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「市町村障害者生活支援事業」を請け負う

立岩 真也 1997/08/09
『ノーマライゼーション研究』1997(発行:ノーマライゼーション研究会)


 ※以下の記録です。
◆立岩 真也 1997/02/22 「市町村障害者生活支援事業について」,全国自立生活センター協議会・所長セミナー シンポジウム「当事者主体のサービス提供――市町村障害者生活支援事業の活用」,愛知県豊田市

■概略

 「市町村障害者生活支援事業」というものが一九九六年の一〇月から始まっています。「在宅の障害者に対し、在宅福祉サービスの利用援助、社会資源の活用や社会生活力を高めるための支援、ピアカウンセリング、介護相談及び情報の提供等を総合的に行うことにより、障害者やその家族の地域における生活を支援し、もって在宅の障害者の自立と社会参加の促進を図ることを目的とする」(以上・以下「」内は要綱)というもので、事業(やらないとならない必須事業)の内容としては(1)「ホームヘルパー、デイサービス、ショートステイの利用援助」(直接のサービス提供ではなく情報の提供、助言、相談)、(2)「社会資源を利用するための支援」(作業所、機器、住宅改造、住宅等についての情報提供等)、(3)「社会生活力を高めるための支援」(「自立生活プログラム」と言ってきたものに大変近い)、(4)「ピア・カウンセリング」、(5)「専門機関の紹介」。実施主体は市町村ですが、委託でき、委託先は(1)「身体障害者更生施設等リハビリテーション施設」(2)「身体障害者療護施設等生活施設」(3)「身体障害者福祉センター、身体障害者デイサービスセンター等機能訓練実施施設」(4)「障害者に対する相談・援助活動を実施している社会福祉協議会等」。
 これは、まさに「自立生活センター」といった当事者主体の組織(例によって(4)の「等」に含まれる)がやるべき事業だというわけで、多くの組織がこれに注目しています。昨年一〇月スタートの時点では、東京都の「自立生活センター・立川」「町田ヒューマンネットワーク」「ヒューマンケア協会」が、他の一〇余りの組織とともにこの事業を受託して仕事を始めています。三〇万人について二つという厚生省が言っているおおよその目安でいけば、この事業をやるところが全国に八〇〇あってよいということにもなります。昨年の「自立生活研究集会」(東京)、それから今年の三月の全国自立生活センター協議会の「所長セミナー」(愛知県豊田市)でも、これがテーマのシンポジウムがあり、全国各地からいろんな人達がやってきてかなり盛り上がりました。
 編集部から打診されたテーマは「ケアガイドライン試行事業」について、だったのですが(「自立生活センター・立川」が受託して今年の三月まで行い、私もその委員会のあまり働かない委員の一人でした)、これはこれで充実した報告書が出ますし、またこれは、これから動きがいろいろと出てくる「ケア・マネジメント」に絡むことでもあり、もう少し待っていただくということで、今回は「市町村障害者生活支援事業」について、「所長セミナー」でシンポジストの一人として二〇分くらいしゃべった話をいくらか整理し、その後質疑応答の部分でしゃべった部分もつけ加えて、以下掲載させていただきます。以下の話にも実は全然関係がなくはないごく基本的なことについての考えは別に本に書きましたし★01、様々の具体的な情報についてはインターネットを介した提供★02もやってますのでよろしく。

■組織にお金が降りるのがよいとは限らない

 最初に少し変なことを言うようですけども、当事者主体とか利用者主体とかいうことを考えますと、利用者=消費者自身がどこで何を買うのか決められれば、それはそれでいいわけです。Aというデパートに行って買ってくるか、Bというデパートに行って商品を買ってくるか、決められたっていい。だいたいお金を出して買うものって、あれがいいのかこれがいいのか、利用者自身が決められるわけですよね。ほんとだったら、利用者が一人一人お金を持ってて、何を買うか決められる、そういうやり方だってあると思います。そしてその一人一人が持ってるお金は、なにも自分で稼いできたお金と考える必要はなくて、税金なら税金を分配して一人一人に渡したっていい。そして、私はこれがいいったらこれ、あなたはあれがいいったらあれ、っていうふうになっていれば、誰に仕事をさせるかを決めるなんて面倒なことはしなくてよくて、一人一人の利用者が個々に決めて、結果的にお客さんが来ないお店はつぶれる。これでいいわけです。
 でも少なくとも今回、こうやって決まっている事業っていうのは、そういうものじゃなくって、お金をある組織に降ろすかたちのものです。そして少なくともこの事業の場合には、それにそれなりの合理性もある★03。
 それでどこに降ろすかっていうのを誰が決めるかっていうことになると、これは最終的には政治が、議会それから行政が決める。それで話がめんどくさくなるわけです。で、今いくつも話がありましたように、なかなか話が難しいところに来ているところもあれば、まあまあなんとか乗り切ってきたところもある。そういう状況なんだと思います。

