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精神医療研究会(精医研)



■1973

◆群馬大学精神医療研究会 19730915 「江熊人体実験糾弾闘争報告」,『精神医療』第2次3-1(11):72-78

◆藤澤 敏雄 19821106 『精神医療と社会』,精神医療委員会,253 p. 1880
◆藤澤 敏雄 19981110 『精神医療と社会 増補新装版』,批評社,431p. ISBN-10: 4826502648 ISBN-13: 978-4826502641 3150 [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「地域精神医学会第六回総会は、私などが予想できない範囲で混乱におちいり、閉幕となり、今日なお学会再建をみるにいたっていないのである。全関西精神医療研究会連合(精医研)なる団体が、学会に対していわゆる「四点問題」提起をつきつけて、その取り扱いをめぐって学会は紛糾したのである。「四点問題」といわれた内容は、@地域精神衛生活動が国家による精神障害者管理とどこでちがいうるか、A収容的精神病院の現実にどうかかわるのか、B生活臨床は障害者管理の学ではないか、Cアルコール中毒者に対する治療ははたして現状でよいのか、といった内容の<0079<ものであった。精医研連合の問題提起は、その時点である正当性をもっいたと私は考えているし、金沢学会闘争の流れをくむものでもあった。しかし、病院精神医学会が生活療法批判をめぐって解体し、再建のために非常に多くのエネルギーを必要としたことを考えれば、「四点問題」提起は、地域精神医学会を解体におい込むような形で、ステレオ・タイプの攻撃・批判という形で行われるべきでなかったのである。それが、そうした配慮なしに行われたのは、金沢学会闘争を開始した精神医療改革運動内部に亀裂が生じつつあったことが背景にあったといってよい。
 精神医療改革や精神病院改革は、地道でかつ精密な戦略・戦術と実践的批判が同時に進行するのでなければはたしえないことを私は痛感するのである。」(藤澤[1982→1998:79-80])

浜田 晋 20100410 「「生活臨床」(江熊要一一派)の功罪――日本社会精神医学外史・7/老いのたわごと・45」,『精神医療』第4次58:103-115

「江熊を中心にはじまった地域精神医学会は1973(昭和48)年湯河原(神奈川)会長石原幸夫(当時神奈川精神衛生センター長)で終わった。なぜか? それは精医研と称す<0113<る政治集団(世に野田・木田一派と称せられた)の暴力的破壊によるものとされている。彼らはのちに何の関係もない横井晋(台教授の後任)の自宅までおしかけ暴力をふるったという。目的は生活療法批判(ロボトミーに便乗して脳を切除し、研究材料とした家族▲の台批判を含む)である。
 第6回総会は彼らによって破壊されたのである。後日談があるがここではふれない。」(浜田[20100410:113-114])

■1974

◆古屋 龍太* 2008「日本病院・地域精神医学会の50年とわが国の精神保健福祉をめぐる流れ」,『病院・地域精神医学』51-3(173)
*日本社会事業大学大学院 / 国立精神・神経センター病院
 http://www.byochi.org/contents/07_shiryo/nenpyo2008.pdf
 http://www.byochi.org/contents/03_gakkaishi/173.html

「17.岩倉病院問題(K氏問題)
1974年、患者K氏の妻の要請で岩倉病院の医師が往診して同院に入院させたが、その後、同氏に関わっていた関西精神医療研究会連合が岩倉病院に押しかけて実力でK氏を退院させた。この問題をめぐって、精医研連合と岩倉病院・プシ共闘(精神科医全国共闘会議)との間で対立が激化することとなる。この問題の評価をめぐって、再建の目途がつきかかっていた地域精神医学会準備会(大津)は流会となり、再建は頓挫する。さらにこの対立は、保安処分反対闘争、精神医療改革運動の進め方全般にまで及び、諸団体を巻き込み、翌年の日本精神神経学会(神戸)、病院精神医学会総会(千葉)まで開催不能になるなど多大な影響を残した。地域において患者をどのように支え関わっていくのか、入院に際して患者の何を見て、入院の在り方はどうあるべきかなど、多くの課題を投げかけ、この問題をめぐるしこりは大きく残った。
[参考]第19回総会運営委員会:第19回総会運営委員会報告。病院精神医学、46集:87−107,1976

