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自立生活“プログラム”“事業”についてのいくつかの提案

立岩 真也 1994/03 東京都自立生活センター協議会自立生活プログラム小委員会
『自立生活プログラム マニュアル PARTU』,pp.26-33


T はじめに

 自立生活プログラムの基本的な理念と方法、そしてそこから参加者が何を得て、どのように生きていっているのか、これらについてはこの報告書の中で既に十分に述べられている。プログラムの意義は明らかである。障害をもって、どうやって社会の中でうまく、よく生きていくか。これは家庭の中で習得することはできず、また、普通学校であれ養護学校であれ、学校教育では対応できない。これらの中で行なわれる「教育」や「しつけ」は、障害を持った人が、一人一人、まわりの人に手伝ってもらいながら地域で生きていこうとする上で、場合によってはマイナスになることさえある。この時に、当事者が当事者に生活の仕方を伝えていく自立生活プログラムは必要不可欠なものである。そして、自信と知識と方法を持ち、積極的になることで、自らを主張し、ある場合には組織を作り、支え、社会に向けて行動していくためにも、プログラムは有効である。
 また、実際にプログラムを実施する中で生じている様々な問題も報告書の中で語られ、その解決方法についても真剣に論じられ、既にいくつかの提案もなされている。それらの全てを改めてここで繰り返してあげる必要もないし、そう付け足すこともない。
 この文章では、プログラムの現場の「外側」にいる者が、自立生活「プログラム」という「事業」の「運営」「経営」という視点から、自立生活プログラムをどのように発展させていったらよいのか、いくつかの提案を行なおうと思う。外側にいるから勝手なことが言える。現実的でない、的外れな提案もあるかもしれない。しかし中には参考にできることもあるかもしれない。
 Uで、今回の調査等から集計した全般的なデータを紹介し、各地で実施されるプログラムが着実に増加していることを確認する。
 Vで、自立生活プログラムが「プログラム」としてあることにどういうメリットがあるのかについて、簡単に述べる。
 Wで、今後さらにそのメリットを生かして、自立生活プログラムをどうやってより活発にしていくか、提案をいくつか行なう。

U 実施状況

 1994年3月時点で、全国自立生活センター協議会(JIL)の40の加盟団体の中で自立生活プログラムを実施しているのは25団体である。また東京都自立生活センター協議会の会員では、加盟13団体中11団体が実施している。実施団体数から見ても、実施団体が全体に占める割合からみても、東京都の団体でプログラムが積極的に実施されていることがわかる。総実施シリーズ回数、各シリーズの回数を足し合せた総回数、総参加人数を見ても同じである(1回あたりの参加人数や、1シリーズあたりの回数自体はそう変わらない)。これは、プログラムを最初に始め、それを拡大してきたのが東京都内の団体であったこと、先行した団体が周囲の団体に講師・リーダーを派遣するなど、積極的にプログラムを広げる努力をしてきたことによる(現在、講師やリーダーの派遣は全国的な規模で行なわれているが、それでも距離的な近さは有利に働く)。と同時に、自治体による財政的な支援が他の自治体に比べ充実していることによるものと思われる。
 今回の調査に対して回答を寄せた団体は9(都内7団体)。別の調査★01を合せ、11の団体(都内7団体)について、その全ての団体の自立生活プログラム開始時からの実施実績の推移が明らかになった。その結果は次の頁の表の通りである。
 1986年度から1989年度にかけては八王子市のヒューマンケア協会だけが行なっていたが、90年から実施団体が増え、それに伴いシリーズ数、参加人数、ともに年々増加しているのがわかる。1つのシリーズは8〜12回程度、5〜10人程度の参加者を得て行なわれる。1986年度からの総参加者(各年のDの累計)は 540人となっている。もちろんこれはプログラムを実施している25団体中の11団体に限った数であるから、実際にはこれらの数はもっと多い★02。

年度  A  B  C  D  E  F
1986   1   1   1   5   12   60
1987   1   0   3   19   38   240
1988   1   0   1   7   12   84
1989   1   0   1   7   12   84
1990   3   2   8   78   57   538
1991   5   2  12   97  109   848
1992   9   4  19  138  176  1234
1993  11   2  25  189  225  1666