■実施主体へのわからせ方

 その話に入っていきたいと思うんですけども。一つは行政、議会、政治のあり方に関わっている人達の意識っていうか、行動っていうか、それがどういうものであって、そこんとこにどうやって入っていくかっていうか、変えていくかっていう問題が一つあります。もう一つは、自立生活センターが、自分達がやっている仕事を自らどう評価して、今後どうやってやっていくかということ。大きく言って、行政・議会の方にどう当たっていくかという問題と、自分達がやっている仕事を、必要とあらば、どういうふうに見直していくか、この二つの課題っていうのを同時にやっていかなきゃならない。そういう話になるだろうと思います。
 今までもお話がありましたように、行政の場合には、民間にやらせるとは言っても、要するに今まで自分達がつながりがあったところ、典型的には、僕は社会福祉協議会の悪口を言うつもりは毛頭ありませんが、とか言って結果的には言ったりすることになるわけですけれども★04、あの、まあそういうところ、古くからつながりがあって、市から職員も行ってるし、というようなことで、安心感があると言ったらいいのか、まあ、やってもらうとすればああいうところかなっていう感じに、ともすれば流れていきがちなんですね。そこのところに対してどういうふうに言っていくのか。
 さっきも話がありましたように、議会が絡み、市長さんとかが絡み、選挙が絡みっていうことになるとこれはなかなか厄介な問題だなあっていうふうに思います。これをこうすれば解決できるっていう決定的な解決策っていうのはないだろうと思います。しかし、まず、この事業はいったいなんなのかっていうことを市町村自体が知らないっていう市町村が圧倒的なんじゃないかと思うんです。まず伝えていくっていうこと。この「支援事業」に限って言えば、その趣旨自体は悪くない。そのまま受け入れていいものだと思います。だから、ストレートにこの事業はどういう趣旨のものであるのかを知らせる努力を最大限払うっていう、当たり前のことですけどもそれをやっていく以外にないと。
 そしてその場合に、自分達だけで伝えていくっていうことに限界があるとすれば、例えば、中西さん(この事業を受託しているヒューマンケア協会の事務局長)がしゃべりましたけども、既に事業をやっているところの人に来てもらって話をしてもらう。そうすると相手はわかると思うんです。こういう組織でもこういう仕事ができるんだっていうことがわかるんだと思うんですよ。そしたら、そういう同じ性格をもっている組織も仕事をしてくれるんじゃないか、仕事ができるんじゃないかと思うと思うんですよ。もちろん自分達で説明する、わざわざ役所まで出向いていって、つかまえて説明する。ってこともあるけれども、それと同時に、力になれそうなところ、話のうまい人、そういう人をつれてきて、話をしてもらうってことを何回でもやるしかない。
 それから今回のような催し、これは所長セミナーですから、センターの所長さんが来てディスカッションするってことでしょうけども、例えばこういう勉強会であるとか学習会であるとかセミナーであるとか、名前はなんでもいいんですけども、そういったものをやって、そこん中に今やっているところ、やろうとしているところ、人を呼んで、そしてそこに行政の人であるとか、そういう人も一緒に来てもらって、そこん中で説明し、宣伝していくっていうか、そういう努力を、まあなかなかめんどくさいことだけども、やっていく以外にないだろう。こういうことが一つ言えるだろうと思います。
 それから、その市がとりあえずだめでもいろんなルートがあるわけです。まず、ある市っていうのは隣の市のことを気にしています。隣の隣の市のことを気にしています。非常に気にしています。横並び意識っていうのありますから。それから実施主体は最終的には市町村ですけど、でもまあ市町村は県の言うことを参考にしようとはします。それからこれは国が最初にアイデアとしては立てた事業ですから、国なら国がどういう意向をもっているかということを気にはします。市がだめなら県があると、県がだめだったら国があると。国をそうやって頼っていいかということはありますけど★05。例えば厚生省なら厚生省がどういうふうに考えているのかを知らせる。あるいは、県のレベルで話をしていって、県の人にわかってもらう。わかってもらったからっていって市が動くとは限りませんよ。限りませんけども、ないよりいいでしょ。っていうところをやっていく。
 例えば僕は今、長野県のある市に暮らしていますけど、実際、同じような問題がもちあがっています。その市の人、ってもいろいろいますけど、やっぱり社協かなって、いう流れに、なんにもしないとなっちゃうんです。その時、その市の行政とも話し合うけど、長野県の担当の人に話を十分に聞いてもらって、県の人はわかったと、市がやるときには県はこういうアドバイスをするよっていうようなルートを作っていく。実際、まだ私のいる市自体はどうもなっていませんけど、少なくとも県の人は、東京へ行ってこの事業をやっているところでレクチャーを受けて、納得して帰って来たということはあって、このルートが今後使えるかもしれない。というようなことを、当たり前のことですけども、しつこくやっていくしかないんじゃないかなってっていう感じが、一つします。
 そしてそのために、このセミナーの場自体がそういう機会なんだけれども、自分達のところはまだ事業を受託してない、委託を受けていないんだけれども、やっているところはどうなのか、他の自治体はどうなのか、厚生省は何を考えているのか、等々といった情報を仕入れていく必要がある。また、各地の組織をつなげる全国的な組織、またこの事業を既にやっている組織は、情報を提供する、流通させる責任がある、義務があると思います。

