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被災地障がい者支援センターふくしま 関連報道


last update:20120618

新聞記事見出し

◇2013/03/18 「【被災地の障害者】介護者不足し仕事失う人も 東日本大震災、被災地の障害者」  47News 2013/03/18
http://www.47news.jp/feature/kurashi/compass/239322.html

 「東日本大震災は障害者の生活を揺るがし、社会の課題を浮き彫りにした。介護者が不足し、働いていた事業所の閉鎖で仕事を失う人も。復興が進まず、日常を取り戻すめどが立っていない。だが缶バッジの製造、販売で収入を確保するなど、障害者が協力して課題を乗り越えようとしている。
 福島県内の21の障害者団体が結成した「被災地障がい者支援センターふくしま」(福島県郡山市)。東京電力福島第1原発事故の影響で、介護者不足が深刻だ。脳性まひのため車いすで生活する白石清春代表(62)は「介護者が避難し、残った介護者の負担が増した。体調を崩す人が相次ぎ、離職が加速した」と話す。全国から毎週5人に応援に来てもらい、急場をしのいでいるという。
 障害者を雇用していた事業所や共同作業所の中には受注が激減、閉鎖するところも。仕事をつくろうと、約70の事業所が団結し缶バッジを製作。約35万個を売り上げた。このバッジにひまわりの種を同封。自分で育てて採取した種を送り返してもらい、種から絞った油の販売を計画している。
 「発生当初、意見や組織の違いを乗り越えて、21団体が一つにまとまったことで活動が円滑になった」と和田庄司事務局長(56)は振り返る。窓口を一本化したことで、福島県から相談や支援などの業務委託を受け、組織として安定。全国からの支援も受けやすくなったという。
 岩手県沿岸部の宮古市の「被災地障がい者センターみやこ」。月に1度、近隣の障害者が集まり、食事会の後、風船バレーボールなどを楽しむ。
 車で1時間ほどの仮設住宅に住む知的障害のある30代の女性もその一人。「親が年を取り、今後が不安で眠れない。昨夏から睡眠薬を飲み始めた。ここは思い切り笑える貴重な場所」と語る。
 この事務所設立の立役者は「ゆめ風基金」(大阪市)の理事八幡隆司さん(55)。1995年の阪神大震災以来、災害のたびに、被災地の障害者を支援してきた。2億円の基金を元に3・11以後、福島や宮城で障害者が支援拠点をつくるのに協力。その後、宮古市で障害者の通院や買い物の送迎などを続けている。
 「2年で支援が必要なくなった阪神大震災に比べ、今回は見通しが立たない」と八幡さん。「東北では家族介護が当たり前で、福祉サービスを利用することに慣れていない」と都市部との違いを指摘する。
 今後は送迎などの支援をするNPOをつくり、宮古市在住の障害者2人を含むスタッフ6人に引き継ぐ計画だ。その1人の伊藤公陽さん(50)は「人口流出が続く宮古市で事業を続けられるか不安」と話すが、機械整備の技能を生かして宮古で初の車いす修理サービスを事務所で始めた。
 「被災地障がい者支援センターふくしま」(福島県郡山市)は東日本大震災の発生当初、福島県内約200カ所の避難所で障害者を探した。障害が重度の人ほど姿が見えず、障害者手帳を持っている人の情報開示を自治体に求めた。
 だが、南相馬市以外は個人情報保護法を理由に開示しなかった。同センターは「情報を開示していれば、もっとたくさんの人を助けられた」と災害時の教訓として、行政に改善を要望している。
 障害者支援団体「日本障害フォーラム」(東京)の藤井克徳幹事会議長は「『障害者を締め出す社会は弱くてもろい』と国連は決議した。行政の復興委員会の正式メンバーに障害者がいないのは問題」と話す。さらに「住民に罵声を浴びせられ、退去を促され、避難所にいられなかった障害者もいた」と深刻な人権侵害を批判する。
 障害者の自立運動に取り組む「全国自立生活センター協議会」(東京)の中西正司常任委員は「仮設住宅はあるが移動手段がなかったり、スロープが急で、トイレが狭いなど実際に車いすで使用できない住宅が多かった」とそれぞれの障害に合った支援の必要性を訴える。「障害者手帳を持たないひきこもりやうつの人が支援の対象になりにくい」と今後の課題を指摘した。(共同通信)」(全文、記事には写真あり)

◇20130312 「大震災2年:悲劇減らす知恵も 死者悼み、思いはせ(その1) /神奈川」
 毎日新聞 3月12日(火)15時16分配信
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130312-00000156-mailo-l14&p=1

 「「3・11」が巡ってきた。県内でもさまざまな場で、人々は思い起こしてみたはずだ。犠牲者を悼み、今も苦しい生活を送る人々に思いをはせ、次の震災で少しでも悲劇を減らすための手立てを考える。11日、東日本大震災から2年。

 ◇行政の情報どう活用 孤立する障害者や高齢者対策は
 被災地では11年3月11日の地震発生後、避難所生活ができず自宅暮らしを余儀なくされた障害者や高齢者が少なくない。県内の福祉施設職員たちは福島県南相馬市で、そんな人たちを戸別訪問する支援活動に携わってきた。通常は「個人情報保護」の壁が立ちはだかるが、同市は民間の支援団体に障害者手帳保持者の名簿を開示して、戸別訪問を可能にした。この経験から職員たちは「行政が持つ情報の活用を考えていくべきだ」と訴える。
 障害福祉サービス事業所「夢21上星川」(横浜市保土ケ谷区)の施設長、岩山みどりさん(54)は、震災に遭った障害者を支援するため、県内の福祉施設職員らに被災地入りを促してきた。自身も南相馬市で在宅障害者を戸別訪問調査し、障害者や高齢者が災害時にニーズを伝えられない状況を見た。
 ある高齢夫婦は、妻が胃ろうで寝たきりのため、夫が自宅で介護生活を続けていた。視覚障害者の夫婦は避難所どころか食料が配られる拠点にもたどり着けなかった。自閉症の子どもを持つ母親は、避難所で子どもが声を上げて動き回るため、周囲の非難や誤解にいたたまれず自宅に戻った。
 岩山さんは「障害のある人が自宅で親類の子どもの面倒を見ていたり、入院が必要な人が1人でいたり、すぐ行政に知らせなければならないケースも多くあった」と話す。避難所にいても、半身まひの女性は16日間ずっと車椅子に座ったまま、横になって休んだことがなかった。皆、「周りに迷惑を掛けてしまう」と我慢していた。
 南相馬市の在宅障害者の戸別訪問調査は、南相馬市原町区の障害者支援事業所「デイさぽーとセンターぴーなっつ」とJDF(日本障害フォーラム)被災地障がい者支援センターふくしま(事務局・福島県郡山市)が共同して11年4〜9月に実施した。構成団体の職員が、身体障害者手帳や療育手帳所持者の名簿を元に、障害の重い人から順に回った。
 きっかけは、「デイさぽーとセンターぴーなっつ」の施設長、郡信子さん(51)らが震災直後、「避難所に障害者がいない」と気付いたこと。福島第1原発から30キロ圏内の住宅を自衛隊員が回っていると聞いたが、郡さんが働く施設の利用者宅には来ていなかった。支援が行き届かずに障害者が取り残されている懸念があり、戸別訪問の必要性を感じた。
 行動に移そうとすると、個人情報保護法の壁に阻まれた。本人の同意を得ない情報は公表が禁じられており、人命優先の思いを共有していた市職員と一緒に頭を抱えた。
 その時、同法と市条例の「人の生命、身体または財産の保護のために必要がある場合で、本人の同意を得ることが困難である時」との趣旨の例外規定に目が留まった。桜井勝延市長も今回の事態はこの規定に当てはまると認め、11年4月中旬に身体・知的障害者の名簿開示が認められた。
 郡さんは「震災直後、行政の手が届かず、支援を受けられずに孤立している人たちがいた。訪問調査がなかったら、もっと大変なことになっていたかもしれない」と振り返る。
 岩山さんも「災害で大きな被害を受けると、行政だけでは被災者支援が機能しない。障害者の個人情報を持つだけでなく、どう生かしていくか。東日本大震災の経験から考えなくてはいけない」と話す。【山田麻未】
 ◇宗教超え鎌倉で追悼・復興祈願祭
 鎌倉市内の宗教関係者が宗旨・宗派を超えて犠牲者を悼み、被災者に思いを寄せる「東日本大震災〜二年目の祈り〜追悼・復興祈願祭」が11日、カトリック雪ノ下教会(鎌倉市小町2)で営まれた。
 祈願祭には鶴岡八幡宮の神官や雪ノ下教会の神父、建長寺の僧侶ら約150人が参列。午前10時から各宗旨・宗派がリレー方式で祈りをささげ、大きな十字架が掲げられた教会内は僧侶の読経や、神官による雅楽の音色に包まれた。
 午後2時半からは合同で犠牲者を悼み、地震が発生した午後2時46分、教会や寺院の鐘の音とともに1分間の黙とうをささげた。
 雪ノ下教会の山口道孝神父は「被災者には震災を風化させたくないという気持ちが強い。100年後、『何をやっているのか分からない』と言う世代が出てきても、ずっと祈りを続けていきたい」と話した。【松永東久】
 ◇岩手・大船渡市復興支援で募金−−相模原の寺院
 相模原市の相模原佛教会(36寺院)と、旧津久井郡4町(津久井、藤野、相模湖、城山)の津久井四町仏教会(51寺院)は、春の彼岸期間の16〜24日、東日本大震災で被災した岩手県大船渡市の復興支援募金に取り組む。
 相模原市の友好都市・大船渡市の早期復興を支援するとともに、震災を風化させないための活動。各寺院に「東日本大震災復興支援募金」のポスターを掲示し、本堂前や庫裏玄関に募金箱を設置する。期間中、さい銭箱に入れられたお金も支援金に充てる。相模原市を通じ大船渡市に送金する。【高橋和夫】」(全文)

 ……

◇2011/04/06 東日本大震災 被災者への住宅確保 柔軟で多様な供給を(しんぶん赤旗)
◇2011/04/09 「政府の責任で障害ある人の確実な避難を」要望書提出 きょうされんボランティア報告5(京都民報Web)
◇2011/04/10 東日本大震災:避難の障がい者、要望10項目提出 郡山で蓮舫氏に /福島(毎日新聞)
◇2011/04/12 東日本大震災:被災障害者の電話相談開設 郡山で市民団体 /福島(毎日新聞)
◇2011/04/14 郡山避難の障がい者、蓮舫氏に要望10項目提出(障がい者の働く場ニュース)
◇2011/04/20 希望新聞:東日本大震災 ボランティア 障害者救援本部を設立 長期の支援態勢、必要(毎日新聞)
◇2011/04/21 東日本大震災:精神障害者、つらい避難生活 ストレスでトラブルも(毎日新聞)
◇2011/04/28 シリーズ大震災 福島から(2)避難所生活で病状悪化(読売新聞)
◇2011/05/30 【東日本大震災】筋ジス患者「あきらめましょう 介助交代の合間の死(msn産経ニュース)
◇2011/05/30 【東日本大震災】「災害弱者」どう守る 寝たきり置き去り、若い身障者名簿なく(1/2ページ)(msn産経ニュース)
◇2011/06/18 希望新聞:東日本大震災 ミニニュース シンポ「被災地の現状から考える」(毎日新聞)
◇2011/06/22 希望新聞:東日本大震災 ボランティア 障害者ニーズ、刻々と変化(毎日新聞)
◇2011/07/09 被災障害者支援へ歌のリレー 音楽療法士ら、埼玉で開始(asahi.com)
◇2011/07/14 被災障害者 孤独死防げ――日本障害フォーラム報告会(しんぶん赤旗)
◇2011/08/20 「缶バッジ」販売自立促進 南相馬、楢葉の8福祉作業所=福島(読売新聞)
◇2011/09/05 田村市、公費支出を却下 障害者女性、避難で新たに介護 県に審査求める /福島県(朝日新聞)
◇2011/09/19 ピープルファースト大会:震災被災の障害者ら報告 全国から570人−−戸畑 /福岡(毎日新聞)
◇2011/09/30 震災時介護、孤立の不安(中)(河北新報)
◇2011/10/06 東日本大震災:復興願う缶バッジ人気 福島の7障害者事業所(毎日新聞)
◇2011/10/10 「避難所、障害者に優しくない」 名古屋・中村区でシンポ、震災被災者語る /愛知県(朝日新聞)
◇2011/10/14 東日本大震災:缶バッジで福島を応援 23日、秋田・市場まつりで販売 /秋田(毎日新聞)
◇2011/11/24 災害時の障害者支援探る 集いに250人、課題を提起 大阪 /大阪府(朝日新聞)
◇2011/12/02 廃業ホテルの家具、絆つながり福島に 立川の岩田さんから障害者らの施設へ /東京都(朝日新聞)
◇2011/12/30 田村市の公費支出請求却下は「過ち」(asahi.com マイタウン福島)
◇2012/01/21 震災時の障害者支援に遅れ 講演会で専門家ら警鐘(共同通信)
◇2012/01/22 震災と要援護者考える 中央区でシンポ 福島の活動報告や講演=兵庫 (読売新聞)
◇2012/01/24 東日本大震災:被災地の障害者実態調査を要望−−内閣府ヒアリング(毎日新聞)
◇2012/01/26 被災障害者向け、東電賠償学習会 郡山で29日、弁護士ら /福島県(朝日新聞)
◇2012/01/30 災害時要援護者:障害者避難、支援強化へ 政府方針、ガイドライン見直し(毎日新聞)
◇2012/02/06 障害者支援:「災害時何が必要か」考える 福島の施設理事長が講演−−福岡市 /福岡(毎日新聞 地方版)
◇2012/02/06 「障害者のSOSに耳を」 福島のNPO代表が講演(西日本新聞 朝刊)
◇2012/02/10 東日本大震災:ヘルパー不足、半数強 原発事故が影響−−福島市内の障害者介護事業所アンケ /福島(毎日新聞)
◇2012/02/11 障害者施設、休止4割超 福島原発周辺の13市町村(朝日新聞)
◇2012/02/19 学習交流会:災害時の障害者福祉、東日本大震災を教訓に議論−−徳島 /徳島(毎日新聞)
◇2012/02/25 震災弱者:苦難の1年 脳性まひ、福島・南相馬の48歳 民間の力で自立 初の1人暮らし「わくわく」(毎日新聞)
◇2012/02/28 震災弱者:苦難の1年 福島・南相馬の父娘、離ればなれの避難生活 要介護・障害、互いを案じ(毎日新聞)
◇2012/03/19 災害時の障害者支援 安否確認 個人情報の壁 (読売新聞)
◇2012/03/22 (震災 あの日から)季刊誌で障害者応援 町田の社会福祉法人 /東京都(朝日新聞)
◇2012/03/29 震災弱者:苦難の1年 知的障害の39歳、避難所生活に支障 施設再開、心ほぐれ(毎日新聞)
◇2012/04/23 障害者の介助者不足が深刻 「緊急募集」街頭で訴え 福島でNPO /福島県(朝日新聞)
◇2012/05/13 [復興掲示板](読売新聞)
◇2012/05/29 東電への損害賠償、障害者向けに説明 いわきできょう /福島県(朝日新聞)


