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FOUCAULTの場所へ

―『監視と処罰:監獄の誕生』を読む―

立岩 真也 1987年12月 『社会心理学評論』6, pp.91-108



  『監獄の誕生』はとりたてて難解な書物というわけではない。だが、それが近代・現代社会について何を語っているのかについては、今まで十分な検討がなされてきたとは必ずしも言えない。私達は、書物の全体を追っていくことによって、また既存の了解と対照していくことで、どの部分で、どのようにFoucault が近代社会について今までと別のことを述べたのか、確かめてみよう。注意深くあれば、短絡や誤解を防いで、Foucault の位置を定めることができるだろう。またそれによって私達がこの社会について何をどのように考えていったらよいのか、示唆を得ることもできよう。



  この論文は、Michel Foucault によって書かれた書物、Surveiller et punir: la naissance de la prison★01)の検討を主題とする。
  以下、この書物の流れを追っていくが、単なる要約が目指されるのではない。この書物が近代社会について何を述べているのか、あるいは既存の近代社会についての了解の何を批判し、何を付け加え、何を対置しているのか、そういった視角からみていこうとするのである。この書物を読んでみると、Foucault の記述は既存の記述と接点を持たないものではない。明確に批判の対象を設定し、それに対して別の視点を提出すべく書かれている。それをできるだけ明らかにしたい。
  それは同時に、常に歴史的な変容について書かれているFoucault の著作について、その変容の把握、時代区分について、それがどのように捉えられるものなのか、考察することでもある。この点は、むろん従来の歴史把握との関係において問題になるが、またFoucault 自身の諸著作の間の関係においても検討すべきことであろう。この論文は1つの書物を対象とするため、この点を主題的に検討することはできないが、できる限り注意を払いたい。従来この点は、Foucault が提出した理論として一括して論じられる際に見落とされがちだったからである。例えば、Foucault は「主体」について、様々の歴史的な地点において記述を行っている。けれども、それらいくつかの主体の形象は同じものなのか、異なるとすればどのようにかといった点、そしてそれらの間の関係については十分な注意が払われてこなかったのではないか★02。
  この論文は、Foucault の方法論、概念装置――というべきか、例えば「権力」という語――について主題的に検討するものではない。それは、私が定まった理解を得ていないからでもあるが、まずなによりFoucault が何を対象としており、どこに変容をみたのかを検討することが先であると考えたからである。おそらくその方が、彼が従来の把握に対して異義を唱えたということの意味がよくつかめるのではないか。またそうした上で、我々は理論的といいうるいくつかの問題について、考えてみることもできるのではないか。
  この著作の直接の対象は、社会学あるいは社会心理学においては、「逸脱行動」「社会病理」「社会問題」といった領域に関わるものであろう。では、それとこの著作はどのような関係を持つことになるのだろうか。例えば「逸脱」という現象を社会心理学はどのように捉えるのか。逸脱に向かう心理的な特性といったものが問題になるはずである。だが、それはどのようにして捉えられるか。例えば、ある行為に対して心理的な特性が措定される。しかし、行為と特性を結ぶその手続きはどれほど確かなものなのか。むしろまず、当事者に即して、特性の了解、特性と行為との関係についての了解を考察すべきではないか。そしてその際、当人に即して検討することもさることながら、逸脱といった事象の場合には、統制する側の把握を検討することが重要なこととなろう。レイベリング論はこういった視点の移動を行った点で評価される。だが統制する側の認識が何か普遍的なものとされるなら、それはまた別の自然主義に陥ってしまう危険性がある★03。というのも、この認識がそれと相関的に存在する実践との関わりの中にあり、普遍的なものというより諸戦略に規定されたものである可能性があるからである★04。Foucault の著作はこの点を明らかにするであろう。そしてまた、社会学・社会心理学が、そういった実践の外にあるのではなく、むしろそれとともに存在するとしたら、つまり逸脱行為に関する当事者たる他者として存在するのであれば、その営みの点検として彼の書物を読むこともまたできるはずである。
  以下は短いとはいえぬ書物の順序を追っていくことになるから、ここで捉えようとすることがすぐには明らかにならないかもしれない。そこでまず、大きな流れについて簡単に注意を促しておくことにしよう。
  この著作を読む際に印象に残るのは、まず王権による身体刑と規律=訓練と呼ばれる刑罰の形態、この2つのものの対照である。
  けれどもこの著作では、もう1つ、表象としての刑罰という契機が入っており、合わせて3つの処罰の形態がここで取り上げられている。第1部「身体刑」で、王権による身体刑の分析とそれが18世紀後半にいたって徐々に消えていく過程が記述される。その後の司法制度の改革とそこでの刑罰の改革への志向が扱われるのが第2部「処罰」である。そして第3部「規律・訓練」・第4部「監獄」では、さらにそこからはみ出し、行刑制度を支配するようになった実践と知の形態が記述される。これがこの書物の構成であり、また歴史的な把握である。
  私達はそれを追っていくが、その際、第1部については、刑罰のもとに置かれる個体に対する規定について、彼の他の著述との関連をも考慮しつつ検討する。また第3部では、Foucault がどういった個体への作用を何に対置させているのかを知ることができよう。そして第2部・第4部については、刑法(学説)史との対照によって、この書物がかなりの程度正統的な了解との相同性を持ちつつ、また、歴史的な移行について、形成される制度の理解について、重要な差異をみせることが確認されよう★05。その上で最後に、近代社会論にとってFoucault の取った地点とは何だったのか、その社会に想定され、規定され、標的とされ、目的とされる主体の形象に即して振り返って検討してみよう。

