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出生前診断・選択的中絶に対する批判は何を批判するか

立岩 真也 1992/09
生命倫理研究会生殖技術研究チーム
『出生前診断を考える――1991年度生殖技術研究チーム研究報告書』,pp.95-112 55枚

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 生命倫理研究会,1992年9月,194p.,
 2000円(連絡先:〒194 東京都町田市南大谷11号 三菱化成生命科学研究所・内
 0427-24-6280 fax:0427-24-6301)

 ※この論文は、のちに立岩『私的所有論』第9章の一部に使われました。読んでいただければありがたいです。

『私的所有論  第2版』表紙

 出生前診断がどのように批判されたかを確認し,そこから何を得,何を考えるべきか検討するのが本稿の課題である。語られた具体的な言葉を見る時,そのままに受け取れない部分もある。だから,論点をただ列挙して,あるいは論点の混在を指摘して終わらせるのが良いやり方だとは思えない。そこには確かに重要な提起がある。問題があるからと言ってそれを無視することはできず,またそのためにも,全てを言葉の通り受け入れる必要はない。論議の不十分なことを指摘するだけでなく,その先を考えることが必要なのだと感じる。だから以下には,どうしても私の視点,評価が入ってくる。ただ,私には別にこの主題について考察した文書がある★01ので,ここでは,批判者達の論理の基本的なところを押さえ,そこで何が問題にされなかったのか,その理由は何かを考えながら,どのように批判を受け継ぐのかを検討するという道筋をとる。

■障害者の社会運動は何を批判したか

@「…君たち障害者として大変な思いをして生きているにもかかわらず君らと同じような境遇を背負った子供を残したいのか。」(小山正義に対する厚生大臣斉藤邦吉の発言 横田[1979:83])★02

A白井他の,産婦人科医・小児科医・内科医を対象にした調査([1981])では,障害の可能性のある胎児(4ケ月未満)に「生きる権利なし」とした者(44.4・43.7・51.1%,「あり」とした者は7.4・18.5・12.2%)にその理由を尋ねたところ(複数回答),「生まれてくるとかえって本人が不幸になる」61・70・87%,「人間として価値が低い」0・6・5%,「精神的・経済的負担がまして家族が不幸になる」75・79・76%,「社会の負担になる」14・23・25%,「社会的にみて有用でない」11・12・11%といった結果が得られている。★03

B「…妊娠の初期に胎児の染色体異常が発見されれば優生学上の対策をとるとか,卵子や精子の段階でそれがわかれば未然に奇形児の誕生を防ぐとか,男女を自由に産み分けられることまで可能になるのです。/先天異常児の生誕は人類優生学上の由々しい問題だけにはとどまりません。生まれた当の子どもの一生も悲惨なら,生んだ親も悲惨なものです。…「奇形児よ永遠にさらば」と言える日が来るのを期待したいものです。」(飯塚・河上[1984:44-45])

C「…生き方の「幸」「不幸」は,およそ他人の言及すべき性質のものではない筈です。まして「不良な子孫」と言う名で胎内から抹殺し,しかもそれに「障害者の幸せ」なる大義名分を付ける健常者のエゴイズムは断じて許せないのです。」(ビラの一部→横田[1979:71])

D優生保護法「改正案によると「障害児」とわかったとたん,しかも母親の胎内にまでさかのぼった状態で天下晴れて”合法”の名のもとに抹殺できるわけです。この法律でいうところの不良な子孫とは一体誰にとっての不良なのでしょうか。生産第一主義の社会においては,生産力に乏しい障害者は社会の厄介者・あってはならない存在として扱われてきたのですが,この法律は文字どおり優性(生産力のある)者は保護し劣性(不良)な者は抹殺するということなのです。つまり生産性のないものは「悪」ときめつけるのです。……どんじりを抹殺したところで次から次へとどんじりは出来てて来て,それはこの世に人間がたった一人になるまで続くでしょう。私は,私自身を「不良な者」として抹殺したあとに,たとえどんなに「すばらしい社会」ができたとしても,それは消された私にとって知ったことではありません。」(横塚晃一「優生保護法と私」『青い芝』16(197209)→横塚[1975(1984):108,110])