新聞記事本文
◇東電への損害賠償、障害者向けに説明 いわきできょう /福島県
(2012年05月29日 朝日新聞朝刊 福島中会・1地方 029)
 原発事故の被害を受けた障害者向けに、東京電力への損害賠償の請求方法などを説明する学習会が29日、いわき市の市生涯学習プラザで開かれる。県弁護士会や日弁連のほか、日本障害フォーラム(JDF)が主催する。
 学習会では、原発事故による避難などで障害者が抱えている問題を弁護士らが紹介し、賠償請求の仕方を説明する。避難に伴う障害の悪化など、東電に請求できる事案についても話す。
 手話による同時通訳や筆記などを用意し、参加者からの質問も受け付ける。講師の槇裕康弁護士は「賠償に関する情報が障害者に届いていないことも多い。不安や悩みが少しでも減るよう、多くの方に参加してもらいたい」と話している。
 学習会は午後1時半〜午後4時半。参加料は無料。問い合わせはNPO法人あいえるの会(024・925・2428)へ。


◇[復興掲示板]
(2012.05.13 読売新聞 東京朝刊 復興A 32頁)
 ◇東日本大震災
 ◎障害者支援 人手足りず 福島市のNPO 県外避難でヘルパー減 新規応募は5人だけ 
 障害者の自立を支援する福島市のNPO法人「ILセンター福島」(角野正人代表)が、東京電力福島第一原発事故の影響でヘルパーが避難し、人手不足に悩んでいる。12日に障害者を介助するボランティアの募集説明会を開いたが、参加したのはわずか5人で、危機感を募らせている。
 ◎夜間早朝が深刻  
 同センターは、施設に入所せずに地域で自立した生活を送るため、障害者が呼びかけて1996年に発足。福島市など福島県の北部で、スタッフが毎月100人前後の利用者の自宅などを訪れ、1日平均2時間程度、延べ月約6500時間の介助サービスを提供してきた。
 だが、原発事故後、県外への避難などで約100人いたヘルパーは約80人に減少。体調を崩した利用者を病院に送迎するといった急な依頼に対応できない状態という。早朝や夜間は特に人手が足りず、起床時の介助を利用者の希望より1時間遅らせてもらうこともある。スタッフからは「必要なときにサービスを受けられるのが本当の介助。このまま続けていけるのか不安だ」との声も出る。現在は新規利用者の受け付けを停止している。
 ◎「最低あと10人」  
 事故後1年間、資格を持つ職業ヘルパーを募集してきたが、人が集まらず、ボランティアの手を借りることにし、12日に初めて説明会を開いた。
 しかし、参加したのは、福島市などに住む男女5人。うち2人がボランティアに登録したが、ボランティア受け入れ担当スタッフの中手聖一さん(51)は「最低でもあと10人程度は必要だ」と頭を悩ませる。
 介助の内容は、料理や掃除、洗濯から車での送迎、ペットの世話など様々だ。資格や経験、年齢、性別も問わず、間口を広げて募集している。
 中手さんは「日常生活のあらゆる場面で介助のニーズがある。難しく考えず、自分のできること、得意なことを生かして手伝ってほしい」と呼びかけている。
 問い合わせは同センター(024・573・2095)へ。
 ◎米国から船の贈り物 気仙沼漁業者に 
 宮城県気仙沼市本吉町の漁業者に12日、米国の民間活動団体「オペレーション・ブレッシング・インターナショナル」から船外機付きの小型船10隻が贈られた。
 沿岸で使う「和船」と呼ばれる全長6メートルの船で、漁業者の要望に沿って設計され、米国で造船された。
 本吉町には震災前、約500隻の和船があったが、津波で8割が流失した。世界規模で慈善活動を展開する同団体は、震災後間もなく気仙沼市でボランティア活動を開始。本吉町には昨年9月と今年3月にも計52隻の船を寄贈している。
 進水式に出席した日本支部長のドナルド・トムソンさん(52)は「大漁となるよう祈りを込めた船です。あきらめないで頑張って下さい」とエールを送った。船を受け取った小野寺久一さん(64)は「世界中からの支援で夢と希望を持てるようになった」と笑顔で話していた。
 ◎高田松原の苗木植え付け 休耕田にボランティアら 
 津波被害を受けた岩手県陸前高田市の国指定名勝「高田松原」の松ぼっくりから育てられた苗木約300本が12日、市民団体「高田松原を守る会」に届き、会員やボランティアが市内の休耕田に植え付けた。
 苗木は、震災前に拾われた松ぼっくりから種を取り、同県滝沢村の独立行政法人の研究所育種場で約600本が育てられた。同会は、昨年11月から約2500平方メートルの休耕田を整備し、高さ10センチほどに育った苗木を引き継いだ。
 植え付けには約20人が参加。平らにならした畝の横に一列に並び、根を曲げないように注意しながら、スコップを使って苗木を挿していった。高田松原の再生の道筋は見えていないが、鈴木善久会長(67)は「いつか近くに苗木を植え替えて、昔の松原を再現したい」と話していた。
 ◎マラソン瀬古さんら いわきで運動会参加 よみうり元気隊 
 元マラソン五輪代表の瀬古利彦さん(55)とシドニー五輪1万メートル代表の高橋千恵美さん(36)が12日、津波被害を受けた福島県いわき市の小学校の運動会に参加し、児童たちと汗を流した。読売新聞社が被災地を励まそうと結成した「よみうり元気隊」の活動の一環。
 会場となった市立久之浜第一小は昨年、震災や東京電力福島第一原発事故の影響で運動会を中止した。この日は晴天に恵まれ、瀬古さんと高橋さんは玉入れなどに参加。陸上教室も開き、児童たちと一緒にグラウンドを駆け回った。
 「心の傷はまだ癒えないかもしれないが、子供たちの笑顔を見られてよかった」と瀬古さん。3年生の鈴木太洋君(8)は「一緒に走って楽しかった」とうれしそうに話していた。


◇障害者の介助者不足が深刻 「緊急募集」街頭で訴え 福島でNPO /福島県
(2012年04月23日 朝日新聞朝刊 福島中会・1地方 029)
 「短い時間、可能な範囲でかまいません。ぜひご協力を!」――。障害者の自立を手助けするヘルパー(介助者)が、原発事故の影響で深刻な人手不足に陥っている。NPO法人ILセンター福島(角野正人代表)は22日、福島市の街頭で窮状を訴えた。
 この日はスタッフや障害者ら16人が、介助ボランティアの緊急募集を呼びかけた。2時間でビラ約1300枚を配布した。スタッフの江川竜二さん(25)は「街頭での呼びかけは最後の手段。熱心に耳を傾けてくれる人もおり、手応えはあったと思う」と話した。
 同センターはさまざまな障害を持つ人たちが1996年に設立。16年前から介助者派遣事業を始め、現在、約80人の常勤・登録ヘルパーがいる。毎月100人以上の在宅障害者にのべ6500時間以上の介護サービスを提供してきた。
 しかし、原発事故後は有給スタッフの県外避難、離職が相次いだ。ハローワークなどに募集をかけても人材が集まらず、欠員補充ができずにいる。
 スタッフの中手聖一さん(51)は「障害者の生活や活動を制限せざるを得ないのが実態」と明かした。状況はどこも同じで、福島市の介護事業者でつくる障害者自立支援協議会の昨年度末のアンケートでも、半数以上の事業所が「原発事故後のヘルパー不足」を訴えた。
 障害者介助には医療的ケアなど専門性の高いものもある。だが、簡単な調理や掃除、洗濯、大工仕事からメークやカット、送迎ドライバーなど、資格、年齢、時間帯を問わない仕事も多い。中手さんらは「身近な手仕事や特技を生かして人との出会いをしませんか」と街頭に立った。
 5月12日午後2時からは同市渡利椚町1の1の同センターで説明会を開く。ボランティア以外に有給で働くスタッフも募集。問い合わせは同センター(電話024・573・2095)へ。(本田雅和)


◇震災弱者:苦難の1年 知的障害の39歳、避難所生活に支障 施設再開、心ほぐれ
(2012.03.29 毎日新聞 東京朝刊 31頁 社会面)
 ◎絵本に「意思」 <やまこえ たにこえ げんきいっぱい><きゅうなさかもへっちゃらさ>
 「足を上げてみましょうか」。2月14日午前、福島県南相馬市の障害者支援施設「デイさぽーとぴーなっつ」。体操の時間、スタッフの呼びかけで利用者14人と体を動かす渡辺英二さん(39)に施設長の郡(こおり)信子さん(50)は目を見張った。「震災前より溶け込んでいる」。英二さんは自閉症で重い知的障害があり、会話ができない。
 東日本大震災から間もない昨年4月初旬。「何とか施設を再開してもらえませんか」。英二さんの母美奈子さん(67)は、新地町の自宅近くにある避難先を訪れた郡さんに、たびたび訴えた。一般避難所の中で英二さんは、みんなで見るテレビのチャンネルを突然変え、子供向けの本を取ってきてしまう。美奈子さんは目が離せなくなっていた。
 何度も家に戻ろうとする英二さんに美奈子さんは「もうないんだよ」と告げ、流された自宅跡に連れて行き風呂場のタイル片を見せた。夫重喜さん(64)と英二さん、妹2人の5人家族は配慮され避難所の個室に入ったが、大声を出す英二さんを部屋から出さないようにするしかなかった。
 英二さんは中学まで養護学校に通った。生活訓練のおかげでバスに1人で乗り、買い物もできた。祖父が亡くなり美奈子さんも働きに出たことから卒業後は知的障害者の入所施設へ。そこではなじめず、月1度の帰省時には眉毛をそられたり、耳が腫れ上がっていたこともあった。8年間の入所の末、普段は出ない涙を振り絞り、施設に帰ることを嫌がった。家に戻るとバスの乗車も買い物もできず、騒ぐようになっていた。案じた家族が自宅から通える居場所を探し、「ぴーなっつ」に通うようになると、徐々に落ち着き始めた。
 毎日新聞 東京電力福島第1原発から約24キロの「ぴーなっつ」は原発事故後、郡さんらスタッフが利用者を訪ね、安否確認を続けた。再開を望む声は少なくなかった。「30キロ圏内(当時の緊急時避難準備区域)に障害者を集めていいのか」。県と市に難色を示されながらも4月11日、「障害者がそんなに大変ならやむを得ない」との行政判断を受け、再開した。
 英二さんは被災当初、「ぴーなっつ」に持参していたかばんを手に毎朝迎えを待っていた。だが、再び通い始めた時は表情がなくなっていた。5月に仮設住宅へ移ってからも大声を上げた。最も近くに住む「ぴーなっつ」のスタッフが片道25キロを送迎した。「そっと閉めましょう」。ドアの大きな開閉音もたしなめず、音を立てなければ「ありがとう」と繰り返した。英二さんの心は少しずつほぐれていった。
 11月9日朝。英二さんは美奈子さんに絵本をみるようしきりに促した。英二さんは絵本に色付きのテープをベタベタ貼るのが好きで、その絵本にも新幹線の写真にちぎり絵のようにテープが貼られていたが、隙間(すきま)に絵本の字が残っていた。それを見て、美奈子さんは息をのんだ。
 <やまこえ たにこえ げんきいっぱい>
 <きゅうなさかもへっちゃらさ>
 字を読めないはずの英二さんが意思表示していると思った。「家族全員がつらい思いをしているからこそ『みんなで頑張ろう』ってことかな」。美奈子さんはもう一つ、気づいた。その新幹線は、下の妹と同じ名前だった。【野倉恵、写真も】


◇(震災 あの日から)季刊誌で障害者応援 町田の社会福祉法人 /東京都
(2012年03月22日 朝日新聞朝刊 東京都心・1地方 029)
 復興に取り組む被災地の障害者を応援したい。こんな思いから、町田市の社会福祉法人・ウィズ町田が、年4回発行の季刊誌「コトノネ」を創刊した。仕事に光を当て、生産品のPRを重視。障害者施設の立て直しだけではなく、その先の自立を見据えた誌面を展開している。

