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「公的介護保険」をどうするか

自立生活運動の現在・14

立岩 真也 19951225
『季刊福祉労働』69:155-162


 今回で最終回とするはずでしたが、のばしてもらい、今話題の「公的介護保険」を取り上げることにしました。
 「公的介護保険」の導入が検討されていることについては、新聞、テレビなどでもしばしば報道されている。といっても、厚生省の方から肝心の部分について情報が出てこない。それで早ければ、九七年度から導入するのだという。けしからんことではある。けれども、案が出てたらそれに対してどうこう言おうというのは、まだ、行政官僚に依存しているということでもあって、独自の案を出していく必要が本当だったらあるのだと思う。そういう意味では、当事者、民間組織の側の対応(というよりは相手を見越し、先回りした提言)がちょっと遅いかなという感じは、正直言ってする。たとえば、第一回が十二月九日に開催された「障害者政策研究全国集会」(事務局は障害者総合情報ネットワーク)が、集会にとどまらず、継続的に作業を進め、政策提案を積極的にしていくことを期待したい。

情報

 まず情報源についての情報。以前紹介した「障害者総合情報ネットワーク(ビギン)」(電話・ファックス〇三−五二二八−三四八四)が以下の報告等の大部分を提供している。[]はその請求番号。少し詳しく動向を知りたいと思ったら、問い合せて、資料を取り寄せることである。
 本としては宮武剛(毎日新聞論説委員)著『「介護保険」とは何か』(保健同人社、九五年、一八〇〇円)がある。また今回検討されている制度は、ドイツの制度を参考にしているのだが、これについては宮武氏の本でも取上げられている他、『ドイツ介護保険のすべて』(筒井書房、九五年、一七〇〇円)、またビギン提供の資料では[五〇五][五八七]がある。介護保険についていわゆる学問的な論文は他にもあるが、入手自体難しいし、ここで紹介する必要はとりあえずないと思う。『ジョンフル・ビギン』三号(九五年三月)の伊部広行氏の文章「『介護保険構想』と当事者主体」だけあげておく。以下の私の文章では取上げられない多くの大切な論点について論じられているから、是非読んでいただきたい。
 次に行政関係の報告等。似たような名前の審議会等がごちゃごちゃ出てきて面倒だ。ただ、こういう答申が出ているではないか、それと実際に出てきた案とではここが変わっているではないか、どういうことなのだと言っていくというようなかたちで使うことはできる。現場をどれだけ知っているのかを別にして、審議会等々には、それなりまっとうなことを言っている人達が入っている。そういう人達に直接ものを言うとか、(個人的な考えであっても)考えを聞くという方法もあると思う。
 まず、厚生大臣の私的諮問機関として九三年に発足した「高齢社会福祉ビジョン懇談会」が九四年三月に提出した「二一世紀福祉ビジョン」[三三一]。
 次に、首相の諮問機関「社会保障制度審議会」の「社会保障将来像委員会・第二次報告書」(九四年九月)[四七五]。公的介護保険について、「介護サービスを負担の能力に妨げられずに受けられることを保障し、加えて、供給量と質的水準の確保を行う公的施策である」「国・地方公共団体が、介護サービスの質・量の確保や、そのための財源確保に責任を持つ。また利用に当っては、利用者の主体的な選択が尊重されなければならない」等、それなりのことが書かれている。この後九五年七月に勧告[七四三]。
 また厚生省内に設置された「介護対策本部」の下に置かれた「高齢者介護・自立支援システム研究会」(学者等十名で構成)が九四年一二月に「新たな高齢者介護システムの構築を目指して」を報告(宮武氏の本に全文と委員名簿が掲載されている)。また高齢者介護対策本部事務局「新たな高齢者介護の在り方について」[七四二]。
 現在は「老人保健福祉審議会」で検討中(中間報告、九五年七月[七三五])。
 この他、ビギンが提供しているものとしては、[七〇七](連立与党中間まとめ)、[七四一](自治労資料「新たな高齢者介護保障システムと公的介護保険制度創設の取り組みを理解するために」、九五年六月)。
 次に当事者団体の動きについて。「障害者の生活保障を要求する連絡会議(障害連)」の厚生大臣宛ての「要望書」(九五年四月)[七一七]は「仮に高齢者介護保険制度が創設される運びになったとしても、…高齢者と障害者の間に格差を設けないこと」「介護保険制度創設にあたっては、障害者当事者団体との協議を十分に行うこと」といった内容になっている。
 「全国公的介護保障要求者組合」の厚生大臣宛ての「要望書」(五月三一日)では、「障害者の自立生活に着目した介護制度の具体的な検討を始めて行くこと。その際、介護保険制度開始にあたって、障害者の介護についてもその対象として認めること」を要求している。ただ、組合としての全体的な検討、態度決定はまだ。『要求者組合通信』九五年八月号別冊が特集していて、加辺正憲氏の文章「介護保険制度に対する取り組みを開始しよう」などが掲載されている。また、「DPI日本会議」の厚生省交渉(厚生省による説明)についての野口俊彦氏の報告、DPI・JIL他主催のシンポジウム(八月十五日)の報告が、機関誌『われら自身の声』十一巻二号(十月)にある。

