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虹の会


last update: 20160627


■虹の会■

http://members.tripod.com/~nijinokai/

  名称:虹の会
   〒:338
 事務局:埼玉県浦和市下大久保760風見鶏グランドハイツ1-102
   tel:048-855-8438
   fax:048-855-8438
  発足:19820500
JIL加盟:19920117
JIL会員:未来会員
  代表:戸塚かおる
事務局長:工藤伸一

 ※ JIL:全国自立生活センター協議会

 http://members.tripod.com/~nijinokai/


 http://members.tripod.com/~nijinokai/k8gaidhelp.html
1998/8/31
相川宗一浦和市長殿
松本五郎福祉部長殿
ガイドヘルプ事業についての質問状

どんなに障害が重くても地域で暮らしたい!

虹の会
会長 工藤伸一

 日ごろより、障害者福祉にご尽力いただき感謝申し上げます。
 浦和市では、96年度よりガイドヘルプ事業が始まりました。障害者の介助保障施策の拡充を図るという点からは、評価できると思っていました。
 しかし今年度に入って、ヘルパー証の交付が行われる、またヘルパー側の名簿の公開が検討されているなどの動きがあるようで、これまでのガイドヘルプ事業の評価できる点が切り崩されていく恐怖を感じている利用者も少なくありません。
 利用者・ヘルパー、両者の不安を拭うためにも、以下の点について質問しますので、回答をしてください。
 なお、質問に対しては、回答とともに、話合いの場を設定すること。また、話合いには市長か浦和の福祉施策に責任の持てるポストが同席すること。

@「ガイドヘルパー証」は、その裏面に書いてあるように、必ず携帯しなければならないのか。
 これまでの市の対応では、「必要がなければ返してくれてもいい」ということであるが、それならば、なぜヘルパー証の裏に「この証は身分を証明するものであるから常時携行するものとする」と書かれているのか。

│ ヘルパー証については、これまでなかったものが、今年4月、ヘルパーに対して送ら
│れてきた。その意図はそこでははっきりと説明されておらず、また、裏面には「携行す
│ること」とあり、「携帯しなければヘルパー活動ができない」という内容であるととれ
│るものである。

│ 浦和市のガイドヘルプはヘルパーの推薦登録が可能な事業である。
│ 利用者は、「ヘルパーの人選」という、介助の内容を計る上でもっとも重要なこの部
│分について、自らの意思を反映させることができるのである。
│ これまで、ヘルパーと言えば、(ホームヘルパーなどは)行政(もしくは委託先)が、
│その都合で「だれが行くか」を決定し、派遣を行ってきた。
│ その中では、利用者から、「これまでの人がよかったのに変えられてしまった」とい
│う声が当然上がってきていたし、なにより、介助とはごくプライベートな性格のもので
│あって、そうした、「行政・委託先などの都合で派遣される見ず知らずの人間」に簡単
│に依頼できるものではないという人権的な問題がある。
│ 守秘義務があるとはいっても、具体的にプライバシーが流出した事例はいくつもある
│し、発覚していなくとも、多くの利用者が、ヘルパーが自分の家に来て、ほかの利用者
│の家のことを(非難的に、また名誉を傷つけるようなことも含め)話していることは事
│実である。
│ 介助とは、何を食べ、どこに行き、だれと会い、ということや、果ては暗証番号や趣
│味嗜好、預金残高、全てのことを介助者にさらすことである。
│ だからこそ、私たちは人権的見地から「介助者は自ら選ぶことが可能でなければなら
│ない」と主張してきた。それが、ホームヘルプの自薦登録派遣にもつなっがたわけだが。
│ そういう意味で、浦和市のガイドヘルプ事業は、「自ら選んだヘルパーを登録するこ
│とが可能である」という、これまでのホームヘルプの問題を克服すべき内容を含んだ、
│たいへん意義あるものなのである。

