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南ア最高裁判事でHIV陽性者のEdwin Cameron著
"Witness to AIDS" 日本語版出版に向けて
「第7章 貧弱な治療 貧しい人々にとっての正義」

Edwin Cameron著/斉藤 龍一郎訳 最終更新日:不明
[English] / [Korean]
アフリカ日本協議会(AJF)
*この頁は故斉藤龍一郎さんが遺されたホームページを再録させていただいているものです。
「第7章 貧弱な治療 貧しい人々にとっての正義」
(再録元URL:http://www.asahi-net.or.jp/~LS9R-SITU/chapter7.html)
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last update: 20201223


■本文

クリストファー・モラカが、鵞口そう(カンジダ症)の治療も受けられず、エイズ関連合併症で、2000年7月27日に死んだ時、3年越しの彼のパートナーであるノンツイケレロ・ズウェダラ自身ももう何ヶ月もエイズ関連疾患のせいで体を蝕まれていた。そんなわけで5月にクリストファーが議会に証言に出かけた時も、彼女は同行することができなかった。8月5日のクリストファーの葬儀の時のノンツイケレロは、痛々しいほど寂しそうだった。端から見ても、自分の死の予感と格闘していることを感じとることができた。

多くの死、衰弱する命、治療を受けられないがゆえのむなしい戦いを見てきた彼女の友人たちは、彼女の死期が近いと考えざるを得なかった。それでも彼女は、あらゆるデモや、行進、会合に出席した。クリストファーの死後間もない2000年11月のピケでは、世界に名高いケープタウンの公立病院、グローテ・シュール(ここで1967年、世界初の心臓移植がクリスチャン・バーナード教授執刀で行われた)の外で、彼女は演説までした。しかし、恥ずかしさのあまり消え入りそうな彼女の声はか細く、聴衆にはほとんど聞き取れなかった。当時、彼女のCD4は20以下まで低下し、これは彼女の免疫機能がすでに機能停止していることを意味していた。彼女の死は時間の問題だった。

クリストファー同様、ノンツイケレロもフルコナゾールを買う余裕などなく、ひどいカンジダ症になった。彼女の場合、かびが全身の皮膚にひろがった。40キロくらいまでやせた体で、彼女は必死に白いかびの斑点に覆われた骨張った両手を見せてくれた。その身振りは、命へのはかない望みを表しているようだった。

しかし、彼女の死を予想していた人たちは、ノンツイケレロの意志の強さまでは想定していなかった。彼女は生き続けたかったし働きたかった。また9才になる息子、ピコロンジを愛していた。クリストファーが死んで8ヶ月後、2001年の3月終わり、彼女自身の人生も終わりに近づいていた時、なんとか、ARV治験プログラムに参加することができた。これは彼女にとって唯一の希望だった。治療開始数週間後、1つの薬剤による副作用が出た。しかし幸運にも、薬はウイルスに対して効き続けた(ウイルスは薬剤抵抗性を獲得することはなかった)。彼女には希望がまだつながっていた。主治医は、さらに安全かつ有効な最新の治療薬の組み合わせを検討してくれた。数ヶ月のうちに、私の服用している組み合わせによく似たもの−D4T(ゼリットーAZTに似た薬)プラス3TC(ラミヴディン)とネビラピンに替えた。これは一番単純で、多くの患者にとっては一番有効なARVの組み合わせである。南ア政府は現在では、この組み合わせを、ジェネリック製薬会社から月あたり100ランドで購入できるようになっている。

この新しい組み合わせを服用し始めて以来、ノンツイケレロは回復に向かい、病状は悪化していない。薬はそれ以後も効きつづけウイルスの活動を押さえ込むことに成功した。彼女は元気を取り戻し、現在も健康を維持している。2002年9月、ちょうど併用療法を始めて18ヶ月後、ノンツイケレロは、GSK、べーリンガー社の薬剤独占に対する原告団の一人として、公正取引委員会に元気に出席するまでになった(第6章参照)。ジドブジン(AZT)、ラミブジン、エンビラピンなどの自社製ARVに高すぎる価格を付けていると訴えている11名の原告の一人だった。

ノンツイケレロはこの内の2薬を使っており、これらが十分安くなり、今参加しているような治験だけに依存しなくても良くなることを望んでいた。委員会に提出された宣誓供述書で彼女は自分のことを「コソボという名のキャンプにあるフィイリピ地区に住む31才の女性」と述べている。居住地域に言及しているのは注意すべき重要なところである。コソボはケープタウンの中で最も開発の遅れた地域である。そこの住人は、ほとんど絶望的なほどの貧困にあえいでいるが、その住環境をコソボと皮肉を込めて名付けていた。ノンツイケレロの小屋の前には道はついていない。雨で浸食された迷路のような泥道を苦労しながら彼女の家の近くまで車で走り、そこから歩いてようやく辿りつくのである。

コソボの家々の中で、屋内トイレ、水道、いつも電気がつくなどという贅沢が許されたところはほとんどなかった。何百万という南アフリカ人はこのような生活を送っている。何千万、いや何億というアフリカ人、そして数十億の世界中の人々も同じような生活を送っている。そしてHIV陽性の何百万のアフリカ人、そしてその他の世界の貧しい人たちも同じような環境下で生活している。

近年、治療実現活動家、政府当局者、公衆衛生専門家は、このような困窮した生活環境下に住む貧困層には、複雑なARVの服薬方法、諸注意などを守ることができないのではないかという議論を展開している。

この章でその問題について考えていきたい。ノンツイケレロの供述書がこの議論に対する彼女自身の答を述べている。彼女の答は、冷静で、明晰で、論破の余地のない明白なものだった。多くの、何百万のHIV陽性者と同じく、彼女は貧しかったが、ARVの併用療法を続け、その有効性は維持されている。供述書は、彼女の劇的な回復を次のように述べている。