負担・給付のあり方について――特に年齢制限のこと

 検討すべきポイントはたくさんあるが、以下では大きく二つ(+一つ)に絞りたい。
 何度も言ってきたことだが、自分の金を出す時には何を買うか選んでよく、そうでない時にはその権利はないというのはおかしい。誰がお金を出すかと、どのようにそのお金を使うかとは別のことだ。前者。社会保険方式は、お金の集め方・出し方としては、うまくいけば、悪くない。何がうまくいけばよいのかを述べる。後者。あまりうれしいという感じがしない。そして大切な点が議論されていない。
 悪くないという理由。負担能力に応じて負担し必要に応じて給付するという方式(出ている案は一応そうなっている)にすれば、社会保険方式は、税金から負担する方式より悪い方法だとは言えない(これらについては伊部氏の文章に詳しい)。次に、今の医療保険制度のようにぐちゃぐちゃに分立した制度にならないなら、普遍的・全国的なものになる。一つのサービスについて、お金の出し方がそうたくさんある必要はなく、一つにまとまっていた方がよい。これは後で述べるサービスの多様性と矛盾しない。
 保険料を払っていない人が取り残されることが心配されている。確かに障害基礎年金についてこの問題があり、障害連などはずっとこれに取り組んできた。ただ、障害基礎年金を含む年金保険と異なり、今回のは新しく創設されるものだから、きちっとした徴収システムにすれば、払う機会がなくて支給されないという問題はない。払えないのと払わないのとは違う。払わない人からは取り立てること、ペナルティも課すことだ。払えない人は、免除する、あるいは保険料を上乗せした所得保障をする。民間の保険ではなく「公的」保険なのだから当然だ。先に引用した社会保障将来像委員会の報告もそうなっている。
 すっきりした包括的なシステムになれるのに、それを妨げるのが年齢制限である。六五歳未満の人には支給しないという案が出ている。そしてなんとはなしに、あまり検討されていないまま、そういうことになりそうな気配だ。
 「システム研究会」報告ではこうなっている。「なお高齢者以外の障害者については、障害者基本法の趣旨に沿って障害者の態様に応じた教育、授産、更生援助、住宅などの総合的な障害者施策を計画的に推進し、適切に対応していくことが望まれるところであるが、その中で介護サービスを取り出して社会保険の対象にすることが適当かどうか、慎重な検討が必要である。」
 ここには書いてないが、保険とは、今払える時に、どうなるかわからない将来にそなえて掛けるもので、既に障害がある人は保険システムに「なじまない」という観念があるのではないか。今障害をもっている人を排除した上での「みんな」の将来のリスクが、その「みんな」の関心事なのだから、高齢者対象だけでとりあえず、という発想がありはしないか。民間の保険の場合は確かに、お金のない人は入れないし、既に支給が必要な人(確実に支払いより受け取りが多くなる人)は入れない。けれども繰り返すが、これは公的保険なのであり、財源として税金も入っている。もちろんそういう理由から排除しようというのではないですね、とだめおしし、もし、露骨にそういうことを言ってくるのであれば、反論しなくてはならない。
 次に、障害者向けの施策は「総合的に」行われるべきであって、介助だけを取り出すのはよろしくないという理屈である。先の文言はそのように読める。果たしてこれまで何がどれほど総合的だったのか。それは置くとしよう。仮に総合的であるべきだとしても、これは意味不明である。いろいろなメニューが必要だとしても、介助を分けてやれないことはないはずだし、実際そうやってやってきたのだ。介助が必要なところでは介助を得る。これだけで十分だ。何か特別に扱わないといけない理由は何もない。実態を知らないのではないか。知らないなら知らせる必要がある。
 第三に、支給年齢を制限することで、かえって、若い世代に保険料を払わせることについて納得がえにくくなる。五十歳台で脳梗塞になる人は珍しくない。交通事故に会う人だっている。そういう時に、保険から支払われなかったらどうだろうかということである。だから、国民全体からちゃんと保険料を取ろうと思ったら、支給年齢に制限を設けるべきではない。
 そして、日本が参考にしているというドイツの制度にこんな年齢制限はない。これも主張の際の材料にはなる。高齢だからではなく、介助を必要とするから、要するに障害者だから、介助のシステムが必要なのだ。とにかく、きちっと、厚生省と、審議会のメンバーと話をし、マスコミも使うなりして主張することだ。
 そして、このことに関して、今大きな声を出している団体はないという現状を踏まえる必要がある。自治労は、年齢を二〇歳以上とすることを主張してはいる。ただ、このテーマは、自治労と厚生省交渉の場では論議されていないし、「高齢者に対応する…」というタイトルの自治労の厚生省への要求書にもない。こういう団体にも話を通す必要があるだろう。自治労の資料にはこうある。「一定の年齢に被保険者に限定すると、加入者ですが給付をうけない若年者の費用負担は保険料というより、拠出金という性格に変化します。この場合の費用徴収は難しくなるといわれています。なお、障害者を保険給付の対象とするかどうかは、障害者団体の意向に沿ってすすめることが必要です。」