│ そして、そうした形で介助者になってくれる人と利用者、というのは、例えば、一般
│の行政から派遣されるヘルパーと利用者、という関係以上の深い信頼関係がある。
│ それは昔からの友人であったり、これまでこうした制度がなかったときにボランティ
│ア(無償)でやってくれてきていた人であったりする。
│ 果ては、外出したために、ホームヘルパーの派遣が受けられず(現状ではホームヘル
│プの派遣時間の変更はできないため、その時間に外出する必要に陥った場合は、ホー│ムヘルパー以外の人間に介助をお願いしなければならない状況なのである)、その分の
│介助をするために自分の時間を割いて、無償で来てくれていた人であったりする。
│ そこには、利用障害者を「対象」としてとらえるような「介助観」にはないものがあ
│る。一般に言う「障害者⇔介助者」という関係を越えた信頼感があるといってもいいか
│と思う。

│ この「ヘルパー証の交付」は、「これを携帯しなければ活動をしてはいけない」とい
│う風にも取ることができ、介助者と利用者の関係に、「人間対人間」の関係でなく、「
│援助者と対象者」という関係を強要するもであるといえる。
│ つまり、これまで築いてきた介助者との関係が、ヘルパー証の交付、すなわち「障害
│者=対象者」化することによって、崩れていく可能性があるのである。
│ (市は「携帯を強制するものではない」と言っているが、携帯する、しないの問題で
│はなく、こうしたものを配るという行為自体が、既に障害者を「対象者」としてしかと
│らえていないという意見もある。)
│ 現に、中には、「こうした形でなければ介助者足りえないというのであれば考えたい」
│という介助者もいたというから事態は深刻である。

│ そして私たちが危惧するのは、ヘルパー証から、「ヘルパーの資格」の問題が浮上す
│ることである。
│ 推薦登録できるということは、「一利用者である私にとっては、この介助者は、十分
│介助者としてやっていける」という確信と実績があればいいということであり、一般に
│言う「ヘルパー●級」などというものとは、無縁のものである。
│ だからこそ、だれもが自分の推薦する人を登録できているわけであり、(「●級」の
│資格など、を取る時間のある人などはそうそういない)言ってみれば、ここにこそ、「
│当事者主体」ということの具体化があるといえるのである。
│ 「誰か他人が認めるのではなく、自分のヘルパーは自分が決める」ということが可能
│なのであるから、このことは重要なのである。(もちろん、これは「自分の介助に当たっ
│ては」、という但し書きがつくのであって、他人に自分の介助者を推薦するなどという
│ことはありえないことが前提である。もちろん、他人に派遣するのでは、その派遣され
│た人にとっては、「自分で選んでいない介助者」ということになってしまう。)
│ そもそも、「ヘルパーの人選」に、他人(行政も含む)が口を挟む必要はないのであ
│る。「介助を受ける=プライバシーを曝す」、のは利用者本人だけなのだから。
│ だから、介助者たる資格とは、利用者が認めることであって、どこかが「あなたはヘ
│ルパーとして認めます」ということではない。
│ これまでのガイドヘルプ事業は、そうした「当事者主体」を内容的に実現したものと
│いう意味からも、十分評価できるものだったのである。
│ しかし、このヘルパー証は、「資格」こそ問うていないが、当事者以外の人間が「ヘ
│ルパーと認める」と言っているという意味で、その評価を崩しかねない危険性を孕んで
│いる。
│ そうした意味から、このヘルパー証をどのような経緯と考え方をもって発行したのか
│について、納得のいく説明をすること。