身体刑 supplice

  第1章「受刑者の身体」の冒頭、1757年に行われたDamiensの処刑の様と、1837年のパリ少年感化院のための規則が引用され、この書物は始まる。この章は、この書物全体を予示し、既に中心的な論点を提出している。だが、以下で全体を検討するのだから、この章の紹介は省略する。ただし、ここで対照される2つの形態、それだけがこの書物に描かれているのでないことに注意を促しておこう。
  第2章「身体刑の華々しさ」。フランス大革命までは身体刑が刑罰の主要な位置を占めている。この章では、訴訟手続、刑の執行、そしてこの刑に内在する移行への可能性について述べられる。 ==訴訟手続きは秘密に行われる。そして自白が重視される。自白が証拠として確実なものとされているからであるとともに、犯罪を自己の責任に課すことが目指されるのである。自白を引き出すために拷問が使用されるが、その手続きは正確に規定されている。拷問の場は容疑者とその真理を引き出そうとする者との決闘の場でもあり、自白が引き出されない場合、この決闘は容疑者の勝利に帰すことにもなる。
  刑罰の執行。軽罪delit によって起きた個人的な損害の賠償はその損害と正確に釣合がとれていなければならないが、重罪crime は別である。法を犯すことによって、犯罪者は君主の人格そのものを傷つけたのであり、あえて法を侵そうとしたこの臣下に対して、身体刑が課せられる。この刑罰の典礼は、法律抜きの狂暴といったものではない。罪人は処刑の場で自らの罪を告白することを求められる。与えられる苦痛の量は正確に規定されている。身体に加えられる刑罰は、犯罪そのものを再現するとともに、傷つけられた権力を回復し、統治者への挑戦である犯罪・暴力を圧倒する権力の不均衡、優越性を最大限に浮かびあがらせることを目標とするのである。==
  王権による刑罰は、直接には身体を標的とする。けれども、明確に述べられているように、身体に苦痛を与えることだけが主題になっているのではない。あえて法を犯した、それによって君主の権力を傷つけた犯罪者の意志が問題になるのであり、それが取り出され、そして罪を犯罪者が認めることが目指されるのである。
  このような体制、少なくともこのような体制を目指す意図は中世から存在する。Foucault が次の書物に記すように、12・13世紀には教会での告解が制度化される。そして同時期、裁判においても、民事と刑事の分離、すなわちある部分について当事者による親告から司法権者による訴追への移行がなされ、訴追された者に対する職権者による拷問を伴う審理、そして、そこで取り出された犯意に対する応報としての刑罰が課せられるようになる。どちらも当事者の自己についての言説が取り出されることによって、主人はその者を個人として自己の支配の下におき、またその者は主に従属するのである。6)さらにFoucault は、そういった個人を個人として問題にする権力の形態の始まりを、より以前に求めることになる。すなわち、既に紀元前に既にその出現が認められる牧人=司祭体制 pastratである。7)とすれば、12・13世紀は、西欧にこの権力の形態が現実化され始めた時期であり、この第1部に記述されるのはその連続の下に捉えられるものなのである。
  Foucault によって規定された牧人=司祭体制とは継続的に個人を見守りそれを幸福に導くものである。他方、身体刑で与えられるのは、苦痛であり、それは恒常的に人々を見守り、連続性において個体を捉えるものではない。しかし、既に最初期の著作においてFoucault は、この時代にまた、人々の幸福を気遣う政治の現われをもみているのであり、この時代が専ら王権の身体刑に象徴されるものだけとして捉えられるのではない。8)だから私達は、身体刑という言葉だけをみて、個体の内部の問題化という契機を見逃してはならないし、また、――この著作には主題上論及されてはいないが――この時期における個体関与の政治の存在を無視してはならない。
  こうした確認の上でなお、私達は18世紀末から19世紀にかけての変化をみることができるはずである。
  【身体刑からの移行は、まず第2章の終わりに身体刑に・まれる危険性の問題として述べられている。すなわち、この公開の刑は必然的に民衆の参加を要請するものであり、それは民衆の権利でもあった。このことはまた、民衆、また処刑される者自身による、また双方の呼応した、反抗の可能性の存在を示す。実際、こういった反抗がしばしば起こるようになる。そしてこの時に、この刑罰の形態は有効なものと考えられなくなる。9)】