■1976

藤澤 敏雄 20100510 「日本における精神医療改革運動の歴史」,精神医療編集委員会編[2010:12-24]*
*精神医療編集委員会 編 201005 『追悼藤澤敏雄の歩んだ道――心病む人びとへの地域医療を担って』,批評社,141p. ISBN-10: 482650523X ISBN-13: 978-4826505239 1785 [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「激しい討論を展開しながらも、学会闘争は、ある集約点を目指して動いていた。しかし、すでに改革の内容と手段を巡って、改革運動内部に対立が起こっていた。1973年の台人体実験反対決議は、台を支持する日本共産党に連なるグループにとっては、苦々しいことであった。彼らにとっては、学会闘争という位置づけにも不満があったようである。日本共産党の理論機関紙「前衛」が「トロツキストの『反精神医学』と妄動」という論文を掲げて、学会改革運動を公然と批判したのは1974年である。日本の大学闘争から学会闘争の流れは、新左翼の影響を受けてはいても、ノンセクトラジカルと呼ばれる人々と、戦後民主主義派によって担われたのであり、日本共産党部分との対立は、今日も穏やかになったとはいえ、完全に解消されてはいない。
 対立は、もっと深刻な形で起こった。関西精神科医師会議の中に内部対立が起こったのである。学生対策部長であった若い医師は、古い組織論と、暴力の有効性を信じるファナティックな指導者であった。若い学生を組織した彼は、学会闘争だけでなく、さまざまな運動の展開に厳しい影響を与えた。その余波を受けて、1976年、学会総会は開催不能に陥った。1977年学会は、11月に延期されて開催された。しかし、一方では、時代は動き、精神神経学会とは別に、さまざまな分野で新しい流れが作られていった。1974年には、第一回全国患者集会が開かれ、後に全国「精神病」者集団が発足した。また、医療供給の側での変化も起きつつあった。都市部を中心として、精神科診療所がすこしずつ開設されていたが、日本精神科診療所医師会が結成された。また、京都で精神病院の組合の連合体である精神医療労働者協議会が発足した。」(藤澤[2010:22])

■1980

藤沢敏雄 19801222 「基調報告」,『精神医療』3-9-4(37):74-80

「精医研運動(主として関西精医研連合)についての総括
 精医研運動について現在の段階モ明確な担批判をしておく必要があると考えています。精神神経学会を舞台とした精神医学・精神医医療の批判・告発が数年にわたり停滞し,その間にさまざまな反動が準備され,改革運動の全国的なひろがりが分断され,厚生省・日精協ブロックの強化と医局講座体制の修復がはかられたことは,精医研運動の一時的な拾頭がひき起こしたことだったからです。 <0078< さらに今日的な状況でいえば,精医研運動とわれれわれの運動の対立の激化によって地域精神医学会再建準備会の継続に学会再建が頓挫していることは重大なことモあります。
 精医研運動が拾頭し,われわれの運動に不毛な対立が生じたことについては一面的な総括は不正確・不十分であり,今後の精神医療改革運動にとって教訓をもたらさないことになります。かといって何事にもふれないて経過ずることはいたずらに時の風化をまつのみで,私としても無責任であると考えまず。
 この段階で私なりに精医研連動についてまとめておくことが必要であると考えますし,そのことがわれわれの運動の点検にもなることだと考えまず。
 総括的にいえぱ,精医研運動は部分的に的確な問題提起を時にしていながらも,精神医療改革運動の長期的な展望にたてば,あやまったもので,障害となるものであったと私は考えます。これは,われわれの運動動が絶対的に正しく,それに敵対した精医研運動がまちがっていたというようなことをいわんとしているわけではありません。精医研運動は,その思想性や組織論に精神医療改革運動とは本質的になじまないものをもっていたからこそ,時間と状況の中で運動全体の障害になったということなのです。
 それではどこが問題であったかということになります。また精医研運動の思想性は何かというこなります。精医研運動は伝統的な精神医学を徹底して学習した医師集団がへゲモニーをにぎって,大衆を組織織していこうという思想によって貫かれていたとまとめることができます。そしその連続性の中で,規律性の高いというか,ヒエラルキーの確固とした組織性を持とうということになり,「組織された暴力は正しい」というような極端な――革命連動について論じているのではないにもかかわらすず――自己正当化が生まれてきただろうといえまず。したがって精医研運動は,揺れうごきながらもきわめて大衆操作的であったいえます。時に威圧的で,時に迎合的であり,「保安処分反対」の論理さえ投げ捨てることになったといえます。これは状況にあわせた柔軟性ということでなくて,大衆操作主義によるものだと考えざるをえません。
 精神医療改革は人間と人間とのかかわり方の重要性を出発点とするものであるとずるならば,精医研運動の思想性と認識論は明らかにまちがっているということになります。ただここで,精医研勤の批判は,同時にわれわれの運動の弱さについての批判としてもふりかかってくるものだということは銘記しておく必要があると考えます。つり精医研運動は,われわれの運動の弱さが肥大している姿であったのではないかという自戒を持続していかなければならないということであります。
 「良心的医師として実践に埋没するだけではだめだ」という批判を金沢学会以来,われわれは行ってきた。しかしそれは,運動にかかわるものが「良心的医師としての実践」や「良心的医療従事Fとしての実践」をしなくてもいいなどということをいったわけではありません。批判者は,批判した相手を超える実践を自分に課していくのでなければ,私たちの運動はなれあいとなり,威勢のよい政治主義がはびこることになりまず。われわれの運動の中にあった分担主義は,そのようなところに生じてきたことを確認すべきです。第二の精医研運動を生み出さないようにわれわれが運動の自己点検と相互批判をきちんとできるようになることが重要なのだと考えます。」(藤沢[1980:78-89])