 1月末に出した創刊号で取り上げた施設の一つが、知的障害者らが通う福島県南相馬市の福祉作業所「えんどう豆」。「福島が好き」「福島応援隊」。作業場には、こんな言葉が記された色とりどりの缶バッジが並ぶ。作業を担ったのは、門馬千恵さん(27)、安達香樹さん(41)ら。1ページのカラー写真で取り上げられた「コトノネ」を見て、笑顔がはじけた。
 施設は福島第一原発から30キロ圏内にあり、10人余りの通所者は震災後、市外に避難した。6月に再開したが、仕事の柱の一つだった野菜づくりは放射能の影響で取り組めず、それまで1人月1万円ほどだった工賃は半減した。
 そこで、地域の同様の施設と協力して夏から始めたのが缶バッジづくりだった。デザインは通所者や職員が考え、「100個入り1万2500円」といった単位で通信販売を開始。ブログや口コミで話が広がり、これまでに10万個以上を販売した。
 ただ、佐藤定広所長(49)は「被災地への関心自体は徐々に薄まっていると感じます」。それだけに、「コトノネ」による情報発信に期待を寄せているという。
 ウィズ町田は、震災後、被災地の障害者施設の物産展を都内で開き、「さらに継続的な支援を」と考えて「コトノネ」の発行に至った。誌名は「『出来事』に目をそむけず、『異(こと)』だった人と『言葉』を交わし、新たな音色を紡ぐ」という意味を込めたという。天野貴彦理事長は「障害者がいきいきと働けば、全ての人の暮らしが元気になります」と話す。
 誌面ではほかにも、食品、雑貨……と障害者施設の商品を紹介し、購入する際の連絡先を記した。豆腐や油揚げ、缶詰といった社会福祉法人・はらから福祉会(宮城県柴田町)の商品も多く取り上げている。
 創刊号は、公的な助成金を受けたこともあり、1万部を無料で配布。4月に出す第2号からは、有料で1冊680円の価格設定になる見通しだ。問い合わせは、「ウィズ町田」内の「就労支援センターらいむ」にファクス(042・721・2460)かメール(s−raimu@nifty.com)で。
 24日午前10時からは、イベント施設・ぽっぽ町田(町田市原町田4丁目)で、ウィズ町田のコトノネ事業部が「東北復興支援大物産展」を開く。はらから福祉会の商品などを販売し、掲載写真を撮影したカメラマンの作品を集めた写真展も開かれる。(金子元希)


◇災害時の障害者支援 安否確認 個人情報の壁
(2012.03.19 読売新聞 東京朝刊 安心C 19頁)
 ◎社会保障・安心
 東日本大震災では、自治体による安否確認が遅れ、多くの障害者が孤立した。民間の障害者団体も安否確認に乗り出したが、個人情報保護が壁になり、ほとんど実を結ばなかった。災害時に素早く障害者を支援するための課題を検証した。(社会保障部 梅崎正直)
 ◎開示に消極的
 「後ろを見るな!」。祖父の言葉を聞かず、男性(26)は振り向いた。一家5人を乗せて逃げる車の窓から見えたのは、我が家が大津波にのみ込まれる瞬間だった。福島県南相馬市で漁業を手伝っていた男性はその日から誰とも話さず、布団の上で座ったままになった。
 避難所を転々とした後、新潟県で3か月過ごした。子供の頃、学習に遅れがあったものの、社会生活に問題はなかった。しかし、被災のダメージは深刻で、精神科を受診しても状態は変わらなかった。南相馬の仮設住宅に入居した昨年7月以降も部屋にこもった。そんな状態の男性を見つけたのは、市と障害者団体による安否確認チームだった。
 震災後、南相馬市は、障害者団体「日本障害フォーラム」(東京)の協力で、障害がある市民825人の安否確認を行っていた。男性の病状を知った市は、同フォーラムに生活支援を依頼。男性は11月から市内の作業所に週5日通いはじめた。仲間と缶バッジ作りをし、最近は大きな声であいさつができるようになった。
 震災後、被災市町村では行政機能も被災し、障害者の安否確認は難航。それに協力しようと、障害者団体が障害者手帳などを持つ住民の個人情報の開示を求めた。しかし、読売新聞が6月に行った調査では、津波を受けた沿岸や福島第一原発からの避難をした地域で開示の要望を受けた8市町村のうち、応じたのは南相馬市のみ。多くは、個人情報保護を理由に開示を拒んだ。
 岩手県宮古市もその一つ。支援活動をする「ゆめ風基金」(大阪)は昨夏、市街地に遠い仮設住宅で、通院手段に困る人工透析患者3人を見つけた。震災から半年後、ようやく3人は送迎の支援を受けられるようになった。同基金の八幡隆司理事は「今も新たに支援を求める人が多く、安否確認は十分ではない」とする。
 ◎9市町「把握できず」
 孤立が生命の危機にもつながる障害者の安否確認を早く行えば、適切な支援が可能になる。福島県三春町の山あいに立つ仮設住宅。身体、知的障害がある葛尾村の松本雄太さん(21)が入居したのは昨年7月だ。同村は、避難所にいた障害者が仮設住宅に入居する際、もとの地域住民のつながりを保つよう配慮した。顔を見れば声をかけ、家を訪ねる人も多い。
 1000戸以上の応急仮設住宅を設ける20市町を対象に、読売新聞が2月末に実施した調査では、身体、知的、精神障害の合計で、応急仮設住宅には3041人、借り上げのみなし仮設には1061人の障害者がいた。しかし、岩手県陸前高田市、山田町、宮城県仙台市、石巻市、女川町、山元町、亘理町、福島県南相馬市、大熊町の9市町は、仮設住宅などに住む障害者を十分に把握できていないと回答した。うち4市町はすべての人数が不明だった。5市町が人手不足を、調査が行き届かない理由にあげた。女川町は「コミュニティーができていない地区が多く、見守りができていない」とする。
 ◎体制作りへ
 教訓を生かすには、災害時の安否確認に障害者団体などが速やかに協力できる新しい仕組みが必要となる。今年2月には、日本障害フォーラムが体制整備を国に要望した。
 まず必要なのが個人情報開示のルール作りだ。自治体の個人情報保護条例は、情報を本来の目的以外に利用することを禁じているが、公共目的の場合は例外で、災害時はこれにあたると考えられる。さらに、障害者団体と行政の協力関係も欠かせない。岩手県の担当者は「名刺1枚では開示の決断はしにくい」と話す。遠方から来た見ず知らずの団体に、すぐには開示しにくい。自治体と団体の協定など事前の体制作りも重要だ。
 国も動き始めた。内閣府は来年度、開示のルール、民間団体との協力のあり方を議論し、「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」に盛り込む意向だ。東京都も、災害時には本人の同意がなくても、個人情報を利用できることを示したパンフレットを作成している。障害者支援とプライバシー保護のはざまで、市町村独自の判断が難しい問題だけに、国や都道府県が明確な方向性を示す必要がある。
 ◎ルール決めて備えを 
 個人情報保護に詳しい一橋大学の堀部政男名誉教授の話「今はどの自治体でも個人情報保護条例が作られているが、保護にこだわるあまり、個人情報が有効に利用できなくなる傾向がある。災害時の障害者支援などに利用することは、むしろ法の趣旨に沿っている。条例などを設けて開示のルールを決め、他の目的に利用しないよう歯止めを設けたうえで、緊急時に素早く対応できるようにすべきだ」


◇震災弱者:苦難の1年 福島・南相馬の父娘、離ればなれの避難生活 要介護・障害、互いを案じ
(2012.02.28 毎日新聞 東京朝刊 28頁 社会面)
 ◇原発事故、賠償請求に壁も
 「元気にしてるか」「うん」。2月になっても例年以上の降雪が続く新潟県新発田市。松本和夫さん(80)と長女寿美子さん(52)は携帯電話で安否を確かめ合った。和夫さんは酸素吸入器を付け市内の病院で、脳性まひで手足が不自由な寿美子さんは障害者支援団体の確保した市内の民家で、それぞれの暮らしが続く。
 震災前は福島県南相馬市小高区の自宅に弟らと暮らしていた。東京電力福島第1原発事故で警戒区域に指定され、寿美子さんは3月12日、弟らと同市原町区の小学校体育館に避難。自宅なら1人でできるトイレも人の手が必要になり、周囲の負担を減らすため利尿剤服用をやめると足首が紫色に膨れ上がった。
 「避難所は無理」と寿美子さんは家に戻ったが、市にせかされ再び避難所へ。4カ所目で「施設に入った方がいい」と勧められ、旧知の支援者に迎えに来てもらい、3月25日、新発田市に来た。
 一方、和夫さんは避難指示が出た後も原発から約16キロの自宅に残った。中学教師を退職後、肺や胃のがんで入退院を繰り返し、「こんな体なら家にいるしかない」。連日警察に避難を促された。
 夜は目立たないよう豆電球にし、暗がりでテーブルの角に体をぶつけ肋骨(ろっこつ)にひびが入った。身を案じた長女の支援者から「寿美子さんも新発田で安心して暮らしています。お父さんも来ませんか」と電話が来た。「そんなに言うんなら行くべ」。4月16日、寿美子さんの民家へ移った。だが、疲れからか呼吸や歩行が困難になり、9月に入院。介護認定された。
 寿美子さんは小学校入学後、1年余で障害を理由に「就学免除」を通告された。25年前に母親が亡くなり、15年ほど前、相部屋だった福島市の施設を出て自宅へ。1人で食事し、週3日デイサービスに迎車で通い、帰りは電動車椅子に乗りおかずを買って戻る。洗濯も自分でしていた。
 原発震災で弟らも福島県内の仮設住宅などに移った。離れ離れの一家に故郷へ帰れるめどはない。追い打ちをかけるのが補償手続きだ。
 1人暮らしとなった寿美子さんは単身世帯者として賠償請求をしなければならない。1月31日、支援者で自身も脳性まひの渡部貞美さん(58)らが運営する福島県田村市の施設に東電の担当者が訪れた。就学できなかった寿美子さんは会話や読み書きは可能だが、分厚い請求書類には「分からないところも」。避難場所や体調の変化などを伝え、担当者に書き込んでもらった。
 だが、同席した渡部さんが「彼女は避難所で4日間車椅子を下りられず、股関節の痛みがひどくなった」と訴えても、担当者は「元々の障害によるものでは」と意に介さなかった。その後、国は障害者らへ配慮する賠償の「新基準」を公表したが、東電側から見直しの連絡はない。
 渡部さんは懸念する。「ハンディがある人ほど賠償が必要なのに申告しないともらえず、内容を理解して手続きするのは難しい。声を上げられない障害者は、きちんと賠償を受けないままになってしまうのではないか」【野倉恵、写真も】


◇震災弱者:苦難の1年 脳性まひ、福島・南相馬の48歳 民間の力で自立 初の1人暮らし「わくわく」
(2012.02.25 毎日新聞 東京朝刊 29頁 社会面)
 「ハンバーグ弁当10個、空揚げ弁当5個……」。2月17日午前、雪が降りやみ日がそそぐ福島県南相馬市原町区の障害者就労支援事業所「ほっと悠Ms」(鈴木弘子所長)。同所で作り病院などに販売した約80個の弁当の売り上げを集計するため、紺野正直さん(48)が種類と個数をパソコンに入力する。脳性まひで両手足は十分に動かせないが、中空の両手で器用にマウスやボタンを操った。【野倉恵、写真も】
 7カ月の早産のため未熟児で生まれ、3歳からいわき市の養護学校に併設する宿舎で過ごした。障害はあったが、看護師がどの子に何の薬を飲ませるか迷っていると「あの子はこれ飲んでるよ」と全部把握していた「賢い子」(両親)だった。
 高等養護学校を卒業後、福島市の障害者入所施設へ。ビデオ部品製造に携わり、仲間が作った製品の検査も任された。入所者のリーダー的な存在だったが両親が還暦を過ぎた97年、「僕はずっと親と離れていた。これからは一緒に暮らしたい」と、34歳で施設を出た。
 南相馬市小高区の自宅を兄たちが改装した。トイレは専用で浴室には段差がなかった。玄関の台に腰をかけ、外出用の電動車椅子に室内用から乗り換え、近くにある事業所「ほっと悠あゆみ」に1人で通った。障害を持つ友人がアパート暮らしを始めたのを見て、自立を考え始めた時だった。
 毎日新聞 東京電力福島第1原発の事故で自宅は警戒区域となり、福島市の親族宅に一時避難した後、以前過ごした入所施設に身を寄せた。鹿島区の仮設住宅で再び両親と暮らせるようになったのは9月だ。
 だが、仮設住宅の狭い玄関では出入りのたび、父安重さん(76)と母光子さん(75)に「せえの」と車椅子を持ち上げてもらう。トイレも風呂も、段差や狭さで介助があっても使うのは難しい。引っ越して1週間。家の中に閉じこもった。
 一般の仮設住宅にバリアフリー仕様はスロープ程度しかなく、家族と離れて施設に戻る障害者もいた。自治体側は整備を急いだためとするが、阪神大震災以後、全国の被災障害者を支援するNPO法人「ゆめ風基金」の八幡隆司理事は「技術的に可能だったのに、行政が何もしてこなかった」と批判する。
 「紺野君が大変なことになっている」。「あゆみ」は休止中だが、系列の「Ms」は7月に再開していた。ただし、仮設住宅から十数キロ離れ、普段は送迎もしていない。「このままではどこへも行けない」。紺野さんの訴えに、NPO法人「ほっと悠」の村田純子理事長は持ち出し覚悟で送迎実施を決断した。不自由な仮設から事業所に通い作業をこなすうち、紺野さんに再び自立の意志が湧いた。
 事業所の10メートルほど先に、スロープ付きの平屋アパートがある。村田理事長が家主にかけ合い、バリアフリーに改装された。避難者向けの借り上げ住宅の扱いとなり、来月、紺野さんが入居者第1号となる。ヘルパーの助けは受けるが、仮設に置いたポータブルトイレと別れ、いよいよ初めての1人暮らしだ。「不安だけどわくわくする」。民間ネットワークの力をかみしめながら、感謝の気持ちをそう表した。


