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社会的支援システムの変更

―自立生活運動の現在・9―

立岩 真也 1994/06/25 『季刊福祉労働』63:100-105


 →『生の技法 第3版』

■ はじめに
 ヒューマンケア協会(東京都八王子市)が「東京都地域福祉振興基金」からの助成を受けて、この三月「地域福祉計画」を作った。私も参加して大風呂敷を広げている。
 今回はその中の「社会的支援システムの変更」の部分を大幅に省略・圧縮して紹介する。これは「自立生活運動」の理念を詰めていった時に辿り着いた、そしてこの運動を見てきた私が辿り着いた一つの場所(現実ではなく目標としての場所)だと言ってよいと思う。
 その主張が、従来「革新勢力」が言ってきた「公的責任論」とも、また他方で、「地域のみんながボランティア」(ボランティアという言葉は使わないにしても)というタイプの「共生」の主張とも異なることに注意されたい。私達は、両方の言っていることをどう取り入れ、そしてそれと「当事者性の尊重」をどう折合わすかを考えて、こういう主張をすることになった。また「福祉労働」(だけでなく「労働」)がどうあるべきかという問題についても提案がなされている。
 そしてこれは、既に何回か述べたように、何もしないわけにはいかない、がそうたくさんはできない(したくない)と思っている政府のラインと一定の接点を持っている(接点を持ちにくいのが教育・労働・医療…、これには相応の理由があるが、これらについてはまた別に論じたい)。だからこそ、現実をどういう方向に持っていくかを考え、案を出していく必要がある。そしてその中で、自分達のやっていることを考え、やり方を定めていく必要がある。この「計画」は、「対抗計画」(counter plan)としてある。ヒューマンケア協会自体は何の権限も持たない民間組織である。けれど言うべきことは言っておかねばならない。

■ 社会的支援システムの変更
@ 「在宅福祉」は家族による福祉の補完では決してない。 社会的支援は社会全体の責務として行なわれる。
A サービスは当事者の意向を重視したものでなければならない。そのためには、 第一に、行政機関が、単一の供給主体として一方的に供給するかたちは不適切、不十分である。多様な供給形態が並存し競合するのが望ましい。第二に、当事者の積極的な参加が要請される。
B 地域に住む市民の積極的な参加を歓迎し、要請する。市民の参加が可能なシステムを作っていく必要がある。
C このことはボランティアに依存することを意味しない。行われるサービスは基本的に有償とする。
D 市場/家族/政治/ボランティアのどれか一つを選択 すべきだとは考えない。最適の組合わせを求める。
E 一生一つの場で一日中同じ仕事に従事するという労働の形態自体が再考されてよい。福祉サービスの活動を人 々の仕事の一つとして位置づけることが可能である。
 ▼以上を踏まえ、供給/実施主体の再編成を行なう。
F 社会的支援の供給形態として、国・自治体のレベルでは主に資源の給付を行ない、それを用いて個々人がサー ビスを受けられるようにする。
G 当事者が運営の主体となる民間組織が、地域福祉の中核的な部分を担うことになる。
H 国・自治体はこれらの組織の事業に助成を行なう。
I Hは社会福祉法人だけに対して行なわれてきた公的助成のあり方を変更することを意味する。
J 以上から、国・自治体が担当する分野はこれまでより限定される。と同時に責任を負う範囲については遂行を怠ってはならない。担当すべきは、相談窓口としての役割/財源の確保と資源の提供/公共財の提供/消費者保護の視点からの基準の設定及び規制/短期間で成果を上げるのが難しい研究開発等の遂行/民間組織による供給がなされていないまたは立ち遅れている部分に対する民間組織の参入を阻害しない形でのサービスの提供。
K 民間企業を認めると同時に必要な規制、場合によっては支援を行なう。(以下L〜N略)

@ 私達は、障害を持つ人に対する支援は、社会全体が責任を持って行なうべきものであって、家族は社会の一員としての範囲でのみその責任を担うべきものと考える。ゆえに家族に特別の義務を負わせる法規定、義務を負わせることを認める法規定を廃止する。
 まずそれは、重い負担が一時期に特定の家族の特定の成員に集中的にかかるより、社会的に負担する方がはるかに合理的だからである。また、これが家族の解体を導くものだとする危惧は全く当たらない(読者には自明だと思うので説明略)。
 こうして、家族による負担の軽減を行う以上、従来介助等の支援に対する見返りという性格を持っていた家族・親族内での財産の相続等を特権的に保護する理由はなくなる。

