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NPO法+人を雇う→おもしろいことをやる

―自立生活運動の現在・15(最終回)

立岩 真也 19960325 『福祉労働』70:155-162


■おわりのはじめに
 今回で終わりです。様々な問い合せや資料等の請求をいただきました。全てにお応えしたつもりですが、もしかすると紙の山に埋もれたままになっているものもあるかもしれません。もし返答がない場合は、もうしわけありませんが、もう一度御連絡下さい。また、今勤めている信州大学医療技術短期大学部からインターネットを介した情報提供も始めます。松本市蟻ケ崎一八九二−四 電話・ファックス〇二六三−三九−二一四一、ニフティ・サーブTAE01303(@niftyserve.or.jp)立岩までお問い合せ下さい)。
 これを取上げるべきだったといった言いわけをしているときりがないので、省略。まず前々回の続きということもあり、非営利組織(NPO)の法制化のことについて紹介します。これにつなげて、次に、組織のあり方について考えていることを述べます。

■NPO法
 非営利民間組織の法制化に向けて検討が進んでいる(この原稿を書いているのは一月末)。政府(経済企画庁)による調査も行われた。また昨年末、連立与党案、新進党案が一応でた。今年中に法案が出て、成立ということは十分ありうる。他方、民間の動きとしては、九四年十一月に各分野の民間団体が会員となって構成される「「市民活動を支える制度をつくる会」(略称=シーズ)が結成され(ヒューマンケア協会も加盟)、独自の法案を作るなどの作業を進めている。入手しやすい文献としては、『経済セミナー』九五年十月号(日本評論社、八五〇円)の特集がある。千葉大学文学部社会学研究室の報告書『NPOの挑戦――非営利民間組織は日本社会をどう変えるか』もある。米国のNPOに関する紹介、ワーカーズ・コレクティブ、在宅福祉やまちづくりに関わる団体、フリースクール、不登校児の親の会、普通学校への就学運動等が取上げられていて、三七〇頁、四〇〇字詰約一五〇〇枚の大作、文献リストも充実。一五〇〇円、お買い得です。問合せは立岩へ。
 関連する二つのポイントがある。第一に、法人格をどの範囲に、どのように(誰が)認めるのか。第二に、税制上の優遇、一つは収益事業、つまり本来の事業を行なう資金を稼ぎ出すための事業に対する免税あるいは減税、一つは団体に対する寄付についての所得税からの控除(寄付金を除いた額に対して課税される)をどうするのか。
 シーズ他の多くの民間団体が主張しているのは、一定の規約等をそなえ、会計を公開するなどによって非営利団体であることが確認されれば、法人格を与えてよいということである。今の公益法人のように、主務官庁といったものはおかず、官庁による認可は不要、その代わりにたとえば登記所に登記するようにする。そして、税制面での優遇を受けられる条件は、法人格が付与される条件よりもう少し絞ったものにすればよい(その具体的な条件は検討中)。私は基本的にこれでよいと思う。
 それに対して、政府が昨年末にいったん提示しようとした案や、各政党の案は、組織や活動内容に条件を与えるものになっている。政府案は、いわゆるボランティア団体に限るとしていた。またたとえば、新進党案は、会員の過半数及び役員の三分の二以上が同一都道府県内に住所地をもつ、主たる活動地域が同一都道府県内でなければならないなどの条件を付し、都道府県知事が「認可」するものとしている。(連立与党案はこれよりは条件が緩くて、地域の限定はなく、都道府県知事による「認証」としている。)
 民法(いわゆる民法法人として財団法人・社団法人がある)との兼ね合いもあってたしかに難しい面があるようなのだが、こうした条件は不要である。まず、どんな非営利組織であっても、非営利組織であれば、法人格を取得できるという方向に持っていく必要がある。このことは、現在当の民間組織が主張していることであり、また各新聞の社説等の論調もおおむねそのようになっている。
