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last update:20210910


■■日本の国会における「難病」発言の変遷――難病対策要綱以前の「難病」のテキスト分析・1

※公表の意義はある。しかし来年春博論提出はマストだから、その作業を今の時期にやるかどうか。国立療養所の歴史(の前半)が博論の中身だとするとそれにうまくくっつかないと&この論文を数えなくても3本がそろうとすると、ほっとけばよいということにはなる。
 ここが考えどころ。で、考えてみた。
 博論は、まずは、1)国立療養所が結核用のものとされたこと、その後変化していったという話が書かれるのだろうと思う。
 国立療養所についてはおおまかに、結核→筋ジス&重心 という変化。1970年代の難病はスモン、ペーチェット… うまく重ならない。
 結核〜結核の減少→代わりの客としての筋ジス&重心。
 ひとしきり話をした後で「難病政策とはなんだったのか?」的な章をつける
 そこで、この原稿を使う。
 1)難病は必ずしも原因不明&希少 といった後で出てくる意味を帯びたものではなかった。実際、結核が難病と言われた。社会的対応(がやっかいという意味合い)を含めた、やっかいなという意味がこめられていた。ハンセン病が含められていたことも…
 2)今なら筋ジストロフィーは難病ということになる。しかし1960年代にはそうは呼ばれなかった(ほんと?)。そして政策ができた。それで筋ジスは難病にはならなかった。
 3)1970年代にスモンが社会問題化。この時にまた難病という語。ここでは@わからないというのと、A社会的対応が必要というのと2つ(それぞれ言う人たちがいたことを示す文献もあり)。
cf.
http://www.arsvi.com/d/n02h.htm
◆197010 「医療保険制度の根本的改正について」審議していた社会保険審議会、「原因不明で、かつ社会的にその対策を必要とする特定疾患については、全額公費負担とするべきである」と答申(社会保険審議会[1970])
 「従来の公費負担医療は、医療扶助、結核・精神衛生対策などを中心として行なわれてきたが、現代社会のひきおこす諸要因の変化により、新たにその範囲拡大への社会的要請が高まってきた。抜本改正について諮問を受けた社会保険審議会は、45年10月に「医療保険の前提問題についての意見書」を提出した。この意見書では、全額公費負担とすべきものとして、(1)国家補償的性格を有するもの(戦傷病者医療、予防接種事故等)、(2)地域社会に不安を与えるもの(結核、精神病、伝染病等)、(3)疾病予防措置、(4)健康診査等で社会的に必要と認められるもの(妊産婦、乳幼児、成人病等)、(5)公害病であって原因者が特定するに至らない段階のもの、(6)原因不明でかつ社会的にその対策を必要とする特定疾病(スモン、ベ一チェット病等)をあげ、さらに医療保険を優先し公費負担で補完するものとして、(1)低所得者の医療、(2)育成医療および更生医療、(3)心身障害を残すおそれのある疾病(妊娠中毒症等)、をあげている。」(都村敦子[1973:41])
 上記の(1)〜(6)では、(2)と(6)ということになる(か?)。
 そして、原因不明という部分が取り出され→研究対象という位置づけになり→研究のために金を出すという仕組みをとった。これは筋ジスと同じ仕掛け。この時点で、難病は研究班の単位に仕切られた医療主導のものになっていく…。
 まだわからないのでしょうが(私もよくわからない)、こういう?線で…。
とした場合に
◆1)1970年前の難病の用法を数的にだけでなく、具体的な発言・文脈がわかるように引用していく。これで1本
◆2)1970年(以降しばらく)の時の議論における 難病の用法を書いていく。これで1本。
 1)の頭のあたりにどういう方法で調査したのかとか、数的に明らかになったことをまとめる。
 といったかんじ。つまり2本は書く。しかしとにもかくにも博論と博論のための3本を揃えきるのが大切なので、その進行具合をみながらの作業となる。
 ただ、ちゃんと時間を使えば、私は1)2)に各10日、計20日でなんとかなると思う。しかし博論優先。

■■日本の国会における「難病」発言の変遷−難病対策要綱以前の「難病」のテキスト分析−

 日本において,「難病」が初めて公的に定義付けられたのは,1972年10月に厚生省によって示された難病対策要綱による.本研究の目的は,難病対策要綱以前に焦点を当て,定義以前の「難病」が国会において,どのような病を示し,誰に,どのような文脈において「難病」が発言されたのか明らかにすることである.本研究の結果,第一に,難病は時期によって,主に結核・スモン・ベーチェットを示す言葉として扱われていることが示された.第二に,議員や政府によって,「難病」は異なる文脈において使用されたことが明らかになった.