Aこのヘルパー証の件について、現状で市は、「ヘルパーの中から、証明書がほしいという声が上がった。」と説明している。
 つまり、「自分がヘルパーであることを証明するものがほしい」ということらしい。 例えば、障害者にではなく、介助者に病状などを聞く医者なども多く、そのために、病院などで見せるという話のようだ。
 しかし、それなら「私は介助者ですから、本人に言ってください」と言えばすむことではないのか。
 一般的には、悲しいかな、障害者本人に、でなく、介助者にものを訪ねる人はまだまだ多い。「障害者=保護される人」「ついている人=保護している人」という誤った図式に基づく行動である。
 「一方的に保護される障害者観」とは、「障害者の一人の人間としての判断や尊厳」などというものからは遠いものなわけで、ひとつひとつ、障害者本人が、自分の市民としての立場について、理解を求めていくしか解決はしない。
 それは、介助者がヘルパー証を見せることとは問題が別である。
 もちろん、銀行のキャッシュコーナーなど、介助者としての仕事がやりにくい場面について、「自分がヘルパーである」ことを周知させることは必要なのかもしれない。しかし、それも、何か問題があるのであれば、利用者本人が「この人に、私は介助者として依頼している」旨を説明すればすむことである。
 少なくともガイドヘルプは外出介助である。一緒にいることが多いと思われる。問題が起こったら、利用者本人が、「この人は介助者である」ことを説明すればいいのである。 そもそも、本人がついていて、介助者であることを証明したにもかかわらず、「証明書がないから介助はさせない」とは銀行のキャッシュサービスは言わないだろう。(そんな話は聞いたことがない。)
 こうした、社会を取り巻く障害者の状況、現状の社会における「介助観」について、とそれらをどのような観点で変えていかねばならないと考えているのかについて、市の考えを示してください。
 また、あくまで、利用者本人が、「この人がヘルパーであること」を証明するのではなく、それを、行政が発行した「介助者が携帯するもの」で証明しようとすれば、不正は必ず起こるのではないか。
 証明書さえあれば、その人のプライバシーにかかわる情報を引き出したり使ったりすることができるということになれば、やもすれば不正に使われることもありうると考えられる。
 そのあたりの防犯的な面について、市はどう考えているのか。

│ 障害者を取り巻く状況は、歴史的に見て、当事者不在の状況から当事者が参画するも
│のへと移り変わっている。
│ 障害者自身が自身の生活スケジュールすら決められないことがあたりまえのように行
│われてきた(今でも行われているが)大量収容を軸とする施設政策から、地域へと時代
│は動いていることは周知の通りである。
│ ヘルパーについても、全国的に推薦登録ヘルパーの取り組みが進んだし、また、自由
│な時間に介助が使えるようにするための派遣時間拡大も、自立生活を進める団体にとっ
│ては全国的な流れである。
│ 私たち当事者も、浦和の中で当事者主体を貫いて行うために、さまざまな努力をして
│きた。ガイドヘルプについては、推薦登録が可能な制度ということでたいへん評価して
│きたし、使ってきた。
│ ヘルパーに対しても、彼らを育てることも含め、彼らをヘルパーとして使う責任は自
│分にあると考えガイドヘルプを利用してきたし、これらの件に関して、社会に対しては
│きちっとした理解を求めることは利用者の責任だと思っている。

│ こうした歴史の流れの中で、ガイドヘルプ事業の「当事者主体」として評価できる部
│分については、絶対になくしたくないと考えている。
│ また、今回の問題のように、「当事者不在」に逆もどりする可能性のあるものについ
│ては、ことあるごとに確認をとっていくつもりである。
│ 二度と当事者が声を上げられない時代に戻してはならないのだから。


Bヘルパー証のみならず、「腕章/バッチ」などが論上に上がっているようだが、つくるつもりなのか。

│ もちろん、腕章やバッチがあれば「何だ?」と目を引くことは容易に想像できる。
│ しかし、先に述べたように、銀行や病院など、不都合があれば利用者本人が説明すれ
│ばいいのである。
│ それを解決するのは、なにも腕章をつけることではない。
│ 逆に、腕章をつけた人と障害者が歩いていれば、「腕章をつけた人、つまりは、一般
│人ではない人=普通でない人=専門家、に守られている障害者象」がより強化されるの
│ではないか。
│ 「障害者は、ああして、専門家に守られているのだ」というイメージの固定である。
│ それは、「自ら選んだ介助者を自らの責任において社会参加のために使う」という、
│能動的に社会に生きようとする障害者、とは正反対のイメージである。
│ これは、介助という問題ではなく、社会の中で、「障害があるなしにかかわらず助け
│あって生きる」ことをも否定しかねない。「障害者は一般の人とは違う人」「障害者は
│普通の人では助けられない」ということを流布しているようなもので、ノーマライゼー
│ションなどという観点からも、賛成できるものではないように思われる。
│ バッチ/腕章については、そういう意味からも作らないことが望ましいと思われる。