 会計内容の公開を前提として、その組織の非営利性(利益の私的な配分を行わないこと)が認められる。法人格が付与されることによって、契約主体になれる。たとえば組織の名義の銀行口座を開ける。ただこれだけでもそれなりの意味がある。営利組織であれば、どういう種類の事業をしようが株式会社なり有限会社なりの法人格が得られるのに、非営利組織ではそうはいかないのはおかしい。
 まず、私が関係するわりあい小さいところから。たとえば大学の研究者は大学の研究費や文部省の科学研究費を使えるのだが、公金というものは途中で現金化されてはならないのだそうで、郵便振替口座への送金はいったん現金化されるから不可で、銀行口座になるのだが、任意団体の場合、団体名の口座を持てないので個人名義の口座に送金することになる。それも不可能ではないが、やはり団体の口座があった方がよい。「障害者総合情報ネットワーク」をとりあげた時にも述べたのだが、二十人の研究者が必要な情報の購入料としてここに年に五万円払えば年百万円、アルバイト一人分くらいの給料にはなるかもしれない。
 もっと大きいところでは、国、地方自治体との契約がやりやすくなる可能性がある。これまで、活動実績があっても、法人格をもたないということで、契約関係を結べないことがあった。また、有料でサービスを提供しているという理由で、自治体の広報等での紹介を断られることがある。新しい法律のもとで、非営利組織であることが認められば、有料でサービスを提供していても営利目的ではないということで、こうした問題が解決されやすくなる。これまでの法律で事業内容が定められた法人と異なり、自由で主体的な組織でありながら、その上で、政府との契約を行える主体になりうるということである。
 同時に、情報公開は市民による監視を可能にする。たとえばもし既存の法人にも情報公開が義務づけられれば、認可は難しいが、いったん認可されると後は法人の(たとえば理事会の)内部で全てが処理され、人事が世襲され、利用者のためのサービスを提供しているとはとても言えないような、福祉施設(を経営する社会福祉法人)のあり方を私達が問題にし、改善を求めるといったことも可能になる。
 税制の問題はまだはっきりした線が出ていない。各政党案は法人格の付与と税制上の優遇を基本的に連結させる方向だが、これだと今見たように、条件も厳しくなる。シーズ案のように、分けるのがよいが、では優遇の条件を(法人格付与の条件とは別に)どう設定すればよいのか。考えどころだ。他にももっと議論されてよい点が多い。あまり急ぐのはよくないと思う。私は昨年から経済企画庁の調査、報告書作成に参加し、社会サービス関係の団体が何をしており、どんな法人格を必要としているのか、書くべきことを書いたつもりだが、様々な団体自身が、自己アピールも兼ね、この議論に積極的に参画していくのがなによりだと思う。今後の動向には目を離さないでいただきたい。

■サービス供給組織
 法律ができたとして、それはある形態の組織に法人格を与えるというだけで、またそれでよいのだと先に述べた。その活動の内容は、自分達が作っていくものだ。
 何をするのか。大きく二つある。一つは、利用者に実際に必要なものを供給することである。一つは、政策の立案と提案など外側に向かっての働きかけである。両者は関係する。一つには、たとえば制度を変えていくこと自体が、市民に対する貢献、サービスでもあるからだし、一つには、サービスを供給するためのお金を政府などから引き出す必要があるからだ。また、サービスの供給主体になることによって交渉力をもてるということもある。ある団体だけが必要不可欠なサービスを供給でき、政府がそれに頼らざるをえないなら、その団体の発言力は強くなるということである。ただ、全てを同じ組織が行なう必要はない。うまいぐあいに組合わせたり、連携してやっていけばよい。
 民間、特に当事者がサービスを提供することの意味についてはこの連載で何度も述べ、活動を紹介してきたから、ごく簡単に。民間、特に当事者主体の組織がサービスを担う方が利用者にとってよい(ことが多い)。これは様々な組織が既にやってきたことだ。ただ、それを形のあるものにし、評価させるための工夫がいる。多少無理してでもやっていることを外に開いていく。私が自立生活センターという組織の形態を支持するのはここだ。他でもやってきたことをことさら「プログラム」とか「サービス」とか言って、形にし、外から見えるようにする工夫をしている。
