察に出向く。病気になった時には電話で連絡し,近くの友人が来た。今後も来てくれる人はいる。s=2
 使用している機器は,電動車椅子,車椅子,階段昇降機,ウォシュレット,ワープロ(こわれた)。車椅子は20年前,昇降機は2年前,ウォシュレットは4年前から使っている。昇降機とウォシュレットは自費で購入。生活しやすくなった。補助が1回でなく必要時にいつでも使えたらもっと便利。
 風呂を8年前に公費で改造した。生活しやすくなった。改造費が高い。機器と改造について,s=0,d=3
 収入は月160000円。年金と特別障害者手当,そして給料が30000円。少ないと思う。支出は,住居費(持家)8000円,食費30000円,交際費50000円(たいがい飲食費),通信費10000円,趣味教養費5000円(不定期),被服費の支出は不定期,介助費20000円(介護人派遣事業でまかなえない分),小遣い60000円。銀行と郵便局に定期預金がある。s=0,d=3。
 2階建ての自家に住んでいる。1階は6畳+3畳,2階は6畳+4.5畳。プライバシーはたもたれている。s=2,d=3。
 △△駅が最寄り。概ね住みやすい。買物には困らない。s=2
 月曜から金曜の10時から5時まで仕事。〇〇〇の代表をつとめている。メンバーは脳性まひの人が4人,片まひの人が1人,ダウン症の人が1人。カードリングづめの内職を請け負っている。自身は現在肩をこわして作業はしていない。火曜と金曜の9時30分から11時と木曜の2時30分から4時までホームヘルパーが来る。土曜と日曜は外出する。毎日夜7時から12時まで介助者が来る(有料,介護人派遣事業を利用)。ただ土日は介助者を確保しにくい。
 年間スケジュール。1月に新年会,3月に旅行,8月にキャンプ,10月にバザー,11月にレクレーション,12月に忘年会。s=2,d=3。
 趣味のグループなどへの参加はなし。時間がない。s=0,d=3。
 余暇の過ごし方。旅行を年に2,3回(〇〇〇主催で1回,個人的に1回)。映画は2月に1回くらい。おつきあいを月に1,2回。趣味は特にない。食べること,飲むこと。s=3,d=3
 外出について。映画に月に2回ほど(梅田・難波)。飲み屋に週1度(広範囲)。買物は梅田・難波・布施。s=2,d=3。
 道路や建物について。車椅子では困難にあたることが多い。最寄り駅にはエレベーターはあるが,トイレが中2階にある。s=0。

 II
 6歳の時に引越し,7歳から20歳まで〇〇市で暮らす。△△養護,××整肢学園,〇〇高校。21歳から23歳にかけて▽▽のアパートで一人暮らしを始める(d=3)。24歳の時に現在の家に移った。自分で探して親が資金を出した。
 家族は父と母と兄。兄と父母と別に暮らしている。家族に相談することはない。自分で判断している。親との関係は普通。兄とは会っていない。お互いに忙しい。親戚との関係は普通。
 家族関係の変化。卒業時,進路のことで親と意見が対立した。施設がいやだった。友達が間に入って,試行として一人暮らしを提案した。家族関係の変化としては,今の生活を認めるようになったと思う。何も言わなくなった。s=2
 いちばん頼りになる人は,〇〇君(介助者,鍵も渡してある),△△さん(〇〇〇のスタッフ,近くに住んでいる)。
 近隣の人とのつきあいは挨拶くらい。住んでいる人は年配者が多い。s=1,d=3。
 友人は50人(学校時代,作業所関係)。付き合いは食事をたまにいっしょにするとか。s=1.5,d=3。
 偏見を感じることはない。特によく受け入れられているという場面も特にない。自然体で入っている。s=1.5
 将来について。宝くじを当てて大きな家に住む。2回結婚する。
■Ic 男性・36歳

 I
 室内はひざ歩き。車椅子の乗降は自力で可能。電動車椅子を使っている。手動車椅子もこげるが体力がなくなってきた(10年前まではターボ〇〇と呼ばれた)。口話は全く不可能,トーキングエイドを使用している。トーキングエイドで6〜7時間電話できる。ファックスやパソコン通信も使っている。
 障害について。不満は言語障害について。俺がしゃべれたらうるさいと皆言う。だから天は二物を与えない。s=0。
 入浴(週4回),整容は全介助。食事(うどんなど麺類について介助),更衣(ボタン,ネクタイ)は部分介助。以上すべてについて有償の介助者。市の介護人派遣事業で月153時間(×1380円)。生活保護の他人介護加算が10万円。〇〇センター(障害者自身が運営の主体となって,介助者の派遣――当初は外出の際のボランティア派遣が多かった――などの活動を行う,彼自身そのスタッフでもある)を利用。ホームヘルパーは週2回,1回2時間。午前9時から11時まで。食事の介助と掃除をする。午前8時からにしてもらいたい。非常時には友人に電話する。1泊は5000円(夜10時から朝8時あるいは9時)週4回。その他に体調が悪い時。介助者が自分を呼ぶ時はさんづけ,長いつきあいの友達は呼び捨てにする。s=0,d=3。不満はヘルパーの時間帯に関して。そして髪のブラッシングをする時に手袋をすること(ヘルパー用のテキストに障害は病気だと書いてある)。
 医療について。△△病院にカルテはある(内科)。引越した次の年の春,ストレスから発熱,のどがやられた。〇〇病院に行った。この時は親,友人が来た。今後は介助者が来るだろう。s=2
 使っている機器は,トーキングエイド,電動車椅子,手動車椅子,ファックス,パソコン(ワープロとして使う,ゲームなどのプログラムを作る)。トーキングエイドで電話などしやすくなった。もう少し声が肉声に近いとよい。
 改造について。つくりつけのベッドをとった。敷金に10万円上乗せし,大家が入居時に工事。マンション入口の段差を解消した。住人が協力しないので車椅子幅の確保のためにマンションの廊下に赤い線を引いた。以上,入居時に自費で。s=3,d=3
 収入は月140000円(介助費用は別)。生活保護を受給。支出は,住居費75000+5000(共益費)円,水道光熱費10000円,通信費10000円,交通費15000円,趣味教養費10000円(パソコン関係),など。貯金はなし。s=2,d=3。
 7畳+4畳のマンションに住む。自宅にはプライバシーはあるが〇〇センターでこきつかわれている。押入がないだけであとはOK。s=2,d=3。
 周辺の住み心地はよい。s=3
 月曜の10時から5時まで,金曜の11時から5時まで作業所「△△」でパソコン入力作業の活動,事務処理の仕事をしている。日曜も活動がある。障害者□□連絡会の活動,〇〇センターなどの会議があって,〇〇センターに行く(2・3年〇〇センターの副代表をつとめた)。週に3日は9時帰り。もう少し他の障害者がやってほしい(→s=2)。火曜と金曜の午前9時から11時までヘルパーがくる。水曜と土曜の3時から5時は家事をやってもらう。ヘルパーに鍵を渡している。月曜と木曜の午後6時から10時まで介助者が家事。他の時間帯は不定。s=2,d=3。
 趣味のグループへの参加はなし。もう少し昼間の時間があればと思う。囲碁をしたい。s=1,d=1。
 個人の時間。パソコンで通信やプログラミング,ゲーム。s=2,d=3
 外出は繁華街によく出かける。うろうろしている。時間があまったら外出するが,時間がない。時間がほしい(→s=2)。買物でも外出。洋服は××へ。そして近くの市場,コンビニ。s=2,d=3
 道路や建物について。スーパーなどの入口に自転車が多く,入れない。s=2。

 II
 21歳で私立大学の短大部を卒業,就職浪人を1年,23歳で就職,3年間経理の仕事をする。26歳から1年遊んで,27歳の時〇〇センターの事務局員になる。6年間つとめ,副代表に。住まいの方は,大学卒業後実家で暮らし,30歳から現在の一人暮らしを始める。前々から一人暮らしすると親には言ってあった。OKと言われていた。大家がセンターの会員で,この物件の話をもってきた。26歳から探していたが,事務局の仕事で時間がなかった。d=3
 父と母が一緒に暮らしている。兄は独立して別に暮らしている。親に相談することはない。自分で判断している。親との関係はうまくいっている。電話が親からかかってくることが多い。最初の1年間は住民票を移すなと言われた。兄は東京に住んでいて,上京した時に会う。親戚付き合いは普通。家族関係の変化。以前は父親がこわかった。最近は父親は一人暮らしのことをあきらめている。家族について,s=2。
 いちばん頼りになる人は,妹みたいな友達,〇〇センターのメンバー,スタッフ。
 近所づきあいは挨拶くらい。同じマンションの5階に看護婦が住んでいる。ていねいに挨拶している。s=2,d=3。
 友人はわからないほどたくさんいる。年賀状は 100枚に絞っている。〇〇センター,作業所以外の友人は数人。s=3,d=3。
 偏見を感じることはしょっちゅうあるけど,気にしたらやっていられない。強引に入ってしまう。s=2
 もし結婚するとしたら車椅子住宅入居を考えている。〇〇センターの活動の関係でここに住むのが便利。活動の方でまだひと花咲かせたい。 ■Id 女性・33歳