「私は当時、この病気の最終ステージ、末期でした。治療を始めた時の私のCD4はたったの14で、ウイルス負荷量は300万でした。現在、ネビラピン、d4Tと3TCを服用しています。副作用がとても恐かったですが、ひどい副作用はありませんでした。でも、もしあったとしても、AIDSで死ぬより副作用があっても生きているほうを選んでいたでしょう。軽度の副作用については主治医がいつもチェックしてくれ、必要に応じて薬を替えてくれました。飲み始めて最初の1ヶ月ほどは、飲むのを忘れてしまうこともありました。しかし1ヶ月もしない内に慣れてきたし、これなしでは絶対生き続けられないと知ってからはしっかりと決められたとおりの服薬を守ることを自分に課しています。一日二回薬を飲んでいますが、健康は改善してきています。」

ノンツイケレロの健康が改善しているというのは、嬉しいことには本当である。彼女に2004年1月の血液検査の後に会ったときに、CD4は600を越えていると言っていた。これは、健康な免疫状態を確実に維持するのに十分な数値である。ウイルス負荷量は検出不可レベルまで減っていた。つまり、薬が彼女の体の中のウイルス活動の押さえ込みに成功し、免疫システムが再び有効に機能するようになったということである。彼女の治療は成功したのだ。

彼女は、3ヶ月に一度ずつ、ミニバスタクシーで町に行き、ARVをもらっている。ノンツイケレロの公正取引委員会における提訴先でもある、ドイツの製薬会社べーリンガーインゲルハイム(BI)社が、彼女の参加している薬剤治療実験のスポンサーになっている。この薬がなければ、彼女はクリストファーと同じように死んでいただろう。そして中部、南部アフリカの何百万という子どもたちと同じように、ノンツイケレロの息子、ピコロムジ(クソラ語で「家の翼」の意)も孤児となっていただろう。

ノンツイケレロの現在の服薬にも、まだ問題はある。リポジストロフィー(薬による体脂肪の異常分布状態)というD4Tを含む多くのARVのよく見られる副作用の一つと、彼女は戦っている。それでも彼女は今や生産的で、健康かつ有意義な生活を手に入れている。そして、自分の息子の世話もできる。加えて、毎週彼女は、ニャンガの近くにあるグルテツでのシゾフィラ(「元気に健康になるぞ」)ARVプロジェクトでカウンセリングもしている。彼女自身の服薬者としての経験談と非凡な固い決意が、これから治療を始めようとする人たちの希望となっている。一度、この原稿の執筆中に彼女と話す機会があった。私は彼女に、シゾフィラでの仕事について訊ねた。家の外では彼女の飼っている雄鶏が元気にときの声をあげている。彼女は答えた、「体調の悪かった時に私の生涯を他の人たちに捧げようと決心したの」。

彼女の生まれ故郷の言葉であるイシクソサ語で、ノンツイケレロとは「祝福」という意味である。

ノンツイケレロの命と健康、そして、瀕死状態からの帰還の事実は、エイズを持つ貧しいアフリカ人がARV治療を始めるのは現実的でないとか、不可能であると言う者たちに対する痛烈な反証の一撃となる。これまで多くの議論で、こういう環境下での導入では持続性がないと論じられてきた。アフリカではARVを効果的に使用するためのインフラが整っていない、アフリカでの治療費が高価すぎる、もっと予防の方に集中すべきだろうとも言われてきた。大規模治療計画を導入すると金がかかりすぎるのだろうか?そのような計画は、貧しい国の保健ケアのインフラでは対応できないほど複雑なのだろうか?

議論は錯綜している。数年前には、保健ケア担当者や政府の政策決定者の間で、次に述べるような論が広く正論として受け入れられていた。コスト、インフラや、限られた資源は、予防と(未感染者を救うための)啓発活動に集中すべきであり、貧困層の治療を考えるのは非現実的だ、というものだ。この論の大合唱の前に、UNAIDSもWHOも、大規模ARV治療計画について消極的な方策しか出せなかった。各国政府も、保健政策担当者の意見を受け、貧困層への広範囲な治療計画に対しては懐疑的な意見を表明していた。ジョージ・ソロスのような、後年、治療計画に積極的に出資した資金提供者も、アフリカでの広範囲治療計画に対しては当時、二の足を踏んでいた。

しかし最近の5年間で、これらの態度に革命的変化が起きてきた。アフリカ、ブラジル、タイ、北米、西欧における治療実現の先導的な活動が、この変化を大きく推進させた。南アフリカでは、この「正論」への挑戦は、1998年12月、ジョハネスバーグでの、治療行動キャンペーン(TAC)が立ち上がったところからスタートした。北米では、この「正統論」に対して、抗エイズ治療薬を広く行き渡らせるべきだという反対論が先鋭的なニュースとして新聞紙面を飾った。1999年6月、当時のゴア副大統領がARVを製造する製薬会社と緊密な関係を持っていることに怒った活動家たちは、そのことを公表し、ゴア副大統領が開始しようとした大統領選挙戦キャンペーンの出鼻をくじいた。

それから1年ちょっと後の2000年6月、16,000キロ離れた南アフリカ・ダーバンでは、5000名の活動家たち−その多くは黒人で貧困層の人たち−が、開催された国際エイズ会議の開会式前に町を練り歩いていた。彼らは、差別的治療の廃止−貧しさは命を救うためのエイズ治療の障壁になるべきではない−と訴えた。

この活動家たちの声は世界の隅々まで響き渡った。2001年3月、ハーバード大学の数百人の学者たちが、「ハーバード合意文書」に署名した。これは、豊かな国が途上国の治療計画のために出資すべきこと、その現実性や効果を疑う言説は却下されるべきものであることを述べている。

その後まもない2001年6月、国連エイズ特別総会(UNGASS)が開催され、国際社会、各国政府のHIV感染拡大に対する対応についての議論が行われた。ニューヨークで開かれたこの会議は、1年前のダーバン会議で高まりを見せていた熱気が引き継がれていた。この特別総会で、「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」(GFATM)と呼ばれる多国間の独立した国際資金調達機関の設置が決定された。この基金の目的は、世界の死亡原因トップ3の感染症に対する、予防、治療、ケアを進めるプロジェクトに資金提供することであり、また、WHOが推し進める「2005年末までにエイズ患者のうち300万人がARV治療を受ける」というゴールに到達するための主たる資金源である。