 たとえば一人の人が地域で暮らし始めるのをサポートするのに一月かかり、お金に換算すれば数十万円になる。だが実際にかかるのだったらかかってよいではないか。ただその際、このサービスをどれだけという具合に、内容と効果を目に見える形にする工夫をしておく。そして、そういうところでお金が全く使われていなかったかといえばそうではなく、行政にしても、その内容はともかく、相談業務のためとして役所に常勤の職員を雇い、それなりの予算を使ってきた。それをより効果的に自分達がやれているだということを、まずはいくつかのところで、実証し、それをアピールする。また始まりは「〇〇君を支える会」でよいけれど、不特定多数に対して供給する体制にしていく。このようにして、サービスの提供に対する政府や民間の支援を引き出していく。こういうのが米国のNPOのやり方であり、自立生活センターはそれをとりいれてきた。そして、こういう「事業」を実際に運営していくための組織の経営、人材確保の必要性が出てくる。これは次項で。
 これはNPOに関する法律がどうというのとはひとまず別の、NPOの組織運営、運動の展開のための方法論だ。
ただ、法律のあり方とも無関係ではない。
 社会福祉法人になるという選択肢もある。ただこの場合には、入所施設の経営、リハビリテーション、授産といった事業をする団体だと法律(社会福祉事業法)が決めて、その事業に措置費としてお金をおろすというかたちになる。こういう(場合によっては意に沿わない)事業を(一応)行ないながら、独自の事業は別に行なうことになる。それでもやれるのだったら、それでよいかもしれない。けれど、そういう古い衣を着るのではなく、いっそのこと、別のかたちでやってみるというのはどうだろうか。厚生省なりの既存のあるいは新規の事業の内容に文句をつけ、当事者型の組織を事業の主体として認めることを求めていくと同時に、まず組織が組織としての(法人格を含めた)主体性をもち、サービスの供給を先行させ、実績を作り、それをことあるごとにアピールして、それを税金を支出すべき事業として認めさせていくことが必要ではなかろうか。(東京都内の自立生活センターが、おおむねこういうかたちで、事業に対する支援を東京都から引き出そうとしている。機会があれば報告したい。)今回の法律制定の動きは、うまくいけばこういうことを実現させやすくする。

■外に向かう組織、そして「人」のこと
 次に、「外側」に、社会全体に、たとえば政府や企業に向かっていかないといけない部分がある。権利擁護が大きな課題なのだが、法律を盾にするにも、盾にする法律がないという状況だから、法律を作る、変えることを考える必要がでてくる。権利を抑圧している法律(たとえば優生保護法)はなくなってもらわないと困る。また市町村レベルでは、障害者基本計画(『障害者の福祉』あらため『ノーマライゼーション』九六年一月号が特集している)にどのように参画していくかが課題になる。また対政府というだけでなく、前々回にも述べたように、ボイコット戦術などを含め、企業と渡りあうことも必要になってくるだろう。
 政治的な情勢は、前々回にも述べたように、運動が無駄でなくなる方向に、少し変わってきている。また、保守政党と結びついて予算を得てきた旧来の大きな全国組織は力を弱めつつある。中央官庁の目から見ても、期待されるだけの活動を行えていない。それらの組織がもし存続していこうとすれば、その性格を変えていかなければならない。この場合には、対話や協力の余地が出てくる。
 「優生保護法」だってずっと変わらなかった。しかし今後も変わらないだろうか。一昨年エジプトのカイロであった「国連人口会議」で、私達の本の共著者でもある安積他が日本の実態を告発し、これに政府はかなり動揺したというようなことがある。訴えかけるルートを考えれば、変わりそうになかったものも変わる可能性がある。