 I
 室内では手動車椅子を使っている,外出時は電動車椅子。移乗は自分でできる。コミュニケーションは口話で。
 障害について。これが生まれつきだから。たまに不自由を感じる時はあるけれど,これが自分。s=3
 入浴は全介助。食事・排泄・更衣は部分介助。食事については,食器の位置,体調による。排泄についてはあげおろし。更衣についてはごく一部,自分が着られるものを選んで着ている。ガイドヘルパーが月に60時間(1時間1380円)(外出のみ,家の中に入ってはいけない)。専属のガイドヘルパー,フリーのカイドヘルパーがいる。ホームヘルパーが1回2時間,週2回。介助者に呼ばれる時は,〇〇さん,〇〇ちゃん(名)。介助者を呼ぶ時は,〇〇さん,通称。
 介助についてs=1,d=3。不満なのは,やってほしい時に介助がないこと,緊急時に頼めないときに困ること。
 医療について。かかりつけは,身障センター,〇〇病院。どこでもみてもらえるわけではない。主治医にしかみてもらえない。大きな病気をしたことはない。発熱などはある。電話で友達に来てもらう。家族・友人は来た。今後も来る人はいる。s=2
 使用している機器は車椅子,電動車椅子(屋内用と屋外用),福祉電話,ワープロ。車椅子は6歳から使っている。公費で導入。電話が押しやすい。また受話器をとらないですむ(長時間持つことができないので)。買い替えについて,車椅子の3年(で買い替えられる)はいいが,電動車椅子の5年(住んでいる自治体で)は長い。使用頻度は人によって異なる。使用量によって考えてほしい。走行距離メーターをつけ(て走行距離に応じて買い替えを認め)るのはどうか。
 改造について。4年前の入居時に公費,一部自費で行なった。玄関にスロープをつけ,ドアのところも改造。台所はガス給湯の位置を低くし,戸をとった。トイレには手すりをつけた。風呂場は外に台,中にすのこをつけた。またもの干しを低めのものにした。トイレ,風呂など生活できるようになった(家の出入り,トイレ,風呂に介助が必要だった)。s=1(もっと手を加えたいところもあるが,出る時,元に戻さなくてはならないのでここまでしかできない)。d=3
 収入は月約120000円。障害基礎年金(+特別障害者手当)と給料15000〜20000円。支出は,住居費38000円,食費30000円,水道光熱費20000円,交際費2000円,会費年間3000円,など。生活保護は取りたくないという条件でもう少しあったらと思う。介護料という形でほしい。預金は,年金の8万を超えた分。少しはある。入居時に 100万くらいかかってしまった。s=0,d=3。
 洋室6畳+洋室4.5畳+K3畳+風呂・トイレ4畳のアパートに住んでいる。プライバシーは保たれている。日照,風通しは良好。入ってからの段差がない。これが気にいった理由。車椅子で動きたいと思っていたので。s=3,d=3。
 最寄りの駅まで10分。ちょっと不便くらい。s=3
 1週間の活動について。火曜から土曜の午後2時から8時45分,〇〇センターへ。月曜と木曜の朝10時からヘルパーが来る。他の午前はフリー。日曜は休み。
 年間スケジュール。1月から3月は高校生セミナー事務局の仕事,7月から8月はキャンプ事務局の仕事。活動について,s=1(活動に対する給料について,仕方はないとは思うけど),d=3。
 趣味のグループへの参加について。スキューバダイビングのライセンスをもっていて,サークルに入っている。年1〜2回行く。もっと回数をやりたい。お金の関係でできない。地球遊び人クラブにも参加(ボランティア協会に加盟している団体,皆で遊びたい企画を立て,行きたい人が行く)。s=3,d=3。
 個人的な時間の使い方。ファミコン,編物,読書を空いている時間に。s=0(ゲームセンターは台が高い,足が入らない。旅行,温泉は行きにくい。プールは身障者用着替え,トイレ,スロープが不備。ボーリング場には段差がある。公共のものにもっと配慮してほしい。)d=3
 外出は大阪市内,豊中市内まで月2〜3回。買物は,梅田あたりに月2〜3回。難波の電気屋街,等。単独行動が多いので階段など不満。s=1,d=3。
 近くの道路や建物について。不自由はない。道はゆったりしている。駅もスロープがある。店も入りやすい。対応もよい。s=3。

 II
 6歳から△養護学校へ。小・中は児童施設で暮らし,16歳の時に家に戻った。△養護学校高等部に通学。19歳から在宅の生活を送る。機械編みの先生に来てもらって編物を習っていた。訓練校は入れてもらえなかった。1年待って,25歳の時に府立身障センターに入所した(d=3)。授産施設でタイプを習った。28歳の時にアパートでの暮らしを始めた(d=3)。家に戻りたくなかった。一人暮らしをしたかった。
 64歳の父と63歳の専業主婦の母と31歳の弟が同居している(独身,来年結婚)。家族のなかで相談する相手は両親。親との関係はうまくいっている。きょうだいとの関係は普通。親戚との関係は普通。
 家族関係の変化について。今はうまくいっている。親から見て子ども扱いをしない。一人前としての対応をしてくれていると思う。自分が逆に親の相談にのったり,ぐちを聞いたりすることもある。それ以前は親が面倒をみている感じだった。s=3。自分の結婚については,わかってくれる人がいたら。人の出入りが多い,家事をしないと,まわりからは見られると思う。
 いちばん頼りになるのは△△さん,職場の人。
 近隣の人との付き合いについて。町内会には参加していない。挨拶くらい。名前は知らない。隣に筋ジスの人が住んでいる。s=3,d=3。
 友人は計25人。仲間と言えるのは6人。遊びにいったり,買物につきあってもらったり,車を出してもらったり。身障センターにいたときにできた友人も10人はいる。s=3,d=3。
 偏見はない。今住んでいるのが福祉地区ということもある。よく受け入れられていると思うこと:専門家との交流もあり,お互いによい意味で利用しあっている。s=3
 今後のことは自然に考えたい。
■Ie 男性・41歳

 I
 電動車椅子で自由に外出している。乗降は同じ高さの面があれば自力で可能。床での移動も座ったままでできている。室内では電動車椅子と座位で移動。言語障害はあるが軽度。初対面でも支障なく口話でコミュニケーションできる。筆記は何とか可能だが,ワープロを使うことが多い。
 障害について。障害の程度は小さい頃から変わらないが,4,5年前から細かな動作ができなくなった。s=3。
 入浴は全介助。食事と更衣は部分介助。食事については料理,配膳,後片付け。更衣は自力でも可能だが,忙しい時はやってもらう。非常時には作業所の職員・友人が対応する。有料ボランティアが食事,更衣,入浴(週3)の介助をする。学校にビラをはって,友人のつてで集めている。3人の介助者を交替で利用している。ヘルパーは今のところ必要ない。掃除などは母親が行なっている。介助者からは名前で呼ばれる。介助者は名前で呼ぶ。もう少し人が欲しい。しかし人を増やすとお金がかさむから,そのお金がない。遅くまで片付けをやってもらいたいが,遅くまでは無理。22時までできたらいいのだが,遠慮する時もある。人を選んでものを頼んでいる。s=3,d=3。
 特に医者にかかってはいない。したがってかかりつけはいない。腰が痛くなって病院に運びこまれて2週間ほど入院したことが2回ある。このときは昼間で作業所の職員に連絡した。親は来たが,腰の痛みだけだったので帰った。今後も身近にいる友人に頼ると思う。s=2
 電動車椅子を1985年頃から使っている。公費で購入。雨よけカバーをつけてある。自由に外出できるようになった。ワープロは,公費で購入して現在3年目。作業所の仕事,その他文章を作るのに役立つ。電話はハンズフリー。自費で購入して4年目。いちいち長い間手にもっていなくてもよくて便利。
 改造について。トイレの床上げ,浴室の床上げ,廊下の段差の解消を入居時に行なった。電動車椅子から自力で各所へ移動できるようになった。トイレの改造は住宅の管理をしている保全協会の負担,その他は住宅改造費で全額負担してくれた。機器・改造についてs=3,d=2
 収入は月107960円。障害基礎年金 80000円,特別障害者手当 24960円,県在宅重度心身障害者手当約3000円。支出は,住居費 24000円,食費 35000円,水道光熱費 20000円,介助費 25000円,など。預貯金もある。年金の額がもう少し上乗せしてくれれば生活も安定してくる。現状ではギリギリで苦しいから預金から引き出すこともある。介助費も増やししたいが,現状では増やすことができない。s=0,d=3。
 6畳+ 4.5畳の公営住宅に1995年の7月から住んでいる。以前はプライバシーが充分あった。今は母親が泊ることが多い。母親が泊るときは気になる。やはり遠慮がちになる。日照もよく住みやすいが,スペースは狭い。全体的に電動車椅子で行動するには入口が狭く感じる。車椅子用住宅だが手を加えないと不便。できれば単身での入居を受け付けてほしいとおおいに感じている。s=0,d=3。
 最寄駅までは電動車椅子で4〜5分。だが,最寄駅は電動車椅子対応がわるく,使ったことがなく,次の駅を利用している。また次の次の駅を利用することが多い。電動車椅子で1時間かかる。郵便局,銀行,市役所,レストランは以前に住んでいた△△の周辺を使っている。30分くらいのところだが,なじんでいて使いやすい。電動車椅子では使いにくいが,駅は近いので介助者にはよい。5〜10分くらいのところにスーパーがあるが,店内が狭く,電動車椅子では使いにくい。
 月・火・木・金の9時から17時まで作業所。体調によって作業所の時間は異なる。自分の用事があればそれを優先させる。作業所ではワープロとか会計の仕事をしている。仲間に対して自分の意志を伝え切れない。言葉に出して言うよりだまってしまう。水曜の9時30分から16時30分までデイサービス。デイサービスは入浴,昼食。9月か10月に作業所で旅行がある。s=1,d=2。
 グループへの参加について。「脳性マヒ者が地域で生きる会」の活動に年に2〜3回。他に呼びかけがあれば,交通アクセスの行動,街づくり条例の改正のための活動をしている「いのくら」(命とくらしを守る県民大集会)の行動に参加したり。今までに10回くらい。s=1,d=3。
 ジャズはよく聞く。コンサートに出かける。年に2〜3回は行く。体を動かしたい。友達とボーリングに行ってみたい。横浜のラポール。このごろ行ってない。s=2,d=3
 外出は隣の駅周辺。毎日通るところに商店街がある。買物は隣の駅の周辺。電動車椅子ででかける。大きな店がある。月に2回くらい行く。s=2,d=3。
 自分ではごみ出し程度。町内会に入っているが,主に母親がやっている。もし自分一人だったら,集会とか回覧板とか連絡員とかどうすればいいか不安がある。言語障害もあり,うまく相手に説明が行き届くか心配だ。s=2,d=3。
 近くの駅がまったく使えず不満である。隣の駅まで行くのは寒い時はつらい。道路が狭く通りにくい。家の周囲の環境はよい。s=2。

 II
 九州のA県で生まれる。両親は4歳のころ上京し,彼はA県の施設で義務教育終了まで生活した後,16歳で横浜に来た。△△園高等部に18歳まで。両親と妹の4人の生活になったが,家族への気遣いもあり,家にいるよりはましと思い,20歳の時療護施設(=N2)に自分から申し込んで入所した(1975年7月まで4人で生活)。29歳までの9年間を過ごした。d=3
 しかし,自分の生活の基盤を作りたい,施設ではこのまま終わるという思いもあり,友人からも言われ,なんとか30歳までに施設を出たいと思った。たまたま今の作業所の代表の白石(清春)さんと会って,「地域で生きる会」に入った。作業所の友人が住宅の情報をくれた。親は「何にもできないのにどうやって生活する」と大きく反対した。1年くらい反対した。反対ははじめからわかっていたから,さきに白石さんが保証人になってアパートを借り,施設を出た。その後9年間そのアパートで一人暮らしをし,作業所に通った。d=3
 2年前,アパートの老朽化のことや電動車椅子で動ける住居に住みたいということで現在の県営住宅に入居した。父は亡くなり,母は妹の家の近くにアパートを借りながら,3分の1は自分と過ごすという半同居の生活を送っている。
 父は8年前に62歳で死亡。母は71歳で本人と半同居。38歳の妹は結婚して県内に住んでいる。家族に相談したりすることはないに等しい。親との関係はうまくいってはいるが。あんまり相談したことがないから…。妹ともほとんど表面だけのつきあい。何かあれば手伝ってくれるが。親戚からはたまに電話がくる。
 家族関係の変化。(幼い頃から別居していたこともあって気持ちの上で)デリケートな部分がある。現在,母にしてみれば自分(本人)のところがよいようだ。しかし,自分としては母から離れたい気持ちもあり,母との関係をどうしていくかが一番の悩みである。このことで,家族についてs=0。できれば結婚したい。具体的な相手はいないが。
 いちばん頼りになる人は友人。
 友人は20〜30人いる。遊び友達から飲み友達まで,誘ったり誘われたり。友人は大切。10年以上つきあっている。s=3,d=3。
 周囲の受け入れ,偏見について。いやそうな感じで見られる時がある。s=2
 将来について。現在の生活(母親との半同居)は自分の思うような生活ではない。一人では置いていけない。母は田舎に一緒に帰ろうと言うが,自分はここを離れられない。以前のような自分の意志どおりの一人暮らしがよかったと思う。 ■If 男性・34歳

