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先天性四肢障害児父母の会

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 1975年8月31日発足

■年表

19750206 野辺明子、毎日新聞「女の気持」への投書
197507 野辺明子、「指のない子を産んだ私」『婦人公論』7月号へ投稿
19750620 野辺明子、NHKテレビ「先天異常――疫学調査の必要性」『あすへの記録』に出演
19750831 「先天性四肢障害児父母の会」結成 都立鷺ノ宮高校に54家族が集まり設立総会、会長:野辺明子、会則案の説明・討議、講演:木田盈四郎、顧問に(『父母の会通信』1(75-9-6):1)
197509 野辺明子、「指のない子が増えている」『婦人公論』9月号
19750920 初めての常任委員会(以後継続的に)、設立趣意書作成等(『父母の会通信』1(75-9-6):1)
19751019 常任委員会でカルテ収集の検討(『父母の会通信』1(75-10-27):1)
19760722 初めての厚生省交渉
19761112 第2回厚生省交渉
19770423 第3回厚生省交渉
19781118 第4回厚生省交渉
19790203 厚生省にホルモン剤ドーギノンについての見解を問う
19790302 各政党との懇談会が開かれる、「先天異常のモニタリングシステムに関する研究班」発足の話を聞く
19790521 厚生大臣宛にモリタリング研究班への意見書提出(『会報7号』:217)
19790702 第5回厚生省交渉
198001 第1回スキーキャンプの誘い
198008 総会にてはじめて遺伝分科会が開かれる(分科会報告)
198010 ドオギノン(Duogynon)の生産中止決定
198011 『父母の会通信』にて渡部昇一「神聖な義務」への批判
198105 原因究明チーム、国のモニタリングに対しては白紙の態度を示す
198111 国際障害者年、国民会議に参加、意見書提出
198211 『父母の会通信』にて成人会員の出産の体験記が掲載される
198301 「奇形ザル問題を考えるシンポジウム」、原因究明の訴えの差別性が語られる
198301 『父母の会通信』にて奇形ザルと子どもの写真を一緒に並べる写真展の問題性が指摘される
198305 子どもが主役の「子どもシンポジウム」が開かれる
19850312 文部省交渉、就学、改良笛等の要望
198506 第2回子どもシンポジウムが開かれる
198509 ロングセラーとなる絵本『さっちゃんのまほうのて』出版
19860923 朝日新聞「先天異常監視システム導入へ、発生急増すれば、すぐに原因究明」という記事
19861025 母子保健法改正について、厚生省の話を聞きに行く
19860124 厚生大臣宛に、母子保健法改正反対(モニタリングシステム制度化反対)意見書提出
1987 『さっちゃんのまほうのて』原画展


■書籍等

◆先天性四肢障害児父母の会 編 19820210 『シンポジウム先天異常I――人類への警告』,批評社,278p. ASIN: B000J7RMAA 1700 [amazon] ※
◆先天性四肢障害児父母の会 編 19820310 『シンポジウム先天異常II――いのちを問う』,批評社,230p. ASIN: B000J7R020 1500 [amazon] ※
◆野辺 明子 19820920 『どうして指がないの?』,技術と人間,340p. ISBN-10: 4764500256 ISBN-13: 978-4764500259 1900 [amazon] ※ d.
◆先天性四肢障害児父母の会 1977 『先天異常問題』,会報第3号,B4 143p.,1000 1000
◆先天性四肢障害児父母の会 編 198408 『ぼくの手、おちゃわんタイプや――先天異常と子どもたち』,三省堂,ISBN:4385349177 ISBN-13:9784385349190 1050
◆田畑 精一,先天性四肢障害児父母の会,野辺 明子,志沢 小夜子 198510 『さっちゃんのまほうのて』,偕成社,ISBN-13:9784033304106 1260
◆先天性四肢障害児父母の会 『シンポジウムの記録――内部資料』,B4 124p. 
◆先天性四肢障害児父母の会 1989 『生命の今日・明日――先天異常の原因究明をめぐって』,先天性四肢障害児父母の会
◆先天性四肢障害児父母の会 編 198908 『いのちはずむ仲間たち』,少年社,107p. 1835
◆野辺 明子 19930410 『魔法の手の子どもたち――「先天異常」を生きる』,太郎次郎社,252p. ISBN:4-8118-0552-6 2100 [amazon][kinokuniya][boople][bk1] ※ d.
◆先天性四肢障害児父母の会 199508 『父母の会の20年』,会報第7号,352p.
◆先天性四肢障害児父母の会 19991220 『これがぼくらの五体満足』,三省堂,244p.ISBN:4385358893 ISBN-13:978-43853588 1470 [amazon] ※
◆先天性四肢障害児父母の会 20030720 『わたしの体ぜんぶだいすき』,三省堂,180p.ISBN:4385361398 ISBN-13:978-4385361390 1365 [amazon][kinokuniya] ※
◆先天性四肢障害児父母の会 編 20110320 『おれアペール症でも大丈夫』,三省堂,163p.ISBN-13:9784385365213 1365