信頼できる実際的な経験が、途上国のHIV陽性者への治療は費用対効果が高いばかりでなく「継続可能」なものだという活動家の主張に正当性を与えつつある。最も貧しい人々の中で取り組まれている様々なプログラムが、インフラ不足はARV治療の成功の障壁となるのではないと示している。ブラジルでは、政府主導の国家的治療プログラムが、ヘルスケアの理想的とは言えないインフラやサービスの中で実施されている。またハイチでは、ポール・ファーマー(Paul Farmer)という情熱的で直言してはばからないハーバードの医学教授が、「健康とパートナー」プログラムを成功裡に運営している。

カエリチャやケープタウン、また東ケープのルシキシキでは、国境なき医師団(MSF)が、貧困生活を送る人々のために非常に役立つ治療プログラムを実施している。また、ボツワナ、カメルーン、タイの豊かでないコミュニティに対して始められたばかりのARVプログラムもある。

MSFは2001年5月にカエリチャでのそのプログラムを始めた。患者達はCD4の値や一般的な健康管理といった、医療基準に基づく慎重な選考後に治療を受ける。同様に重要なのは、その患者が進んで自身の治療の責任を負うか否かという質問だ。つまりそのプロジェクトは、「患者本位を支持するアプローチ」を採っているのだ。これは患者に、3ヶ月間継続的に診療に通うことを要求する。また患者には協力的な家庭環境や、治療を助けるものの存在も必要である。2004年末、MSFはカエリチャのプログラムにおいて1700人以上の人々に治療を施している。

結果は喜ばしいものであった。18ヵ月後、このプログラムでは5分の4以上の患者が存命中だったのだ。治療は大抵のケースで成功している。これは、よくある話である。ウイルスはARV治療で撃退できる。唯一つ異なるのは、これが、非常に珍しい社会環境で実現されたということだ。だが事実は、驚くべきことではない。貧しい人々のウイルス価は治療を受け劇的に下がり、−より裕福な人々と同様に−ウイルスは数ヶ月以内に血液検査でも検出できなくなる。貧しい人々も−より裕福な人々と同様に−薬での治療を続け、適切に薬を手にし、それらから最大の利益を確実に得たいと強く願っていることは、なおさら驚くことではない。

この治療の開始の成功は、これを拒んだ人々の多くにとっては驚くべきことである。リソースが乏しい地域で、治療のアクセスを拡大することに対する議論は容易に賛成を得ず、また完全に終わったわけではない。2001年、南アフリカ共和国において治療を急速に進める運動が盛り上がっていた際、また国連エイズ特別総会ののち、保健に焦点を当てたアメリカの最大の財団の一つが、南アフリカで大きな発行部数を持つ、ジョハネスバーグのサンデー・タイムズ紙に特別折り込み広告を配布した。題して、「差し迫る大惨事の再来 南アフリカで感染拡大するHIV/AIDS最新情報」。この広告は、生命を守るARV治療が大規模に行われることはあり得ないのだということを示唆した。治療実現活動家はこの発行を痛ましい妨害として受けとめた。

その折込広告は、母子感染を防ぐための短期治療を促進するプログラムのために、「強力な主張」がなされうることは容認した。しかし、AIDSを治療するARV治療が、多くの問題をはらみ現実性を持たないと示唆していた。「十分なARV治療費をまかなえば、2010年には保健関連費用が700億ランド増すだろう。もし価格が90%割安になったとしても、保健関連予算は150億ランド増える。」

この議論は、ARV治療は公共保健医療システムが日和見感染症に費やしている負担を削減するという点を見落としている。かわりにこの文書は、ホスピスケア(そしてその後に続く死)−治療そして回復ではなく−が保健施設における資源配分の問題に対する答えだと示唆しているようだった。

「差し迫る大惨事の再来」は、南アにおいてAIDSによる死者が、2000年の12万人から2010年には54万人を上回る数になるだろうと予測した。それはエイズによる発病や死亡が、結果として家族や女性に衝撃を与え、孤児の数を増加させ、ヘルスケアシステムに重圧となり、経済に悪い影響を与えることを描き出した。しかしそれは、必要なところではARVを用い、HIV陽性者に治療を実施することが、こうした結果の緩和と何百万人もの命を救うことにつながるという明白な結論にたどりつくことを避けている。

この文書はまた、AIDSプログラムにおいては「治療より予防が良い」という、有害で誤った見解を広めたようである。この主張は、貧しい人々への治療実施が実現可能か否かの論議に特別な悪影響をおよぼした。一般的には、治療より予防という言い方が一般的で賢明な知識だ。皆、病気の症状にたえることと、そのための薬を用意することよりも、病気を予防することをよしとする。しかしいったん病にかかれば、病に対し治療があるにもかかわらず治療を行わないのは、おかしいだろう。しかし予防努力こそ、アフリカでのエイズ対策の中心になるべきだと主張する多くの人は、すでに感染してしまった人は命を守る医療を受けるべきではないとほのめかすところまで行ってしまった。

治療より予防だという議論は蒸し返されやすいこともわかってきた。保健分野の専門家たちが、ランセットのような定評ある専門誌で、HIV感染予防がエイズ患者の治療よりも費用対効果がよいと主張し続けてきた。南部アフリカ諸国における治療を否定する費用対効果論は、国際通貨基金が2001年に回覧した政策討議文書においてもなされた。

最も基本的なレベルで、大規模なARV治療実施に反対するのは、エイズでなくなる人々の人としての声を蔑ろにしている。そのような論議が倫理的であるとはとても言えない。なぜならエイズ関連合併症に対する治療法があり、また実施可能だからだ。疑問はただひとつ、まだそれを手にしていない人が持つことができるように、力を注ぐべきであるかどうかということだ。

