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生命工学への社会学的視座

第62回日本社会学会大会  於:早稲田大学  1989.10.22
テーマ・セッション:巨大科学・技術と産業社会 立岩 真也

【T】
  生命工学――生命に関わる実証的な知に基く介入――について法学,倫理学等の立場等から様々に語られるようになった。社会学はこれに何を加え、何を言うのか。例えば脳死や臓器移植についての人々の意識を知り、社会による反応の異なりを明らかにすること。確かにそれは課題である。けれどもそれだけではない。というのも、そこから今現れているもの自体をどう考えるかは出てこないからである。
  選択が問題になっているからには、どうしても倫理という場所へ行き着く。ある基準が持ち出され、それを受け入れるか否かが問題となる。当然のことではある。しかし、そうした議論はしばしば、社会という場がどのように構成されているのかを看過し、いくつかのことを暗黙に前提しているのではないか。倫理・決定はこの社会のどこに発し、どこに及ぶのか。諸領域の複合としてある社会の作動原理を考えながら、問題を縁取る試みがまず必要ではないか。
  検討の対象となるのは以下のことである。生命工学の知・技術はどのような社会に生じたのか。それがその社会に規定されながら、そこにどのような効果をもたらすのか、もたらしうるのか。だが、これだけでは何も言ったことにならない。
  具体的に何が出来るのか。第一に、それが最近に始まったことではないこと、この社会の成立の時から、少なくともその発想とそれを巡る論議が存在することを示せるだろう。だがこの報告ではこの点を具体的に追うことはできない。
  これと関連して第二に、社会の諸領域の編成、その中での主体という形象の有り様を検討することを通して、知・技術の位置の測定と効果の可能性についての考察を行う。
  踏まえるべき事実の提示と具体的な検討は今後の作業として、ここでは視点を示し、課題を設定するにとどめる。

【U】
@ 近代社会は経済・政治・家族、及びその残余領域に分割される。社会的行為となる行為は各々の領域に配分され、それぞれに行為を調達するメディアが存在するとされる(貨幣・手続きの下に集計された意思・愛情・以上に収まらない意思)。そして境界が定められている。政治領域によって規制されるものとされないものとがある。貨幣による交換が認められるものと認められないものがある。こうした決定を行う審級は、多くの場合、政治領域にある。
A 私のもの、私から表出されるものはここで重要な位置を与えられた。それは各々の領域を成立させ、領域内での行為を発動させる基体とされる。それは私に固有なものとして自らを離れず、譲渡不可能なものとして社会的な流通の対象とならない。
B 近代社会に対する古典的な了解は、上の方向に解することができる。そこに入りきらない要素は、原則的に近代とは異質なものと見られる、あるいはそこに生ずる問題を解決、解消するために近代社会の成立後生じたと見られる。しかし、いくつかの歴史的な検証の作業はそうした見方に反論し、諸個人に関する実証知に基づく介入が、既に近代の開始の時に始まっていることを示した。今日生じている事態に技術の進展による部分があることを否定する必要はない。しかし、それに連続する知と実践は、19世紀の初めに既に存在し、しかもそれは近代社会の成立に重要な意味を持つと考えられる。その歴史的な経緯と論理構造を明らかにすることは、現在を考察するためにも意義があるはずである。
C こうして、近代において、個体の内部は、第一にそれ自体が起点として措定されるの

REV: 20161031
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