■論文

堀 智久 20080930 「障害をもつ子どもを迎え入れる親の実践と優生思想――先天性四肢障害児父母の会の1970/80」,『ソシオロゴス』ソシオロゴス編集委員会、第32号
堀 智久 20070630 「障害の原因究明から親・子どもの日常生活に立脚した運動へ――先天性四肢障害児父母の会の1970/80年代」,『社会学評論』58-1(229): 57-75(日本社会学会)→全文【PDF】

 
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◆先天性四肢障害児父母の会『95年宣言』(1995年8月6日採択)

「私たちは手や足、耳などに障害を持って生れた子どもたちが、一個の人間としてその基本的な権利を保障され、その障害ゆえにどのような差別をも受けることなく、ありのままの姿で自由にのびのびと生きていける社会、すべての人がそれぞれの違いを認めあい、ハンディを支えあいながら互いに個性と人格を尊重して生きていける社会を創ることをめざして、活動していきます。」(『95年宣言』冒頭)

◆野辺 明子 1982 『どうして指がないの?』,技術と人間

「木田先生が診察のときに紹介して下さったのが「子供たちの未来を開く父母の会」だった。……1972年秋のはじめであったと思う。すぐに代理の人から返事がきて、私はその親の会の会員となった。 ……しかし、定期的に送られてくる機関紙を読んでも、サリドマイド以外の子供についての情報はあまりなくて、娘と同じように小さい、そして同じような症状の子供の親と知り合いたい、という私の願いはほとんどかなえられなかった。会員の子供たちの成年月日や症状の把握も、とくにサリドマイド以外の子供たちについては事務局の人たちにもよくわかってないらしかった。数年後、私はこの会を脱退した。」(p40-1)

「なぜ私たち夫婦が自分の娘の指の欠損がサリドマイドによるものではないことを百も承知で被害補償の申請をしたのかを簡単にいってしまえば、救済や福祉の対象からはずされ切り捨てられていく非認定児の“存在の証明”をしたかったからにほからならない。非認定児の問題に固執していくことで、原因不明の先天性四肢障害児たちの問題の位置づけをはっきりとさせ、ひいては先天異常の問題そのものを考えてみたかったからだ。……あくまでも非認定の“非”にこだわって、認定されない子供たちの“非”の実態を明らかにしていくことが、一つの運動として子供たちの問題を考えていくときにより大きな広がりをもつのではないか、私たちはそう考えた。」(p88-90)

◆先天性四肢障害児父母の会 19750901 『設立趣意書』

「私たち、先天性四肢障害児を持つ親たち、およそ六十家族は、この八月三一日東京に集まり『先天性四肢障害児父母の会』を結成致しました。ここに『先天性四肢障害児父母の会』設立の趣旨を明らかにするとともに、同じく先天性四肢障害児をお持ちの全国の親たちに、会活動への参加を呼びかけ、又同時に、先天性四肢障害児問題について、広く世間一般の方々のご理解を得たいと存じます。
 ……生まれつき上肢・下肢および指、又は耳介の欠損している先天異常をひとまとめに先天性四肢欠損症といいますが、会員の子供たちの症状は、手足や指の欠損の他、指の癒着、指の変形、四肢の関節異常、発育不全、耳の欠損(絞扼輪症候群・合指症・短指症・裂手症裂足症・ポーランド症・先天性多発性関節拘縮症、小耳症など)さまざまですが
 ……私たちは私たち家族や子供自身が受けた(今も受けている、あるいはこれからも受けるであろう)苦しみや悲しみを二度と繰り返したくありません。そして、やがて私たちの子供が親となる時、安心して子供がうめるような社会であってほしいと心から望みます。それには先天異常の原因が究明され、その発生が予防されなくてはなりません。そのための疫学調査の充実など、行政に働きかけていくと同時に、先天性四肢障害児の原因究明・実態究明に私たち親自らが立ちあがるべく、そして親同志、手を結んで、子供たちのかかえているさまざまな問題について語り合うべく『先天性四肢障害児父母の会』を結成致しました。」(1975年9月1日『設立趣意書』)

