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ケア・マネジメントはイギリスでどう機能しているか

立岩 真也(たていわ しんや) 199801

『ノーマライゼーション 障害者の福祉』18-1(1998-1):74-77
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n198/n198_074.htm


■ケア・マネジメント?
 「公的介護保険」との絡みで「ケア・マネジメント」という言葉がよく聞かれるようになった。どういうニーズがあるのか調べるアセスメントをし、どんなサービスをどう組み合わせて提供するかプランを作る。サービスが提供される。うまくいっているか調べ、直すべきところを直す。これが「ケア・マネジメント」、それを行う人が「ケア・マネージャー」。「障害者福祉」の領域でも導入が検討されている。さて。「人のマネジ」でなく「ケアのマネジ」なのだと言われても、マネジ(管理)されるのはあまりありがたくないのではないか、どうだろう、という研究プロジェクトが日本財団の助成を得て始まった。
 このモデルはイギリスにある。「コミュニティ・ケア」の中にケア・マネジメントが位置づけられている。では調べてこよう。総勢十人でロンドンにでかけた。車椅子を使う人が四人。五〇音順に高橋修さん、中西正司さん、中西由起子さん(通訳を担当、これは特に今回はきつい仕事だった)、山田昭義さん。八月二七日に出発、九月四日に帰ってきた。
 休みは日曜日だけ、他の日はたいてい朝の十時から夕方の五時まで窓もない一室でひたすら話を聞く、ホテルに帰ってミーティング、というなかなかハードな旅だった。話をするイギリス人は皆、質問攻めに会った。日本人の「研修」には、実際には観光旅行に近いおざなりなのが多くて残念、という話を、今回の旅を手伝ってくれた現地の人がしたと聞いた。今回のはそうではなかった。そうではなさすぎたかもしれない。

■イギリスの現状
 お話をうかがったのは、ジョン・キープさん(四〇年間地方自治体で福祉・医療行政に携わり、現在は王立リハビリテーション協会の事務局長、国の予算を使い自治体の社会サービス部門で働く人達に対する訓練プログラムを行っている)、ジェリー・ニューマンさん、ジュディ・ウィルキンソンさん(二人はランベス自立生活センターの所長、マネージャー)、ジェーン・キャンベルさん、フランシス・ハスラーさん(ともに全国自立生活センター協議会共同ディレクター、このセンターは日本の全国自立生活センター協議会のような各地の自立生活センター=CILの協議機関ではなく、政府から支給される介助料を使い介助者を利用者が雇用する「直接給付」――九六年に法律化された――を全国に広げる活動を国からの資金提供を受けて行っている)、ビック・フィンケルステインさん(通信制の大学オープン・ユニバーシティの教授、元DPI世界評議員、WHOによる障害の定義にも関与した)他。全員が障害をもつ。だからサービスの利用者でもあるが、政策の立案、法律の制定、サービス提供の側の現場にも関わりをもつ人が多い。むしろ、キープさんなどは基本的にソーシャル・ワーカーのサイドからの話をした。他方、ランベス自立生活センターの二人には、運動のリーダーとしての話とともに、「普通の」利用者(といっても、比較すれば恵まれた立場にいるのだが)としてのお話をうかがうことができた。
 お聞きしたことすべてをここに紹介するのはとても無理。一つだけ、要するに「コミュニティ・ケア」「ケア・マネジメント」はどうだったか。
 やはりうまくいってないようだ。イギリスという国は、金がない金がないと思っている国で、カットできるところはカットしたい。そこで、ケア・マネージャーは予算を削減したい自治体行政当局の「尖兵」になってしまう。実際、サービスの利用者の受け止め方はそういうものだった。例えばランベスCILの二人の女性は、マネージャーが利用者本人にとってかなり恐い存在であることを語った。基準がないから、その年々の自治体の予算と、それを受けたマネージャーの采配が生活を左右する。またそのマネージャー=ワーカーがどういう人であるかという偶然にも左右される。マネージャーに対して文句を言えない。二ードの再評価はしばしばサービスの切り下げにつながる。ただ彼女らの場合はまだよくて、自分で情報をもっているし主張もできる。またケア・マネージャーの来訪時に仲間に同席してもらい自らの説明を補ってもらうなどサポートを得ているという(これは禁止されてもいないが、法律的に保障されてもいない)。こういう環境にいない一般の大多数の人達の場合はもっときびしい、とも言っていた。
 多くのケア・マネージャーが利用者と一緒にサービスを組み立てていくという立場に立てていないことは、マネージャーの大多数は真剣に仕事に取り組んでいるのだと力説していたキープさんも述べていた。例えば、ケア・プラン(の写し)を利用者に渡そうとしないことが多いという。不服申し立ての制度はあるが、十分には機能していない。そして、マネージャーが利用者の立場に立とうするなら、その人は、今度は利用者との間で「板挟み」になって悩んでしまう、ジレンマに陥ってしまう。このこともキープさんは指摘した。 これらのことは、最近日本で何冊も出されている概説書には書いてない。しかし、このシステムについて少し冷静に考えてみれば、当然ありうることである。キープさんは盛んに利用者とマネージャー=ソーシャルワーカーとの間の「信頼」の大切さを強調していたが、問題はそうした関係が確保されるようなシステムになっていないことである。ケア・マネジメントが利用者に対して抑圧的に働いてしまう、そういう位置にケア・マネジメントが位置づけられ、ケア・マネージャーが位置づけられてしまっているのである。だから「信頼」は一種の願望としてしか語られえない。現実にその信頼が育まれているわけでないことは、ケア・マネジメントを推進しようとしている人達も認めざるをえないのである。