サービス供給のあり方について

 第二に、サービスの供給体制。措置に代わって契約だとか、主体性とか権利とか言っているわりには、あまりうれしい感じがしない。
 今出ている案では、現物で供給するということのようだ。つまりサービスには点数がつけられ、その点数に合わせて保険からのお金はサービス供給者に渡る。サービスは在宅、施設の両方。要介護認定という判定の段階があり、次に、どういうサービスを組合わせて供給するか「ケアプラン」の作成が行なわれる。ただし、このプラン作成を依頼するかどうかは選択できるようにするという。この辺は各種業界の思惑も絡んで、いろいろ議論が出ている。だが、まずどういうサービスを誰が供給するのか。これは、保険制度のあり方を考える上でも本来は落とすことのできないポイントなのだが、まともな議論がなされていない。このあたりのことを次に述べる。
 『要求者組合通信』で加辺氏も述べているように、判定は避けられない(今までは、めいっぱい制度を使っても足りないという状況だったから、この問題が表に出てこなかったのである)。負担者の合意をとりつけるためにも、量を決める必要はある。問題はどういうシステムにするか、そして誰がやるか、である。
 第一。誰がやるのか。まず、資金の供給サイドとは独立のところが行う必要がある。また、利用者、あるいは利用者の利害を代弁する者が主張でき、それが実質的に受け止められるシステムにすることである。次に、資格をもった「専門職者」が必ず必要なのか。各種職能団体などは自らの職種の仕事場を確保し、拡大するために、中に入れるべきことを言ってくるだろう。実際、日本医師会等々が既にこの機関に医師、医師会が参画すべきことを老人保健福祉審議会などで主張している。しかし、本当にどれだけ必要なのか。むしろ、介助を受けている人、介助をやってきた人の方が実態をつかんでいる。これはむろん「プラン」の作成、利用者に対するバックアップについても言えることだ。審議会の中に、特に「在宅福祉」の、利用者、供給者が入っておらず、特に医療関係の、職能団体=圧力団体関係の人が多い。ほおっておくと、医療関係主導の変なシステムができる可能性がある。この場面にも、早いうちに介入をはかる必要がある。
 第二。判定というが、どういう基準で判定するのかである。というより、判定のシステムをどうこう言う前に、その判定の基準にもなるサービス供給の原則をどう立てるかである。よく知りもしない施設の一室に置かれるショートステイなどを組み入れ、とにかく家族が過労で倒れない程度、最低限、なんとかするというのと、外出等々を含め、利用者の生活をきちっと支えることとは異なる。家事援助を含めるかどうかという点もある。施設と在宅を、本当に、実質的に選択できるのかどうかという点もある。原則がはっきりしていないと、必要なサービスとは何かをめぐって、混乱も起きるだろう。まっとうな原則が出れば、判定はそれに拘束されるから、利用者側がそれを利用できる。原則がどのように打ち出されるのか(あるいは曖昧にされるか)に注目するととともに、原則を主張していく必要がある。
 そして実際のサービス供給システムと保険制度との関係。介助は通常一対一の対人サービスなのだから、個人的な契約でもかまわないはずだ。しかし、契約している人の都合がつかなくなった、契約している時間以外の緊急の対応が必要になったといった場合を考えれば、組織があった方がよいだろう。また、個人契約について信用が問われるなら、利用者・介助者双方を組織に登録するなどして、契約関係をある程度外からチェックするという手もある(今あるものでは、いわゆる「登録ヘルパー」のかたちに近い)。
 そういう組織は同一の地域に複数あった方がよい。利用者はその中から選ぶことができる。また、価格面での競争はないにしても、複数の主体がおなじものをめぐって競合すれば、サービスの質が高まることにつながりうる。