 I
 屋外はチンコントロール(あごで制御)の電動車椅子を使用。座ってはいられるが屋内の移動はいざり。時間がかかるので1室内のみ,トイレなどはボランティアの介助による。言語障害は多少あるが聞き取れる。
 障害について。最近だいぶ障害が重くなった。移動ができなくなった。座位が安定しなくなった。緊張が強くなった。s=1。
 更衣・排泄・入浴・整容・非常時は全介助。ヘルパーは週2回・1回3時間。ボランティアには社会人が多い。母親が1月に1〜2回,弟が月に1〜2回手伝いにくる。s=0,d=3
 かかりつけの医院は近くにはなし。厚木の〇〇まで通っている。具合が悪くても作業所に行って寝ていればなんとなる。緊急を要するようなことがあったら,ボランティアに電話する。これから自分の体が悪くなるのではという不安がある。s=1
 使用している機器は,チンコントロールの電動車椅子,手動車椅子,ハンズフリーの電話,ファックス,パソコン。チンコントロールの電動車椅子は公費で購入した。使い始めて1年だが自由に使いこなせている。ハンズフリーの電話も公費で導入。これら以外は自費で購入したもの。パソコンは,家計簿を自分でつけたり日記とかプライベートなものができる。
 改造について。風呂がなかったので台所に作った。トイレを和式を洋式にし,便座をのせた。4年前ここに入った時,公費で改造した。便利になった。機器・改造についてs=1,d=3
 収入は月230000円。生活保護を受給している。他人介護加算もとっている。支出は,住居費10100円,介助6〜7万円,など。s=0,d=3
 2Kの市営住宅(一般住宅)に住んでいる。常にボランティアがいるが。日当たりがよくない。s=1,d=3。
 住みよい。駅は5分かかるが,商店街は近い。銀行もあるし。s=3
 月曜から土曜まで作業所に通っている。月の午後と水曜の午前にはヘルパーが来る。作業所を運営している会の副会長。近くにうどん屋があり,陶器の注文を受けたりしている。s=0,d=3。
 趣味のサークルへの参加などはなし。s=3,d=3。
 余暇には,デートをしたり,作詞をしたりしている。s=3,d=3
 外出について。作業所はほとんど毎日。買物は横浜のレコード屋とか。駅の階段が不便。s=2,d=3。
 道路や建物について。ドブの上にブロックが置いてある。駅の階段が不便。銀行の入口に段差があるとか。s=0。

 II
 △△ホームで暮らしたあと,24歳の時にグループホームに(d=3)。自分の時間がない,自分の思いどおりにならないことが不満だった。26歳から2年間親元で生活した。28歳から2年間マンションを借りて生活していた(d=3)。4年前の30歳の時に市営人住宅があたった。グループホームに行くには親の反対があったが,反対を押し切ってやった。一人暮らしには反対しなかった。一人暮らしを実現してきてよかった。アパート暮らしなんかしていなかったら彼女なんかできなかった。
 65歳の父と58歳の母。本人は9人兄弟の長男で弟が6人(2人が独立),妹が2人(1人が別居)いる。相談相手は母親。両親との関係はうまくいっている。きょうだいとの関係はうまくいっている。親戚とのつきあいはあまりない。。
 家族関係の変化。親としては心配だろうと思うが,自分としてはいいと思う。老人会の旅行なんかも行っている。自分がいると行けなかった。だからうまくいっていると思う。s=3。
 キーパーソンは彼女。
 近所づきあいについて。町内会には入っていない。近所の人の名前も知らない。s=0,d=3。
 友人は4人。ボランティア。生活に入ってもらって1週間に1回泊ってもらう。s=3,d=3。
 偏見を感じたことはない。s=3
 将来について。結婚したい(世帯をもちたい)。恋人はいるが,実際にどうなるかはわからない。
■Ig 女性・34歳

 I
 室内はよつばいで移動。屋外では電動車椅子を利用。(移乗も何かつかまるところがあれば可能。ただし低い所への移乗は不可能。)電動車椅子から自宅に入る時は,玄関の柱につけた輪,ひもなどにつかまりながら移乗する。コミュニケーションは,初めての人の場合,何回も繰返しが必要。わかっていないのにわかったふりをされる場合もある。買物の時は,前もってワープロで買う物を打っておいたり,または,ボランティアに書いてもらった紙をみせる等して工夫している。
 障害について。親元にいるときは,親がいなくなったら自分はどうなるだろうと,障害をもっている状況が大変不安だった。一人暮らしを始め,自分ひとりになっても生きていけると自信がついた。s=2。
 食事は全介助。一人の時は口を寄せて食べる。更衣は半介助。かぶりは可能,ズボンはゴム。ボタンは不可。正装する時は全介助。排泄・入浴・整容については,作業所,自宅では自分で可能。ただし旅行,外出先では介助を要する。非常時には,近くに住んでいる保証人に緊急コールが通じるようになっている。
 ヘルパーは2時間×週2回。掃除,洗濯,裁縫,料理をしてもらう。ボランティアは週3回,主に夜来て夕食の準備,後片付けをする。有料のボランティア,個人的な友人,アルバイトで5人くらい(若駒の家の人の知り合い等)。
 介助費用について。ヒューマンケア協会関係は1時間 800円+交通費。アルバイトの介助者には1時間1000円。介護人派遣事業から支払われる額が 6700円×14回分で93800円。s=2(介助の確保が大変),d=3(はっきり,介助内容,希望を言えるよう心がけている)。
 医療について。駅の近くの〇〇病院にかかっている。内科等は一人で行くとあまりよい対応ではない。熱が出て寝込んでしまったことがある。この時には若駒の家の職員に来てもらった。家族,友人は頼まなかった。今後,同様のことがあったら,若駒の家の職員,ヒューマンケア協会のスタッフに連絡をとるだろう。病気をした時のことを考えるとこわいと思う。s=1
 使用している機器は電動車椅子(作業所,若駒の家で訓練した)。5年くらい前に公費で購入。手動の場合はたえず介助者の都合に合わせて行動しなければいけなかったが,電動にしてからは自分の予定を自由に組むことができるようになった。行動範囲が拡大し,自由に予定を考えることができるようになった。
 改造について。2年前,公費で改造。アパートの玄関前にスロープを付けた。トイレに手すりとウォシュレットをつけた。出入口の段差をなくした。縁側にベランダをつけた(洗濯物を取り込むため)。浴室にはシャワーを付け,すのこを付け,浴槽との段差をなくした。その結果,日常生活動作(身辺処理)がほぼ自立した。改造したことによって大体自分で身辺処理ができるようになったが,台所の流し台がもう少し低ければよかったと思う(簡単な調理を自分でしたい)。s=2,d=3
 収入は月132500円。年金と手当等。支出は住居費53000円,食費40000円,水道光熱費30000円,通信費2000円,交際費10000円,雑費20000円。月々余裕が出たら預金をしている。もっと預金をしたいと思うが余裕がない。s=1,d=3。
 住まいは2室のアパート。ベッドのある6畳の部屋と4.5畳位のキッチン。プライバシーは保護されている。日照は良好。大家さんがとても理解があり,また,駅から近いことにも満足。ただし台所等の使い勝手には少し不満がある。s=2,d=3。
 最寄りの駅まで電動車椅子で3分くらいで便利。ダイエー,京王ストアで買物。商品棚の下の商品は自分でとれる。上の商品は周囲にお願いする。駅まで近く,買物も便利なので満足している。s=3
 1週間の活動。月曜から金曜まで若駒の家に通う。リストバスの運転手の手配,送迎の順を決める仕事を担当している。リフトバスが来年2月に2台になるのでリフトサービスの拡大を考えている。月曜と木曜の9時30分から11時20分にヘルパーが来る。s=3,d=3
 趣味のグループなどなどへの参加。作詞のグループ(5人くらい)があって,月に1回(国立のスポーツセンターが拠点,自立生活プログラムを卒業して,若駒に来た仲間等)。s=3,d=3
 しばらく若駒の家を休めるとしたら一人旅をしたい。以前,福島に行ったことがあった。s=3,d=3
 外出は北野周辺,たまに新宿。買物は北野,八王子。階段等については不便。s=2,d=3。
 当路や建物について。住みやすいと思う。道路が平坦,建物にエレベーターがある。店の人も理解してくれている。s=3

 II
 8歳から18歳まで〇〇養護学校。小2から高等部までスクールバスで通う。それまでは父の仕事の関係でいろいろなところに住んだ。山形で母子入園の経験がある。18歳から21歳にかけて中伊豆のリハビリテーション・センターに入所。理学療法,作業療法を受ける。3年間,寮に入っていた。21歳から25歳まで,自宅から若駒の家に通った(リフトバスの送迎で)。養護学校の先生の紹介。25歳の時に一人暮らしを始めた(若駒の仲間をみてやる気になった)八王子のアパートを借りた。32歳のとき,若駒が引越したため近くに引越した。d=3
 78歳の父と74歳の母が同じ市に住んでいる。51歳,48歳,39歳の姉がいる。相談するのは一番上の姉。親との関係は一人暮らしをしてからの方がうまくいっている。きょうだいとの関係では,一番上の姉と一番仲がいい。親戚とはあまりつきあいはない。
 家族関係の変化について。一人暮らしをしてからの方がうまくいっている(母と友人みたいになった)。もう少し交流があったらいいと思う。s=2。
 いちばん頼りになる人は家族。若駒の家以来の友人(身近な存在)。
 近所の人とは挨拶くらい。〇〇さん(N6から出て移り住んだ)が同じアパートに住んでいて,精神的に落ち着く。s=2,d=3
 友人。本当に信頼しているのは4〜5人。月に1回程度集まる。s=3,d=3
 偏見や仲間外れについて。今はないが,以前はよくこどもにこわがられたりした。今は逆に挨拶されたりする。よく受け入れられていると思うこと:店の人,駅員の対応がまあまあ。理解されていると思う。もっと自分の小さい時みたいに近隣との交流があればいいと思う。ただし街の雰囲気は気にいって満足である。s=3
 当面はここで住むつもり。将来的には市営住宅の障害者用の住宅に入りたい(2回応募した)。 ■Ih 男性・27歳

