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自己決定する自立

―なにより、でないが、とても、大切なもの―
立岩 真也 1999/03/31
石川准・長瀬修編『障害学への招待』明石書店


 皆それぞれ、自らの立場を背負ってものを語る。教育を仕事にする人の教育学、看護を仕事にする人の看護学、福祉を仕事にする人の福祉学。それはそれで仕方がない。ただ、それ以外の「学」が成立しえないのではない。さしあたり――あくまで、さしあたり――利害から離れて調べること、ゆっくり考えることが障害学ができることだと思う。★01
 この章では「自立」について、本来なら各々独立した文章に分けるべき二つのことを書く。まず歴史的事実についての間違いを正しておく。次に、自立、自己決定について確認すべきことを確認する。

■■I 抹消された歴史について

■1 あったことが忘れられる
■2 どのように抹消されたのか

■■II なにより、でないが、とても、大切なもの

■1 ためらいがあったこと
■2 なにより、ではない
■3 が、とても大切なもの
■4 自立することを教える?

■注

★01 障害とは、できないことであり、異なることであるなら、これらを考えることは社会の基本的な部分を考えることであり、重要なことだと思う。にもかかわらず、そういう仕事があまりないことに不満だった。だから本を書いた。こうして立岩[1997b]は「障害学」の本でもある(この本と、障害(学)との関わりについては立岩[1998b])。
 考えることの一つに「是非」について考えることがある。「ディベイト風」のTV番組の惨憺たる状況を見ていると、こうした問いを立てることは時に趣味の悪いことであるかもしれず、また答え方を間違えると趣味が悪いどころではすまない。しかしいつでもそうではないし、考えないと仕方のないこともある。例えば、「パラリンピックはよくない」という主張。(私は、「いいえ」と答える。ただし、これは「公的資金」を使ってよいかといった問題とは別である。関連して、パラリンピックはミス・コンテストと同じか、その前にミス・コンテストは批判しうるのか、その根拠は何かといった問いが続く。)あるいは「脳死者の問題は障害者の問題である」という主張。(私はすぐに「はい」とは答えない。cf.立岩[1997b:212](注17)にあげた文献。)
 そして「障害は(肯定的な)個性である」という主張をどう考えるか。これは、一つに早期発見・早期治療という主張と実践に投げかけられた疑問、批判に関わる。(文献として日本臨床心理学会編[1987]。ただしこの本ではかなり主題が広げられ拡散しており、固有の問題はむしろ学会誌『臨床心理学研究』を舞台に論議された。)一つには原発に反対する根拠として障害児の生まれることが言われた時になされた批判に関わる(立岩[1997b:438](注21)に挙げた文献の他、千田[1989])。これらの批判に対し「直る場合にも直してはならないと言うのか」、「(死や病でなく)障害だけを生じさせる技術だったらそれは肯定されるのか」という反批判がなされる(cf.立岩[1997b:436-437](注17・18)に引いた文章・文献)。
 最初このことを考えようと思っていた。概要は以下。第一に、「文化」「個性」として「肯定」しようとする営みが「罠」として作用することがある(岡原・立岩[1990:162-163]、石川[1992]、そして立岩[1997b:437ー438](注19)とそこに挙げた文献)。けれど第二に、それでもなお、障害があってよい、あった方がよいと言える場合がある。(ただ、このことをおおまかに言うことはできるがそうするとつまらなくなり、詳しく論じようとすると考えるべきこと書くべきことは多岐に渡り、分量も多くなってしまう。それで断念した。別の機会にとっておくことにする。)第三に、第二点と障害が社会的不利(ハンディキャップ)としてこの社会に現われることは完全に両立する。例えば、インペアンメント(機能・形態障害)としての聴覚障害があることで手話の世界を獲得することができそれはよいことなのだが、他方でそれは、日本語しかわからない私が米国にいたら不便なのと同様、社会的不利として現われることがある。第四に、それでも障害はない方がよいことがあることは否定できない。第五に、しかしそれはいつでも障害をなくすことがよいことを意味しない。多くの場合に「計算間違い」がある。「よくする」のために支払うもの、失うもの、別の手段によって得られるもの、等々のいくつかを、特に「よくする」仕事に従事する人は計算に入れていないのである。