■1.背景
 ▼ここは論文の本体を書いてしまってから手をいれる。▲一般的に「難病」という言葉は,治癒が難しい病の総称として使われているが,人や時代によって様々な意味が付与されてきた.例えば,「現在の医学をもってしては,いまだ決定的治療の道がないところの難病」(第32回国会本会議第2号,1959年6月23日,相馬議員)として,治療法がない病気を指したり,または「難病といわれる公害病がなおるはずはない」(第55回国会産業公害対策特別委員会第9号,1967年6月14日,板川委員)として,公害としての難病など,難病にどのような意味を持たせ,何を難病とするのかは,その時々で変わってきた.
 芹沢(1973)は,「難病という用語は医学や医療技術の側から一定の明確な概念規定の下に提示されたものではなく,昭和38年秋,埼玉県戸田・蕨地区に多発した『腹部症状を伴う脳脊髄炎症』(スモン)患者の医療やリハビリテーションが大きな社会問題となり,患者を中心とした民間組織が結成され,患者側の切実な要求を国や自治体の関係当局に要望したことに端を発して用いられている慣用語といえよう.」としている.つまり,「難病」は1963年頃から見られるようになったスモン患者の運動を通して,広く知られるようになった言葉だと考えられる.
 このような「難病」が公的に定められ,使用されるようになったのは,1972年10月に厚生省によって初めて示された難病対策である難病対策要綱による.それまで,様々な場面において慣用句として用いられてきた「難病」が,主にスモン患者による国に対する公費負担の要求活動において使用されるようになり,国会などの公的な場でもスモンを「難病」として取り上げ,議論の対象とされるようになった.その結果,国によるスモン等の「難病」の研究推進や公費負担が実施されることになり,そのために難病対策要綱を定め,初めて「難病」が公的に定義された.そして,研究対象となる公的な難病として8種類,そのうちスモン等の4種類は医療費助成の対象となる難病として定められた.
 このような経過によって,多種多様にある「難病」の中から,幾つかが公的に「難病」として定められたが,この時期の公的な議論の場において,「難病」そのものが,どのように語られたのかについて研究したものはない.衛藤によって政治学の視点から難病対策の成立過程を検討したり,堀内によって福祉の視点から難病患者福祉の形成を研究するものはあるものの,「難病」が,どのような病を指したり,どのように用いられてきたのかについて検討した研究は見られない.しかしながら,「難病」が定義される以前に,公的な場の議論において,誰に,どのように捉えられていたのか示すことは,初めて公的に研究や医療費補助の対象として定められた「難病」へと繋がる流れを把握する上で、非常に重要なものであると考えられる.
 
■2.目的
 本研究の目的は,公的に難病が定義づけられる以前,すなわち,難病対策要綱が示される1972年9月以前の「難病」とは,▼公的な場…△▲において,どのような病のことであり,誰に,どのような文脈において使用されたのか明らかにすることである.そのために,公的な議論の場である国会に焦点を当て,「難病」という文言がどのように扱われたのかについて,テキスト分析を通して示す.