■やってきたことを事業として請け負う

 次の二番目の話は、自分達、自立生活センターっていうものが、この仕事をやれるだろうか、やりきれるだろうか、やっていこうかっていう話に関わってくるだろうと思います。しかし一つ言っておきたいことは、僕はね、今まで自立生活センターっていうのは、実際にはここにメニューとして書かれている仕事を、こういう名前じゃなかったかもしれないけども、十年、二十年、やってきたと思うんですよ。新たにやるっていうことじゃなくて、実は自分達はこういうことをやってきたんだと、やってきたことに名前がついて、もしかするとお金がつくんじゃないかっていうふうに考えた方がいい部分があるんじゃないかと思うんです。それはわかっていただきたい。例えば、施設なら施設で暮らしている、親元なら親元で暮らしている人がいる。そういう人が、やっぱりこれは嫌だよって思うわけですよ。その時に、なんかしたい、なんかしたいと思っても、どうしたらいいかわかんないわけでしょう。その時に、皆さんは、その人達に対してサポートしてきたわけでしょう。何が必要なのか。まず住むところが必要だ。住むところが必要だっていう人に対して、なかなか理解が得られない不動産屋を回って、住めるところを確保してきた。そういうことを何年もやってきた中で、地元の不動産屋さんと関係を作って、こういう大家さんのところだったら大丈夫だっていう関係を作ってきたじゃありませんか。そして使える制度を使い、制度の使い方を教え、それから単に制度的な部分じゃない、メンタルな部分って言ったらいいのか、自信をもって、やっていけるぜっていう、まあ気合いって言うんですかね、勇気って言うんですかね、そういうものを与えるっていうことを、プログラムっていう名前はなかったかもしれないし、カウンセリングっていう名前もなかったかもしれないけれども、そういうことを皆さんはこれまでやってきてこられたと思うんです。
 だからまず、そのことに自信をもってもらいたいっていうか、自信をもってもらっていい。他の、誰が、どこが、それをやってきたか、って考えればいいと思うんです。それはどこも誰もやってこなかったんですよ。唯一、ここにいらっしゃるような方々がやってこられた仕事だったわけです。そういう仕事が他でできますか、やってきましたかっていうふうに話をしていくっていうことですね。自分達がやってきたことにまず自信を持つっていうことが一つ。それは、例えば社協なら社協ができればできていいんですよ、社協でいいんだけれども、実際にできましたか、やってきましたかっていうことだと思うんです。そういうことを思ってほしいし、思っているんだと思いますけど、言ってほしいと思うんです。