■cf.


◆吉田 おさみ 19831201 『「精神障害者」の解放と連帯』,新泉社,246p. 1500 ISBN-10: 4787783157 ISBN-13: 978-4787783158 [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「関東の東大精医連に対応するものとして、関西では1969年、精神科医師の活動家が結集して、関西精神科医師会議が結集され、後に精神科医全国共闘会議へと発展的解消をとげました。
 精神科医全国共闘会議は発足後、現在に至るまで保安処分問題、中間施設問題、岩倉病院問題などに精力的にとりくんでいます。岩倉病院問題とは、精医研(精神医療研究会)にかかわっていた患者K氏を、K氏の妻の要請で岩倉病院に入院させたのに対し、後に、関西精医研が岩倉病院に押しかけて、暴力的に退院させた事件です。この問題について精神科医全国共闘会議と精医研の間で対立が激化し、多くの団体がこれにまきこまれ、1976年には岩倉病院問題の評価をめぐっての紛糾から、日本精神神経学会も病院精神医学会も開催不能になるなど多大の影響をおよぼしました。
 精神科医全国共闘会議と精医研は、現在も主として野田レポートをめぐって対立しており、後者は前者を政治主義と規定するのに対し、前者は後者を技術主義ないし近代派と規定しています。ただし精神科医全国共闘会議は、闘う「病者」との連帯を追及しているのに対し、精医研は、「病者」が主体的に運動することに積極的ではありません。」(吉田[1983])

◆石川 信義・森山 公夫 20040210 「開放化運動を超えて」,『精神医療』第4次33:6-22

 「石川 確かに地域精神医学会というものもあった。だから地域化という概念は当時あったんです。しかし、それが私立の病院の変革と結びついていかなかったのは、運動としては弱かったから?
森山 私は病地学会とは深く関わっていなかったのですが、精神神経学会にせよ病地学会にせよ政治的問題が出てきました。それこそ「精医研問題」といわれるようなセクト的対立というものが起きたりして、それはあらゆる運動に付きまとう問題なのだけれども、そこで大きく挫折してしまったというところはあると思いますね。運動というものが持つ限界が一方にあり、しかし運動というものが時代を変えていく力となる、その両方があると思うんですね。確かに開放化が地域化に直結しない。そのためにいわゆる「ぶらり開放」などという言葉を生んでしまうこともありました。」(石川・森山[2004:14])

森山 公夫 20100510 「藤澤君、ご苦労様でした」,精神医療編集委員会編[2010:2-7]