│ またこの件に関しては、多くの介助に入っているヘルパーにも同意見の人が多い。
│ 上記のように、これまで、利用者を「対象」としてでなく介助に当たっていた介助者
│にとっては、この「バッチ/腕章」などというものは、全く意味を成さないものである。
│ ましてや、ヘルパー証のように「携行すること」などということになれば、上記のよ
│うな理由から、障害者問題の理解を逆行させるものとして、介助者としてもこれ以上の
│活動を続けることについては考えることになるだろう。
│ 介助などを通して利用者と生活を共にしてくるなかで、障害者問題を理解してきた介
│助者にとって、こうした「腕章/バッチ」などという提示は許せるものではないのであ
│る。


Cこの「腕章」について、私たち利用者は、介助者の自己満足にしか思えない。
 「いいことをしている」という自己満足である。
 外出に限らず「介助」とは、生活するに必要なものである。しかしこれまで使える施策が整備されてなかったために「ボランティア」という善意に頼らざるを得なかった。
 そこには「いいことをしたい」という任意の善意しかなく、私たちの社会生活に必要な介助すら、彼ら「介助ボランティア」という名の人たちの任意の善意に依っていたのだ。 「彼らの機嫌を損ねれば、あしたは外出できない」− 。
 悲しいかな、それが現実だった。
 それを「自分の生きる権利を保障する義務として」「一人の市民としての権利を保障する義務として」運動を続け、介助制度は一歩一歩進んできたのだ。
 腕章/バッチを市が作るということは、それを再び「善意」に押し戻そうとしているように思える。
 自分が障害者であることをあえて宣伝せねばならないという意味も含めて、そもそも腕章をつけた人なんかと歩きたくない、というのが普通の市民感覚なのではないだろうか。 しかし、自分の介助者が「つけたい」人だったら、介助がなければ生活できない障害者である私たちはきっと今だって断れないかもしれない。
 それが現実である。
 介助を欲している人より、介助者が(というより「まともな介助者が」)少ない昨今、利用者の立場は弱いのである。
 ここに現状の介助問題をとりまく根本的な問題があるように思うのだが、市としては、このあたりの「障害者と介助者の関係」の部分を、どのように捕らえているのか。


Dもし、バッチや腕章を作るとしたら、その配布方法についてはどう考えているか。

│ 上記のような理由から、バッチ/腕章については、「利用障害者の希望がなければつ
│けさせないこと」が基本である。そうでなければ、これは当事者主体でもなんでもない
│ことになってしまう。
│ 介助の場面において、「介助者が自分のやりたいように介助を行う」というのでは、
│これまで散々問題になってきた「ホームヘルパーが勝手に家の中をかたづけてしまう」
│といった問題そのままである。
│ それを克服できる「当事者主体」を取り入れたのがガイドヘルプ事業であるから、そ
│のよい面は捨てる必要はない。というより育てるべきである。

│ そうした観点から考えると、利用者が「必要ない」といった場合については、介助者
│はつけてはならない、という約束ごとは必要になろう。
│ もちろん、利用者自身が必要としているならつければいいだろうが、そこで必要なこ
│とは、あくまで「利用者が必要である」ということであって「介助者が必要だと思う」
│のではつけることは許されない。
│ 介助中に、利用者が「やめてくれ」ということをやめない介助者は介助者足りえてい
│ないのである。
│ ばかばかしいが、この点は確認したい。

│ こうした点を踏まえると、配布方法として適切なのは、ヘルパー証のように全体に送っ
│て「要らなければ返してくれ」という方法でなく、「必要な人に送る」という姿勢であ
│る。
│ 注意しなければならないのは、「必要としている」のは利用者であって、介助者では
│ないということである。このバッチ/腕章は、利用者が持っていればいいのである。
│ 必要とする利用者がこのバッチと腕章を持っていれば、介助のときに持参し、介助者
│につけさせればよい。
│ 当事者主体を貫き、必要な人に腕章/バッチを配るといった場合、方法は以上のよう
│なものが適当だと思うが、市はどう考えているのか。