■「国民」のお金を使ってやる

 そしてそれを今まで自分達は手弁当でやってきた。困っている人を、その人を仲間として助けようというかたちで今までやってきたわけだけれども、でも考えてみれば、そういう仕事は税金使ってやっていいことじゃないですか。僕はそう思います。その仕事は自分達がやるのが適切な仕事だけれども、その仕事を支えるのは、支えられる全ての人、ってのがいいやり方だと思います。その全ての人に負担を求めることができる方法としては、税金を払える全ての人に税金を払ってもらうというのが唯一可能な方法なんです。
 この「自立生活支援事業」っていうのはすごく短くすむ場合もあるでしょう。例えば「このことについて聞きたいんですけど」って言われて、「こういう制度があるから使ってみてください」って、一〇分で電話相談で終わる場合もあるかもしれません。しかしさっき言ったみたいに施設で暮らしている人がいて、それから自立したいんだっていう時に、最終的には、行く先が決まって、その生活が始まって、介助を入れて、外出もできるようになるっていう、二か月とか三か月とかもっとかかる時あるかもしれない。それを例えばお金に換算したらね、百万円とか二百万円かかったっていいと思うんですよ。そうじゃありませんか。その人の生活がそれで変わるわけだから。で、大抵の場合は、その後は自分でなんとかやっていける。少なくとも集中的に、つきっきりでサポートしなきゃならないことは少なくなる。初等教育だって、年間一人あたま百万円からのお金はかかっています。子どもの塾通いに月何万円も払う人だっています。
 一五〇〇万円というお金(この事業専従のスタッフ一人分の人件費を含めこの事業に出るお金)があって、仮に一年に十人そういう人だけサポートするのに使ったとしたら一人一五〇万円になります。もちろんそんな人ばかりがお客さんであるわけではなくて、他にもいろんな仕事をするのだからそんな単純な計算にはならないのだけれども。でも一五〇万円かかったらそれでいいんだと思うんですね。今までやってきたことにお金がつくんだっていうように思う、それが一つのポイントだと思います。