 もちろん以前から,障害者の権利に関わる社会運動,当事者による運動はあったが,1970年代初頭にその運動は一つの転換点を迎えた。そしてここには,出生前診断・選択的中絶の問題も関わっていた。部分的にはこのことが質の転換を促したのだとも言える。
 その一つの契機として,1970年5月に神奈川県で起きた障害児の殺害事件に際して起こった減刑歎願運動に対する,脳性麻痺者の集団「青い芝の会」の批判があった。これは,専ら親の側の不幸を語り,それを解消するための福祉施策の充実を求める動きに対するものだった。同時期,施設での処遇に対する批判,さらには施設に収容することによって障害者福祉と称し,それが「障害者問題」の解決であるとされることへの批判も開始される。やがてこれらは,家族の中に閉じられることなく,また施設に収容されるのでもない生活を目指す運動となっていく。★04
 むろん,ある事件があったから変化が起こったわけではない。福祉・医療・科学技術と名がつけばそれがよいことであるという時期が終わり,それらに対する様々な不信が表明され,批判がなされ始めたのがこの時期である。上にあげたのも,こうした様々な批判の運動とも連動し,その中で,その一つとして始まった変化である。実際,死亡時の解剖承諾書を施設入所時に書かされるといった扱いを受け,常に判定と測定の対象となり,当人の意向,事情,可能性を無視して,治すこと(治すための努力をすること)を強いられる彼らにあって,この運動は医療に対する批判でもあった。
 これらに接して,1969年頃に始まった優生保護法改正の動きが具体的なものとなり,72年5月,そして翌年5月に再度,改正案が国会に上程される。ここで,特に第14条「医師会の指定する医師…は,左に該当するするものに対して,本人及び配偶者の同意を得て,人工妊娠中絶を行うことができる」の第1項第4号を新たに「その胎児が重度の精神又は身体の障害の原因となる疾病または欠陥を有しているおそれが著しいと認められるもの」,とすること,所謂「胎児条項」の付加が意図されていることを知ると,上にあげた批判の運動を開始していた人々は反対運動を組織し,この活動は全国的な広がりを持っていった(この時には,74年5月,審議未了廃案となる)。さらに,神奈川県,兵庫県等,当時いくつかの自治体で行われようとしていた出生前診断の推進施策に対する批判が各地で行われた。
 これらの総体として,反差別運動としての,以前の運動とは別の質をもった障害者運動が誕生した。その中で,問題にされたことは何だったか。まず受け止めるべきことはどういうことか。
 彼らは,障害をもって生きることが,当事者の不幸なのではないのだと,はっきりと述べた。現に障害を持って生きている者が不幸であるなどと言えない。勝手に人の幸不幸を決めるな,不幸と決めつけているのはあなた方ではないか,私達が不幸であるとすればそう決められることが不幸なのであり,また,それを私達が受け入れた時に自身を不幸であると思うことになるのだ,と彼らは言う。
 だから,不幸であるとすること,不幸であるとした上で行われていること,それらは他者であるあなた方,社会,社会にある者達に発する。私達に対して行われていることは皆あなた方の都合による。同時に,彼らはこれをはっきりさせた。施設に対する収容は結局のところ,邪魔な存在を邪魔でない所に追いやろうとする行いである。私達はこの社会の中で「あってはならない存在」とされている,と彼らは捉えた。それは「不良な子孫の発生を予防する」と目的を第一条に明記する優生保護法にはっきりと現われている。生産優位の社会,国家がまず批判される。けれどもそれは,福祉政策の不備を言うことによって,他の者達を免責することではなかった。同時に親(女性)のエゴイズムが糾弾の対象にもなる。
 こうして否定的な規定が自らに送られることに抗し,他者・社会の側に送り返す。そしてそれは同時に自己の再規定,自己定義の変更を促す運動でもあった。どこまで障害者でなくなるか,どこまで障害を「克服」するか,という問題の設定から,このままでよい,今のままの私でよいのだというところへ,自らを移動させようとした。
 「不幸な子を産まない県民大会」が公然と開かれ(兵庫県,1973年10月),同月,母性衛生学会で「不幸な子供を生まないために」といった特別講演がなされる。彼らの提起がなければ,それが良いこととしてそのまま公的な衛生・福祉の施策として通ってしまうような状況にあって,これは重要な提起だった。だった,というだけでない。実際には,今でも,そのことの問題性が意識されることは少ない。また,他者,社会にとって有益でない,負担のかかることを理由に,そうした存在を社会の成員としないのがよいという発想もまた,やはり現在でも,自然に流通している(引用A)。このことに対して,他者の都合で,ある存在(の可能性)を消去するという発想に異議を唱えたことの意味は大きい。これは,我々の主題を考える時に,決して落とすことのできない論点であり,後戻りできない地点であり,繰り返し確認されるべき点である。
 しかし,以上を認めるとして,これでは終わらない。私は不幸ではないと言い,あなた方が不幸にさせているのだと言い,自分を再定義する。これは,排除と哀れみと社会復帰(というより職業復帰)という発想しかなかった時,意義のあるものだったが,人権の語に翻訳すれば,通りのよい,少なくとも通ることは通るはずの主張ではあった。
 だが,「出生前」が問題にされる時,これだけですまない。さらに現れる問題は,以上のような認識を促し,また深化させるものであったとともに,固有の困難な問題をも生じさせることになり,さらに主張の吟味を促すようなものだった。
 今ここに生きている私は不幸ではない。不幸だから中絶するという発想のおかしさはそれだけではない。さらに,胎児という存在,その生命の消去ということを考えてみよう。障害をもって生きることが,その生命が消去されることに比して不幸であるなどと言えるだろうか。まず,生命が消去された状態と生きてある場合が比較されている。そして比較の,幸不幸の基点であるはずの当の者が存在しない。だから,当の存在に即して,生命の消去を肯定することなど到底不可能である。しかし,他方で,胎児という存在から選択的中絶を否定することができるだろうか。選択的中絶に対する批判は,端的には障害者抹殺という批判として現われた(CD)。しかし,ある場合に限ってでも人工妊娠中絶を認める限り,少なくともこれを殺人・抹殺だとして禁止することはできない。胎児を人格として設定し,そこから,消去されることの不幸を言うことによって,権利の侵害を言うことによって,選択的中絶を禁止することはできない。このことが十分に考えられたわけではなかった。これが第一の問題である。
 けれども,抹殺でないとしても,その主張の全てを無意味とすることはできない。というのも,間違いなく,出生前診断・選択的中絶は除去する技術であり,それが行われる時,障害者はいない方がよいという契機が必ずあることは認めざるをえず,このこと自体問題にしうることだからである。(だから,現に存在する障害者の差別の助長につながるという点によってだけこの技術が批判されたという理解は一面的である。そういう理解から,選択的中絶が認められている国で障害者の権利が守られているという「実証的」な反論がなされる。しかし,そこにあるのは,生まれない方がよいが,生まれた者には権利を保障するという二つの規範の並行という事態であるはずで,批判が前者それ自体を問題にするなら,上のような反論はこの批判に対する反論足り得ない。)
 これは,「発生予防」が視野に入った時,論点として顕わになったことでもある。現に生きている者に対する社会保障・福祉として捉えられる限り,「障害者も…」「障害者にも…」ということで終わるかも知れぬが,ここでは,単に現在生きている者の権利を保障せよということで済まない。障害を持つこと自体,障害に対する捉え方自体が問題にされる。「障害は個性」「障害を肯定せよ」という主張が提出されることになる。
 こうして,第二に,ここに残っているのが,障害自体をどう捉えるかという点である。「障害を肯定する」という言葉を言葉通りにとれば,中絶という手段によろうと治療という手段によろうと,これを除去する一切の行為は認められないということになる。本当にそう言えるのだろうか。問題はそういうことなのだろうか。大抵の場合,こうした問題が顕在化しないのは,自己決定という論理が持ち出されるからである。何が幸か不幸かは自分が決めることだというわけである。しかし,今問題にしている場面では自己決定を持ち出すことができない。この時,この第二の問題に正面から答えねばならない。
 次に,批判のもう一方の当事者であったとともに,時に障害者の運動と厳しい対立をみせた,女性の運動は何を言ったのかを見よう。そこで,私達は上に取り出した二つの問題に関して,障害者の側から出された主張に対する明確な反論は現われなかったこと,これと関わってさらに第三の問題が生じていることを見ることができよう。