◇学習交流会:災害時の障害者福祉、東日本大震災を教訓に議論−−徳島 /徳島
(2012.02.19 毎日新聞 地方版/徳島 25頁)
 障害者の共同作業所でつくる「きょうされん」四国ブロックの学習交流会が18日、徳島市内のホテルで開かれた。東日本大震災の教訓をもとに、災害時の障害者福祉の在り方などを話し合った。
 震災後、福島県で発足した「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」の和田庄司事務局長が、被災地での支援活動や、障害者の状況を報告。「自主避難できず、取り残されて孤立する障害者が数多くいた」と説明し、「(障害者の権利を尊重するなどの)合理的配慮が、まだまだなされていない」と訴えた。
 また内閣府の障がい者制度改革推進会議総合福祉部会の小野浩委員が、改革の展望を解説。厚生労働省が示した新法案の概要について、「提言を無視している」と問題点を指摘した。交流会は19日も分科会を開く。【大原一城】


◇障害者施設、休止4割超 福島原発周辺の13市町村
http://digital.asahi.com/articles/TKY201202100646.html
(2012年02月11日 朝日新聞)
「東京電力福島第一原発事故の影響で、周辺13市町村の障害者施設のうち4割以上が運営を休止していることが朝日新聞の調べで分かった。利用者が各地に分散し、再開できないことが主な理由とみられる。逆に近隣の施設には行き場を失った障害者が集中し、運営に課題も出ている。
 第一原発から32キロ離れた福島県南相馬市にある精神障害者らの作業所「きぼうのあさがお」。豆の仕分け作業をしている男性(53)は昨年11月から「あさがお」のグループホームで生活し、作業所との間を往復している。
 震災前に通っていた双葉町の作業所は第一原発のすぐ近くで、今も休止したまま。精神科の病院に8カ月ほど入院した後に「あさがお」を紹介された。「仲間はみんなバラバラになってしまった。もう元通りにはならないと思う」
 「あさがお」のグループホームの利用者は震災前の14人から28人に、作業所は30人から60人に倍増した。職員は23人から27人に増えただけ。運営するNPO法人理事長の西みよ子さん(59)は「人手が足りず、ゆっくり話も聞けない。職員は疲れ果てている」と話す。
 原発事故の警戒区域にある9市町村に、近隣のいわき市や飯舘村などを加えた13市町村に取材したところ、原発から30キロ圏内と計画的避難区域には作業、入所などの施設が56カ所あった。このうち、元の場所や避難先で再開したのは32カ所(57%)にとどまる。「利用者や職員の避難先が全国に広がり、再び集まって施設を再開することは困難だ」という施設が多い。
 福島県障がい福祉課の推計では、この地域での利用者は約千人。再開していない施設の利用者の多くは、避難先や自宅近くの施設を頼っているとみられる。
 房総半島の東南に位置する千葉県鴨川市。海を見下ろす高台に立つ青年の家に、福島県川内村の知的障害者の入所施設「あぶくま更生園」の36人が暮らす。
 施設は第一原発から20キロ圏内の警戒区域にあった。入所者は当初、近くの避難所に移ったが、苦境を知った鴨川市の病院の誘いで昨年4月に施設ごと避難してきた。職員14人は近くのアパートなどに移り住んだ。
 だが、慣れない土地で、入所者の中には突然泣き出したり、自傷行為をしたりする人もいたという。
 今月11日には、福島県が田村市に用意した福祉型仮設住宅に戻る予定だ。施設の女性職員(40)は「入所者も職員もギリギリの状態。行政にはもっと早く帰れるよう支援してほしかった」。一方の県は「大きな施設が戻るには広い敷地が必要。土地を確保するのが難しかった」としている。
 福島県浪江町の作業所「アクセスホームさくら」は、町役場が移転した同県二本松市で昨年8月、民家を借りて再開した。ただ各地に避難した利用者は戻らず、震災前に受注していた内職の作業も失った。渡辺幸江所長(54)は「個人から頂いた義援金もあって何とかやり直せたが、中には再開する気力を失う施設もあるのではないか」と話した。
□建て替え補助に補正予算108億円
 厚生労働省によると、被災3県の沿岸部にあった障害者のための施設のうち、休止中は岩手が1施設、宮城が5施設に対し、福島は32施設と突出している。
 再開を進めるため、同省は今年度の補正予算で、修繕や建て替えの補助金として108億円を計上。施設の管理者の自己負担割合を4分の1から6分の1に抑えた。しかし、休止中の施設の利用者が避難先などで福祉サービスを利用できているかを把握することは困難だ。福島県の担当者は「避難先は多岐にわたり、全員を追跡して調べるのは難しい」と話す。
 「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」の和田庄司事務局長(55)は「自宅や仮設住宅での生活が困難な障害者が、新たに施設利用を求める事例は少なくない。一部の施設への負担が重くなっている」と指摘する。(北上田剛)


◇東日本大震災:ヘルパー不足、半数強 原発事故が影響−−福島市内の障害者介護事業所アンケ /福島
(2012.02.10 毎日新聞 地方版/福島 20頁)
 福島市の介護事業者らでつくる障害者自立支援協議会による障害者の介護サービス事業所へのアンケートで、半数以上が「福島第1原発事故後、ヘルパーが不足した」と回答したことが、関係者への取材で分かった。
 ある事業所は「もともとヘルパーは不足していたが事故が追い打ちを掛けた。障害者が介護を受けながら地域で暮らせるようになってきたのに、入院を余儀なくされる人が増えないか心配。国や自治体は早急に対応してほしい」と訴えている。
 市によると、10年度に居宅介護サービスを受けた障害者は延べ約3500人。中には24時間介護が必要な人もいる。
 協議会は1月、居宅介護や訪問介護などのサービスを提供している市内の27事業所にヘルパーに関するアンケートを実施。「東日本大震災、原発事故の前と比べてヘルパーの過不足状況に変化はあるか」の質問に23事業所が回答、12事業者が「不足した」と答えた。
 ヘルパー不足の理由として「子どもが小さいため、放射能を気にして避難した」「原発事故による転居」などを挙げた。
 今後の見通しについて回答した24事業者のうち75%に当たる18事業者が「不足が予想される」と答えた。「ヘルパーが他県への転居を考えている」など自主避難が増えることを想定した回答のほか「募集しても応募がほとんどない」と答えた事業所もあった。


◇「障害者のSOSに耳を」 福島のNPO代表が講演
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/285821
(2012年02月06日 西日本新聞 朝刊)
「東日本大震災と福島第1原発事故により甚大な被害を受けた福島県南相馬市で、震災直後から障害者支援に取り組むNPO法人「さぽーとセンターぴあ」(同市)の青田由幸代表理事(57)が5日、福岡市で講演した。県内の障害者団体などでつくる県共同作業所連絡会のメンバーが、4月下旬から同法人の運営する障害者施設で支援活動を続けていることから実現。福祉関係者など約150人が参加した。
 同法人の施設は、福島第1原発から約25キロに位置し、震災直後には屋内退避の指示を受けた。7万人いた南相馬市民は一時1万人まで減ったというが、「介助が必要な障害者や高齢者はすぐには避難できない」と同市にとどまった。
 市や福島県と交渉し、震災から1カ月後にはデイサービスも再開。4月下旬からは全国の障害者団体と協力し、障害者と高齢者の被災状況などを把握するため、市内に残るほぼ全員に聞き取り調査した。一般の避難所ではトイレの介助不足や、薬の処方が間に合わない例が多かったという。
 青田さんは「非常時こそ、障害者のSOSを細かく聞き出すことが大切だ」と訴えていた。


◇障害者支援:「災害時何が必要か」考える 福島の施設理事長が講演−−福岡市 /福岡
http://mainichi.jp/area/fukuoka/news/20120206ddlk40040179000c.html
(2012年02月06日 毎日新聞 地方版)
「東日本大震災で被災した障害者たちの体験を通じ、災害時の障害者支援のあり方を考える講演会が5日、中央区福浜の西日本短大福浜キャンパス本館であった。福島県南相馬市の障害者施設「デイさぽーと・ぴーなっつ」理事長、青田由幸さんが、震災当時の状況や今後の課題を語った。
 青田さんは自身も被災したが、震災直後から同施設に通う障害者たちの避難や、施設の再開のために奔走。
 講演会では津波と原発事故で人影がほとんどない同市内や、障害者たちの様子を捉えた写真をスライドで紹介し「震災はいつどこで起きるか分からない。もし起きたら障害者やその家族が避難できるか、どんな支援が必要になるのか考えてみてほしい」と訴えた。
 日本障害者フォーラムが震災後、被害の大きい同市原町区と鹿島区で知的・身体障害者の全戸訪問を実施したところ、聞き取り調査できた492人のうち2割は、どこにも避難できなかったことが判明した。
 講演会を主催した「きょうされん福岡支部」の古賀知夫副支部長は「災害という最も大変な時こそ、障害者には最も支援が必要。支援の手が届きにくい人たちのことを忘れてはいけないと痛感している」と話していた。【夫彰子】
〔福岡都市圏版〕」(全文)


◇災害時要援護者:障害者避難、支援強化へ 政府方針、ガイドライン見直し
(2012.01.30 毎日新聞 東京朝刊 1頁 政治面)
 自力で避難するのが難しい障害者や高齢者ら「災害時要援護者」について、政府は東日本大震災を受け、被害実態の調査と「避難支援ガイドライン」を見直すことを決めた。大震災では障害者の死亡率が高く、障害者団体などが被害の公的調査と共に、従来の支援策が有効に機能しなかったとして見直しを求めていることが背景にある。12年度内の見直しを目指す。
 内閣府は12年度予算案に、避難対策推進の事業費(4500万円)を計上。内閣府防災担当によると、この一部を使い、障害者の大震災時の死亡状況や避難行動、避難しなかった場合の理由、避難後の状況などを調査する。対象となる自治体や調査方法は今後詰める。調査を踏まえ、現在は自治体ごとに異なる名簿の作成方法や取り扱いのほか、要援護者ごとの支援者の確保方法、障害ごと・災害ごとの避難方法も再検討し、ガイドラインを見直す。一定の条件を満たす障害者団体と事前に協定を結び、緊急時に名簿を自治体側が開示して協力し合うことも検討対象という。
 毎日新聞の調査では大震災で岩手、宮城、福島3県の沿岸33市町村のうち、障害者手帳所持者に占める犠牲者の割合は約2%で、住民全体の死亡率より2倍以上高かった。国は05年に避難支援ガイドラインを定め、市町村に避難支援計画の策定や名簿の作成を求めてきたが、津波による逃げ遅れがあったとする自治体も少なくない。
 大震災後、障害者団体などが現地で支援に乗り出したが、福島県南相馬市を除く大半の自治体は個人情報保護を理由に名簿を開示せず、犠牲の詳細は不明。内閣府障がい者制度改革推進会議ではメンバーの障害者団体から「津波警報が聴覚障害者に伝わらなかった」「人工呼吸器装着者らが座して死を待つ状況になった」などの指摘が出ていた。【野倉恵】
◇障害者への賠償、50人集まり学習 原発事故、郡山 /福島県
(2012年01月30日 朝日新聞朝刊 福島中会・1地方 027)
 東京電力への賠償請求について、障害者を対象にした学習会が29日、郡山市で開かれ、弁護士2人が手作りのマニュアルに従って説明した。集まった約50人は手話通訳やパソコンを使った同時要約筆記も利用し、真剣に学んだ。
 説明は原子力損害賠償紛争審査会の指針の位置づけなどから始まり「指針以外のことが認められないわけではない。具体的事実を示して声を上げることが大事」と強調。避難に伴う実費、生活費の増加、避難生活の苦しみをはじめとする精神的損害が賠償対象になることを示した。親や事業所が手続きを手伝う方法や後見制度紹介、福祉作業所での工賃も賠償対象と考えられる、といった障害者特有の問題にも重点を置いた。
◇車いすの避難生活語る 西宮・後藤さん 支援に「幸せ」=阪神
(2012.01.30 読売新聞 大阪朝刊 阪神 28頁)
 東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発事故を受け、福島市から西宮市に避難し、車いすで一人暮らしを続ける後藤明子さん(42)が29日、同市松原町の市勤労会館で開かれた障害者の自立支援をテーマにしたフォーラムで、避難生活について語った。
 後藤さんは、生まれつき骨がもろい先天性骨形成不全症で、外出時は電動車いすを使っている。
 東日本大震災では、両親と3人で暮らす自宅が全壊。両親は地元暮らしにこだわったが、甲状腺がんを発症しやすい体質の後藤さんは、原発事故を受け、県外避難することを決意した。
 避難先を探すうち、西宮市の障害者自立生活センター「メインストリーム協会」のスタッフと打ち解け、7月、同協会を頼って移住。当初は同協会で寝泊まりしていたが、10月には同市内のマンションに暮らし始め、11月には、神戸市の日用品メーカーに採用された。
 フォーラムでは、縁もゆかりもない土地で、不動産会社の担当者が、車いすでも暮らせるマンションを20件以上も案内してくれたことや、入居を決めたマンションの住民らが、温かく接してくれるエピソードを披露し、「最初は大変なことばかりだったが、今はそれ以上に幸せを感じている」と話していた。