 問題はそのための組織である。これまで、それぞれの組織が重要な役割を果たしてきた。しかし、政策への対応能力、政策立案能力という点では、十分だとは思われない。
 今ある全国的な組織は、それぞれが一長一短といったところである。たとえば、集会や大会、あるいはそれが活動の大きな部分を占める団体の場合、集会は年に一回とかで、活動に恒常性をもたせるのが難しい。私はいくつかの機関誌の読者であるにすぎず、個々の組織の内情を知らないし、どうなればよいのかわからないが、なんらかのかたちで再編成される必要が今後出てくるかもしれない。また、阪神大震災の際にみられたように、いくつかの団体が連携した活動を行うといったことが必要とされるだろう。
 このような組織の連携、あるいは再編成もさることながら、先に述べたサービス供給型の組織も含めて、特に私が大切だと思うのは、実務体制の強化である。
 今、同じ人達が複数の組織の中核を担っている、担わざるをえないでいる。これは当面仕方がない。しかし、そういう特定の人達の仕事が増えるだけだとと身がもたないし、活動力も強化されない。基本方針は、組織によっては運営委員会、組織によっては総会で決まるとして、そしてその中心を担う人達が急に増えることは望めないとして、それに加えて必要なのが、基本的なアイデアを現実のものにするための、外部に対してより強力な組織体制であり、実働部門、事務局体制の強化である。いまのところ、各事務局は日常的な業務で手一杯だ。その業務はそれとして、基本的な方針を具体化し、対外的にアピールしていくための組織の内実とそれを支える人材が必要なのである。
 そのためには金が必要だが、たとえば事務所は間借りさせてもらい、さしあたり常勤の人を二人くらい雇う。このくらいの規模でやっていくこともできなくはないのではないか。各組織がというよりは、資金力に応じて各団体が負担して(形式的な所属はどこでもよいが、たとえばDPI日本会議あたり)プロジェクトの実行を担当する部分を作り仕事をさせ、それぞれのプロジェクト、アピールに関し、関係ある団体が名を連ねるといったかたちも考えられる。
 各政党と恒常的にコンタクトをとる、政府や政党に質問状や要請書を送る、議員にことあるごとに見解を明らかにさせるといった仕事がある。また、たとえば療護施設などの実態をまとめて公表していくといった仕事もある。前々回述べた、よりましな企業をほめあげるといったことを含む、企業行動の監視活動がある。また対マスコミ活動がある。マスコミの姿勢は、障害者運動に「啓蒙」され、全体的に以前よりましになっているが、依然としてぼけた記事なども多いし、たとえば公的介護保険について障害者の団体に取材することもしていない。米国のNPO、たとえばADA(障害をもつアメリカ人法)を実現させたアメリカの障害者の運動団体は、単に取材に来てくれというだけでなく、私達の主張のポイントはここなのだと、わかりやすい書類を作り各報道機関に配るぐらいのことをやってきた。
 これらの仕事は相当の労力、そして才能を必要とする。とにかく人を確保することだと思う。そしてこういう仕事は片手間ではできない。ともかく暮らせるだけの給料を払うしかない。一つの方法として、外からスカウトというやり方もあるのではないか。ある調査で死刑制度廃止などの人権擁護活動を行っているアムネスティ・インターナショナル日本支部にうかがうことがあったのだが、事務局長は民間企業から転身された方だということで、アムネスティと聞いてちょっとイメージするハードなタイプの方では全然なかった。また、先に紹介したシーズという組織にしても、とにかく(他の団体と共用しているのだが)事務所があって、そこでフルタイムで働く松原明さんという人(他の民間団体から来てもらった)がいて、それで活動がなりたっている。たびたび各政党の政策立案担当者を呼んだシンポジウムなどを開催し、独自の法案を作成り、郵便、ファックス(以上は会員のみ)、パソコン通信によって情報を提供している。マスコミに対しても積極的にアプローチしている。民間組織に関わる法律が問題になっているという事情もあるが、それだけでなく、民間団体の方が各政党より知識も持ち、種々の組織をネットワークしているからこそ政党や政府も無視するわけにはいかないのだ。