 どこまでそういうことが考えられているのか。疑問だ。これは保険についての話ではなく、たとえばホームヘルプサービスについての話だから関係ないというのだろうか。そうではないはずだ。たとえば医療保険では、医療機関に給付され、その中から職員に対する給与が支払われる(それで赤字がでる公立病院などは、自治体などから財政的な援助がなされている)。介助についてはどうなるのか。介助者に渡る分と組織に渡る部分が分かれるとして、それを具体的にどうするのか。このあたりは、保険制度のあり方として、当然考えておく必要がある。
 これには現金支給か現物支給かという問題も絡む。現金支給だったら、利用者が給付された現金の組織に払い、組織がその一部を運営のために使うという手もあるが、今出ている案では現物支給を基本とするという。とにかく現金を渡して後は御勝手にというのはすっきりしていて、検討に値する。ただ、現物支給の方がお金が他の用途に流用される可能性が少ないということはある。医療保険の場合、現物支給(点数制で、書類を提出し請求するとお金が保険から医療機関に降りる)だが、それでも最低限、たとえばかかる病院を選択できるようになっている。だから現物支給でも選択は不可能ではない。大切なことは、それが実際に可能でなければならないということである。
 繰り返すが、複数の供給主体、媒介主体を認めさせることだ。この中に、現在独自に活動している多くは法人格をもたない任意団体の民間団体を位置づけることである。医療保険が公立病院と私立病院を同等に扱うのと同じに、行政機関であろうが、民間の団体であろうが、基本的に平等の条件を設定すべきである。自立生活センターはこの方面で実績を積んできた。また、主に高齢者を利用者とする民間団体も既に重要な役割を担っている。これらが保険制度に組み込まれる(保険制度を利用できるようになる)ことは、一つに、時給五百円とか六百円とかでやっていたのが、現在のヘルパー並みの対価を受けられるようになることを意味する。また、組織に対しても、組織の運営費(にあたる部分)を保険から支出することである。組織の規模は関係ないだろう。介助の場合、組織が大きい方がいいとは言えない。量と内容(休日・夜間などの対応、緊急時の対応、等)に応じて出すようにすればよい。
 厚生省は、近年、こういう組織の活動に期待するというようなことを言っていたはずだが,保険論議についてはこうした議論が見られない。文章に出てくるのは、行政機関、行政が作ったシステム、また施設を運営する社会福祉法人など、行政がもっぱら経費節減のために事業を依託している既存の団体である。お金の出し入れの形だけが変わり、うんざりするようなサービス供給のあり方が続いてしまってはならない。そしてこれは、もう一度繰り返すが、特に現物支給の方式をとるなら、保険制度のあり方と別に考えられることではない。保険制度を作る時に、必ずはっきりさせておかなければならないことなのである。
 だから、利用者、そしてサービスの相当部分を現に担っている民間の団体が表に出てこないのは、あるいは表に出させないでいるのは大きな問題である。高齢者関係の民間在宅福祉団体の場合、国・自治体がやらない部分を自分達の助けあってやるのだという自らに対する性格づけから、また、全国的な連絡組織が未確立だという事情もあってか、反応が鈍い。たとえばJIL(全国自立生活センター協議会)が、自立生活センターは介助サービスをこれだけやっているのだという、またコーディネイト、相談などの業務を含めた「総合的」なサービス、今回の案の中では「ケアマネジメント」と称される領域の相当部分を担えているのだということをアピールしつつ、公的介護保険制度をめぐる議論に参画していくことが大切だと思う。