■3.方法
 国会議事録データ収集には,インターネットで公開されている,国会議事録検索システム(国立国会図書館)を利用した.第1回(1947年5月)から第69回国会(1972年9月)までの議事録のうち,「難病」が含まれる発言を抽出した.抽出後には、分析のために議事録内に出現する,「風邪」と「カゼ」や,「癌」と「ガン」のような表記ゆれは統一した.
 「難病」を含む発言については,文脈も分析対象とするために,「難病」が含まれる一文だけでなく,議事録に示されている「難病」を含んだ一人の発言を一区切りとして用いた.なお,国会議事録とは,衆参両院の本会議および委員会の議事録である.
 分析の際に,国会における発言者は,議員・政府・その他の3者に分類した.議員とは衆参両院の国会議員であり,政府とは内閣および各省庁の委員や説明員を指す.その他は,参考人・公述人を指す.
 データの分析にはコンピュータを使用し,樋口が作成した計量テキスト分析のフリーソフトKH Coderを用いた.KH Coderで,先の難病が含まれた発言をテキスト・データとして読み込み,「難病」の発言回数や発言者の抽出などを行った.
 作業の流れとしては,難病の出現回数の変化を集計した後,議員・政府の発言者別の検討を行った.その他の発言については,数が少ないため,個別には分析せず全体分析のみにおいて対象として含めた.「難病」が使用された分脈の分析では,全体の発言数が多い後期(詳細は後述,1970年〜1972年)のみ,議員・政府別の文脈を検討した.▼ここはこのままでよいだろう▲

■4.結果
4.1 難病の出現回数
 初めて国会議事録に「難病」が出現するのは1948年の1回であり,その後も1969年まで1〜6回の少ない回数となっている(図1).しかし,1970年には,前年の10倍の50回,1971年には前年の2.4倍の120回,1972年には3倍の362回となっており,1970年以降,急激に増加している.1970年から急激な増加を始めることから,本研究では,1969年までを前期,1970年から1972年を後期として,二期に分割して検討する.
▼前期については少ない〜とすると意味あるか?ということになる。が…▲

【図1 挿入】

 d0006.docx

4.2 難病が含まれる発言に出現する病
 「難病」が出現する発言には,様々な病に関する語も合わせて登場する(表1).前期は結核が最も多く,29回(48.3%)と約半分を占めた.次いで,ガンが6回(10.0%),ハンセン病が5回(8.3%)であった.後期には,前期には全く出現しなかったスモン183回(30.8%)とベーチェット127回(21.3%)が突如出現し,スモンとベーチェットで,後期の半分を占めた.前後期に継続的に登場した病は,結核,ガン,ハンセン病,筋ジストロフィー,ぜんそく,伝染病,水俣病,かぜであった.

【表1 挿入】


4.3 誰が発言したのか
4.3.1 前後期の発言者
 前後期の「難病」の発言回数と発言者を見たものが表2である.前期は,発言回数自体が少ないものの議員による発言が最も多く,17回で70.8%を占めている.後期は,合計の発言回数が22倍の532回と激増した.
 発言者を見ると,議員・政府・その他が共に発言回数が増加しているものの,議員は前期と比較して後期では占める割合が18%も減少している.その一方で,政府が占める割合が16.7%から34.0%へと,2倍も増えている.その他が占める割合は前後期ともに同程度である.以上から,前後期ともに発言回数および占める割合が最も多い者は議員であるが,前期から後期にかけて政府が占める割合が2倍も増加していることが分かる.

【表2 挿入】


4.3.2 議員による発言
 議員による「難病」の発言を党別に見たものが表3である.前期は日本社会党の議員▼誰?▲による発言▼どんな?▲が最も多く,11回で64.7%であった.その他の党の議員も発言は見られるが全体数自体が非常に少ないため,1〜2回であった.前期当時の政権政党は,主に自由民主党(自由党)であることから,「難病」発言の9割が野党による発言であったと言える.
 後期も日本社会党の議員による発言回数が最も多く,148回(52.7%)であった.しかしながら,前期と比較すると占める割合は12%も減少し,その分,他党の発言回数が増えている.また,前期は全く発言がなかった公明党が登場し,84回(29.9%)と日本社会党に次ぐ回数となっている.与党である自由民主党が占める割合は前後期ともに6%程度であるが,回数だけで見るならば,1回から17回に増加している.
 以上から,前後期ともに発言回数および占める割合が最も高い党は日本社会党であり,9割が野党による発言であった.