A どんなサービスを受けるか(どんな車椅子に乗るか、どんな人に介助してもらうか…)は当事者が決める。そこで、支援形態の多様化が求められる。選択のためには選択肢が必要だからである。また、行政組織の中では、安定性、大過のないことが求められ、自由で先進的な試みを行なうことが難しいからである。
 特に当事者が積極的に実質的に参画する組織の活動が重要である。当事者こそが当事者の必要をよく知っているからであり、その必要によりよく対応できるからである。

B 自ら社会的支援の活動に参加しようとする自発的な意志が広範に存在する。それを歓迎し、参加を要請する。

C だが地域福祉とは「ボランティア」で全てを済ませることを意味するのでもない。私達が目指すのは、当事者の意志を尊重しつつ…A、全ての人による公正な負担…@と、直接的な自発性の尊重…Bをうまく組合わせることである。
 サービスの提供は基本的に有償とする。これまで無償の行為として行なわれていた部分を有償化し、その費用については社会的に負担することにするのだから、それだけを見れば負担は増す。これには納税者・保険料を支払う側の抵抗があるかもしれない。説明する。
 有償化の理由は、第一には、必要な量を確保するためには有償化せざるをえないからである。しかしそれだけではない。税金を払い、保険料を払うことによって、市民は他者の援助を必要とする者の生活の支援に参加しているのであり、これは、負担を逃れることも出来る自発的な行為の提供という形態に比べ、必要な量の調達、負担の公平という観点から適切であり有効である。ゆえに、地域福祉のための基本的な資源については、政府が調達するものとする。
 確かに相当のものになるだろう負担は、一生健康でいられたごく例外的な人達を別にして、自分に返ってくる。家族による負担を今後私達はあてにするべきではないし、またそれは現実に不可能でもある。これを社会的な負担に変えていくことの方がはるかに合理的なのである。そのためのシステムを作っていくべきことを私達は強く主張する。
 家族やボランティアに任せれば、それは確かに「ただ」ではある。だがその人はそれだけで暮らせるわけではない。例えば妻がそうした活動に専念できるのは、夫がその生活費を負担しているからである。だから「ただ」はみかけ上のことにすぎない。今度は、夫(だけでなく負担できる人全て)が税金や保険料を払い、それがサービスの提供者に支払われる。だから、実際には負担が増えるわけではない。しかも、利用者本人が提供者を、提供者の同意に基づいて、選択できる。その中に家族も含まれる。子(の世代の女性)が全生活時間を親の介助のために費やすことを強いられることにならない。個別の家族の事情(成員の数、収入のある人の数、収入、介助する/される人数…)に左右されない、安定した公平なシステムを作ることができるのである。
 そして資源の負担者、その資源を受け取り実際のサービスを行なう提供者、利用者は各々別の人ではない。負担可能な者は全て負担者であり、その者は実際の提供者にもなりうるのだし、また(高い確率で人生のどこかでは)利用者でもありうる。

D 要するに私達は、A:市場を万能とする立場、B:家族を基本とすべきだとする立場、C:政治が全ての必要をまかなうべきだとする立場、D:ボランティアに全面的な期待を寄せる立場、このどれにも立たない。「自由主義者」はA、「保守主義者」はB、(保守的な自由主義者はAとBの組合わせ)、「革新派」はCを、そして「人道主義者」はDを主張してきた。このいずれの立場にも立たない。
 私達は、どのような支援のかたちがあるべきなのか、当事者にとって何がもっともよい支援のあり方なのか、この観点から、「市場」「家族」「政治」等の関係を作っていくべきだと考える。構築されるべきシステムは、従来のような@からCのいずれかという単純なものではなく、そのいくつかを最適に結びつけたものである。あるいはそれらの間にある境界を取り払ったものである。
 介助を例にとろう。私達は、A:国家(あるいは自治体)による租税あるいは保険料の徴収と分配を採用すると同時に、したがって有償化すると同時に、直接的なサービスの供給主体としては、当事者の必要に対応できるよう、多様な形態を認めるべきだと考える。この時、当事者が希望し、またその家族も同意すれば、当事者のB:家族の成員もまたサービスの供給主体となりうる。その家族にはその行為に見合った対価が払われる。また、C:自発性の契機を含みながら、しかしそれを無償でよいことの理由にはしない。自発性があること有償であることとは背反しないのである。
 ただ、利用者の選択を尊重すると言っても、その利用者が単独でサービスの提供者を調達し、その関係を維持していくのは難しい。ゆえに、以上に加えて、地域の組織、とりわけ当事者を主体とした、当事者を主要な構成員とした組織が位置づけられるという形態を提案する(→G)。