しかし、公衆衛生、開発、また予防においての現実的展望からすれば、治療拒否の論議は説得力を持つものではない。

ケープタウン大学の経済学者であるニコリ・ナットラス教授は、単純な二者択一が両者の間にあるかのように治療と予防の費用対効果を比べることは間違った考えであることを明らかにした。経済的な分析が、その背後に潜む社会の判定の本質を認識せずに、うわべだけ専門的な議論に政策決定権がゆだねられるようになっては危険である、と彼女は警告する。

ナットラス教授によれば、経済学者らが、批判者たちを脅し論議を終わらせるために、経済学的な専門知識のレトリックを用いる時に、こうした危険が生じる。例えば、財務大臣は、支出増が国の健全な財政基盤を揺るがす恐れがあると主張して、政府がARV治療のために資金拠出しないようにさせるかもしれない。彼女があげた例は痛切な警鐘である。なぜならこれが、エイズ危機に対して政府が怠慢であった危機的な時期に、南アで多かれ少なかれ実際に起こったことだからだ。

ナットラス教授が述べるには、多くの人々は「健全な財政基盤」が何を意味するかを理解していないという。そんな曖昧なレトリックに訴えて、効果的に議論を抑えているのだ。しかし実際には、政府の予算決定は「費用対効果」だけに基づいてなされるのではない。予算は、世論や経済動向に対する判断、そして全く当然にも政府の政策的目的に基づいて決定されるのだ。

言い換えれば、政策立案者は恣意的な選択をなしうるということだ。彼らは曖昧な経済の「現実」によって無理やり動かされるわけではない。これらの選択には、HIV陽性者がARV治療にアクセスできるようにすることによって、彼女ら・彼らの生命を救うのかどうかという決定的な判断も含まれうるし、また排除されうる。

問題点は明白なようだ。しかし南アでは、この「健全な財政」のレトリックがエイズ治療をめぐる議論を混乱させ、エイズ治療実施を大きく遅延させてきた。2002年末、政府、企業、労働者側、コミュニティーの代表者らによる何ヶ月もの正式な交渉の後、政府は合意に署名する寸前まで行った。この署名が実現すれば、究極的には政府が公共セクターの病院でARV治療を実施していたはずだ。寸前になって、政府は交渉を打ち切った。保健大臣は、費用とARV治療導入の困難を理由として述べた。閣議で、公的に治療の導入を認めるには、それからまた18ヶ月かかり、そして多くの命が犠牲となった。

この致命的な遅れは、費用や困難とは関係がないように思える。それよりも政府自身のリーダーシップに、エイズはウイルスによって発症するという理論に対する政治的コミットメントがなかったことに起因している。

費用対効果と「継続可能性」は手ごわい問題として残る。2002年6月治療行動キャンペーンと南ア労組会議(COSATU)は、医師の団体やと保健医療従事者の団体と共に、ダーバンでエイズ治療に関する会議を開いた。私は閉会式でのスピーチのために招かれた。会議の際、主催者側は貧しいHIV陽性者に治療を施すのは「費用対効果的」ではないとする論に反駁するビラをまいた。これは人間の権利に関する基本的な問題だ。何百万人もの、すでに感染した人々が亡くなるのを放置しながら、新たなHIV感染を防ぐことにのみ資金を投じるのは、全く非倫理的、不道徳なことだ。

さらに、コリン・パウエル米国務長官が2001年に言明したように、サハラ砂漠以南アフリカ諸国におけるエイズ危機がもたらす死、対応能力の欠如そして苦しみは、アフリカおよび世界の安全を脅やかしている。

ほとんどの分析家が、今では予防/治療の二分法が間違っており、行動決定の際に役には立たないと認めている。予防戦略は、治療を全体計画のひとつとして組み入れない限り、効果は薄いだろう。東アフリカでの研究が、VCT(自発的カウンセリング・検査)は性行動を変えるのに効果的な方法であることを明らかにした。しかし検査やカウンセリングのプロセスが何も具体的なものにつながらないのであれば、VCTを進んで受け入れる人はほとんどいないままだろう。治療は検査を受けるために重要な動機だ。そして回復したことがわかれば、―私が1997年にしたように―HIVや健康に生きることを他の人に伝える、大きな励みとなる。

しかしほとんどの貧しい国々では、いまだにHIV感染が死の宣告だという誤った認識がある。自分自身の早すぎる死を知るためだけに ―時には差別とスティグマを受ける可能性も伴いながら―どうして検査を受けよう。それに対し、治療がVCTプログラム(安全なSEX の呼びかけや、コンドームの配布などを含む)の一部として提供されれば、HIV陽性かもしれないと案じている人々が検査を受ける現実的な動機となりうる。

根本的には、治療と予防は、分けてしまえば両者の質を下げることになる。

ネイサン・ゲフィン、ニコリ・ナットラス、そしてクリス・ラウベンハイマーが2003年に行なった貴重な研究は、南ア政府がHIV予防(VCTや母子感染予防、性交渉感染の治療の改善など)に有効に使うことのできる最大額すらも、保健衛生部門の全支出に比してかなり小さいことを明らかにした。すでにこうした安価な予防プログラムに対する予算配分がなされているので、これ以上の費用対効果を望みうるのはARV治療のための支出だけである。

上記研究分析によると、南アでは、特に予算上の無理をしなくとも、13年間で治療と予防の両方を実施することができるようになる。

その論に反対する保健専門の経済学者は、途上国におけるエイズ危機を戦争中の傷病者治療優先順序づけになぞらえる。「傷病者治療優先順序づけ」は、戦場においてや、前線でないところで、医師、ヘルスケア職員が、緊急時にどの順番で治療するのかを決定するために、兵士や住民の傷病状に対し緊急度をつけなくてはならないという絶望的状況を表している。「恐らく史上初めてだろう」と何人かの執筆者が医学雑誌で、次のように書いた。「経済的な現実は、数百万人が病気によって影響を受けるのを防ぐために数百万人の患者を支えるケアを施すことは可能であっても、治療はできないという資源配分に関する議論を許すのかどうかを決定しなければならない」。