■女性の運動は何を批判し,批判にどう答えたか

E「今の社会で,女に対し”障害者でも生め”ということはいったいどの様な事態を意味するのか!それはまさに生んだ女に対する死の宣告であろう。(障害児を生んだ場合に限らないが)ほとんどの生んだ女にとって育児が強制されることは明白なことであり,そのことによって女は殺されていくのである。……現社会において,女に対し「障害者でも生め」というのは,障害者が生きようとするエゴであり,女が「障害者だから生まない」というのは自分が生きるためのギリギリの譲れないエゴであり,これは生きようとする者のギリギリのエゴとエゴのぶつかり合いにほかならない。そのことを「差別」と称し,だから「中絶は女の権利」といえないというのは,我々の運動の足を引っぱる以外の何ものでもないだろう。我々は胎児が障害者だろうと健丈者であろうと生む生まないは女が決めることであり,「中絶は女の権利」であることをこれからもはっきりと主張していく。障害者の問題,子供を育てられない状況を変える問題は社会福祉・社会変革の問題であり,それぞれの立場からの闘いが必要なのであって女が中絶の権利を要求する運動は,障害者の運動に何ら敵対するものではない。」(「女の視点から闘い抜け!優生保護法(=中禁法)改悪を許すな!「中絶は女の権利」は障害者差別ではない!」,中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合『ネオリブ』28号(1973.8.31):1-2)

F「堕胎は女の権利であり,産み育てる権利に他ならない。すなわち,未婚/既婚を問わず産みたければ自由に産み育てられる社会的条件の獲得……に向けて闘っていく中でこと、<産む/産まぬ>の主体的選択の権利,即ち堕胎を真に権利化していけるのだ。/……抽象的だが,今云えることは,産み育てる権利(=堕胎の権利)の獲得とは,たとえ子供が「障害児」であっても,産みたければ産める社会的条件の獲得を根底にしたものでなければならないということだ。つまり女の産む/産まぬの選択を真に主体化していくための権利の獲得は,本来「障害者」解放と敵対するものでは決してない。/あたしたちは,産み育てる権利(=堕胎の権利)を社会に向けて要求すると共に,こんな社会だから・・・,と己れを正当化することなく,産みたかったら自由に産める状況づくり――それはまず,仲間づくりから始まるだろう――を生活の「かたち」を新しく創りあげる闘いとしてやっていこうではないか。そうなのだ。後者の試み抜きに,権利だから堕胎できる,というんじゃダメなんです。」(田中美津「ああ,もうやんなんちゃった〜 デモ夏負けはしても負けちゃいられない『優生保護法阻止』なのダ! <テーマ>堕胎の権利」,リブ新宿センター『リブニュースこの道ひとすじミニ版』2(1973.7.10):8-9,12-13)

G「私はなにもことさら障害児を産めとは言っていない。しかし,女性たちの心のどこかに「障害児は不幸なのだ」,「障害児が産まれることは大変な負担になるのだ」という心の動きが残っているとしたら,そういう心の動きの上にたつ産む・産まないは女性の権利」という主張を絶対に認めるわけにはいかないのである。」(横田[1983:25])

H「非常に残念なことは,改悪に反対している大部分の人達が,最も問題にしなければならないことを抜きにしている。それは,反対している人達が「障害者」の問題を考えず,「産む産まないは女の自由だ」というような発想で反対しているからである。確かに,女性が妊娠し出産するという現実のなかで,男性にしかわからない肉体的,精神的苦しみがあり,男性中心の社会構造の中では,その主張ももっともだと思うが,だからといって残念ながら全面的に支持することはできない,ここで絶対忘れてならないことは,「障害者」のことである。優生保護法とは何なのかということを考えているならば,単に「産む産まないは女の自由だ」ということにはならないのではないかと思うのである。……優生保護法の目的は,「障害者」をまっ殺する優生思想に基づいているものであり,社会にとって不要な人間は産ませないというところからでているのである。不必要な人間とは,経済社会に役に立たない「障害者」を意味しているわけである。」(荒木[1983:39])

I「…果たして生まれてくる子どもは,女の権利で生まれ,またそういう意味で産んだとすれば,女の義務で育てていくというふうにならないか,それにいくつかの疑問にかられます。子どもは権利や義務で生まれ,育つものかということが,ひとつあります。」(西山昭子[1983:28-29])

