HOME > Tateiwa >

もう一つの仕事、という越えかた

立岩 真也 19960229
千葉大学文学部社会学研究室『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』
千葉大学文学部社会学研究室&日本フィランソロピー協会,1500,第6章追記、pp.134-135


余暇としてのボランティアの境界
 最初に、第6章でとりあげられた活動自体に何らの異論があるわけではないことを言っておく。
 ただ、第一に、それは、空いた時間に行なうものだから、そういう時間の使い方で満たされない必要には対応しない。
 第二に、活動する人にとっての意味について。しばしば「自己満足」という言葉は否定的に使われるが、もちろん自己満足自体にはまったく何も問題はない。だが、満足している時に、当の相手が不在になってしまうことがあって、この時に「自己満足に過ぎない」という指摘がなされるのだ。ただ、こういう「独善」はあまり近頃はないのかもしれず、むしろ、ボランティアする人は具体的な人との「関わり」から何かを得ている。ならば問題はないかというとそうでもない。受け取る側にとって、相手を遮断してしまえないことにもなりうる。このことがここで言いたいことである。
 例えば、ディズニーランドに行くことがボランティアと一緒に遊ぶということなら、ボランティアはその人との関係がおもしろいだろうし、ボランティアされている人もおもしろいかもしれない。けれども、自分が親しい人とそこに行く、しかしその親しい人と別の介助者が必要だという時には、その介助者はできるだけ無色透明である方がよい。そういうことをわかった上でそれをボランティアとして自然に行える、人間のできた人もいるかもしれない。しかしこれはなかなかに難しいことではある(この辺については岡原[1990→1995])。
 つまり、余暇活動としておこなうにはなかなか、という部分があるということである。これは誰もが知っていることではある。ただ第二点としてあげたものについてはどうか。ボランティアをされる側は、ボランティアをする相手との関係において、むしろサービスを提供しているともいえる。むろん大抵の場合は、一緒におもしろがったり、一方はボランティア活動を提供され他方は精神的満足を受け取るといった互酬関係が成立しているのだが、活動を提供されるために精神的満足を与えるというサービスを提供しなければならないこと、ならないと考えることがうっとおしいこともありうるということだ。先に、あるサービスを受け取ることを権利として立て、その権利を確保させることをすべての人の義務としようとする時には、税を支払うという義務を課し、それを実際にサービスを供給する人に活動の対価として支給するという方法があることを述べた(第2章)。ここにもう一つ、「仕事」としてその活動を位置づけた方がよい場面、よい理由がある。

もう一つの仕事
 もちろん、そういうことは別の人にやらせればよいという考え方もある。それは確かに一案である。しかし仕事Aをやる人と仕事Bをやる人が分かれていることがよいことなのだろうか。もちろん、一つの仕事Aだけをするのに適している、それが自分の好みであるという人も非常にたくさんいるだろう。しかしそうでない人もいる。その人自身にとって、またその活動を享受する人にとっても、一日や一週間や一生の中で2つ以上の活動・仕事に従事するという働き方がよいことがある。この時には、会社の仕事とは別に、しかしやはりお金も得られる仕事をするという道もあるのではないか。今のところ、ボランティア活動をする勤め人はもっともお金を求めていない人達で、お金を受け取って下さい、などと言われると困ってしまうのだが、その活動が稼ぐ時間(仕事A)に食い込んでくると、それも違ったものになってくるのである。

例えば「介護」のこと
 これに関連するのは、例えば高齢化への対応、いわゆる「介護」、介助のことである。経団連が、高齢化への対応を課題としてあげ、そして社会的負担の上昇を危惧し、企業が担うべき役割があると主張していることが紹介された(第5章)。私には、こういう主張がどれほど真剣に主張されているのか、また具体的に何を指しているのか見当がつかない。
 こうした仕事は余暇としてのボランティア活動では対応しきれないものだ。日常的な仕事の時間に食い込む。やりがいがないとは言えないにしても、「趣味」と位置づけられてすむものではない。そしてその仕事の専業者だけに委ねなくてもよい仕事(仕事Aをする人にとっての仕事Bであってもよい仕事)でもある。そういう仕事に(も)従事できるための絶対的な条件は、まず仕事Aが減ること、Aを減らすこともできることである。「企業の社会的貢献」を言う以上、これを企業は受け入れるのだとしよう。さらに、企業は、休暇として、有給休暇として活動を保障することを主張し、実行するのだろうか。もしまじめにそれを実行しようとするなら、とりわけ規模の小さな企業の場合にはその雇用を維持できるかどうかというぐらいの、相当の負担になることもあるだろう。むしろ、その仕事は、企業での仕事とは別の仕事として、賃金も別のところから得られるようにした方がよいのではないか。その結果「負担率」は上昇するだろう。しかし、給料を払うのだって企業にとっては負担である。だから問題はどちらの負担の方が合理的なのかということだ。
 こういうことがどれだけ真剣に検討されているのか、それが、上に見当がつかないと述べた理由である。

繰り返すと
 繰り返すと、「稼ぐ人」の「余暇」としてのボランティアを否定するのではまったくない。それが当人にとっておもしろいものであり、求められている活動でもあるなら、それはもちろん好ましいことだ。しかしそれでまかなえない部分がある。そしてそういう仕事があるなら、それは別の人に委ねてしまえばよいとだけいうのは短絡的である。委ねる方がよい場合ももちろんあるだろうが、それで全てではない。この時、その仕事Bをどのように位置づけるか、またそれと仕事Aとの兼ね合いをどうするかという問題が現れてくるのだ。


REV: 20161031
『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
TOP HOME (http://www.arsvi.com)