 第二に、すぐ使える人と同時に、これから使える人、次の中心を担える人を養成していく必要がある。
 まず全般的な情勢としては次のようになっていると思う。これまで、怒りを糧に、ほとんど手弁当でやってきた人達がいて、今あるものを作ってきてくれた。ところが私ぐらいの世代から始まって、いまどきの若いものは、そこまで気合が入っていない。人材不足になる可能性はあり、現にその気配はある。ではやる気がないのかというと、そんなことはない。とにかく手堅いところに入って堅い仕事を、という気分は、この社会が「豊か」になったのに伴い、他方で堅いと思っていた仕事があまり堅くなくなり(終身雇用の解体…)、少なくとも一部では、薄れつつある。だったらおもしろい仕事がよい。現にNGOへの「就職」を希望する人は意外に多い。そして仕事がおもしろいということは、何割か安い給料で雇えるということでもある。他よりおもしろいから安くてよい。しかしただでは使えない。
 まず実務を担い、やがて運動の中心を担っていく人、その人達は、障害者の運動の場合、やはり障害をもつ当事者が適しているだろう。その教育や雇用の状況にはそれ固有のものがあるから、今言ったことがすべてそのまま当てはまりはしない。しかし、それでも、民間組織のスタッフとして暮らしていこうとする人が、特に若い世代の中から、もっと出てきてよいし、その可能性はあると思う。障害者の雇用状況が悪いのは、無論それ自体としては問題だが、ただそれは、(あまりたくさんの給料を払えない)民間団体にとっては人を得やすいということでもある。最初からフルタイムの給料としなくてもよい。すでに使われている手だが、たとえば年金を受給している人については、ひとまず、それを含めて生活していける水準で給料を考えていけばよい。ただその人達は、最初から組織を切り盛りし、外部と交渉する技術をもっていない。これは当たり前のことである。だから、民間組織の経営、外部との折衝の手法に通じた人と一緒に仕事をしながら、その方法を学んでいくということが考えられる。
 第三に、ボランティア、あるいはアルバイターは活用すべきである。たとえば、薬害エイズ告発の運動を担い支えてきているのは、まず被害にあった当事者であり、また弁護士などの専門家であると同時に、多くは二十歳前後の数多くのボランティアである。その活動を促しているのは、言うまでもなく製薬会社や厚生省に対する強い怒りだ。すべての活動で、怒りが行動に駆り立てるわけではない。人を怒らせるものが世の中にそうたくさんあったらいけないのだ。けれども、動因になるもの、意義を感じ、得られるものがあれば、組織の側から言えばその人に与えられるものがあれば、参加しようとする人はいる。介助などをボランティアでまかなうのは明らかに限界があるが、この場面での参加は歓迎すべきだ。むろん払えるならアルバイトで来てもらってもよい。将来社会サービス系の仕事に進むような人に民間組織の活動のことを知らせておくことは、彼ら自身にとっても意味があり、運動にとっても意味がある。その際、ただ使うというのではなく、意義を理解してもらい、活動への充実感を得られるように配慮する必要がある。この辺もアメリカのNPO、またそれを支えるシステムに学ぶべきことは多い。NPOの側でボランティア受け入れのシステムをかなりしっかり作っている。また大学の社会科学系の学部などでは、民間組織の活動に一定従事した大学生に単位を与える「インターン」(研修生)の制度があったりする(先に紹介した千葉大学の報告書参照のこと)。日本の大学も変わらないといけないが、民間組織の側の受け入れ体制も十分に整っていないのも実情ではある。
 紙数が尽きました。最終回は、人を使って、おもしろいことをやろうという話でした。


REV: 20161031
NPO
『季刊福祉労働』
立岩 真也
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