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東京都立松沢病院



秋元 波留夫 1979〜1983:所長
臺 弘/台 弘
岡田 靖雄
小坂 英世(1930〜) 〜1966:勤務
浜田 晋(1926〜2010) 1959〜1968:勤務
藤沢 敏雄(1934〜2009) 1966頃:勤務
吉田 哲雄(1935〜1994) 1969勤務(〜、71精神科医長。
末安 民生

◆19801015 『精神医学』22-10(262)(1980-10) 特集:日本精神医学と松沢病院――都立松沢病院創立百年を記念して

◆加藤伸勝 19801015 「作業療法からリハビリテーションへ」,『精神医学』22-10(262)(1980-10):1051-1059

 「昭和30年前後に石川準子を出発点として,松沢病院内におこった作業療法は病棟開放運動へ発展し,いわゆる”慢性分裂病者”の開放運動へと方向づけた。その活動は江副勉,臺弘,藤原豪,水嶋節雄,本多誠司,菊池潤,吉岡真二等の医員や研究生によって推進されたが,病棟開放は作業と一体化した形で進められた点では,加藤普佐次郎の指摘と共通したものであった〈表5〉。しかし,最も異なる点は,これらの開放運動は物理的な病棟の鍵をはずずす開放と作業の組合せのみではなく,治療者と患者の心的交流にカ点が置かれ,信頼関係の成立を目指しした人間関係改善の努力であった。開放治療はその後,蜂矢英彦,岡田靖雄,加藤伸勝等によっって保護病棟患者やいわゆる”不潔病棟”患者にまで及んだ。この運動の展廉開に当っては,理念と現実とは必ずしも合致しなかった。開放に伴う看護者の心理的負担や労働力の荷重は決して軽いものではなく,看護者側からの開放に対する抵抗や働きかけの行き過ぎもないわけではなかった。患者はたしかにより低い活動性,より狭い社会性のため無為な生活を送っていたので,働きかけと呼ばれるー連の治療者からの呼びかけは身体的並びに心理的の二刺激が含まれていた。これは当時アメリカのStockton州立病院でなされたpilot studyの"total push"と共通ずるものであった。即ち,あらゆる活動(activity)が作業の名の下に用いられた。
 臺,浜田ら17,18)によって展開された”遊び治療”は,身体機能への刺激療法的意昧を含む面と人間関係論を巧みに組合せた試みであった。」

17)臺弘:精神分裂病の身体的治療の限界と作業療法.最新医学,10; 1915, 1955−病院精神医学,第6集,101, 1963.
18)浜田晋:分裂病者と遊び.精神神経誌,69; 137, 1967.

臺 弘 19670925 「精神医学における行動科学的接近」(特別講演),『精神神経学雑誌』69-9(1967-9):893-900

 「私が今から15年前に松沢病院で遊ぴ療法にたずさわる<0893<ようになった時は,私は行動科学というような言葉を全く知らなかった.当時,私は病院の赤痢騒ぎで1病棟に沢山集められた慢性の分裂病患者を前にして途方にくれたことを思い出す.この人達は身の回りの始末もやっとという状態で,作業療法でも引受けてくれない有様であつた.
 この人達を相手に始めた遊び療法の経験が第1段階となって次に作業療法にすすみ,さらに群大で行なわれた社会における生活臨床にと連なる訳であるが,当時なされたものの一つに球送りの遊びがあった.患者は言葉による交通もろくにできない状態たったので、球を媒介にして相手に働きかけをしようとしたのである.ここではまず球送りの場面につれ出すことが難かしかった.それはその頃にはまだ薬物療法がなかつたためであろう.現在この段階が割合に楽にのりこえられるのは,何といっても薬のおかげである.
 患者は一度球送りに出るようになると,治療者が中心となって指導する限り進歩は早い.しかし治療者中心の段階をこえて患者が白主的に球を送らなければならなくなると,とたんにまた困難が現われる.そしてこの困難を突破しないとしっかりした作業に進むことも難かしい17).
 10年以上たってから松沢病院の浜田氏4)がこの問題を一段と高めて下さった.浜田氏は,私がかつて相手にしたと同様の慢性分裂病者1O人と治療者1人でっくった円環の中で球回し遊びを行なった.球の回り方を誰から誰へと100球まで記録しそれぞれのメンバーについて投げた回数と受けた回数のmatrixをつくり,これを放射座標系で表示した.
 正常人同士の球回しならば,球の分布がどのようになるかおよその見当がつく.球はメソバーに平等に回るであろう.分布図は円くなる.ところが患者たちの場合は決してそのようにはならない.浜田氏によれば,となり回し,エコーとよばれる往復運動,固着とよばれる誰かへの集中,この3つが目立つた特徴である.そして分布図はひどくひずんだ形となる.さて,正常のパタンを目標にして指示的な指導をすると,となり回しはすぐに消えるが,エコーと固着,ことに固着傾向は4力月のhard trainingにも拘らずどうしても打破ることができなかつた.軽快した分裂病者の組でも分布図のひずみは仲々とれない.
 ここで注意すべきは,治療者に球の集まりが少ないことである。[…]
 話はかわるが,私は10人位の看護婦の合唱グループに患者を1人,2人と殖やして入れて行ったことがある。ある数になった時,合唱グループは崩れててしまつた。看護婦達が合唱意欲を失つたからである。合唱の円環は球回しよりも遥かに繊細でこわれやすいものとさとった。」(臺[1967:893-894])