 I
 室内では座位移動。屋外に出る場合は,玄関先まで座位移動を行い,移乗できる高さに置いてある電動車椅子に移乗する。コミュニケーションは口話で。多少聞き取りにくいところはあるが,初めての人でも口話で可能。ワープロは手紙や原稿等を書く時だけ使っている。
 障害については,恨んでいない。現在では自分の人生とあまり関係しないように思う。自分自身の努力で何でもできると思う。好きなことが「できない」制限はあるが,障害があるから「できない」ということはないと思う。このような考えは,東京に出てきてからのように思う。s=3
 入浴は全介助。学生を有給で使っている。1時間1500円,ほぼ2時間。週3回,帰宅後夜間に入浴。午後9時以降になる。食事は部分介助。週1回学生に調理してもらう。その他は外食や弁当など出来合いのものを食べる。ヘルパーは週3回来て,洗濯,掃除をする。呼ばれる時は〇〇さん(姓),呼ぶ時は〇〇さん。s=2,d=3。
 医療について。歯科は近くにいる。その他は今のところ特に必要ではない。一人暮らしを始めて病気をしたことはあった。ヒューマンケア協会に連絡して対応を待った。親や友人はこなかった。今後もヒューマンケア協会に連絡するだろう。s=2
 使用している機器は,電動車椅子とウォッシュレット。電動車椅子は24歳から使用している。米国製(軽い,カラフル)で半分自己負担で購入。ウォッシュレットは入居の時に導入。いずれも生活必需品。特に電動車椅子は活動にはなくてはならないもの。 
 改造は,玄関の乗り降りの台(業者が製作)とトイレの足置き台。生活には必需。必要だから工夫をしてもらったのであって,毎日の生活に必要。入居の際に自費で改造した。金銭的にはそれほど高くはない。s=2,d=3
 年金と手当が収入。支出は住居55000円,交通費5000円,介助1500円×2時間×週3で月40000円,等。s=2,d=3。
 住まいはアパート1階の6畳の1室,風呂付き。ベッドがある。中では車椅子は使わない。プライバシーは保護されている。住み心地はまあまあ。s=2,d=3。
 住居の周囲の住みごこちはまあまあ。最寄りの駅に近い。学生アルバイトの人が立寄りやすいように,立地条件をまず第一に考えてここを選んだ。近くにダイエーがあり,駅にも近いということを条件に探していたアパートなので,その点は特に問題はない。銀行も近くにある。s=2
 月曜から土曜の9時から午後5時まで若駒の家に行く。自宅から若駒まで1時間。自宅を朝8時ころ出る。月に数回,ヒューマンケア協会を訪ねる。年間スケジュールは特に決まっていない。若駒での活動が主。s=3,d=3
 趣味のグループなどへの参加はとくになし。s=2。d=3。
 余暇の過ごし方。カラオケ,飲みに行くこと。週1程度 演劇や映画にでかけた方がよいと思うが,あまり出かけない。ひとりなのでひとりで行ってもつまらないので結局は行かない。松田聖子のコンサートに年1回くらい出かける。s=2,d=3
 外出は若駒に毎日通っている。それから買物。s=2,d=3
 立地条件を優先にしたので道路の事情はあまりよくない。凹凸はあるし,狭いし。ただし銀行の出入りには特に問題はない。西八王子の駅はエレベーターがない。スロープはある。ただ,スロープ利用も通常いつでも利用できるというようにはなっておらず,利用する際は連絡を前もっていれて開けてもらう。ただし付添がいれば鍵は開けられる。(調査者の感想:付添って感じたことは,彼の電車の利用については,西八王子の駅員は慣れているという印象。ヒューマンケア協会のある八王子は車椅子に慣れていると思われる。)s=2。

 II
 1歳3か月で関東にある身体障害者医療福祉センターの療育センターへ,その後施設で7歳から9歳まで暮らす。その後は家にいた。小学6年生から全員就学で訪問学級を受ける。中3から養護学校(1年間)。その後ずっと家にいる(d=0)。もんもんとした思春期時代。このまま家にしても仕方ないのでどこかに相談しに行っても施設入所の話になってしまう。施設は朝起きて,仕事に出向いて,寝るだけだから親もあまりすすめなかった。20歳過ぎてからは親に当たってばかりいた。やはりこのままではいけないのではないかと思った。
 27歳の時,札幌いちご会★30の小山内氏を通してヒューマンケア協会(→注16)を紹介された(親が小山内氏に手紙を出して相談した)。27歳で一人暮らしを始める(d=3)。小山内氏がヒューマンケア協会を紹介してくれるまでは親主導。それからは自分ですべて決定。結婚についても考えていて,「これからの家族」としてとらえている。
 父と母と弟と妹が同居している。家族には現在はあまり相談はしない。親との関係はうまくいっている。きょうだいとの関係は,あんまり会わないから。親戚との関係は特にない。
 家族関係の変化について。あの家族はもう「前の家族」「元家族」という印象をもっている。弟は中学・高校・大学と昇っていった。それが羨ましいと思ったことはあった。結局,自分に障害があるので,弟が自分で面倒みなくてはならないと思っていたのだろう。でも,弟は今はそのようには思っていないようだ。今年の5月に家に帰ってみると弟は大学を中退していた。親の言うなりになって大学に行き,結局やっていけなくて家に帰った。そのことを考えると,現在は自分は弟とは逆の立場になってしまっている。現在,弟は,自分で考えていろいろなことを決めてきたことに対して,自分のことを羨ましがっている。家族関係について,s=1
 一番頼りになる人はヒューマンケア協会の人達だろう。
 近所つきあいは特にない。ゴミ出しなどはヘルパーがする。s=2,d=3
 友人は2人ぐらい。若駒の仲間。s=2,d=3
 特に偏見を感じたことはない。困っている時に半分くらいの人が声をかけてくれたり,助けてくれる。良く受けいれられた経験としては,心配して,八王子の駅からずっと付き添ってくれた人がいたこと。s=2 ■Ii 男性・35歳

 I
 室内はひざ歩き(杖も使える),屋外は電動車椅子・手動車椅子を使用。言語障害は軽い。筆記も可能。1本指でワープロを打つ。違うキーを押してしまう。キーボードカバーがあるとよいのだがと思う。
 障害については,いやだと思う反面,もってうまれたものだからしょうがないとも思う。(東京の障害者は頭がいいと思う。情報量が多いという環境もあると思う。)s=1。
 調理・掃除・洗濯について有償の介助者+ホームヘルパーが全介助。月曜の昼,火曜の昼・夜,水曜,木曜の昼・夜,金曜にヘルパーが来る。土曜・日曜は単発で利用(昼は9時30分から4時30分まで,夜は7時から10時30分まで。ヘルパーは3時間。金曜日のヘルパーは留守中に派遣されている。)介助者に呼ばれる時は〇〇さん(姓),介助者を呼ぶ時は〇〇さん・〇〇君・愛称。施設では自分でやらせられた。また寮母にやってもらった。自分でやれないことはないが時間がかかった。介助者が入ってよかった。今は必要度は少ないが40歳,50歳,60歳になればもっと必要は増えるだろう。介助者との相性というのはある。東京都介護人派遣事業と立川市の登録ヘルパー制度で介助をまかなう。(以前は生活保護の他人介護加算一般基準と介護人派遣事業)。s=3,d=3
 医療について。特に定期的に見てもらってはいない。最近あまり病院には行ってない。ただ肥満気味,脂肪肝・高血圧。寒くなるとせきが出る。嘔吐することもある。ここで暮らすようになって風邪を引いたことがある。ヘルパーや介助者がいる時はよいが,いない時には,CIL立川に電話して,緊急に来てもらったことがある。s=2
 使用している機器は電動車椅子・手動車椅子・ワープロ。導入してよかった。東京に来る前は使っていなかった。杖で歩行してた。ただタクシーと電車を使っていて,自分で移動することはあまりなかった。車椅子は東京に来た時に導入。ワープロは1年半前に公費で購入(ワープロと別にパソコンを自費で購入)。
 改造はなし。できない。ユニットバスの高さを変えられるとよいのだが。s=3,d=3。
 収入は月約20万円。現在働いている民間組織(障害者に対して介助制度等についての情報提供活動を行っている障害者主体の組織)からの給料が9万円+障害基礎年金+特別障害者手当,計約20万。この民間組織に勤める前は生活保護をとっていた。支出は,家賃が79000円,そして衣・食。家賃が高く,給料から家賃を引くと1万円くらいしか残らないが,それでも満足。s=3,d=3。
 2階建アパート・7戸の1階の9畳のワンルームに住む。プライバシーはあり。住まいにはまあまあ満足している。s=2,d=3。
 すぐ近くに西友がある。買物は行ってもらったり,自分で行ったり。駅の駅員の対応はよい。これは運動の結果。駅まで電動車椅子で30分。もっと近い駅があるのだが駅員の数が少なく対応できない。s=2
 1週間の活動。月・火・木・金と障害者が中心となって運営している民間組織に勤務。11時から5時まで。名簿管理の仕事などをしている。隔週の火曜,この日は勤め先は休んで「たまり場」に行く。1994年4月から立川総合福祉センターの会議室を借りて自分が始めた。CILで働ける人はそれでいいが,そうでない人は行き場がない。「わかこまの家」の活動を知って,健常者主体でなく,何をやってもいい場所として始めた。ただ人が集まらない。やめようかと思うが,知的障害者の女の子がいつも来てたりしてやめるにやめられない。2・3年は続けようと思う。s=3,d=3。
 趣味のグループなどへの参加はとくになし。s=2,d=3。
 余暇は,テレビを見る,読書する,音楽をきく。s=3,d=3。
 外出は週4日の出勤。電動車椅子に乗り電車に乗って行く。s=3,d=3
 道路や建物のようす。今住んでいる市ということでなく,全般的にアクセスはまだまだ。入りたいと思うが入れない店とか。s=1

 II
 東北地方の某県に生まれ,33歳まで暮らす。小・中と養護学校に通い,隣接の施設(訓練施設)で暮らした。当時のリハビリテーションは無理やり体を動かさせるというものだった。その後,高等部だけの養護学校に通い,その寮で暮らした。けんかをした。言うことをきかない生徒だと教師には思われていた。その後2年間,養護学校の教師の指導で,意に反して(d=0)職業訓練校に。和文タイプと漆器作りをしたが,自分には向かなかった。20歳の時に授産施設(社会福祉法人)に入った。訓練校を出ないとならず,他に行くところもなかった。クリーニングの仕事をした。障害者問題には関心がありテレビなどは見ていた。この施設に12〜13年暮らす。
 地元の障害者団体主催の講演会に堤愛子氏(町田ヒューマンネットワーク★31のスタッフ,以前から名前は知っていた)が講演に来た時の交流会がきっかけで堤氏と手紙のやりとりをするようになった。町田ヒューマンネットワークのピアカウンセリング集中講座に参加,ここで(宿舎の風呂で)野口氏(CIL立川(→注14)の事務局長)と知合う。翌年夏CIL立川の集中講座(八ヶ岳)に参加。CIL立川の会員になる。野口氏から何度も電話があった。翌年1月CIL立川の自立生活体験室(→注19)で2週間暮らす。その間にアパートも決める。
 33歳で東京に住み始める(d=3)。東京に出てきて,一人暮らし始めて本当によかった。当初は生活保護で生活。1995年10月から民間組織の職員として給料を得るようになり,現在は生活保護はとっていない。
 父と母は東北に同居。妹と弟は昨年から今年にかけて親から独立。家族に相談したりすることはない。親との関係は以前からうまくいっていない。今もよくない。冠婚葬祭に出るかどうかを聞いてくる。本来なら出るのが当然のはず。それに反発して,出ないと返事する。親だからこそ何を言われても腹が立つということがある。誰かが言っていたが,障害者の親には献身型と迫害型の2通りあって,自分のところは後者だと思う。ずっと別に住んでいて理解されていないということもあるかもしれない。きょうだいとの関係はあまりない。親がこういう親だからということも。親戚とのつきあいもあまりない。これも親の態度に関係。一人暮らしを始める前と後での家族との関係に変化はない。s=0
 特に頼りにしている人はいない。
 近所の人とのつきあいは特になし。挨拶する程度。s=2,d=3。
 偏見などについて。嫌な思いをしたことはない。s=3 ■Ij 男性・41歳

