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「自立生活運動」の新しい動き

―CILの登場と介助システムの全体構想―

立岩 真也 19950515 『機』49号,藤原書店,pp.10-11

社会編成の全体が問われている

  この本は藤原書店の本としては少し変わった種類の本で、書店の本棚なら「その筋」の人でなければあまり見ない「福祉」の棚に並ぶのかもしれない。けれど、障害があって他者の手を借りてその人の生を生きていこうとする時、その他者がいる政治・経済・家族・自発性の領域という四つの社会領域の間で、これらのそれぞれ(とその中に流通する愛情や貨幣、等)と、またこれらのそれぞれの間の関係と、どんな関係をもって生きていくか考えねばならない。また、「障害がある」(disabled)ことによって、この社会の編成の中心部に置かれる「能力」(ability) をどう扱うのか考えねばならない。これは、この社会、近代社会について考えることに等しい。ここにあるのは社会科学の基本的な主題である。しかも、強い否定や懐疑の思いがありながらなお、現実に生きていかねばならない。口ではどんなことも言えるとして、それを言い放つのではすまず、だがそのままでよいと言うのでもなく、基本的なところから考えながら現実を変えなければならない。求められるのは高度に社会科学的な作業だ。
  このような質を持つ運動は一九七〇年代初頭に始まり、八〇年代に入って、米国の運動の影響も受けながら、(その呼称はあまり魅力的でないのだが)「自立生活運動」として展開された。九〇年秋に刊行された初版ではその二〇年の歴史を追い、なぜ収容施設を否定し、家族のもとにあることを否定し、障害があることとどう向きあい、特に介助される場面の他者との関係をどう作りあげようとしているのか、介助を社会の中にどのように位置づけようとしているのかを追い、考察した。

回答が試みられている

  初版が出て四年半がたった。この本のことは、少しずつ、主に口づてで知られていった。この間に大きな展開があり、その動きの中で読まれた。変化は私達が期待していたものだ。同時にこの本も、書き換えられ、書き加えられねばならなくなった。
  九〇年頃からの急な変化とは、当事者主体のサービスの提供組織「自立生活センター」(CIL)の登場である。それに伴い、介助に関わるシステム全体の構想もはっきり定まってきた。そこで、まず第八章を書き換え、介助が社会の中でどう位置づけられるべきかという問いへの明確な回答を提示し、その理由を述べる。つぎに全国四〇余のCILの活動を調査し、分析・考察し、新しく第九章とした。さらに補論ではアジア諸国における動きも紹介されている。
  第九章から。知らない人の方がずっと多いだろうこの組織が現実に果たしている役割とそのおもしろさを読者は知るだろう。NGO(非政府組織)、NPO(非営利民間組織)という言葉がこの国でも使われるようになってきた。CILの活動は、こうした動きに連なり、実際、その組織・事業形態は、米国のNPOの優れた部分を取り入れている。「事業」を行い「サービス」を提供する組織の意義が確認される。「権利擁護」(advocacy)といった活動こそ、こうした組織形態、そして当事者が中心にいる組織形態がふさわしいこと、つまりこの活動のあり方は「変革」の要素を減殺するものでないことが理解されるはずだ。
  だが、この運動は、時に民間組織が持ち上げられる際言われる、政府を縮小し民間がそれにとって代わるのだという、ある分野は政府が担当し別の分野は民間が担当するのだという、単純な分業を主張するのではない。提起される案は、サービスに必要な資源の供給については負担可能な者がその責務を負い(つまり有償化され、政府が供給主体となり)、サービスの内容は当事者が決定する、そしてその決定を当事者を主体とする組織が支援するというものだ。まとめてしまえば奇抜な案ではない。だが従来、この「公私」の問題は、国の責任・対・民間の効率性といった皮相な図式で語られ、前者=守旧派、後者=改革派という妙な構図になっているではないか。また対価を払われる行為と(家族による、ボランティアによる)無償の行為の分割のあり方についてこれまでいったいどれだけのことが言われただろうか。介助システムのあり方を主題とする第八章で、当事者の試みから受け取れるだけのことを受け取り、考えられるだけのことを、簡潔にではあるが、提示した。私達は、それらが、藤原書店の本の読者の、様々な、そして基本的な主題に連接されていくことを願っている。


REV: 20161031
『生の技法 増補改訂版(第2版)』  ◇『生の技法 第3版』  ◇立岩 真也
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