◆関根真一 19801015 「松沢病院における精神科看護」,『精神医学』22-10(262)(1980-10):1061-1068

◆岡田 靖雄 197910 『精神科慢性病棟――松沢病院1958-1962』,岩崎学術出版社,281p. ASIN: B000J8DTBK [amazon][kinokuniya] ※ m.

◆浜田 晋 19940506 『心をたがやす』,岩波書店,シリーズ生きる,257p. ISBN-10: 4000038117 ISBN-13: 978-4000038119 2446 [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「そして私は少しずつ精神医療が面白くなっていった。燃えるものを感じた。
 「日本脳炎後遺症の病理」という仕事をやる一方で、私は「遊び治療」の仕事を始める。二足のわらじである。
 当時の松沢病院は「作業治療」を中心に治療体系が組み立てられていた。たしかに仕事は人を変える。仕事をうばわれると日本人の多くは死んだようになる(もっとも昨今の若い人はちがってきたが)。しかし仕事は一方で人をしばる。仕事の中に埋没すると、個性が失なわれることもある。仕事のできない患者は、落ちこぼれと棄てられることもある。<0096<私はその落ちこぼれ患者に眼をつけた。入院歴三〇年から四〇年、高度欠陥状態にあり、クレペリンが人格の荒廃とよんだ典型的な精神分裂病で、病院の中でも、棄てられていた男五人女五人を集め、中央講堂で、看護者三名と私と一緒に約一年間ほとんど毎日遊んだ。昭和三九年頃である。」(浜田[1994:95-96])

 「ここで私の考えに「治療」とは、ある一定の条件下で、正常人ときわだって異なる行動特性を取り出し、それをねらって、どこまで正常人に近づけることができるか――ということを意味する。
 「皆で一緒に遊ぼうという意識の欠落――状況のいかんにかかわらず鋳型にはまった融通のきかない行動の常同的な繰り返し」を分裂病者そのものの特徴的な行動様式ととらえ、<0100<それを何らかの外的な治療的試みでどこまでなおせるかということである。「治療」とよぶかぎり、それが可能でなければならない。「遊び治療」が果たしてなりたつか? という設問である。
 しかし私たち三人は、一年後絶望していた。「隣りまわし」はすぐとれたが、二、三の患者の固有現象は頑として「治療」に抗し、球は全体として一向に平均に分布することはなかった。あまり強く指示すると、彼らは球をもったまま茫乎として動かず昏迷の状態にまでなった。
 私たちの「治療」によって、かえって病状は悪化したのである。ある看護婦は言った。「この治療法は失敗かもしれませんが、私は分裂病という病気が少しわかったような気がします。新しい道を考えてみましょう」と私を慰めてくれた。」(浜田[1994:100-101])

広田 伊蘇夫 19801015 「松沢病院の戦後の医療実態」,『精神医学』22-10(262)(1980-10):1089-1096

 「U. 1978年の実態
 1.疾病構造
 1978年12月31日現在の治療者側の主なる構成は,看護スタッフ453名, P.S.W. 6名,精神科医師29名,他に内科,外科,整形外科医5名からなっている。これらのスタッフによって,ー般精神科医療,救急医療,合併症医療への対応が行なわれているわサである。救急医療の実態については,すでに雪竹の報告があり,ここでは省略することにする。
 ところで,この時点での在院者の総数は1038名である。このうち分裂病者は男子377名,女子322名,全在院者に占める割合は共に67%となる。外来通院者の総実数は1761名であり,分裂病者の占める割合は,男子57% (459名),女子63 % (601名)となる。いずれにせよ, 1978年時点での冶療対象疾患は圧倒的に分裂病者が多いといえよう。  ここで,分裂病以外の疾患を,在院者,外来通院者にっいて図示したのか図1である。」(広田[1980:1089])


UP: 20130412 REV: 20130413
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