 I
 手動車椅子では全介助,首くらいしか動かせない。電動車椅子ではチンコントロールで操作するが,安定度は低い。移乗については全介助。姿勢保持のためもあり常時車椅子を使っている。コミュニケーションは口話で可能。
 障害について,s=2。
 食事・更衣・排泄・入浴・整容について全介助を要する。非常時には呼気スイッチによる電話でボランティアを呼ぶ。ボランティアの人は毎週来ている人で,自転車で30分くらいのところに住んでいる。ホームヘルパーが月・火・水・金の午前10時から午後4時まで派遣されている(最大週36時間まで派遣可能で,現在は24時間のみ使用)。介護人として23〜24人を登録。専門学校・高等保育学園の教務課に依頼しビラを掲示してもらって募集している。昼10時から午後4時までは5000円,夜(泊り)は時給900円,夜7時から朝8時頃までで1晩 11700円を払っている。木曜はボランティアコーナー登録ボランティアに10時から午後4時まで無償で来てもらっている。介助者に呼ばれる時はさんづけ,介助者を呼ぶ時はさんづけ。朝8時までの夜間介助では,朝疲れていても自分が寝ていると何もしないでも時給を払わなくてはならないので,つらくても起きて指示する。週に2〜3回は寝ていたい時もある。今住んでいる場所を選んだのはホームヘルパー派遣時間が長いことと介護人派遣事業単位が高いこと(昼8320円・夜7070円×30日),そして障害者が運営する介護人派遣センターがあることによる。使っていないが心理的に安心できる。s=2,d=2.5。
 医療について。隣家が医院である(内科)。緊張止め投薬,風邪などで受診している。歯科は口腔保健センターに3か月に1回定期検診に行っている。現在は治療のため,月2回程度通院している。中学2年生の時に内転筋腱を切る手術を受けた。一人暮らしを始めて発熱して1日寝込むことが2度あった。この時には学生アルバイト(介助者)を延長して対応した。今後も介助者,ボランティアに来てもらうだろう。s=2
 使っている機器は,シャワーチェア,チンコントロールの電動車椅子,パソコン,呼気スイッチ電話,ファックス。どれもなくてはならないもの。シャワーチェアは昨年公費で導入。チンコントロールの電動車椅子は10年前くらいに公費で導入。パソコンは6〜7年前に自費で購入した。パソコンはワープロとして公費負担があるが指定業者があったりで制約があることと補助額が少ないため,自費で現金で購入した方が安くなるのが問題である。呼気スィッチ電話は6〜7年前に自費で購入。一人でいても安否確認ができるようになった。聴覚障害者には公費負担があるので適用範囲を広げてほしい。ファックスは原稿を送るため,12年前自費で導入した。
 改造としては,昨年全額公費で風呂場の入口ドアをとりさった。内開きドアのためシャワーチェアが置けなかったのが改善された。機器・改造について,s=1,d=2
 収入は月190000円くらい。給与(原稿執筆など)2〜3万,障害基礎年金1級と特別障害者手当,東京都の重度手当,区の福祉手当。生活費は若干赤字気味。生活保護は受けたくない。自由がなくなり束縛されるから。現在,自家用車をもっているが,これもできなくなる★32。介護者に運転してもらえばどこへでも行ける自由がある。
 支出は住居費75000円,食費40000円,水道光熱費5000円,通信費5000円,交際費20000円,趣味教養費10000,被服費2000円,会費年3000円。銀行定期預金がある。
 他に介護人派遣事業で介助者に渡るのが461700円。介護費用も充分とは言えない。あと10万円あれば完璧にアルバイトとして介護人を位置づけられるだろう。現在はボランティアの面を強要しているところがある。たとえば朝9時まで拘束したとして,疲れて,起きられなくて2人とも9時に起床したとして,寝ていたのだから30分間の分賃金カットしてしまう。こちらが指示しなかったのだから本来なら支払うべきだが,今の費用ではカットしていかないとやりくりできない。また病気や疲れている時など介護時間が長くなる月もある。介護費用の支給が2か月遅れて支給されるので一時的に持ち出しとなる時もある。
s=1.8,d=3。
 4階建マンションの1Fに住んでいる。6畳+4.5畳(ベッド)+4.5畳キッチン。プライバシーはあるが,常に人が出入りしている。住まいの住みやすさは,こんなもんだろう。畳をフローリングにしたいが(入居時に大家から了解をとっている),金銭的にできないでいる。s=1,d=1。
 住まいは駅から徒歩で10分程度のところにある。コンビニ,弁当屋がすぐ近くにあり,スーパー,デパートも近くにある。この区内で,家賃が駐車場込みで10万円以内,スロープがある,2間という条件で探してここしかなかった。s=2.6
 1週間の活動について。月曜・火曜・金曜の10時から午後4時までホームヘルパー派遣(家事等)。木曜はボランティアが来宅,ワープロ入力,歯科,銀行手続きなどをしてもらう。家では療護施設の自治会のネットワーク組織の事務局の仕事をする。土・日は療護施設でこのネットワークの会議がある。月曜〜日曜の午後7時に介護人が来て,夕食・片付けをする。入浴は週2〜3回。入浴しない時は自治会ネットの仕事や原稿書きをする。12時に就寝。
 年間の活動について。2,4,7,10月に自治会ネットの機関誌の発行があり,発行前1か月は忙しい。その他,福祉専門学校から講師依頼がある。療護施設の生活のようすや措置制度などについて話す。s=1,d=2。
 参加している趣味のグループなどはなし。時間がない。s=0,d=0。
 他に娯楽としては,年3回程度旅行に行く。休養,骨休めの意味で行く。1日1万円で介助者と契約する。s=2,d=1.6
 外出は仕事で清瀬,日野,池袋へ。また近所の店に買物に。自動車もっており,介助者が運転する。s=1,d=2。
 周辺は歩道が広い。駅はエスカレーターがあり,駅員の対応は,今まで使った中では一番よい。s=1.5。

 II
 1954年に近畿地方で生まれ,2〜8歳まで療護園に母子入園を繰り返した。9歳の時に施設に入園。15歳から都内のアパートにおばと住む。18歳の時に都内の大学に入学,都内にマンションを買ってもらい,おばと姉と介護者で住む。23歳,大学卒業後,身体をこわし,実家に帰ったが,家庭に居場所がなく,両親の考えで実家のある県内の療護施設に入れられた(d=0)。5年間暮らした。生活がひどくて出たかったが出られなかった。ある女性と入籍できて保護者が彼女となり,出ることができた。29歳の時に京都に移り住む。共同作業所づくりの運動を4年間行なう。33歳の時に東京都へ。結婚生活をするが2年で離婚。37歳の時に療護施設(N5)に入園(d=3)。3年間住んだ後,40歳の時に現在の場所に移転した(d=3)。
 1年間のうち3分の1は後悔している。風邪を引いても寝込めない。あと2時間寝かしてほしいと言いたくても,2時間×900円として,10回で18000円になってしまう。生活の切り盛りが止まってしまう。1か月のうち2〜3日は寝てばかりいたい。施設はメニュー提示式で選べるとよい。うちは毎日風呂に入れますよとか,全室個室ですよとか,施設もサービスの水準をあげて,宣伝するようなことがあってもよいのでは。
 家族は,父,母と2人の妹が同居。他に独立している姉が1人。家族で相談する人,頼りとする人は特にない。親との関係はうまくいっていない。きょうどだいとの関係も特になし。親戚との関係も同様。家族との関係は同居の時から今にいたるまで悪いままである。s=0。
 一番頼りになる人はボランティアで毎日来ている人,そして友人の2人。
 近所の人とは,買物で会うと挨拶する。スーパーで店員に挨拶しておく。顔なじみになっておけば,災害時など不在をアピールできる。隣に聴覚障害者が住んでいる。s=2,d=2.6。
 友人は多数いる。会ったり,電話で話したり。年賀状は,パソコンのプリントアウトが非常に時間がかかるため25人に絞っている。s=2,d=3。
 偏見等について。受け入れは割合良いと感じられる。スーパーなど10軒のうち4軒に車椅子用のレジがある。行政的には対応が速いので満足している。s=2

