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組織にお金を渡す前に個人に渡すという選択肢がある

立岩 真也 19960229
千葉大学文学部社会学研究室『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』
千葉大学文学部社会学研究室&日本フィランソロピー協会,1500,第4章追記,pp.89-90


 NPOの側としては,もちろんお金は出してもらいたい。そこでどこからお金を出してもらうか,と問題が立つのはごく自然なことである。しかし,第一に,「利用者」「消費者」を考える時,第二に,競合しうる供給主体(特に企業)との競合における公平を考える時,よいことをしているのだからお金をもらって当然とは必ずしも言えない。だからNPOがお金をもらってはいけないというのではない。お金をもらう場合には相応の理由がいるということである。

個人に渡すという選択がある
 ある人にとってサービスが必要である。ならばそのサービスにかかる費用を直接にその当人に支給すればよい。そのことによって彼はサービスを選ぶことができる。それが一番よいではないか。(これは誰でも思いつきそうなことである。ところがそんなことを(少なくとも最近まで)考えもしなかった領域が多々ある。このこと自体興味深い。)
 例えば福祉サービス。「措置制度」というシステムのもとで,政府からの資金は直接本人に渡るのでなく,例えば「社会福祉法人」(これも非営利民間団体,法人格をもった団体である)に渡る。このことに対する利用者(例えば施設入居者)の不満は大きい。
 例えば教育。同じく政府からの資金は個人にではなく,国公立学校へ,また補助金として私立学校(学校法人)へ流れる。このことによって,それ以外の場で学ぶ時,資金の提供が受けられない(だけでなく,税金の中の教育費にあたる部分を支払わねばならない)ということになる。そこで,「それ以外の場」にも資金供給をするというのが一つの案である。しかし,本人(あるいはその親)に渡したってよいではないか(→第20章)。その利用者は何らかの組織を利用するかもしれない(あるいはしないかもしれない→「ホーム・スクーリング」→第15章)。その時に,その人は利用料を(本人に支給された中から)支払う。それで,どういう組織(学校)が栄えるのか,経営困難になるのか,つぶれるのか,それは利用者=消費者に委ねればよいではないか。現金を渡すのでは使途が限定されないという心配があるなら,現金ではなく使途が限定されたクーポン券を渡せばよい(→第20章)。もちろん,それも不要,とことん自由でよいという考え方もある。(ただ,現金支給でなければ利用者の選択が保障されないとは限らない。このことは言い添えておく必要がある。例えば公的医療保険制度における支払い先は医療機関だが,個人の利用に応じた支給になっていて,まがりなりにも利用者の選択は可能である。)
 個人にお金が渡るとしよう。その個人の選択の結果として,営利企業が選択されるかもしれないし,非営利組織が選ばれるかもしれない。教育なら,大手予備校(大体は学校法人だが株式会社のところもある)かもしれないし,フリースクールかもしれない。この場合はNPOも営利企業も同一線上で競争することになる。さらにここに政府直営の供給主体(国公立学校,国公立病院…)も他と競合する主体として参加することになる。それでよいのか悪いのかという問題がある。消費者の選択が優先されるべきだという立場からは,それでよいのだという主張もなされうる。第2章に見た,供給主体としてNPOが選ばれるのか営利企業が選ばれるのか(さらに政府による直接的な供給が選ばれるのか)という問い(そしてどのNPO,企業が選ばれるのかという選択)に関わる判断は利用者に委ねられることになる。★01
 NPOへの支持が市民の自主性を信頼し擁護しようという考え方に基づいているとしよう。しかし,そうであるなら,個人に渡すことがもっとも適切であり,組織に渡すというやり方は,実は,市民をどこかで信頼していないのかもしれない。例えばODAについて,その国の政府を支援することの弊害が言われ,NGO,NPOに対する援助の方が適切であると言われる。その通りかもしれない。しかし,それよりなおその国に住む人に直接渡したらよいのではないか。「そうはいかない。この分野のためにお金を出しているのだから,そのためにお金が使われないと困る。」その通りである。「彼らはそのお金を有効に使うことができないだろう。」その通りかもしれない。しかし,これらは,市民の自主性を尊重しないこととどれほど大きく,決定的に違うだろうか。国家のパターナリズムが批判されるが,ここにはパターナリズムがないと言えるだろうか。(私はパターナリズムが常に悪だとは思わないのだが,この論点も含め)以上記したことについて考えることは,NPOというものの存在性格を捉える上で,実はかなり重要ではないかと思う。
 さてNPOはこうした問題提起にどう応えるか。お金をもらいたい組織は,個人ではなく組織がお金を受け取ることの合理性,効率性を論証しなければならないのである。★02

計算方法について
 第4章に政府・個人・…といった内訳の数字がいくつか出てきたが,Tに述べたことを考えに入れる時,その算出方法も少し複雑になる。例えば,政府からの支出が個人に渡り,さらにそれがNPOに支払われた場合に,それを単純に利用者からの事業収入としてよいかということである。個人・政府・NPOだけをとって(現実には他に提供主体として営利企業,財源として民間寄付がある)図示すれば以下のようになる。★03
                政府からの支出として,Aだけをとるか,A+Bとす
政府 個人  NPO   るのかで,当然その数値は変わってくる。(個人に渡る
→   → A    のは生活保護,加えるとすれば公的年金制度などを除く
→ → B    と,実際にはあまりないのだが。今議論されている「公
→ C    的介護保険」が現金支給の形をとるとこれが加わるが,
               現物支給に落ち着きそうである。)

★01 たとえば筆者も作成に参加した『ニード中心の社会政策』(ヒューマンケア協会地域福祉計画策定委員会[1994])という提言が,利用者への現金給付を果敢に主張している。しかし,この提言はNPOからなされており,NPOへの財政支援も要請している。苦労して(苦しまぎれの,とは言わない)両者の調停がはかられている。
★02 政府の支出の内訳からAとBが算出でき,NPO側でA+B+Cの総額が算出できれば,A・B・Cの額,割合がわかる。ただ実際には,政府から個人に渡る分(B+α)の一部(α)はNPO以外に支出され,政府からの支出の時点ではこのαの部分を独立に取り出すことができないから,計算はそう簡単にはいかない。NPOの収入の内訳からわかるのも,A(政府補助金)とBとCを合算した額(事業収入)だろう。BとCを分けて算出しようとすれば,個人レベルでの支出の内訳をなんらかの形で算出しなければならなくなる。


REV: 20161031
『NPOが変える!?――非営利組織の社会学(1994年度社会調査実習報告書)』
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa
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