HOME > 組織 >

精神衛生法撤廃全国連絡会議(撤廃連)

1986年〜?年

last update:20140115


■撤廃連の資料

◆1986/08/02 精神衛生法撤廃全国連絡会議(準) 「公開質問状」
◆1986/09/06 精神衛生法撤廃全国連絡会議 「86・9・2 申入書」
◆1986/11/27 精神衛生法撤廃全国連絡会議準備会 「86・11・27 公開要求書」
◆1986/12/27 厚生労働省精神保健課→精神衛生法撤廃全国連絡会議準備会 「十一月二十七日付公開質問状について(回答)」
◆1987/02/14 精神衛生法撤廃全国連絡会議結成集会資料
◆1987/06/** 精神衛生法撤廃全国連絡会議 「声明・精神保健法案を弾劾する」
◆1978/09/05 精神衛生法撤廃全国連絡会議「請願書」
◆1988/02/27 撤廃連学習会「精神外科手術に象徴される精神医学の差別性」
◆1988/06/25 撤廃連討論集会「精神衛生法体制解体に向けて」中央労政会館

■撤廃連の年表

1986/02/27 「精神衛生法を考える学習会」主催:(刑法)意見交換会粉砕実行委員会、於:池袋勤労福祉会館。
1986/03/07 「国家機密(スパイ防止)法案と、保安処分に反対する緊急講演集会」主催 百人委員会。
1986/03/22 粉砕実、厚生省と会見。
1986/03/26 日本精神神経学会「精神衛生法改正についての見解」を厚生省に提出。「現行法は、精神病者に対し社会防衛のための強制収容と、強制医療を押しつける法である」とし、衛生法の撤廃を主張。
1986/10/** 全国自治体精神病院協議会「精神衛生法検討委員会」意見書厚生省に提出。
1986/12/23 公衆衛生審議会精神衛生部会から「精神衛生法改正の基本的な方向について(中間メモ)」が発表される。

1987/**/** 厚生省 厚生科学研究班(班長道下忠蔵 石川県立高松病院院長)を設置。以来3年間にわたり研究。
1987/02/14 精神衛生法撤廃全国連絡会議結成。清水谷公園と文京区民センターで集会、デモ。
1987/03/14 3.13閣議決定弾劾対厚生省抗議闘争
1987/03/14 精神衛生法「改正」案国会上程
1987/06/27 「精神衛生法の抜本改正を求める全関西集会」 主催 自治労大阪、京都精神病院労組協議会、全障連、大阪精神医療人権センター、etc
1987/07/16 国会で趣旨説明強行
1987/09/05 撤廃連が唯一国会成立阻止のデモ
1987/09/10 衆議院社労委で審議。全会一致で可決。

1988/02/12-13 京都において「精神医療の抜本改革を目指して」と題した「国内フォーラム」が開催される。
1988/02/27 撤廃連学習会「精神外科手術に象徴される精神医学の差別性」講師 吉田哲雄
1988/06/25 撤廃連討論集会「精神衛生法体制解体に向けて」中央労政会館
1988/07/01 精神保健法施行
1988/11/19 撤廃連 小討論集会 「精神外科手術に象徴される精神医学の差別性」

1989/01/07 天皇Xデー
1989/01/31 赤堀さん奪還
1989/09/** 雑誌「社会精神医学」に道下忠蔵が「欧米特殊精神病院の現状とわが国処遇困難例の実施」なる論文を発表。「触法精神障害者と処遇困難例」をことさらに取り扱い保安処分導入を強く主張。
1989/10/03 公衆衛生審議会保険部会に「処遇困難者に関する専門委員会」を設置し、1年間審議を行う。
1989/11/18 兵庫県精神医療人権センター設立(神戸)

1990/**/** 厚生科学研究班 「精神医療領域における他害と処遇困難性に関する研究」なる論文を発表。950人の精神障害者を全国からリストアップし、「処遇困難例」としている。
1990/02/01 全国「精神病」者集団「声明」を発表し「処遇困難者専門病棟」新設阻止に向けた決意を全国にアピールする。

1991/02/02 今迫る保安処分―「処遇困難者専門病棟」新設を許すな学習討論会
1991/02/02 集会報告集「『処遇困難者』だぞ!文句あっか」
1991/05/14 今迫る保安処分「処遇困難者専門病棟」建設を許すな5.14全国総決起集会  主催:全国「精神病」者集団
1991/05/14-18 日本精神神経学会闘争(東京)「いろいろ問題があるが行く末を見守る」という「保安処分に反対する委員会」委員長発言、「研究はよくしようと思ってやっている」なる道下発言を弾劾。
1991/07/15 公衆衛生審議会2つの中間意見を発表。「処遇困難者に関する中間意見」「地域精神保健対策に関する中間意見」撤廃連「なぜ中間意見に反対なのか」という声明を発表。
1991/10/19 松沢病院抗議闘争 院長・金子、副委員長・山崎の「道下レポートはインチキで信用できない」と言いつつ「都の『整備検討委』で決まったら従う」という発言を徹底糾弾。
1991/12/11 松沢病院抗議闘争
1991/12/17 松沢病院抗議闘争