刑罰 punition

  ここからの改革。それは単に刑罰の方法の改革ではなく、もっと広い領域を覆う全域的な変化としてある。
  ==第1章「一般化される処罰」。旧体制下では、違法行為に対する黙許の余地が与えられ、それは社会の作動の一部をなしていた。ところが、18世紀後半に、生産関係・所有関係の変化、資本蓄積の要請によって、違法/適法、追及/黙許の境界の変更が行われ、こうした中で違法行為の重点も財産に移行する。とともに、それを追及しようとする要請が高まる。こういった相互循環的な過程が進行する。10)
  このような犯罪の布置、布置についての認識、そしてそれを取り締まろうとする意図のもとで、司法機構の不備が指摘され、その改革が志向される。
  以前から王権は中央集権化を進めるが、その機構は不十分なものにとどまった。裁判の審級が多種多様であり、統一的なピラミッドを構成しない。 またその裁判権が過大であり、自由裁量の余地が大きい。そしてそれは国王の過大な権力に原因が求められる。すなわち、国王が裁判官官職を売買する権利を持つことによって、古い制度の上に新しい制度が積み重ねられ、また無能で私利私欲に夢中な裁判官を作り出し、そのうえ、国王の裁判への介入が司法を麻・させてしまう。こうした機構は上述の事態に対応できないことが認識され、改革が志向される。
  「改革の真の目標は、しかも改革のもっとも一般的な文言の表明当初からのその目標は、新しい処罰権を、より公正な原則にもとづいて樹立する点にはそれほど存しているわけではない。懲罰権の新しい《経済策 economie 》を樹立すること、懲罰権のより良い配分を確保すること、懲罰権が特権的ないくつかの地点に過度に集中したり、相対立する裁判審級のあいだに過度に分割されたりしないようにすること、したがって、懲罰権が、いたる所で連続的に、しかも社会体の最少単位にまで行使されるような、同質的な回路のなかに、懲罰権が割り当てられるようにすること、以上の諸点に存している。」 (83-84)
  官職の売買、罰金を裁判官が受け取るといった判決の売買の制度の廃止、裁判の王権の専断からの分離、司法と立法の分離、などが主張されるが、その主張の多くはむしろ、司法制度の外にいてそれに反抗する人々というより、司法制度の内部にいる多数の人々によってなされている。彼らによって懲罰権の行使のための新しい戦略が形づくられるのである。すなわち、「違法行為にたいする抑制と処罰を、社会と共通の外延をもつ、正常な機能にすること、より少なく罰するのではなく、よりよく罰すること、苛酷さを和らげたかたちで処罰することになろうが、しかし一層多くの普遍性と必然性による処罰であること、処罰する権力を社会体のいっそう奥深く組み込むこと。」(85) こういった改革者にとって、刑罰は、また刑罰を受ける犯罪者はどのように規定されることになるのか。
  かつての刑罰の残酷さが批判される。しかしここで除去されるべきは受刑者のというよりも裁判官・見物人の苦痛であり、「結果的に生じるかもしれないところの精神的無感覚、慣れによって起こる残忍さや、反対に不都合な憐れみ、根拠のとぼしい寛大さ」である。受刑者を《人間的に》取り扱わねばならない理由は、「権力の導く諸結果の必然的な適性化」に存しており、この「《経済的》合理性」が、刑罰の尺度となり、刑罰の技術を定めるべきだとされる (94) 。
  処罰する権力を強固にしようと改革者が試みる際に用いられる記号―技術論 semio-tecnique の規則があげられる。1.犯罪を思いとどまるに必要な最少量の、2.しかも――人々に犯罪を思いとどまらせるのは刑罰の実態より表象なのだから――充分な表象として、刑罰があること。3.犯罪を行わなかった人に対する効果を与えるものであること。4.犯罪と刑罰は確実に結びついたものとしてあらねばならず、ゆえに訴訟手続き・判決の論拠の公開がなされねばならない。5.他方、犯罪も万人に有効な手段にもとづいてその現実が確証されねばならず、従って拷問は否定される。6.そして犯罪を定義し、刑罰を規定する、完全で明白な記号体系 code が作られねばならない。
  第2章「刑罰のおだやかさ」。刑罰は、その刑罰を受けることの不利益の観念によって犯罪を思いとどまらせる、表象−妨害 signes-obstacles として機能すべきであり、それが機能するための条件が6つあげられる。受刑者でない人々に対しては:1.犯罪と処罰の結びつきが、殺人に対する死刑、放火に対する火あぶりといったように、無媒介のものであること。4.刑罰が広範な人々に知らされ、承認されるものであるために、それが人々の関心をそそるもの、自分自身の利益を読み取れるようなものであること。例えば公共土木事業が推奨される。5.〜6.法がそこで示される、教訓がそこに読み取れる刑罰であること。従って刑罰は公開のものでなくてはならない。犯罪行為を英雄視する言説を沈黙させる処罰についての再記号体系化。社会の様々な場所に犯罪と法を知らせ語る視覚的な装置、言説が配置される。受刑者については:2.犯罪を魅力的にする欲望を減少させ、刑罰を恐ろしいものとする利害関心を増大させること。例えば放浪の罪の背後にある怠惰な性向を労働によって直す。犯罪の根本にある虚栄心を利用した加辱刑。自由の剥脱により自由を尊重する感情を起こさせる。3.刑罰の時間上の変調作業による効用。刑罰は罪人における表象の変更・確立である。とすれば感化されえない罪人を除いて、刑罰はその終結のときにはじめて機能するものであり、刑罰の期間が定められねばならず、その期間は表象の変容の期間であるべきであり、その変容につれて刑罰を緩和すべきである。==