 始まりはやはり優生保護法改正の動きだった。まず,現行の第14条1項4号の「経済的理由」という部分の削除反対が闘争の課題となるが,胎児条項の付加にも彼女らは反対した。優生保護法は出産に対する国家の不当な介入であるとし,権利としての人工妊娠中絶が主張された。だから基本的な立場としては,法自体の撤廃である。確かに各条項はある場合に許容するというものだが,中絶できる条件を限定して可能な状態を規定している以上,認められるものではない。経済条項の削除は人口の量の確保を狙ったもの,胎児条項の付加は人口の質の確保を狙ったものであり,女性を,必要な質の人間を必要なだけ産ませるための存在とするものだと捉える。
 この基本的な認識と,胎児条項への具体的な態度において,女性の運動と障害者の運動とは一致している。彼女らも運動の目指す方向が一致しているのだと主張する。しかし,「権利としての妊娠中絶」という主張に対して,障害者を抹殺する権利は女性にもないはずだとする障害者の批判がなされ,双方の間で幾度も議論がなされることになった。
 女性の側で,生まれてきた者が不幸であるという正当化の論理は用いられていない。これは,あくまで産む自己の側の現実として捉えようとした,現実に対する感覚への誠実さ,というかそれが現実そのものであるというところから発している。また,障害者の言葉を受け止めたことからもきているだろう。彼女らはこの行為の主体であり,自らの意図を問う,また,意図を問われる。かわいそうだからという現実感は存在しないし,またこのことは彼らから指摘されてきたところでもある。
 確かに,彼女らは,選択的中絶が現に存在する障害者に対する差別に直結しないこと,それとは別であることを述べるだろう。しかし,その決定の場において,障害者がいない方がよいという意図があることを認めざるを得ない。仮にそれが社会の問題であったとして,しかし直接に手をくだすのは自分の側であるということを受け止める。そしてこのことが障害者の側から提起されたのである。意図を問われ,その場に乗る時,彼女らは,差別であることを認めるのだ。
 問題は,国家に対し優生思想を批判する一方で,自らの産む・産まない権利を主張するという論理が成り立つかだ。産むという行為自体が女性の身体に起こる出来事であること,ゆえに例えば中絶を強制するなどの形でそこに介入することが不当であること,このことは認めることもできよう。しかしここで問題になっているのは,生命の質である。彼女らは,障害が予想されることによって中絶を行うことの問題性を認めた。いったん,選択的中絶が認められるべきでないとすれば,それは誰に対してもということになるはずではないか。
 彼女らは,育児の,さらに長い人生の責任を負うことになるのは自分であるという現実をあげた。育てるのが女性であり,それが現実に困難である以上,やむを得ぬこととして女性の側が決定することだというのである。この時期,女性の運動の主張は均質ではない。それを象徴するのは,あくまで権利としての中絶を唱え,優生保護法を中絶禁止法と捉え,その撤廃を求め,ピル解禁を主張し,「産む産まないは女が決める」という主張を掲げる「中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)」と,やはり優生保護法の撤廃と権利としての中絶を掲げながらも,育児の負担が一人親にかかる社会を問題とし,産めない社会が問題なのだとして,中絶が真に権利としてあるためにも「産める社会を産みたい社会を」と主張する「リブ新宿センター」の対立である。前者は,親=女性の側に即して,その立場であくまで主張を続けるとする。(E)後者は,生産性優位の社会,産めない社会を問題とし,優生思想に対して共闘の可能性を探ろうとする。羊水検査に対する批判が行われる。(F)両者は,対立しながら70年代初期の運動を形成し,どちらか言えば後者の運動が後の女性の運動を受け継ぐことになったと言ってよいだろう。しかし,当事者としての女性の権利を主張するか,その現実を規定するものを捉え障害を持つ者とも共闘しようとするか,力点の置き方は異なるとはいえ,選択的中絶それ自体を積極的に肯定するのではなく,女性に課せられた負担という面から見るという点で,基本的な論理は同じである。(Eにしても,積極的に権利があることを論じてはいない)。
 しかしこれで,答として充分だろうか。国家は優生思想の担い手だが,母親はそうではない,少なくとも現実の制約がなくなればそういう選択をしないと言えれば,選択的中絶を認めず,しかも親の側に規制を加えないでよい,加えるべきでない,と言える。
 しかし,まずそのような良い時は来るのか。来ないその間はどうなるのか。仮に来たとして,その時には,人は選択的中絶をしないと言えるのか。現在ある私(女性)は,社会状況の中にある仕方のない,意識を制約された私(女性)であり,現実が変われば,真実の,本来の良い私(女性)が現れるというのだろうか。そういう方向に向かう言説もないではない。しかしまた,女性の運動は,女性が本来良き母だとされることを否定するものでもある。このようにみるなら,問題がなくなっているわけではない。
 第二に,他の場合は別として,選択的中絶は禁止すべきであるというなら折り合いがつく。しかしそうもならない。彼女らの主張は,出産という行為は国家によって制約されるべきでなく,その決定は権利として認められるべきであるということだ。先の運動の志向の分岐にも対応してその微妙なところは一様ではないが,基本的には,産む自由だけでなく産まない自由が確保される状態が目指される。では選択的中絶も自由・権利ということになるのか。その権利はどこから来るのか。
 先にみた事情,現実的な負担を負うから,ではないはずだ。目指したのは,義務・負担であるという状況を解いた上で自由を達成することだからである。また,負担を負う者が権利も持つのだとすれば,例えば国家は,国家が負担を負うその度合いに応じて権限を持つのだろうか。では,負担でないとすれば,それは何か。つまり,誰が決定できるのか,親だとすれば何故か。
 産む当事者であるということか。しかし,それは,質の決定の権利を帰結するだろうか。こうして,「権利としての」という言い方に対する違和感が表明される(H)。この違和感は運動の当事者の中にも見られる。しかし,対抗の上で,権利をあくまでも主張せざるを得ない。
 結局のところ,女性の運動にしても論理を詰め切っていない。こうして,国家との関係においては,「改悪」という具体的に行われようとすることへの対応の場から逃れられない間,議論が行われてきたのは,理解を示す(示そうとする)女性と障害者の間だった。障害者は,話を聞いてくれる側,場合によってはかなり近い立場にいる者を直接の敵手とすることになる。利害が対立する限りにおいて論議が行われてもよかったはずなのだが,同じ場に乗ることによって,第一の問題,禁止の是非と行為の是非の関係が議論される場とならなかった。また,障害をどう捉えるかという第二点についても,障害を避けたいと感ずることが即ち「差別意識」だという主張に違和感が表明されながらも,ではどう考えるかはっきりとしない。そして,このように構成された場で,第三の点,親(女性)に権利があるのかという点が詰められなかったのである。

