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ケア・マネジメントはうまくいかない

―ロンドンに行ってきました―

立岩 真也 1997/12/00 『こちら”ちくま”』5
発行:自立支援センター・ちくま


■ケア・マネジメント?
 「公的介護保険」との絡みで「ケア・マネジメント」という言葉が一部ではメジャーになりつつある。ご存知ですか。アセスメント(どういうニーズがあるのか調べる)をし、どういうサービスをどう組み合わせて提供するかプランを作る。サービスが提供される。うまくいっているか調べ、うまくいってないことろがあったら直す。ケア・マネジメントとは、だいたいこんなもの。それを行う人が「ケア・マネージャー」。
 ちょっと聞くと、なんかわるくなさそうなのだが、さてどうか。「障害者福祉」の領域にもこれを導入するとかしないとかいう話があって、障害者の(の一部)が疑問をもった。この人達は(誰でもそうかもしれない)マネジ(管理)されたりするのが嫌いな人達なのだ。もちろん、「人のマネジ」じゃなくて、「ケアのマネジ」なんだということは教科書の類いには書いてはあるのだが、とにかく、これはあまりありがたくないものではないか、そうするとつぶすなり、もっと別のもっとましなものを対置するしかないだろうということになって、障害者本人4人、それ以外の「学識経験者」等4人(私はその1人)の研究プロジェクトが立ち上がった。日本財団がおもしろいと言って資金を助成してくれた。
 ところでこのモデルはイギリスにある。「コミュニティ・ケア」のなかに「ケア・マネジメント」が位置づけられている。イギリスというのは、「福祉国家」の発祥の地だったわけで、日本の研究者も、福祉職の人も、「イギリス詣で」というのをやってきたのだが、今回のはそれとはちょっと違っていた。その実情はきっと困ったものだろう。まず、それを見てこよう。今回の旅はそういう意地の悪いものだったのだ。

■ロンドンに行く
 総勢10人でロンドンにでかけた。車椅子を使う人が4人。50音順に高橋修さん、中西正司さん、中西由起子さん、山田昭義さん。中西由起子さんは今回は通訳を務めた(これは特に今回の場合ハードな仕事だった)。残り3人は各地の自立生活センターの代表やら事務局長やら。他に全国自立生活センター協議会、DPI(障害者インターナショナル)日本会議、その他の全国組織の役職を兼ねている人達でもあるが、いちいち紹介するのは面倒だからやめておく。残り6人は介助+記録係、あるいはそれを兼ねた人達。
 8月27日に成田を出発し9月4日に帰ってきた。その間にダイアナさんが亡くなり、私達が泊っていたホテルはかのケンジントン宮殿の近くだったから、…。でも、その話は省略。食事は評判通りまずかった。なんであんなにまずいのかについて、上流階級は子どもを寄宿制の学校=施設に預けるのだが、そこの食事がまずいので、その人達の味覚が変になって、食文化は上流から伝わるものだから、それで、という話を聞いた。ほんとかどうかは知らない。ビールはおいしかった。ちなみに「ちくま」のお店で売っているビールの素の缶詰(ビールができます)もイギリス製です。
 ロンドンの街は古くてかっこいい。石造りの建物は簡単にこわしたりしない。内装など直して使っている。黒塗りのタクシーや赤い2階建てバスなんて(松本城のあたりで時々見かける人力車と同じようなもので)観光用に少し残っているくらいのものだと思ってたが、違う。たくさんいる。アクセスはよくない。赤い2階建てバスには車椅子は乗れない。チューブと呼ばれる地下鉄も、くねくねした階段がたくさんあってほとんど無理だろう。黒いタクシーもたいていは無理。だが、レールみたいなのを敷くと車椅子に乗ったまま乗車できて、そういうのを用意しているタクシーもたまにある。あまりものもちがよいのも、アクセスをよくするための改造のことを考えたらどうなんだろうとも思った。ただ、黒いタクシーは大きいから、上に書いたように本来は車椅子を乗せられる。古いものを残しながら、アクセシブルにしていくこともできるんじゃないか。
 そして話をしてくれた人達も含め、今いち元気がない気がする。島国のイギリス人は日本人にちょっと似ていて恥ずかしがり屋だという話を聞くから、そういうことなのかもしれない。また、日本から行った人達がひどく元気な(元気のよすぎる)人達だったということもあるかもしれない。そして階級社会で、「一般大衆」になんとなく自信がないということもあるのかもしれない。ことわっておくが、ブリティシュ・ロック(という言葉は今はない)を聞いて育った私は、そういうちょっと暗いイギリス人が好き、である。
 それはともかく、街で車椅子に乗った人をあまり見かけなかった(松本と同じくらいかな?)。ブリティシュ・エアウェイ(イギリスの航空会社・元国営)の対応も全然スムーズではなかった。どうやら慣れていない、車椅子対応のシステムがしっかりできてないみたいだ。だが、だいぶ文句やら何やら言ってきたから、これからよくなるかもしれない。