1992/01/14 都立精神病院運営整備構想検討委員会 第一回開かれる
1992/02/11 撤廃連学習会 中央労政会館
1992/02/28 厚生省交渉。病棟予算が総枠5億5千万予算案化され、全国3ヶ所で試行的に設置されようとしているなかで、厚生省課長補佐・南野、緒方を約30人の結集で追及。
1992/02/29 検討委員会 答申
1992/03/22 「保安処分新設への道を許すな!」討論集会(東京都勤労福祉会館)80名の参加で、方針として厚生省と各地設置(候補)病院への抗議行動、5月大阪高槻への精神神経学会とりくみを確認、社会党瀬谷議員の「毒ヘビ」発言への抗議文を採択。
1992/05/18 厚生省交渉。「刑事手続きがないからこれ(「処遇困難者病棟」)は保安処分ではない」と居直る広瀬課長を40名で弾劾。
1992/05/25 厚生省交渉で広瀬を追及
1992/05/27-29 精神神経学会闘争(大阪・高槻)。「病者」を先頭としたたたかいによって「処遇困難者病棟」建設の「反対・凍結を求める集会決議」を賛成88、反対0、保留47でかちとる。
1992/07/25 精神神経学会理事会への申し入れ行動。高槻学会での反対・凍結集会決議にふまえ、理事会決議を要請。
1992/07/28 松沢病院を撤廃連が長谷川英憲都議と視察。「都精神医学総合研究所」評議員会の審議で都議が「処遇困難者の臨床研究」事業に反対意見を述べたことに松沢病院側理事が「視察」を要請。「処遇困難者病棟」は「精神科の集中治療室のようなもの」なる発言を引き出す。
1992/07/31 厚生省交渉。92年予算で「施設整備費」を確保し93年度予算では「運営費」まで要求、「重症措置患者専門治療病棟」に名を変えて全国3ヶ所での設置を策動する課長・広瀬、補佐・関、須田らを30名で弾劾。
1992/09/22 厚生省交渉。93年度概算要求への追及に対して厚生省側は「運営費」は見送ったが昨年来の「施設整備費」は維持と回答。「患者は措置入院患者の中から選ばれるので患者に反対の選択はない」という課長・広瀬の発言に参加した30人が怒りの追及。
1992/11/17 厚生省交渉(衆議院一階会議室)。「病棟の引き取り手がきまらない」と言いつつ「候補が決まればいつでも建てられる」と言明し「精神医療改革をこの新病棟を頂点に考えている」という広瀬を40名で糾弾。その怒りの前に広瀬らは時間制限を理由に逃げるように退席。

1993/02/25 厚生省交渉(関課長補佐、他)。国会を口実に広瀬が逃亡する中、課長補佐・関ら4人を参加した15名が徹底追及。2月の「桜庭裁判」検察論告求刑でチングレトミー手術が容認されている精神医療の実態も弾劾し、次回、課長の出席と一切の資料の開示を要求した。
1993/05/20-22 日本精神神経学会闘争(東京)
1993/12/12 「処遇困難者専門病棟」新設阻止共闘会議総決起集会。さし迫る国立病院での93年度内着工阻止をめざし広く諸団体に呼びかけ、会場を満杯にする120名の結集で結成。

■書籍・参考書での言及

◆堀田貢得,2003,『実例・差別表現』大村書店: pp.94
一九九六年一月、精神病患者とその支援者によって組織される「精神衛生法撤廃全国連絡会議」という団体が、次のような「声明」をメディアに対して公表している。
「(略)『サイコパス』は何か新しい概念であるかのように語られているが、実は日本語では『精神病質』ということである。そしてこのようなあいまいで差別的な規定は、とうの昔に『精神障害者』や良心的な多くの精神科医の集中的批判にさらされる中で、『科学的根拠なし』とされた概念なのである。このような『サイコパス』キャンペーンを展開する人々は、意識的にも無意識的にも『危険な人間を野放しにするな』『危険な人間から社会を守れ』という保安処分思想による『精神障害者』への差別、分断、隔離に手を貸すものだ(略)」

■その他、関連文献

◆堀田貢得,2003,『実例・差別表現』大村書店.


*作成:桐原 尚之
UP: 20140108 REV:20140115
精神障害/精神医療  ◇組織
TOP HOME (http://www.arsvi.com)