 「一方、精神医療をめぐる全国的運動は依然として激しく、72年秋開催予定の第6回「地域精神医学会」は、全関西精神医療研究会連合会の内ゲバ的介入を受け、流会となってしまいます。そして貴兄は事態収拾のための臨時運営委員に任命されるのです。その後の対応をめぐって貴兄は対外的にも徐々にその力量を発揮してゆきました。こうした運動の中から、他職種の人々と語り合い、翌73年秋に予定されていた厚生省の精神衛生実態調査への対応をめぐり「東京都地域精神医療業務研究会」(「地業研」)を73年春に立ち上げ、その責任者になります。これは徐々に大きくなり、遂には厚生省の企画した「精神障害者実態調査」の反対闘争の中心を担ってゆくことになりました。」(森山[2010:5])

森山 公夫 20101010 「1968年革命素描」,『精神医療』60:68-81

 「精神医療運動の中にも、やはり内ゲバが生じた。いわゆる「精医研」(精神医療研究会)対「プシ共闘」(全国精神科医師共闘会議)の内ゲバであり、さいわい殺人にまではいたらなかったが、プシ共闘(わたしも含む)が一方的に精医研から喧嘩を売られたという印象が強い。世界観とか論理とかの相違というよりは、なんらかの感情的軋轢を背景としたものという感が強く、いまだもってその全貌はわたしなどにはよく分からない。まったく無意味な、といよりは有害な争いだった。こうした場合は特に組織指導者の責任が問われるべきであろう。」(森山[2010:80])

http://www.arsvi.com/m/zss198107.htm

 「保安処分反対決議への権力の非傍、中傷、大学病院の医局を頂点にした反動的部分のまきかえし、昨年の浜松学会で「斗う医師」を告訴した精医研の登場と警察の監視下の中でのきびしい斗いでした。」
 「日本精神神経学会闘争について
 5月22日・23日・24日・25日と浜松市民会館で行われる日本精神神経学会の浜松学会に「病」者集団は全力で取り組むことを決定しています。赤掘・鈴木・監獄法改悪問題等を中心に学会をゆり動かし、同時に「精神障害者」を闘う主体として認めないばかりか、「精神障害者」の闘いを妨害し、赤掘闘争に敵対する精神医療研究会(精医研)と対決して闘いぬく決意です。」

http://www.arsvi.com/m/zss198204.htm

 「以上の課題をもって、学会に登場した私たちに開場を取りまくし私服、そして当事者抜きに学会を牛耳ろうとする野田(本人は出席していない)を筆頭とする関西精医研は、終始独善的な主張をくり返すばかりであった。」

??
・1964 すっぽん会(高岡[2010:34])
・1964 全国大学精神神経科医局連合(後に医局の語は削除)(高岡[2010:34])
・1969 関西精神科医共闘会議/関西精神科医師会議発足(別組織?)
・197006 全国精神科医師共闘会議(プシ共闘)/精神科医全国共闘会議発足(森山・…
・精神医療研究会(精医研)/全関西精神医療研究会連合会(野田正彰木田孝太郎ら)
野田 正彰(精神科医,1944〜)

*第19回総会運営委員会:第19回総会運営委員会報告。病院精神医学、46集:87−107,1976(古屋[2008]に文献としてあげられている)

■cf.奈良医科大学

◆野田 正彰 20030805 『背後にある思考』,みすず書房,281p. ISBN-10: 4622070529 ISBN-13: 978-4622070528 2600+ [amazon]/4622070529[kinokuniya] ※ m.