■考えることが求められている

 重要な論点は出ている。だがそれは散発的で,論点を相互に詰めることがなされなかった。それから先,今まであったのは沈黙だった。これは日本的と言えば言えよう。しかしこう言って終わらせるわけにもいかない。どういうことになっているのか。
 差別だとする主張に対する反論が成立するのは,一つには,生命の開始や生命の質に関わる事柄について,人間の定義について,それなりの強固な観念――それが完全に共有されていれば,差別だとする議論が成立しない――がある場合である。第一に,そうした強い観念がなかったこと。例えば「欧米」の「生命倫理学者」の一部に見られる粗雑な議論をみると,このことに否定的である必要はない。割り切った観念をもたぬ時,それは,あまりに基本的な問題として現われる。常に問いかけ,疑問形でその発言は終わるだろう。言葉にしにくいという感覚は大切だと思う。「疚しい」という感覚にも何かあると思う。しかし,対立がある時,私達は否応なく黙している感覚を言葉にしなくてはならない。
 第二に,そうした言葉を引出すことが強要される場がない。言うことと行うことが違ってもかまわない。言葉は言葉として聞き,それに反論しないが,だからといって現実にそれに従うわけではない。その距離をまた別の言葉で埋めるという具合いにならない。
 第三に,意図・動機の水準で問えることと行為を禁止できるか否かということ,ある行いが批判可能であるということとその行いをしないことを強要できるかということ,両者は別のこととして考えることができるはずなのだが,確かに「近代的」と言えもしようこうした論の立て方自体をどう考えるかということも含めて,こうした議論は,この場では成り立たなかった。「差別の意図はない」「いやそれは差別だ」,「障害はない方がよい」「それは差別だ」,という応酬があり,差別の実態が,被差別の心情が吐露され,そして沈黙が訪れる。この場面では,動機を持ち動機を問う当事者だけが現われた。
 第四に,以上の諸点と相互に関係して,見解として別の立場に立つ者達が論議を行わない,行えないという事情があった。例えば,医療関係者はこうした議論に乗ってこない。批判の届かないところで,相変らず「本人の不幸」「社会の迷惑」を言うか,ただ思っているか,もう少し慎重な人であれば「自己決定」を持ち出す。そしてこうした空白の中で,なしくずしに何でも行われてきたのである。
 80年代初頭に再度優生保護法改正の動きがあった。この時には経済条項の削除だけが検討されることになるのだが,これを機にやはり同じ成員,障害者運動の側と女性の運動の側との間で議論がなされる。基本的に同じ論理,主張,そして対立が現われる。明示的に現われる主張の内容という限りでは違いをみることは難しい。20年間同じことが言われているといってよい。
 総体として先端医療技術に対する批判がなくなったというわけではない。例えば,障害者達のある部分は脳死・臓器移植に関心・疑義を表明していくだろう。しかし,優生保護法の改正自体は立消えになり,事実上制限が課せられていない状態で,医師の側にせよ,女性の側にせよ,直接的に利害を脅かされず,被害を被る者がいないという情勢のもとで,選択的中絶を批判するとしても優生保護法を理由に告発するわけにもいかない。こうした空白の中で,政策決定や医療の現場とは別の場で時に討議が行われるといった状態が続く。
 けれども,この技術に疑問を持つ人達が,この状態をそのまま受入れようとしているというのではない。さらに生殖をめぐる様々な技術が進展をみせる中で,少なくとも思考の道筋をはっきりさせておこうという要求は強くなっていると思う。
 この20年の間,社会の側にあっては,障害者が健常者と同じように暮らす権利があるということ主張が,どれほど実現されているかどうかはともかく,受け入れられる。医療においては,治せない病,不可避な死を前にしてなお治そうとすることに対する一定の反省が語られ,自己決定が語られる。現に生きている者の生活の条件はいくらか改善される。
 ただ,繰り返せば,ここで問題になっていることは,そこに必ずしも納まり切らない。ヒューマニストは人権を口にする。しかし,他方で親の権利はどうなるのか。治せもしないのになんでも治そうとすることが問題なのはわかった。しかし,「予防」できる場合はどう考えるのか。そうそう口にすべきでないこと,というふうにわかった,のだとも言える。それは逆に手詰まり,停滞を生むことにもなったかもしれない。差別だという主張と,障害はない方がよいのではないかという「実感」との乖離が,言葉にされないまま,続くことになる。だが,生殖に関わる技術が進んでいく時,また,環境の胎児への影響等が問題になる時,いつまでもこの状態を続けていくわけにはいかない。
 障害者の側でも,批判・糾弾に力を集中させる運動から別の方向を模索しようとする動きが現われる。これは生活条件やら何やらが改善されたから,今生きている者が殺されるという切羽詰まった危機感が薄れ,余裕がそれなりに出てきた結果だろうか。単純にそうと言い切れない。現実派・生活派と差別糾弾派,という二つの流れ自体は以前からあった。そして後者の運動はもともと少数派のものだった。生活の充足が差別への感度を良くすることもありうるだろう。全般的な危機感が薄れた結果退潮に向かうというより,むしろ事態の一定の進展の上で,論理の行き詰まり,というよりはどこを目指すのかのがはっきりしないことが感受されているということではないかと思う。あるところまでの社会的な理解,条件の整備と同時に,割り切って運動を進めてきたところの成果(例えば合衆国の70年代以降の運動,そして1990年の「障害を持つアメリカ人法(ADA)」の成立)に触発された直観的な感覚のようなものがある。「機会の均等」でかなりのところまで言えるではないか,この現状を変えられるではないかということだ。そこから,それ以上・以外をどう考えるかということに対して,はっきりしないという感じが生まれ,同時に,もう一度最初から考えてみようという動きが生じる。むろんこれは告発型の社会運動全般の退潮に対応している。だが,その退潮自体が説明されるべきだ。問題の所在は突いたものの,それから何を考えていくのか。例えば能力主義に対する批判といって,一切の能力の差異に応じた結果の差異を否定するのか。★05そうした様々なことの再検証のなかにも,これを位置づけることが出来よう。
 同時に女性の運動の論理も,戦術的な対応に追われて基本的な点を詰めることが出来なかった。さらに技術とその応用の場が分散し,国家対個人という図式が常に有効ではなくなる,あるいはこの図式に固執することによって現実をうまく捉えられない。その運動は,様々な場面で重要な提起を積み重ねてきたが,さらに考えるべきことがいくつも残っている,「産む権利」の問題はその一つでもある。