◇被災障害者向け、東電賠償学習会 郡山で29日、弁護士ら /福島県
(2012年01月26日 朝日新聞朝刊 福島全県・2地方 028)
 被災した障害者を支援する日本障害フォーラム(JDF)と、日本弁護士連合会などは29日、郡山市虎丸町のホテルハマツで「障がい者のためのわかりやすい東電賠償学習会」を開く。
 JDFには「東京電力の資料は難しすぎて分からない」「避難に伴い介護する時間が増えた。賠償してもらえるのか」「視覚障害で、資料が読めない」などの声が寄せられているという。
 当日は、県弁護士会の弁護士らが、請求できる損害の考え方▽具体的な請求方法▽争う場合の解決の仕組み▽障害者特有の問題――などについて説明。手話や点字訳も用意する。
 JDFは「同じ被災者でも、障害の種別によって置かれている状況は様々。学習会を通じて幅広い支援につなげたい」としている。
 参加無料で、障害者や家族、施設職員らが対象。午後1時(開場は0時半)〜3時、問い合わせは支援センターふくしま(024・925・2428、ファクス024・925・2429)。


◇東日本大震災:被災地の障害者実態調査を要望−−内閣府ヒアリング
(2012.01.24 毎日新聞 東京朝刊 29頁 総合面)
 内閣府障がい者制度改革推進会議が23日開かれ、東日本大震災の被災地で活動する障害者支援団体や自治体からのヒアリングがあった。出席者からは障害者の被害実態の公的調査や、自力で逃げられない要援護者の避難に関する国のガイドラインへ要望が相次いだ。
 政府のガイドラインでは、住民の生命や財産を守るためには個人情報保護条例の例外を適用し、要援護者の住居などの情報を開示できるとしている。だが、原発事故で避難を求められた福島県では南相馬市だけが要援護者の名簿を支援団体に開示した。ヒアリングに参加した同市職員は「政府はもっとガイドラインを周知すべきだ」と訴えた。【野倉恵】


◇震災と要援護者考える 中央区でシンポ 福島の活動報告や講演=兵庫
(2012.01.22 読売新聞 大阪朝刊 神戸 29頁)
 障害者や高齢者など「災害時要援護者」への支援を考えるシンポジウム「災害と障害者のつどい」が21日、神戸市中央区の市勤労会館で開かれた。「東日本大震災と障害者支援―阪神・淡路大震災の教訓はどう生かせたか―」をテーマに、福島県で活動している支援者からの報告や学識者の講演などがあり、約120人が聞き入った。
 福島県の障害者関係団体で構成する「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」の和田庄司事務局長は、同県南相馬市では多くの障害者らが自主避難できず、要援護者のリストはあったものの必要な支援が記載されていなかったことなどを説明。「通所施設の若い職員が県外に避難したままで数が足りていない。作業施設が再開しても仕事がない」と窮状を訴えた。
 神戸大の大西一嘉准教授(防災福祉学)は「要援護者は必要な支援を具体的に想像し、行政に要望するなど声をあげるべきだ」と指摘した。
 聴講者の中には、阪神大震災の経験者も。震災3日後に避難所で夫を亡くした全盲の車谷美枝子さん(60)(神戸市東灘区)は「民間では貸してもらえる住宅が少ない中、借り上げ復興住宅の返還期限が迫るなど、被災直後だけでなく、現在も支援が必要。行政は私たちの意見を聞き、生かしてほしい」と話した。


◇震災時の障害者支援に遅れ 講演会で専門家ら警鐘
http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012012101001885.html
(2012年01月21日 共同通信)
「東日本大震災の経験から災害時の障害者支援を考える講演会「災害と障害者のつどい」が21日、神戸市内で開かれた。講演した専門家らは、震災で浮き彫りとなった災害時における対応の遅れを指摘。阪神大震災を経験した兵庫県でも自治体によって支援体制の整備が遅れている現状に警鐘を鳴らした。
 講演の冒頭では福島県南相馬市のNPOが活動を報告。震災直後に多くの障害者が避難できず取り残されたことや、行政が事前に作成していた障害者など「要援護者」の名簿に多くの漏れがあったことを振り返った。


◇田村市の公費支出請求却下は「過ち」
http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000001112300001
(2011年12月30日 asahi.com マイタウン福島)
「震災による避難で生じた介護費用、障害者が求め県採決
 震災による避難で生じた介護費用の公費支出を田村市が認めていない問題で、県は、同市内の女性の求めを却下した市の処分を取り消す、と裁決した。
 公費支出を求めているのは田村市の鈴木尚美さん(44)。脳性まひで全身を動かすことが難しく、介護なしでは生活できない。
 震災後、4月4日まで介護事業所の職員らと県内外の宿泊施設を転々とした。この間に受けた規定時間を超す介護サービスの支出を市に求めたが「家は住める状態で、避難は自主的な判断」と却下された。
 鈴木さんは県に審査を請求。県は、鈴木さんが自力で安全を確保できず恐怖を感じていた状況を市が調査していないと指摘。「心身に影響を与える事情を調べることは可能だった」とし、市の処分には大きな過ちがあると結論づけた。
 鈴木さんを支援するグループの代表を務める渡部貞美さんは「市の処分が取り消されてまずはよかった。ただ市がどう対応するかはわからないため、今後も市にきちんとした対応を求めていく」と話している。」(全文)


◇廃業ホテルの家具、絆つながり福島に 立川の岩田さんから障害者らの施設へ /東京都
(2011年12月02日 朝日新聞朝刊 多摩・1地方 029 )
 廃業したホテルを起業家たちのオフィスビルに衣替えをする工事がJR立川駅前で進んでいる。大量に残ったのが客室用の机やイス、ベッド。事務所には不向きな家具ばかりだが、さて、その行方は――。人の絆を通じて被災地支援にたどりついた。
 マットレス付きのシングルベッド1台、折りたたみベッド3台、机15台、イス15脚、湯沸かしポット11個、布団一式25組。
 10月20日、立川市柴崎町2丁目にある3階建てのビジネスホテル安川の客室からトラックに積み込まれた家具類だ。「喜んでもらえるだろうか」。こう思いながらホテルを経営する岩田多喜夫さん(55)はイスを抱え、階段を下りた。
 ホテルは1953年開業。スポーツの合宿や遠征試合に出る大学生、出張の会社員らが宿泊してきた。2008年のリーマン・ショックで出張客が来なくなり、震災後、スポーツ大会や対外試合の自粛で大学生が激減。4月下旬に廃業し、起業家支援施設「SOHOプラザ立川」への改装を決めた。
 家具類を処分すべきかどうか、迷っていた岩田さんに、改装を勧めた多摩信用金庫で創業支援を担当する職員、高山友孝さん(56)が言った。
 「捨てるのは簡単だけど、傷んでいないので何かに役立てられるのでは」
 高山さんの同僚のつてで、経営コンサルタント会社「ワークショップ」(千代田区)に引き取り先について相談。川口佐和子社長(52)が東日本大震災のボランティア活動で知り合った富永美保さん(47)に持ちかけたところ、「ぜひ、うちにお願いします」。
 だが、川口さんの会社にトラックはなく、家具類を運べない。友人がフェイスブックで呼びかけると、運転手付きトラックを貸し出す会社「ハーツ」(品川区)が無償で応じた。
 家具は福島県郡山市西ノ内1丁目の民間施設「しんせい」に届けられた。東日本大震災で被災した障害者らの交流の場と緊急時の1次避難所で、11月1日の開所を控えていた。ハーツの山口裕詮社長(42)は「商いで公道を使わせてもらっている恩返し」と思い、自らハンドルを握った。
 川口さんと知り合った富永さんは、この施設を運営する「JDF被災地障がい者支援センターふくしま」の職員。机とイスは施設のフロアに置かれ、利用者らの憩いの場になっている。
 富永さんが岩田さんに送った礼状には「つながり∞(無限大)ふくしま」と書かれた若葉マークの缶バッジと2粒のヒマワリの種が同封されていた。障害者たちが震災後、南相馬市内で作った商品だ。こんなカードが添えられている。
 〈「ふくしま」は祈ります。この悲しみを繰り返さないことを。「ふくしま」は願います。あなたの故郷がいつまでも美しくなることを。〉
 あの時、家具を捨てていれば、被災地とのつながりも、見ず知らずの人たちとの縁もできなかった。
 岩田さんの心は温かくなった。(辻岡大助)


◇災害時の障害者支援探る 集いに250人、課題を提起 大阪 /大阪府
(2011年11月24日 朝日新聞朝刊 大阪市内・1地方 029)
 東日本大震災で被災した障害者の支援のあり方を考える集い「3・11東北・関東大震災 そのとき障害者は!」が23日、大阪市内であった。約250人が参加し、宮城、福島両県の障害者や支援者による現状報告や課題提起に聴き入った。
 脳性まひによる重度障害があり、車いすでの生活を送る井上朝子さん(26)=仙台市=は、避難所の混雑で居場所がなく、仲間と事務所で過ごした体験を報告。「周りは障害者の生活の実態をあまり知らない。普段からの地域とのつながりが大事」と指摘した。
 福島県南相馬市で支援活動をするNPO法人の青田由幸代表理事は「福祉サービスを受けている障害者は地域の30%だけ。70%は大変なことになっている」と述べ、災害時に要援護者が支援の網から抜け落ちない仕組みづくりを訴えた。(宮崎園子)


◇東日本大震災:缶バッジで福島を応援 23日、秋田・市場まつりで販売 /秋田
(2011.10.14 毎日新聞 地方版/秋田 21頁)
 東日本大震災の被災地を支援しようと、23日に秋田市中央卸売市場(同市外旭川)で開かれる「がんばろう東北!東日本大震災復興支援 平成23年度市場まつり」で、福島県南相馬市と楢葉町の八つの福祉施設でつくる「南相馬ファクトリー」製の缶バッジが販売される。
 毎日新聞 東京電力福島第1原発の事故で、現地の障害者が働く施設は、避難を指示されたり仕事が減るなどの影響を受けた。南相馬ファクトリーは入所者の働く場と仕事を取り戻すために今夏設立された。
 缶バッジは南相馬ファクトリーによる仕事づくりの一環。「つながり∞カンバッジ」と名付け、直径2・5センチと3・2センチの2種類を一つずつ手作りしている。「南相馬応援隊」「福島が好き」などの文字やヒマワリの絵などのデザインは入所者らが考えた。
 缶バッジにはヒマワリの種が2粒付く。購入者に花を育てて種の一部を南相馬ファクトリーに送ってもらい、入所者らが種から食用油やバイオディーゼルを作る計画だ。
 大小とも1個150円。秋田市中央市場協会が試験販売すると、3週間で100個売れたという。同協会の最上徹専務理事は「たくさんの人にまつりに来てもらい、被災地を忘れないで応援してほしい」と話している。
 当日は被災地産の野菜や果物、水産物が販売されるほか、市民が参加する競りも行われる。問い合わせは同協会(018・869・5255)へ。【小林洋子】


◇「避難所、障害者に優しくない」 名古屋・中村区でシンポ、震災被災者語る /愛知県
(2011年10月10日 朝日新聞朝刊 名古屋・1地方 031)
 東日本大震災の際に障害者がおかれた状況について語るシンポジウム(県重度障害者団体連絡協議会主催)が8日、名古屋市中村区の県産業労働センターであった。約100人の参加者を前に、福島県や宮城県で被災した障害者らが当時の状況を説明した。
 脳性まひで車いす生活を送る仙台市太白区の井上朝子さん(26)は事務局長を務める障害者支援団体の事務所で被災。避難所の小学校体育館に出向いたものの、多くの人が押し寄せてきて車いすでは移動できない状態に。仕方なくほかの障害者らと倒壊の恐れもある事務所に戻り、各自が持ち寄った食糧を食べながら数日を過ごしたという。
 後日、障害者の状況を調べようと避難所を回っても、ほとんど姿はなかった。多くは車中で過ごしたり、親戚の家を転々としたりしていたといい、井上さんは「避難所は障害者に全然優しくない。障害者はいつでも後回しになる」と訴えた。


◇東日本大震災:復興願う缶バッジ人気 福島の7障害者事業所
(2011.10.06 毎日新聞 東京夕刊 12頁 社会面)
 毎日新聞 東京電力福島第1原発事故の影響で一時避難したり、避難生活を余儀なくされた福島県南相馬市と楢葉町の7障害者事業所が、「仕事おこし」として作り始めた缶バッジが人気を集めている。ひまわりの図柄や「福島好きだよ」というロゴが書かれ、生産2カ月で3万個以上の注文が入った。発案した同市の事業所「えんどう豆」の所長、佐藤定広さん(49)は「慣れない避難生活で落ち着きを失っていた障害者も、生き生きとした表情に戻った」と喜ぶ。
 福島第1原発から近い南相馬市は事故後、立ち入り禁止の警戒区域や緊急時避難準備区域、指定から外れた一般の区域などに分割され、多くの住民が避難。知的障害者らが通う事業所も一時閉鎖された。6月ごろから順次再開されたが、配達を請け負っていたメール便が少なくなるなど仕事は激減。通所者にもわずかな給料しか出せなくなった。
 「再生」に向け、大きく動き出したのは今夏。同市内の6事業所と、同県楢葉町からいわき市に移って仮施設で再開した事業所「ふたばの里」が連携して「南相馬ファクトリー」を結成。代表に就いた佐藤さんらの発案で缶バッジの生産を始めた。
 ひまわりなどのデザインは相談して決定。8月から作り始めたところ、全国の障害者の事業所などから「イベントで販売したい」と注文が次々入るようになった。事業所で働く障害者が描いた猫の絵をあしらったバージョンも作製。歌手の矢井田瞳さんのコンサートグッズの缶バッジも「復興支援のため」と注文があった。
 「えんどう豆」で図柄のプレス作業を担当する男性(32)は「全国に広まってくれてうれしい」と笑顔を見せる。佐藤さんは「事業所に来て仕事をできることで彼らも普段の生活を取り戻している」と話す。
 1個150円で、数種類のデザインを詰め合わせた10個入り箱は1250円、100個入りは1万2500円で販売している。注文は同ファクトリー(0244・23・4177)。【遠藤孝康】