◆先天性四肢障害児父母の会 199508 『父母の会の20年』,会報第7号

「1974年に和解という形で決着のついたサリドマイド訴訟の問題などは原因不明の四肢障害児の親にとっては気になる出来事です。……妊娠初期にサリドマイド剤を含む睡眠薬や胃腸薬を服用した母親から手足の一部が欠損した赤ちゃんが生まれた、いわゆるサリドマイド事件は全世界的に被害が広がった未曾有の薬害事件として諸々の対策がとられました。原因がサリドマイド剤であると立証されて、サリドマイド胎芽病と認定された子どもたちに対しては国と大日本製薬から損害賠償の支給などの措置がとられました。しかし同じような障害をもつ原因不明の他の四肢障害児に対しては国の対策はないに等しく、行政的には全く放置されている、というのが1975年、父母の会が発足した当時の状況です。」(p313-4)

「神聖な義務」

「1980年10月、上智大学教授渡部昇一氏が週刊文春に「神聖なる義務・劣悪遺伝子は自発的に断種すべき」というエッセイを発表しました。障害者が多くなると医療費の国家負担がかかり、社会の程度が低くなる。障害のある人は子どもをつくるな。ヒットラーは精神障害者などを殺したが、これはドイツ民族の血のために功績となった。ヒットラーの行為は評価できると驚くべき内容でした。朝日なども人類遺伝学の専門家の立場から反論しました。」(先天性四肢障害児父母の会 199508 『父母の会の20年』,会報第7号: 261)
cf.血友病

◆先天性四肢障害児父母の会 編 19820210 『シンポジウム先天異常I――人類への警告』,批評社,278p. 1700円

 「この七年間の活動の中で私たちも先天異常をめぐる状況について多少の知識を手に入れることができました。例えば私たちは、国は四肢奇形に関する問題を 人類に向けられた大いなる警告であるという視点をもっていないことや、たとえもちえたにしても淘汰の思想をその中に内包した発想であることを知りました し、又一方で先天異常の原因をはっきり一つの化学物質として特定することが大変むずかしく、先天異常を生み出す引金は複雑にからみあった催奇性のある多く の化学物質の複合作用にあることも知りました。しかしはっきりと一つの化学物質を特定できないとすれば私たちが置かれている状況はより深刻でありま す。……」(p.4)

 第1回シンポジウム
 第2回シンポジウム
 第3回シンポジウム
 第4回シンポジウム

◆先天性四肢障害児父母の会 編 19820310 『シンポジウム先天異常II――いのちを問う』,批評社,230p. 1500円 ※

 第5回シンポジウム
 第6回シンポジウム
 第7回シンポジウム
 第8回シンポジウム

■cf.
野辺 明子  1982 『どうして指がないの?』,技術と人間 <439>
―――――  19930410 『魔法の手の子どもたち――「先天異常」を生きる』,太郎次郎社,252p. 1800 <439>
―――――  1989a 「インタヴュー・障害ってなに?」,グループ・女の権利と性[1989:12-131] <439>
―――――  1989b 「インタヴュー・いのちの選別」,グループ・女の権利と性[1989:132-134] <439>
―――――  1995 「遺伝だといわれたとき,次の子をどうしよう,という心配」,毛利他編[1995:104-109] <432>


野辺明子 1978 「定着したのか父母の会運動――二年間の活動から」,『先天異常問題』3号

 「手足の外表奇形というこの不幸な先天異常の原因が分からず、しかも環境汚染が深刻化している現代において、以前よりその不幸は誰もが感じている時、す でに子どもが奇形をもって生まれてきたという恐怖と悲しみを体験してしまった私たちは、これ以上このような子どもたちが生まれてこないよう、発生予防の願 いをこめて先天性四肢障害の原因究明を誰よりも真っ先に叫び続けなければならない。」(野辺[2000:112-113]に引用)

◆米山政弘(先天性四肢障害児父母の会常任委員) 19800802→19820310

 「「父母の会」ができて、私が活動をはじめるようになりますと、「実は親戚に先天異常の子どもが生れたが遺伝じゃないか」とか「身内に先天異常の子供が いたが死んでしまった。子供がほしいので次の子をつくっても大丈夫か」というような質問や相談をうけることがあるのですが、そのたびにあんまりいい気分が しないのであります。なぜ気分が悪いかというと、だいたいそういう質問をするのはその当事者の親でなくて親戚の人が多いのですが、言葉の裏側に”先天奇形 の子はまっぴらごめん”という気持がうかがえるからです。
 原因究明という私たちの要求は”二度とこのような子供をつくりたくない”のではなく””二度と私たちのような苦しみを体験させたくない”からです。」(p.121)