■どのように考えるか

 今,彼らは聞こうとしている。論理を再検討しようとする気運があると私は思う。だから,議論・対決が必要なのである。
 この技術の使用を認めるか否かは基本的なところである。議論がなされても,対立が解消されるとは限らない。しかし,なしくずしに行われるよりは余程よいと思う。議論を行わず,そこを飛び越して何か「現実的」なことを言おうとするのは,これまでのなしくずしの流れに対する言葉とならない。倫理の問題であるのなら倫理の問題として語るべきだ。そうでないというのなら,どのように倫理の問題でないのかを明らかにせねばならない。
 まず,先に述べた第一点,よいことか悪いことかという問題と別に,禁止すべきか否かという問題がある。以上述べたような議論の場の構成によって,こうした距離を取った発言が登場する状況がなかった。しかし,これは考えるべきことである。中絶を全面的に禁止しないという前提のもとでは,少なくとも殺害・抹殺であるという理由によって,この行為を禁ずることはできない。とすればそれ以外の根拠によってこれを禁ずることができるのかを考えるべきである。議論の余地はあるが,直接的な他者に対する侵害行為でない場合はこれを禁止できないという考え方に立てば,これを禁止することはできない。
 しかし,禁止できないということは積極的な権利があることを意味しない。むしろ,その上で,他者の都合(それが誰の都合であったしても)によって,他者となる存在の質を予め決めるという行為について考えることである。この時に,再度,彼らが提起したことを受け止めるべきなのだ。
 まず当の者が不幸であるという言い方が成り立たないこと,これは認めなくてはならない。だから次に,社会のために不都合であるからこの技術の適用は当然である,と言って済ませてしまうこと,文句なくそれがよいことであると考えることについて,考えてみることである。
 この時,第二の問題として先に指摘したことを考えておかねばならない。障害の肯定といって,障害を生み出すものを除去する一切の行為を否定するのか。強力な常識に対して,障害を持つことは良いことなのだと主張せねばならなかった。それは,障害者福祉が掲げられる中で,障害という属性を取り出され,その自己を否定され,障害を「克服」するための努力を強いられることに対する批判として有効だったが,それを完全に維持できるかということだ。
 人体に破壊的に作用する事態に対する時,生命の質という論議に対抗する言説は,生存を唯一の拠点とすることになる。例えば原発は,障害を引き起こすからではなく,生命を危うくするからだめなのだ,という理由が付けられる。だとすれば,あげ足をとるようだが,障害だけをもたらす行いだったら,許容されることにならないか。これは批判がなされたその本筋から外れているのではないか。障害があること自体が良いとか良くないとかいうことではないのではないか。
 もう一度考えてみよう。同じ人Aが病aから逃れ健康な状態bに移行することは,自己決定のもとで認められる。あるいは自己決定が不可能な場合は意志の確認がなくても認められることがある。以上を妥当な選択だと考える。すなわち,第二の問題に関して,障害・病のある状態とない状態を等価とする,あるいは後者を前者に対して優位する主張をとらないとする。他方,ある人Aがaという状態,Bという人がbという状態であるとして,Aを否定しBを肯定することは認められない。
 では,出生前診断・選択的中絶で問題になっていることは何か。繰り返せば,具体的な被害者はいない。遺伝相談の上で子を持つことを断念するという場合と,妊娠中絶の場合と,私達が受け取る感覚は確かに異なる。しかし,抹殺されてはならぬ人格を想定しないという意味では,前者と後者は同じである。ではこれらの場合,Aという人格を想定しない以上,aとbという違いしかないのだから,先の治療の場合と同じであり,認められるという主張が成り立つだろうか。
 そうではない。これらは,aという属性を持つ,可能性としての存在Aの否定,特定の誰かである必要はないが,ともかくaという属性を持つ存在が生じることの否定である。ここで,当の存在の視点が成立していない以上,負担となる存在を予め消去するという発想だけがここにある。これは,治療(出生前の治療を含めて)が(直接の自己決定を介してではないにせよ)あくまで存在Aの存続・誕生を前提とした上でのことであるのと異なる。だから,これは,やはり,他者の視点からの行いなのである。
 以上,障害それ自体の是非を問題とする第二の問題設定を取らず,選択的中絶を評価する場合にその中核にあるのは,他者が障害を持つ者が在ることをどう考えるかということであることを述べた。次に,障害を持つ者がいることが,他者にとって不都合である,迷惑であること,これを否定する必要もないと思う。その点で,私はGの発言を,その言葉の通りには肯定しない。その負担,大変さを多くの場合確かに過大に見積もっていること,その重荷とは現実的な負荷である以上に社会的なまなざしの問題であること,そのように社会があるのは確かだが,それでもある属性が他者にとって確かに負担・不都合であることは事実として認めてよい。
 その上で,第一に,その他者にとって負担である属性,障害を持つことを許容しないこと,全てを自己達にとって都合よく他者を存在させることを問題にすることができる。社会にとって有用である,あるいは害がないということによって成員を決定するという行い,そのようして形成される他者との関係,そうして構成される社会は,居心地の悪い,つまらない社会であると言いうる。他者がどういう存在であれ,それはそれでよい,そういう存在を他者といい,そういう存在によって構成される場を社会というのだと考え,負担や貢献を口にする議論に反駁することができる。