この論点は誤っている。「傷病者治療優先順序づけ」の比喩をエイズ政策において用いることには、重大な問題点がある。それは、(ニコリ・ナットラスが指摘しているが)ARV治療と予防に関する資源配分は、一方が多くもらえばもう一方の分が減るというゼロ‐サムゲームではないことだ。実際は、どちらにも配分することが、どちらをも強化することになるのである。治療と予防は相反するものではなく、互いに相殺するものでもない。両者は互いに補足しあうものなのだ。

基本的に、治療に反対する議論は、私たちの住む世界を変える人間としての力を軽んじているという、過ちを犯している。世界は非常に変化しやすい。私たちは変えることができるのだ。懐疑的な議論は、ARVの価格低下の可能性を見ない振りをしている。活動家が運動を起こしたために、その価格低下は実現したのである。懐疑的な意見はまた、いったんARVの薬価の低下が考慮されれば、大規模な治療が実現可能であるという、専門的な意見さえ無視している。それはまた、世界エイズ・結核・マラリア対策基金のように、多国間資金調達機構が設立できたことも考慮していない。しかし今、その基金が不十分ではあっても存在し、アフリカを始めとする資源の乏しい世界の国々に、治療を普及させるための実際的な問題に取り組み始めている。

懐疑論者の想像力の欠陥は単なる過失ではすまない。活動家たちは、適切なこの価格低下と世界基金のために運動を起こした。懐疑論者たちが「継続可能性」についてやきもきしている間に、活動家たちは変化を起こしたのだ。「費用対効果」の論議はその支持者に道徳的な想像力が欠けていることによって損なわれている、というのが真実なのだ。

さらに現実として、一部の人々によるHIV陽性者へ治療を選択できることを勧告することに対する密かなためらいが懐疑的な意見につながっていることがある。語られてはいないが、HIV陽性者の窮地は、彼ら自身の過ちのせいであり、そのため彼らは治療に「値しない」と暗に想定されているのだ。

イギリスの主要な医学雑誌の一つで、ケープタウンの哲学者デービッド・ベナターは、治療が人間の基本的かつ普遍の権利だという主張を検討した。彼はこう主張する。「怠慢、無関心、横柄さ、または弱さ」からHIVに感染した人々を治療することに、政府には倫理的責務がない、と。ただ自分の責任でなくHIV感染した人が多くいること、また公的保健医療機関が、HIV陽性者個々人について責任のあるなしを判別するのは困難または不可能であることから、治療は、普遍的に与えられるべきである、としている。

「責任を問われない」人々として、ベナターは以下を挙げている。母子感染した子ども達、血友病者、レイプ・サバイバー、感染経路が知られる前にウイルスに感染した人々、そして注意を怠らなかったにもかかわらず感染した人々。

「治療に値しない」者とは、子どもに母子感染させた母親たち、予防のための注意もせず複数のセックス・パートナーと性交渉した人々、処女を強姦することが彼らのHIV感染を治すという、誤ったそして咎めるべき信念を持った者たちなどである。母親自身が「本人の責任ではなく」感染したかどうかなどまでは探求されていない。この著者は、「自身の責任ではない」ことで社会的なサービスを求める人々に、国家がサービスを提供することには十分な理由があると賛成している。それに比べ、「自分自身や他者の状況に責任があるのに、指揮はとらないまでも、政府の治療措置の失策について独善的な非難の合唱に参加している者たちは、恥ずべきだ」としている。

この著者の「無罪」とか「無責任」といった認識は、多くの問題を露呈している。もし、多くの人々が本当に「無責任にも」HIV感染したと認めたとしても、なぜこのことが、恐ろしい死を免れる治療を施さないことを正当化できるのかは、理解できない。彼らの「無責任」は、エイズによる死の苦しみが続くことを、当然に彼らに強いるものだろうか。

社会的サービスは現代国家に欠くことのできないものの一つである。明らかに議論は、喫煙者、過食症、注意力散漫による交通事故などはヘルスケアの対象とすべきではないという暗黙の前提の下で進められている。しかし私たちはこの暗黙の前提をさらに突き詰めなくてはならない。金融の才覚がなく、または有用な仕事の能力がないために貧困にあえぐことになった人々はどうだろうか?彼らもまた、社会的サービスを剥奪されるべきなのだろうか?スポーツ選手、または時たま走る人でもいいが、運動した結果障害を負った人は?また運動しなかったために病気になった人は?また運動しすぎた人は?

現代の福祉では、彼ら自身の過失であっても、これらの人にも保護が及んでいる。問題は、「性的に無責任な」行為によってHIV感染したという事実により、私たちがたやすく、貧しい人々に生命を守る治療を施さなくなっていないかということだ。これは微妙なかたちで提起されている問題だと思う。私は、性的恥辱や非難が、いまだ多くの「無責任」や「継続可能性」の議論に影響を与えていると思う。これは再び浮上してきたスティグマだ。

本当の問題は、スティグマへの応じ方として、私達はどれほどの人間性を奮い起こせるのであろうか、ということだ。

ある人々の目には、貧しい人は(社会的サービスに)値しないと見えているという事実により、議論は複雑化している。「費用」についての議論はしばしば、利用可能な資源を、「値しない」とか「無責任」といった非難を向けられる人々、すなわち自身の不幸の作家たちである貧しい人に与えないことを正当化しようとする急場しのぎの手段となる。

ポール・ファーマーは、私たちが「費用対効果」を貧しい人への保健給付を削減する理論的根拠としているやり方を説明している。そもそも貧しい人々は、そうでない人々よりもより病気になりやすい。このことから、彼は次のことを言う。「我々は治癒の機会を失っている。言うところの『資源不足』の環境で、保健に関するセーフティーネットを失おうとしている。経費を名目に、我々は思いやりを持ち、憐れむという機会を失っている。」