  個々人によって構成される社会、そしてそこに作られる法が誰にとっても明らかである、そういった社会が、構想、あるいは夢想される。そこで刑罰は犯罪へと駆りたてる感情を圧する表象―妨害となり、そこでは受刑者自身もまた市民の前に現れ、法を示す表象となる。残酷な身体刑は否定されるが、公開の刑が否定されるわけではなく、むしろそれは積極的な意味をもつ。
  私達はまず、ここで述べられることを、その変化の事実自体の了解においては正統的な歴史把握と一致するものとみることができる。専断の廃止。そして残酷な身体刑の廃止。これは刑法史に限られずあらゆる正統的な歴史把握において取り上げられるものである。
  そして刑罰の機能・形態について。この司法の、刑罰の改革者たち、その主張は「前期古典学派」と称される潮流と重なるものである。そこに主張される、犯罪に対する刑罰の予期を与えることに刑罰の機能があるとする「一般予防」説は、ここに述べられている表象―妨害としての刑罰という了解と相同のものである。11
  だが両者の間の差異についてもまた確認しておかなければならない。古典的な了解においては、この刑罰制度の改革は人間主義の発展によるものと捉えられる。確かに、刑罰が一般予防の機能を果たすものであると理解される場合には、別の説明の方法が可能になる。けれども実際にはこの場合も、改革の多くの部分がこの刑罰の機能という視点から理解されることは少ないのである。それに対してFoucault は、専断の廃止にしても、また刑罰の穏やかさにしても、権力の経済策として捉える。それは、肯定的にみるか否定的にみるかといった価値判断の問題ではない。かみあわない地点で対立しているのではない。例えば人間性といった言葉を取り出すことにおいて、双方は共通している。しかし、その用いられ方をFoucault は確かめる。12それは文献の中に積極的に現れているものなのである。13なにより、この時期に始めて人間を尊重する感情が発生したといったことを信じることの方が困難なことではないか。14
  また刑罰の具体的な形態について、刑法学は、刑罰の諸機能の一つとして当時の言説を一般化するために、表象として与えられる刑罰という後の時代からは奇異とみえる刑罰の形態(例えば放火に対する火あぶり)を捉えることはない。また、既に上の2.3.にみたように、矯正の契機が入っているにもかかわらず、それを看過する。それは後の時代における矯正とは異なった形態をとるためである。15
  そしてこのこととも関係して、刑法(学)史は公開の刑罰に対する指摘を欠いている。一般予防という見地からみれば、背反するものでないにもかかわらず、しかも代表的な改革者の言明に公開刑がとりあげられているにもかかわらず、刑法学が捉える自らの歴史においては、既に監獄が自明のものとなっているために、監獄以外のものは看過され、そこには監獄しかなかったかのようなのである。
  しかしながら、この形態は、19世紀以降の刑罰の制度を支配するものとはならない。第2章の後半では、監獄の先駆的なモデルが紹介され、その特質が既に記述され、それがこの改革の方向と両立しないこと、また実際、ゆえに監獄の全面的な採用は否定されたことが述べられている。閉鎖空間としての監獄は、人々に法を知らせるためには不適当であり、表象を媒介する多様な刑罰を与えることができないからである。にもかかわらず、監獄は主要な刑罰の制度となっていく、その変容への契機はすでに当時の言説・実践に・まれている。そしてそれは、先に述べた権力の経済策という理解に関わっている。この視点からみるならば、また別の可能性がありうるのである。
  ==移行の契機は第1章の最後で、犯罪・犯罪者の2つの客観化の流れとして捉えられている。「一面では犯罪者は、万人が追及したいと願う、万人の敵として示されるので、社会契約からはずされ、市民としての資格を喪失し、本性的ないわば野蛮さの断片を保持しつつ突如として現われる。」(103) すなわち、万人によって定立される法に対する違反者、表象として、妨害として犯罪を抑止するはずの法をあえて犯す、契約に想定される人間と異質な存在として犯罪者は捉えられる。
  第二の客観化。これは個人化とも捉えられる。刑罰の記号学が違法行為の全領域をおおいつくすべしという命令は、事態を複雑にする。例えば同じ罰についての観念がすべての人に同じ影響を与えるわけではない (例えば金持ちにとっての罰金刑) 。この犯罪と懲罰との対応した分類の必要性と同時に、懲罰が再犯を防止するものである以上、個々の犯罪者の個別的な性格に合致した、刑罰の個人化が必要となる。犯罪者の根本的な性格、邪悪さの程度、意志の性質が考慮される必要がある。個人化と記号体系化は法理論との関連・刑罰の日常業務の要請からは対立するが、権力の経済策・技術という観念からは平行して進み、互いに相手を呼び求めるものである。記号体系と個人化の相互関連は、その当時の科学的モデル、おそらく博物学によって図式――犯罪と刑罰に関するLinne的なモデル――を与えられる。しかしその分類法は個別的な個々人を捉えるには十分なものとならない。だが他方では、こういった純理論的な分類モデルから離れた場所で、人間学的な個人化の若干の形式が、まだごく粗雑なやり方で組み立てられている。第一には再犯の概念。再犯者に対しては刑の加重が行われる。第二に、無意志と無思慮にもとづく犯罪としての《情痴 passionel》犯罪についての認識。刑罰の懸念によってこの種の犯罪を思いとどまらせることはできないが、それは常習的な犯罪とは区別される。こうして実践的には個人化の方向が徐々に現れるが、それはそれを捉える台座を欠いている。== 
  こうした2つの客観化、それを2つながら捉え、それに解答を与える知・実践がやがて登場するだろう。