         A:実施団体数
         B:新規開始団体
         C:総シリーズ回数
         D:各シリーズの回数の総計
         E:総参加者数
         F:延人数(各シリーズの回数×参加人数を合計したもの)

V 「プログラム」であることのメリット

 自立生活プログラムが「プログラム」であることのメリットは何か。
 介助者とのつきあい方、行政からどういうサービスが受けられるのか、それを受けるためにどういう手続き、交渉が必要なのか、こういうノウハウの伝授は、以前から当事者の間で行なわれてきたことである。また、仲間に励まされたり、話を聞いてもらったり、そして気持ちが楽になったりといったこともいくらもあったし、今もある。それをことさらに「プログラム」とすることの意味は何かということである。
 それは一つに、普通はあまりいい意味に使わないかもしれないが、「パッケージ化」されて提供されることである。偶然に出来上がった人間関係やつてに頼って行なわれてきたものが、プログラムという場があることが公開されることによって、それを必要とする全ての人に開かれたものになる。また、その時その時の関係の中では相手が必要な情報を持っていなかったり、濃淡やむらや言い残しがあったものが、全体を見通したシリーズの中で提供されることで、一貫性・総合性を持つものになる。またこのプログラムはこういう必要に対応しているということが予め示されることによって、参加者は自分の必要に合わせて、期待していたものを受け取ることができる。もちろん、「型」が固定されることによって硬直化する、あるいは個々人の必要に対応することができなくなるということもありうるわけだが、これはうまくやれば解決できない問題ではない。
 そしてここでもう一つ無視できないのは、プログラムとしてパッケージ化されること、あるかたちを持つことによって、プログラムをやっている外側からもそれが「事業」として認知されやすくなることである。今まで、私的関係の中でなされてきたもの、したがって無料であり、また社会的な支援、公的な助成の対象にもならなかったものが、はっきりしたかたちを持ち、「こういうプログラムをやっていますから誰でも参加して下さい」と外部にも公表される。このことによって、外部からの支援・助成が受けやすくなる。先に作った表にしても、プログラムという形をもつことによって、回数なりを数えることができるようになっているわけである。
 もちろん、回数を増やすこと等々、それ自体が目的なのではない。参加者がよかったと思えるもの、何かのプラスになるものを提供することが第一である。そしてそういうもの中には数量化したりできないものもある。また、具体的な、すぐにお金に換算できるような効果(だけ)をあげるべきだと言いうのでもない。ちょっと元気になる。これは時によってはとても大切なことである。
 私が言いたいのは、そういうものを一番大切なものとしながら、そうした精神を失わずに、上に述べた「プログラム」であることのメリットを生かして、自立生活プログラムをもっと発展させていけるのではないかということである。つまり、今まで「事業」としては行なわれてこなかった様々なことを「プログラム」という「パッケージ」にすることによって、その対象者を広げ、様々な人の様々な必要に応じること、またそのためにも、プログラムの意義と実態を社会的に認知させることによって、この事業に対する社会的な支援を得やすくするということである。★03

W 提案

 1 いろいろな回路を通して宣伝すること

 このプログラムは誰にでも開かれたものである必要がある。それはプログラムを行なおうとする一つの目的でもある。またプログラムに対して公的な援助を得るためにも、必要な条件である。
 そのために、プログラムの存在を広く知らせていく努力は続ける必要があるだろう。今回の調査でも、新聞に載せる、ダイレクト・メールを送るなどの様々な手段が取られていることがわかった。いろいろと参考にできる部分があると思う。
 だが、なんでもそうだが、「広告」というものは、こちらが思うようには伝わってほしい人に伝わらない。また私達は、すぐ食べられる物、すぐに使える物は簡単に気軽に買うけれども、触われる形(プログラムにはかたちがあると述べたきたのだが、それでもビールやテレビとは違う)のないもの、効果がすぐにわからないものにはなかなか手を出さないものである。どんな人がそれを求めているか、どんな人に伝えたいかを考え、そこにつながるルートを探す必要がある。特に養護学校の高等部あたりを出て、さてこれからどうしようという若い人達は、プログラムから得るものが大きいのではないか。また、作業所等に通ってはいるが、なんとなく生活が気にいらないという人も随分いるはずである。またずっと障害を持って生きてきた年季の入っている障害者ではなく、突然障害をもってしまって、何をどうしたらいいのか、制度にしても何が使えるのか、途方に暮れてしまっている人もいるだろう。こういう人達とうまくコンタクトがとれるよいのだがと思う。
 このように見てきても、人が何を必要としているか、その人が置かれている状況、立場によって随分違うだろうことは容易に想像がつく。次にこのことを考えないといけない。