■注

★01 1993年度は,療護施設入所者,グループホーム入居者,アパートでの一人暮らし,親との暮らし,配偶者や子どもとの暮らし等,居住形態,同居家族の有無別に各1例づつ計6名を選び,その生活の実態や生活の質及び満足度等について聴き取り調査を行い,第1報(杉原他[1994])でその結果を検討した。
 1994年度は,第1報の検討結果をもとに,療護施設入所者10名,グループホーム入居者10名の計20名の生活について前年度と同様の調査内容で聴き取り調査を行い,第2報(杉原他[1995])で2つの住まい方の特性の検討を行った。
 1995年度は,一人暮らしの脳性まひ者10名に同様の訪問聴き取り調査を行った。療護施設,グループホーム,そしてアパート等での一人暮らしの3つ住まい方の比較検討を行い,第3報(杉原他[1996])として報告した。
★02 [設置までの経緯]療護施設は,身体障害者更生援護施設の一種であり,身体障害者福祉法には「身体障害者療護施設は,身体障害者であって常時の介護を必要とするものを入所させて,療養及び養護を行う施設とする」とある。施設の種別としては,訓練施設,作業施設,利用施設と並び「生活施設」に区分される。
 若干設置までの経緯にふれると,昭和47年に身体障害者福祉法の一部が改正され,重度の身体障害者の生活施設として療護施設が設立された。それまで更生援護施設は,機能の改善が期待でき,かつ社会復帰の可能性のある障害者に対する更生訓練,職業訓練を一定期間行うためのものであった。従って,重度の身体障害者の生活は,家族の手によってのみ支えられてきたといっても過言ではない状況であった。このような家庭で生活している重度身体障害者に対しての福祉施策が大きな課題となり,そのひとつとして具体化されたのが療護施設の設置であった。
 [療護施設の現状と課題]昭和47年に創設された療護施設は,平成6年4月現在では240 ヶ所の施設が全国に設置され,定員は約15,000人である。また,全国の療護施設の待機者は約4,000 人と推定されている。脳性まひ者についてみてみると,「全国身体障害者施設協議会・全療協部会」の実態調査(平成6年2月発行)では,起因疾患別入所者の割合として脳性まひ者は42%,脳性まひ者の年齢構成は30〜39歳が26%,40〜50歳が24%,50〜60歳が21%,30歳未満が21%と報告されている。
 一般的な基準として,利用者と職員との比率は,入所者 2.5名に対して1名の比率と定められている。国の基準によれば,50名の療護施設の場合,職員総数はおよそ20数名となる。措置費は,主に人件費,管理費が含まれる事務費と,入所者の生活費( 処遇費)である事業費に大きく分けられるが,一人あたりの月額は,事務費が278,200 円,事業費が56,110円となっている。国基準の措置費に各自治体の補助金等を加算し運営している施設がほとんどである。(→注13)
 このような現状のなかで,重度身体障害者の生活の安定のための福祉施策として重要な位置を占めており,今後の運営のあり方について検討がなされている(「全国身体障害者施設協議会・全療協部会,療護施設の機能・制度のあり方等基本問題検討委員会」)。今後の課題として,療護施設の本来の対象者とはどのような人であり,そのニーズに応えるためにはどのようなサービスが必要かということを,入所待機者の実態を考慮しながら検討していくことが望まれている。具体的には,療護施設は一人ひとりの生活の場であり,居住環境について,介助等サービスについての配慮に努めること,さらに地域社会に貢献することも期待されておりデイサービス事業などできるだけ地域社会との交流を深める施設も増えている。
 なお,平成6年度に定員30名の療護施設と,定員20名の授産施設或いは福祉ホームを併設した小規模複合施設が予算化されたことは,今後の療護施設のあり方に大きな示唆を与えるものとして注目される。
 一般的な基準として,利用者と職員の比率は,入所者 2.5名に対して1名の比率と定められている。国の基準によれば,50名の療護施設の場合,職員総数はおよそ20数名となる。措置費は,主に人件費,管理費が含まれる事務費と,入所者の生活費(処遇費)である事業費に大きく分けられるが,1人あたりの月額は,事務費が278,200円,事業費が56,110円となっている。各施設の経費については示さなかったが,国基準の措置費に各自治体の補助金等を加算し運営している施設がほとんどであった。(以上林裕信による)
★03 「グループホームとは,4〜5人程度の少人数の障害者が同じ屋根の下で共同で暮らし,数人のスタッフがそれを支えている生活の場である。
 これは,もともとは@:国の制度として以前よりある「精神薄弱者生活寮」をさしていた。これは,本来就労可能な知的障害者が,そこを経過した後に地域の中で生活する場として作られたもので,個々の障害者が独立した生活を営むことが困難であるとの認識から入居者自身の運営ではなく,社会福祉法人による運営となってスタッフが生活を管理する形態となった。今でも,法人格をもつ親の会等で,親の亡い後の収容型施設に代わる生活の場としてこの制度を利用してグループホームが作られている。
 しかし,A:法人格を持たない団体や「精神薄弱者」以外の障害者グループが,独自に一軒家やアパートを借り切って共同生活の場を作る動きが起こってきた。運営はそれらの団体や居住者自身によって行なわれ,より地域に密着した生活が可能となってきたが,スタッフや介助者の人件費が入居者や運営団体の負担となるため経営が困難である。
 そこで自治体に運営費や設備費等の補助を求めて,B:神奈川県,大阪市,横浜市,相模原市,新宿区など自治体が独自に制度化しているグループホームが生まれてきた。ここでは,社会福祉法人以外に,障害者団体,地域住民,社会福祉協議会などで構成された運営委員会が運営することも可能となっており,運営費や設備改善費などの補助がでている。これによって一定程度入居者自身による生活の共同運営管理が可能になってきた。それとともに,障害者に関わる所では,グループホームはそれが入居者の最終的な生活の場として捉えるのではなく,いずれ入居者個々人が独立した生活を持つまでの経過の場,体験の場として捉えられている。」(ヒューマンケア協会地域福祉計画策定委員会[1994:])
 また国の制度としては「身体障害者福祉ホーム」がある。身体障害者福祉法の一部を改正する法律(1984年法律第63号)により,身体障害者更生援護施設に新たに加えられたもので,翌年設置運営要綱「身体障害者福祉ホームの設備及び運営について」(1985年1月22日,各都道府県知事,指定都市市長あて厚生省社会局長通知,社更第5号)が出されている。「身体障害者福祉ホームは,低額な料金で,身体上の障害のため家庭において日常生活を営むのに支障のある身体障害者に対し,その日常生活に適するような居室その他の設備を利用させるとともに,日常生活に必要な便宜を供与する施設とする。」(身体障害者福祉法第30条2)問題点として,定員が多いこと(当初20名以上だったが,1988年に10名以上と変更された),常時の介護,医療を必要とする状態にある者を入居者から除いていること,設置主体は自治体か社会福祉法人でなければならないとしていること,などがあげられる。
 グループホーム(ケア付住宅),福祉ホーム(に関する文献)について立岩[1995a:257-258]。今回の調査にも関連して浜口[1993]。
★04 人的なつながりを利用したり,施設やグループホームに問合せて対象者を決めた。本調査の条件を満たし調査対象者となりうる人は,少なくとも一つの施設,グループホームではそもそもかなり限られており,その全数調査とはいかないまでも,かなりの部分に対して調査を行ったことになる。療護施設,グループホームの内外でかなり活発な活動をしている人が多いという印象をもたれる人があるかと思うが,それは,グループホームについてはそもそもそうした活動の中にグループホームが成立しているものであること,療護施設においては私達が今回調査対象とした層の人達が,入居者の活動の中で活動的な役割を果たさざるを得ない位置にいるという事情による。
★05 質問の内容は以下。
 1.身体状況
 (1) 「障害のようすについておたずねします。」
 ・「移動(屋内・屋外など)はどうですか。」
 ・「コミュニケーションはどうですか。」
 ・「身辺処理(身のまわりの扱い)はどうですか。」
 ・「障害に関係して医療を受けていますか、あるいは受けたことがありますか。」
  「これについてどのように感じて(思って)いますか」
 2.介助について
 (1) 「必要な介助内容および介助者についておたずねします。」
 ・食事/更衣/排泄/入浴/整容/非常時 について
  介助の度合い 全介助/一部介助
  介助者    親/きょうだい/職員/ヘルパー/ボランティア/その他
 ・自己決定について
  「介助体制・内容を決めるとき自分の意思がどの程度,重視されていますか。」
 ・「呼称についてお聞きします。職員があなたを呼ぶとき: あなたが職員を呼ぶとき」
 (2) 「福祉機器や住宅改造についておたずねします。」
 「実際にお使いの福祉機器についておうかがいします。」
 ・「何をお使いですか。」
 ・「それによって生活しやすくなったことはありますか。」
 ・「それを導入したのはいつですか。」
 ・「それは公費ですか自費ですか。」
 「住宅改造はなさいましたか。」
 ・「どこをしたのですか。」
 ・「それによって生活しやすくなったことはありますか。」
 ・「改造したのはいつですか」
 ・「それは公費ですか自費ですか。」
 3.経済的状況について
   「差し支えなければあなたの家計についてお教えください。」
 「毎月の収支はどうなっていますか」
 「主な収入についてお伺いします。
  「おおよその月収はおいくらですか。」
  「主にどこから得ていますか。」
 「最近の平均的な出費についておたずねします。」
  「おおよその出費はおいくらですか。」
  「項目別におおよその額をお教えください。」
 「財産預貯金としてなにかお持ちですか。よろしかったらお教えください。」
 4.住まい
 「あなたのすまいについてお教えください。」
 (1)「住居形態についておたずねします。」
 「あなたの住まいは次のいずれですか(自家,借家,公営住宅,アパート,施設,グル ープホーム)」
 「住まいの間取りはどうなっていますか(屋外移動は要介助でしょうか)。」
 「個人スペースはありますか。」「プライバシーは保護されていますか。」
 「家の住みやすさはいかがですか(物理的条件,日照,風通し,他)」
 (2)「住居の周囲の状況についてお尋ねします(立地条件)。」
 「住んでいらっしゃるところは持ち家ですか。」
 「近所の地図をお教えください。最寄り駅までどうなっていますか。」
 「家の住みやすさはいかがですか(近くにコンビニがあるなどの利便性について)」
 (3)「これまでのお住まいの移り変わりについてお伺いします。」
  (住まいを中心とした生活史をたずねる)
 「今の場所に住んでどれくらいになりますか。これまでの住まいもあわせてお教えくだ さい。」
 (4)「これからの住まい方の展望は?(結婚についてもたずねる)」
 5.健康管理
 「健康管理についておたずねします」
 (1) 健康管理に関すること(かかりつけの医師および病気のときの対応)はいかがです   か。」
 「普段から気持ちよく診てもらえる医者が近くにいますか(内科,歯科,小児科,不要 である,その他)」
 「病気にあってしまったときの対応についておうかがいします。」
  「そのようなことはありましたか。」
  「どのように対応しましたか。」
  「親や身内,友人はきてくれましたか。」
  「今後来てくれるような人はいますか。」
 6.労働・仕事
 「労働や仕事など主たる活動についておうかがいします。」
 (1) 「1週間単位や1年単位で見たときの活動のようすについておうかがいします。」
  「日中の主たる活動はどのようなものですか。」
  「年間の活動についてもお教えください。」
 7.余暇活動(スポーツを含む)
 「余暇やスポーツについておたずねします。」
 (1) 「定期的に参加している余暇やスポーツのグループ・サークルなどはありますか。」
 (2) 「他に余暇として行なっていることはありますか(主として個人的なこと)。」
 8.家族
 「あなたとご家族についておたずねします。」
  「家族構成はどうなっていますか。」
 (1) 「家族関係についておたずねします。」
  「家族のなかで相談する人・頼りになる人はいますか。」
  「親との関係はうまくいっていますか。」
  「親戚との関係はどうですか。」