規律・訓練 discipline

  改革者が目指した表象としての刑罰ではなく、むしろ彼らが反対した監獄が採用されることになる。それはなぜか。その前に、この書物の順序に従い、第3部の主題である「規律・訓練」について、その概要を紹介しよう。後述するようにそれはそのままでは監獄の中心部を構成するものとは考えられない。しかし、ここには正統的な近代社会観に対するFoucault の位置の取り方が明瞭に現れている。それを明らかにしたい。
  まず私達は、規律・訓練と呼ばれるものが何との対照において捉えられているか、そのことを以下の引用からみていこう。
  ==「構成要素として個々人をもつとされる社会については、そのモデルは契約および交換という抽象的な法律上の形式から借用される、との意見がもっぱらである。商業中心の社会は、個々の法的主体の契約関係として表わしていい、というわけである。多分そうだろう。なるほど一七世紀と一八世紀の政治理論は、しばしばこの図式に従っているように思われる。しかし忘れてはならないのは、同じ時代には、或る権力および或る知の相関的構成要素として実際に個々人を組立てるための、或る技術が存在したという点である。なるほど個人というものは、社会の《観念論上の》表象の虚構的な原子であるにちがいないが、しかしそれは《規律・訓練》と名づけられる、権力の例の種別的な技術論によって造り出される fabriquee一つの現実でもあるのである。」(196)
  「原理上は平等主義的な権利の体系を保証していた一般的な法律形態はその基礎では、規律・訓練が組立てる、本質的には不平等主義的で不均斉な、微視的権力の例の体系によって、細々とした日常的で物理的な例の機構によって支えられていた。しかも、形式的には代議制度は、万人の意思が直接的にであれ間接的にであれ、中継の有無を別にして、統治権の基本的段階を形づくるのを可能にする反面では、その基盤において a la base規律・訓練のほうは、力と身体の服従を裏付けるのである。」「むしろ、規律・訓練は一種の反=法律 contre-droit だと考える必要があるのである。その明確な役割は、のり越えがたい不均斉の導入、相互関係の排除である。」(222) 第一に、規律・訓練は個々人の間に《私的な》・を作りあげるが、それは契約の義務とは全く異なる拘束関係である。ある規律・訓練の受諾は契約の手続きで承認されるとしても、その規律・訓練が強制される仕方、それが働かせる機構、ある人々に対する他の人々の反転されえぬ従属関係、いつも同じ側に固定される《より多くの権力》、共通の規則についても成員により違ってくる立場の不平等性によって、契約的・は、規律・訓練的な機構を内容としてもつようになるや系統的に絶たれてしまう。たとえば、労働契約という法的擬制をゆがめる実際の処置。第二に、法律体系が普遍的規範にもとづいて法的主体を規定するのに対し、規律・訓練は人々の特色を示し、分類をおこない、特定化する。ある尺度にそって配分し、ある規範のまわりに分割し、個々人を相互にくらべて階層秩序化し、極端になると、その資格をうばいとり、相手を無効にする。「規律・訓練は、自らが取締りをおこない自分の権力の不均斉〔な諸機能〕を作用させるそうした空間や時間のなかでは、けっして全面的ではないがけっして取消されもしない、法律の一時停止を実施する。規律・訓練はどんなに規則遵守的で制度中心的であっても、その機構上は一つの《反=法律》である。」(223) ==
  法が普遍的であり、また、否定的・消極的であるのに対し、規律・訓練は様々な場で微細な、しかし全面的な、そして積極的な、構成的な作用を及ぼす。法・契約は主体によって定められるが、行為に働く。規律・訓練は、個々の行為に注目するが、個人を作り出してしまう。
  Foucault は、近代社会についてもっぱらここに契約・法律と呼ばれるものだけが語られること、監獄、学校、病院、軍隊などにそれとは異なった諸力の作用が認められること、そしてそれらは近・現代において重要なものだと考えるがゆえに、後者、彼が「規律・訓練」と呼ぶものを分析の主題にする。
  ここで規律・訓練のもとにある、規律・訓練によって形成される「主体」は、法律において、契約において、投票において想定される主体と同じ主体ではなく、別のものであるということが明らかである。
  そして次に、権力概念の捉え返しが、きわめて具体的な文脈の中で与えられていることがわかる。禁止の権力と捉えている限りにおいては、法や主権者の概念に引きつけて権力を捉える場合には、規律・訓練的な権力の行使は捉えられることがないのである。
  では、規律・訓練とは具体的に何なのか。
  ==「身体の運用への綿密な取締りを可能にし、体力の恒常的な束縛をゆるぎのないものとし、体力に従順=効用の関係を強制する」方法であるとされる (143)。
  そして第1章「従順な身体」では、規律=訓練のとる4つの技術、すなわち 「配分の技術」「活動の取締り」「段階的形成の編制」「さまざまの力の組み立て」があげられ分析される。==
  以上を詳細に紹介することはできないが、私達が簡単にまとめるなら、個々体の空間への配置、行為の時間的な連続の統制、行為の訓練による形成、諸個体の行為の組み合わせの統制のことであると考えることができる。さらに要約するなら、行為の空間的な配置、時間的な配列、それを達成するための訓練と捉えられるだろう。
  ==そしてさらに第2章「良き訓育の手段」では、上述の4つを実現するための手段として、「階層秩序的な監視」「規格化をおこなう制裁」「試験」の3つがあげられる。==
  「試験」とはまず「監視=観察」であり、また「制裁(賞罰)」の前提でもある。結局、「観察」と「制裁」という技術が組み合わされて、上述の技術が実現される。
  以上でみてきたように、ここで規律=訓練は、行為・身体の現在に作用して、必要な力を必要なだけ引き出し、余分な力、阻害的な力を減殺し、効果的に諸個人の諸力を結合させ、不要な、阻害的な結合を断ち切る作用、そのための技術と捉えることができる。
  確かにそれは法が人を捉える方法と異なった技術である。しかし、それは個々の個体に関与する技術の唯一のものではないだろう。そして、第2部で記述された刑罰の制度、一般的な予期を与えるものとしての刑罰の働きと対置されるものは、上述の意味での規律=訓練を一部として含むとしても、それとは異なったものであると考えられる。また、監獄の主題においても、それは監獄の一部を構成するとはいえ、その全部ではない。ここでは、「監視―観察」の要素が最も重要である。事実、Foucault は、再び監獄を固有に扱う第4部において、この要素を重視しつつ、別の契機を記述している。
  では第3章「一望監視方式 panoptisme 」についてはどうだろうか。その具体的な仕組みについてはよく知られているから紹介するまでもない。それは人が常に監視されることが可能な場におかれ、しかも監視者が監視される者に不可視であるような装置である。そのことによって、常時の監視が必要でなく、監視される者は、他者の視線の可能性を知ることによって、自分で自分の行為を規制してしまう。
  こういった装置におかれる個体はどのような存在なのか。法的主体との直接の関連はない。罪の主体、すなわち、自分の行為を自分の内部に繋げるという意味での主体についてはどうか。その形成は、そしてそれによる矯正は、監獄における独居・沈黙の強制によって目指されよう。しかしそれは一望監視方式によっては保証されない。私が私の行為の監視者になる、しかしその視線が私の内部にまで達することは保証されないのである。この装置はまず規律・訓練のもとにおける監視の契機を最大限の効率で達成するものである。そしてそれは、後論との関係では特に知と結びつきにおいて重要である。事実、Foucault はこの章の終わりに、規律・訓練的な社会の形成に結びついている経済的、法律・政治的、学問的な歴史過程として、第一の領域については規律・訓練が人口の増大のもたらす多様性を活用し、資本の蓄積、生産の増大を可能にした(それはまた人口の増大をもたらす)ことを、第二の領域については先に紹介した反=法律としての規律・訓練の働きを記した後、最後のものに関して、「臨床医学・精神医学・児童心理学・心理的教育学・労働管理化などが、規律・訓練の構成要素として形成される」ことを述べ、ここで一望監視方式の発明は、蒸気機関や顕微鏡のような発明に比べ、或る点では、はるかに重要であると述べているのである (224)。