E介助者の名簿公開をするのか。
 介助者の名簿については、「利用者が介助者に連絡を取れるようにする」、「介助者が他の介助者に連絡が取れるようにする」、などということを目論んで作られているようだが、それは現状の財団によるコーディネート能力を超えている、という理由からか。
 だとすれば、名簿の公開を考える前に、財団のコーディネート能力を高めるための方策は何か講じたのか。
 利用者から直接介助者に連絡を取らせれば、様々な問題が浮上することは目に見えている。これまでもそういったトラブルがあったとも聞くし、わたしたち虹の会の介助派遣システムでも、直接の介助依頼についてのトラブルは起きており、現状では、なるべく直接の利用者以外の人を通して連絡を取るような形を作ってきている。
 介助者にしてみれば、「直接頼まれると断れない」ということもあろうし、「だめだといっているのに、何度も連絡がある」などということはおそらく起こるだろう。
 その結果、介助者がやめてしまったり、介助者とそもそもその人に介助を受けていた元の利用者との間に亀裂が入ったりということは、十分に考えられることである。
 こうしたことから、間に人が入ったほうがいい(そういう人をコーディネーターという)ことは明白であるが、その機能は現在どうなっているのか。
 他にも、介助者が見つけられない転入者などの場合にでも、コーディネーターが間に入るのは、介助派遣の鉄則である。
 つまり、名簿公開の前に、コーディネート能力の拡充を考えるべきだと思われる。
 その機能を拡充するために考えた方策と、それを断念して名簿公開という荒っぽい方法を検討している経過を、説明すること。

│ 浦和市のガイドヘルプは登録方式の派遣である。
│ そのヘルパーと同意の上で、自分が推薦した人を登録して派遣させることができる。
│つまり自分の信頼のおける人をヘルパーとして登録できるのである。
│ どこのだれかわからないような人に来てもらうのではなく、利用者が自分で介助者を
│選べる制度である。だから当然、これまで、資格云々という話にはならなかったのであ
│る。
│ 「自分にとってはベストの介助者である」ということを利用者本人が言っているわけ
│だから、通り一遍の研修は必要ないと考えている。
│ 虹の会では研修を受けたヘルパーよりも、自分専門の介助者のほうがずっといいんだ
│ということで、ホームヘルプの方にも推薦登録を導入させてきた流れもある。(自立運
│動としては全国的な流れだ。)
│ ただし、ここが大事なのだが、推薦登録とは、「推薦した人にとってはヘルパー足り
│うる」が、それ以外の人に適するかはわからない、というのものである。
│ だから、自分が登録させている人というのは、他の人の介助者として適当かどうかは
│また別の問題ということになる。もっと言えば、他の人に対しては「介助者足りえない」
│と言ったほうが正しいのだと思う。

│ そして、「他の人にも対応できるか否か」ということになると、当然「資格」の問題
│が発生するだろう。
│ 「資格を問わない」「利用者の推薦というものが最大の資格である」として、私たち
│は推薦登録を推してきたのに、「他の人云々〜」ということになると、これはまさに逆
│行である。
│ しかし、ガイドヘルプについては介助者の名簿を公開を検討しているという。つまり、
│他の人の介助にも当たらせることを公に行うということになる。
│ もちろん、本人の了解を得てということだが、これは先に説明した「当事者主体の登
│録派遣」という考え方に照らせば反則ともいえるのではないか。

│ 推薦登録は、上記のような流れで、私たちがやっと実現させてきた歴史がある。
│ しかし、名簿公開によって、その肝心な部分が骨抜きになる可能性はあるまいか?。

│ 「介助者が捜せない」という人もいるだろう。
│ しかし、その場合、市や委託先の財団のコーディネート能力が問われているのであっ
│て、介助者同士が連絡を取れることが必要なのではないのではないか。
│ 「介助者が捜せない」ということと「名簿公開」は、話が別である。
│ このままでは、絶対、次に来るのは「資格」である。
│ これでは、利用者主体、からどんどん逆行してしまう。
│ せっかく当事者主体で介助が受けられる制度ができたと思ったのに、ヘルパー証の配
│布、腕章/バッチ、名簿公開、と利用者主体から離れ始めているガイドヘルプ事業を、
│私たちは心配している。
│ なぜなら、その先にあるのは、「介助者の管理」− 引いては「介助内容の管理」、
│− つまりは「利用者の生活管理≒座敷牢生活」なのだから。
│ 私たちは、それは許さない。

