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企業の社会貢献の条件

立岩 真也 19960229
千葉大学文学部社会学研究室『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』
千葉大学文学部社会学研究室&日本フィランソロピー協会,1500,第5章追記、pp.114-116


Friedmanの批判

  企業の社会貢献に対するFriedman[1970]の反論があって、多くの文献でもこれが紹介され、さらにこれに反論が加えられる形になっている(笹川平和財団コーポレート・シチズンシップ研究会編[1990]、電通総研編[1991:171ff]、松岡[1992:154-158]、田代[1994b:114-115]、等々)。Friedmanの批判は以下のようなものである。
  @企業は営利を目的として組織されたものであり、企業経営者は株主からの付託に応え、利益を上げることに専念する義務がある。
  A社会に対する貢献は企業が得意とする分野ではなく、不得意な分野に手をつけるのは社会的資源の無駄遣いである。
  Bいかなる資源を使ってどのような社会貢献活動を行うかを誰が決定するのか、経営者に任せるのが果たして適切であるのか。
  以上のFriedmanの批判のA・Bは以下のαに関わり、@はβに関わる。
  α企業の社会貢献は社会に貢献するのか
  β企業の社会貢献は企業に貢献するのか

企業の社会貢献は社会に貢献するか

  「社会貢献」は、それ自体として悪いことではない、文字通り社会に貢献することだとしよう。問題は他の選択肢と比較してどうかである。企業が本来の企業活動に徹し、価格を下げる、良質な商品を提供する方が社会的に利益が大きいから、そちらをとるべきだという考え方は成り立ちうる。例えば 120円で販売して20円の利益があったとする。そしてこのうち10円分を社会貢献に回したとしよう。残る利益は10円になる。しかしこの企業は、その製品を 110円で販売しても利益は10円になる。言葉を広くとればこれも社会貢献と言える。あるいは20円の利益のうち、税金として10円を払う。これらのどららがより多く社会貢献に結びつくかはにわかに判断できない。例えば企業による寄付が、富裕な層に対して偏って行われるとしよう。これよりも全ての人が(例えば商品の価格が下がることによる)利益を得られた方がよいという考え方はありうる。(以上では、企業の社会貢献活動に費やされたかもしれないものが、税金というかたちによってにせよ、商品価格というかたちによってせよ、他のかたちで社会に還元されるという仮定がおいてある。この場合に、企業が社会貢献活動に費やす分以上の貢献が産み出され「うる」ということである。この仮定が成り立たないのであれば、話は変わってくる。)
  もちろん、何が何より効果的なのかについての判断自体、人によって異なるはずで、その基準を設定するのは難しい。けれども、これはFriedmanのBの論点に関わるのだが、ここでも次のことを指摘しうる。その判断を企業に任せることがよいのか。例えば先の10円について、企業がその使途を決定するのがよいのか。企業の利益である以上、その利益の使途は企業に任されて当然だとも考えられる。しかし、上と同様、一定部分が貢献活動に使われるものと決まっていれば、この問いは残る。政治的決定に基づいて使われる方がよい、あるいは個々の消費者が決定できた方がよいとする考え方はありうる。
  少なくとも企業の社会貢献について「専門家」でない私達が知り、そして納得できるようなかたちでは、これらの問題が充分に検討され、その検討の結果が報告されているとはいえないように思う。