監獄 prison

  司法の改革者の構想にとって代わったのは監獄という制度であった。改革者たちは、表象としての刑罰という主張において、外界から遮蔽された空間としての監獄の全面的な採用に反対したはずである。にもかかわらず、監獄は刑罰の一般的な制度となる。16
  ==第1章「完全で厳格な制度」。監獄が自明のものと受け入れられた第一の根拠は、ここで奪われる自由が平等に万人に属する善であり、その喪失は万人に同じ価値をもつ、平等主義的な懲罰であり、しかも時間という変数にもとづく刑罰の数量化が可能であるという「法律的=経済的な」基礎である。
  しかし第二に、より重要なことは、監獄が「個々人を変容する装置」という役割を持つことである。
  具体的な矯正技術としては、「孤立化」「労働」「刑罰の軽重の調整」があげられる17。それは司法によってではなく、行刑の担当者によって行われる。司法の側から、刑罰は自由の剥脱以外のものであってはならないという原則的な異義が出されるが、やがてそれは行刑を自分の担当にしようとする努力に移行する。行刑施設が刑事司法を捉えるのである。それは、監獄において犯罪者に関する臨床的な知が形成され、刑事司法はその知の領域に入りこんでしまったことによる。
  この知に捉えられるものは法律違反ではなく、法律違反者でもさえもなく、しかも単に矯正技術論にとってのみ関与的であったという意味では少なくとも当初、判決のなかで考慮されていなかった様々の変数によって規定される、そうした客体、「非行者 delinquant 」である。後者は、前者と第一にその犯行よりもその生活態度を問題にする点において区別される。《生活史的なもの》の導入である。それは責任の軽減・情状酌量をもたらすものでもあるが、他面では法律違反の当人を、なおさら恐るべき犯罪性 criminalite、しかもなおさら厳重な行刑装置を求める犯罪性によって特色づける。第二に、非行者は、「犯行の当人 (自由で自覚的な意思の若干の基準との関連で責任ある当人) であるにとどまらず、さらにさまざまな複合的所産 (本能・衝動・傾向・性格) の一つの束全体によって自分の犯罪に結びついている」という点において、法律違反者と区別される。「行刑技術は当の犯人をめぐる関連ではなくて、犯罪者の自分の犯罪への類縁関係である」(250) 。
  この非行者の概念は、18世紀の改革者たちにおける犯罪者の2つの客体化、すなわち、社会契約の外にはみ出てしまった道徳上もしくは政治上の《怪物》の系列と、処罰によって再規定される法的主体という系列 (==第2部)を結びつけて、医学や心理学や犯罪学などによる保証のもと、法律違反者と学識にとむ技術の客体とがほぼ重なり合うそうした個人を組み立てることを可能にした。刑罰制度への監獄の移植が激しい拒絶反応を引き起こさなかった理由の一つは、「非行性というものをつくりあげつつ監獄が犯罪司法に或る客体の場を、若干の《科学》によって確証される統一的なそうした場を提供したからであり、こうして監獄のおかげで犯罪司法は《真実》の一般的地平のうえで機能をはたすことが可能になったからである」(253) 。
  第2章「違法行為と非行性」では、監獄の失敗がその当初から指摘され続けその改革が主張されてきたにもかかわらず、監獄自体は存続していること、そしてそれは監獄の積極的な機能に求められることが主張される。すなわち、18世紀から19世紀への転回点における民衆の新しい違法行為、とりわけ政治的地平での展開に対して、監獄は犯罪を減少させえたというのではないが、「違法行為のなかの種別的な型、政治的もしくは経済的に危険がいっそう少ない――極端な場合には活用可能な――形式たる非行性を生み出すことに成功した」(275) のである。具体的には、個々人に標識をつけ、密告を組織化することによって取締りを可能にする。彼らを社会の辺境に固定し、政治的な危険、経済的な影響のない、限られた犯罪にさしむける。また売春・武器・酒・麻薬の密売といった、支配権をもつ集団の違法行為の代行者とする。また治安警察の手下としての利用。そしてこうした非行性を創出することによって、非行者と民衆層を分離すること、また労働運動・政治運動と犯罪を計画的にごたまぜにすることが図られるのである。18
  そしてこの書物の最後の章、第3章「監禁的なもの」では、監禁施設の形成が完了する時期として、メトレーの少年施設の正式の開設の日付である、1840年1月22日が指定され、その施設での処遇の内容が検討される。そして監禁の装置が社会に及ぼした結果のいくつかが、ほぼこの書物での記述を要約する形であげられる。==
  ここに述べられた実証科学―矯正についての言及には対応するものがないわけではない。刑法の歴史においては「近代学派」の登場として捉えられるものである。それは、一般予防ではなく、個々の犯罪者の特性に応じた犯罪特に再犯を、隔離あるいは矯正によって防止することを旨とする「特別予防」を主張する。そこでは犯罪にいたった要因を実証的に究明する科学としての犯罪学の位置が重要となる。
  しかし、そこには差異もまた存在する。まず、行刑に即して述べられたものを別として、刑法の歴史は、監獄での矯正という了解をこの時期に見出していない。第一の点、すなわち自由の剥脱の意味が強調される。ところが、私達も読むことのできる文献を見るなら、監獄の改革者 (それは先の司法の改革者と重なりあわない) は、16世紀以降、西欧に建設された矯正施設の成功したいくつかの例を参考にしつつ、劣悪な状態にある監獄を改善し、そこでの囚人の矯正を求めていることが知られる。しかもそれは広範な世論となっているのである。19
  この差異は、矯正としての刑罰が現われる時期とその経緯についての了解の差異とも関連したものである。刑法に関わる言説は、そして犯罪学の自らについての言明は、まずそれを19世紀後半における累犯者の増加といった現象に求め、それが実証的な知によって捉えられる、という順序を設定するのである。それに対してFoucault は、犯罪者の個別性により密接した処遇への志向を法典の整備が目指されたその同じ時期に設定し、それを捉える際の知の台座が、監獄において徐々に登場してきたものとみる。すなわち、矯正が以前より主題化されていなかったわけではない。しかし、それは普遍的に存在するとされる表象の操作によってなされるとされた。その限りでは、全体性としての、個別性としての人間は問題にならない。だが、ここに見出されるのは、時間の中に重ね合わされた様々の要因が内化された、厚みをもった存在としての主体である。この場所において閉鎖空間の中で個人に対する矯正的な処遇を行う装置としての監獄は始めて重要な位置を占める。しかも知が純粋にまず与えられたというわけではない。他から隔離し、個体化して捉える装置としての監獄が存在し、その中で、個体の異常性が発見され、それはまた個体化して矯正するという監獄の機能を正当化するものなのである。
  そして矯正装置たる監獄の機能について。当然のことだが、刑罰の実践に関わる知は矯正の成功・不成功を問題にする。しかし、Foucault は、監獄の失敗を告発する言説が監獄の採用の当初から存在するにもかかわらず、監獄が存続してきた理由を問う。理由という言葉が強すぎるのなら、側面的な効果が問われる。すなわち、ここで犯罪者が「非行者」として捉えられてきたことの機能を問題にするのである。彼があげた具体的ないくつかの機能は一般的に妥当するものでないかもしれない。だが、私達は以下の引用に述べられることを個体の規定に関わる実践のすべてに妥当しうることとして了解することができよう。
  「次のように想定する必要があろう。監獄は、しかも一般的には多分、懲罰というものは法律違反を除去する役目ではなく、むしろそれらを区別し配分し活用する役目を与えられていると。しかも法律に違反するおそれのある者を従順にすることをそれほど目標にするわけではなく、服従強制の一般的な戦術のなかに法律への違反を計画的に配置しようと企てているのだと。 (――) 刑罰制度はただ単純に違法行為を《抑制する》わけではなく、それらを《差異化し》、それでもって一般的な《経済策》を確保しようとする」。(270-271)22