以下のような意見は全く受け入れられるものでないし、全く侮辱的である。また論破はいともたやすい。貧しいアフリカ人は教養がないために、彼らが命を守るために必要としている薬を手にできないという意見だ。

米国国際開発庁(USAID) アンドリュー・ナチオス長官は、何度か思慮を欠いた―また全く下品な―コメントを行った。2001年6月米連邦議会における証言で、彼は、紛争、インフラの未整備、医師の不足、病院の不足、診療所の不足、電気の不足から、アフリカ人へのARV治療実施は不可能だと述べた。彼が主張するところは、こうだ。「アフリカ人は文明社会(西洋)の時間を知らない。これらの薬品は、毎日ある一定の時間を置いて服用しなければ効果を発揮しない。アフリカの多くの人々は生涯にわたって時計の類を見たことがない。もし、午後1時だといっても彼らは何を言われているのかわからないのだ。彼らがわかるのは、朝、正午、夕方、そして夜の暗闇ばかりだ。」

このコメントは馬鹿げている。そして信望を落とすものである。それも、彼が言う生活を送っているアフリカの貧しい人々の信望ではなく、コメントの執筆者の信望を落とすのだ。しかし悲しいことに、それは伝え聞くところ、驚くべき思いもかけないところから支持を得ているそうだ。チャバララ・ムシマン保健大臣からである。有名なアメリカの保健専門ライターが、「複雑な薬剤治療をそれ単独では行えない」という(賢明な)彼女の言葉を引用した。代わりに、「人々が薬を利用できるシステム」が必要不可欠だ、というのだ。彼女はまた、こう語ったと伝えられた。「もしインフラが不十分なまま開始すれば、いくつもの新しい問題を作り出すだけだ」と。そこまでは真実であったし、今でも当てはまる。しかしチャバララ・ムシマン保健大臣は遺憾ながら、エイズ治療薬を必要する多くの人々が、それにアクセスできない村に住んでおり、「また多くの人々が一連の服薬治療の重要性を理解していないし、時計も持っていないのだ」と加えた、というのだ。

私は2002年6月、ダーバンでのエイズ治療に関する会議の閉会の辞において、保健大臣のコメントに意見を述べた。増え続けるエイズによる犠牲者に対処するためにARV治療を実施するという選択を政府が意図的に遅らせることを恐れて、1000人近くの保健医療従事者(看護師、医師、大学教授を含む)、ソーシャルワーカー、コミュニティ・リーダー、活動家や立案者などのさまざまなグループが会合を持ったのだった。彼らが自ら課したタスクは、公的医療機関でエイズ治療を実施するための全国規模の計画を練り上げることだった。

閉会にあたり、私はその目標はすぐに達成されうることを語った。私は携帯電話を例に挙げた。たった8年前、南アフリカには携帯電話がなかった。しかし今では1000万台を越え、多くは貧し都市や田舎の一般労働者や失業者に利用されている(南アフリカでの携帯電話利用者は、今や1500万台に迫りつつある)。携帯電話の技術は、金持ちにも貧しい者にも、そして教養があってもなくても、皆にとってはじめはなじみのないものであった。しかし今は金があってもなくても、また教養があってもなくても、皆がどうやって自分の携帯を充電し、発信して支払いをするか、そしてどのようにメッセージを書き、送り、受け取り、電話を転送したりするかわかっている。

つまりはアフリカでもどこでも、貧しい人々が彼らの生活を向上させるための必要なスキルを学ぶ能力がない、などということは、馬鹿げているという事だ。

誰も、ARV治療の継続が簡単であるとは言っていない。また誰も、貧しい環境でエイズ治療を行わねばならないからといって、カウンセリングや教育、家族やコミュニティのサポートが不可欠ではないとも言っていない。ノントシケレロ自身が、初めてARV治療を受けたその月に指示に従った服薬に困難が生じたことを委託宣誓供述書で語っている。

「私にはこのような問題がありました」、彼女は言った、「はじめの月は、薬を飲むことを忘れてしまうのです。しかし慣れてきて、私はこれを継続するのに専念できるようになりました。そうしなければ私は確実に死ぬとわかったからです」。

彼女の話は、ARV治療を受けた貧しい人々の、増え続ける科学的研究によって、今や証明されている。ケープタウン、サムセット病院でのARV治療プログラムにおける重要な研究では、アフリカ黒人居住区出身の貧しい人々は、彼らの医療プログラムの継続性が非常に高いことがわかった。研究者は、社会経済的立場によって、継続性を予測することはできない、と指摘した。継続性に影響する最も重要なファクターは、1日あたりに患者が服用しなければならない薬の数だ。つまり、錠剤数が少なければ、それだけ継続性は増すのである。

同様に、ルシキシキという東ケープ州の小さく貧しい地区ばかりでなく、南アフリカのすべての大都市で治療プログラムが実施され、成功した。

アフリカのどこでも、特にボツワナやカメルーンで、貧しい人々へのARV治療の普及が益々成功しており、これらはアフリカ人たちが命を守るための薬を飲む能力がないという嫌疑の誤りを立証している。

ブラジルはよくどのように途上国が感染症に取り組めるかというモデルとして取り上げられる。その一人当たり国内総生産や社会経済的水準は南アのそれと等しい。そこで、10万人以上もの人々が治療を受けている。ブラジルの成功がアフリカにおいて達成されないはずがない。ムベキ大統領はまさに、2004年4月の選挙後の国会開会において、国民に向かいこう述べている。2005年5月までに、公的医療機関においてエイズ治療を5万人以上の人々に行う目標に向け政府が介入すると。この目標設定は重要である、なぜなら大統領自身によってはっきりと述べられたからだ。そしてその目標が達成され得ないかのように見えても、貧しい人々が薬をもらえない理由にはなるまい。

資材不足、カウンセリングの困難さ、コミュニティ内で絶えない風説、これら全てが、南アで始まったばかりのプログラムの悩みの種となっている。しかし、試験的プログラムを導入した保健機関から、多くの励ましとなるニュースが届いている。意思があれば、治療における実際の障害は乗り越えることができる。