◇震災時介護、孤立の不安(中)
http://www.kahoku.co.jp/spe/inochi/20110930_02.htm
(2011年9月30日 河北新報)
「◎医療・福祉の現場
<職員戻らぬ病院も/大川原順子さん>
 郡山市にある太田綜合病院付属太田熱海病院に勤務している。震災後、福島県富岡町の特別養護老人ホームの入所者が郡山市の公共ホールに避難してきた。県の災害マニュアルに従って避難したら、どの施設も満杯で4カ所目でようやく入れたとのことだった。しかし、床に寝るだけの状態で体調を崩すことが懸念されたので、太田熱海病院の院長の判断で修復の終わった病棟に受け入れた。
 県内の避難所では、介護サービスが使えなかった人、寝たきりになってしまった人がたくさん出ていた。何とか介護保険サービスを届けたいと、1次判定だけでケアプランをつくれる方式を導入した。ビッグパレットふくしま(郡山市)で始まった方式で、今は県全域で実施している。
 原発事故後、避難した病院職員はたくさんいたが、多くの人はすぐに戻ってきた。しかし、職員の戻らない病院もある。
 子どものいる母親や妊婦は戻りたくても戻れない状況にある。被ばくによる健康被害を選ぶのか、避難による生活崩壊を選ぶのかということを突き付けられている。
<県内外に一時避難/佐藤正広さん>
 ふきのとう苑は相馬市にある障害者支援施設で、福島第1原発から38キロの距離にある。入所者は53人で、最も重い区分の障害者が約6割を占め、遷延性意識障害者は7人いる。
 震災での施設被害はそれほど大きくなかったが、自宅が流されたり、家族が被害に遭ったりした職員が多く、人員確保が難しかった。
 南相馬市にある協力病院をはじめ、ふきのとう苑以南の病院は全て(原発事故で)閉鎖された。利用者の安心、安全確保のため施設全体で避難することを決め、関係機関と調整した。
 福島県内で重度障害者を受け入れられる施設に空きがなかったので、重度の利用者は県外に避難することになった。避難者は県内施設が8人、県外施設が33人だった。
 体調管理が心配だったが、相馬市に来ていた災害派遣医療チームの医師が同行してくれた。避難中に体調を崩す入所者は1人もいなかった。
 4月になって利用者や家族から施設再開の要望が上がり、準備を進めた。5月末には震災前とほぼ同じ利用状況に戻った。
■パネリスト ・患者家族  園田淳子さん(55)=仙台市太白区= ・患者家族  車谷晴美さん(48)=須賀川市= ・福島県医療ソーシャルワーカー協会会長  大川原順子さん(60)=郡山市= ・障害者支援施設「ふきのとう苑」施設長 佐藤正広さん(64)=相馬市= ■司会  沼田孝市・宮城県ゆずり葉の会会長」(全文)


◇ピープルファースト大会:震災被災の障害者ら報告 全国から570人−−戸畑 /福岡
(2011.09.19 毎日新聞 地方版/福岡 21頁)
 知的障害などを抱える人たちが自ら企画・運営し、互いの悩みや法制度などについて意見交換する「第17回ピープルファースト大会福岡」が17、18日、戸畑区のウェルとばたであり、全国から約570人が参加した。東日本大震災で被災した東北の障害者や福祉施設からの報告もあり、参加者は熱心に耳を傾けていた。
 18日にあった「震災について」の分科会では、福島県南相馬市でNPO「さぽーとセンターぴあ」が運営する障害者施設「ぴーなっつ」を利用する女性が、新潟県長岡市での約1カ月間の避難生活を振り返り「避難所では薬をもらうのに苦労した」などと発表した。
 ぴーなっつの郡信子施設長は「最初に逃がさなくてはいけない高齢者や病人が最後まで残っていたのが実態」と報告。「避難所から仮設住宅に移る人が増えているが、スロープもなく家の中には段差がある。相談が多く寄せられるが、県や市に言っても対応できない」と指摘し「放射線に脅かされて生活している」と窮状を訴えた。
 一方、介護や特別な支援が必要な被災者を受け入れる「福祉避難所」について北海道の男性支援者は「避難所を分ける必要はないという考え方もあるが、大声を出す障害者のことを家族が心配して車中で寝泊まりしていたケースもあった。障害に理解のある人が支援しないと、障害者や家族のストレスがたまっていく」と訴えた。【佐藤敬一】〔北九州版〕


◇田村市、公費支出を却下 障害者女性、避難で新たに介護 県に審査求める /福島県
(2011年09月05日 朝日新聞朝刊 福島全県・1地方 029)
 重い障害を持つ田村市の女性が、震災による避難生活で新たに必要になった介護費用について公費の支出を求めたところ、市が却下していたことがわかった。国は震災後、障害者に対して柔軟な対応をとるように通知し、他の自治体は同様の支出を認めている。女性は県に審査を求めている。

 同市の鈴木尚美さん(44)は脳性まひで全身を動かすことが難しく、車いすで生活する。介護なしでは食事やトイレができず、日中は事業所で介護を受け、朝晩はヘルパーが自宅に訪問する。訪問介護は1カ月に235時間まで公費の支出が認められている。
 震災後、自宅は落下したガラスが散乱。事業所の仲間や職員と避難し、県内外の宿泊施設を転々とした。慣れない環境はトイレや食事、移動などいつもよりヘルパーの手を借りることが多く、4月4日に自宅へ戻るまで、規定より計32・5時間多く介護サービスを利用した。
 鈴木さんは5月、増加した時間分(約6万5千円)も公費から支出するよう田村市に申請したが、6月27日付で却下された。市は、鈴木さんの自宅は原発事故による避難区域でもなく、全半壊の状態でもないとし、「自主的な判断による避難であり、増加した時間分は公費で支出できない」と説明する。
 これに対し、他の自治体は震災で必要になった介護を積極的に認めている。福島市は50歳代の2人に、規定より45時間長く身体介護を認め、公費を支出した。いずれも一人暮らしで、避難先でのトイレなどに通常より時間を費やした。自宅は無事で、避難区域でもない。厚生労働省は震災後、障害者が不利益を受けないよう、各種制度の弾力的な運用を自治体に通知しており、郡山市、相馬市も同様の措置を執っている。
 鈴木さんは「私は介護がなければ何もできない。なぜ田村市は公費を出してくれないのか」と訴える。(神田大介)

 ◎震災で障害者後回し
 障害者問題に詳しい中島隆信・慶応義塾大教授の話 震災の大きな被害の陰で、少数者である障害者の要望が後回しにされていないか。行政は基本ルールから外れた仕事が苦手。国は今回のような場合を想定し、運用を地方任せにしないことも考えるべきだ。


◇「缶バッジ」販売自立促進 南相馬、楢葉の8福祉作業所=福島
(2011.08.20 読売新聞 東京朝刊 福島2 28頁)
 東京電力福島第一原発事故の影響で、仕事が激減した南相馬市と楢葉町の八つの福祉作業所が連携し、作業所で働く利用者がデザインした「缶バッジ」を販売する取り組みを始めた。7月中旬からの約1か月間でボランティアで訪れた個人や全国の団体から約20件の注文があり、被災した障害者らの自立促進に役立っている。
 緊急時避難準備区域に指定されている同市原町区上高平の精神障害者の福祉作業所では震災後、3人いた職員のうち2人が市外へ避難。9人いた利用者も約半数が県内外へ避難。6月中旬まで業務を再開できなかった。例年、ジャガイモ、ネギ、白菜、サツマイモなどの畑仕事をしていたが、今年は原発事故の影響で、作付けができず、人手不足もあり、草木染めなど手製品作りやダンボールなどの資源回収もできなくなった。利用者の工賃は半減、わずか数千円となった。他の作業所でも工賃が激減。地震で全壊した作業所もあった。
 そこで、南相馬市内の福祉作業所が連携し、「南相馬ファクトリー」を結成し、新たな仕事起こしに取り組んでいる。代表の佐藤定広さん(49)は「元の仕事に戻すのは難しいかもしれない。新しい仕事を見つけて、何とか震災前の工賃に戻したい」と話す。
 缶バッジは、直径2・5センチと3センチがあり、相馬市の県立相馬養護学校の生徒などがデザインした「ひまわり」や菜の花がシンボルとなっている。10個(1500円)と100個(1万5000円)で販売する。佐藤さんは「缶バッジをつけて、被災地とつながってほしい」と話す。
 問い合わせは佐藤さん(0244・23・4177)へ。


被災障害者 孤独死防げ――日本障害フォーラム報告会
(2011年7月14日 しんぶん赤旗)
 分野の異なる障害者団体でつくる日本障害フォーラム(JDF・小川榮一代表)は13日、国会内で、JDFが取り組む被災障害者支援活動の報告会を開きました。
 JDFは東日本大震災発生直後、被災障害者総合支援本部を設置。全国の加盟団体から支援にかけつけました。同本部の藤井克徳事務総長は、障害者の被害の全容がいまだに明らかになっていないと指摘しました。
 「みやぎ支援センター」(仙台市)からは阿部一彦代表が、JDFの支援を受けながら宮城県内の障害者団体がネットワークをつくって当事者の支援、復旧・ 復興のあり方を発信していることを紹介。「2次障害や関連死、孤独死などを防ぎ、震災前より障害者が暮らしやすい社会を」と復興へ向けて障害者が排除され ない町づくりを訴えました。
 「支援センターふくしま」(郡山市)からは、白石清春代表と穴沢信弥事務局次長が、南相馬市と連携し、同市が把握する障害者への訪問調査活動の取り組み を報告。また、東京電力福島第1原発事故の影響で、障害者施設の職員が不足しているなか、他地域からの支援が少ないことを強調しました。
 森祐司政策委員長は政府に対して、▽被災障害者の実態把握の実施▽当事者参加の復興計画策定▽仮設住宅のバリアフリー化―など今後の復興に向けた8項目の要望を出したと述べました。
 同本部長でもある小川代表があいさつしました。

被災障害者支援へ歌のリレー 音楽療法士ら、埼玉で開始
(2011年7月9日 asahi.com > エンタメ > 映画・音楽・芸能 > 音楽)
 東日本大震災で被災した障害者らを支援しようと、音楽療法士らが埼玉県内各地で連続コンサートを始めた。寄付先は福島県の障害者団体。開催地の住民の協 力を得ながら、新たな出演者も加わる公演をリレーのように引き継ぎ、息の長い支援を目指す。10日は川越市で第2回公演が開かれる。
 「福島は5月、ひっそりとしていた。被害に心を痛めながら、私のできることは何かと考えました」
 東松山市の高坂市民活動センターで6月19日、約100人の聴衆を前に、市民でもあるメゾソプラノ歌手鈴木裕子(ゆうこ)さん(48)が、故郷の福島市を訪ねた時の様子を報告した。支援を呼びかけ、「エーデルワイス」を高らかに歌った。
 所沢市出身のソプラノ歌手酒井ゆきさんと、川越市のピアニスト藤井祥子さん、パーカッションの能瀬礼子さんも出演。クラシック歌曲や日本の唱歌などを披露し、「上を向いて歩こう」を全員で合唱した。
 酒井さんは「被災地では障害者のデイサービスのニーズが高くなり、スタッフが足りない」と、福島県の窮状を説明した。公演での収益と寄付金の計約10万円は、JDF被災地障がい者支援センターふくしま(福島県郡山市)に贈られた。
 鈴木さんと酒井さんは、障害者や高齢者と歌で心の交流をする音楽療法士。鈴木さんは、震災前の2月27日、福島市で公演し、酒井さんも出演。酒井さんは3月、被災した故郷を心配する鈴木さんに、障害者を支援する連続コンサートを提案した。
 同センターによると、避難した障害者は、仮設住宅が提供されても、バリアフリーでないため風呂などが使えず、住めない場合もある。同県南相馬市では、自宅に戻って支援を求める障害者が増えている。県外に出た4万人近い障害者への支援も課題という。
 酒井さんらは「チャリティー・コンサート・リレー事務局」を発足させた。第1回公演の東松山では、市地域づくり支援課や市社会福祉協議会が協力し、障害者も来場した。会場アンケートには、「みんなが一つになれた」と喜ぶ声も書かれていた。
 第2回公演は川越市の子育てグループも準備に参加。第3回は8月6日午後4時から所沢市久米の「アド・リブ」で開く予定で、熊谷市での開催も検討している。
 鈴木さんは被災地での公演にも積極的。5月に福島市の避難所で唱歌「故郷(ふるさと)」を避難者10人と一緒に歌ったところ、「涙を流した方がいた」という。今月30日にも市内の避難所で公演する予定だ。
 10日の公演は午後2時半、川越市小堤の名細(なぐわし)市民センターで開演。入場料は中学生以上が千円で、小学生以下は無料。駐車場が狭いため公共交通機関などでの来場を呼びかけている。問い合わせは酒井さん(090・6705・8501)へ。(村野英一)