Fなぜ、視覚障害者だけの集まりを行っているのか。利用者の一部を取り出して意見を聞いて、それを実現する(例えばヘルパー証を配る)などという行為は許されると思っているのか。

■「<となりの障害者> (上)バンド活動 俺にも夢はある」,『東京新聞』2016年8月19日(埼玉)
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201608/CK2016081902000189.html

写真:「俺は仲間が、仲間がほしい」。派手なメークでソロ曲を歌う井上さん=さいたま市中央区で

 動きがのろいって蹴られた/こんなのもできないのって殴られた(略)どうせ何にも分からないって/障害があるだけでばか扱い(「いじめ」)
 さいたま市中央区の小さなライブハウスに、叫ぶような歌声が響いた。口裂け女やピエロの化粧、法被やチャイナドレス姿。奇抜な衣装に身を包んだ二十人前後がステージに入り乱れる。バンド「スーパー猛毒ちんどん」の単独ライブ。全員が障害者自立支援組織「虹の会」(同市桜区)の関係者だ。
 中央に立つ歌舞伎の隈(くま)取り姿の男は、リーダーの井上正邦(34)。左手のまひと知的障害があり、虹の会では副会長を務めている。「いじめ」は、井上の実体験から生まれた曲だ。「学校は嫌なことが多かった」。
 養護学校高等部二年のとき、実習に行った工場。朝から夕方まで誰とも話さず、ひたすらカレー粉を袋詰めした。もう一つの実習先だった虹の会では、他の障害者や職員と協力し合い、バザーを運営した。初めて見つけた居場所だった。
 人前に立つのは苦手というが、ライブでは堂々としたトークで客を引き付ける。「練習は緊張するけど、本番は勢いで。後ろのメンバーがいるから歌える」。歌詞を覚えられなくても客席になだれ込んだり、レオタード姿で踊ったり。メンバー全員に役割がある。「歌ってるときの俺はかっこいい」と胸を張る。
 俺は黙ってカレーを詰める/笑うことも忘れた/俺は仲間が仲間がほしい/ふざけて笑える仲間が(「カレー」)
     ◇
 内容は暗いが、曲調は底抜けに明るい。「ポップな曲だからこそ歌詞が引き立つ」と、同じく副会長で、曲作りを担当する佐藤一成(50)。「歌は自己表現。本当に言いたいことじゃないと意味がない」と障害のあるメンバーから体験を聞き取っている。
 高校時代はモヒカン刈りのパンク少年だった佐藤。一九八五年に埼玉大に入学し、障害者運動史を学んだ。同級生の誘いで通い始めた当時の同会は、全身の筋肉が萎縮していく筋ジストロフィーに侵されながら、同大近くで一人暮らしを始めた福嶋あき江(故人)を介助するボランティアの女子学生の集まりだった。
 福嶋は介助を受けるだけの障害者ではなかった。施設から出て自立生活を目指す「闘う障害者」だった。初めて話し込んだ大学三年の夏。「会をただのボランティア団体じゃなく、運動にしたい」。熱っぽくそう語った福嶋は、その数日後、たんが詰まり二十九歳で急逝。「言い残されたような気分になった」。佐藤が同会を引っ張るようになったのはそれからだ。
 死去の翌年に福嶋の人生をドラマ化したテレビ番組は、単純な「お涙ちょうだい」の物語だった。「本当は嫌な奴(やつ)も世間知らずな奴もいるのに『障害者は勇気をくれる。前向きだ』って。うそつけと思う」。バンドの奇抜さには、そんな障害者イメージへの反感が込められている。
 十数年前に「みんなの遊び」として始まったバンド。今年はネット動画を見た音楽関係者から大阪のイベントに招かれるなど、着実に活動の幅を広げている。ライブを締めくくるのは、必ずこの曲だ。
 一つ人より頭は弱いが/二つ不器用何のその(略)三つ見た目もいまいちだけど/四つ世渡りもうまかない(略)今が時だ逆襲だ/俺にだって夢はあふれている(「スーパー猛毒ちんどんの数え歌」)
     ◇
 「障害者なんていなくなればいい」−。先月、相模原市で障害者十九人の命を奪った男の言葉が、多くの人を震撼(しんかん)させた。でもそれは、虹の会のメンバーにとって、目新しい言葉ではない。すでに学校で、職場で、さんざん爪はじきにされてきたから。「どんなに障害が重くても、地域で暮らすのが当たり前」を旗印に、親元や病院や施設を離れて街中のアパートで暮らす彼らは、決して「いなくならない」。その挑戦の軌跡を追った。 =文中敬称略(谷岡聖史)

