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書評:橋本義郎『権利と行為の社会学――セルフ=アドボカシー実践のために』

立岩 真也(信州大学医療技術短期大学部教員)19961101
『ノーマライゼーション 障害者の福祉』16-11(1996-11):66



書評:橋本義郎『権利と行為の社会学――セルフ=アドボカシー実践のために』(1996年4月,エルピス社,162p.,1545円)
 この本は、著者が関わってきた短大、専門学校、大学での講義や演習、著者が属する市民団体「アドボカシー研究会」の活動から生まれた。大きく、本編「社会・権利・行為と人権のために訴える行為についての簡略な説明」六章と副編「人権のための訴えの実践について」四章に分れている。わかりやすく、実践的であることに特徴があり、利点がある。
 権利のことを考えたり、権利を主張したりすることの大切さが、権利などと言われても、あまり実感をもてずにいる人も、だんだんと納得できるように、構成され、書かれている。そして、ただ教えられるというより、考えることを促される。本編の各章の最後に「演習問題」がある。たとえば第六章「権利のための訴えを促進するためには何ができるか」の演習問題は、「人権問題を一つとりあげ、それに対する立場を二つ以上紹介するとともに、その問題についての自分自身の考えと判断をしめしてください」というものだ。また、副編第三章「「機会の平等」をめぐっての正義とは何か――アドボカシー実践のためのひとつの演習の紹介」では、具体的な状況設定の下でどんな判決を下すかについての討論が紹介されている。当たり前に正しいことがあり、それは自明の前提で、それから細々としたことを教わるというスタイルが社会福祉という業界では一般的だが、この本はそうではない。当たり前の手前のところから、順序を立てて、考え、討議してみる。大切な姿勢だと思う。アメリカの大学院で学んだことも著者のこうした姿勢に関係しているかもしれない。
 そしてこの本を、実際に「権利のための訴え(アドボカシー)」を行おうとする時、ただ訴えるだけでなく結果を「獲得」しようとする時、役に立てることができる。「学」が現実に寄与できることの一つは、分けられるものを分け、整理し、組み立てていく道具であれることだが、著者はこの道具の使い方を示しながら、問題、目標、手段…をはっきりさせ戦略を組み立てていく「方法」を、具体的な事例に即して記述していく。本編第4章では、「高架駅にエレベーターがないのは違憲・違法」としてJR西日本を訴えた宮崎茂氏の主張と活動を詳しくとりあげ、それがどういう要素によって成り立っているかを分析していく。また、副編第1章「障害をもつ市民の権利に焦点をおく専門的弁護活動」では、アメリカのDREDF(障害者の権利に関する教育・弁護基金)の活動が紹介されている。
 もっと詳しく知りたいし、考えたいが、このコンパクトな本に全てを望むのはもちろん無理なことだ。一つに、個別の事例をより詳細に報告し、蓄積し、次につなげていくこと。もう一つ、たとえば自由と平等、機会の平等と結果の平等とをどう考えるかといった主題の検討――それらは単に理論的な主題ではなく、障害者の運動の中での中心的な主題だったのだし、それは今でも変わらない。以上は著者を含む私達全体の課題である。


REV: 20161031
立岩 真也  ◇障害者の権利(擁護)
書評・本の紹介 by 立岩
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