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医療に介入する社会学・序説
立岩 真也
1996/03/08
『病と医療の社会学』
(岩波講座 現代社会学14),pp.93-108 30枚
last update: 201509192
※ 本が品切れになっていますので、この文章のテキストファイルをお送りします。200円です。→
https://gumroad.com/products/AgoWj
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現在起きている問題とその解決の方向は、現実の改革はかなり面倒だとしても、はっきりしているように思われる。要するに「利用者主権」「消費者主権」であり、それをどう確保するかである。これはごく普通の要求である。そして医療の社会学の言説もほぼこのことの周りに存在してきた。紙数がなく先行業績を検討できないが、ごく簡単に言えば、第一に、それらの多くは、提供者側と利用者側の関係、役割関係、力関係を記述し、その間の駆け引きを描いてきた。第二に、「医療化」と呼ばれる事態を描いてきた。これらで、主題化され、あるいは対照物とされているのが「自己決定」である。けれども、これはかなり面倒な問題である。それは病が病であるがゆえのことだ。図式だけを言うと、いつも相反するものが二つあって、どちらをとってもしっくりこない、だがその真ん中をとるわけにもいかないという具合に、必然的に、なっている。このことに自覚的でないと事態を捉えそこなう。ゆえに、論は何度か折れ曲がり、少し複雑になる。だが、現実の成り行きそのものがそのような性格を持っている。本稿は、それを辿りながら、社会学が行うことのできる、私が行うべきだと考える「仕事」を列挙する。
■T まず、医療が消費される場の構造とその変容の条件
■U 所有・消費の踏み越えと行き止まり、そして消去
■V「みんな」と「ケア」という問題化=答え、そして消去
■W 私達が私を越え、私に解消させてしまう、回収されないもの
■X 供給者がまたも現れてしまうことについて
■Y このように問い=答えが現れてしまう場の構成を問うこと
注
★01 立岩「生殖技術論・2〜4」(『ソシオロゴス』十七号、一九九三年、他)、「身体の私的所有について」(『現代思想』、一九九三年十一月号)、等。自己決定について本稿で論じられない部分に関し、「自己決定がなんぼのもんか」(『ノーマライゼーション研究』一九九四年版年報、特集:自己決定の光・そして影)、「女性の自己決定権とはどのような権利か」(早川聞多・森岡正博編『現代生命論研究――生命と現代文明』、国際日本文化研究センター)、他。また、自己決定という条件が消去された場所に現れる「よい優生学」(→U・W)に関係して、「出生前診断・選択的中絶をどう考えるか」(江原由美子編『フェミニズムの主張』、勁草書房、一九九二年)、他。なお、本稿での論点に直接関わって、参照すべき文献はあまりに多く――たとえばYでは、村瀬学「「人間」の根拠はどこに求められるか」(『「いのち」論のはじまり』、JICC出版局、一九九一年)が気になっていた――、紙数の制約から提示および紹介を省略せざるをえない。
★02 安積純子他『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』(藤原書店、初版一九九〇年、増補・改訂版一九九五年)。
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◆Gumroad 2015/09/19
立岩真也1996「医療に介入する社会学・序説」 『病と医療の社会学』(1996/03/08,岩波講座現代社会学14),岩波書店,に収録された立岩真也「医療に介入する社会学・序説」。本が品切れになっているので、テキストファイルでお送りします。「これはかなり面倒な問題である。それは病が病であるがゆえのことだ。図式だけを言うと、いつも相反するものが二つあって、どちらをとってもしっくりこない、だがその真ん中をとるわけにもいかないという具合に、必然的に、なっている。このことに自覚的でないと事態を捉えそこなう。」(冒頭部より) 関連情報は
http://www.arsvi.com/ts/1996a19.htm
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UP:20110122 REV:20150919
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