■谷岡聖史 20160820 「<となりの障害者> (中)外の世界へ 自由に生きたい」,『東京新聞』2016年8月20日
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201608/CK2016082002000151.html

写真:大型映画館を訪れた工藤さん(右)と佐藤さん。2人ともホラーやサスペンス作品を好む=県内で

 小林厚士(33)は知的障害と軽い吃音(きつおん)がある。会話は苦手だ。その人生で最大の出来事を尋ねると、きっぱりと答えた。「家出です」。二〇〇五年の正月、通勤の定期券だけを手に久喜市の実家を飛び出して以来、さいたま市内のアパートで暮らしている。障害者自立支援組織「虹の会」事務所のすぐそばだ。
 家出の二年前から、同会が運営するリサイクル店「にじ屋」の店員だった小林。だが父親は、外で働くことに反対だった。〇四年十二月、「もう行くな、って監禁された」。無断欠勤が一週間も続いた翌月二日。やっと「パンを買ってきて」と外出を許された。「にじ屋では友だちができたけど、このままだと終わりだ」。パン代の二百円をそっと自宅の郵便受けに戻し、そのまま駅に向かった。
 虹の会副会長の佐藤一成(50)によると、二百円を見た父親は「俺が『お金を盗んじゃいけない』と言ったことは守ってくれた」と泣き、「厚士が望むなら」とアパート暮らしを認めた。「虹の会より施設に入れた方が安心だと、お父さんなりに将来を心配していたんだろう」と推し量る。
 それから十一年半。出勤前には近くの事務所に仲間と集まるのが小林の日課だ。「そこで佐藤さんが作った朝ご飯をみんなと食べるのが、一番楽しい」
     ◇
 小林と同じアパートには、全身の筋肉が動かなくなる進行性の難病、筋ジストロフィーの工藤伸一(51)も暮らしている。
 わずかに動く右手でパソコンを操り、特殊な機器を使って呼吸の回数や長さでエアコン、部屋の照明などを自分で動かす。寝室の隣には、工藤の指示でトイレや入浴、食事などを手助けする男性介助者が二十四時間体制で待機する。介助者を派遣する虹の会で会長を務める工藤は、最古参の一人だ。
 同会は一九八二(昭和五十七)年に発足。当初は同じ病気の福嶋あき江(故人)の支援団体だった。筋ジス患者の退院は不可能だといわれていた当時、募金を集めて一年余り米国の障害者福祉を視察。帰国後は旧浦和市で自立生活を始め、話題の人となっていた。
 その頃、工藤は蓮田市の筋ジス病棟にいた。「なぜ他人の力まで使って外で暮らすのか」。福嶋を否定する半面、迷いもあった。
 入院生活は九歳から。数年後には車いす生活となり、十九歳で電動車いすに。若い患者が多い病棟は「学生寮のような雰囲気」。こっそり成人雑誌を買ったり酒を飲んだり、一種の「青春」があった。だが苦痛だったのは、自由にトイレに行けないこと。趣味の油絵も決まった時間だけ。日常すべてに制約があった。
 八八年、病棟の交流会で同会のボランティアと知り合ったことから、埼玉大四年だった佐藤が定期的に会いに来るようになり、気持ちが動いた。「病院にいればそれなりに生活できるが、ずっと環境は変わらない。だったら死んでもいい。思い切って外に出たい」。翌年七月、二十四歳で現在のアパートに移った。
 病気は現在も進行中だ。自発呼吸が弱まり〇二年に気管を切開。旅行中に呼吸器のバッテリーが切れ、冷や汗をかいたこともある。それでも工藤は、佐藤らとの映画館通いを毎週続けている。「(生命の)保障はなくても自分の責任で、自分の意思で決められる。それだけで自由を感じる」。この夏、工藤の一人暮らしは二十八年目に突入した。 =文中敬称略(谷岡聖史)