E それは、社会福祉の仕事につく人の特定の層を生み出すだけのことではないか。そしてその層とは、今までと同じく、妻や母や娘達ではないか。確かに現状では、「有償ボランティア」と呼ばれる活動に従事している人達の中心は中高年の女性、専業主婦である。だがそうなっているのは、その活動が仕事として成り立たず、また、他の人達がその活動に従事できないように、社会が作られているからである。私達は、この両者を変えていくことによって全ての人達が活動に従事できるようにすることを目指す。
 そもそも私達は、「福祉の仕事」が特定の人々の一生のフルタイムの仕事としてだけあるべきだと考えない。もちろん、希望するならその仕事に専念するのもよい。だが私達はそのような人が全てであるべきだと考えない。むしろ、より多くの人が、一生の一時期、一週間のある日、一日のある時間、この活動に参加することに意味があると考える。
 それはまた、一つの職場で一生フルタイムで同じ職業を続けることが唯一のあり方なのかということでもある。パートタイム労働の労働条件に問題があるのは事実だが、問題なのは労働条件であって、こうした労働の形態そのものではない。一つの職場に一生いるという就業のあり方は、必ずしも全ての人にとって望ましい就業の形態ではない。確かにこうした就業形態を全社会的な規模で変えていくのは難しい。しかし、そのような就業のかたちが絶対的に有利だった社会的条件も変わりつつある。一人の人が様々な活動に従事できること、様々な人々が(別に仕事も持ちながら)社会的な支援という活動に携われることを目的とする。その方が、支援を受ける人にもする側にも、良いと信ずるからである。

F 行政が所得を保障し、また福祉サービスを提供するかたちには、大別して、直接本人に現金を支給するのと、物・サービスを直接に提供するのとの二つがある。これまで社会福祉サービスは、当然のように後者とされ、民間依託等はその原則から逸脱するものとして批判されてきた。
 だが、その問題点は、行政が一方的に依託先を決定し、しかも責任の所在が曖昧にされ、利用者の側の要求が何ら反映されなかったところにあった。この点を変更し、利用者側の選択が保障され、その要求に応えなくてはサービスの供給主体として存続できないようにすれば、行政が唯一サービスの直接的な供給主体としてある場合より、むしろサービスの質は向上するはずである。ゆえに、現金による給付を行なう範囲を従来よりも拡大すべきである。

G サービスの提供を行政と社会福祉法人の専有とせず、自助団体や当事者・住民参加型の民間組織に広く門戸を開放する。特に民間非営利団体はサービス提供の主要な部分を担う。利用者とサービスの提供者との間に立ち、その関係を作り、調整する。こうした民間組織、またそこに参加する人達は、支援の活動を、自らのこと、自らの隣人、自らの地域のことして受け止めることが出来、その視点から何が必要かを考え、活動の質を保ち、高めていくことができる。さらに、利用者の立場を理解できる当事者がその組織の中核にいるのが最も望ましい。実際、障害者が主体になった組織として「自立生活センター」が各地に誕生し、実績をあげつつある。(自助組織:略)(H〜Nも略。)

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★ この「計画」には介助・アクセス・居住・福祉機器・労働・教育・医療、等、種々の個別課題に対する具体的な提案(経験・知識不足ゆえ弱いところもある)を含め、他にもいろいろなことが書かれています。八十頁(四百字×三百枚位)の分量です。今後増補・改訂していく予定ですが、今のところのものをお送りすることができます。
★ 千葉大学文学部社会学研究室の昨年度の三年生の調査実習報告書が出来ました。自立生活センター他が調査の対象で三百頁(四百字×千二百枚)超の大作です。インタビューを使った報告が多く、障害者の人間関係についてかなりシビアなことを言っている報告(渡辺)もあったりします。新しい情報としては、約二〇の自立生活センターが五百いくつの非営利民間組織の介助供給量の十五%程度を既に占めている等、自立生活センターの活動の現況報告(石井・井上)、地域福祉基金についての行政の混乱した対応の報告(梁井・原田)、ピープル・ファーストに関する紹介(寺本)、等。大学の予算で作った報告書ではないので実費はいただきます(送料込千五百円、右記の「計画」と一緒も可)。問合せは立岩(一八一・三鷹市上連雀四−二−一九/電話・ファックス〇四二二−四五−二九四七)へ。
 手前味噌ばかりやっているわけにもいかない。
★ もうご存知かもしれませんが、定藤丈弘・岡本栄一・北野誠一の共編で、昨年秋『自立生活の思想と展望――福祉のまちづくりと新しい地域福祉の創造をめざして』(ミネルヴァ書房、三三八頁、二七八一円)が出版されました。広い範囲が取上げられている、役に立つ本です。


REV: 20161031
ヒューマンケア協会  ◇『季刊福祉労働』  ◇立岩 真也
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