 「障害個性論」に対しては豊田の批判がある(豊田[1996][1998])。第一に、損傷−障害を気にしないでおこう、特別なものと考えないようにしようという文脈で語られる時、それが社会的不利に結びつくこと、その機制を無視している、無視すべきでないという豊田の指摘は当たっている。第二に、プラスの個性でありうるのかという問いについて。ここでは、議論がすれちがっているように思う。障害が不利益をもたらすと同時に、積極的な価値をもちうる場合があり、この時、両者は両立する。
★02 米国の動きのごく簡略な紹介として立岩[1990a:72-74]、文献については立岩[1990a:73](注18)。本稿で紹介、引用できる文章はごく限られたものである。日本、外国の、辞典、書籍、機関誌における様々な「自立」「自立生活」「自己決定」についての解説、説明、議論をホームページhttp://itass01.shinshu-u.ac.jp:76/TATEIWA/1.HTMで見ることができる(「50音順索引」→「自立」・「自己決定」)。
★03 三ツ木[1989:133]によれば、日本に自立生活(運動)を紹介した最初の文章は丸山[1977]。リハビリテーション法に関わる座り込み行動、サンフランシスコでその中核を担ったバークレーの自立生活センター(CIL)の活動に触れている。
★04 府中療育センター移転阻止闘争については立岩[1990b:179-183]。後で文章を引用する新田絹子(後に三井絹子)はこのセンターで暮らし、闘争を経て、センターを出て暮らし始めた一人。青い芝の会については立岩[1990b:174ff][1998b]、全障連については立岩[1990b:186ff]。
★05 「アメリカのIL運動は、一部わが国の脳性麻痺者の団体「青い芝の会」などの主張と重なるところもあるが、相当異なるところもあるようである。」(砂原[1980→1983:20])言及はこれだけである。どこが「相当異なる」のかは明らかにされていない。
★06 立岩[1990b:208-210]。紹介される組織、組織の活動の「偏り」は一九九〇年代にも引き継がれる。立岩[1990b]は、紹介されがちな活動、除外されがちな活動の双方を追い、その分岐、相違点について、いちおう、検討している。
★07 立岩[1995]。他にホーページ(→注02、「索引」→「自立生活センター」)からも情報を得られる。この活動が、いくつかの地域で、一九八〇年代後半以降可能になったのは、注06で「除外されがちな活動」と記したその一部の徹底的した「金とり主義」が一定の成果を一部地域であげていたからである。そこに、当事者によるサービス提供というアイデア、米国のNPOの組織論(cf.千葉大学文学部社会学研究室[1996])が加わり、さらに日本の「民間在宅福祉団体」の方法論がとりいれられた。これを私は「二つの流れが合流するところに現われてくる」(立岩[1995:276]と記した。
★08 なんでも自己決定と言っていればそれで片がつくと思っている。だがそんなことは、もちろんない。
 「自己決定」に対して表明された疑念の第一は、「それでは自己決定できない人はどうなるのだ、救われないではないか」というものである。もちろん、重度の知的障害者が念頭に置かれているのだが、それにとどまらない。(例えば自己決定を)「教える」時、既に「自己決定」からはみ出した部分がある。だからそれは、「教える」ということをどう考えるのかという問題でもある。本章の最後はこのことが念頭に置かれて書かれている。