■谷岡聖史 20160821 「<となりの障害者> (下)親子の距離 それぞれに自立」
『東京新聞』2016年8月21日(埼玉)
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201608/CK2016082102000135.html

写真:アパートの自室でカメラに笑顔を見せる市丸さん(左)と同居人の小倉さん(中)、久保さんの3人=さいたま市桜区で

 「ねえねえ野球好き? お酒は飲む? どこ住んでる?」。さいたま市桜区にある障害者自立支援組織「虹の会」を取材に訪れると、決まって市丸敦啓(39)の質問攻めに遭う。顔をくしゃくしゃにして笑い、人懐っこい性格。今でこそ同会のマスコット的存在だが、十年前は問題児だった。
 北本市の実家から同会のリサイクル店「にじ屋」に通い始めたのは二〇〇六年三月。「すぐに『逆ギレ』していた」と専従職員の外口孝治(52)。常に目は三角につり上がり、カッターナイフを持ち出したことも。二週間の実習の末、他の障害者全員に「おまえなんかとやりたくない」と拒否されるほど協調性がなかった。仕事後に映画に誘っても「行きたくない」と家路を急ぐような日々が続いた。
 市丸が変身したきっかけの一つが、〇九年四月の「脱腸事件」。同会の旅行中に鼠径(そけい)ヘルニアを発症し、外口は北本市の病院ではなく、にじ屋の近くで入院させるよう市丸の家族に勧めた。市丸は「俺手術したんだよ。みんなが見舞いに来てくれた」とうれしそうに振り返る。
 一一年三月にはこんなことも起きた。知的障害者が起こした刑事事件の裁判の傍聴に行くと、柵の向こう側の法廷に現れた被告人を見て、市丸は「あっちに行きたくない。みんなと働けなくなる」と外口に泣きついた。いつの間にか、虹の会は大切な居場所になっていた。一二年四月、実家を出て暮らし始めた。
 市丸は現在、掃除や食事作りに専従職員の助けを借り、小倉章義(36)、久保魁(かい)(24)と同じ部屋に住んでいる。「小倉はいびきがうるさい。魁には一回かまれた。でも、みんなで住むのはいい感じです」。知的障害者が三人。毎日騒動を起こしながら、同居生活を楽しんでいる。
      ◇
 母親(68)に言わせれば「敦啓は変わったというより、元の明るい性格に戻った」。以前に働いていた母親の知人の雑貨店では、客に親しく話し掛けるたび、上司に怒られた。「自分を受け入れてもらえず、イライラが募っていた」
 抱っこしても体を寄せてこないなど、赤ん坊のころから違和感はあった。小学校入学前に「自閉傾向」と診断されたが、地域から断絶するのはおかしいと、小中学校は養護学級を断り普通学級へ。中学では柔道の絞め技の練習台になるなど、いじめも受けた。
 障害者の親として実感したのが「日本社会は産んだ者に責任を強く求める」こと。学校や病院では必ず「普通分娩(ぶんべん)でしたか」と質問される。市丸一人でコンビニに行けば近所の人に「なぜ親がついて行かない」と聞かれる。「踏ん張らなきゃ」。いつしか抱え込んでいた。
 初めて同会を訪ねると障害のことは細かく聞かれず、「とにかく大事なのは本人の意思」とだけ言われ、驚いた。親が運営に関与しないのが同会の基本方針。にじ屋への出入りも禁止と徹底している。外口は「反抗期などで自然に離れていくのが親と子。でも障害があると同じ距離のまま大人になり、手放したくても抱え込んでしまう。親にも子にも自分の人生を生きてほしいから」と説明する。
 市丸だけでなく母親も変わった。現在、趣味の洋裁や読書で忙しい日々だ。「障害者の親だからこそ価値観が変わり、人生の幅が広がった」と振り返る余裕も生まれた。市丸の帰省は盆と正月だけ。実家の部屋には、母親の織り機が鎮座している。 =文中敬称略(谷岡聖史)


REV: 20160627, 20170404
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