HOME > BOOK >

書評:ロバート・F・マーフィー『ボディ・サイレント――病いと障害の人類学』

(辻信一訳,新宿書房,1992.06.30,312p.,2600円)

立岩 真也 『週刊読書人』1948号,p.4(1992年8月31日)


 人類学といっても、この書が行うのは各地の病・障害に対する認識の比較分析ではない。これは、1972年に良性骨髄腫瘍が発症し、それが次第に身体の機能を麻痺させ、90年に死に至る人類学者、同年の定年退職までコロンビア大学の教授を勤め、幾冊の著書を持ち(邦訳はない)魅力的な講義で有名だった人類学者が、ゆっくりと沈黙に向かう身体とその周りの世界をフィールドとして記録し考察した書物、それらを自らと対話させた書物である(原著は87年)。米国で彼に会ってもいる人類学者辻信一の訳文はとても読みやすい。
 障害を克服していく話(大変結構なことだが、ここでは不可能だ)ではないし、自らの苦境を嘆く話でもない。何よりも、分析であろうとし、言葉を構築しようとする。学者としての生活、大学の世界、介助者でもある妻そして息子との関係、病院、性、他者、社会、合衆国の現状が、いくらか自身の過去の回想を交えながら記述され分析される。訳者も言うように、この書は多様な面を持っている。極めて具体的な一つ一つのことがまず興味深く、一気に読ませる。そして他者達との接触面で自己と他者に起こることの分析。この書でも引かれるゴッフマンの『スティグマ』、『アサイラム』のように、そして視点が移動している分別様に、おもしろい(こういう経験を得た社会科学者はそうはいない)。身体を巡る合衆国の文化の分析や、権利のための運動の動向の記述にも多くの部分が割かれている。多くのことが私達の社会にも見られることであり、この書物に積み上げられた多くの言葉は、これから病や障害について私達が語る時の題材、前提となろうし、また同時に、かの社会と私達のそれとの間にある差異について考えてみてよいこともあるだろう。そしてヴィクター・ターナーやメアリー・ダグラスやレヴィ=ストロースといった人類学者が引かれ、「境界状態(リミナリティ)」としての身体障害という理解が語られもする。
 だが、にもかかわらずひとまず言葉を失う部分がある。というより、その沈黙はこの書の全体の中で徐々に進行する麻痺とともにある。それは事態の深刻さに動じてしまうのとは違う。終わりの方で、しかし行論の必然として、筆者は存在論に向かう。フロイトが引かれ、他者へとつながろうとする、他者に倒れ込もうとする欲求と、自分だけの世界へ閉じようとする、母胎へ回帰しようとする欲求、その微妙なバランス、普遍的なものとしての「生」、その核心としての「否定性、活動停止そして死に対する挑戦」が語られる。異論を挾もうとは思わない。そして実際、この書を支えるのはこの熱情なのであり、レヴィ=ストロースが賛辞を送るのもここなのだ。それにしても、あるいはそれゆえに、私達は、身体や死という所与について、他者や生活というものの不可解さについて、漠然と考えることになる。著者はゆっくり世界を移行していったことによって人類学者として幸運ではあった。だが例えば、病が次第に機能を奪いその果てに死があることと、身体が初めから動かないこととは多分同じことではない。この書を読み進めながら、私が身体の動かない人といる時に、世界を目差している、身体を欠いた頭蓋を想起することがあったのを思っていると、ベケットの『マーフィー』が最後の方で引用されてもいる(著者もアイルランド系だ)。幾重にも、何を読みとっていくか、何を考えるか、開かれた書である。

◆Murphy, Robert F. 1987 The Body Silent, Henry Holt and Company=19920630 辻 信一 訳,『ボディ・サイレント――病いと障害の人類学』,新宿書房,312p. ISBN-10: 4880081671 ISBN-13: 978-4880081670 2600 [amazon][kinokuniya] ※ ma.


UP:1996 REV:..20031002 20040527 20050521 20060107
医療人類学  ◇立岩真也・書評
TOP HOME (http://www.arsvi.com)