■外に開くこと・形を与えること

 しかし、それを皆さんは、それが偉いとこって言えば偉いとこだし、謙虚すぎるって言えば謙虚すぎるんだけれども、そういうことを表に知らしてこなかった。自分達で、内輪でやったんだけれども、自分達はこんなことをやっているんだぜっていうことを、謙虚なのかなんかのか、とにかく外側に対して知らせるっていうことをしなかったわけです。だから外部の人は知らない。そこんところは変えていかなきゃいけない。していることは今までもそんなに変わらなくていいけども、やっているっていうことを表に出すっていうこと。
 そして同時に、今までだって実際にはそうだったと思うけれども、必要としている人にだったら誰に対しても手助けするんだということをはっきりさせること、それに見合った組織の形をとること。これも税金使って仕事をするって以上は、条件になります。
 そして事業の委託っていうのは、もしその事業がまっとうな事業であれば、あるいはまっとうな事業にしていくことが可能ならば、この「支援事業」は比較的まっとうな事業だと思うんですが、今まで自分達が一緒にやってこなかった人達に対して、自分達のことを知らなかった人達に対して、自分達が何かできる、そういう可能性をもつものでもある。これは事業を請けることのポジティブな側面だと思います。もちろん、友達同士の集まり、考えを同じくする人達だけの集まり、そういうものもあっていい。しかし、一方では、誰に対してもサービスを提供する、そのことによって自分達の理念を広げていくという方向もあっていいと思います。
 そして形を作って、利用者に向けた仕事をしていくと、その中で実績というものがやはり形をもって現われてくる。もちろん量的なことばかりに目が向けられると質がないがしろになる、いい質の仕事をやってきても評価されないということはありえます。しかし、福祉サービスがだめなのは、だめな仕事をやってきたところが生き延びてこられたことに一因がある。だから、仕事を利用者に提供する以上は、また税金を使って仕事を請け負う以上は、質的な部分をどう評価するかっていうことは難しいことだけれども、そういう質的な部分を含めて、どこがどんな仕事をやっているのか、あるいはやっていないかということが、利用者、それから納税者に評価されて、仕事していないところは淘汰されていく、そういう回路が作られていかないといけない。障害者団体だからこの事業をとるのがいいのじゃなくて、この事業をうまくやれる組織として当事者の組織がある、少なくとも当事者主体の組織でいい仕事ができるところはいい仕事ができるから、この事業を請け負うのはいいということです。少なくともしばらやくやってみて、うまくやれない組織だったらその仕事から外す、そういう仕組みがいる。実際、お金はたくさんもらってるけども、何のためにあるんだかわからない障害者団体、あるいは障害者団体と称している組織もあるんだから。★06
 じゃあ仕事できなかったらどうなるんだって話があるかもしれない。だけど、それはそれで別のことだと思うんです。一人一人が生きてくって考えた場合に、その一人一人が仕事ができなきゃいけないってことじゃないと思うんです。仕事ができなくたって生きていけていい。仕事ができること自体が何かいいことだというわけじゃない。それはそれで生きていけるような仕組みを作っていくべきだ。だけど、サービスを提供する組織が、その仕事をすることでお金を貰うっていうことだったら、その組織はいい仕事をしなきゃいけないし、競争しなくちゃならないし、仕事をしない組織、最終的に利用者から支持されない組織はなくなっていいということですし、そこんとこが適当にやられてきたこと、利用者・消費者のチェックを受けずに済んできたことに、今の福祉サービスの適当さの少なくとも一因があるだろうということです。
 それをどうやってどういう仕組みでやっていくのか。それが考えどころになるんだと思います。自立生活センターはそこんところがポイントだっていうことがわかっていましたから、わざわざ自分達が今までやってきたことに「自立生活プログラム」っていう名前をつけて、そして形を作って、「ピア・カウンセリング」っていう名前を作って、形を作って、枠を作って、メニューにして、誰でも使えるものにした。自分の知り合いっていうだけじゃなくって、やりたい人は誰でもいいですよってかたちにした。そして何を何回やったとか、何人に何時間サービスを提供したか、っていうことを記録して、公表してきた。それで利用者にどういういいことがあったかっていうことを宣伝してきた。自立生活センターはそういうことを臆面もなくやってきた。その臆面もなさが胡散臭さみたいなものを発しているのかもしれないけれど、けれど、そういう流れが自立生活センターの流れだったと思います。そしてその道を進むことですよね。自分達がやってきたことに名前をつけて、形を作って、誰でも入れるようにして、クローズドな関係じゃなく入りたい人は誰でもどうぞっていう形をやっていく。実績を作って、外側に自分達がやっていることを知らせる。そういうことをやっていく。そこん中で、そういう仕事は俺達はやってきたわけだし、他にできるところは他にないんだし、これまでだってやってきたし、これからだってやれるんだ。とにかくことあるごとに広く知らしめていくというか、宣伝していくというか、これ野上さん(CILくにたち援助為センター・事務局長)もおっしゃったことですけども、そういう努力も、まあこれも極めて当たり前のことですけども続けていくしかないんだろうなと思います。
 理解を得ていくためには、他にもいろんな手段があるだろうと思います。今のは正攻法ですけれども、まあこれから話す話も正攻法ですけれども、例えば運営委員会っていうのはどこにでもあると思います。そこに、自分達の仲間っていうだけじゃなくって、理解・関心がありそうだけれども今まではつきあいがなかった人にも参加してもらう。そういうかたちで理解を広げていくっていうことも、(この事業をすぐにとりたいという場合は)今からじゃちょっと遅いかもしれないですけれども、まあこれから先のことを見越したら、伝えていくっていうことも必要なのかもしれません。★07
 それからこうメニューがいろいろあると、こんなことを全部自分達ででききれるだろうかというふうに思われるかもしれません。そりゃまあそうだろうと思います。でも、先ほども喜多川さん(厚生省でこの事業を担当)おっしゃったことですけど、すべてを全部自分でやる必要はないわけです。こういう要望が来たら、その要望に応えられる人は誰なのか、組織は何なのか、窓口は何なのかということを、自分が知ってればいいわけですよ。そういう知識は、もしなかったら、これからどんどん得ていく。そのために、人と人とのつながりっていうんですか、こういう仕事だったらこの人が得意だ、この組織が得意だっていうこと、リンケージっていうか、つながりってのを作っていくっていうことはもちろん必要ですけど。その全てを全部自前でまかなえっていうことじゃないわけです。つながり方っていうのをこちらで覚えていく。そしてその件に関しても、いろんな人のつながり、組織のつながりを既に皆さんはもっていて、自分はここは不得意だけれど、ここはここに回せばいいってことをご存知だろうと思うんです。そういうことを、まだ不十分であれば、どんどん増やしていく。そういうことをやっていく必要があると思う。

