性別分業の現実を説明しその不当性を言う主張、「I:家事労働は本来は支払われるべき労働であるが支払われていない労働であり、このことを「愛の神話」が隠蔽している、II:そのことによって夫and/or資本and/or国家が利益を得ている」の妥当性を検討する。
Iについてしばしば指摘されるのは、献身としての愛という観念の歴史性だが、歴史性という事実自体はこの観念の否定を帰結しない。私達は、愛情について我々が承認しうる規定及び関係の内部における自己決定の原理を前提し、愛情や愛情に基づく関係が家事労働を含む行為の義務を帰結しないことを示すという理路を採ることを提案する。その上で、市場の側には払うべき理由がないこと、夫には支払いを要求できることを確認する。
IIだが、支払いによって妻が夫から得られるものはそう多くはない(夫は利益を得ていない)。さらに、性別分業から資本、国家が利益を得ているという主張も論証されていない。とすれば性別分業の存在理由とその不当性は別のところにある。B第一に、Iから国家(政治領域)と家族との関係における前者の利益と家族への行為の配分の不当性を主張できる。ただこれは直接に性別分業を説明しない。第二に、男性労働者が利益を得ること。ただし家計の一体性を考えれば、家族内部に経済的利益はない。第三に、夫一人の稼ぎで生活が可能なことが表示されること。これは歴史的事実としても確認される。男女間の関係の非対等性は、妻が稼がない方に割り振られることで従属的な位置に置かれることによる。またここから夫は、市場で得られない質のサービスを要求でき、なお残る差異によって優位を保てる。後二者が性別分業の存在とその不当性を示す。