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『ぼくの中の夜と朝』

柳澤 壽男

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last update:20180531

■言及

◆水原 孝 1997 「押し黙っているばかりの最初の出会い」,日野原・山田・西脇編[1997:51]*
*日野原 重明・山田 富也・西脇 智子 編 19970720 『希望とともに生きて――難病ホスピス開設にいたる「ありのまま舎」のあゆみ』,中央法規出版,191p.

 「押し黙っているばかりの最初の出会い
 昭和50年に私が新聞社を定年になったとき、富也から連絡がありまして、ありのまま舎という団体をつくって世間にアピールしたい。ついては願問として協力してくれと言ってきたのです。それで、たびたび七ケ浜町の彼の家を訪ねて、雑誌づくりのアドバイスをしたり、お兄さんの寛之君の結婚式では仲人をしたり、映画を作ったときは関東での上映会を開いたりしました。
 昭和46年に『ぼくの中の夜と朝』という映画を観ました。国立療養所西多賀病院に入院している進行性筋萎縮症の子どもたちのドキュメンタリーです。筋ジスという病気自体を初めて知り、そういう病いの子どもがいると知ってショックを受け、仙台の西多賀病院を訪ねました。病院内に設けられた養護学校の教頭である半沢先生の案内で病院を見学してまわり、最後に通されたのが成人病棟です。それが最初の出会いでした。私と先生を中心に、筋ジスの車椅子の青年たちが扇型に囲みました。先生は話し合いをうながすけれど、彼らは押し黙っているばかりです。その中には、富也も二人の兄もいたのでしょうが、冷やかな目で私を見つめているだけでした。
 でも、それももっともなことだったのです。自分たちがこういう酷い状況にあっても、誰も手を差し延べない。マスコミも福祉事業団も口先だけだと、一般杜会に批判的だったのですね。私も多少のことには驚かないのですが、彼らの沈黙には困りました。この人たちは、20歳前後で死んでいくと言われているのに、自分たちはなにもしていない。でも、申し訳ないと言っても反応がない。舌しまぎれにその直前に訪れた中国の話をしても、なにかできることがあればと言っても、一言も答えがない。結局、「行動を通して信頼関係をつくりたい」と言って、私は話を終えました。
 それからまもなく、富也から北海道の国立病院にいる筋ジスの仲間と交流したいので、援助をしてほしいという話がきました。成人患者で自治会をつくったので、その結果を分かち合いたいということでした。バイタリティにあふれた男ですが、この北海道の旅のあと、一時、病状が悪化して生死の境をさまよっていたそうです。こうして、彼らとの数年間の交流が始まりました。
    水原孝氏(元朝日新聞東京厚生文化事業団事務局長)」(水原[1997:51])(全文)

◆山田 富也 199004 『こころの勲章』,エフエー出版,245p.

 「私が入院生活をしていた頃、筋ジス患者のドキュメント映画を作りたいという映画制作者が現れた。私たちは当然被写体として写される側にあったが、その映画を制作する監督は、患者の皆さんと共に作る映画にしていこうと約束をし、編集する前のラッシュも時々観させくれた。
 しかし、撮影が進むにつれて患者の意見は全く反映されず一人歩きをするようになっていつた。私たちは映画制作に対して異議を唱えた。それでもずかずかと私たちの生活に踏み込んでフイルムはまわされていった。△077
 ある時撮影を拒否している私にカメラが向けられ、おかまいなしにフイルムがまわされた。手も足も出せない私たち筋ジス患者にとって撮影を止めさせる手段はない。どうしようもない感情のたかまりから私はカメラに向かってツバを吐いて抵抗した。完成した映画にはそのシーンが残っていた。
 何が原因だったかは忘れたが、幼い頃ツバを吐きかけて、母に強く注意されたことがある。
 その様子が永遠にフイルムに残るなんて、私にとっては屈辱的なものでしかなかった。」(山田[1990:77-78])

■立岩真也 「生の現代のために・16――連載・127」 立岩真也 2016/11/01

 「近藤は七〇年に西多賀病院を辞して郷里の徳島に戻り、「太陽と緑の会」――今はNPO法人、HP(太陽と緑の会[2000-])で九八年に亡くなった近藤の文章も読める――を結成。筋ジストロフィーの人たちを撮った記録映画『ぼくのなかの夜と朝』(一九七一)の監督柳沢寿男(一九一六〜九九、その作品について鈴木一誌[2012])らと研究所設立の活動をしたという。」

◆鈴木一誌 2012 「ひとには、そのひと特有のリズムがある――柳沢寿男作品を語る」(講演),柳沢寿男 福祉ドキュメンタリー作品特集,於:アテネ・フランセ文化センター  [127]

 「『僕のなかの夜と朝』に、病とともにある青年が嫌悪感をあらわにキャメラに唾を吐きかけるシーンがあります。衝撃的なシーンですが、ふつうはNGにするのではないでしょうか。映像は決して客観的でも中立的でもない。柳沢監督は、観察者としての限界を露呈させるためにこのシーンを残したのではないか。」(鈴木[2012])

◆立岩 真也 2017/05/01 「高野岳志/以前――生の現代のために・21 連載・133」,『現代思想』45-(2017-5):-



UP:20170406 REV:20180531
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