【表3 挿入】


4.3.3 政府による発言
 政府の「難病」の発言者を表したものが表4である.前期は発言回数が少ないが,前後期ともに圧倒的に発言している者は厚生大臣および厚生省官僚であった.難病を取り扱う部署として,特定疾患対策室が厚生省に設置されたのは,難病対策要綱が発表される僅か3ヵ月前の1972年7月である.つまり,正式に厚生省内に難病を取り扱う部署が設置される以前から,難病については厚生省が取り扱い,したがって,厚生省の大臣および官僚が主に発言を行なってきたことが分かる.
前期に労働省官僚の発言が見られるのは,職業病に関する発言を行なったためであり,また,後期における大蔵省官僚の発言は難病に関する予算に関してであった.

【表4 挿入】


4.4 どのような文脈で発言がなされたのか
4.4.1 前後期の特徴語
 表5は,前後期の特徴語を示したものである.特徴語とは,その区分において特徴的な語であり,「データ全体に比して,それぞれの部において特に高い確率で出現している語」を示す(樋口:2014).表5は,前後期の発言における特徴語をJaccard係数によって示したものである.樋口(2014)によると,「Jaccardの類似性測度は0から1までの値を取り,関連が強いほど1に近づく」ものである.
 このような特徴語を見ることで,他の部とは異なる,その部で特に使用された語を示し,その部において語られた文脈を推測することができる.表5によると,前期は,患者・言う・日本の順に高い出現率の特徴語であったと言える.後期は,前期と異なる語が特徴語となっており,思う・問題・難病の順であった.

【表5 挿入】

▼このへんに実際の発言を並べていく▲

■5.考察

5.1 難病とはどのような病なのか
5.1.1 前期の難病
 表1が示したように,前期に最も多く出現した病である結核は,1935年から1950年まで日本人の死因1位であった★1).そのため,日本政府は結核対策を急務とし,1939年には結核予防会の設立,1942年にはBCG集団接種の開始,1948年には予防接種の法制化などを実施した.このような結核予防対策や終戦による公衆衛生の改善により,1950年代に入ると少しずつ結核による死亡者は減少していった.1951年には,死因1位は脳血管疾患になり,結核は2位,1953年には結核は5位と変化した.
 以上の背景を踏まえて議事録を見てみると,結核は2位や5位へと後退していく期間である,1954年から1968年の時期において,「難病」と共に発言されていた.しかし,「難病」を含めず「結核」だけの発言をみるならば,もっと早期の結核が死因1位であった1947年から「結核」は発言されていた.つまり,結核が死因1位であり続けた時期には,結核対策などの議論のなかで「結核」は発言されたが,「難病」とは結びつけられなかった.しかし,▼その後,結核の死因順位が後退し,徐々に死亡数は減少していく時期に,「結核」は「難病」と結び付けられて発言されるようになったと言える.……これはそこそこおもしろい発見かも▲
 表1▼および,これらの事から…表現として△▲,前期における難病とは主に結核を指すことが示されたが,それは最も死者数が多いという意味の「難病」ではない.結核が,日本人の死因1位であり続けた15年間に,「難病」と結び付けられることはなかった.よって,▼前期における難病は,死者数が最も多いというより,ありふれた死因になりやすい病という意味を含有していると言えるだろう.→「ありふれた死因になりやすい病」は意味がよくわからない。&そのように言えるものなのか?▲

5.1.2 後期の難病→0007

5.2 誰に,どのような文脈で発言されたのか
5.2.1 前期の発言者と文脈
 前期の難病を含んだ発言数は少ないものの,表2,表3が示したように,野党である日本社会党議員の発言が最も多かった.初めて難病の発言を国会で行った者も,野党である日本社会党議員の田中松月であった.1948年に,難病の治療における鍼灸あん摩の効果に関する▼調査の文脈…△▲において発言された.この際には,淋病が難病の例として挙げられた.▼へー▲その後は,表1に示されているように,ハンセン病や筋ジストロフィーなど,様々な病が難病の文脈に出現してくるが,最も多く出現するのは前述したように結核であった.それは,表5(前期)の特徴語からも読み取れるように,「国立療養所」に入所する難病である「重症」の「結核」「患者」の療養や「看護」の文脈で用いられた.
 また,表5で特徴語として,「特別会計」,「病院」が示されたように,1968年には,国立病院の特別会計化の欠点として,▼難病を歓迎しないことを例に挙げながら…?▲,国立結核療養所の特別会計化について討議がなされた.これらは,議員の質問に大臣や官僚が回答する形でなされた.