 2 多様なプログラムを提供すること

 現在行なわれている、1週1回、1シリーズ8〜12回という長期間のプログラム、様々な内容が盛り込まれた総合的なプログラムは今後ともプログラムの中心になっていくだろうと思う。だが同時に、それは、一つの重要なプログラムのあり方であって、他が「自立生活プログラム」ではないということではないと思う。
 例えば、とりあえず、利用できるサービス・制度についての的確な情報を欲しいという人がいるだろう。こういう場合には、毎週1回の長期シリーズとしてではなく、回数を少なくして、集中的に行なうこともできるのではないかと思う。またこうしたテーマの場合には、ある程度受講者を多くすることもできるだろうと思う。こうした学習会のようなものはこれまでも行なわれてきたわけだが、こういうものだって立派なプログラムだと言えると思う。そして、こうした情報の提供は、サービス提供機関である自治体なりが本来行なうべきことを代行しているとも言える。使ってほしい(本当のところはそうでないにしても)サービスについての広告、情報提供を代理して行なっているわけである。そして当事者はその代行業者としては適切・適格(サービスを提供したくないなら、そうでないかもしれないが)である。今のところこういうものは助成等の対象にはなっていないけれども、各組織がプログラムとして位置づけ、その存在と実績を外に向かって示し、公的に助成すべき事業として認知させるといった活動もあってよいのではないか(名目は「情報提供事業」でもなんでもよいのだが)。
 特に、情報の摂取に際してのハイディキャップのある人、視覚や聴覚の障害、知的な障害のある人達に、それぞれのハンディキャップに応じて、制度等についてわかりやすく伝えるべきことを伝える、これは行政がなかなかやろうとしないことだし、やろうとしても難しい部分がある。こうした場面でも、当事者の組織は寄与できると思う。これは普通よりコストがかかる。しかし、本来当然なされるべきことなのだから、コストの負担を社会の側に求めることができるはずだ。
 そして、こうした情報に関わる「プログラム」は、参加者に会場に出向いてもらわなくてもできる場合があると思う。通信教育だって教育である。文字、点字、音声、パソコン通信、等々で情報を提供したり、問合せに答えたりすることも、それが一つのかたち、まとまりを持ち、人々の「自立」につながるのなら、「自立生活プログラム」だと言ってよいと思う。
 様々な障害の種類や程度に応じて、個別のいろいろな対応がなされていることも報告されている。これは大切なことである。と同時に、どういう障害を持っているのかによって、またその人の年齢やその人の置かれている状況によって、何が必要なのかは当然変わってくるだろうと思う。知的な障害のある人に対するプログラムの試みがこの報告書でも報告されているが、他にも、人生の途中て突然障害を持つことになった人、高齢になって障害を持つことになった人、それぞれに必要なものがあり、その必要なもの(そして必要でないもの)は別の状況にある人とは異なる部分があるだろう。現在行なわれているプログラムは、以前から障害を持っている、そして比較的若い人達に最も適したプログラムだとは言えないだろうか。いろいろな人が一同に顔を合せることの意義もあるとは思うが、求めるものの違いに応じたプログラムを作り実施していく必要もあるのではないかと思う。
 とすると、ある場合には個人プログラムが行なうことが有効な場合もあるだろう★04。そしてここでも繰り返すが、一人の人がアパートを探し、入居にこぎつけるまでの過程をサポートすることも、やはり「自立生活プログラム」だと思う。外の側、例えばプログラムに助成する側は、今はそれをプログラムと認めないだろう。しかし、これを自分達がプログラムと位置づけ、外に向かってその意義と効果を主張していくことはできる。
 さらに、これはかなりのノウハウを必要とすることだと思うが、障害を持つ人が職場で仕事をするのに慣れていくのにつきあうというプログラムがあってもよいのではないかと思う。働く人を指導するというだけでなく、雇用主と労働者との間に入り、その関係を調整していくという役割を担うプログラムである。アメリカなどでは、こういう役割を担う人をジョブ・コーチと言い、こういうシステムを積極的に取り入れる動きもあるようだ。こういう役割を障害を持つ当事者が担っていければよいのではないかと思う★05。