 そして、自分のことは自分で決める、という時のその「自分で決められる自分のこと」とは何なのかが問題である。自分が決める時の、自分の手持ち分は何か。自分で働いた分について自分で決定できる(これが私達の社会の基本的なきまりである)というのであれば、それは、自分で稼げない者にとって言葉通りの意味で「命とり」になる。また自分をとり巻く状況が問題である。何が賭けられているのか、何が天秤に乗っているのか。これを無視して、自己決定を肯定する者達は、患者の自己決定権がなぜ主張されねばならないか、「同時に」、死の自己決定とされる安楽死をなぜ簡単に認めるわけにいかないのか、これらのことを理解することがない。 立岩[1997b]の全体がこれらについて考えた。第4章3節の題は「自己決定」。そこでの考察を受けて、安楽死について、立岩[1998a][1998c]で検討している。
★09 私達は「自立生活」についての本(安積他[1990][1995])を書いたのだったし、私は「自立生活センター」の活動に少しばかりかかわってきた(関係した報告書として、ヒューマンケア協会[1992]、ヒューマンケア協会地域福祉計画策定委員会[1994]、ヒューマンケア協会ケアマネジメント研究委員会[1998])。しかし「自立(生活)」という語は本の題には使っていない。「家出」をすること、施設から出て暮らすこと、つまり何かから「逃れる」ということ自体に積極的な意味を見ていたし、何か積極的な「人生の目的」を示すことに抵抗感があった。もっと簡単に言えば「自立生活」という言葉がしっくりこなかった。そしてこの本の全体が、様々なためらいや試行錯誤を追っている。
★10 注02に記したホームページに再録している。
★11 このような信仰がどうやって生じたのか、あるいはどのように信じられるようになってしまっているのか。これについては立岩[1997b]の第2章、第6章2節。
★12 次のような疑問が生じるだろう。「全てが他者であり、他者の存在を認めるべきだと言うなら、それはその全てのものを無差別に扱うべきであることを示すことになるではないか。」(立岩[1997b:174])。この問いについては立岩[1997b]第5章で考えた。
★13 このことが当事者による運動が主張されてきたことに関わる。当事者がその生活について一番よくわかるのだから、その人達が主張する、あるいはその人達が同じ範疇の人達の生活を支援するのだということである。
 「当事者運動主義」に対して豊田[1995][1998]の批判がある。問題が社会の中に現われ、社会の中で解決されなければならない以上、広範な人々の参加を得て運動は行なわれねばならないというという指摘である。これは当然の主張である。だがそれは当事者運動を否定するものではない。
 ただ、例えば肢体障害の人と視覚障害の人、知的障害の人とは、また、肢体障害の人でも、生まれながらの障害のある人と、中途障害の人とは、各々相当異なる部分がある。障害の種別を超えて支援する、連帯するという理念自体は正しいとして、同時に、どこまで個々の障害の個別性をみていくかという問題はある。
★14 今さらのように障害者の自己決定、患者の自己決定が主張されなくてはならないのは、つまりは自己決定が実現されていないのは、彼らの自己決定を受け入れるのが周囲にとって負担であり面倒なことによる(立岩[1997a][1997b:129-131])。
★15 cf.立岩[1997b:74,97]、及びそこに示した文献。
★16 cf.岡原・立岩[1990]、立岩[1995b:292-297]。
★17 なにかというと「文化の違い」が持ち出される。違いがないとは言わない。例えば米国で市民権をめざす運動を展開しようとする時には、やはりあのような主張になるのだろうと思う。けれどそれは、正面から「別に自立なんかどうでもいい」などと言ったらまともに扱われないということなのかもしれない。みんながみんな自立を信じ、実際自立してやってるわけではないのだが、そのことを表立って言うとかっこうがつかない文化があるのだと考えてよいのではないかと思う。
 他方、日本人はもともと「依存心が強い」からインフォームド・コンセントは日本には「馴染まない」といった言い方がある。だが、誰でも(もちろん日本人も)ある程度のことは自分の思うようになってほしいとは思っているはずである。そしてインフォームド・コンセントが必要であるのは、つまりそれがないと自らに不都合なことが起こってしまうのは、どこでも変わらないはずである。と同時に、やはりどこの人も、細かな面倒なことに関わりたくはないとも思う。とすれば、どのように知らせるか、このことも通してどのように権利を確保するかであり,基本的にこれは普遍的な課題である。