多くのあまりに多くのアフリカ人が、絶望的な貧困と、しばしば不衛生な環境の中で暮らしていることは、明らかな事実だ。しかし、薬を適切に得ることで彼らの生活を営むという責務を奪うほど、不幸な暮らしが彼らを貶めているとみなすのは、奢っている。治療中の全ての患者が、金持ちであれ貧乏であれ、アフリカ人であれ彼ら以外であれ、情報、訓練、励ましやサポートが必要なのである。彼ら皆が、この支えを必要とする医療と同様、それに値するのだ。

アフリカ全土にわたって、ARV治療を必要とする人々が、日々の行動で自分達の命を守りうるのだと訴えている。その歴史は、まだ人の一生の長さでしかないが。

言うまでもなく、ノンシケレロ・ゼダラのような成功例が社会全体、あるいはアフリカ大陸全体に広がるだろうと予測するのは単純すぎるだろう。指示に従ってARV治療を続けるのも容易ではない。これらの薬剤は常に規則正しく、定期的に服用されなければならない。薬剤の種類によっては、それのみで、あるいは食事の時に服用しなければならなかったり、食事の何時間前、何時間後と指定があったりもする。しかし、このような複雑さや細かい制約は薬剤そのものが、そして薬剤の組み合わせが簡素化されたおかげで現在は少なくなった。しかし、人命を救う事が出来る薬剤を服用する事は、保健システムが不十分であったり生活水準が低い地域では特に困難になってきている。さらに病気になることでスティグマをかけられ、患者が差別され孤立し、音信不通になってしまう時、状況はもっと厳しくなる。

だが、これらの状況は偶発的なものである。つまり、周囲の人間の意識次第なのである。私達にはこの状況を打破できる力が備わっている。アフリカ諸国では、保健医療従事者、政府当局者、コミュニティ・リーダーや活動家のたゆまぬ努力によって、状況は変わりつつあるのだ。

薬剤を入手する事、そして指示に従った服薬を確実にすることが困難だという事実に加えて、薬剤の作用を監視するのもまた困難である。治療実現活動家達はこの難題をこれまでにも否定したことはない。彼らは単に、そして正しくも、上記のいかなる問題も広範囲な治療対策を妨げるものではないと主張しているだけだ。しかし、エイズ治療薬に毒性があるというさらに深刻な問題もある。薬剤の副作用は時に危険な効果をもたらす。もしもしっかりとしたモニタリングが行なわれなかったり、敏速な対応が遅れると、患者にとって致命的な状況を招きかねないのである。

2002年4月、サラ・ラレレが亡くなった。彼女の死は特別心に強く訴えるものであった。彼女の死は、HIV陽性者コミュニティ全体に衝撃をおよぼした。サラはTACの裁判訴訟において最も勇ましい役目を果たしていた人間の一人で、HIV母子感染を防ぐキャンペーンでも積極的に活動していた。彼女は自分自身の特徴を述べる宣誓供述書の中で「シャーペビラ在住の30歳女性」と書いている。「今現在、私自身には定住先がありません。私は自分の姉妹と生活していましたが、私の発病後、兄弟が地域の全住人に私がエイズであると言ってしまったので、そこで暮らすことは精神的にとても苦痛です。ですから私は現在、自分自身とお腹の赤ん坊が住める場所を探しているところです」と、彼女は裁判所の法廷で告げた。

サラ自身は自分がTACの誇り高きボランティアでありメンバーであったが、それ以上の不当な差別を恐れ、法廷に彼女自身の名前を秘密にすることおよび彼女をSHと呼ぶことを求めた。

「私は二児の母親です。年長の長女は12歳です。そして私の息子は2001年7月18日に生まれ、現在はずっとセボケン病院で集中治療を受けています。今年、妊娠が判った時、一番初めにトコザにあるナタールシュプルト病院に足を運びました。(病院に行った理由は)なぜなら私はネビラピンという薬が私から赤ん坊にHIVが感染する確率を下げる効果があることを知っていたからです。さらに私は2001年3月14日、クリス・ハニ・バラグワナス病院(CHB)にも足を運びました。CHB病院では、ネビラピンという名前の薬の錠剤をもらいました。病院側からはお腹の赤ん坊が生まれたときにこの錠剤を与えてほしいと言われました。しかし、医者には錠剤を服用する量は赤ん坊の生まれた時の体重次第だと言われましたために私は彼が生まれた後、また病院に戻ると伝えたのです。さらに医者には赤ん坊が生まれてから3日以内に錠剤を飲ませてあげなければならないとも言われました。

7月18日の朝、私は深刻な痛みに襲われましたが、妊娠してから7ヶ月だったこともあり、出産が迫っているとは思っていませんでした。姉妹に病院に行きたいと伝えると、彼女は救急車を呼ぶ手配をしてくれました。しかし、家から救急車で運ばれている途中、陣痛の苦しみを味わっていると知らなかった私は分娩に備えてのネビラピンの錠剤を携帯するのを忘れていました。

私はセボケン病院で医者にHIV陽性であることを伝えました。しかし病院ではネビラピンが入手不可能で錠剤をもらうことができなかったのです。そして最近の病気のせいで体が弱っていることもあり、私の体はとても疲れていました。

私は男の子を出産しました。しかし早産で赤ん坊が小さすぎたために看護婦達が私の息子を別の部屋に移してしまいました。病院側は私の息子が第7病棟にいることを教えてくれました。私は息子を出産した時点でネビラピンを与えたかったのですが、彼があまりにも小さすぎてネビラピンを常備しているCHB病院に連れて行くことが不可能でした。私は病院側に懇願し、救急車を呼んでもらいましたが、彼らが手配したのはバスで、それでCHB病院に未熟児を運ぼうとしました。私は危険を察知しました。そして、彼は薬をもらうことができませんでした。