■「専門家」とのこと

 もちろんそこん中には専門的な知識、技術っていうのが必要な部分があるだろうと思います。しかし、これはちょっと言っておきたいことなんだけれども、私も実はPT=理学療法士、OT=作業療法士、そういう人達を養成する大学、学校に職を得て、その教育に関係しています。それで多少知っていることから言うと、地域の在宅の生活に対する有効なサポートって部分に関して言えば、OT・PTになろうとする人達が学校で教わることっていうのはほんのわずかなんですよ。だから、専門家って言って、もちろん専門家の必要な部分はあるけれども、彼らにしても、それほどたくさんの技術、ノウハウ、知識をもっているわけじゃないんです。そしてそれは行政の窓口に座っている人に関して言えばなおのことです。彼らは、言っちゃあ悪いけれども、何にも知らないと言っちゃあ悪いけれども、まあほんのちょっとしか知らない。そういうことから考えていけば、自分達はなんか力が足りないんじゃないか、そういうことでびびる必要はないわけです。もちろん足りない部分はあるでしょう。それはこれから仕入れていけばいいわけですけれども、スタートにおいて、PT、OT、いわゆる専門職の人とそんなに違いがあるわけじゃないということを踏まえていけばいいんじゃないか。そこん中で知識は得ていく、だけれどもすべてを自分が所有する必要はないんであって、得意な人とのつながりを作っていく、そういうやり方があるんじゃないかと思います。★08

■やりたいことを縛られないこと

 だいたい言いたいことはそういうことなんですけれども、それから、いわゆる社会運動的な部分っていうか。僕も騒ぐの好きなもんで、それについて最後に言っておきたいと思いますけども★07。僕は場合によったらバス止めて、こぶしを振り上げて、怒んきゃいけないと時は怒んなきゃいけないと思っているんです。それがポジティブな、プラスになる部分につながっていくとすれば、そういう運動っていうのは、これからも評価されていいだろうと思います。でもね、まあ、それはそれとして、こういうずるいやり方だってあるわけですよ。アメリカの非営利組織、NPOって言われていますけれど、そういう組織っていうのは公的な援助を受けながらしたいことをやっていくために、組織を二つに分けるってことをやります。一方では、いわゆる事業をやって、お金もとる。一方で、騒ぐ。実は同じ人がやっている、っていうやり方なんです。でも、これは、全然ずるくないんです。同じ人がやったって、それは思想・信条の自由ですし、社会的活動の自由ですから、同じ人がやろうが関係ないわけです。もちろん、こっちの団体のお金をこっちの団体のお金に流用しちゃったりとか、そういうことは、あんまりっていうか全然っていうか、やっちゃあいけないんですけども。そういうことはしゃちゃあいけないんですよ。そういうことをしちゃあいけないんだけども、そういう組織の切り分け方もあるわけですよ。例えば「グリーンピース」とかって船とか使ってプルトニウムの輸送船を取り囲んだりするとかいうことをやる人達がいますけど、あの人達だって組織を二つに分けてるんです。一方では連邦政府からお金を得られるような団体を作って、公的なお金をもらってやる。一方ではその、反政府活動をやる。まあこれは例ですけど、こういうことだってあるわけです。
 だから、組織の形っていうのは一様ではなくて、いろんなやり方がある。今までやってきたこととこれから「支援事業」をとってやる時の組織の形態がどうも違うんじゃないかなという感じがしてる方がおられるかもしれないけど、そういう時には、そういう事業に合う形の組織っていうのを作ってさ、違う部分というのをもう一つ別に作っておくとか、まあ様々な工夫の仕方があると思うんです。ということもまあ、お考えになりながら、この事業っていうものをポジティブに使っていくといいんではないかというような話をして、終わらしていただきたいと思います。