 (2) 「同居の時と比べて,家族(特に親)との関係は変化がありますか。」
 「あなたにとって,家族以外の人も含めて,いちばん頼りになる人は誰ですか。」
 9.外出・交際
 「外出と交際などのようすについておうかがいします。」
 (1) 「外出などについておたずねします。」
  「よくお出かけになるところはどこですか。」(活動範囲や回数などがわかるように  聞く)
  「ショッピングのときに出かけられるのはどこですか。」(活動範囲や回数などがわ  かるように聞く)
 (2) 「近所付き合いについておたずねします。」
  「どの程度のお付き合いをしていますか。」(町内会参加,掃除,ゴミ出し,挨拶く  らい,もののやりもらい,名前も知らない,等々)
 (3) 「お友達についておたずねします。」
  「何人くらいいますか。」
  「どの程度のお付き合いをしていますか。」
  「施設・グループホーム以外の友人は。」
 10.街での生活
 「あなたの街での住みやすさや住みにくさについておたずねします。」
 (1) 「道路や建物などのようすはいかがですか。」
 (2) 「偏見や仲間外れなどを感じるときがありますか。」
   「この街であなたが良く受け入れられている場面がありましたら,具体的にお教え   ください。」
 項目の重み付け
 「今までおうかがいした項目を振り返ってみて,お答えください。
 (1) 「これまでにあげた項目のなかで,あなたが満足している項目について,3つだけ   選び,〇をつけてください。」
 (2) 「不満に思っている項目について,3つだけ選び,×をつけてください。」
 (3) 「これまでにあげた項目のなかで,あなたが,生活や人生を充実させるために必要   だと思うことを,3つだけ選び,◎をつけてください。」
★06 本報告書では介助等に関わる制度について詳しく紹介,説明することができない。ホームページ<生命・人間・社会>(仮称)http://itass01.shinshu-u.ac.jp:76/TATEIWA/1.HTMから情報を提供する。また自立生活情報センター編[1996]が詳しく,またこの本出版以降の情報は,全国障害者介護保障協議会/障害者自立生活・介護制度相談センターの『全国障害者介護制度情報』各号に掲載されている。この機関誌に掲載されている情報の一部も上記のホームページで読むことができる。また協議会/センターのホームページもある(http://www.top.or.jp/~pp)。
★07 自立生活センター,その全国組織である「全国自立生活センター協議会(JIL)」については立岩[1995b]。1997年11月現在の加盟団体数は73。これらの組織についての情報も,http://itass01.shinshu-u.ac.jp:76/TATEIWA/1.HTMで提供している。
★08 「第20条 市町村は,身体障害者から申請があつたときは,盲人安全つえ,補聴器,義肢,装具,車いすその他厚生大臣が定める補装具を交付し,若しくは修理し,又はこれに代えて補装具の購入若しくは修理に要する費用を支給することができる。
(2) 前項の規定による費用の支給は,補装具の交付又は修理が困難であると認められる場合に限り,行うことができる。
(3) 第一項に規定する補装具の交付又は修理は,補装具の製作若しくは修理を業とする者(以下「業者」という。)に委託して行い,又は市町村が自ら行うものとする。
第21条 前条第三項の規定により補装具の交付又は修理の委託を受けた業者が市町村に対して請求することができる報酬の額の基準は,厚生大臣が定める。
第21条の2 第20条第1項の規定により支給する費用の額は,前条の規定により業者が請求することができる報酬の例により算定した額とする。但し,当該身体障害者又はその扶養義務者に費用の負担能力があるときは,その負担能力に応じ,これを減額することができる。」(身体障害者福祉法)
★09 給付の品目として,電動歯ブラシ,ワードプロセッサー,携帯用会話補助装置,等。貸与の品目として,福祉電話,ミニファックス,緊急通報装置,等。
★10 立岩[1995a:247-248,261-262]に簡単に,自立生活情報センター編[1996:20,24-39]により詳しく記されている。注06に記した情報源も利用されたい。
★11 立岩[1995a:249-251,263-264]に簡単に,自立生活情報センター編[1996:61-95]により詳しく記されている。注06に記した情報源も利用されたい。
★12 立岩[1995a:247-249,262-263]に簡単に,自立生活情報センター編[1996:98-120]により詳しく記されている。後者には障害者が関係する生活保護制度全般についての情報もある。注06に記した情報源も利用されたい。
★13 N4の年間予算は,措置費総額(→注02)に自治体の上積み分を加えて約8億円。これを1人当たりの月額に計算すると約 133万円になる(自立生活センター問題研究委員会編[1994:36],立岩[1995a:264])。
★14 1991年に発足した自立生活センターで,全国自立生活センター協議会(JIL)正会員(→注07)。立岩[1995b:277-278] 等。1996年度には「身体障害者ケアガイドライン試行事業」を東京都立川市から委託された行った。その報告書として自立生活センター・立川[1997b],また高橋・圓山[1997]。他に自立生活センター・立川[1997a]等。1997年10月からは「市町村障害者生活支援事業」(→注23)も立川市から委託されて行っている。
★15 「第一若駒の家」はJIL準会員,「わかこま・自立生活情報室」はJIL未来会員。後者は特に交通アクセス関係の情報を豊富にもっており,機関誌『Silk Road』 等でその提供活動を行っている。
★16 1986年に発足した自立生活センターで,全国自立生活センター協議会(JIL)正会員(→注07)。立岩[1995b:268-277] 等。1997年10月から「市町村障害者生活支援事業」(→注23)を東京都八王子市から委託されて行っている。
★17 自立生活センター・立川(→注14)が,1997年度からこうしたサポート・システムを試験的に導入している。
★18 『身体障害者ケアガイドライン』(厚生省社会・援護局更生課;日本障害者リハビリテーション協会[1996])等における「保健・医療・福祉のサービス」の「総合的な提供」のための「各種専門職のチームアプローチ」による「ケアマネジメント」という論理の問題点については,ヒューマンケア協会ケアマネジメント研究委員会[1998:68-70]。
★19 「養護学校で,施設で,親の家で…長く隔離された生活を送ってきた障害者が,いきなり地域で暮らそうとしても何をどうしたらよいかわかりません。家を探す,食事を作る,外出する,金銭の管理をする,介助者を使う等々自立生活に必要な地域と技術を身につけるための,障害者リーダーによる研修会が,自立生活プログラムです。週1回ずつで3カ月で修了するコースが一般的です」(『I.L.EXPRESS 自立情報発信基地』,1997-7:16,全国自立生活センター協議会)。
 「個別プログラム 当センターの自立生活体験室にて実際の自立生活のイメージに近い体験を行う。一人暮らしとはどのようなものかとか介助者を雇い使うプログラムや勺博プログラムなどを行う。自立生活を行っている者を対象に年2回の特別サポートグループのプログラムを試みる。期間:年間不定期。場所:自立生活体験室。予定人数:長期3名,短期80名。」(「自立生活センター・立川 '96年度計画書」)その利用の実際について,例えばIi(p.141)。
★20 療護施設における自治会活動については高山[1994]。「療護施設自治会全国ネットワーク」が結成されて,居住者の権利擁護のための活動を行っている(事務局:204 東京都清瀬市竹丘3-1-72東京都清瀬療護園 tel:0424-93-3235(代表))。機関誌『あした』。オンブズマン制度の導入や人権擁護委員会の設置についての報告(太田[1997],成田[1997])等も掲載されている。
★21 建設省建設政策研究センターによる試算によれば,1990年から2025年までに現在価
格で総額 8.2兆円の投資を高齢者住宅の整備に投入した場合,2倍強の19.7兆円の経済効果が現われ,純便益として10.5兆円が見込まれるという(建設省建設政策研究センター[1993],他に京極[1992]の研究がある。また,これらの紹介として竹下[1993]。この文章と建設省の試算の抜粋を掲載した『月刊福祉』76-12(1993-10)。)
★22 ヒューマンケア協会ケアマネジメント研究委員会[1998:18-19,24-36,123-125,128-131]に,イギリス,カナダ・オンタリオ州における直接給付制度についての紹介がある。★23 障害者を主体とする組織では,1996年10月から「自立生活センター・立川」「町田ヒューマンネットワーク」「ヒューマンケア協会」,その後1997年度から「自立生活センターHANS世田谷」「上田地域身体障害者自立生活支援センター」(長野県上田市)「船橋障害者自立生活センター」(千葉県船橋市),計6つの団体が委託されてこの事業を行っている。要綱の全文はヒューマンケア協会ケアマネジメント研究委員会[1998:114-116],またホームページ<生命・人間・社会>(→注06)に掲載されている。上記の研究委員会の報告書では,各市町村がこの事業を自立生活センターに積極的に委託し,「ケアコンサルタント・モデル」に基づいた支援活動を自立生活センターが行うことが望ましいという提言がなされている。また,1997年には1996年度に委託された3つの組織が中心となって「市町村障害者生活支援事業全国連絡協議会」が発足し,1997年10月に第1回の職員研修会が 101名の参加をえて開催された。
★24 以下,1997年7月のインタビューを再録する。
「Q:今年(1997年)の一月から自立生活を始めて約半年経ったわけですが,生活には慣れましたか。
A:はい。生活のパターンがだんだんわかってきました。それから,介助の人とうまくやっていけるかというのが,不安だったけど,それもうまくいっています。
Q:N4にはどれくらいいたのですか。
A:約20年間いました。
Q:自立生活を考え始めたきっかけは?
A:N4の仲間が積極的に施設を出て,自立生活を実現させていく姿を見るうちに,私も出来るかなあと思い始めました。
Q:〇〇さんは,以前からILプログラムを受けたり,自立生活を体験したりと,自立にはかなり積極的だったと思うのですが,いよいよ本格的に準備を始めることになった時はどんな気持でした?
A:夢みたいで信じられませんでした。
Q:自立の準備をしていて大変だったことは?
A:施設の職員や家族を説得するのが大変だったけど,最終的には「自立したい」っていう気持ちをわかってもらえたので良かったです。
Q:アパート探しはどうでしたか?
A:部屋の入り口が狭くて入れなかったり,段差があったりして大変でした。それから,家賃の高い所と安い所があって驚きました。
A:今の部屋は気にいっています。
Q:実際に生活を始めてみて,大変なことは何ですか?
A:介助の人の顔と名前を覚えること。それから,食事のことで言えば,自分の食べたい物を介助の人に伝える事と,おかずの栄養のバランスを考えるのが難しいです。
Q:介助者とのコミュニケーションはどうですか?
A:介助に来てくれる人は,みんな施設の職員より話し方が優しい。それから逆にやりにくいと思うのは,私自身がまだ生活に慣れていない部分があるのと,介助者との性格の違いがあるから,私のやり方を押しつけてしまっているかなぁと思う時がある。
Q:自立生活を始めてよかったことは?
A:まわりの人にじゃまされないこと。時間の余裕があること。今は,その時間をどういう風に使ったらいいかを考えています。
Q:やってみたいことは?
A:ワープロ。総合福祉センターからワープロを借りてきて,自立生活の感想等を打って練習しています。それから編み物で手芸もやってみたい。あとは花を育てるのが好きで,今も元気で育っているので,介助者の人と一緒に手入れをしていこうと思っています。
Q:今一番のお楽しみは?
A:8月の末にN4で自立のお祝いをしてくれるというので,それがとても楽しみです。」(『CILたちかわ通信』42(1997.08):3)
★25 脳性まひ者の組織。1970年代,神奈川などを発信地に広がっていくその活動については立岩[1990],[1998],及びそこにあげた文献を参照のこと。この地域の青い芝の会は,また少し異なった特徴をも有する組織となって,地域での活動を続けている。
★26 毎年秋,「DPI(障害者インターナショナル)日本会議」等が中心となって全国各地でいっせいに行われる,交通機関へのアクセシビリティの改善を求めて行われる行動。