家族の位置づけについて

 最後に。家族による介助に対する支給を認めるかという問題がある。原則としては断固認めるべきである。家族による介助はただであってよいという理由はどこにもない。家族と家族外の間にある権利・義務の格差を認めるべきではない。家族は、障害のある人を援助するにあたり(別段このことに限らず)、家族外の人と同じだけの義務がある。権利についても同じだけある。
 ただ、うまくやらないと問題は生じうる。第一に、家族を介助の仕事に縛りつけることになる可能性がある。第二に、収入源として、家族が介助の利用者を縛りつけることになる可能性がある。これらは無視できない。
 だが、双方が選べる、断れる関係になっていて、その上で家族が選び、選ばれるなら問題はない。家族を望まない人もいるだろうが、望む人もいて、家族の方でもやろうと思う場合もある。それが実質的な選択であるためには、まず家族外からサービスを得られるいう条件を現実に作ることである。次に、問題は家族という外側からよく見えない関係の中で何が行なわれるかわからないという点である。これを解決すればよい。第一に、そのために判定やらマネジメントやらがあるはずだ。この面で機能しない判定・マネジメントのシステムはそもそも役に立たないシステムであり、それをまともにやれるというなら、家族を保険から支給されるサービスの提供者に加えることに問題はないはずだ。第二に、家族と家族でない介助者を制度的に分けないこと。たとえば、家族も機関に登録されたヘルパーとし、利用者・介助者双方が機関を通して契約し、一定のチェックを受けることである。だから、家族による介助の場合は、現物支給のヘルパーの場合よりも減額して、どんぶり勘定で現金支給というドイツ方式はだめである。


REV: 20161031
介助(介護)  ◇生を辿り道を探る――身体×社会アーカイブの構築  ◇病者障害者運動史研究  ◇『季刊福祉労働』  ◇立岩 真也
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