 3 記録をとり実績を示すこと

 最後に言いたいのは、実績を記録していく、それを外に向かって積極的に示していくことの重要性である。自分のところだけで完結し、外から何の援助もいらないというのなら別だが(その場合でも、自己点検のための記録の必要性はある)、様々な組織がこのプログラムを行なっているのだからその間の情報交換は必要だし、また社会的な支援、公的な助成を受けよう、拡大していこうと思えば、記録・報告・宣伝が必要である。今回のような実績の結果の集積が定期的に行なわれ、報告されていく必要がある。
 申請書や報告書を書く仕事に日々追われている人(私もその一人)ならよく知っているように、文書を作るのは確かに面倒な仕事である。しかし、実績の記録・報告の場合は、1回かたちができれば、同じ枠の中にデータを入れていけばよいのだからそう手間ではない。最初は面倒でも、そのうち大した手間ではなくなってくる。また、記録されたデータがあれば、助成団体に対する報告やこのような調査等にもすぐに対応することができる。またこれは、自己点検のため、何が今問題になっているのか、これからどうしていくのかを検討するためにも必要である。
 さらに、東京都自立生活センター協議会(TIL)や全国自立生活センター協議会(JIL)のような機関は、各センターのプログラム実施の様子を常に把握しておく必要がある。国や都道府県レベルに向かってその意義を主張していく場合に必要だからである。また、各組織が他の組織のことを知り、参考にし、自分のところのプログラムをもっとよくしていくために必要だからである。簡単に記入できるような様式の記録用紙を作り、定期的に報告してもらうといったシステムを作るという方法が考えられる。この場合に注意しなくてはならないのは、典型的な長期のプログラムだけを想定して記録・報告を求めることになると、独自の、様々な取り組みが抜けてしまうことにもなることである。むしろ、集約する側としては、多様なものをプログラムとしてパッケージ化していくことの意義を伝え、多様な活動の実績をプログラムの実績として集積していくことが必要だと思う。