★27 このグループホームを運営する団体に属する人が他にもいくつかの場を借りて暮しており,これらもまたグループホーム(のグループの一部)と位置づけられている。以下,民間の賃貸住宅に夫婦で住んでいる2人(G6c,G6d),賃貸マンションに住んでいる1人について,G6c,G6dとは異なる部分もかなりあるので,簡単に報告する。
 【G6c 女性・42歳】
 不自由ではあるが歩ける。少し言語障害。聞き取りは非常に容易。障害についてs=2。
 日常のことは大体できる。重いものを移動する時など,職員に頼む。調理はほとんどしない,出来合いの惣菜などを買ってくる。呼ばれる時は〇〇さん,呼ぶ時は△△さん,先生。s=3,d=3。不満はない。
 医療について特に不満はないが,障害のためにかかれる医者が限られるというのはある。
s=2
 使っている機器としてはウォシュレット。3年前に全額公費(市)で。便利。改造はウォシュレット以外なし。s=3,d=2
 障害基礎年金1級で暮らす。住居費は2人で4万。s=2,d=3。
 平屋建ての住宅に住んでいる。間取りは6畳+4.5畳(板間)+K(約3畳)。個人スペースはあり,プライバシーは保たれている。玄関が東向きで日照はあまりよくない。s=3,d=3。毎日買物で行くスーパーまで歩いて20分。
 火曜から土曜は10時から16時まで作業所。粘土や焼き板をやりたい。前の作業所ではやった(粘土,やきいた,おりき,とんかち)が,今は機械とかないからできない(→満足度)。日曜は教会で礼拝,月曜は談話がある。年間行事としては〇〇協会のキャンプが春と夏に,運動会が10月,クリスマス会が12月,他に1泊研修。s=1.5,d=0。
 趣味のグループ活動はなし。したいことがあってもできるかどうか。s=0。個人の趣味の活動もなし。s=1。
 外出は作業所への行き来。日曜は教会。障害者スポーツセンターに2〜3月に1。買物を日に1度。s=1。
 アクセス。雨が降った時など砂利道に足をとられる。s=1
 父は1992年に死去。母は1989年に死去。兄がいる。相談は(存命中)母,そして兄に。親・兄との関係については満足している。親戚との関係はあまりない。変化:親にしてもらっていたのが自分でやらなくてはならない。それが当たり前。家族についてs=3。頼りにする人は夫,次に△△先生。これまでの経緯についてd=0→d=3(結婚の前後で)
 友人は7人くらい。グループホーム外では同級生。ただあまりつきあいはない。s=2。d=3。
 近所づきあいはない。町内会費は払っている。隣の人もあまり話してこない(昼間いない)。s=1。偏見は感じない。挨拶される。s=3
 これからのこと。今の生活を続けていきたい。
 【G6d・男性・40歳】
 不自由ではあるが歩ける。言語障害はかなり重く,妻が手伝う。筆記の場合もある。障害についてs=0→2。年金をもらえるまでは経済的に自立できなかったので。
 食事・更衣について部分介助。妻が介助する。呼ばれる時は〇〇さん(姓)。呼ぶ時は〇〇さん,先生。s=3,d=3。不満はない。
 整形外科にかかっている。バスで30分,週1(そこしか知らない,ここから△△病院に紹介)。△△病院に2週に1回行く。歩き+バスで。脳腫瘍で2か月入院したことがある。この時は妻が毎日のように病院に来た。〇〇先生もよく来てくれた。弟はほとんど来なかった。医療についてs=2
 機器・改造についてはG6cと同じ。s=3,d=2
 収入は障害基礎年金1級+特別障害者手当。s=1,d=3。
 G6cと結婚して今の住宅に同居。プライバシーはある。s=3,d=3
 火曜から土曜の10時から16時は作業所。作業所関係のワープロ仕事もする。日曜は教会で礼拝,月曜は談話。〇〇協会のキャンプが春と夏,運動会が10月,クリスマス会が12月に,他に1泊研修。s=1.5,d=0。
 趣味のグループ活動。〇〇協会での活動の他はなし。s=0
 趣味。将棋が好きだが相手がいない。s=1。
 外出は作業所。日曜に教会。障害者スポーツセンター2〜3月に1。s=1
 アクセスについて。雨が降った時など砂利道に足をとられる。s=1。
 31歳まで親と同居していた。家族(特に母)は強硬に結婚に反対した。〇〇先生に相談した。結婚と同時に現在の住居へ。d=0→d=3(結婚・同居の前後で)
 父は18年前に死去し,母は一人暮らし。2人の兄はそれぞれ結婚して別居している。相談事を家族にすることはほとんどない。おじさん(母の弟)に少しするくらい。親との関係はまったくなし。兄との関係には満足。親戚との関係は少し(母の弟…親よりも)。同居していた時は結婚に反対されて敵だった。頼りになる人は妻,次に〇〇先生。家族についてs=3(現在の家族=夫妻に関して)。
 友人は7人くらい。s=2,d=3。近所づきないはない。町内会費は払っている。隣の人もあまり話してこない(昼間いない)。s=1。
 偏見は感じない。挨拶される。s=3
 これからのこと。今の生活を続けていきたい。
 【G6e・男性・33歳】
 室内は歩ける。外出は電動三輪車。少し言語障害があるが聞き取りは容易。緊張するとうまくしゃべれないとのこと。ときたま自分がしたいことができなくて腹がたつ(以前より障害の度合が重くなったので)。d=1。
 食事(調理)・更衣・排泄について部分介助。介助者は職員(2名)+ボランティア。生活保護の他人介護加算を全額使って職員に払っている。他人介護加算のことは〇〇先生と相談して決定。呼ばれる時は△△さん,△△くん(姓)。呼ぶ時は,〇〇さん,先生。s=2,d=3。
 24歳から25歳の時に1年入院した。そのあと通院。家族に迷惑をかけた。医療についてs=1
 使用している機器は電動三輪車。2年前くらいに全額公費で導入した。便利。改造は,2年前くらい前に全額公費(市)で,風呂に手すりをつけ,ウォシュレットを導入。自分で〇〇先生に言った。便利。s=2,d=2
 生計について。生活保護を受給し,他人介護加算もとっている。計約22万円。うち住居費64000円。貯金はできない(お金が残らない,また生活保護法の規定からも)。s=0,d=3。
 鉄筋4Fの賃貸マンションの1階に住んでいる。6畳+4.5畳+K。プライバシーは保たれている。日当たりが悪いせいかあるのか狭く感じる(隣の建物との距離がない)。s=2,d=3。
 周囲については遊ぶところがないのが不満。
 火曜から土曜の10時から16時まで作業所でなんとなく与えられた仕事をしている。日曜は教会で礼拝。月曜は別のグループホームでビデオ観賞会を企画してやっている(キリスト教関係など)。〇〇協会の行事としてキャンプが春と夏,運動会が10月,クリスマス会が12月,1泊研修。s=1,d=1
 趣味のグループ活動。〇〇協会の年間活動。s=1
 個人としての余暇。友人とカラオケ。s=2,d=3
 アクセスについて。バス・電車は使わない。電動三輪車で往復3時間かけて行く。不満は階段,エレベーターがないこと,リフト付バスも便利でない。s=0。
 外出は作業所。カラオケに月1回程度。買物は2〜3日に1回,ダイエーなど。s=1
(金がない)
 在宅の時も好きにやっていた(d=3)。自分でどこまでやれるか試したかった。d=3。父は27歳の時に死去。兄が結婚して母親と同居している。弟もいる。母に相談することはある。親,きょうだい,親戚との関係はうまくいっている。家族との関係の変化は別にない。s=2。一番頼りになるのは△△先生。
 友人は高校時代(普通学校,小・中は養護学校)の同級生。電話をかけて,会って話をする。s=2,d=3
 近所づきあいは挨拶程度。町内会には入っているが出ていない。s=1.5(あんなもんだ)。偏見を感じることは今はない。小さい時にはいじめられた。s=2
 (近い将来)結婚しようと思っている。
★28 「自立生活支援センター・ピア大阪」。初期の活動の紹介として,立岩[1995c]。1997年に全国自立生活センター協議会(JIL)に加盟(未来会員)。
★29 cf.ヒューマンケア協会[1992]。「ピア・カウンセリング(Peer Counseling) のピアは「仲間」,同じものを共有する人を意味する。障害者のピア・カウンセリングとは,障害を持つ人に対して同じく障害を持つ人が行うカウンセリングであり,体系的なかたちでは,1988年にヒューマンケア協会が主催した「第一回ピア・カウンセリング集中講座」によって初めてわが国に紹介された。」(ヒューマンケア協会[1992:1])。立岩[1995b:297-301]でも少し触れている。
★30 前身となった団体は1977年に発足。自立生活問題研究委員会他[1994:9-12],等。
★31 全国自立生活センター協議会正会員の自立生活センター。1996年10月から「市町村障害者生活支援事業」を東京都町田市から委託されて行っている。
★32 ただ状況は変わってきている(以下は,注06に紹介した障害者自立生活・介護制度相談センターからの情報。その機関誌,ホームページにはこのような情報が数多く掲載されている)。
 今までは,生計同一者に運転免許を持つものがいない場合,または,本人が運転できない場合は,生活保護世帯は車の保有ができなかったが,1997年度より,一人暮らしの運転できない障害者も,車の保有ができるようになった。この改正は,自動車税が非課税になったことに伴うもの。「車の利用は,「常時介護者」が障害者の保有する車の運転をして,通学,通院,通所等のために車を使う場合に限られる」(1997年度の厚生省保護課の「生活保護実施要領等」の冊子,「常時介護者」とは,週3回以上,通勤,通学,通院,通所等のために,障害者の介護(運転)をする介護者)。
 「第3 資産の活用
問 (第3の12)身体障害(児)者については通勤用の場合の他にも自動車の保有を認 めてよいか。
答 身体障害(児)者が通院,通所及び通学(以下「通院等」という。)のために自動車 を必要とする場合で,次のいずれにも該当し,かつその保有が社会的に適当と認められ るときは,次官通達第3の5にいう「社会通念上処分させることを適当としないもの」 としてその保有を認めて差しつかえない。ただし,当分の間,あらかじめ都道府県知事 の承認を得るものとする。
  なお,次のいずれかの要件に該当しない場合であっても,その保有を認めることが真 に必要であるとする特段の事情があるときは,その保有の容認につき事前に本職に協議 するものとする。
 (1)身体障害(児)者の通院等のために定期的に自動車が利用されることが明らかな 場合であること。
 (2)当該者の身体状況(下肢,体幹の機能障害,内部障害等により歩行に若しい障害 を有すること)又は精神薄弱,精神障害により利用し得る公共交通機関が全くないか又 は公共交通機関を利用することが著しく困難であり,自動車による以外に通院等を行う ことがきわめて困難であることが明らかに認められること。
 (3)自動車の処分価値が小さく又は構造上身体障害者用に改造してあるものであって, 通院等に必要最小限のもの(排気量がおおむね2,000cc以下)であること。
 (4)自動車の維持に要する費用が他からの援助(維持費に充てることを特定したもの に限る」,他施策の活用等により,確実にまかなわれる見通しがあること。
 (5)身体障害者自身が運転する場合又はもっばら身体障害(児)者の通院等のために 生計同一者もしくは常時介護者が運転する場合であること。」
 (平成9年度厚生省保護課「生活保護実施要領等」より。(2)の「又は精神薄弱,精神障害により」,(5)の「もしくは常時介護者」の部分が,改定された部分。)
 自動車税非課税の範囲(対象者の詳しい定義や障害の等級の範囲など)は,「平成9年3月27日障125号部長通知」「平成9年3月27日障企126号課長通知」に詳しく書かれている。
 生活保護の別冊問答集の改正で,以下の項目が新設。
(問)[公共交通機関の利用が著しく困難な精神障害,精神薄弱の程度]
    課第3の12にいう「精神薄弱,精神障害により公共交通機関の利用が著しく困    難であること」とは,どのようなものが対象となるのか。
(答) 主に,精神薄弱における多動,精神障害におけるてんかんが該当すると考えられ    る。

■文献(著者・編者の50音順)

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京極 高宣  1992 「高齢者住宅の費用効果分析」,『高齢化社会の経済政策』,東京大学出版会
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立岩 真也
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