FOUCAULTの場所へ

  この書物で、社会の諸構成部品が――あるものは主題としてではなく主題との対照において――あげられた。私達はそれを、そこに参照される、あるいは形成されようとする主体の形象に即しつつもう一度整理して検討してみよう。21
  まず、経済の領域における契約と政治の領域における国民主権。契約における合意、投票における意志の集計。これが近代社会の根幹をなすものと一般に了解されていよう。
  ここでの主体の存在。それは、意志と行為の因果関係の存在の表象として上記のものを正当化する言説に含みこまれる。すなわち、個人の意志に発する行為は、その個人の権利・責任の範囲に属する。ある部分の行為とその結果については、主体の決定と取得の範囲に属し、それに対して他者は介入すべきでない。しかも、そこに設定される意志は万人に共通の普遍的な、内容の特定されない意志であり、個人の責任を規定し、権利を擁護する法は万人を平等の存在として扱う。法による制裁においては、ある行為がある主体の決定の範囲にあるがゆえその責任主体として当の者を罰することが正当とされとされるが、その際、意図そのものの内容に立ち入るのではなく、法は規定された行為の類型に照らして制裁を課す。
  Foucault はむろんこれらの制度の存在を認めないのではないし、またこれらの制度に関して主体の性質が言及されたという事実も認める。だが彼が主張しようとするのはこれらとは別のことである。
  まず、主題的には別の著作で、より以前の時代に遡って個体の内部の問題化が取り出される。すなわち、キリスト教における、自己に関する言説の取り出しであり、それによる主人に対する従属=主体化 assujettissement である、それは西欧においては中世後期に教会における告白の制度化と司法の領域での糾問手続きの採用において現実化する。そして悪しき意志に対しての制裁として身体刑が規定される。17・18世紀はこの刑罰の制度を引き継ぐとともに、他方では、これはこの書の主題の範囲にはなかったが、個体の生の全般を問題にする政治を発展させる。
  上述したように、近代――ここでは19世紀が転回点とされよう――は、行為に対する内部の規定性をその正当化の言説に含みこむ。とすれば、内部==外部という図式を前提にしている点において、個体の内部に遡及する言説・実践がそれを作りあげたのだともいえよう。しかし、近代法は内部を原点として設定するものの、それ自体に対する関与は否定した。これが公式的な了解である。刑法については、12・13世紀に定式化された意志==行為という図式の採用に、この原則が付加されるわけであり、また私法・公法においては、最終的にはこの時代に始めてこの図式が採用されると同時に、この原則が採用されるのである。これに対してFoucault は、別の把握を、また別の契機の提出を行う。
  近代法、ここでは刑法は、各人に対して均一の規範を設定することにおいて、個々の性質の差異を問題にしない。このことは上述したことと矛盾せず、直接にそこから導かれたと考えることもできる。だがFoucault においては、こういった体制への移行は、権利の主張、あるいは専断に対する批判によるものというわけではそれほどなく、むしろ、権力の有効な行き渡りを可能にするものとして捉え返されている。まずは表象としての制裁が各人に対して均等に受け入れられるであろうという人間の斉一性、むしろ個性としての人間の不在の仮定において、そして犯罪に関して一意的に、透明に結びつけられる刑罰という予期を与えることによる行為の統制が目指されるのである。だが、こうした権力の経済策という視点をとった場合には、別の展開の可能性もみえてくる。
  別のもの(それは前の時代から引き継がれたものでもある)、それは、まず規律・訓練と呼ばれるものであった。規律・訓練は定義的な部分の記述をそのまま受け取る限りでは、直接的に行為を統御する技術である。具体的には、軍隊・工場といった直接に行為を統制することが目標とされる場所において形成されていった技術論であると考えられる。
  監獄においては、単に上述の意味での規律=訓練ではなく、矯正が問題になる。すなわち、単にある行為を統制の下におくことではなく、直接的な統制を離れた場面での、特定の行為形式の持続が求められるのである。
  これらはどちらも個体関与的な技術である。個々人の個別性が問題になり、とりわけ矯正においては、ある行為というよりも個体の全体が照準される。この点において、その働きは上述の意味での法の作用と異なるし、そこに想定される人間もまた異なるのである。
  監獄が行刑の主流になるのは、18世紀末から19世紀にかけてである。しかし、規律・訓練、矯正の技術はより以前から次第次第にねりあげられていった技術論である。既に先駆的には16世紀に、軍隊において規律・訓練の技術が発展する22。そして17・18世紀には身体刑が存在する一方、告解の実践をも引き継ぎ、しかも単に宗教的な救済というのでなく、現世的な場面を問題にした個体への関与が存在する。また施設における矯正にしても、この時代に始めて現れたというわけではなく、19世紀に改革の行われる監獄は、この時代の少数ではあるが成功した矯正施設を模範として組み立てられていったのである。逆に言えば、すなわち個体関与を中世、そしていわゆる絶対主義の時代にのみ想定する言説との対照で言えば、これらは、絶対主義の時代として消失したのではなく、新しくうけつがれるのである。
  では、18世紀末〜19世紀を重要な転回点としてあげることができるとすればどのような点においてか。単にこの関与の量的な拡大というだけではない。それは、個体関与に関わる、それを理論化し、正当のものとすると同時に、また関与の中で形成される知の形成にある。すなわち、臨床的・実証的な人間に関する学の登場である。この点に19世紀以前と以後との差異が見出される。23司法の改革者の時代に空白であった場所が埋められ、先の刑罰の形態が改変され、そのことによって監獄は確固たる制度となっていったのである。
  もう一度繰り返せば、ここで想定される主体は法において想定され、また参照される主体と前提を共有するにしても、別のものである24。だが、近代的主体というとき、むろんそれはここに述べたような法的主体を意味するだけではない。まず人格としての一貫性、連続性がその基準となることがあろう。また、自己について反省する、主観という意味がこめられることがあろう。また、自己によって自己を統制するという意味が付与されもしよう。これらとの関係について少し検討してみよう。
  自己について反省するという場合、まず何が私のものであるのかはいつも自明であるというわけではない。そしてどこでも人は反省を行うであろうが、それを自己の内部に存在するとされる基体と結びつけて、すなわち人格の統一性という了解のもとに反省するとは限らない。教会での告解の実践は何が私のものであるかを示し、また常にそれを反省し、それを私の中に存在する基体に結びつけて反省する、このことを可能にした。
  それは、どのようにその後の時代に引き継がれていくのか。             既に述べたように一望監視方式は、基本的には行為の現在に対する監視の装置であり、しかもその監視は基本的に内面に対するというよりは行為に対するものである。またここでは確かに自己が自己を統御するのであるが、それはこの装置が現実に存在する限りにおいて効力を持つ。25
  むしろこの書での主張は、形成される知の性格にある。それは、単に行為をではなく、個体を全体として捉える。様々の要因が内化された連続性において、統一性において個体は捉えられる。そして監獄は、そしてそこに利用される一望監視方式は、そうした知が形成される場所として存在する。監獄での矯正は、上に述べた主体を形成することを目指すのではあるが、その成功が保証されていないとすれば、むしろこの知の形象が重要なのである。
  注意すべきは、ここに形成される知は第一次的には他者におけるものであり、またそれに関連する実践もやはり第一次的には他者のものであるということである。この点、言説が当人においてその時点で聞き取られる、そしてそのことが目指される告解とは性質を異にしている。26しかし、むろんそれは当の者に効果を与える。その者は他者の実践を被るのであり、またその規定を受けるのである。それをその者が自己についての真理として受け取ることは保証されていない。しかし、それでもその者はこの他者の規定を事実として受け取らざるをえない。こうした意味において、私達はここに、諸行為を派生させる内在的な原点をもった主体、その限りでキリスト教的な伝統を引き継ぐとともに、また新しい知の形態によって内容の与えられる主体の措定、形成をみることができるのである。
  こういった個体に関わる知の形象、そしてそれに関連する実践はむろんまず個体に効果を及ぼす。また規律・訓練的な知の形成と技術の発展は、第3部の末尾に述べられたように、19世紀以降の生産の増大を可能にする。しかし、この書の終わりの部分で、犯罪者の矯正について、その成功による効果ではなく、むしろ「非行者」という存在が形成されることによる効果があげられたことをもう一度確認しよう。何をその者のものとして想定するか。逆にしないか。それが社会の具体的な作動に一定の方向を与えるのである。そして、個体についての知と関与の装置が他にもいくつも存在する以上、それは犯罪者にだけ関わることではない。さらに、近代社会が、また一方では、自由―放置を規定することを、また一様な規範を設定することを考慮に入れた時に、そこに個体を巡る戦略がさらに多様に存在しようことを、私達は想定することができよう。
  このように考えるなら、Foucault における権力の問題化についても理解することができよう。この書物において権力が、理論的に演繹された概念というよりは具体的な対象を取り出すためのものであり、またそれを取り出そうとする時に、それが先に述べたような意味での法、主権といった概念から導かれる場所とは違った場所にあるがゆえに、権力という言葉がそういった概念とは別様に捉えられねばならなかったこと、このことは今までこの書物を追って検討してきた中から理解されよう27。そしてまた私達はここで、Foucault が幾度も権力の問題こそが現代の問題であると述べたことの意味、少なくともその一部を理解できるではないか28。それは、この社会が個々体の性質の規定を問題にしているということに関わろう。この規定は予め与えられているのではなく、社会の中で生産される。この社会はその規定を行う様々な場所をもった社会である。規定自体が個体に対する作用であり、またこの知と連接して個別的な存在を捉える諸力の問題が固有の問題として存在することになる。それは個々の人々、その行為の分割、排除、水路づけを通して、社会の作動に効果を及ぼしている。この規定は、科学において真理として与えられているが、まずそれが疑われぬ所与として社会に与えられているのでなく、また問題となるこの個体の内部という場所の性格によって29、そして対象と対象を捉える装置、対象を捉えようとする作用が相互に独立なものでなく社会の中に存在するために、まずその真理性自体が争われる場である。またそれと相関して、またそれと独立に、関与の実践、その形態が争われる。その意味でここでの権力は抵抗とともに存在するのであり、またその権力は戦略、戦術といった闘争・戦争の用語によって捉えられるのである。そして様々の領域での争点は、個体の規定を巡っているという点において共通性を持つと同時に、異なった現われ方をするであろう。したがって、個々の領域においてそれは知られねばならない。30この書物はそれを刑罰の制度に関して明らかにしようとした。また、なされうる諸領域についての検討に示唆を与えたのである。