★01 1992年前半までのデータについては、各団体が発行している機関誌等の記事等を中心にまとめた立岩「自立生活プログラム、ピア・カウンセリングの実施状況」(ヒューマンケア協会『自立生活の鍵・・ピア・カウンセリングの研究』、1992年、ヒューマンケア協会、pp.53-66)をもとにした。また千葉大学文学部社会学研究室が1993年末に行なった郵送調査に回答を寄せた団体で、今回の調査と重ならない団体があったので(北九州自立生活推進センター)、これを加えた。なおこの調査は、社会学専攻の3年生が行なったもので、東京都都内の3つの自立生活センターのスタッフや会員等の方々への聞き取り調査、上記の全国自立生活センター加盟団体に対する郵送調査他からなり、その報告書が最近まとめられた。問合せは立岩(住所:三鷹市上連雀4-2-19・Tel/Fax:0422-45-2947)まで。
★02 ただし、この11団体には以前から積極的にプログラムを行なってきた団体の多くが含まれているから、実施総数が表に記した数の倍になるということはない。
★03 参加者の負担は1シリーズ1万円程度の団体が多い、1回(3〜4時間)あたり約1000円ということである。さらに、これを事業収入としているのでなく、フィールド・トリップの交通費などに使っている団体もある。参加人数を考えれば、この程度の利用料だけで運営するのは到底無理である。他に財源がなければ、スタッフは、無償のボランティアとして関わることになるが、長い期間、かなりの時間を必要とするプログラムの運営をこのかたちで行なうのは難しい。片手間でプログラムはやれない。また他に十分な収入源を持っているスタッフもいない。そして人件費を切り詰めても、場所の問題他は残る。実際、寄付を集め、主催団体(都外の団体)のスタッフは無償で参加し、支出を切り詰めて行なったが、結局かなりの赤字を残した例も調査への回答の中で報告されている。
 より多くの自己負担を求めていくという方法も考えられる。実際、内容はともかく、回数も時間数ももっとずっと少なくて、何十万円の料金をとっている「自己啓発セミナー」のようなものもある。自己負担ということになれば、プログラムの提供者側が何を提供できるのかという「消費者の目」も厳しくなり、それに対応してサービスの質を向上させることができるかもしれない。だが、プログラムを必要とする人の多くが職についておらず、障害基礎年金+家族の負担によって暮らしているという状況を少しでも考えれば、所得保障を大幅に強化するならともかく、自己負担を現状より大幅に引き上げることはできない。とすれば、こうした現実の下では、その意義を社会に訴え、プログラムの実施・運営に対する社会的な助成を求めていくしかない。
 (この現実をさておいて考えるとどうなるか。これはプログラムの利用者である障害者に直接に支払われてよい・・プログラムを利用することも生活していくために必要なことの一部であり、それを利用することができる水準の所得保障を行なう・・分を、その利用者に渡さず、プログラムの事業主体に払っているということであり、社会的に支出されること自体に変わりはない。事業主体に社会的支出を行なう方を選択すべきだと主張する場合には、プログラムを利用することが他の必要(例えば旅行するとか)に優先されるべきだとすることになる。逆に、お金を何に使うは当事者が決めることであって、プログラムを他のものに優先させるのは余計なお世話(パターナリズム)だと考えるなら、事業主体に支払うべきではないということになる。)
 実際には、どの程度の助成が行なわれているのか。全国的なレベルでの助成制度はない。東京都内の区市町村のレベルでは、立川市が自立生活プログラムに対する助成を行なっている(1993年度 370万円)が、これは現状ではむしろ例外的と言ってもよい。
 東京都内の団体の場合、大きな割合を占めるのが、東京都の「地域福祉振興基金」による「地域福祉振興事業助成金」である。現在、人件費500万円+事業費200万円=700万円の基準額の4分の3、年間525万円(この額よりも支出から収入を差し引いた額が少ない場合はその額)の助成が行なわれている。これが都内の団体が自立生活プログラムに積極的に取り組める要因の一つになっていることはUでも述べた。
 上記の 525万円をプログラムへの参加者に対しての助成と考えると、例えば10人が参加するプログラムが年間3期(3シリーズ)として、参加者は約30人、1人1シリーズ当たり175000円、1シリーズが8回とすれば、1人1回あたり 21000円程度になる。ただ、この助成を単に参加者に対するものとだけ考えることはできない。このプログラムの提供自体が障害者のリーダーを養成する機会になること、そして助成がこの社会の現状では職を得ることが難しい障害を持つ人の雇用に寄与していることを考えると、また別の計算になる(生活保護として支給しても、プログラムの人件費として支給しても、結局お金の出所は同じ税金であり、かつ後者の方がお金の使い方としては上手な使い方だと言える。)
 他の地域にも、趣旨としては東京都の基金と似た「地域福祉基金」が、「ゴールド・プラン」中の一つの施策として、地方交付税交付金を主な財源とし、道府県、市町村の双方に設置されている。だが、調査した範囲では、自立生活プログラムについては埼玉県の基金から助成が行なわれていることだけであること、また本来なら当然助成の対象になるはずの自立生活センターの行なう介助サービスについても助成は行なわれていないことを、上記の千葉大学の報告書で梁井・原田が報告している。
★04 個人プログラムの難しさはこの報告書でも語られている。依存や葛藤が生じやすい。距離の取り方が難しい。それを解決する妙案が私にあるわけではないのだが、例えば、一人が一人の全てに関わらないようにするといったやり方もあるかもしれない。例えば、住居に関わる部分についてはある人が担当し、介助に関わる部分は別の人が担当するといったように。
★05 働く場合に、恒常的に必要な介助については、他の場面での生活に対する介助と同様に、公的な資源を利用して供給されるべきだと考える。だからこちらの方は自立生活センターの活動としては介助サービスの分野になる。

 →『生の技法 第3版』
『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』表紙


UP: REV:20141027, 1217
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