 負担や有用性を主張する立場が存在することは事実として認めねばならない。また,負担や有用性を考量せねばならぬ場面があることも否定しない。しかし,第二に,全体的な決定として義務化するに際しては,この主張が異なる見解を持つ者を排除するだけの強力なものであることが必要だが,そうとは考えられない。考えられるとすれば,その負担を受け入れるなら社会の存続自体が不可能になるといった場合くらいだが(この場合にしても,むしろ滅亡を選ぶという選択は可能だ),むろん,この社会はそのような社会でない。
 第三に,産むということはある者(達)の決定を介して,その者の身体においてなされる。ここに介入して検査と中絶を強要する場合,それは,ある者の主張・見解を排除するというだけでなく,具体的な身体に対する介入であるから,さらに強い正当化の根拠が必要となる。以上から,全体的な決定として出生前診断を義務づけることは認められない。
 決定の当事者である一人一人の者に対しても,上の第一点を主張することはできる。しかし,先の第一の問題に対する検討を踏まえれば,抹殺であるとして禁止することはできない。とすれば,結局,強要にせよ禁止にせよ社会的な決定が及ばない場に,当事者である産む者,親が結果として存在しているということである。先の第三の問題に対する解答はまずはこうした消極的なものとなる。親が子の質に関して排他的な権利を持つから,国家に権利がないのではない。基本的には誰にも積極的な権利はない。しかしなおさら,全体に権利は属さない。この時,事実選択としてある出産という行為の当事者がそこに決定者として存在してしまっているということである。
 原則的な否定からは技術自体の廃棄が帰結する。むろん,事態はそのように少しも動いてこなかった。不透明なまま技術の応用が進んできた。他方,上の立場を採った時には,具体的に考えるべきことがいくつか出て来る(誤解はないと思うが,だからこの立場を採るというのではない)。禁止でも強制でもないとして,国家・自治体は基本的にどういう立場を採るべきか。例えば,検査にかかる経費に対して公的な援助を行うか,検査機関がどのような性格を持ったものであるべきか。医療でないものに健康保険は適用すべきでない,それでは負担できる人と出来ない人の格差が生じる,等々の問題を詰める必要がある。またその決定が,討議がなされない,私達によくわからないところでなされてはならない。
 さらに,個人に委ねられるしかない具体的な決定の場面において,決定のための情報という側面から,検査,医療の場を検証する必要がある。抽象的に自己決定を言うのでは足りない。むろん現状では,これが形式的にでも貫徹されたら,それだけでもたいしたものだが,実質的にそれを実現させることである。
 医者はそういう情報を与えられる立場にいない。なぜなら,彼らは生活を知らないから,けれども最も重要なのはその生活だからである。そして彼らは,職業柄常に「治すべき」「除去すべき」者ととらえ,職業柄か「不幸である」と思っているからである(A)。それが意見としてありうるとしても,別の意見も伝える必要がある。不幸であると思っている人がそれを伝えることができるだろうか。彼らが言えるのは,せいぜいが「こういう幸福な例もある」とか「ダウン症児はAngel Babyとも言われている」とかいった程度のものだ。だから,そうした意見と異なる立場に立つ他者の参加が必要である。少なくともまず,その職務につく者は,別の見解を知るべきだし,そのために別の見解を持つ者(特に当事者)がその職務のための教育・訓練の場に介入すべきである。そして,意志決定のための場で虚偽が伝えられてはならず,また与えられる言葉が障害を持つ人々を侵害することになる可能性もあるのだから,与えられる情報は公開されねばならない。
 ただ,診断を受けることに決めた人は,その結果によって中絶を行うつもりでいる。そうでなければ検査を受ける必要はない。だから,むしろ重要なのは,情報を得られる,検査が可能だという情報を伝える場面,あるいはそれ以前である。子の質に対して親が責任を負うべきであるという観念,実際その帰結に対して責任を負わねばならぬという現実が与えられていることが問題である。
 一人の私が,私による制御という観念を越えて,他者を生かそうとするのは,この社会にあってそう容易なことではない。ただ,産み育てるという行為に関わる当の者は,ある者を統御しようとしても,そのことの不可能性を知り,最もその存在に近い者でありながら,むしろそれゆえに,他者が他者であることを知っている存在ではないか。私達は,しばしばこうした事実を見る。それは「母」だからではない。このような事態を承認しようと思う時,周りにいる者が出来ることは,子が「私」に属するという思いをいくらかは軽くし,その者達とその者達の関係を支えるためのいくつかの手立てを取ることではないか。
 だから,負担を回避し貢献を求めるという道を,少なくともその道だけを,選ぶのでないのなら,他者である私達が,誰であろうと他者として現われることそのものに条件をつけない,選択しないという選択,選択のための情報を得ないという選択を承認することである。そしてそのようにして生まれてきた者すべての生活を支援していくことである。選択しないという選択を支援するやはり私達の選択として,現実に生きていくことのできる状態を確保することである。
 私は,出生前診断・選択的中絶に対する批判を追い,それを検討し,とりあえずここまでを述べた。この技術への批判者は,その批判の中核的な部分を残しながら,述べてきた様々な場面で,新たに論争をしかけ,他者の見解を批判し,自らを擁護することができるだろうと考える。倫理学者,生命倫理学者の議論の検討,各国での議論の現状の把握とそれに対する考察,いくつかの論点の敷衍は別の機会に譲らねばならない。検査・情報提供の実際とあるべき方向についてはこの報告書で他の報告者がさらに具体的に報告し,提言している。