 米山政弘「淘汰をゆるす社会であってはならない」
 先天性四肢障害児父母の会 編 19820310
 『シンポジウム先天異常II――いのちを問う』
 批評社,230p. 1500円 pp.117-112
 (第7回シンポジウム「いのちの重みとそのゆくえ」1980年8月2日 日本教育会館 参加者数およそ450名)

  *同じ部分を「障害」で引用

◆先天性四肢障害児父母の会 1989 『生命の今日・明日――先天異常の原因究明をめぐって』,先天性四肢障害児父母の会

「「原因究明」は、「療育」と共に会発足時からの活動の柱の一つであった。「療育」については障害者の親の会であれば多かれ少なかれ取り組まざるを得ないから、「原因究明」を掲げていたことが、父母の会の特色であったと言ってもよいだろう。」(p.69)

◆モニタリング研究班

「厚生省のモニタリング研究班(山村班)が発足したのも1979年の夏であった。モニタリングの経過については「モニタリングシステムとその問題点」でくわしく述べるが、先天異常の実態把握と原因究明を強く要望してきた父母の会に対し、この研究班はかえって冷水を浴びせたようなものであった。モニタリングの専門家ではない人々によってスタートし、研究班の構成や研究構想もなかなか示してもらえず、研究班発足と共に関係する人々の口は一様に重くなり、モニタリングの名の下に何をしようとしているのか、は闇に閉ざされてしまった。」(p.75)(先天性四肢障害児父母の会 1989 『生命の今日・明日――先天異常の原因究明をめぐって』)

◆野辺明子 19930410 『魔法の手の子どもたち――「先天異常」を生きる』,太郎次郎社

「私はその後、脳性マヒ者本人の運動体である「青い芝」の人たちから、1度ゆっくり話し合いたい、と声をかけられ、神戸まで出向いたこともある。このときも緊張した。彼らは言語障害もあるから、正直いって慣れないうちはなにを話してくれているのかよく聞きとれないことも多い。わからないのにわかったふりをしてうなずく、ということをしないことから、私と彼らとのつきあいは始まったように思う。このときの討論は五時間以上にもおよんだ。「なぜ原因を究明するのか。それは障害者の存在の否定につながる」という主張と、「いや、人為的な障害の原因となるような外的要因の追求は必要ではないか」という主張とはなかなかかみ合わないし、親と障害者本人という立場のちがいもあって、結局、平行線をたどってしまった部分もないとはいえなかったが、この「青い芝」の人たちの気持ちは、のちに私が娘に抱く気持でもあったのだ。
 なぜ、それほどまでに彼らは、親の会の運動に敏感に差別のにおいを感じとっていたのだろうか。「子どもの障害の原因を追求し、その再発を避けたいと願う心のなかには、『わが子が五体満足であったら、どんなによかっただろう……』という気持ちがあるのではないか。言ってみれば、親自身が子どもの『障害』を受け入れられず、ある意味では嫌悪しているのではないか。少なくとも、『障害』ともどもわが子を無条件に受けとめているとは言いがたい、それは障害児・者の存在の否定にもつながる差別意識が親の心のなかにもあるからではないか」という問いかけであったように思う。」(p214-5)

■言及

◆立岩 真也 20021031 「ないにこしたことはない、か・1」,石川・倉本編[2002:47-87]*
*石川准・倉本智明編『障害学の主張』,明石書店,294p. 2730 ISBN:4-7503-1635-0 [amazon][bk1] pp.47-87

 「☆04 […]例えば「先天性四肢障害児父母の会」。この会は、生まれた時に手や足の指がない、少ないといった障害をもつ子どもの親の会として、 1975年に設立された。その障害の原因は不明だったのだが、環境汚染が様々に問題にされていた時期でもあり、環境要因が疑われ、会は当初「原因究明」を 訴える活動をする。ここでは、当然、その障害をなくすことが目指された。だが現に障害があって暮らしている子どもがいる時に、障害を否定的に捉えてよいの か。そうしたことを考えていくことになる。例えばその軌跡をたどってみたらよいと思う。(cf.野辺[2000]、「先天性四肢障害児父母の会」のホーム ページはhttp://park.coconet.or.jp/hubonokai/)。


*作成:堀 智久
REV:...20040922, 20111117,1209
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