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「出生前診断は優生思想か」
立岩 真也
(信州大学医療技術短期大学部) 1996/10/23
日本生命倫理学会第8回年次大会 (要旨集原稿)
cf.
当日配布した文章
last update: 20130928
出生前診断は優生思想のもとにあるのか。もちろん定義による。優生思想を,
A:人の性能をよくしようとし,悪くするのを防御しようとし,
B:そのために人間の生物学的側面に働きかけようとする思想,
と定義するとしよう。とすると,最初の問いに対しては,その通り,出生前診断(→選択的中絶)は優生思想のもとにあると答える他ない。では,ゆえにそれはよからぬものか。だが,そのためには優生思想がよからぬものであると言わなくてはならない。歴史的な現実としての優生思想の何が批判されてきたのか。
第一に,α:因果関係について主張されたことが極めて怪しいものだったことである。 第二に,β:この思想の実現が,国家による強制として,時に殺害として,行われたことである。
だが,この技術の場合は,αについては,診断と結果の間に相応の因果関係があることを否定できない。βについては,少なくとも現象的には個々人の選択としてなされており,殺害が行われているわけでもない。つまり,従来批判されてきた部分はかなりの程度解消されている。優生思想の問題がαとβに尽きるなら,出生前診断に問題はないことになる。
だがそれで終わるか。まず,B:遺伝〜出生前,が問題になっている限りにおいて,優生思想の実現は,C:生まれるあるいは生まれない存在の外側にいる他者によってなされる他ない。その他者が,β:国家なら問題だが,女性ならよいのか。その通りと言えるとしたら,その根拠はなにか。女性の「自己決定権」だろうか。だが,産む産まないの決定がその女性に委ねられるものとして,その決定の中に質をめぐる決定は含まれるのか。少なくとも「自己決定」という語に惑わされてはなるまい。生まれる自己は不在であり,ここでなされることは「治療」についての選択でもない。不在の自己の外側にいる者は,それだけの意味においては全て同格である。以上を確認し,ここに浮上する論点を検討する。
*更新:
小川 浩史
REV: 20130928
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優生学/優生思想
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