◇作業所製品を販売 南相馬の障害者施設を手助け あす杉並の職員ら企画 /東京都
(2011年06月25日 朝日新聞朝刊 東京都心・1地方 029)
 福島県南相馬市の障害者施設を支援しようと、杉並区の障害者施設職員らが26日にイベントを開く。震災と東京電力福島第一原発事故で、同市の障害者施設は一部しか再開できていない。福祉作業所2カ所で作られた製品を売り、今後の支援の第一歩にする。
 南相馬市は大半が福島第一原発の半径20キロ圏内の警戒区域や計画的避難区域、緊急時避難準備区域に指定され、障害者施設の多くが閉じられたままだ。
 杉並区が災害時相互援助協定を結ぶ南相馬市の支援に力を入れているのに呼応し、今回は民間と区立の障害者施設職員らが企画した。同市で再開された通所型作業所の「ビーンズ」で作られたさをり織りと、「きぼうのあさがお」の豆乳や油揚げ、ごま豆腐などを売る。
 「ビーンズ」の建物は原発30キロ圏外にあったが、地震で損壊した。現在は30キロ圏内で同じNPO法人が運営する施設の建物を間借りし、4月11日に再開した。
 現在の施設は緊急時避難準備区域内。自力での避難が困難な子どもや要介護者、入院患者などは立ち入らないよう政府が求めている区域だ。それでも再開したのは、障害者や家族らが次々と避難先から自宅に戻っているためだ。避難所での集団生活になじめなかったり、親戚宅での長期滞在が難しくなったりしている。郡信子施設長(50)は「家族からSOSが出ており、施設を開かないわけにはいかなかった」と言う。
 だが、さをり織りなどの製品の販路は断たれた状態。県内の出荷先も震災や原発事故の被害を受けた。作業所の利用者は増え、震災前に月3万円ほどだった人の賃金は現在、10分の1ほど。郡施設長は「確実な販路がほしいので、本当にありがたい」と話す。
 26日午前11時〜午後3時、杉並区堀ノ内1丁目の済美養護学校体育館で。宮城、福島両県の福祉作業所の製品や、福島県産野菜も販売される。参加費千円。必要経費以外は、南相馬市の障害者支援の義援金に充てる。(武井宏之)


◇希望新聞:東日本大震災 ボランティア 障害者ニーズ、刻々と変化
(2011.06.22 毎日新聞 東京朝刊 26頁 運動面)
 ◇NPO法人「ゆめ風基金」理事・八幡隆司さん(53)
 被災地の障害者支援を展開するNPO法人「ゆめ風基金」(大阪市東淀川区)の理事、八幡隆司さん(53)=写真=は3月から、東日本大震災の被災地に赴き、避難所や地域で生活する障害者の支援をしている。
 同基金は95年の阪神大震災を機に設立。メンバーは同震災時のノウハウを生かし、さまざまな地域で災害が起きるたびに被災地を訪れて、障害者支援に取り組んできた。八幡さんは過去に訪ねた災害現場で、障害者が避難所や地域で取り残される事例を見てきた。このため、東北の被災地では、障害者を探し出してニーズを聞き取る作業に必死に取り組む。
 実際、障害児をかかえて親類宅を転々としたり、「周囲の避難者に迷惑をかける」として、ライフラインが途絶えたままの自宅に戻って生活する障害者とその家族がたくさんいた。八幡さんはそんな家族に出会うたび、食料や発電機、おむつなどの物資を届けたり、福祉サービスや医療機関とつなぐ役割を果たした。
 これまで東北の被災地で出会った障害者は約150人。障害者らのニーズは刻々と変化しており、現在では病院の送迎や見守り支援が多い。「障害者が地域で暮らしていける社会が理想。今はそのための支援だと思っています」と話す。
 同基金は最低1週間以上継続して活動できるボランティアを募集している。障害者ヘルパーの経験がある人が望ましい。問い合わせは同基金(06・6324・7702)。【細川貴代】


◇希望新聞:東日本大震災 ミニニュース シンポ「被災地の現状から考える」
(2011.06.18 毎日新聞 東京朝刊 28頁 運動面)
 ◇ボランティア国際年+10推進委員会設立記念シンポ「東日本大震災における被災地の現状から考える」
 28日14時半〜17時、東京都渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センター。被災地支援を通して見えてきたコミュニティーづくりや市民活動の課題を検討する。
 災害時の障害者支援に取り組む「ゆめ風基金」の八幡隆司理事▽国際協力NGO「ACE」の岩附由香代表▽福島県郡山市の避難所ビッグパレットで自ら避難生活を送りながらボランティアセンターをつくった古内伸一・川内村社会福祉協議会職員――の3人がパネルディスカッションをする。
 参加無料、先着160人。申し込みは▽シンポジウム名▽氏名▽所属団体▽電話番号▽ファクスまたはメールアドレス――を明記し、ファクス(03・3581・7858)かメール(info@hirogare.jp)で。問い


◇希望新聞:東日本大震災・サポート情報 31日現在
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110601ddm035040196000c.html
(2011/06/01 毎日新聞 東京朝刊)
(中略)
 ■障害者
 被災地障がい者センターいわて 相談電話 電話019・635・6226(月〜土9〜18時)
 被災地障がい者センターみやぎ 相談電話 電話022・746・8012(月〜土10〜18時)
 被災地障がい者支援センターふくしま 相談電話 電話024・925・2428(無休10〜16時)


◇【東日本大震災】「災害弱者」どう守る 寝たきり置き去り、若い身障者名簿なく(1/2ページ)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110530/trd11053014310015-n1.htm
(msn産経ニュース 2011/05/30)
「東日本大震災を通じ、災害時の障害者や難病患者、高齢者らの避難態勢の在り方に課題が突きつけられた中、東京電力福島第1原子力発電所の事故があった福島県内でも、関係者が、極限状況の中でどうやって「災害弱者」を守るのかという命題に突き当たっている。支援団体などは今後に備え、独自の避難計画の作成や、訪問調査による必要な支援の把握といった取り組みを進めている。(伐栗恵子)
「放射能パニック」線量ガイド作製
 原発事故を受け、市域の一部が一時屋内退避区域となった福島県いわき市では、食料やガソリンなどあらゆる物資が入らなくなり、医療や介護の機能が著しく低下して市外へ避難する住民が相次いだ。
 「放射能パニックだった」と、NPO法人「いわき自立生活センター」の長谷川秀雄理事長(57)。中には、在宅で暮らす寝たきりの重度障害者が避難する家族に置き去りにされたケースもあったといい、「極限状態の中で判断能力が失われ、自分の身を守るのに必死だったのだろうが、ショックを受けた」と打ち明ける。
 震災6日目の3月16日、「このままでは命を守れなくなる」と、センター利用者やスタッフら30人規模での集団県外避難を決めた。意思確認や準備に手間取り、出発できたのは19日。東京の施設で約1カ月の避難生活を送り、4月17日にいわき市に戻ったが、この体験を教訓に、災害弱者のために必要な備えを検証し、避難方法などをまとめることにした。」(全文)
「「障害者や高齢者の避難には時間がかかる。皆が動き出す一歩手前で、行動を起こすことが重要」と長谷川さん。防護服やマスクなどを着用した避難訓練も実施した上で、避難の目安となる放射線量などを明記したハンドブックを約2千部作製。県内の障害者施設などに配布している。
 一方、原発から20〜30キロ圏の大半が緊急時避難準備区域に指定された南相馬市では、市とNPOが共同で、障害者が置かれた状況や必要な支援を把握する訪問調査を進めている。
 実動部隊は、地元のNPO法人「さぽーとセンターぴあ」のスタッフやボランティアら。一軒一軒訪ね歩き、発達障害の子供2人を抱えて途方にくれる母親や、知的障害の子供と2人で暮らす父親が入院していたケースなどを掘り起こした。不在の家には連絡先を記したチラシを投函。すると、助けを求める電話が頻繁にかかってきた。
 支援が必要な人々は、市の災害時要援護者名簿から抜け落ちていた。名簿は65歳以上の重度身体障害者が中心だったからだ。調査結果は市が策定する避難計画に反映されるが、同法人の青田由幸代表理事は「実際の支援につなげる仕組みが重要」と強調。障害者が安心して過ごせる福祉避難所やバリアフリーの仮設住宅の必要性を訴えている。」(全文)


【東日本大震災】筋ジス患者「あきらめましょう 介助交代の合間の死
(2011/05/30 msn産経ニュース)
「東日本大震災では、障害者や難病患者の救命の難しさが改めて浮き彫りになった。全身の筋肉が萎縮していく筋ジストロフィーを患い、人工呼吸器をつけて車 いす生活を送っていた佐藤真亮(まさあき)さん(35)=福島県いわき市=も、救助のさなかに津波の犠牲となった一人。「もう、あきらめましょう。それ が、最期の言葉となった。
 佐藤さんはヘルパーの介助を受け、海沿いにある自宅で80代の祖母と暮らしていた。
 あの日、週に3日通うNPO法人「いわき自立生活センターから午後2時半ごろに帰宅し、4時に交代のヘルパーがくるまでの空白の時間帯に地震が起きた。近所の親族が駆けつけ、津波が迫る中で助け出そうとしているとき、佐藤さんが冒頭の言葉をつぶやいたという。
 今月28日に葬儀が営まれ、同法人の長谷川秀雄理事長も参列した。「もしヘルパーがいたら、助けられたかもと悔やむ一方で、「人工呼吸器などをつけた患 者さんを避難させるには人手も時間も必要。緊急時に助けてくれる近所の人などを見つけておく必要があると痛感したと話す。
 一方、災害弱者の避難に関する実情は、NPO法人「被災地障がい者支援センターふくしま(福島県郡山市)が4月に実施した調査に見ることができる。
 スタッフらが県内の避難所198カ所を訪問し、確認できた障害者は約110人。和田庄司事務局長は「思いのほか少ないと感じた。避難所に行ったものの過 酷な環境に耐えられなかったり、病状を悪化させたりして自宅に戻った人、周囲の迷惑になると最初から行くのをあきらめていた人が相当数いたという。
 和田さんは「状況は刻々と変わる。それに対応した支援が求められると指摘している。(全文)


シリーズ大震災 福島から(2)避難所生活で病状悪化
(読売新聞 2011年04月28日)
 「できるなら福島県に帰りたい。でも、この体では過酷な避難生活には耐えられない」
 福島第一原発の事故で、避難指示が出た20キロ・メートル圏内にある南相馬市小高区の松本寿美子さん(52)は、脳性まひのため両手両足が不自由で、車いすで生活している。今は新潟県新発田市の民家に身を寄せる。
 避難指示が出た後、実弟ら家族とともに自宅を出た。南相馬市内の避難所の小学校で寝起きするのは、冷たい床にマットと毛布を敷いただけの寒い体育館。持病の股関節や腰の痛みが日に日に増していった。
 障害者用トイレはあったが、一人で使えるよう工夫された自宅のものとは違い、使う時は手助けが必要だった。周囲に遠慮し、トイレの回数を減らそうと、足 のむくみを取るため服用してきた利尿剤をやめた。すると、足首は周囲が40センチを超えるほどむくんだ。後でわかったことだが、股関節は外れた状態だっ た。
 友人を通じて知った福島県田村市のNPO法人「ケアステーションゆうとぴあ」の助けで、3月25日、新潟県へ。自宅が避難区域となったヘルパー一家との生活にほっとしているが、先が見えない不安はつきまとう。
 「健康状態の良くない人には、体育館での生活は大変過ぎる。家に帰れれば何の問題もないのに」と松本さん。避難した体育館には、ほかに5、6人の障害者がいたという。
 20〜30キロ・メートル圏に当たる南相馬市原町区の山田せつ子さん(68)は、脳梗塞で右半身まひがある姉(73)を介護している。一時は屋内退避区 域とされ自主避難が求められたが、家を出る気にはなれなかった。「姉を動かしたり避難所暮らしをさせたりしたら、かえって悪くなって死んでしまう」と心配 する。
 原発事故で避難を求められた住民の中でも、体の弱った高齢者、病気や障害を抱える人たちは、健康な市民以上の困難に直面している。体調を心配して避難できずにいたり、避難生活で症状が悪化したり。事態が長期化するほど深刻だ。
 県内の避難所を回り、こうした人たちを支援している民間団体「被災地障がい者支援センターふくしま」には、30キロ・メートル圏内の自宅にいる人から 「車いすでも暮らせる避難所はどこか教えてほしい」といった相談が寄せられる。しかし、県も個々の避難所がどのような設備を備えているかは把握できていな いのが実情だ。
 代表の白石清春さんは「無理な環境での避難生活は命にかかわる。体調の良くない人や体が不自由な人に配慮した避難所を整備してほしい」と訴えている。」(全文)