「奈良は日本のまほろばか

 昨年一一月より、奈良県立医大の教授たちによる汚職の報道が続いている。一一月一日、大阪地検特捜部が同医大名誉教授(救急医学講座の前任者)を収賄容疑で逮捕した。彼は医師派遣の謝<0111<礼として一一七〇万円の収賄罪で起訴された。続いて付属病院長(外科教授)が家宅捜索を受け、彼も三〇〇万円の収賄罪で起訴された。
 事件発覚後、医師派遣による汚職を防止する委員会がつくられたが、その八人の委員の一人であり、次期学長候補といわれる内科教授が、一月二三日、多額の賄賂を受けとっていた疑いで逮捕された。この教授は、一一月に同僚教授が逮捕された後、急遽、贈賄側の病院に週一回顔を出し、診療を装っていたものの、実際は診療をしていなかったという。奈良県は一月一一日、同医大の願い出により病院長を懲戒免職、民間病院から金品を受けとっていたとされる別の現職教授二人を停職とするなど、同医大の教授全員と県の関係者計五〇人を処分していた。汚職防止に当たった委員の逮捕で、今後どう防止していくのだろうか。
 同医大は七七年一一月、一九五八年から実に一一年間、県知事ぐるみで不正人学をさせていたことが明るみに出た。公立大学でありながら、全国最多の八選をとげた奥田良三知事らによって、入試成績が最低近くの者まで裏ガネを取って入学させており、そのため成績のよかった者の多くは不合格になり、人試は意味をなしていなかった。やがて不正入学者のうち四七人が、助教授を最高として教官になるにおよび、当時の堀学長らが自浄を求めたのだった。だが県衛生部長は「氏名公表は地方公務員法にふれ、刑事事件の対象となり得る」旨の文書を教官に送りつけ、不正入試隠しを行い、学長を辞職に追い込んだ、それからニニ年、不正に入学した者ののうち何十人が同大学の教官になっていることか。<0112<
 明らかに構造的腐敗である。県も、奈良医大にも自浄のカはない。こんなとき、日本の地方自冶はまったく機能しない。奈良は日本のまほろばか。
                       (〔ニ〇〇一年〕二月一六日)」(野田正彰[20030805:111-113])

■文献

◆藤澤 敏雄 19821106 『精神医療と社会』,精神医療委員会,253 p. 1880
◆藤澤 敏雄 19981110 『精神医療と社会 増補新装版』,批評社,431p. ISBN-10: 4826502648 ISBN-13: 978-4826502641 3150 [amazon][kinokuniya] ※ m.
◆藤澤 敏雄 20100510 「日本における精神医療改革運動の歴史」,精神医療編集委員会編[2010:12-24]*
◆古屋 龍太* 2008 「日本病院・地域精神医学会の50年とわが国の精神保健福祉をめぐる流れ」,『病院・地域精神医学』51-3(173)
*日本社会事業大学大学院 / 国立精神・神経センター病院
 http://www.byochi.org/contents/07_shiryo/nenpyo2008.pdf
 http://www.byochi.org/contents/03_gakkaishi/173.html
浜田 晋 20100410 「「生活臨床」(江熊要一一派)の功罪――日本社会精神医学外史・7/老いのたわごと・45」,『精神医療』第4次58:103-115
◆石川 信義・森山 公夫 20040210 「開放化運動を超えて」,『精神医療』第4次33:6-22
◆森山 公夫 20100510 「藤澤君、ご苦労様でした」,精神医療編集委員会編[2010:2-7]
◆森山 公夫 20101010 「1968年革命素描」,『精神医療』60:68-81
◆精神医療編集委員会 編 201005 『追悼藤澤敏雄の歩んだ道――心病む人びとへの地域医療を担って』,批評社,141p. ISBN-10: 482650523X ISBN-13: 978-4826505239 1785 [amazon]/[kinokuniya] ※ m.
◆吉田 おさみ 19831201 『「精神障害者」の解放と連帯』,新泉社,246p. 1500 ISBN-10: 4787783157 ISBN-13: 978-4787783158 [amazon]/[kinokuniya] ※ m.



◆立岩 真也 2011/10/01 「社会派の行き先・12――連載 71」,『現代思想』39-(2011-10): 資料

「☆02 例えば、細かなことといえばとても細かなことなのだが、「学会改革」の時期の主導権をとっていた「全国精神科医師共闘会議(プシ共闘)」と、「精神医療研究会(精医研)」(野田正彰・木田孝太郎といった名があげられる)との対立があり、それが改革に負の影響を与えたことが幾つかの文献で触れられているが、それらの記述はすべてまったく断片的なものであり、それがどんなことであったのか、ほとんどわからない。対立のための対立のようなことはよくあることだから、無視してよいことなのかもしれないが、その後の保安処分に関わり日弁連の要請で提出された所謂「野田レポート」との関わりも含め、わかっておいた方がよいようには思う。そして前者の側の人たちは後者の集団を強く批判するのだが、『精神医療』には野田[1971]、群馬大学精神医療研究会[1974](ここには「京大精医研、木田孝太郎氏の的を射た批判と助言があったことを、同氏への謝意とともに付記しておきたい」と記されてもいる)、他の文章も掲載されており、そこにはもっともに思えることも記されている。」


UP: 20110912 REV:20130404
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