■文献(50音順)

 ※のある人名,文献については,ホームページ(注02)に関連情報,文献の全文あるい  は一部が掲載されている。

「青い芝の会」神奈川県連合会※ 1989 『あゆみ 自第1号〜至58号』(3分
          冊), 「青い芝の会」神奈川県連合会
安積 純子※・尾中 文哉※・岡原 正幸※・立岩 真也※ 1990 『生の技法
          ――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』,藤原書店
―――――  1995 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補
          ・改訂版』※,藤原書店
石川 准※  1992 『アイデンティティ・ゲーム――存在証明の社会学』,新評論
岡原 正幸・立岩 真也 1990 「自立の技法」,安積他[1990:147-164]
          →1995 安積他[1995:147-164]
小島 蓉子  1989 「障害者福祉の基本理念」,福祉士養成講座編集委員会編
          『障害者福祉論――社会福祉士養成講座3』,中央法規:3-31
定藤 丈弘※ 1993 「障害者福祉の基本的思想としての自立生活理念」,定藤他
          編[1993:2-21]
定藤 丈弘・岡本 栄一・北野 誠一 編 1993 『自立生活の思想と展望――福
          祉のまちづくりと新しい地域福祉の創造をめざして』,ミネ
          ルヴァ書房
障害者自立生活セミナー実行委員会 編 1983 『障害者の自立生活』,障害者自
          立生活セミナー実行委員会
砂原 茂一  1980 『リハビリテーション』,岩波新書(pp.202-214「問い返さ
          れる理念」が障害者自立生活セミナー実行委員会編[1983:
          15-24]に再録)
千田 好夫  1989 「障害者と反原発」,『共生の理論』12:13-15
立岩 真也  1990a 「「出て暮らす」生活」,安積他[1990:57-74]→安積他
          [1995:57-74]
―――――  1990b 「はやく・ゆっくり――自立生活運動の生成と展開」,安積
          他[1990:165-226]→安積他[1995:165-226]
―――――  1995 「自立生活センターの挑戦」,安積他[1995:267-321]
―――――  1996 「だれが「ケア」を語っているのか」※,『RSW研究会 
          研究会誌』19:3-27
―――――  1997a 「私が決めることの難しさ」,太田省一編『分析・現代社会
          ――制度・身体・物語』※,八千代出版:154-184
―――――  1997b 『私的所有論』※,勁草書房
―――――  1998a 「都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について」,
          『仏教』42
―――――  1998b 「一九七〇年」,『現代思想』26-2(1998-2):216-233
―――――  1999a 「私の死」,大庭健・鷲田清一編『所有のエチカ』,ナカニ
          シヤ出版
―――――  1999b 「パターナリズムも自己決定と同郷でありうる,けれども」
          後藤弘子編『少年非行と子どもたち』,明石書店,
          子どもの人権双書D 千葉大学社会学文学部社会学研究室 1996 『NPOが変える!?――非営利組織
          の社会学』※,千葉大学文学部社会学研究室・日本フィラン
          ソロピー協会
豊田 正弘※ 1995 『当事者運動主義批判における現在的位相――障害者解放運
          動の新たな地平を獲得するために』,障害者解放運動わだち舎
―――――  1996 「「障害個性」論批判」,『わだち』37:14-37
―――――  1998 「当事者幻想論――あるいはマイノリティの運動における共
          同幻想の論理」,『現代思想』26-2(1998-2):100-113
日本臨床心理学会※ 編 1987 『「早期発見・治療」はなぜ問題か』,現代書館
原田 政美  1979 「I.L.のための総合的施策」,『センターだより』53(東京
          都心身障害者センター)→障害者自立生活セミナー実行委員
          会編[1983:9-14]
―――――  1981 「自立生活」,『ジュリスト増刊総合特集』24:353-355→障
          害者自立生活セミナー実行委員会編[1983:56-63]
ヒューマンケア協会※ 1992 『自立生活への鍵――ピア・カウンセリングの研
          究』,ヒューマンケア協会
ヒューマンケア協会地域福祉計画策定委員会 1994 『ニード中心の社会政策――
          自立生活センターが提唱する福祉の構造改革』,ヒューマン
          ケア協会
ヒューマンケア協会ケアマネジメント研究委員会 1998 『障害者当事者が提案す
          る地域ケアシステム――英国コミュニティケアへの当事者の
          挑戦』,ヒューマンケア協会・日本財団
三ツ木 任一※1993 「障害者の自立生活」,三ツ木編『障害者の福祉』,放送大
          学教育振興会,放送大学教材:129-141
―――――  1997 「障害者の社会行動」,三ツ木編『障害者福祉論』,放送大
          学教育振興会,放送大学教材:147-161
横塚 晃一  1975 『母よ! 殺すな』,すずさわ書店
渡辺 鋭氣  1977 『依存からの脱出――「障害者」自立と福祉労働運動』,現
          代書館


REV: 20161031
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