東日本大震災:精神障害者、つらい避難生活 ストレスでトラブルも
(毎日新聞 2011年4月21日 東京夕)
◎情報開示なく、安否確認進まず
 東日本大震災の被災地で、精神障害者も満足な支援を受けられない生活を強いられている。宮城県南三陸町の避難所には、精神障害者のグループホーム「希望 が丘」の入居者全員が集団避難。環境の激変で症状が悪化し避難所の運営側とのもめ事も起きた。13の障害者団体で組織された「日本障害フォーラム (JDF)」は、宮城、福島両県の避難所を訪問し安否確認や現状調査をしているが、行政の情報開示がなく実態把握は進んでいない。
 「ストレス解消に外出したい。移動支援など福祉サービスを利用できないか」
 希望が丘のサービス管理責任者の千葉文子さんは17日、避難所の宿泊施設「平成の森」で、調査に訪れたJDFメンバーで埼玉県行田市の福祉施設に勤務す る小野寺孝仁さん(47)らに訴えた。小野寺さんは「使えるサービス事業者を探して連絡します」と約束。そして事前の聞き取り調査で要望された演歌のCD とラジカセなどを千葉さんに手渡した。
 避難生活の場は個室だが、8畳間に、入居者5人と近所から避難してきた精神障害のある1人が入り、満足な睡眠が取れない。
 ある男性入居者は、避難生活や実家が浸水したショックで症状が悪化し、攻撃的な振る舞いが目立つようになったという。当番制のトイレ掃除を深夜にしてし まい、運営側との間でトラブルになった。他の入居者の睡眠を妨害することもあり、全員がストレスを抱えているが、千葉さんは「解決策は見つからない」と嘆 く。
 精神障害者にとっても避難所生活はつらいが、一方で安否確認は進んでいない。JDFは避難所を訪ね歩き障害者から聞き取り調査を続けており、19日まで に訪問した避難所は240カ所。そのうち安否確認や支援できた障害者は140人で、県内沿岸部の障害者手帳所持者5万3511人のうち0・3%に過ぎな い。
 JDFは県や各市町村に障害者の情報開示を求めているが、応じたのは東松島市のみ。同市はJDFに、在宅や避難所にいる障害者の情報、安否確認、必要な支援などの聞き取り調査を委任し報告を受けている。
 JDFみやぎ支援センターの小野浩事務局長は、個人情報保護法の制約を緩和するよう、障害者手帳の情報開示を政府などに要望する準備を進めている。「自治体が被災するなど今は普通の状態ではない。国難を乗り越えて命を守るために柔軟に対応すべきだ」と訴えている。
 JDFは、被災地の障害者や家族に対し、安否情報や、必要な支援内容の情報提供を呼び掛けている。問い合わせは、みやぎ支援センター(080・4373・6077)、ふくしま支援センター(024・925・2428)。【泉谷由梨子】」(全文)


希望新聞:東日本大震災 ボランティア 障害者救援本部を設立 長期の支援態勢、必要
(2011年4月20日 毎日新聞)
 障害者団体の全国自立生活センター協議会(JIL)などが設立した東日本大震災障害者救援本部(東京都)が、仙台市と福島県郡山市の2カ所を拠点に、障 害者の被災状況を確認し、相談や支援物資を届ける活動を行っている。中西正司代表(JIL常任委員)は「震災の犠牲者や行方不明者の多くは逃げ遅れた高齢 者や障害者。まだ余震や津波のおそれもあり、長期の支援態勢を作っていく必要がある」と語る。
 学校の体育館や公民館が使用されている避難所は、廊下と部屋との間の段差や、トイレの使いにくさなど障害者にとって安全な場所とはいえない。「障害が重 い人ほど、家族とともに取り残される」(中西さん)といい、被災地の巡回では、在宅の障害者がいることが前提だ。介助が必要な人がいれば、障害者支援の知 識を持ったボランティアを派遣。また、地元のヘルパーらが従来行ってきた家庭への巡回のため必要なガソリンを、現地で提供する支援も行ってきた。
 大震災発生から1カ月以上が過ぎ、「避難した親戚の家にいられなくなった」などと行き場を失いかねない障害者もいるという。障害者が自立するには共同作 業所などの再開も必要だが、地域によっては難しいケースもある。災害弱者の支援は今後も重要だ。中西さんは「現地に骨をうずめるくらいの気持ちで活動がで きる人、団体に協力してほしい」と話す。支援物資の提供やボランティアへの参加などを、「被災地障がい者センターみやぎ」(仙台市)のメール (cil.busshi@gmail.com)で受け付けている。【最上聡】


郡山避難の障がい者、蓮舫氏に要望10項目提出
(2011年4月14日 障がい者の働く場ニュース)
○県内被災者などから意見聞く
 蓮舫消費者担当相は4月9日、郡山市内に開設されている「JDF(日本障がい者フォーラム)被災地障がい者支援センターふくしま」を訪問し、県内で被災した障がい者や避難所などでボランティアに取り組んでいる人たちの要望を聞いて回った。
名簿提出をさせてほしいなどの意見
 同センターからは、長期化する避難所生活で医療や介護などを十分に受けることができないでいる障がい者の現状報告がなされた。
 また、被災地に取り残されている在宅障がい者の安否確認がなされてないことから、政府権限で市町村に名簿提出をさせてほしいなどの10の項目からなる要望を手渡した。
○蓮舫消費者相は
 「震災や津波、福島では原発と大変な災難の中で障がいを持っている人たちが大変な思いをしている。災害弱者と言われている人たちを本格的に支援しなければならない」
と述べた。


東日本大震災:被災障害者の電話相談開設 郡山で市民団体 /福島
(2011年4月12日 毎日新聞)
 被災した障害者の電話相談に乗ろうと、市民団体が「被災地障がい者支援センターふくしま」を開設した。
 NPOや社会福祉法人で作る「日本障害者フォーラム」が今回の震災を受けて郡山市で運営している。
 避難所で車椅子がない▽常備薬が不足しているので医療機関を教えてほしい▽知的障害を持ち避難所でパニック障害を引き起こすので施設を紹介してほしい −−などの相談を受け付ける。普段から障害者の相談に乗る専門職員が受け付ける。当面は無休。問い合わせは、024・925・2428(午前10時〜午後 4時)。【種市房子】


東日本大震災:避難の障がい者、要望10項目提出 郡山で蓮舫氏に /福島
(2011年4月10日 毎日新聞)
 蓮舫消費者担当相は9日、郡山市内に開設された「JDF(日本障がい者フォーラム)被災地障がい者支援センターふくしま」を訪れ、県内で被災し、避難した障がい者や避難所などでボランティアに取り組む人たちの要望を聞いた。
 同センターからは、長引く避難所生活で十分な医療や介護を受けられずにいる障がい者の現状が報告された。被災地に取り残されている在宅障がい者の安否が確認されていないことから、政府権限で市町村に名簿提出をさせてほしいなど10項目の要望を手渡した。
 蓮舫消費者相は「震災や津波、福島では原発と大変な災難の中で障がいを持っている人たちが大変な思いをしている。災害弱者と言われている人たちを本格的に支援しなければならない」と述べた。【坂本智尚】


「政府の責任で障害ある人の確実な避難を」要望書提出 きょうされんボランティア報告5
(2011年4月 9日 京都民報Web)
 蓮舫消費者担当相に要望書提出
 きょうされん京都支部からボランティア派遣され、福島県郡山市内で障害者の安否確認や生活支援に取り組んでいる、粟野賢さん(27)=長岡京市・障害者福祉サービス事業所あらぐさ=の現地報告を紹介します。
 今日(9日)は「JDF(日本障害フォーラム)被災地障がい者支援センターふくしま」を訪れた蓮舫・消費者担当相に現場からの要望書を手渡しました。
 要望書は、この間の安否確認や避難所訪問の中で寄せられた声をまとめたものです。移動が困難な障害のある人を含め自主避難勧告地域の住民に対して政府が 責任を持って避難場所へ連れいていくことや障害者手帳や自立支援法関連のサービス契約書がなくても避難先で同様のサービスが受けられるようにすることのほ か、▽在宅障害者の安否確認のため、政府権限で市町村から名簿を提出させる▽同センターのような支援組織への助成制度の確立▽自主避難勧告地域が拡大した 場合の迅速な避難行動予定や避難場所の決定▽障害者の災害対策を盛り込むなど障害者基本法の見直し―の6項目を求めています。


被災障害者の支援拠点開設 きょうされんボランティア報告2
(2011年4月 7日 京都民報Web)
 被災地障がい者支援センターふくしま開設式 きょうされん京都支部からボランティア派遣され、福島県郡山市内で障害者の安否確認や生活支援に取り組んでいる、粟野賢さん(27)=長岡京市・障害者福祉サービス事業所あらぐさ=の現地報告を紹介します。
 今日(6日)は「JDF(日本障害フォーラム)被災地障がい者支援センターふくしま」の開設式が行われました。式には、JDF代表の小川栄一さんや、内閣府障がい者制度改革推進会議室室長の東俊裕さんなど約60人が参加しました。
 支援センターふくしまの代表、白石清春さんが「こんなときこそみんなで手をつなぎ、頑張りましょう」とあいさつ。また、福島原発の事故の影響で、市内に 20キロ圏内、30キロ圏内の強制避難、自主避難の地域と30キロ以上の地域がある複雑な問題を抱える南相馬市から、障害者の現状報告がありました。
 今後は、開設したセンターを拠点に、長期にわたって被災した障害者の支援が行われる予定です。


東日本大震災 被災者への住宅確保 柔軟で多様な供給を
(2011年4月6日(水)「しんぶん赤旗」)
 東日本大震災で、いまだに16万人余の被災者が避難所生活を続けています。「夜もぐっすり眠れない。家族といっしょに住むところがほしい」―こうした被災者の声を受け止め、住宅を確保することは緊急の課題です。
 政府は、住宅生産団体連合会(住宅メーカー団体)にたいし応急仮設住宅を3万戸供給できるように要請しています。また、全国の公営住宅、UR賃貸住宅、 公務員宿舎の空き家を提供する、民間賃貸住宅の空き家を活用できるように「被災者向け公営住宅等情報センター」で情報提供をしています。
 しかし、「仮設住宅に早く入りたい」との要望が強くあります。岩手県釜石市では5000戸を要望していますが、着工予定は100戸です。用地確保が難航 している上、海岸沿いの被災地の近くには平地が少なく、しかも地盤沈下しています。着工のめどがついているのは、わずかの戸数にすぎません。
コミュニティー
 福島県では、原発事故という目の前にある危険から避難するため、親戚縁者を頼り、県外に移転する被災者が増えています。
 コミュニティーがバラバラに分断され、生活再建、復興そのものが困難になりかねません。いま必要なことは、国と被災自治体が「必ずまちを復興させる」というメッセージを示したうえで、当面する応急的な住宅確保事業を同時並行的にすすめることです。
 すでに、被災地では漁業や加工水産業、関連企業を含め1万人を雇用している宮城県石巻市の日本製紙が復興の動きをみせています。
 各地で避難生活を続けながら、被災者による「生活再建をめざす○○の会」が結成されています。政府・行政はこうした動きに応えて被災者を勇気付ける復興ビジョンを明らかにすることが求められます。
 やむを得ず他県に一時的に居住移転する場合でも、集落単位に移転するなど、工夫を凝らす必要があります。
○16年前の教訓を
 この点で、16年前の阪神・淡路大震災の教訓が参考になります。
 住宅確保は、避難所・応急仮設住宅・復興公営住宅という3段階の工程によって進められました。▽避難所は、プライバシーや高齢者・病弱者・乳幼児など要 援護者への配慮がなく、長期生活に耐えられる空間ではなかった▽応急仮設住宅も絶対的に少ない供給数のために、入居完了まで10カ月を要し、被災地域住民 がバラバラにされ、コミュニティーが崩壊し、孤独死も233人に及んだ▽復興公営住宅も抽選による入居でコミュニティーが崩壊、孤独死は応急仮設住宅から 途絶えることなく、633人が亡くなった―などの問題点が指摘されています。
 今回は、こうした復興過程に起こる二次的災害をなんとしても防止しなければなりません。
○自宅再建の支援
 そのために、応急仮設住宅についても、集落単位での建設・確保、高齢者、障がい者、病弱者に対する「ケア付き仮設住宅」の供給や自力仮設住宅建設への補助、そしてなによりも、元の土地に自宅を再建することを望んでいる被災者への支援の強化が必要です。
 「被災者生活再建支援法」では、全壊でも最高300万円の支援金にすぎません。制度を改善し、支給対象の拡大、支援金の増額をおこなうことです。
 阪神・淡路大震災のまちづくりは「被災市街地復興特別措置法」の制定によって上から都市計画を押し付ける“スクラップ・アンド・ビルド”大型都市開発でした。結果として被災者がもとの町に戻れず、多くの商店街がさびれています。
 こうした教訓をいかし、今度こそ住民が願う地域、まちづくりの再生・復興が望まれます。(党国民運動委員会・高瀬康正)


原発事故のストレス抱える被災者 福島県郡山市・ボランティア活動報告
(2011年4月 5日 京都民報Web)
 郡山市震災被害 障害者共同作業所などの全国組織「きょうされん」の京都支部は東日本大震災の被災地へ3人のボランティアを派遣しています。福島県郡山 市内で障害者の安否確認や生活支援に取り組んでいる、粟野賢さん(27)=長岡京市・障害者福祉サービス事業所あらぐさ=の現地報告を紹介します。
 郡山市はライフラインも復旧し、ガソリンも手に入り、日常を取り戻したように思えます。ところどころ、写真のようにブロック塀が崩れたり、墓石が倒れるなどしています。
 今日から、「被災地障がい者支援センターふくしま」の活動に加わり、障害者の実態調査のため郡山市内の避難所をまわり、聞き取りを行っています。
 郡山市には、福島第一原発の事故の影響で、20キロ〜30キロ圏内の自治体から避難してきた方が多いという状況です。浪江町から避難してきた方は、「地 震の直後、浪江町の小学校に避難したが、その2日後に原発事故の影響で郡山にきた。避難所から避難所への移動は大変です。高校生の子どもがいるが、浪江町 の学校に戻れる見通しはなく、今後どのような形で授業を再開するのか方針が決まっていません。しかし、行政からは明日には別の避難所に移ってほしいと言わ れています。せめて、子どもの学校の方針が決まるまで待ってほしい」と話しています。
 地震、津波に加え、原発事故により、いつ地元に戻ることができるのかわからないというストレスが、福島県の被災者が抱える大きな問題となっています。


*作成:青木 千帆子
UP: 20120618  REV: ...20130319
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