■イギリスはうまくいってない
 夜はパブに行ったりしたが(がんがん音が鳴っている若い人の多いパブもあるが、そんなところでもみんなわりとちびちびビールを飲んでいる、11時過ぎ閉店、日本のそこいらの居酒屋の方がすごい)、休みは日曜日の1日、他の日はたいてい朝の10時から夕方の5時まで窓もない一室でひたすら(当たり前だが)英語の話を(もちろん通訳を介してだが)聞く、ホテルに帰ってミーティング、というなかなかハードな旅だった。話をするイギリス人は、私達の(けっこう挑発的なのを含めた)質問攻めに会った。日本人の「研修」には、観光目的の、と言ってはいけないか、ただ、実際それに近いおざなりなのが多くて残念、という話を、今回の旅を手伝ってくれた現地の人がしたと聞いた。今回のはそうではなかった。そうではなさすぎたかもしれない。
 さてその「コミュニティ・ケア」「ケア・マネジメント」はどうだったか。やっぱりうまくいってないようだ。イギリスという国は、金がない金がないと思っている国で、カットできるところはカットしたい。そこで、ケア・マネージャーは予算を削減したい自治体行政当局の「尖兵」になってしまう。実際、サービスの利用者の受け止め方はそういうものだった。ケア・マネージャー自身にしても、その人が真面目な人だったら、利用者との間で「板挟み」になって悩んでしまう。
 サービスの供給量は地域にもよるが十分でない。日本の方がこれもまたおおいに地域によるが高い水準のサービスを提供できている部分がある。「日本じゃどうしているんだ」と問われて、「目標としたものをとるまで引き下がらないのだ」(訳は、"They push and push and push until ・・・")というようなことを某氏が言ったら、相手は「うーん」という感じだった。(少なくともこういう場面では当事者の側に元気がないと…。)
 あと、英国のコミュニティ・ケアでも家族がかなりあてにされているということ。施設でのケアからコミュニティでのケア、というのが最初はかなりはっきりしていたのだが、次第にそのあたりが曖昧になり、小規模(といっても何十人か)の施設でのケアもコミュニティ・ケアということになってきていること。また、「行革」との絡みもあり、サービス供給に民間組織を使うことにも積極的なのだが、行政が一番値段を安くつけたところと一括契約してしまうかたちだと、価格面での競争だけになってしまい、競争による質の向上にはつながらないということ(向上させるためには、複数の供給主体があった上で、利用者=消費者が直接選択できるようにしないとだめなのだ)。等々。

■対案を出そう
 というわけだった。どうしましょう。今考えているところでは、私達の「対案」はこんな感じになりそうだ。
 ケア・マネジメントなんていう辛気臭いものは原則やめにする。その代わりに、はっきり利用者の側にたって相談を受ける、情報を提供する、一緒になってどんなサービスをどう組み合わせるか考える、そういうサービスをしよう、そういうサービスをする人を置く。世の中には、経営コンサルタント、結婚式場コンサルタント、…、いろいろいるではないか。弁護士といった仕事だってある。彼らは忙しい忙しいといつもこぼしているが、けっこう楽しんでいるようでもある。そういう仕事、仕事をする人が医療・福祉にあってよいのではないか。マネージャーではなくて、コンサルタント、代理人・代弁者(アドヴォケイト)といったものをこの業界でも置くのである。
 こういう仕事は民間でやる方がうまくいくだろう。そして自分も障害をもっている人がそういう仕事につくとよいだろう。仕事は民間でやるが、お金は税金を使うのがよいだろう。時には役所にたてつく仕事に役所からお金がでるのは変ではないか、と思うかもしれない。だが、変ではない。まず税金は「役所のお金」ではない。そして文句を言う権利、たてつく権利も権利の一つである。国選弁護人というものもあるではないか。
 実は昨年から始まっている「市町村障害者生活支援事業」という事業が、そういうふうに使って使えないことはない事業である。(松本市ではこの事業はまだ行われていない。上田市では始まった。「自立生活センター・うえだ」が上田市からこの事業を委託されている。)この「事業」のことについては、また別の機会に紹介しようと思う。
 他方で、行政サイドには、サービスをするにあたっての原則をはっきりさせさせる。原則がはっきりしないままでは、本来調整もなにもあったものではない。原則・基準があってはじめてそれに基づいた調整が行われる。ところが厚生省が昨年出した『身体障害者ケア・ガイドライン』は、ある種の理念が理念・心構えとして語られ、続いてマネジメントの手続きみたいなものが書いてあるだけなのだ。イギリスには「コミュニティ・ケア」の原則はあるのだが、それにはまずいところがあるからよくない。イギリスよりよい原則を立てる。地域で暮らすための必要な量のサービスを供給することをはっきりさせる。どういう場合にどれだけのサービスを提供するかを設定させる。
 もちろん、それが実際に十分なものであることは最初からは期待できないだろう。しかし、少なくとも、どこに問題があるのか、問題の所在ははっきりする。攻守の立場がはっきりする。ケア・マネージャーなるものがどういう位置にいるのかはっきりしない状態で間にはさまると、結局、「〇〇がないんで、残念ですが御要望には沿いかねます」と今まで通りのことが起こり、しかも、その責任主体はどこなのか、いろいろなことが曖昧にごまかされていくだろう。これではだめなのだ。サービス供給の責任主体(実際の供給主体ではなくその費用に責任をもつ主体)=行政がいて、サービスの利用者がいる。サービスの供給主体が複数ある。そこから利用者が選ぶ。その選択を助けたり、サービスの量について行政とかけあったりするのをサポートする人がいる、組織がある。それでよい。

立岩真也 1960年生。信州大学医療技術短期大学部助教授。社会学を専攻。秋に『私的所有論』という本を出しました(勁草書房、6000円+税)。高いですが、分量があるんだから(400字詰で約2000枚)仕方ない、3枚組のCDみたいなものだ(違うか)。好評で、うれしいです。他に共著で『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補・改訂版』(藤原書店、2900円+税)。390 松本市蟻ケ崎1892-4 phone & fax 0263-39-2141 NIFTY-Serve :TAE01303, internet: tateiwa@gipac.shinshu-u.ac.jp。ホームページ<生命・人間・社会>http://itass01.shinshu-u.ac.jp:76/TATEIWA/1.htm *もあり。連絡いただければ、出版社から2割引きで買い取った著書をその値段で提供可。『生の技法』の印税の全額は、全国各地にある「ちくま」みたいな団体に寄付されます。
 *変更になりました。→http://www.arsvi.com


REV: 20161031
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