5.2.2 後期の発言者と文脈→0007

■6.結論 ▼いちおう今のところ0006と0007に以下同じ文章を貼っておく▲

6.1 難病とはどのような病なのか
 本研究において明らかになったことは以下の通りである.
 前期における典型的な難病は結核であり,死因として1位になるほどではないが,ありふれた病という意味が含有されていた.後期における難病は主にスモンであり,変わった病,珍しい病という意味を含んでいた.

6.2 発言者
 議員・政府・その他に分けて発言者を見たとき,最も発言数が多い者は全期を通して議員であった.議員発言を所属する党別にみたとき,常に日本社会党が最も難病を含む発言をしているものの,後期では公明党,日本共産党も目立って発言するようになり,難病に対して党別の関わりには時期と呼応して違いがあることが示された.
政府では,主に厚生省大臣および厚生省官僚が「難病」の発言を行っていた.前期から後期にかけて,「難病」発言の割合は約2倍に増加しており,後期では難病に関わる機会が増えていることが示された.

6.3 どのような文脈で発言されたのか
 前期は主に議員が,国立療養所に入所する結核患者の療養に関する文脈で難病について発言していた.後期は,議員は主にスモンを対象とした難病対策推進のなかで「難病」を発言していた.また,政府は,難病の研究を優先させながらも,議員に押される形で難病対策も検討していく文脈の中で,「難病」を発言していた.

6.4 おわりに
 本研究では,テキスト分析を用いることで,今まで検討されてこなかった難病が公的に定義される以前の時期に,公的な議論の場において、誰に、どのように「難病」は用いられていたのかについて焦点を当てることが可能となった.それにより,難病対策要綱が発表される以前の国会において,具体的に難病として,どのような病が取り上げられ,語られたのかについて明らかにすることができた.
公的な議論の場においては,1948年から主に結核を対象として、議員による「難病」の発言が見られるが回数は少なく,発言数が急増するのは,1970年以降であることが示された.1970年以降も「難病」は議員により,主にスモン・ベーチェットの難病対策の議論において語られ,一方の政府は難病の診断基準の確立を先に目指そうとするものの,議員主導の議論により難病対策も考えるという文脈の変更がなされた.公的な場では,このような文脈において「難病」は使用され,1972年10月発表の難病対策要綱へと繋がっていったことを明らかにすることができた.
しかしながら,本研究では,テキスト分析を通して「難病」の発言者や文脈を示すことを目的としたため,テキストには表現されない,当時の詳細な政策動向や国会以外の発言や動きなどを検討の対象とすることは不十分であった.それゆえ、今後は,本研究で示されたことを基に,それらを考慮しながら検討したい.

■【注】
1)平成29年人口動態統計

■【レファレンス】
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赤川学(2009).言説分析は社会調査の手法たりえるか.社会と調査,3,52-8.
宇尾野公義(1973).いわゆる難病の概念とその対策の問題点.公衆衛生,37(3),186-192.
衛藤幹子(2005).医療の政策過程と受益者.信山社.
藤村逸子・滝沢直宏(2011).言語研究の技法.ひつじ書房.
Fruchterman,T.M.J&E.M.Reingold(1991).Graph Drawing by Force-directed Placement, software-Practice and Experience, 21(11), 1129-1164.
福山正臣(1973).難病者運動の動向.ジュリスト,548,284-288.
樋口耕一(2004).テキスト型データの計量的分析-2つのアプローチの峻別と統合.理論と方法,19(1),101-115.
樋口耕一(2012).KH Coder2.xリファレンス・マニュアル.61
樋口耕一(2014).社会調査のための計量テキスト分析.ナカニシヤ出版.
石田基広・金明哲編(2012).コーパスとテキストマイニング.共立出版.
川村佐和子・木下安子・山手茂(1975).難病患者とともに.亜紀書房.
川村佐和子(1979).難病に取り組む女性たち.勁草書房.
川村佐和子・星且ー(1986).難病への取り組み, ジュリスト総合特集,44.
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武村真治・緒方裕光(2010).難治性疾患の疾患概念確立プロセス.保健医療科学,59(3),241-244.
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