■注

★01 以前本誌に「自己決定がなんぼのもんか」という文章を書かせていただきました。こういった話を含め、「出生前診断」等「生命倫理」に関わる問題にもつながり、「能力主義」とか「私的所有」(?)といったテーマについて、つい数日前、原稿をほぼ書き上げました。四〇〇字詰で約一五〇〇枚、心血を注いで?書いた「力作」です。勁草書房から夏の終わりに出ます(題名がまだ決まりません)。よろしく。六〇〇〇円+消費税というとんでもない値段になってしまいますが、直接御連絡をいただければ、(筆者が赤字になっても読んでいただきたいわけでして、送料含め)五〇〇〇円でお送りできます。fax(& phone) 0263-39-2141, NIFTY-Serve ID:TAE01303@nifty.ne.jp
★02 「自立生活情報センター」提供の各地の介助制度関連情報を含め、各種情報を提供。この「支援事業」の要綱全文も掲載。「出生前診断」等、「生命倫理」関連情報もあります。「だれがケアを語っているのか」「自己決定についての空疎でない一考察」「「ケア」をどこに位置づけるか」等、比較的最近書いた文章も収録。http://ehrlich.shinshu-u.ac.jp/tateiwa/1.htm『生の技法 増補・改訂版』(藤原書店)、自立生活情報センター『How To 介護保障』(現代書館)もよろしく。
★03 (ようやく、だんだんと)カウンセリング等に対しても医療保険の中から支払われるようになったことを考えれば、個別に料金を払いその料金を保険や税金から出すということも不可能ではないけれども、なかなか難しい。電話相談等も料金の徴収は(不可能ではないが)難しい。ただ、こういう発想はもっとしてみてもよいと思います。作業所にお金が出るのと、個々の障害者にお金が渡るのとどっちがよいのか、等。『NPOが変える!?』という報告書を千葉大学から昨年出しました(三六六頁・一五〇〇円+送料、注文→★01)。この中に「組織にお金を出す前に個人に出すという選択肢がある」という短い文章を書きました。
★04 ★03の報告書に「社会福祉協議会に未来はあるか」(山口智也)「社会福祉協議会に未来はある、が」(立岩)という文章が載っています。
★05 「地方分権」がはやりなのですが、慎重に考えた方がよい部分はあると思います。特に財源の問題が絡んだ場合、例えば公的介護保険。また少なくともある部分でこのごろ中央官庁の方がものわかりがよく、運動側が中央官庁を介して地方の役所にものを言うという図式ができています。そして、それはともかく、ここで言いたいのは情報の重要性。
★06 サービスを利用者が評価し、その評価をサービスのあり方に反映させていくこと。これは「権利の擁護」にも関わり非常に重要なポイントだと思います。★02にあげた「自己決定についての空疎でない一考察」でもある程度触れています。例えば「療護施設自治体ネットワーク」による療護施設の実態調査の試みが注目されます。
★07 ★03の報告書中の「人を用いる――アメリカのNPOはどうしているか」(島田誠)に、アメリカのNPO(非営利組織)のここらについてのいろんな工夫が出ています。人の使い方に限らず、けっこう彼らのやり方は上手だなという感じがします。使えるものは取り入れていいと思います。
★08 仕事をやってもらう時、誰にやってもらうかという話になって、何か基準がいる、どういう基準を作るか、そこで「資格」を要件にするということがでてくる。例えばピア・カウンセラーに何等かの条件を付けようという話は、JIL(全国自立生活センター協議会)でも出てきています。それでは、嫌いだったはずの「専門職」化の道を結局辿るのではないかという懸念があって当然だと思います。しかし、消費者一人一人のその時々の選択に全て委ねるという本稿の最初に述べたやり方を全面的にはとれないとすると、一定の基準を作っておくということは避けにくい。となると、次には、どういう基準にするのか、どういう資格にするのか、誰がそれを決めるのかという問題が出てくる。こうした「資格」「専門職」「専門性」の問題は、今ある「資格」や、今いる「専門職」についての批判的な検証作業を含め、考えることを避けることのできないものだと思います。
★09 バスを止めたりする「過激」な団体にお金を出しているんじゃないのと言われたという、JILに助成金を出しているある財団の方の来賓挨拶の中での発言があったので、一言加えた部分です。★03の報告中の「アメリカのNPO活動と日本の市民活動」(石塚美由紀)も参照のこと。日本でのいわゆる「NPO法案」の動向も気になるところです。報告書の中でも昨年春までの動向ですけども、とりあげています。

■この文章への言及

◆安積 遊歩・立岩 真也 2022/**/** 『(題未定)』,生活書院


UP:1997 REV:
市町村障害者生活支援事業  ◇地域生活/地域移行/生活支援/相談支援  ◇立岩 真也 
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