■別のシステムがありうるのではないか
 だから別のシステムを作った方がよいのではないか。そう考えるのは自然の成り行きである。まだ詰められてはいないが、概略以下のような対案を現在検討中である。
 ケア・マネジメント、ケア・マネージャーの代わりに、はっきり利用者の側に立って相談を受ける、情報を提供する、一緒になってどんなサービスをどう組み合わせるか考える、そういうサービスをする、そういうサービスをする人を置く。世の中には、経営コンサルタント、結婚式場コンサルタント、様々いる。弁護士といった仕事もある。そういう仕事をする人が医療・福祉にもいてよいのではないか。マネージャーではなくて、コンサルタント、代理人・代弁者(アドヴォケイト)といったものをこの業界でも置くのである。 こういう仕事は民間でやる方がうまくいくだろう。そして自身も障害をもっている人がこの仕事に適任なことがあるだろう。仕事は民間でやるが、お金は税金を使うのがよいだろう。時には役所にたてつく仕事に役所からお金がでるのは変ではないか、と思うかもしれないが、変ではない。まず税金は「役所のお金」ではない。そして文句を言う権利、たてつく権利も権利の一つである。国選弁護人というものもあるではないか。実は昨年から始まっている「市町村障害者生活支援事業」が、このように使える事業である。この事業と別に「マネジメント」を立てるより、この事業を拡張していく方がよいのではないか。
 他方で、行政サイドにはサービスの原則と基準をはっきりさせさせる。これがはっきりしないままでは、本来調整もなにもあったものではない。原則・基準があってはじめてそれに基づいた調整が行われる。イギリスには「コミュニティ・ケア」の原則とそのシステムはあるのだが、それにはまずいところがある。まず家族がかなりあてにされている。施設でのケアからコミュニティでのケアへという理念も最初はかなりはっきりしていたのだが、次第にそのあたりが曖昧になり、小規模(といっても何十人か)の施設でのケアもコミュニティ・ケアということになってきている。また、「行革」の一環としても、サービス供給に民間組織を使うことに積極的なのだが、行政が一番値段を安くした組織と一括契約してしまう方法だと、価格面での競争だけになってしまい、競争による質の向上にはつながらない(向上させるためには、複数の供給主体があった上で、利用者=消費者が直接選択できるようすべきだ)。そして、実際の供給の場面でどれだけのサービスを提供するかというはっきりした基準がない。日本の『ケア・ガイドライン』はさらに曖昧である。ある種の「心構え」が語られた後、マネジメントの手続きが書いてあるだけなのだ。
 だからイギリスよりよい原則を立てる。地域で暮らすための必要な量のサービスを供給することをはっきりさせ、どういう場合にどれだけのサービスを提供するかを設定させる。 もちろん、それが実際に十分なものであることは最初からは期待できないだろう。しかし、少なくとも、どこに問題があるのか、問題の所在ははっきりする。攻守の立場がはっきりする。それに対し、ケア・マネージャーが曖昧に間にはさまると、結局、「〇〇がないので、残念ですが御要望には沿いかねます」と、今まで通りのことが起こり、しかも、その責任主体はどこなのか、いろいろなことが曖昧にされてしまう。これではよくない。
 サービス供給の責任主体(実際の供給主体ではなくその費用に責任をもつ主体)=行政があり、サービスの利用者がいる。サービスの供給主体が複数ある。そこから利用者が選ぶ。その選択を助けたり、サービスの量について行政とかけあったりするのをサポートする人がいる、組織がある。このようなシステムがよりよいシステムではないか。今年度中には報告書が作成されるはずであり、次に、そこに示される案を具体的に肉付けしていく作業が続くはずである。(お問い合せは本誌編集部へ。ホームページhttp://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/TATEIWA/1.HTMでも情報を提供する予定です。*)

 (立岩真也 信州大学医療技術短期大学部助教授**)

* http://www.arsvi.comに変更
** →立命館大学

■言及

◆立岩 真也 2015/02/01 「精神医療現代史へ・追記11――連載 108」『現代思想』43-(2015-2):8-19

UP:1998 REV:
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