貢献活動の動因

  こうしてαの問題は未決なのだが、ひとまず企業が社会貢献すべきであることを前提したとして、次に、FriedmanのAの主張を受け入れながらなお、企業が社会貢献活動に向かう要因について、第5章を引き継いで少し考えてみる。
  誰の何が貢献活動の動因になるのか。企業行動の決定者は資本家、そして資本と経営との分離が見られるところでは相対的に資本家と独立の行動をとる経営者、そして企業行動に影響力を与えられる条件がある場合は労働者、また、まわりまわって、しかし究極的には消費者、ということになる。彼らにとって何が問題になるのか。
  A:資本家、経営者の意志・価値観。資本家、株主、そして現実にはかなりの部分経営者が企業行動の決定主体であり、その人達が利益の一部を社会貢献に使う場合がある。また労働者が実質的に経営に参加できる場合にも、企業に社会貢献を要請し、実現させることもありうる。ただ、これだけだと、資本家、経営者――特に企業を創設した所有者・経営者――(労働者)の好み、価値観によって社会貢献活動がなされることもある、そしてなされないこともあるというだけのことである。
  B:企業活動。企業活動を行う上で、少なくともある種の企業は情報が必要である。しかし、本来の活動を行うばかりでは情報を得られないかもしれない。また、企業活動を行う上で、労働者の「士気」や「柔軟な発想」が関係してくる。この場合に、社会貢献活動に参加することによって、それが得られるのであれば社会貢献活動が支持される。
  C:市場の環境。企業がものを作り売るために、ものを作れる、ものが売れる環境がなくてはならない。労働者に労働能力がなくてはならないし、消費者に購買能力がなくてはならない。そうした市場の環境を維持・改善するために貢献活動を行う、例えば教育に援助するといったことがありうる。この場合には、投下した貢献分(コスト)を、それを行ったことによってもたらされる利益が上回る場合に、社会貢献活動が選択されることになる。こうした主張をFriedmanに対する反論としている文献もある。
  D:消費者の選択。消費者にとって企業はまずは商品の提供者として現れる。消費者が通常気にするのは商品(の品質と価格)である。しかしどういう観点で購買を決定するのかという基準は消費者に委ねられており、開かれている。つまり消費者は、商品それ自体だけではなく、他のものを評価することがありうるということであり、このことは禁じられていないし、また多くの場合に問題があるわけでもない。この評価基準の中に企業の社会貢献度が入ってくることがある。このことは、消費者の側、社会の側にそのような選好関数が存在するか否かによって事態が大きく変わってくることを意味する。企業の社会貢献活動が社会的な義務だと考えられるような社会では、企業がその義務を果たさなければ、社会的評価が低くなり、それは収益の悪化を招くというかたちで企業にはねかえってくる。逆に評価が高まれば企業活動にとってプラスになる。おおまかに言えば、社会貢献活動した場合の利益−コストが社会貢献活動をしない場合の利益−コストを上回る場合に、企業は利潤の最大化という理由によって社会貢献を選択する、選択せざるを得ない。
  なおDも、市場(での一主体である消費者)のあり方の一部ではあるが、ここではCと分ける。Dは企業が提供する商品自体に関わらない消費者側の評価(選好関数)のあり方である。

消費者の選択・NPOの役割

  以上が考えられる。AとBは企業の内部にあり、CとDは企業の外部にある。BとCはいわゆる本来の企業活動、提供される商品自体に関係する要因であり、AとDはそうではない。これで網羅されている。では、社会貢献活動を促す社会的背景として、実際にどのようなことが言われているのか、強調されているのか。これが伊澤によって報告された。
  ここにAは入っていない。これは「社会的背景」とは言えないし、また時代の「変化」とも結びつかないことによるだろう。また精神論になってしまうから、これから企業を説得する論理としては、力が弱い。
  Cについては、少なくともこの国では、消費者が購買力を落とすほど地域社会が荒廃しているわけでもない。
  とすると、まず論理として説得力があるのは、B:市場が変化し、その変化に対応するためには、ただ本業をやっているのでは足りないというものである。この主張がどの程度妥当か。かなりの程度当たっているのだろうとは思える。しかし、今のところなかなか難しいようだ。このことも伊澤によって報告された。とするとどのように考えればよいのか。 貢献活動が必要なのだとすれば、外側から企業に対して行えることは、Dである。つまり、購買行動を通じて、企業に対して+・−の影響を与えることである。
  同じことは企業で働く人の社会貢献活動についても言える。彼らの自発的な活動が企業の活動によい影響を与えることもある。そのような場合に、そしてさらに支援するというコストの支払いよりも大きな利益が得られる場合に、それを支援するのは企業として合理的な行動である。しかし、常にこのような幸福な関係が期待できるわけではない。企業の利害と企業に勤める人の欲求とがうまく整合しない可能性がある。例えば時間の確保が貢献活動をしようとする人にとって求められているとして、それが企業の利益に必ずしもならない、少なくともなることが明らかでない、むしろ企業にとっての利益と背反する可能性がある。とすると、消費者自らが、活動を企業がどれほど許容しているのかを評価の基準に加えることによって、活動が企業の中で許容されるようにさせることである。
  以上で見たのはとても単純なことである。企業が社会貢献の責任を果たすべきだとする。ここで鍵を握るのは、究極的には消費者だということである。そして企業が行うこと、企業で働く人が行おうすることはいつもうまく調和するとは限らない。このことについても同様のことが言える。
  こうした場合、労働者が社会活動に参加できるような条件が企業にあるか否か等、直接に商品の質としては現れない、企業行動に関する情報が消費者に渡される必要がある。また、企業自体は、何が貢献活動として適切かよく知っているとは限らない(FriedmanのAの論点)。第2章で述べたことを引き継いで言えば、これらの部分こそ、NPOが活躍する領域である。


Friedman, Milton 1970 "The Social Responsibilities of Buisiness Is to IncreaseIts Profits", The New York Times Sunday Magazine, September 13, 1970, 25-26 [5+]

◇Friedman, Milton→http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/friedman.htm


REV: 20161031
企業倫理/ビジネスエシックス  ◇『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』
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