1) Gallimard、1975=1977 田村・訳、『監獄の誕生――監視と処罰――』、新潮社。====に囲まれた部分は専ら紹介にあてられている。文中の ( ) 内の数字は訳書の頁数を表わすが、多くの部分については、順序を追って紹介するので特に頁数の指定はしていない。
2) Foucault について論じた文献には基本的に言及しない。まずこの書物に即した検討をしようとするためであり、解釈 (?) の異同について逐一検討するだけの紙数の余裕がないからである。だが、いくつかのFoucault 「論」に対して疑問がないわけではなく、その疑問にも導かれてこの論文は書かれている。読者は以下の文章と対照してそれらを読まれた時に、筆者の疑問点を理解されるだろう。
2) 例えばDurkheim は逸脱を捉える側の認識を問題にし、またそれを必ずしも単一のものとは捉えない。だが単一性を前提しなくとも、普遍的な意識の変化・発展といったものを立てた場合には同様の危険性があろう。Foucault はこの書の冒頭部分で以下のように述べている。「デュルケムが行なったように単に一般的な社会形態だけを研究する場合には、われわれは処罰の緩和化の原理として、〔刑罰の〕個別化の諸過程を設定する恐れがある。実はむしろ、その個別化の過程は権力の新しい戦略の、なかんずく、新しい刑罰機構の諸結果の一つであるにもかかわらず。」(27) (また、Durkheim に対する同様の視点からの批判として、Garland[1983=1986])
4) 立岩[1986b ]は、こういった視点から西欧における逸脱者に対する諸了解・実践の歴史的な布置について――ここで取り上げられる著作から多くを受け取りつつ――書かれている。
5) Foucault は、時に、「非連続性」を主張したとされ、またそのことが批判されもするが、彼自身も述べているように、見出された非連続性は出発点なのであって、その非連続自体が考察の対象となるのである (cf. Foucault [1977a =1984:77ff ]etc.) 。そしてそこに特別の方法があるのではない。ただ資料が、後に形成された公式的な了解に規定されることなく、そのまま読まれ、分析されるのである。このことを私達は以下で確認することができよう。
6) Foucault [1976=1986:76 etc.]。またこの書での中世への言及としては、pp.224-226。だが、この部分で規律・訓練の技術論との共通性とともに対照性が論じられている「証拠調べenquete 」(Foucault [1976=1986]の訳では「調査」) の技術に関して、そこでの告白の契機は記されていない。
7) 時代を遡ることは少なくとも既に1976年の時点で意図されていた (Foucault [1976=1978:77 注4)]) 。ただし『性の歴史』の続巻では、キリスト教が参照点とされつつ、古代ギリシア・ローマにおける別の形態の倫理が扱われることになったのだが。牧人=司祭体制については1978年の日本での講演 (Foucault [1978a ][1978b ]) 他を参照。なおそこではギリシア・ローマに対置される、古代オリエント社会が牧人=司祭体制を敷く社会とされ、キリスト教はそれを前者に移したものとされる。 (事実に関しては判断できないが、私自身は、個人個人が注目される論理的な契機として内面に対する言及する制度を取り出すなら、キリスト教の独自な役割を重視すべきだと考えている。 (立岩[1985]etc.) )
8) Foucault [1961=1975:92-93 etc]。また1979年の講義 ([1981=1987]) では、上述の社会の牧人=司祭体制と、17・18世紀における「国勢管理 police 」 (訳者田村による訳語―警察というより、特有の、すなわち下に言う形態をとる行政) とが、個人個人の行為の細部に注目する権力の形態としてあげられている。
9) こうした民衆・被処刑者の反抗については、他にフランスについてDeyon[1975=1982:93 ]イギリスについてIgnatieff[1978:20-24]にも記述がみられる。
10) ここでFoucault はP. Chaunu、E. Le Roy- Ladurie といったアナール学派の業績を使用している (フランスについてChaunu らの研究を紹介したものとして志垣[1976])。
11 前稿 (立岩[1986b ]) にも述べたように、前期古典学派と後期古典学派という区別は刑法論の全てが採用しているわけではないが、中世において既に存在する、自由意志により犯した犯罪の道義的責任を問う応報刑という了解に、行為とその結果に注目するという原則を加えた19世紀後半からの潮流と、この時期の刑罰論とを同じものと扱うわけにはいかないだろう (この区分を積極的にとっているものとして平野[1972]、内藤[1977]等) 。
  その他の点については、様々の刑法についての書物で――その実践的な立場は別にして――ほぼ共通の了解がなされているといってよく、私達はそれらを一括して刑法学の了解として扱うことができる。 (一般的な文献としては上記の他、団藤[1979]等。むろん、主題的に歴史を扱った文献が他に多数あるが、枠組みは同じであるといって差支えない。)
12 この点に関しては、Ignatieff[1978:72-79]も参考になる (==立岩[1987: 注12])13 歴史把握の差異は、Foucault が一般にはあまり知られていない文書を多く用いることにもよる場合もあろう。しかしこの場合には、私達は、この時期の刑罰の改革について最も代表的な論者であり、前期古典学派を代表する論者であると公認されるBeccaria [1764=1959]に、以下歴史が無視する全ての点が現れていることを確認することができる。
14 この点でFoucault は、「心性 mentalite」といった概念を積極的には、説明項としては取らない (Foucault [1976=1986:33 ]etc.)
15 Foucault [1966=1974]において、17・18世紀の古典主義の時代l'age classique が、表象の時代として捉えられていたことを想起しよう。この時代における人間の不在とは、まずは一般的に主体に与えられる表象 signe (むろんそれは外界の事物の表象である必要はない) がそれ自体として問われることのないものとしてあり、その背後に存在する (個別的な) 人間の存在が現れていないということであった。
16 Ignatieff[1978]、Perrot(編) [1980]は監獄の設立あるいは改革が非常に困難な足取りを辿ったことを示している。また特に後者は、この時期に他の様々な刑罰の形態が依然として採用されていることをも実証している。けれどもそれはここに述べられることを反証するものではない。監獄が刑罰の主要な制度であるとある人々にみなされ、その制度の確立にむけて努力が払われたことは事実であり、また、後に述べられるように、その失敗は監獄という制度の重要性を否定するものではないからである (cf. Foucault [1980=1984](Perrot(編) [1980]の著者達との討議) ) 。
17 その内容についてはここで紹介できないが、第3部での身体関与の技術を含め、様々な矯正の技術がここに、また監獄の先駆的な形態について論じられた部分(第2部第2章)に記述されている。なお、第2部第2章では、第3部、すなわち規律・訓練との連続性が強調されるが、工場や軍隊が例にとられる定義的な部分での規律・訓練と、ここで矯正の手段とされる身体関与の技術とは些かの距離があるように思われる。宗教からの継承、また経験論の影響、等、またこの後の、とりわけ心理学を初めとする諸科学と相関する技術の変遷については再度検討する必要があろう。(行刑技術の歴史については他に、Erikson[1976=1980]等が参考になる。また立岩[1985: 第4章第3節][1987]でも若干の検討を行っている。)
18 ここにはまた、それに対する闘争の形態も記述されている。そもそもこの書物は、1970年代における各地での監獄における囚人の抗議運動を契機として書かれている。 (1978年に行われたインタヴュー (Foucault [1984=1984:23-24]) 他を参照。また英国での囚人運動についてはFitzgerald [1977=1979]。ここには訳者による日本での運動についての記述も付されている。
19 Beccaria の著作と並んで、当時大きな影響を与えた、各国の監獄の現状とその改革を提言した書物としてHoward [1784=1972] (初版 は1777年) 。
20 とくに1970年代以降の北欧・合衆国で、矯正としての刑罰からの撤退、また監獄外での行刑が主張され、一部実施に移される。そこには、矯正装置たる監獄の不成功、かかり過ぎる経費といった批判 (Foucault によれば、それは監獄の制度の始まりから存在する批判である) といった要因とともに、レイベリング論等の犯罪学に対する影響があるという。これら近年の改革の動向の検討はここではできないが、慎重になされる必要があろう。 (cf. 藤岡[1984]、加藤[1984]、Garland & Young (編) [1983=1986]所収のいくつかの論文)
21 近代西欧における個体を巡る諸戦略について、この書からの示唆も受けつつ、Foucault が主題的に論及しなかった点を含めて立岩[1986a ][1987]で検討しているので参照されたい。本稿はこれら (及び立岩[1986b ]) が書かれる上でこの著作がどのように読まれたのか、何が得られたかを確認する性格も持っている。
22 Oestreich[1969]等を参照。
23 Foucault の著作において19世紀が常に重要な転回点とされていること、そこで人間に関する実証的な科学の登場という契機が重要なものとされていることは周知のことである。先験的=経験的二重体 (Foucault [1966=1974]) としての人間のその一方は、実証科学のうちに捉えられる人間であり、そういった意味での人間の時代がここに始まる。表象の時代としての古典主義の時代という把握 (==注15) とともに、ここでFoucault の歴史把握は一貫している。
24 むしろ両者は、意志の本源性、あるいは被規定性という了解をめぐって対立する (近代学派と後期古典学派の対立について立岩[1985:第4章第2節][1986b ]) 。検証を略すが、これを上記 (==注23) の二重性の一つの現われとみることが可能である。
25 少なくとも具体的な装置としてこれを理解する限り、ここには自己による自己の規制という意識(その意識がなければ、自己による規制を種差的に取り出すことはできない) が形成される機制が存在しないのであり、またその統制あいは統制の意識はこの装置の外部において保証されないのである。
26 むろん当の者に直接に与えられる知が重要な意味を持つ領域も存在しよう。だが、いずれの場合にも、自己がそれを受け入れるか否かに関わらず、社会に流通する主体に関する知は、それが流通しているというだけで重要な意味を持つだろう。
27 むろん、Foucault の権力についての了解に示唆を得て、一般的な権力の理論を編み上げることは、また別の課題として立てられうる。
28 以下参照箇所を提示しないが、彼が権力について語ったもののいくつかは文献表にあげられている。
29 cf. 立岩[1986a:40]
30 彼が「普遍的 universel知識人」に対置される「特殊領域の specifique 知識人」についてしばしば語ったことも、このことから了解されるように思われる (cf. Foucault [1984=1984:35-36]etc.) 。

文献

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                                      Abstract

       To the Place of FOUCALT : Reading Discipline and Punish

                                Shinya Tateiwa

  It is not exceedingly difficult to understand the contents of Disciline and Punish: The Birth of Prison (Surveiller et Punir: la naissance de la prison, by Michel Foucault 1975). But What are described about modern society in this book have not eximined sufficiently yet. By following the whole of this book and by comparing and contrasting with orthodox perspectives, we will investigate how hedepicts about modern society differntly from traditional views. If it done care-fully, we will be able to confirm the place of Foucault, and get suggestions about how we should think about this society.


UP:1997
犯罪/刑罰  ◇Foucault, Michel  ◇立岩 真也
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