HOME > Tateiwa >

政府と民間組織との分業について・再論

立岩 真也 19960229
千葉大学文学部社会学研究室『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』
千葉大学文学部社会学研究室&日本フィランソロピー協会,1500,第11章追記,pp.222-223


 行政がやらないから仕方なくやっているという話があった。本来なら「公」が供給すべきものを仕方なく「肩代わり」しているのだという。実際このようにして始まった活動が多くあるだろう。他方で,自らの活動を行政がやれないものとして,行政によるサービスとは別に存在するものとして積極的に位置づけてもいた。このことをどう考えればよいのだろうか。行政が本来は担うべきだとする(したがって本来はNPOによる供給は必要ないのだという)考え方,そうでなければ,行政のサービスとは別系統の独自のサービス供給を行政によるサービス供給と並存させるという考え方,これらしかないのだろうか。基本的なことは既に第2章で述べた。ここでは,第11章で取り上げられた社会(福祉)サービスに即して検討する。

α:費用を集め配分する主体としての政府
 サービスは基本的に有償とし,税金等の再分配としてその資源が提供されることがまず選択されるべきだと考える。
 第一に,有料化しないと必要な――第11章で指摘された,主婦層が担えない時間帯等の供給を含めた――「量」を得られないからである。
 第二に,契約関係にすることで,時に頼りなく時に独善的な相手に左右されず,自分の要求をはっきり主張し,「質」を確保するためである(cf. 第6章付論)。だがそれだけでもない。
 第三の理由は,「負担」のあり方,「公−私」の関係のあり方に関係する。サービスを行なう負担を誰に求めるか。直接の提供者にか。つまりその人を「ボランティア」とするのか。あるいは自己負担,家族の負担か。いずれでもなく,社会全体がこれを担うべきだと考える。それは,負担できる人全てに負担を義務づけ,強制することを意味する。ただ,社会の全ての人が直接に参加することは望めないし,それを強制するわけにもいかないなら,実際に可能なのは,税金等のかたちで負担させることである。とすると,直接的な参加への回路を開いておくと同時に,また開いておくためにも,負担できる者は税金や保険料を負担し,それがサービスの提供に対する対価として支払われるのが最も合理的であり,また義務として負担を課せる(強制できる)のは政治的決定を介した場合だけである。これが社会全体による支援の実現の仕方として採用される。だからここで,有償とは自己負担のことではない。実際にサービスを提供する人がいて,その人をさらに別の人達が支える。(無償の行為を行う家族を金を稼いでくる家族が支えるという関係にもこれを縮小した形があるにはある。しかし,それが合理的であると言えないことは第7章付論で述べた。また,義務が家族の中に閉じられることに正当性がないことは立岩[1992]で述べた。)実際には全ての人がサービスの提供に関わらないとしても,全ての人が権利を擁護する義務を果たす。だからここには負担の一方的な押し付けはない。生きる権利を認めるとは,このように全ての人が義務を負うことだと考えるなら,むしろこちらが選ばれてよい。

β:直接的供給主体としてのNPO
 この立場を取る場合,通常,その実際の供給を担当する主体としても政府が指定される。ここがよく間違えられるところである。繰り返すが,資源を誰が出すかということと,誰がサービス供給に携わるかとは別のことだ。社会的負担を主張することは,政府がサービスの提供まで直接担当することを意味しない。次に,供給主体を別にすることをなぜ主張するか。理由は単純で,利用者にとってよいサービスがよいサービスだということである。誰からどのようなサービスを受け取るかに関わる決定は利用者に委ねられるべきだと考える。つまり資源の供給とサービス(の提供者)についての決定を分離し,前者を政治的再分配によって確保し,後者を当事者=利用者に委ねればよい。しかし,個人が単独で供給された資源を利用し,サービスを利用することは難しい。ならば,そこに組織が介在すればよい。しかしその組織として行政機関は必ずしも適任とは言えない。
 第一に,政府はその行政の区域について常に単一の主体であるため,競争が働かない。利用者にとっては選択肢が存在しない。
 第二に,市民の直接的な参加が難しい。活動に従事する人を非常勤の公務員として登録するという手もある。しかしそれでは,サービス提供のあり形の企画・決定まで市民が担うことはできないだろう。
 第三に,市民参加,というよりむしろ利用者の(そしてその代弁者の)参加が求められる。価格メカニズムがうまく働くなら,供給者サイドに委ねておいてもよいかもしれない。供給者はその製品を買ってほしければ,品質等々に気をつかい,消費者に受け入れられるものを供給しようとするだろうから。全ての商品について,消費者がそれを管理するのは大変なことだが,それをしないで済んでいるのはこういう事情があるからだ。しかし第一に,一定のサービスに対して定額制のシステムが採用される場合には,価格メカニズムは働かない。また,価格の上乗せ分が自己負担になるといった場合を考えるなら,価格によって質を制御すればよいとも言えない。このような場合に,非営利の,利用者に近い組織,あるいは利用者自身がコントロールできる組織が求められる。★01

 もちろん,民間組織が必要な全体を覆えない場合にどのように対応すべきかといった問題は残る。(これに対する基本的な回答は以上から可能である。使えないお金を供給しても権利を保障する義務を果たしたことにはならない。実際に使えるものとして供給されるまでが義務として社会(その代行者としての政府)に課された範囲である。ただし,この部分に対する民間組織の参画が妨げられることがあってはならない(cf. 第12章付論)。)また,実際の費用の供給システムをどうするか。利用者に対する現金支給という方法もありうる(cf. 第4章付論)が,現物支給(供給主体への費用の供給)とした場合,実際にサービスを提供する人に渡る部分と供給・媒介組織に渡る部分をどう考えるのか。これらの問題も残る。しかし基本的には,以上で述べた「分業」が採用されてよいはずである。


★01 昨年度の報告書(千葉大学文学部社会学研究室[1994]),そしてこの時得られた調査結果も用いた立岩[1995b] が,障害を持つ当事者が主体となってサービスの供給を行っている組織「自立生活センター」について報告している。この付論の多くの論点は立岩[1995a][1995b]で提出されている。以上の論点に関連し,現在導入が検討されている「公的介護保険」について立岩[1995d]。


REV: 20161031
『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』
立岩 真也
TOP HOME (http://www.arsvi.com)