■注

★01 立岩[1992]。以下の文章は,その性格上,筆者自身の論の詰めが充分でないところがある。この別稿で補っていただきたい。また,そこには以下に掲載していない関連文献がいくつか挙げられている。なお,私達の主題に関して稲垣[1990]が検討を行っていることを本稿の脱稿後知った。読まれねばならぬ文献としてこれを加えておく。なお筆者は,現在,技術の概要,政策やそれへの批判の動きを追った年表,著作・機関紙等の文章・発言の引用,文献リスト他を内容とする,この文章と対になる資料篇というべき文章を作成し加筆を続けている。必要があれば送付する(→〒181 三鷹市上連雀4-2-19)。
★02 @CDGの横塚晃一・横田弘・小山正義はいずれも,青い芝の会神奈川県連合会及びその全国組織の中心的な会員として活動を行っていった。横塚は1978年に死去した。横田・小山は現在も神奈川県で活動を続けており,生命倫理研究会は1990年に両氏を含むこの会の会員に聞取り調査を行った。注04の文献を参照のこと。
★03 但し本稿が「胎児の生きる権利」という問題設定を取らないことは後に述べる。他に白井他[1985]も参照のこと。
★04 こうした障害者の運動の展開過程とその主張については立岩[1990a], さらにこの後の「自立生活運動」と呼ばれる試みについては,この文章を含む安積他[1990]を参照されたい。
★05 立岩[1991]でこうした点に関して検討した。

■文献

荒木 義昭 1983 「優生保護法改悪についての諸問題」,『福祉労働』21:036-044
安積 純子・岡原 正幸・尾中 文哉・立岩真也 1990 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』,藤原書店
飯塚 理八・河上 征治 1984 『不妊と妊娠の医学』,立風書房
稲垣 貴彦 1990 「生命倫理と障害者福祉(U)――選択的中絶の倫理的問題」,『社会福祉学部研究報告』No.13:11-32
西村 昭子 1983 「産む・産まない権利とは」,『福祉労働』21:026-029
白井 泰子・白井 勲・藤木 典生 1981 「人間の生命過程への介入とバイオエシックス(T):出生前診断及び選択的妊娠中絶に対する医師の態度」, 『愛知県コロニー発達障害研究所社会福祉学部研究報告』6:1-8
白井 泰子・白井 勲・藤木 典生 1985 「人間の生命過程への介入とバイオエシックス(X):保因者検索に対する医師の態度」,『愛知県コロニー発達障害研究所社会福祉学部研究報告』10:23-41
立岩 真也 1990 「はやく・ゆっくり――自立生活運動の生成と展開」,安積・岡原・尾中・立岩[1990:165-226]
――――― 1991 「どのように障害者差別に抗するか」,『仏教』15,法藏舘
――――― 1992 「出生前診断・選択的中絶をどう考えるか」,江原由美子編『フェミニズムの主張』,勁草書房:167-202
横田 弘  1979 『障害者殺しの思想』,JCA出版
――――― 1983 「産む・産まない権利とは」,『福祉労働』21:022-025
横塚 晃一 1975 『母よ! 殺すな』,すずさわ書店→1981 『母よ! 殺すな[増補版]』,すずさわ書店


出生前診断・選択的中絶に対する批判は何を批判するか(要約)    立岩 真也

 出生前診断がどのように批判されたかを確認し,そこから何を得,何を考えるべきかを検討するのが課題である。1970年代以降の障害者の運動は,出生前診断・選択的中絶を優生思想に基づくものであり,障害者の抹殺であると批判した。他方,女性の運動は,やはりこれを優生思想として批判する一方,他方で出産に関する親の権利を主張し,ここに障害者運動との対立と内部における矛盾が生じ,議論はその状態にとどまっている。
 ここから何を考えるか。人工妊娠中絶を一般的に否定しない限り,抹殺だとする主張,胎児を立脚点とする選択的中絶の否定は成立しない。だが,同時に,「本人が不幸」という観念に対する障害者の側からの批判も認めねばならない。とすると,結局は他者(社会)の都合で,不都合な存在を除去する技術だという主張を受け入れねばならない。つまり,その存在に対する他者の決定の問題として考えねばならない。生まれる人間の質に対して,親が積極的な決定の権利を持つとは言えない。けれど,他の者も,決定の権利や決定に対する規制の権利を持っていないがゆえに,事実上,産む者が決定者として現れることになる。生じているのはこのような事態であると考えるべきである。以上の確認の上で,私達は,他者の質を決定しないという倫理・決定を受け入れ,また,それを支援していくことができよう。


UP: REV:20150101
出生前診断  ◇立岩 真也 
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