そして、時はすでに遅すぎました。私は自分の息子に錠剤を与えられなかったことを非常に心配し、そして怒りがこみ上げてきました。自分の息子がHIV陽性かどうかなんて考えたくもありませんでした。しかし、陽性かどうかが判明するまで18ヶ月も待たなければならず、この期間は極めて痛切でした。

一人の母親として、そして特に私達のようなHIV陽性の女性達には、自分の子供を守るための権利があるべきです。」

彼女の勇気ある訴えが功を奏し、2002年7月5日の判決は、南ア政府にARV治療をサラのような女性に施すよう指示した。しかし、自身の宣誓供述書を作成した一年後、サラは死亡した。彼女の苦悩に満ちた人生を敬うためにジョハネスバーグ・ヨービルの国教会で行われた特別礼拝において、私は、彼女の苦悩、勇気、そして根気強さを物語る人の名簿に入っていた。彼女の主治医であるフランコイス・ベンターもまたスピーチをする名簿に入っていた。主治医は毒性反応は患者の免疫機構が著しく低下している場合に特に起きやすいと説明した。

サラは、彼女自身の宣誓供述書に記載された通り、自宅から危険の多い道のりを片道2時間かけ、ソウェトの大きな公共病院(CHB病院)で治療を受けていた。彼女にとって通院は極めて困難なものだった。そして服用していた薬剤の副作用に対し適切なモニターも処置もされなかった。AIDS Law Projectのマーク・ヘイウッド代表は、ラジオのインタビューで、「ANCのリーダーであるピーター・モカバが、2002年初めに投じたARVに対する中傷がサラを混乱させた」と主張した。結果的に、彼女は自分が副作用を経験していることを認めたがらず、助けを求めた時にはすでに遅すぎたのだ。

ピーター・モカバ自身も、サラの死から2ヵ月後の2002年7月、エイズによって亡くなったと言われている。

サラの死から1年後、TACの別のメンバーがARVの副作用が原因で命を落とした。彼女の名前はシャーリーン・ウィルソン。かわいらしい、とても上品に話し、髪の毛を三つ編みにしている、プレトリアの東、エルステルストの多人種共生地域の女性であった。彼女は治療を2002年の10月から始めた。彼女のCD4数は10以下で、病状はすでに深刻な状態だった。初めのうちは、彼女の様態は回復していた。しかし数ヶ月以内に、スタブジン(d4T)とディダドシン(核酸系逆転写酵素阻害剤)の副作用として時々発生する乳酸性症(乳酸アシドーシス、及び神経障害)、血液中の危険な酸性の増大の犠牲となった。

シャーリーンが乳酸アシドーシスを発症していると診断された頃にはもはや取り返しがつかなかった。彼女は、ジョハネスバーグ西郊外にあるヘレン・ジョセフ病院HIV診療科に入院した。ここで、公的医療機関でのエイズ治療のパイオニア的存在であるシスター・スー・ロバーツが、血液中の増大する毒性反応を抑えようとしたが、努力は無に帰した。

サラの死亡後のラジオインタビューでマーク・ヘイウッドは、副作用があるからといって治療実施を抑制すべきではない、と語った。「これらの薬剤の副作用は、薬剤が開発された時点からわかっていることです。また、全ての患者に副作用が起こるわけではありません。患者と医者に対する教育こそが重要なのです。私はサラが英雄的女性であったと確信しています。彼女は自らの死から私たちが学ぶことこそを望んでいるでしょう。」

そして、シャーリーン・ウィルソンの母、ルイサ・ウィルソンも同様に信じた。娘のシャーリーンがARV治療を始めた時、すでに彼女の死期は近かった、と彼女は語った。治療開始が遅すぎたけれど、治療によってシャーリーンは6ヶ月も長く生きることができたのだ。

途上国そして南アにおける大規模な治療法へのアクセスはまだ達成されていない。数千万人のアフリカのHIV陽性者のおよそ2%だけが現在ARVを受けている。彼女ら・彼らの多くはが南アにいる。

ほとんどの南アのHIV陽性者はARV治療を私費でまかなっているか、あるいは私のように民間医療保険制度から支援の下で治療を受けている。南アの公的プログラムは未だに十分な専門性の高い支援を行っていないようだ。活動家も保健医療従事者も保健省にもっと積極的に働きかけなければならない。

国際的には、GFATMは財源不足できわどい状態だ。GFATMの責任者であるリチャード・フィーチム、国連事務総長エイズ特命全権大使で「先進国の無関心さからくる大虐殺」と声を強めるスティーブン・ルイスの周囲に遠慮しない努力にも関わらず、WHOが設定した「2005年末までに300万人に治療を受けさせる環境作り」目標達成には遠い。

必要な財源を確保するという政治的意思の欠如が目標未達成の唯一の理由と結論するのは、余りにも問題を単純化しているかもしれない。しかし、これが最初の要因である事は明確だ。なぜなら、ジョン・ケネス・ガルブレイスの言葉を言いかえて、「必要とする人々にお金を得させようとする時、お金が貧しい人々に損害を与えると言うことほど恵まれている人々にしっかりと認識されていることはない。得られなかった収入が不運な人々におよぼすことを心配している時ほどまっとうに情け深い」。

途上国におけるARVの「継続可能性」に関する最適な答えは、ポール・ファーマー氏の信念に基づいた、そして簡潔にまとめられた以下の表現にもあるとおりだ。

「では何が持続しないのか? HIV治療にかかる費用ではない。むしろ重い負荷がかかる地域での治療に対する反対こそが持続しないのだ。道徳的に持続しないし、知的にも持続しない、感染症への対応としても、社会的にも持続しない。」




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昨年、亡くなったスティ−ブン・J・グ−ルドの本を買ってもらいたいと思っています。
紹介文をボチボチ書いていくつもりです。まずは机の側にころがっていた「THE MISMEASURE of MAN」のことを書きました。


by 斉藤 龍一郎




*作成:斉藤 龍一郎/保存用ページ作成:岩ア 弘泰
UP: 20201223 REV:
アフリカ日本協議会(AJF) 斉藤 龍一郎 
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